太秦からの映画便り

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(後編)

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(後編) 
   ―中越大震災と闘った小さな村の物語―

<昨日の続き>
―ええ、そうでしたね。
橋本:山古志は元々地震や地すべりがあった土地で、それを乗り越えて命を繋いで来ている。ここの様な中山間地は日本の大部分を占めています。映画に出てくる人々がどう生きているかを描いたら、日本人の生きてきた姿が浮かび上がるはずだと思いました。元々日本人は人の繋がりを大事にして、自然と共生して生きてきたんですよね。「掘るまいか」を撮った時から、(この村の深さは何だろう?)と思っていました。腹にすとんと落ちなかったそんなものが「1000年の山古志」のテーマに繋がったんです。(これは日本の村の物語だよね)という、うっすらと感じていたものが、ラストまで撮って解ったというか。俺達が作りたかったのはこういうものだったんだと、作りながら解りました。

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―解るまでには、時間がかかっていると。
橋本:全部で150時間回しています。最初プロデューサーから、700世帯全部を映せと言われました。まあ、そういうつもりで撮れという意味でしょうが。完成後の発表会で「特定の家族が出てくるが、決して特定の人の物語ではない。山古志の人全てを描くつもりで撮っている」と言って観てもらったら、たとえば上田さんの物語に「ああ、これは自分の物語だ」と皆納得してくれました。元々この作品は、カメラと村人が近かったんです。プロの方たちからは、「対象に踏み込み過ぎもせず、そうかと言って空々しくもない。いい距離で撮ってる」と言ってもらいました。

―皆さん生き生きとしていますが、カメラが背中を押した所もありますか。
橋本:映画を撮るという行為そのものが皆さんの背中を押し、生き生きとさせ、そんな村人達の姿がとるほうの背中を押したという、共犯関係から撮れた映画です。田んぼを修復した上田さんなんてその典型で、最初は諦めていた。家を壊す日に初めてお会いしたんだけど、上田さんは「自分の代で家を壊してご先祖様に申し訳ない」としょんぼりしてて、「ご先祖様のお墓と仏壇を修復して、自分はもう一度田んぼをやりたい。それが出来たら家なんて掘っ立て小屋でも良い。ここで田んぼが出来たら、他には何にもいらない」と言うんですよ。僕らもうるうると来て、「上田さんが稲を刈り取る所を見たいよね」と言い合い、どうしたら田んぼが出来るかをカメラのないところで話したんです。「映画の為じゃあなく僕らは上田さんが田んぼをやるのを見届けたいんだ」と言っても、最初は「でもお金が無いし」、「もう自分は年だし」、「娘達も反対してるし」とか言ってたのを、だったらこうしたらと一つ一つ解決していった。そのうち「そこまで言ってくれるんだったら、やっちゃおうかなあ」とか言って、ホースを発注したりとか少しずつ自分で動き始めた。

―スタッフの思いが上田さんの背中を押したと。
橋本:そうですね。ホースを持って山道を突き進んで行くところとか凄いでしょう? 崖の上を草に捕まって登るんですよ。まず最初に、重い機材を持った録音が脱落しました。僕も途中で駄目になるんだけど、カメラマンなんて僕を心配するどころか邪魔にする位だった。上田さんのこの執念を撮りたいと、必死でくらい付いていく。映したほうの執念も凄かった。よく落ちなかったものだと、後で怖くなりました。
―そうして伸ばしたホースから、ちょろちょろと水が流れてくる、と。
橋本:水が出た時は、ほんと嬉しかったですね。あの年齢の人が、長靴をはいて子供みたいにピチャピチャやってる。山古志は元々水の神様がいて、水は大事だから、こうして水が引けたときは祝うんだと言って、何か貰ったりしました。まだその時には水が溜まるかどうか解らなかったんだけど、夢が半分くらいは叶ったかなと思いました。ただ上田さんは、途中でお祖母ちゃんが死ぬんです。田んぼも見せたかったし、長岡に建てた家も見せて、こうして再出発できた事を知らせたかったと言っていました。

―その上田さんとか、たくさん映した中から、5人に絞り込んだ基準は何ですか?橋本:ある種運命的な出会いの方です。上田さんの場合、初めての出会いであの方の持つ重みから本当の山古志人と出会ったと思ったし、名前とか僕のお袋と似ているところもあって、色々な思いが錯綜し、この人は僕らにとって大事な人になるかもしれないと感じました。カメラマンも、「この人良いよ。びんびん来る。深いものを持ってる」と最初から言ってましたね。でも本人はマスコミが嫌いなんです。山古志一の山菜取りの名人だとか、地元では有名なんだけど、テレビ局等が映そうとすると嫌がる。僕らは拒絶されなかったけれど、最初からがんがん映せたんじゃあなく、そろりそろりで、我々を解ってもらうまで結構時間がかかっているんです。

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―なるほど。ひまわりを植える関さんも印象的ですが。
橋本:映画ではそこまで映りませんが、関さんだけで映画が1本できるほど回しています。今までは夫を立てて後ろから静かについていく、絵に描いたような良妻だったのが、地震をきっかけに自分って何なんだろうと考えたと言っていましたね。地震で避難所に来て、時間があるから色々な事を考える。仮設にばかりいると家族が心配するから外に出るんだけれど、暗い表情で下を向いている姿を人に見られるから、晴れの日は出れない。雨の日に傘を目深にさして、顔を隠しながら仮設の周りをぐるぐる1日中歩いた、と。人生をリセットされてしまって、自分はどう生きてきたのか、自分の人生は何だったのか、これからどう生きるつもりなのか、自分を突き詰めたそうです。又以前のように山古志に戻るのであれば、そこで自分が生き直す為の理屈が欲しいと考える。そんな時、神戸の方がひまわりの種を持ってきてくれるんですね。「ひまわりはどんなに辛くても真っ直ぐ上に伸び、太陽を向いて咲く。こんな風に生きようよ。自分たちは震災の後ひまわりを育てて元気をもらった。あんたたちもここで怯まないでひまわりを育てなさい。」と言われて、(そうだひまわりを育てて、種から油を絞ろう。それを自分の生きがいにしよう。ひまわりを一つのシンボルにして、自分なりに山古志に尽くしたい)と、その時決めるんです。ご主人は昔風のしゃしゃり出るなというタイプだけれど、生き生きと元気になっていく妻を見て、影で協力するとか変っていく。大人しい人が団体まで立ち上げました。「地震は色々な物を奪ったが、奪うだけでなく、人生を考え直すきっかけを与えてくれた。山古志って本当に良いところねえって、ここのよさを見直せるきっかけにもなった。辛い経験だったけれど得た物も多い」と言っていました。全てを破壊されたわけだから、皆さん色々厳しい決断を迫られるんです。岐路に立ち自分を試された人たちの、「今畜生、負けるもんか!」という頑張りを、ちゃんと撮りましたよというのが僕の思いです。底から這い上がってこれる力、これが日本人のDNAかなあと思いました。

―日本人というけれど、山古志の人々は特別のようにも思います。生きる知恵があるというか、生活を楽しむ力があるというか。
橋本:確かに山古志の人はイマジネーションが豊かだし、民意が高いですよね。ここは元々幕府の直轄領だったんだけど、役人が時々来るだけで、あまり締め上げられてないんです。錦鯉にしても、突然変異できれいな色の物が出たら、それをかけあわせてもっと珍しい物を作るとかを、昔からやっているんですよ。元々、日本の百姓と言う言葉は気高い言葉で、自治能力や知識があった。昭和の初期に、貧しい人たちがお金を出し合って、16年もかけてトンネルを掘ったというのがそれを証明しています。中央から言われた事じゃあなく、自分たちでやっているんですからね。何をやるにしてもしなやかで品格があると思いました。この映画でもリーダーの松井さんが、「これは国がやってくれる、県がやってくれるというんじゃあ駄目だ。自分たちがどうしたいかを考えないと」と言うんですが、何事も人任せにしない。自分の足で立ち自分の力で切り開いて生きてきた。それが地震が起きた時に生かされたと。ここにいたって自分の中で「掘るまいか」から「1000年の山古志」が一つに繋がりました。山古志の人々は自然に痛めつけられたけれど、自然に助けられてもいる。土地と細胞が繋がっているというか、土地は命の元なんですよ。そういう生き方をしてきたからこそ、便利だとか不便だとかではなく、戻りたいと思うんです。それが役人には解らない。

―深い言葉です。同じ武重さんプロデュースの「いのちの作法」の舞台の村と同じ匂いを感じました。
橋本:沢内村もそうでしたね。特別な村長がいたのもあるけれど、あの村も自分たちで考え自分たちで実行している。しかも人間が自然と共生して生きているんです。これが日本人のDNAですよね。プロデューサーは今までも日本人の根っこを探ってきた人で、ぜひとも残したいそういう所を見つけてくるんですよ。この問題は実は僕にも関係していて、自分はオーム世代というか、高度成長の最中に育って、根っこのなさというか、生きていく手段がないというか、自分の所在のなさに後ろめたさがあるんです。(俺って何?)と山古志に行くと劣等感を感じる。あそこでは皆生きていく実学を持っていますからね。便利になったけれど、私たちは色々な物を切り捨ててきた。自分たちよりもっと酷い状態になっている若い人にも観てもらって、何かを感じてもらえれば良いなと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 本当言って私も、もう山古志の人々が元の場所に帰る事はないだろうと思った一人です。でも予想に反して、多くの人々が故郷に帰った。その裏にこんな物語があったとは…。ここにあるのが本物の暮らしだなあと、監督の狙い通り、1000年続いた山古志の人々の英知に心を揺さぶられました。浮ついた都会暮らしが、ちょっぴり虚しくなる。


  この作品は11月7日(土)より第七芸術劇場で上映。  
         <なお、8日(日)には監督のトークショーがあります>
       順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

映写室 「無防備」市井昌秀監督インタビュー(後編)

映写室 「無防備」市井昌秀監督インタビュー(後編)    
 ―息子の誕生に命の大切さを思う―

<昨日の続き>
―富山と東京の違いはどうですか? 物を書く仕事で、東京は時間の流れが速く、情報が多過ぎて自分を見失いそうだからと、敢えて不便な地方に住み距離をとっている知人がいますが。
市井:僕もそんな感じを持ちます。今回は特に、以前と違って東京の何かに馴染めないんです。家族を持った事が大きいかもしれないけれど、2年間富山に住んだ事もあって、何かが違ってしまった。出来れば都心を離れて、1時間位で仕事に通える、田舎の雰囲気が残っていて情報も入って来る所に住みたいんです。僕は大学時代を過ごした阪急沿線の西宮が好きで、片側に海が見え町にも近く、しかし自然もあるというのが理想なんです。今は東京に住まざるをえないけれど、撮影だと田舎に行って撮りたくなる。僕の今までの作品は、東京で撮ったものも、都会というより田舎の匂いの残った所で撮っています。これを撮る2年間は富山に住んだので、脚本を書きながら自分の過去が甦って来て、随分助けられました。15年位前に離れた場所ですが、田舎や故郷の温かさというのは良いですね。

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(C)2008『無防備』製作委員会

―田んぼの中にぽつんと建った工場とか、田舎の閉塞感や、逆に田舎の豊かさやのんびりした所とか、この物語自体が田舎だから成り立つわけで、私もそんな所で育ったので、微妙なニュアンスが伝わってきました。そこで暮す律子のリアルさも格別ですが、森谷さんはこれ以外でも市井監督の作品によく主演されていますね。
市井:僕自身が特別な存在ではなく、目立たないという事にコンプレックスを持っています。だから僕の映画では、あまり目立たない所の人に光を当てたいという思いがあるんですが、失礼ですが森谷さんにも同じ匂いを感じました。最初短編の主役をお願いして、出来上がってみると僕のイメージにぴったりで、3作続けてお願いしています。
―そうは言っても、森谷さんはふてぶてしいほどの存在感。目立たない様で凄く目立っていますよね。
市井:そうですね。森谷さんはカメラの中で独特の存在感を示します。それに役の解釈も適切なんです。いつもは律子よりずっと明るいおっとりした方ですが、カメラの前では役柄を掴んで、この作品の律子のように変わっていきますね。

―森谷さんへの演出とかは?
市井:僕は最初から押し付けないで、俳優さんの解釈のまま一度野放しで演じて貰う方なんです。要所要所の手直しはしましたが、今回もそれでほとんどブレが無かったです。この作品は富山で妻と2人、期間・お金と制約の多い中で作りました。森谷さんだけでなく他の役者さんも、それを解ってくれ、なおかつ僕を理解してくれる人たちと組んで作っています。スタッフも同じです。そんな事もあって、最初はどうしても遠慮があり、僕が一人で多くの事を抱え、準備が追いつかなくてパニックになったりしました。これじゃあ駄目だと皆に謝り、低予算のこんな状態でも皆それを承知して参加したプロなんだから、遠慮せずに力を借りようと思い直して、話し合い、上手くいくようになりました。

―律子にしても千夏にして女性は素敵で頑張るのに、夫たちがあまりにだらしが無い。そんな設定とかはどうしてですか?
市井:確かに男たちはだらしが無いですね。前作もそうなんですが、僕の作るものは、女性の頑張りに対して、男が酷い。誰しも完璧な人はいないけれど、根本的に女性の方が強いなあと思っているんですよ。現に、律子の夫の冷たさや自分勝手さ、千夏の夫のだらしなさとか、脚本を書いた僕自身の持っているものでもあります。彼らに何処か重なりますね。
―それでも従う女性たちに少し不満も持ちました。
市井:そうでしょうねえ。千夏に嫉妬する律子の感情とかも解りますし、女性たちのキャラクターも僕自身が持っているもので、僕の願望かもしれませんね。
―律子の家とか、今回はロケシーンも絶妙でしたが、ロケハンとかは?
市井:富山に帰ってから、僕がほとんど一人でロケハンをしました。律子の家はフィルムコミッショナーの方が「誰々さんとこ行って見たら?」という感じで、何箇所か候補を挙げてくれて、その中でも一番イメージに近い所にオーケーが貰えました。例えば、階段に手すりが付いているとか、食器が沢山あるとか、以前に夫の両親と同居していた痕跡が残っていて欲しかったんです。今は両親が死んでしまったという設定ですが。踏み切りで二つに分かれた道とかも、フィルムコミッショナーの方に教えて貰いました。最後まで決まらなかったのが、工場への行き帰りに律子や千夏が歩く田んぼの中の真っ直ぐな道です。田んぼはあってもたいてい間にぽつんぽつんと家が建っている。あそこまで開いている所はなかなか無くて、探すのが大変でしたね。

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(C)2008『無防備』製作委員会

―監督はいつもは他のお仕事をされているんですね。奥様の日記に、早く映画の仕事だけをさせてあげたいと書いていました。
市井:助監督とかをするより、1本でも多く映画を観たり脚本を書く時間を作るほうが大事だと思うんで、あえて映画の仕事には関わらず、全く別の仕事をしています。でも時間的にも仕事の占める割合が大きく、それが悩みですね。
―カードローン、消費者金融と目いっぱい借金をしてこれを作ったとも書いていますが。
市井:ええ、これは最後の自主映画で、どんな借金をしても完成させたかったんです。でももうそんな事は止めて、借金がまだ残っているので、そういう意味でももう自主制作では作れないんですが、今度からは企画書を出して、お金も出して貰って作れるような監督になりたいですね。
―この作品で大勝負に出たと?
市井:自分をさらけ出したという意味ではそうですね。お金でもそうですかね。借金の事は両親にも内緒です。今も知らないんじゃあないかなあ。

―どうしてそこまで映画作りに拘るのでしょう?
市井:自分が出る事も好きで、最初はお笑いを目指していました。でもだんだんお笑いではなく、役者として出たいと思い出し、東京乾電池の研究生として1年間演技の勉強をしたんです。でも劇団員に残れなかった。自分が脚本を書いて監督をやれば出演できると思って、作り始めたのがきっかけです。
―じゃあ機会があれば、ご自分も出たいと?
市井:もう今は考えていないですね。監督として外から見ていて、役者さんの大変さが解ってきたし、自分がそれをやるというのは考えられなくなりました。監督としての映画作りの面白さに目覚めたのもありますし、自分はそんなに器用でもないので、作る側でいようと思います。この作品には音楽を担当してくれた朝倉裕稀が出演していますが、音楽家というのは何処かで俳優とリンクする所があるんでしょうね。独特の存在感を見せてくれました。

―撮影中に息子さんが誕生したわけですが、子供が生まれる前と後で変った事を教えて下さい。
市井:日常的には妻と息子という家族に対する責任をもの凄く感じるし、自分を生んでくれた親の事にも目が行く様になりました。映画的にはどうでしょうねえ…。(暫く考える)こんな事を始めて聞かれたんで、今考えてるんですけれど、子供の顔を毎日見て思うのは、例えば走っていて直角の曲がり角とかに来たら、大人だったら向こうから誰か来るんじゃあないかとか考えて少し怯むんだけど、子供は何の躊躇も無くそのままのスピードでバーッと曲がっていくんですね。こんな風に未来を恐れない子供の感性を持ち続けないといけないなあと思いますね。
―そもそもこの作品、最初は息子という題名で書き始めたんですね?
市井:ああ、そうでしたね。忘れていました。「無防備」に変ったのは、脚本を書いている時、アメリカの高校で銃の乱射事件があって、それを伝えるニュースが「無防備な子供たちを…」と繰り返して、何か引っかかったんです。で、子供というのも無防備だし、律子にしても、殻に閉じこもっていた心が段々無防備になっていく。そんなものを描きたいと思ったんです。

―お話していて気付いたんですが、無防備というのは監督自身の事かも知れませんね。ご自分の姿勢にリンクするから、誰もが聞き逃すニュースのその言葉に引っかかったんじゃあないのかと。創作する姿勢においても、子供のような無防備さを失くしたくないと仰っていますし。
市井:そうかもしれません。借金の事とかはそうですよね。次に作りたいものも、ある程度具体的になってはいるが、何かが足りないんです。お話していて、子供が無邪気に突っ走っていく勢いを、表現者として忘れてはいけないと思いました。これからも物を作る上で、僕自身から生まれてくるものを大事にしたいし、映画作りは多くの人が関わってくれるので、これを現したいというものは、例え無防備であってもぶれないで作って行きたいと思います。

―最後になりなしたが、皆さんへ一言。
市井:先行した東京では年配の方が多く見て下さいました。もちろん年配の方にも観て欲しいけれど、命を粗末にするのは若い世代が多いので、若い世代にもぜひ観て欲しいと思います。又この作品の大きなテーマは再生、女性だけに解る映画でもないので、男性もぜひ御覧下さい。観光名所は出ないけれど、怪獣公園とか、富山の面白い所、美しい所が映っています。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
 “この秋、劇場が分娩室になる!”という、ちょっとショッキングなキャプションも付いていますが、生まれたのは赤ちゃんだけではなく、新しい試みの作品でした。女優2人の体当たりの演技で、柔な頭に強烈なパンチを食らった気分。映画の放つ衝撃をぜひ劇場で体験して下さい。又、素晴らしいのが、作品の世界をそのまま豊かに広げていく、ラストの齊藤さつこさんによるボーカルです。心に染み入って震える事請け合い! 市井監督と素敵な仲間たちの無防備なコラボレートが光る作品です。


    この作品は、11月7日(土)より京都シネマで先行上映、
                 11月21(土)からシネマ−ト心斎橋で上映

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(前編)

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(前編)   
 ―中越大震災と闘った小さな村の物語― 

 未曾有の災害となった2004年の中越地震からもう5年。私が山古志の名前を知ったのは、あの時流れた全村避難のニュースでした。半分崩れ落ちた道、美しい棚田や錦鯉の池の崩壊、牛舎に取り残された牛たちの姿と、自然の猛威を見せ付けた映像が忘れられません。それと共に、暫くして届き始めた、あれほどの破壊の後でも村の人々が少しずつ山に帰っているというニュースに驚いたものです。
 この作品は、山古志村を舞台に「掘るまいか」を撮った橋本信一監督が、震災の2週間後からカメラを回し続けたもの。1000年の歴史を持つ村が、災害に負けずどうして再生を目指せたのか。村人たちの不屈の魂、英知を探っていきます。そこから浮き上がるのは、山古志だけではない、私たち日本人がもっていた生きる力、普遍的なものでした。橋本監督にお話を伺います。

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<橋本信一監督インタビュー>
―監督と山古志とのかかわりは、「掘るまいか」からですよね?
橋本信一監督(以下敬称略):ええ、そうです。始めて村に行ったのは98年11月、完成したのは2003年の8月でした。山古志村の方から、「新しいトンネルが出来るんだが、そうすると昔皆が手掘りした隋道が忘れられてしまう。村の歴史だから記憶に残したい。それには広報媒体がいる。映画を作りたいんだけれど」と相談があったんです。当初は劇映画を作りたいと言っていて、有名監督とかにも話を持っていったらしいんだけど、「昭和初期の話を撮るなら5億はかかる」と言われて、村の人はびっくり。そんなお金はないし、騙されるのではないかと怖くもなった。神奈川県に今村昌平監督とこの作品のプロデューサーの武重邦夫さんが作った日本映画学校というのがあって、学校の人なら騙さないだろうと、こっちに持ってきたというわけです。で、武重プロデューサーと一緒に初めて山古志に行ったんだけれど、トンネルを5百メートル位歩いただけで圧倒された。手掘りだから岩とかむき出しで、ごつごつしていて彫刻みたいなんです。厳かというか、何かを語りかけてくるというか、まるで有名な宗教施設に入ったような感じなんですよ。思わず背筋を伸ばし、最初はわあわあ言っていたのに、残りは黙って歩きました。出口まで歩き終わると、プロデューサーの目が「やるだろう?」と言っていて、ぼくの目も「やります!」と言っていて、何も喋らないんだけれど、これで決まりました。

―凄いお話ですね。
橋本:再現シーンとかもあるんですが、山古志の人たちに協力してもらって、道具とかは当時使っていた本物か、使っていただろう物を用意しました。当時を知っている村の長老が時代考証をしてくれたんで、リアリティがあるんです。村の人にとっても映画作りはお祭りで、皆熱に浮かされたように、農作業をサボってやって来て、ワーッと一緒に作ったりと面白かったんですね。だから、映画が完成して我々もいなくなると、火が消えたようにさびしくなった。若い人とかが、又映画を作りたいなあと言っていたようです。こっちは細々と上映を続けていたんですが、そしたら2004年10月に中越地震がおき、大騒ぎになった。実はその日は、知り合いが東京国際映画祭で受賞したんで、お祝いに六本木ヒルズに行っていました。小泉さんとかも来てたんですが、エレベーターが止ったんです。結構揺れたんで、最初は東京で地震があったと思いました。誰かが新潟だと言い出し、心配になって山古志の人たちにメールや電話をするんだけれど、誰も出ない。胸騒ぎがするけれど、ニュースで長岡、小地谷、柏崎等新潟の地名が出るのに、山古志は出ない。山の中なんで大丈夫だろうと思っていました。そのうちにテレビで全村避難のニュースが流れて、怪我をしてヘリコプターで運ばれている人が映ったら、松崎六太郎さんという「掘るまいか」に出たおじいちゃんだった。(え、何やってるの?)と映画を観てるような感じで、現実味は無かったですね。時間が立つにつれ、水没した地域が映ったり、僕等が撮った棚田がめちゃくちゃになってたりで、だから連絡がつかないんだと解りました。後で村の人に聞くと、山が一つ動いたというんですよ。大変ですよね。すぐにでも駆けつけたかったけれど、どのルートを使っても、何処かで寸断されてて陸路では入れない。スタッフは「早く行こう」、「早く行こう」と言うけれど、テレビを見てるしかなく、連絡もつかず不安な日々でした。2週間後に天皇陛下が長岡市の体育館にいらっしゃった時、関越道が一時開通したんです。で、「掘るまいか」のスタッフで行きました。

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―天皇ご夫妻のお見舞いの映像がニュースで流れましたね。
橋本:ええ、それです。入ってみると長岡市内は凄い渋滞でした。新潟のテレビ局が「掘るまいか」のスタッフが来るというんで、カメラを準備してるし、僕等が行くのが伝わって、皆待っていました。で、山古志の人たちと映画みたいに抱き合って喜ぶんだけど、「無事で良かったです」としか言えなかったですね。食べ物を持っていってたのに、受取れないと言うんですよ。「こんな大変な時に来てくれて有難う。それは持って帰ってくれ。代わりにこれを食べろ」と言って、自衛隊の配給で貰ったものを布団の上に並べて、もてなしてくれるんですよ。お見舞いに行っているのにおかしな話だけれど、山古志の人たちはこんななんだよなあと納得しました。車座になって話してた時、仕切りもないところに布団を敷き詰めているから、「女性の着替えはどうしているの?」と聞くと、「トイレとかに行って着替えている」と言うんです。「衝立でも作ってもらわないとね」と言う僕らの話を聞きつけたお祖母ちゃんが、怒り出した。「何でこんな所で山古志の皆が元気か解るか? 皆の顔が見えるから元気でいられる。皆で支えあって生きて来た村だから、壁なんていらない。壁を作ったら、ジジババはすぐに弱るぞ。すぐに止めさせろ」と言うんですよ。はっとしました。苦しい中で皆で食べ物を分け合って生きてきた村なんで、個人のプライバシーよりも皆で繋がっているほうが大事。壁がコミュニティを阻害するんです。

―ええ。
橋本:最初、どうやって声をかけたらいいんだろうと思ったけど、実際の皆は暗いばかりでもない。松井さんと言う新築の家が水没した人なんて、お気の毒で声をかけられない。でも本人は暗いわけでも無く、しょうがないんだと開き直っている。「泣いて家や牛が返ってくるんなら、いくらでも泣くよ。でも泣いても返ってこないんならしょうがねえじゃあないか。それより自分はこれから集落をどう立て直すかを考えている。今までより良くして、次の世代に渡したい」と言うんですよ。地震からわずか2週間後に、村を子供たちにどう残せるかと100年先のことまで考えている。凄いですよ。誰もが話すのが後悔ではなく未来のことなんです。リーダーの松井さんが、とにかく前に向かっていました。「しょぼくれていたら誰もついてこない。道が壊れたんなら作ればいい。新しい山古志を作ろう」と、強がりではなく、心の底から言っていたんです。

―凄いですね。
橋本:そうでしょう? この人たちの凄さって何だろうと思いましたね。行政やマスコミの人たちから、「1年の半分は雪に閉ざされる、職場まで遠い山に帰るのは止めて、平場で暮らしてほしい。コスト的にも助かるのに、不便な所にどうして帰りたいのか」という声が聞こえてきて、山古志の人たちはじっと耐えていました。「掘るまいか」で人々と土地との繋がりを感じていたんで、僕らも「何言ってるんだよ!」と腹を立てながら聞いていたんだけれど、なんでそこまでして帰りたいかを証明する映画を作りたいと思いました。「マスコミはいずれいなくなる。1人減り2人減り、やがて震災があった事を忘れる。最後に残るのは自分たちだけだ」と松井さんが言うんで、「俺達だけは側にいます。皆さんがどうなるかを見届けるまで、側にいますよ」と言ったんです。その時は撮影するお金も無くてどうなるか解らないんだけれど、映画を作ろうと決心しました。

―それがきっかけになったと。
橋本:それ以前に小さな芽のような物はありました。地震の前に、山古志村の名前が合併で消えるから、確かにこういう村があった事を証明する映画を作ろうと言っていたんです。村の予算で「永遠の山古志」という小さい映像作品を企画していて、調印するところだったのが、震災で吹っ飛んだ。その小さな芽と避難所で僕が体験した事とが重なり、「1000年の山古志」のイメージが出来上がりました。僕がその時皆に言ったのが、「これを震災復興の映画にはしたくない。もちろん村の人たちの復興は映すけれど、それはプロセスとしてで、1000年続く山古志の深さを描きたい。それが“日本の村とは何か”、“日本人とは何か”に必ず繋がるはずだ」という事です。そしたら皆が「監督の気持ちは解るけれど、それじゃあお金が集らない。震災からの復興を前面に出したほうが良い」と言うんですよ。でも、「それをやるんだったら僕は降りる。タイトルは譲れない」と頑張って納得してもらいました。だから仮設住宅はあまり映っていません。(聞き手:犬塚芳美)
                    <続きは明日>

   この作品は11月7日(土)より第七芸術劇場で上映。  
          <なお、8日(日)には監督のトークショーがあります>
         順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

映写室 「無防備」市井昌秀監督インタビュー(前編)

映写室 「無防備」市井昌秀監督インタビュー(前編)     
―息子の誕生に命の大切さを思う―

 妻の懐妊で思いついたという、大きいお腹と同時進行のこの物語は、ドキュメンタリーなのか、劇映画なのか? 題材と共に、境界を曖昧にした斬新な手法が光ります。そんな独特のスタイルと出産を真正面から扱った大胆さに、第30回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)はグランプリを含め3部門の賞で応えました。さらに第13回釜山国際映画祭コンペティション部門ではグランプリを受賞し、第59回ベルリン国際映画祭への正式出品と勢いが止まりません。市井昌秀監督に制作秘話等を伺いました。


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(10月27日 大阪にて)

<その前に、「無防備」とはこんなお話> 
 田園地帯のプラスティック工場で働く律子は、家と工場を歩いて往復するだけの単調な日々だ。ある日、大きなお腹を抱えた千夏が新人で入ってくる。仕事を教え、一緒に帰り姉のように慕われる律子。流産をきっかけに夫との仲が冷え切っていたが、もう一度子供が欲しいと思いだす。しかし夫は冷たく、幸せそうな千夏を見るとざわめく思いが…。

<市井昌秀監督インタビュー>
―妻の懐妊すら映画作りのきっかけとして見逃さないという姿勢に、快諾したという奥様共々、物作りをする者の性を感じました。
市井昌秀監督(以下敬称略):そうかもしれません。ぼくも妻もいつもクリエイティブでありたいと思っているし、撮りたいものが出てくるのを探しています。そんな僕等にとって、妻の懐妊は何よりの刺激になりました。「無防備」は出産から逆算して作ったといわれるけれど、僕自身は最後が決まってないと書けないタイプなので、他のものでも最後を構築してから逆に書いていきます。
―ただ今回の場合、物語的にだけでなく、タイムテーブルを合わせることも必要でした。
市井:ええ、出産を最後に持ってきたくて。日時が不確かなだけにそれが大変でした。これを撮ろうと決めたのは妻の妊娠が解ってすぐですが、出産の半年位前からシナリオを書き始めています。

―ご両親とかの反応は?
市井:どちらの両親にも黙っていました。両方とも映画祭で知ったんです。妻の両親の反応が特に心配で、叱られるのではとドキドキしていましたが、素直に褒めてくれました。僕の両親も同じで、褒めてくれましたね。
―もちろん良かったというのが前提ですが、映像で真正面から捉えた出産シーン等、子供を生んでいない私には衝撃的な作品でもありました。自分が封印してきた、人間も動物だという部分を見せ付けられて、がーんと頭を殴られたというか…。出産をご覧になっていかがでしたか?
市井:撮影中は上手く撮らなくては等々、監督としての立ち居地で一杯一杯で、感動とか無かったんですが、後で撮った素材を見て自然に涙が流れました。産まれて来てくれてありがとう、産んでくれてありがとうと思い、感動しましたね。本能的な部分を擽られたんだと思います。こんな風に自分も生まれてきたんだなあと思い、両親に感謝すると共に、神々しい気持ちにもなりました。そうは言っても照れくさくて、言葉には出していないんですが、ぴあの映画祭に出す文章の、「妻の大きなお腹を眺めながら、母の背中を思い出しながら脚本を書いた」という言葉で解ってくれたのではと思います。

―衝撃の大きさもあって、公開前から色々な所でこの作品の事を話題にしています。出産経験のある教師をしている友人が、子供たちにも見せてあげたいと言っていました。エロティックというより、命の神秘さ大切さが素直に伝わるだろうと。親への感謝も芽生えるでしょう。でも、この作品はR18+(成人映画)指定を受けましたね。
市井:ええ、そうなんです。僕自身としては心外で、ありのままを切り取ったので、子供に見せてもいいのではと思うんです。特に映画的にR18+と言うと、過激な暴力シーンだったり、エロティックなシーンがあったりと想像しがちだけど、そんな事はありませんから、指定を受けた事が僕自身とても残念でした。妻と僕はある意味同じスタンスで、お互いに発信する側にいたいという思いを、ずっと持っています。妻の妊娠がこの作品の直接の契機にはなっていますが、それ以前から命を軽視するニュースに心を痛めていて、それを是正するような何かを作りたいと言っていました。お腹の中に命があると解って、余計に命に関わるニュースが目に付くようになり、こんな作品で命を考えるきっかけになってくれればいいなと思ったんです。僕自身、こんな風に産まれてきてくれたという子供への感謝、取り上げて下さった医療スタッフへの感謝、こんな風に生んでくれた両親への感謝が、自然に芽生えました。それが主人公、律子の自然な涙にも繋がっていると思います。

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(C)2008『無防備』製作委員会

―ええ。でも出産が遅れて、それが大変だったんでしょう?
市井:予定日を1週間過ぎて、妻は動くのが大変だったんです。何人かは仕事で東京に帰っていき、最終的には律子役の森谷さんも含め9人が残ってくれて、それで撮影しました。それも大変だったけれど、陣痛が始まってから16時間続いて、僕はずっと背中をさすったりしたけれど、妻が痛みで殺気立っているのです。隣にいる僕にずっと怒っているんですよ。だんだん追い詰められ、もう撮影どころじゃあないという気持ちにもなって、時間が立つにつれ、どうしたらいいのか解らなくなってきましたね。夫や父親としての感情になれたのは、撮影が終わって機材等撤収し、母子同室の部屋で3人で寛いでからです。
―なんか、その時の監督を映したメイキングを観たいような…。
市井:そうですね。メイキングでおろおろする僕が映っていたら、それはそれで面白いかもしれません。

―そういう情景も見て、ラストの律子の表情が撮れたと。
市井:森谷さんには陣痛にも立ち合って貰い、出産にも立ち合って貰い、子供をお腹の上に乗せたあのシーンで自然な涙が流れました。順撮りでいって良かったと思います。
―失礼ですが、森谷さんはお子さんは? 出産に立ち合われて何か仰いましたか?
市井:子供はいません。誰しも温かい言葉をかけてくれたんですが、森谷さんは「こんな現場に立ち合えて良かった。初めて子供が欲しいと思った」と言っていました。
―子供を産むって凄いですよね。産んでいない女とは雲泥の差。負けましたというか、修羅場を潜っているなあと、しみじみと思いました。
市井:そんな方の感想ははじめて聞いたんですが、地方に行くと、子供を産んでいないと駄目だという悪しき風習があるので、そのあたりを律子で入れてみたんです。

―後でご自分の出産シーンを見た、奥様の感想はいかがでしたか?
市井:出産はドキュメンタリーなので創作の前半とのバランスが難しいんですが、生々しくならずバランスよく治まっていて良かったと言っていました。それと出産を記録に残せて良かったという事ですね。
―奥様もあくまでクリエータの視点ですね。凄いです。それまで東京にいらしたのに、撮影の為に富山に帰られたんですね?
市井:ええ、富山に帰って映画を撮り、その後も今年の3月まで、この作品にも登場する実家の工場で働いていました。富山に帰って映画を作ったのは、それ以外に方法が無かったからです。律子は両方をしていましたが、工場は基本的には男性が成型をし、女性が検査をしています。ぼくも色々な仕事をしていました。でも工場の事情もあり、作品を公開できそうだというのもあって、今度は又東京に出てきましたが。(聞き手:犬塚芳美)
                            <続きは明日>

 この作品は、11月7日(土)より京都シネマで先行上映、
       11月21(土)からシネマ−ト心斎橋で上映

映写室 NO.24 スペル

映写室 NO.24 スペル
   ―小さな不親切が引き起こす悲劇―

 「スパイダーマン」シリーズのサム・ライミ監督の最新作が届いた。あまりの過剰さに悲劇なのか喜劇なのか解らない。恐怖で震え上がってはいても、後ろの席からは笑い声が聞こえてくる。そうなのだ、これって笑い飛ばせば良いんだと気付いても、私のセンスでは固まったままだ。これってセンスを試されているのかも? 誰かの笑いの引き金がいる。たまにはそんな奇想天外なハチャメチャも良いだろう。さあ、史上最悪の敵とは誰か、ほんの些細な不親切から極限に追い詰めらる主人公と一緒に、最悪の3日間を経験してみよう。ちなみに「スペル」とは、呪文や呪縛にかけられている状態を指します。

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(C)2009CurseProductions,LLC

 <銀行のローン係のクリスティン(アリソン・ローマン)は>、昇進の為に上司へのアピールが必要だった。そこへ薄汚れたジプシー風の老婆が現れ、3度目の住宅ローンの延長を乞う。駄目だという上司の指令どおり断ると、突然激怒。呪いの言葉を吐いて暴れた。その夜から執拗な嫌がらせが始まる。参ったクリスティンが老婆に謝ろうと自宅を訪ねると、老婆の葬儀の最中だった。孫娘は「黙って呪いを受けろ」と冷たく言う。

 <…こうして、謝ろうにも謝れないまま>クリスティンは呪いの中に突き落とされる。これって不条理と言えるかもしれない。彼女がそんなに不親切だった訳ではなく、普通と言うか、親切でなかっただけなのだ。上司や同僚のように、彼女より不親切な人は一杯いるのに、老婆は一番弱い存在、なまじ良心のある彼女に取り付いていく。ひどい話だけれど、中途半端な良心が一番つけいれられるというのも真実だ。他人の痛みに気が付くと、其処がウイークポイントになる。一度の不親切を悔いるクリスティンの優しさが命取りになっていくのだ。過ちの代償はあまりに大きかった。

 <クリスティンにはナチュラルな雰囲気の>アリソン・ローマンが扮し、このとっぴな物語を幾らか(?)身近にしていく。アクションシーンも凄い。化け物と化した老婆と渡り合っていくのだけれど、可愛いとはいっても、考え方も容姿もあまりに普通だから、何とか助けたくてやきもきする事になる。もちろん時間と共に行動も桁外れになり、逞しくなっていくのだけれど、異界で孤軍奮闘する彼女に最後まで寄り添えた。
 <苦境のクリスティンを支えるのが>、大学教授の恋人クレイだ。非科学的な事など信じないけど、何処までも恋人を守り抜く男を、ジャスティン・ロングが微笑みながら好演。一見頼りなさそうでも、自分で出来る方法で助け、恋人を見捨てたりはしない。ジャスティンにはそんな役がよく似合う。この物語の唯一の救いで、こんな彼がいたら辛い事も何とか乗り切れるかも。

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(C)2009CurseProductions,LLC

 <クレイの両親に認められたいと言う>、クリスティンのささやかな望みすら吹き飛ばす老婆の呪い。呪いは時間と共に肥大化してまるで黒魔術。彼女を助けようとする者へさえ災いが及ぶ。過剰さを笑おうとするんだけれど、恐怖と気持ち悪さで体が引きつったまま。笑いたいのに笑えない。逆恨みで狂わされる人生のあれこれ、こんな怪人に出会ったら堪ったもんじゃあない。
<老婆役といいアリソンといい、女優魂をかけた特殊メイクに臨む> 後で自分で見てもぞっとした事だろう。

 <奇想天外な美術も、嫌悪感と言えば嫌悪感。楽しめる人には楽しめる> 口の中に入る虫や唾液、汚い入れ歯と悪趣味の窮みで、映像はこれでもかと言うほどの気持ち悪さだ。「スパイダーマン」のヒットで今や巨匠の域のサム・ライミだけれど、10年前から構想していたというこの映画のB級感は半端じゃあない。可能になった資金力を使ってビジュアル的に容赦がないのだ。サム・ライミ流遊び心一杯というわけで、生理的な急所を突いてくる。やりたい放題はまるで悪餓鬼だけど、それが恐怖を通り超えて笑いに変えるから面白い。笑いと言っても、もちろん限りなくブラック。恐怖と紙一重のブラックユーモアは、やっぱ笑い飛ばすのが正解なんだろう。

 <キーになるのが>、老婆に引きちぎられ呪いをかけた後で返されたボタンだ。呪いの研究家は、そのボタンを誰か他の人の物にすれば、呪いを譲り渡せると言う。つまり罪もない人にこの苦しみを押し付けられるかどうかだ。優しいクリスティンに最後まで難題が突きつけられる。終わったと思っても安心してはいけない。ここからがサム・ライミの真骨頂で、心底驚愕するラストが待っている。油断大敵なのだ。(犬塚芳美)

     この作品は、11月6日(土)より全国でロードショー