太秦からの映画便り

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映写室 「ある精肉店のはなし」纐纈あや監督インタビュー

映写室 「ある精肉店のはなし」纐纈あや監督インタビュー
―牛の飼育からと蓄解体までを行う肉屋さん―

人は、動物であれ植物であれ、他者の命を食べて初めて生きながらえる。その人間の命を支える仕事の一つに、牛をさばき家庭に届けると畜、精肉店の営みがある。とある精肉店は、牛の飼育から始まってと蓄解体までを行い、牛の命と全身全霊で向き合う。今どき珍しくなった家族4世代の食卓風景も圧巻です。纐纈あや監督に撮影秘話等を伺いました。

seiniku_001main.jpg
映画『ある精肉店のはなし』より

<纐纈あや監督インタビュー>
―凄い一家がいるのですね。感動しました。
纐纈あや監督(以下敬称略):本当に凄い一家です。こういう方々に巡り合えたのは幸せでした。
―どのようにして知り合われたのですか?
纐纈:出会いは偶然なのです。映画にも出てきますが、この町のと蓄場の閉鎖が決まり、知り合いの学校の先生が発起人となってと蓄の見学会を企画しました。ナイフ1本で解体しているのは今や国内ではほとんど見ることができない、貴重な技術です。2011年の10月のことで、私も参加しました。その時には、まだ映画化までは考えてなかったけれど、解体作業の技術を記録に残すために撮影させて欲しいとお願いしました。北出さんたちも七代続いてきたと蓄の仕事が終わるので、記録にしておきたいという思いもあったようです。見学会が終わって、北出の皆さんに色々話を伺ったのですが、父親のことを話し出すともう止まらない。その様子から既にこの世にはいないお父さんのことにとても興味を持ちました。この一家をもっと知りたいと思い、映画を作りたいとお願いしました。

―でも、関東の監督に貝塚は遠いですよね。
纐纈:そうですね。私の初作品の「祝の島」も山口県の離島が舞台で日帰りができない所でしたから、遠いのには慣れています。映像ってまずその場所にいることが仕事です。to東京から通っているだけでは、微妙な雰囲気が掴めない。まずはここにいようと、近くに部屋を借り、1年間半そこに寝泊りして生活しました。と蓄場の仕事だけでなく、北出さんの暮らしを撮りたい、でも何を撮ったら暮らしが見えてくるのか、手探りから始まりました。家族の関係性や、地域とのつながり、毎日どんな風に過ごしているのか、できるだけその場にいさせてもらって、一家の生活を見させていただきました。こういうことをするので、映画を作るのは、とにかく普段から体力と気力、そして根気がないと出来ません。

―1年半カメラを回したと?
纐纈:期間としては1年半ですが、その間ずっとカメラを回していたわけではありません。1回の撮影は1週間位です。間をおいてはそれを繰り返すわけで、カメラを回す以外の時間がかなり重要だと思っています。カメラがあるとどうしても緊張してしまうので、撮影隊がいることが当たり前になるような時間を積み重ねていけるのかがだと思っています。
―なるほど。撮影で大変だったことは?
纐纈:と蓄や精肉作業などの仕事振りは、その姿や手の動きや、話す仕草などに現れますが、過去の時間を表現することがとても難しいことでした。もう父親はいない。でも、この一家の根幹は父親だと感じていたのでそこは大事にしたい。兄弟の話す父親の思い出話から、観客の皆さんに想像していただければと思います。

―そういう意味でも成功されているのでは? 父親像を濃密に感じました。
纐纈:ありがとうございます。北出さんご家族の日々の暮らしを通して、と蓄の仕事もきちんと見ていただきたいと思いました。暮らしを支える大切な仕事として描きたかったのです。作業を従事する人々を特別な人と捉えたり、特別な場所と捉えたりしないでいただきたいなあと。父親は、被差別部落ゆえのいわれなき差別を受けてきました。兄弟はそういう父の姿から、差別のない社会にしたいと、地域の仲間と共に部落解放運動に参加し、いつしか自分たちの意識も変化し、地域や家族も変わっていきました。

―そういう屈折したものをまるで感じさせません。まるで手品のように見事に牛を裁いていく手元、無駄な動きがなくて、ただただ見惚れました。体に染み付いた職人技だと思います。刃物を持った男性の動きだけでなく、洗ったり分けたりする女性の動きも滑らかで、動作の一つ一つが美しい。そういう意味では熟練した特別な人たちの特別な仕事でした。お肉になってもこんな風に大切に扱われて、幸せな牛たちです。もし私が牛だったら、ここで処理されてお肉になりたい。
纐纈:そうですよね。実際に北出のお肉はとっても美味しいんです。肉を知り尽くした一職人として、それぞれの肉質を見極め、最良の状態でお客様に提供する。北出のお肉を食べた時に、あまりの美味しさに、今まで自分の食べていたものはなんだったのかとびっくりしました。

seiniku_002s.jpg
映画『ある精肉店のはなし』より

―私もこの映画を見て、お肉を食べたくなりました。お肉が美しいですよね。それに牛一頭余すところなく、あらゆる部位を食し使うのも凄い。見事です。たとえ命が尽きたとしても牛冥利に尽きるというものでは。
纐纈:本当にそうですよね。と蓄場がなくなって牛の飼育をやめた次男の昭さんが、牛の皮を使って太鼓作りを始めたのも、昭さんなりに牛との付合いを続けいくあらわれなのではないかと思ったりしました。

―お祭りの風景も新鮮でした。京都に住んでいるので、お祭りというと雅なものを思い出しますが、ここのお祭りは雄大で勢いがあって驚きました。それに単に行列を眺めるものではなく、町の人々にとってお祭りは参加するものなのですね。立派なだんじり、お揃いの衣装、新調した大太鼓。お金もかかっています。おみこし等の担ぎ手がなくて車で運ぶところまで出てるというのに、ここの皆さんのお祭りにかける並々ならぬ意気込みを感じました。
纐纈:昔、この地域のだんじりが貧弱だと言われて悔しい思いをし、貧しい暮らしをしながらも切り詰めてお金を貯め、地域一番のだんじりを作ったんです。あのだんじりは、この地域の皆の誇りなんですよ。

―この作品でもうひとつ印象的なのが、温かく賑やかな食事風景です。今どき珍しい大家族での食事、食べることでも家族がつながっているのだなあと思いました。こういう環境にいたら、引きこもりや鬱という現代人の悩みは起こらないでしょうね。
纐纈:土間続きに食堂があって、何かというと家族みんながそこに集まるんです。ご飯は誰がきてもいいようにいつも少し余分に作っているから、「なんかある?」っていう感じで、子や孫がやってくる。私もよくお邪魔しました。
―切り口の多い作品ですね。色々な視点で見ることが出来ます。社会問題を含みながらそれにも振り切らず、と蓄解体、食の問題、家族問題、でも一番印象に残るのは皆さんの笑顔と鮮やかな手さばき、つまり生き方でした。まさに「ある精肉店のはなし」だなあと、納得しました。いつか元気の出ない時には、北出商店に行きたいなあと思います。何も話さなくても、笑顔で美味しいお肉を渡してもらうだけで、悩みなど吹き飛びそうですから。                           (聞き手:犬塚芳美)

<インタビュー後記:犬塚> 
昔、師匠から映画監督を薦められたとき、自分にはそんな特別なことは出来ないと思ったそうです。でも、考えてみると、被写体と映す人との関係性が映像にあらわれる。自分と被写体の関係は唯一のものだ。自分がその人と関わって、もっと知りたいとか、素敵とか思うのだったら、それは自分固有のものだから、自分にも出来るのではないかと思ったそうです。お若いのに、地に足のついた制作姿勢、お話にも色々と納得させられました。骨太な監督だと思います。

この作品は、12月7日(土)~12月27日(金)、第七芸術劇場で上映。
時間等は劇場(06-6302-2073)まで。

なお、1月11日から神戸アートビレッジセンター 、順次京都シネマ にて公開。
スポンサーサイト

映写室「天心」松村克弥監督&木下ほうかさんインタビュー

映写室「天心」松村克弥監督&木下ほうかさんインタビュー  
 ―岡倉天心とその弟子たち―

「日本近代美術の父」といわれる岡倉天心が、竹中直人さんのキャラクターでチャーミングに蘇りました。門下生として天心と行動を共にする、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山との若き日々。日本近代史と美術史の一端が覗けます。撮影秘話等、松村克弥監督と、下村観山に扮した木下ほうかさんに伺いました。

tensin1.jpg
©2013映画「天心」製作委員会

<あらすじ>
昭和12年、第一回文化勲章を受けた横山大観(中村獅童)は、新聞記者から1枚の写真を見せられる。映っていたのは、天心に師事し五浦の地で修行する、若き日の大観とその仲間だった。乞われるままに、五浦で過ごした青年時代と、岡倉天心の生涯を振り返る。


<松村克弥監督&木下ほうかさんインタビュー>
―日本史、特に近代史に弱く、驚くことばかりでした。あの時代の日本は、自信をなくして、古来の伝統までを否定していたのですね。
松村克弥監督(以下敬称略):そうなんです。ここまでやったのかと、僕も調べて驚きました。廃仏毀釈とかは知っていましたが、これも想像以上の凄まじいものだったようです。仏像をたくさん燃やしていますからね。阿修羅像のある興福寺法隆寺も危ないところでした。五重塔の上に綱を付け、引き倒そうとしていますし、焼き払おうとして、建物の根元に薪を並べ火をつける寸前に、地元住民の反対で中止となったのです。

―地元の皆さんの誇りですものね、そりゃあ反対しますよ。
松村:いや、そういう理由ではなかったんです。「火をつけたら周りの自分たちの家に飛び火する。危ないからやめてくれ」という、きわめて現実的なものだった。
―え? 残ったのは幸いですが、理由を伺うと釈然としないものがあります。
松村:その後で、岡倉覚三(後の天心で本名)とアーネスト・フェノロサが入って調査しレポートを書くわけです。貴重な資料とわかって助かったんです。法隆寺も荒れ果てていたんですよ。そこにも二人の調査が入って、寸でのところで残されました。

―それほど日本人は自信をなくし、伝統を否定したのですね。もっとも日本だけでなく、よその国を見ても、体制の変換期には、自国の過去を否定する運動が起こっていますね。平常心をなくしたその当時の人々を思うと、痛ましくもあります。
松村:当時の日本文化は壊されたり焼かれたり、調べれば調べるほど凄まじいものでした。フェノロサと岡倉、二人の果した役割は大きいです。
―ところで、お堅いイメージの岡倉天心がチャーミングに蘇えっていて、驚きました。
松村:この企画が来るまでは、僕にとっても、天心は「茶の本」の執筆や世界的な活躍など、お堅く遠い存在でした。実はこの企画は居酒屋トークから始まったのです。大学の後輩が銀座で画廊をしていて、ある時、岡倉天心の映画を作ろうと言い出したんです。お酒の席での話はたいていそこでで終わるものですが、この話は珍しくそこから進展しました。で、調べてみると、天心は意外や人間味あふれる人物で、興味を持ったんです。

―特に参考にされたものは?
松村:松本清張の「内なる敵」を読んだんですが、さすがに清張さんで、聖人君子ではなく弱いところも脆さもある、人間臭い、人情味あふれる人物として天心を描いています。映画的な人物だなあと思いました。参考にさせていただき、そういう視点から脚本に仕上げていったんですが、それを竹中さんがリアルに演じてくださり、よかったなあと思います。
―ちょっと意外だったんですが?
松村:大分前にあったNHKの番組では山崎勉さんが扮していました。何か納得しますよね。僕にもそういうイメージがあったんですが、天心を研究している大学の先生から、「実際の天心は、得体が知れなくて、この映画の竹中さんが演じるような人だった」と言って頂き、嬉しかったです。

―時間を逆戻りさせたり、構成にも色々工夫がありますね。
松村:僕はテレビでサスペンスを撮っているので、そういうドキドキする、スリリングな構成をしたいと思いました。それと、物語を現代につなげたいというのもありました。岡倉天心という名前は、多くの方が歴史上の人物として知っていますが、僕のように漠然としたイメージだけで、詳しいことを知らない。その点、横山大観なら、ほとんどの人が日本画の大家として知っています。そういうメジャーな人を、ビッグネームの中村獅童さんに演技て貰ったら、分かりやすいのではないかと考えました。しかも大観は天心の愛弟子です。弟子から見た天心という形を取りました。しかも大観を回想に導く新聞記者は、石黒賢さんです。豪華でしょう? メジャー感を出して観客を惹きつけたいと思いました。
―そういうビッグ・ネームがたくさん出ています。キャスティングが大変だったのでは?
松村:同時代の4人の画家と、彼らを率いた天心を描くわけですから、決まるまでは頭を悩ましました。それと皆さん忙しいので、撮影時の調整も大変でしたね。でも、天心を含めた5人のハーモニーは上手くいったと思います。

―考えてみると同時代の日本画家という、ある意味で一くくりになるグループを演じ分けるわけですから、演出も役者さんの演技も大変ですよね?
松村:僕もそう思っていたんですが、現場に行ったらもうそれぞれが出来上がっていました。
木下ほうかさん(以下敬称略):僕は天心の4人の弟子のうちの一人、下村観山を演じたわけですが、お手本は「ときわ荘」です。天心が手塚治で、後は弟子たちだと。
―なるほど、そう言って頂くと分かりやすいです。この作品、絵を描く手元が映ることが多いのですが、特に観山がそうですが、あれはどうされたのですか?
松村:全部役者さんですよ。吹き替えはありません。ほうかさんとか、相当努力されたんじゃあないかなあ?
木下:まあいくらかはしましたが、たいしたことはありません。腕をついて、支えにして描くと楽なんだけど、それをしないで描くんですよね。線を引くのも大変でまあ、ちょっと練習しました。

―そういう過程で、観山の絵を手に入れるほどの一体感が生まれたと?(ほうかさんは、撮影後に観山のお軸を手に入れています)
木下:いや、一体感というより、演じて生まれた情ですね。「観山の絵とか興味あるね」とポロッと言ったら、撮影後に手に入れられる値段でそういう機会に恵まれました。他の人ではない、観山のお軸が、演じた僕のところに来たのは、感慨深いものがあります。しかも、どうやらこの時代に描かれたもののようなんです。
―観山とほうかさんの想いが引き寄せたのかも?
木下:どうなんでしょうねえ。
松村:美術史的に見ても、驚くことがありました。僕らは大観とか春草とか言うと、これぞ「ザ・日本画」で、日本画の代表のように思いますが、当時はそうではなかった。洋画の台頭で日本画が衰退するだけでなく、日本画の中でも天心の率いた彼らは異端だったんです。

tensin2.jpg
©2013映画「天心」製作委員会

―輪郭を描かない、没線(もっせん)描法は「朦朧体(もうろうたい)」、「化物絵」と呼ばれて、激しい非難を受けたのですね。初めて知りました。
松村:前衛はいつの時代も異端なんですよ。
―でも、彼らを率いた天心は、27歳で東京美術学校(現東京芸大)の学長になっている。それまでの日本文化を否定したりと色々あるけれど、この時代は若者の活躍できた時代でもあったのですね。
松村:それまでの全てがひっくり返って、新しい時代が始まったんですからね。若い人しかいない。チャンスが一杯あったんでしょう。又当時の若者も、新しい国を作ろうと果敢で必死でした。明治の半ば頃までに色々な分野で天才が出ています。明治は面白い時代です。

―そういう時代観を画面から感じました。
松村:ありがとうございます。少ない予算ながら頑張りましたから。それと、当時の場所で撮影できたのもよかったんだと思います。特に五浦に、当時のように六角堂を建てれたのは大きかったですね。土地の空気感というか、そういうものがにじんでいるように思います。美術も頑張ってくださいました。この作品の主役はほうかさんたち5人の役者さんですが、もうひとつは間違いなく五浦の土地、景色や海です。カメラの瀬川さんがロングをたくさん入れて、そういう土地の匂いを切り取ってくださいました。僕がカット割したらこうはいかない。感情の動きのあるところなど、もっとアップを入れると思うのですが、瀬川さんのおかげで、風景を多用した余情のある画面になりました。感謝しています。又、地元の皆さんが全面的に協力してくださり、エキストラはすべて地元の方です。地元の人が映ることでプロのエキストラでは出ない、土地の匂いが出せました。又、炊き出しもして下さってありがたかったですね。約1ヶ月の合宿のようなロケでしたから。

―確かここは、震災の被害もあったところですよね?
木下:そうなんですよ。本物の六角堂は津波で流されてしまっています。それに撮影中にも、何度か余震がありました。海の撮影の前で、どうしようかと思いましたね。でも五浦の海は美しかった。天心たちがこの地まで追い詰められ、後戻りできない状態で修行した心情を追体験できました。
松村:この作品が上手くいったのは、役者さんやそれぞれの部門のスタッフという、皆さんの力が大きいんですが、もう一つは川島章正さんの編集の力です。最初は監督である僕の意見を入れれるように余裕を持って繋いでいるんですが、何回目かの時には、川島さんがもう1秒たりとも動かせない、絶妙の呼吸で仕上げてきてくださいました。経験の豊かなベテランだけに、凄いなあと思いましたね。
木下:録音さんも頑張りましたよね。
松村:そうなんですよ。納得いかないと言って後で音を録りに行ったんですが、それでも納得できずに効果音を作っています。それぞれのスタッフが、それぞれの分野でこだわりを示してくれました。

―エキストラさんの動きもいいですよね。画面のずっと後ろを横切る人の動きが自然で、演出の神経が行き届いていて、(あ、この作品お金を使っているなあ)と思いました。
松村:いえいえ、映画としては低予算の作品です。でもそれをカバーするよう出来る限りの努力をしました。
木下:まるで合宿のような現場ですからね。皆の気分がだんだん盛り上がっていきました。そんな中で、竹中さんはあの方らしく独特の方法で、僕らを引っ張ってくださいました。緊張を緩めようと、真剣なシーンを撮っているカメラの向こうで、ふざけた顔をされたり、後ろから足でいたずらされたり、参ります。でもその時は取り直しになるけれど、肩の力が抜けて次にはいいものが出来る。何を考えているのか分からない天心そのものの、大きな竹中さんでした。
松村:この作品は、天心没後100年を記念して作られました。でも物語は、外国との関係も含めて、今に通じる多くのメッセージを含んでいます。あの時代を切り開き、日本文化を作った若者に、しばし心を馳せて欲しいと思います。

<インタビュー後記:犬塚> 
手に入れられたという下村観山の絵を拝見しました。嬉しそうなほうかさん。まるでインタビューの場所までが、あの頃に帰ったようです。お話しぶりから、松村監督もほうかさんも、映画を作ってますます岡倉天心とその愛弟子4人に惹かれていることを感じました。
 劇中に出てくる春草が振り返っている写真は、実在するものをそのまま真似たのだそうです。何か言いたげな春草はその後ほど無くして夭逝しました。1枚の写真の物語る歴史の1ページ、そこから映画は始まったのかもしれません。

この作品は、12月7日から梅田ガーデンシネマ、
12月21日から京都シネマ、1月元町映画館 にて公開。

映写室「言葉のきずな」の自主上映会と、コミ・ワークのお知らせ

映写室「言葉のきずな」の自主上映会と、コミ・ワークのお知らせ
―結成10年となる長野の「ぐるっと一座」を追いかける―

ひと・まち交流館 京都』で、二日間にわたって「言葉のきずな」や失語症に関連したイベントがあります。

kotobanokizuna+1_convert_20130929055611.jpg


映画上映会: 10月12日(土)13:00~16:30(開演13:30)   
  会場: ひと・まち交流館 京都  2F大会議室(240席)
  入場料: 1000円
  オープニング:かとうかつあき&仲間たちのミニライブ( 乗り遅れたバス、他 )
  アフタートーク:「言葉のきずな」田村周監督、劇団「ぐるっと一座」演出家 内山二郎氏、他 

コミ・ワーク: 10月13日(日)  10:30~15:30
     会場: ひと・まち交流館 京都 3F 第4、第5会議室
     講師: 演劇ワークショップファシリテーター、内山二郎氏 
     受講対象者: 失語症者を主体に、家族やST、医療スタッフ及びボランティア    
     参加費:  受講者(含付添い)1000円(映画半券提示で500円引)
             見学者1000円(映画半券提示で500円引)

<コミ・ワーク>-午前、午後の二部形式
・午前(10:30~12:00)アイスブレイクの要素を入れたコミュニケーションワーク

・ランチタイム懇親会(12:00~13:30)有料1000円:当日申し込み 
*安藤倬二氏による、失語症者の為の、携帯用「音声合成発声システム」の実演有り  失語症の仲間よ、これを持って外に出よう!「弁活のすすめ」 )

・午後(13:30~15:00)想像力喚起や内面表現要素を入れたロールプレイ⇒メルヘンづくり   

受講希望者は下記まで、連絡先を明記してお申し込みください。当事者優先で、受講定員30名。(当日も可)。見学は充分余裕があります。
T&F 075-721-1061(犬塚)   メール sakurasaico@ezweb.ne.jp

ひと・まち交流館 京都 :(河原町五条下る東側)
アクセス:市バス4,17, 205号、「河原町正面下車」。 立体駐車場有。

後援・助成:京都新聞社会福祉事業団
後援:国際ソロプチニスト北山・大阪自由大学・(株)ウーマンライフ新聞社

映写室「言葉のきずな」上映案内

映写室「言葉のきずな」上映案内  
 ―失語症者の演劇集団とは?―

この作品は、長野県の失語症者の演劇集団「ぐるっと一座」の活動を追ったものです。数年前に劇団の活動がNHKで放映され、反響の大きさから更に2年間追いかけ、ドキュメンタリー映画になりました。

kotobanokizuna2_convert_20130929055507.jpg

<ところで、「失語症」とは何か?> この障害は、脳溢血や頭部外傷等で脳の優位半球にある言語野に損傷を受け、話す・聞く・書く・読む・計算する等々の、他者とコミュニケーションをとる手段に大きな不便を抱える障害です。損傷が優位半球側なので、利き手利き足にも障害を抱えていることが少なくありません。体に不自由を抱え、伝えることに不自由を抱えた不便さを想像してみてください。又、100人いれば100人の障害があると言われるように、損傷した脳の部分によって、障害の出方は千差万別、個人差が大きいのも特徴です。

<私たちが何気なく行う話すと言う行為は>、頭の中に伝えたいことがあり、それがどういう言葉を使えばいいのか的確に選べ、選んだ言葉を口で発語するよう脳が指令を出せ、発語機能がそのように動くと言う、多くのシステムの結果です。意志があっても後のシステムの途中のどこかに、損傷を受けていると、発語には至りません。
<口から言葉が出ないのなら>、文字を書いて伝えればいいと思われるかもしれませんが、自分の思いがどの単語に当たるのか、自分一人ではそれを探ことが出来ない。書こうにも書くべき言葉を見つけるまでが大変なのです。このまどろっこしさを想像してみてください。
頭の中には豊かな知性や知識を残しながら、それを表現する手段に障害を抱えた失語症者は、知性や感性・人格で多くの誤解を引き受け、諦め、そして達観と言うもっと高い境地にたどり着いているのかもしれません。


<「ぐるっと一座」を率いるのは>、演出家・内山二郎さんで、脚本を担当するのは土屋澪子さん。土屋さんはご主人が脳疾患で失語症となり、長い介護生活を送っています。身近で、教師だったご主人の言葉を失った悲しみを見、失語症になっても社会と関わりたい、何か出来ることはないかと模索を続けました。
自身の体験に重ね、絶望と希望の狭間を右往左往する当事者や家族の生の声を集め、脚本を起こし、声にならない心の叫び、当事者や家族の真実の声を皆に問いかけます。
 <二人を中心に>、音楽家・劇団員といったプロや医療スタッフという多くのボランティアが参加し、失語症者の演劇集団を、福祉という枠を超えたエンターテイメントとして、万人が楽しめるレベルまで引き上げています。

 <映画は、そういう劇団に2年間にわたって寄り添い>、舞台にかけるまでの練習風景、劇団員の普段の生活を追いかけました。守られる存在だった失語症者が、演劇に参加して、今度は情報の発信者となり、自らの手で人生を取り戻す様。「ハローワーク」に通って仕事を見つける様は、感動的です。(犬塚芳美)

この作品は、十三・シアターセブンで上映中。
  10月12日(土)、13:30より、「ひと・まち交流館 京都」で自主上映有り
  翌日は、失語症者のための、コミュニケーション・ワークショップもあります。
  詳細は、次回の映写室で

映写室「ベニシアさんの四季の庭」上映案内

映写室「ベニシアさんの四季の庭」上映案内    
 ―英国貴族が、京都大原で見つけた幸せのかたち―

 <京都大原の里で>、日本人よりも日本人らしく暮らすイギリス女性がいます。彼女の名前は、ベニシア・スタンリー・スミス。絣のもんぺを履いて、古民家を改造して住みと、少し前の日本の暮らしを実践していますが、同時に庭には、故郷イギリスのハーブが一杯茂っているのです。日本とイギリス、両国の文化を融合し作り上げた豊かな暮らし。ここに至るまでのベニシアさんの軌跡を伺いました。

venetia_main_convert_20130913214930.jpg
©ベニシア四季の庭製作委員会2013

<私は日本の古いものが好きで>、それらを残したいと思います。今日着ているのも、日本の昔の着物で作った服です。手作り市で手に入れました。こういうものを買うことで、創る人の生活を支え、志しを応援したい。支える人がいないと廃れてしまいますから。
大原での暮らしも、昔からやっている事と昔から作っているもので成り立たせています。基本は、土に戻せるもの、燃やせるもので暮らすと言うことです。そうでないものはゴミになりますから。

<自分の好きな事をしてきたのですが>、そういう暮らしぶりがテレビ番組になり、注目を集めて、今度は映画になりました。こういう状況がいまだに信じられません。呼ばれて色々なところに講演に行きます。元々日本を回りたいと思っていたのに、幸運にも仕事で回れています。しかも、出会った人たちが、「テレビを見て元気になった」とか言ってくれます。私の人生はハプニングだらけですが、今も大きなハプニングの中に巻き込まれています。

<私の庭は>そういう人生を映している気がします。庭は一定ではなくて、変化を続け、その時々の姿を見せます。四季の変化もありますし、暮らしや年齢による変化もある。自然にもあがらえなくて、台風で倒れて、もう一度作り直したり、いつも未完成です。でもそれが好きなの。去年はここに咲いていた花が、今年は違う花に取って代わられてもいい。変化のないのはつまらないと思いませんか?

venetia_sub1_convert_20130913215024.jpg
©ベニシア四季の庭製作委員会2013

<正(ご主人)と会って>、初めて山に行きました。頂上近くのお花畑とか、本当に美しい。こんな所があるのかと、驚きました。
正は、山岳写真家なので、そういう所をよく知っています。皆が私の庭を褒めてくれても、「ベニシアの畑は小さい、これっぽっち」とよく言います。私もそう思います。山の上には比べようもない、広い広いお花畑がありますから。たいていの外人は知りません。観光局の人は、日本の素晴しさとして、もっと外国人にアピールするべきだと思います。

<母は4回結婚しました> 母の再婚は最初が3歳、次が5歳ですから、その時はよく分からなかった。寂しいと思うかもしれないけれど、乳母が良い人で、しっかりと私を育ててくれたから、大変ではありませんでした。しかも、母のおかげで私には父が4人います。4人全て良い人で、その全ての人から愛を貰い、生き方を教えてもらいました。幼いころに、大人の人生を4つ、垣間見れたわけです。人生は勉強だと思えば、なんでも勉強の材料になります。

<始めて日本に来た時は>、まだハーブが普及していませんでした。母がお料理の為に色々植えていたので、私には欠かせないもので、これは困るし寂しかった。細々と自分で育てていたのですが、40歳からハーブの効用を広めようと思いました。生活の為に働かないといけなかったけれど、まだ小さかった長男と一緒にも過ごしたい。家でハーブを教えたら仕事になるし、彼とも一緒にいれると思ったのです。
<少し話が脱線しますが>、幼児期は色々な意味でかけがえのないものです。3歳までは可能だったら家にいたほうがいいと思います。私は仕事をし過ぎました。仕方がなかったのだけれど、子供たちにはプレッシャーだったのでしょう。特に長女は大変だったんだろうなあと、今、精神を病んでいる彼女を見ると思います。

<映画には私の家族が一杯出ています> 私が一人で頑張ってきたのを見聞きしているので、応援したいと思うのでしょう。撮影に協力してくれました。ただし娘一人は出ていません。彼女は自分を晒すのに抵抗がありました。長女のジュリーは病気のせいで、少しマナーが悪いのです。少し躊躇ったけれど、それもオープンにしました。彼女は繊細だから、他の人からの思いを受け止め過ぎる。そして精神を病みました。彼女を登場させることで、統合失調症について、知ってもらえればと思います。

<私がこんなに古いものが好きなのは>、生まれ育ったイギリスの影響が大きいと思います。イギリスでは代々受け継いだものを、とても大切にしますから。祖父の家には代々伝わる家具が丁寧に磨かれておかれています。
<又、母は広い庭を自分で>作っていました。大勢メイドもいるし、庭仕事をする人を雇うことも出来たのですが、自分で手入れし、子供たちにもそれぞれ仕事を分け与えました。そこで庭仕事を覚えたのです。その頃の経験が今生きていると思います。

<ここに移る前は>、修学院に住んでいました。良い所だったのだけど、借家で1年後には出ないといけなくなったのです。それから一生懸命、色々なところを見て歩きました。私は古い家が好きなので、もちろん古い家を探しました。でもいいものが見つからない。諦めかけていた時に、今住んでいる物件が出ました。私は20回近く引っ越していますが、大原の家を見たとたんに、(自分はここで死ぬ。ずっと住む家だ)と思ったのです。借家を探していたのに売り物件で、本当は私たちには手の届かないものでしたが、幸運が重なって買うことが出来ました。そして自分たちで直して住み始めました。

<私は危機の度に誰かに助けられ>、直感的に動いているようですが、そういう波動を受け止めれるように、普段から暮らしています。動物は呼吸の速さで寿命が決まるといわれます。例えば、大きな象はとてもゆっくり呼吸して長寿です。だから意識してゆっくり呼吸します。色々辛いこともありました。そういう時は特に、パニックにならないよう、朝皆が眠っている時間に起きて、一人で瞑想し、ゆっくりと呼吸します。私が自分自身と向き合える大切な時間です。そうやって乗り切ってきました。

venetia_sub2_convert_20130913215125.jpg
©ベニシア四季の庭製作委員会2013

<日本での生活は>大変な時代も長くありました。イギリスに帰れば、辛い思いから開放され、豊かな暮らしがあります。でも帰りたいとは一度も思いませんでした。イギリスに帰ると階級社会で箱の中に入れられてしまいます。例え恵まれていても、私はそういうことが嫌いでした。

<私が日本に惹き付けられた根本は>、小さい頃におじいちゃんの家で、日本の古いものを色々見たからだと思います。祖父はそういうものを集めていました。偶然聞いたレコードの、尺八の音が耳に残っていたのもあるかと思います。日本人の書いた本も読んでいました。憧れの下地は出来ていたのです。
<アジアに憧れ、若い頃にふらっと>インドへ行きます。インドからネパールに入った時、二人の日本人に出会いました。大学生だったのですが、「日本は学生運動が盛んで、若者が頑張っている」と言うんです。気持ちが動きました。その頃のイギリスは老人社会になって閉塞的だったのです。じゃあ行ってみようとなって、一文無しで日本に来ました。東京で食べたキンピラゴボウが気に入り、住んでみようと思いました。

<色々なことがありました> 結婚、離婚、再婚。再婚してからも、楽しい事もあれば、夫婦の危機、子供のことと心配事が一杯でした。だから、これからは静かに暮らしたいと思います。占いでは、私は日本の女の人を助けるためにイギリスからきたようなのです。何度も言われたので、本当なのでしょう。これからもそういう仕事が待っているのだと思います。(構成:犬塚芳美)

<インタビュー後記:犬塚>
 旧知の知人に会ったような、穏やかな時間が流れました。特別なことではなく、自然体で自分の好きなことをしてきただけ、と仰るけれど、びっしりと書き込まれたノートには、自然体を支える、ベニシアさんの確固たる哲学が、さりげなく書き込まれていました。世界で一番古いものを大事にするのがイギリス人だと言われます。
 この頃巷で、世界で一番自国の古いものを粗末にするのが日本人だと言われだしました。住環境が古いものを締め出すのでしょうか? 故郷の傾きかけた蔵、古い箪笥、石臼、、ベニシアさんの暮らしは、発想を変えれば私にも出来るもの。そういうスローライフがやたら素敵に思える今日この頃です。

この作品は、9月14日からテアトル梅田、京都シネマ、
      10月19日シネ・リーブル神戸 にて公開。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。