太秦からの映画便り

映写室 新NO.27戦場でワルツを

映写室 新NO.27戦場でワルツを   
 ―ドキュメンタリーアニメと言う新しい手法―

 2008年カンヌでの上映以来、各国の映画賞を総なめにした衝撃作がいよいよ公開になる。日本での配給権がつかず、一時はお蔵入りさえ噂された本作。内容、手法、人間の深層心理の追求と、色々な意味で新しい。主人公は監督のアリ自身で、20年以上前戦場にいたはずなのに記憶がない。何故記憶がないのか、そこで何があったのか、生きる為に失くした記憶の謎を探っていく。攻める側の兵士の苦しみを描けば、複雑な歴史と民族問題が絡み、今もって戦場という中東の悲劇が浮かび上がる。戦友に会う度記憶のパズルがくっついたり離れたり。そんな心象風景を映したアニメーションの芸術性の高さも見逃せない。

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(C) 2008 Bridgit Folman Film Gang, Les Films D'ici, Razor Film Produktion, Arte France and Noga Communications-Channel 8. All rights reserved

 <2006年冬、イスラエルのバーで映画監督のアリ>は、旧友から26頭の犬に襲われる悪夢に悩んでいると聞く。レバノン戦争の後遺症だろうかと言う彼に、アリは驚く。自分にはその時の記憶が全くないのだ。でもこの時ベイルートの焼夷弾が光る海に、戦友と全裸で漂うシーンが浮かぶ。これは何だろう? 親友で映画監督兼精神科医のオーリの勧めで、失われた記憶を求めて、世界中に散らばる戦友を訪ね始める。

 <この作品の端正さは何だろう!> 色々な作品に端正という言葉を使うけれど、まるで別格のこんな世界に出会うと、むやみに使ってはいけない、こんな作品にこそ使うべきだと痛感する。何が端正って、計算され尽くしたアニメの画面もだし、記憶の欠片を拾い集める形で全体像を浮かび上がらせる手法、場面場面の音楽もそうだ。それ以上に、作品のトーンとなっている、過去を探っていく精神自体が端正だと思う。悲しみと後悔を芸術に昇華させながらも、それでも作者に残ったもの、作品の根底を流れるやるせなさが作品のトーンになっている。

 <人は記憶を作り変えるらしい> 思い出すと生きていけないようなあまりに辛い記憶は消してしまうのだ。アリもそうだけれど、彼がインタビューする戦友もその人によって覚えていることが違う。それでもかっての同士を横に、重い記憶の扉を開けて話し出す。
 <何も解らないまま戦場に送り込まれた若者は>、緊張と恐怖の極限で、一台の車にすら過剰反応。皆で銃弾を浴びせて蜂の巣のようになった車の中に、自分と同じ年頃の無防備な若者の死骸を見つけたら、今度は自分の異常に気付いて、なおさら敵地は不気味になる。このあたり、イラク戦争等でも米軍兵士が経験しているのではないだろうか。
 <戦場は、平時は犯罪になる人を殺すことが>唯一の正義と言う異界。さっきまでの戦友も極限では置き去りにせざるを得ない。壊れていく人間性、生き延びながらも人は自分の凶暴性に怯える。命を狙われ攻められるほうだけでなく、攻める方も傷ついているのだ。

 <圧巻は、映画の題名にもなっている>、周りのビルの影から銃弾が飛び交うベイルートの町中で、一人の兵士がワルツを踊るようにくるくるに舞いながら銃を連射する姿だった。この時フランケルは何を思ったのか。一介の兵士がこのばかばかしい争いに抗議する手段と言ったら、戦場という現実を否定することだけ。銃さえも華麗な小道具にし、戦場の最中をこの世でもあの世でもない特別な舞台に変えた。踊り果てて宇宙の塵と消える覚悟が見えるのだ。軽やかなピアノの調べが重なり、静謐さに圧倒される。

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(C) 2008 Bridgit Folman Film Gang, Les Films D'ici, Razor Film Produktion, Arte France and Noga Communications-Channel 8. All rights reserved

 <それにしてもこのアニメーションの贅沢さ>はどうだろう。手法としては、まず最初にこの通りの実写版を撮り、手だれのアニメーターたちがそれを参考に絵を描いたと言う。写真を加工するのではなく、一からの制作だった。だからこそ到着した領域、動きや位置等は正確でも、心象風景らしく見たくないところは大胆に描写をカットして影にする手法で、省略と抑制が効いて独特の世界を作っている。その影が又雄弁なのだ。時々は不安な心理のままに影が周りを飲み込み、ゆらゆらと不安定に揺れる。アニメーターの創造が観客の想像力を掻きたて、造形の妙と共に、描かないからこそ雄弁だと言う、もう一つの真実に思い至った。
 <全体のセピアのトーン>、くすんだ黄色から茶色を限りなく黒に近づけた影の色も中東のイメージだ。砂漠の色、砂漠の下の石油の色、砂嵐の中の太陽の色と、どんどん想像は膨らむ。もしかすると人々の皮膚の色かも知れず、その土地に似合う色があるものだと納得した。

 <監督のアリは>「イスラエルの兵士は戦場と日常生活の場が近い。休暇で戦場から帰り遊びに行く海辺は、昨日までの戦場の海辺に繋がる」と、この地の複雑さと悲しさを訴える。以前ここで、イスラエル兵士による「沈黙を破る」と言う映画を紹介した。パレスチナの難民キャンプへの攻撃の不当性を、文字通り沈黙を破ってイスラエル兵士たちが話す映画だ。その中でも兵士たちが言っていた言葉だった。戦場が日常の続きになる怖さ、でも二つの世界で違う命への倫理観。人間が狂わないのがおかしい。

 <ちょっと気になるのは>、イスラエル側からは自分たちを反省するこんな発信があるのに、パレスチナサイドのそれが見えないことだ。受け手の問題で、日本とのつながりのせいだろうか、それとも世界でもこんな風なのだろうか。あるいは、イスラエルの脅威に怯えるパレスチナには被害者意識はあっても自省の思いがないのだろうか。
 <隣どうして止まない争い>、長い歴史と宗教観、後ろに大国の思惑が見え隠れする。どちらの側も、特にパレスチナ側には色々な勢力があるし、どんな解決法があるのか解らないが、今のようにあまりにも右に傾いたイスラエルや、過激なヒズボラでは問題は解決しないのは確かだ。

 <この作品もイスラエル、アラブの人々>、どちらもに監督の思いが上手く伝わったわけではないらしい。イスラエルの右派には、この作品の反戦メッセージが届かないまま世界での快進撃を歓迎され、監督を戸惑わせる。一方極左のイスラエル人は、作品の中でアラブ人が言葉を持たず、単なる肉体として描かれていることを強烈に非難する。それに対しては、監督は「元兵士の視点で描く戦場の映画なんだから仕方がない。そこの描写はアラブ人自身が作る映画でやって欲しい」と答えている。

 <消えた記憶をたどると>、実は彼が従軍していた「サブラ・シャティーラの虐殺」、そして彼の両親がアウシュビッツにいた事と、歴史の暗部に繋がる。被害者が加害者になっている現実と不条理、中東問題は複雑で根が深い。
 <そんなアリの思いから生まれた作品は>、サブラとシャティーラでの非公式の上映会では遺族が敬意を表してくれたと言う。しかしレバノンでは上映禁止なのだ。パレスチナ人は映画を好意的に観ようとしながら、イスラエルの責任を前面に出してないのに批判的だという。
 <映画だけれど>、政治抜きでは鑑賞できないこの地の不幸。監督の私的な物語が私的な物語として、その思いのままに届かないのが悲しい。この地の不幸は、私的な思いが政治に隠れて表に出ないことかもと思ったりする。(犬塚芳美)

この作品は、11月28日(土)より梅田ガーデンシネマで上映
      12月19日(土)より京都シネマ、
シネ・リーブル神戸でも12月中旬上映予定

映写室 「犬と猫と人間と」飯田基晴監督インタビュー

映写室 「犬と猫と人間と」飯田基晴監督インタビュー   
 ―1人のおばあちゃんとの出会い―

 この作品は、飯田監督と稲葉恵子さんという一人のおばあちゃんの出会いで始まる。2004年4月、ドキュメンタリ―映画祭があった東京のある劇場で、前作「あしがらさん」の上映に合わせ舞台挨拶に来ていた監督に、おばあちゃんは劇場のロビーで「動物たちの命の大切さを伝える映画を作って欲しいの。お金は出します」と言ったのだ。見も知らぬ若者に大金を託すこんな話ってあるのだろうかと思うけれど、半信半疑なのは私達と監督だけ。おばあちゃんは本気だった。託された願いどおりの、動物たちの命の大切さを伝える映画を作った、飯田基晴監督にお話を伺います。


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(11月9日 大阪にて)

<飯田基晴監督インタビュー>
―思わぬ出会いで始まった映画ですね。
飯田基晴監督(以下敬称略):そうなんですよ。最初のナレーションにあるように僕も半信半疑でした。ちょうど「あしがらさん」の公開時期で色々なマスコミが取り上げてくれ、おばあちゃんは新聞をみてやってきたんです。半信半疑と言うより、僕はこの話ほとんど信じていなかったですね。でも撮って欲しいと言うおばあちゃんの決心は揺るぎなくて。しかも基本的にお任せで何の注文もない。自分が前に出るのも嫌で、最初に映っていますが、嫌がっていたのを少しでいいから出て下さいとお願いするところを、承諾前に強引に映しているんです。それ以降も、私はいいからと控えめな方で、自分が前面に出るのは拒まれました。時々は進行状況をお伝えしていたのですが、後で条件が出て、以前関わっていた保護団体の前川先生と自分の写真を1枚だけ入れて欲しいと言われたんです。

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(c)2009.group Low Position

―自分が死ぬまでに完成させて欲しいのとも仰っていましたね。
飯田:そうなんです。結果的に間に合わなかったんですが。癌の手術をされていて、転移の心配が全くないわけじゃあないので、急いでらっしゃいました。それまで自主映画を撮っていた僕から見ると充分過ぎる位のお金を貰って、最初はこんなお金をどうしようと思いました。結果的には自分一人では無理なので、人を雇ったり、仕上げを丁寧にしたりして使いましたが。おばあちゃんが言ったのは、「映画を作って欲しい」と言うことだけ。今映画と言っても色々でしょう? フィルムじゃあなくてビデオで撮ることも多いし、テレビやホームビデオと映画であることの境界が曖昧になっています。ただしおばあちゃんが言ったのは、「映画館でお客さんがお金を払って見てくれるもの」という意味だろうと思った。自分のやりたいものではなかったが、次に撮る作品のテーマも決まってなかったので引き受け、おばあちゃんが求めるそのレベルまで高めた作品を作ろうと思いました。

―イギリスの情報が入ったりと、広がりもありますよね。
飯田:あれはたまたま「あしがらさん」がイギリスの映画祭に招待されて持っていくので、だったらついでに動物愛護の先進国の向こうの情報も撮ってこようと思ったんです。日本だけだったら狭苦しいものになったでしょうね。結果的に広がりが出てよかったかなと。
―がけっぷち犬や犬捨て山等色々な情報が入っていますが、それは何処から集められたんですか?
飯田:他の事と平行しながらですが、この作品に3年半関わったので、色々調べたり動物問題に注意してニュースも見ますし、自然と耳に入ってきた事です。一箇所に行くとその関連で次の情報が入ってきたりとかですね。大体各自治体に動物愛護センターと言うのがあって、そこで色々な問題が処理されています。センターがないところは保険所ですね。日本で年間30万匹以上の犬と猫が処分されると言ってもぴんと来なかったけれど、一日千匹近くだと思うと具体的ですよね。それに驚いたのもありました。

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(c)2009.group Low Position

―犬や猫は、閉じ込められた自分の状況をわかっているのでしょうか?
飯田:どうなんでしょうねえ、自分が処分されるのを感じていると言う人もいます。実は処分される猫の8割は子猫なんです。捨て猫も持ち込まれた猫もある。処分を待つ姿を沢山見たので、町中で家猫や野良猫を見ると、単に可愛いではなく、最後まで幸せに生きて欲しいなあと思うようになりました。
―こんな現実の一方で、世は空前のペットブーム。専用の砂場があったり洋服を着せたりと過剰に可愛がられるペットが沢山いますが。
飯田:可愛がる人たちを否定はしないけれど、片方でこんな現実があるのを知って欲しい。命の重さは一緒ですから。人間と動物の命の重さに違いがあるのは仕方がないんでけれど、それが近づいていけばいいなと思います。

―おばあちゃん、「人も好きですけど、人間よりはマシみたい。動物のほうが」と意味深な事を仰いますよね。
飯田:おばあちゃんは本当に動物が好きでしたね。だから何より、この映画で切り取ったような現実を憂いていました。いろいろな人が矛盾を感じながら保護と言う名目の元処分をしている。そんな現実を見て欲しいと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 しろえもんとかがじろうと色々な犬が出てきます。監督は過剰な思いを込めず、人柄のまま淡々とそんな動物たちの窮状を映しました。保護する側も、オーストリア生まれのマルコ・ブルーノさんとか、多摩川で猫の世話を続ける小西さん夫妻等々。動物に愛を注ぎながら、無責任な人間に苦言を呈しています。


 この作品は、11月21日(土)より第七藝術劇場、京都みなみ会館で上映。
      *22日(日)午前中はみなみ会館(075-661-3993)
           午後は第七藝術劇場(06-6302-2073)で監督の舞台挨拶あり。
             詳しい時間は各劇場まで。

映写室 NO.26 千年の祈り

映写室 NO.26 千年の祈り
   ―娘を気遣う老父の思い―

 端正な作品だ。異国で暮す娘と、娘を心配して訪ねてきた老父の、お互いの気持ちを探るような物語が続く。何処かですれ違ったままの2人、まるでそれを気遣う老父の歩みの様な、スクリーンの中のゆったりとした時間。それはそのまま、忙し過ぎる娘を心配する父親からの贈り物のようでもあり、この作品のテーマに重なっていく。いたわりが的を得ていればいるほど煩わしい時もある。反発する娘とそれでも心配せずにはいられない親心。このあたりは普遍的な問題だ。
 <この作品には>、北京生まれの女流小説家、香港出身の監督、中国で活躍した主演俳優、日本人プロデューサーと、アメリカで暮す漢字文化圏の者達がかかわり、異文化の中での東洋人の魂の競演も見所。歴史あるアジア文化、悠久の時が、新しい土地に根付くさまが匂いとなって漂っているのだ。原題は「A Thousand Years of Good Prayers」で、色々な意味に訳せてこちらも興味深い。

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(C)2007 Good Prayers,LLC All Rights Reserved

 <離婚した娘を心配した父親が>、中国からアメリカの地方都市にやってくる。12年ぶりの再会だ。殺風景な部屋に住み、朝食もとらず、国籍不明の妙な料理を食べる娘に面食らい、父がしたのはまず中華なべを買うことだった。色々料理を作っても娘は不機嫌で、やがて帰宅も遅くなる。新聞を読み片言の英語で隣人と仲良くなりと、気を紛らわせても不幸せそうな娘が気にかかる。娘の身辺を探る父親、ある夜、とうとう2人は衝突して…。

 <親子の情愛だけなら>、これを異国間の問題にしなくても、田舎から出てきた娘と父親でもいくらかは当てはまる。ただ文化大革命期という、思想狩りまでされた中国の政治が絡むと物語は複雑だ。親子の確執にも、実は見えないところであの時代が影を落としている。父の秘密は、あの変革の時を、家族を守る為屈辱を耐え自分が犠牲になって生延びた事。その苦悩を知らない家族は父の突き通した嘘を虚勢とだけ見て、彼を疎んじ確執を生んだ。

 <そんな時代や祖国を忘れるように>、異国の言葉に馴染み異文化に染まっていく娘。自分を苦しめた変革や祖国すら敬愛し、娘にも忘れて欲しくない父親。自分の捨てたい過去を持って訊ねてきた父は重い存在だ。忘れないと、このスピードで回る異国では暮していけないのに、ゆったりと暮らす老人世代の父親にはそれが解らない。もう私のしたいようにさせて、お父さんとは違うんだからという娘の苛立ち、同じ立場に立ったら私もそうなるだろうとリアルだった。もちろんそうかと言って父への愛がないわけではない。2人のすれ違う思いを重ねるには、千年の祈りのような静かな時が必要なのか…。

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(C)2007 Good Prayers,LLC All Rights Reserved

 <父親を演じるヘンリー・オーが素晴らしく>、この作品の気品になっている。背中を丸めて肩を落とした姿の内面から滲み出る端正さ、人の品格って何だろうと改めて考えた。静かにスクリーンを支配して客席にまで品位を広げていく様が見事なのだ。オーのこの姿こそ、中国の底力。悠久の時千年の祈りの果てに持てる物だと思う。
 <そんな父親だから>、まるで秘密のベールを取るように、娘の部屋のマトリョーシカをだんだんに剥がし、机の中を探っても、品位はなくならない。老人と言うのも良いのだろう。生々しくなくて、親ってこんなもんだとちょっと笑いながら見れる。過剰な愛すらも父親の慈愛とし、そのまま祖国の慈愛になっていく。それでも娘は何時までも父の慈愛の中にばかりはいられない。新しい土地で、自分世代の祈りの時を持たなくてはいけないのだ。

 <そんな葛藤はこの親子だけではないらしい> 父親が公園で知り合った裕福なイラン人の夫人も、息子夫婦から疎んじられ老人ホームへ入っていく。片言の英語と中国語とイラン語という通じないはずの言語で心を通わせ、異国暮らしを慰め合った2人の老人の感じる寂しさ。他人に通じるのに、血を分けた子供に通じないもどかしさ。親と子に共通するはずの祖国の思い出は、親には絶対でも子供にとっては過去のものになっていくのだ。
 いくら心配でも娘の事は娘に任せるしかないと徐々に解ってくる父親、とっくに親離れしている娘に対して、父親が子離れをする時、お互い大人同士で向き合う時が来た。

 <長年の秘密を独り言のように語る父親と>、それを隣の部屋で聞く娘の姿が美しい。向き合っては打ち明けられない本当の事、大人の親子にはこんな距離が必要なのだ。
 <ラスト>、父は娘の薦めどおりアメリカを旅する。飛行機ではなく列車に乗ってゆっくりと、娘と自分のことを考えながらの旅だ。旅が終われば娘が止めたとしても、父は笑って自分の住む場所、北京に帰っていくだろう。自分の願いとは違っても、娘も又、娘なりの幸せを探す旅をしている。黙って見ているしかないと納得する父、この後にこそ本当のいたわりが生れる。
 知的な父と娘の、お互いを解り合えたからこその静かな別れが想像できて満たされた。それぞれの幸せを願う思いが、時空を超えてゆったりと流れる。(犬塚芳美)

この作品は、11月28日(土)より、梅田ガーデンシネマにてロードショー!
     (近日)、京都シネマ/シネ・リーブル神戸にて上映

映写室 NO.25 eatrip(イートリップ)

映写室 NO.25 eatrip(イートリップ)
  ―ごはんのじかんです。―

 おなかよりは心のごはんのような作品だ。食にこだわりを持つ、職業も年齢も違う出演者たちが身にまとう、クリエイティブな匂いに心を擽られた。「人と食を巡る、映画のかたちをした、ごはん」と言うキャプションがついているが、まさに食は生き方だ。誰もの生き方のセンスがよくて、このドキュメンタリーをお洒落に仕上げる。監督はテレビ、ラジオ、雑誌等で幅広く活躍するフードディレクターの野村友里(のむらゆり)さん。全編フィルム撮影と言うこだわり様で、“食”の周りの言葉にならない空気感を映します。

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(C)2009 スタイルジャム

 <色々な人が食について>、野村監督のインタビューに答える形で、語っている。それもさすがフードディレクターの出入りする所、普通のようで贅沢な食材が続くのだ。まず最初は、築地魚河岸市場。ずらっと並ぶ魚やセリの様子と共に、ここで5代に渡って魚の仲買をする丸十高橋のご主人が、このところ取れる魚の変化や、魚の魅力について、生き生きと話す。鮮度の良さがスクリーンからも伝わってきて、お寿司が食べたくなった。
 <その次は日本料理の要>、だしの根源、鰹節だ。同じく築地の鰹節問屋、秋山商店が登場するが、ここは日本で最初に削り節を商品化したところだという。良いおだしなら後は何にもなくても美味しいという女主人の話。芸術作品のようなきれいな削り節に、こんなのをたっぷり使っておだしを取れるのは高級料亭だろうなあと、溜息。さり気無い贅沢、一度買ってみたい。

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(C)2009 スタイルジャム

 <自給自足したいと思っても>、思うだけで実際は出来ない。ところが、この人は軽やかに実行してる。沖縄・やんばる高江に移り住み、夫と2人の子供と共に、川の水を汲み畑仕事をして、自然と共存して暮すのが森岡尚子さんだ。田舎暮らしが素敵なのは、田舎で都会の感覚を残して暮しているからの典型のように見える。小さなお芋しか採れない畑仕事が楽しいのも、心の余裕があるから。ままごとの様に見える暮らしだけれど、そんな暮らしをする自分を楽しんでいるのだろう。そんな彼女はいまや若い女性のカリスマらしい。本当の田舎を知っていると違和感も残るけれど、色々な事を楽しめるのも若さ。10年後を見てみたい。今のままで続けて欲しいのだ。

 <久しぶりに見る歌手のUAも>関東近郊でロハスな暮らしだ。コットンの長いドレスを着て田園風景を無国籍にする。地元の人との物々交換、自家菜園、都会の時間を止めた暮らし、UAもそんな自分を楽しんでいるみたい。森岡さんもUAも、いつでも都会へ戻れる人の、つかの間の休日のように見える。

 <最後のシーンの>、浅野忠信や内田也哉子等クリエイティブなゲストが語らう、テントの中でのパーティのように、何を映してもクリエイティブでお洒落なのが特徴だ。もちろんそれが監督の視点で、一番の醍醐味は、監督自身の手際の良い調理の手元が映って、次々とお洒落なメニューが出来上がっていく。まるで手品のようだ。香ばしい香りを放つ料理の数々、食を扱いながらセンスを見せている様な、近くて遠い世界が続く。お料理以上に登場人物たちの放つ、物を生み出す人たちのオーラが印象に残った。(犬塚芳美)

11/14(土)より、梅田ガーデンシネマにて “秋の上映会”スタート!
       近日、京都シネマにて

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(後編)

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(後編) 
   ―中越大震災と闘った小さな村の物語―

<昨日の続き>
―ええ、そうでしたね。
橋本:山古志は元々地震や地すべりがあった土地で、それを乗り越えて命を繋いで来ている。ここの様な中山間地は日本の大部分を占めています。映画に出てくる人々がどう生きているかを描いたら、日本人の生きてきた姿が浮かび上がるはずだと思いました。元々日本人は人の繋がりを大事にして、自然と共生して生きてきたんですよね。「掘るまいか」を撮った時から、(この村の深さは何だろう?)と思っていました。腹にすとんと落ちなかったそんなものが「1000年の山古志」のテーマに繋がったんです。(これは日本の村の物語だよね)という、うっすらと感じていたものが、ラストまで撮って解ったというか。俺達が作りたかったのはこういうものだったんだと、作りながら解りました。

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―解るまでには、時間がかかっていると。
橋本:全部で150時間回しています。最初プロデューサーから、700世帯全部を映せと言われました。まあ、そういうつもりで撮れという意味でしょうが。完成後の発表会で「特定の家族が出てくるが、決して特定の人の物語ではない。山古志の人全てを描くつもりで撮っている」と言って観てもらったら、たとえば上田さんの物語に「ああ、これは自分の物語だ」と皆納得してくれました。元々この作品は、カメラと村人が近かったんです。プロの方たちからは、「対象に踏み込み過ぎもせず、そうかと言って空々しくもない。いい距離で撮ってる」と言ってもらいました。

―皆さん生き生きとしていますが、カメラが背中を押した所もありますか。
橋本:映画を撮るという行為そのものが皆さんの背中を押し、生き生きとさせ、そんな村人達の姿がとるほうの背中を押したという、共犯関係から撮れた映画です。田んぼを修復した上田さんなんてその典型で、最初は諦めていた。家を壊す日に初めてお会いしたんだけど、上田さんは「自分の代で家を壊してご先祖様に申し訳ない」としょんぼりしてて、「ご先祖様のお墓と仏壇を修復して、自分はもう一度田んぼをやりたい。それが出来たら家なんて掘っ立て小屋でも良い。ここで田んぼが出来たら、他には何にもいらない」と言うんですよ。僕らもうるうると来て、「上田さんが稲を刈り取る所を見たいよね」と言い合い、どうしたら田んぼが出来るかをカメラのないところで話したんです。「映画の為じゃあなく僕らは上田さんが田んぼをやるのを見届けたいんだ」と言っても、最初は「でもお金が無いし」、「もう自分は年だし」、「娘達も反対してるし」とか言ってたのを、だったらこうしたらと一つ一つ解決していった。そのうち「そこまで言ってくれるんだったら、やっちゃおうかなあ」とか言って、ホースを発注したりとか少しずつ自分で動き始めた。

―スタッフの思いが上田さんの背中を押したと。
橋本:そうですね。ホースを持って山道を突き進んで行くところとか凄いでしょう? 崖の上を草に捕まって登るんですよ。まず最初に、重い機材を持った録音が脱落しました。僕も途中で駄目になるんだけど、カメラマンなんて僕を心配するどころか邪魔にする位だった。上田さんのこの執念を撮りたいと、必死でくらい付いていく。映したほうの執念も凄かった。よく落ちなかったものだと、後で怖くなりました。
―そうして伸ばしたホースから、ちょろちょろと水が流れてくる、と。
橋本:水が出た時は、ほんと嬉しかったですね。あの年齢の人が、長靴をはいて子供みたいにピチャピチャやってる。山古志は元々水の神様がいて、水は大事だから、こうして水が引けたときは祝うんだと言って、何か貰ったりしました。まだその時には水が溜まるかどうか解らなかったんだけど、夢が半分くらいは叶ったかなと思いました。ただ上田さんは、途中でお祖母ちゃんが死ぬんです。田んぼも見せたかったし、長岡に建てた家も見せて、こうして再出発できた事を知らせたかったと言っていました。

―その上田さんとか、たくさん映した中から、5人に絞り込んだ基準は何ですか?橋本:ある種運命的な出会いの方です。上田さんの場合、初めての出会いであの方の持つ重みから本当の山古志人と出会ったと思ったし、名前とか僕のお袋と似ているところもあって、色々な思いが錯綜し、この人は僕らにとって大事な人になるかもしれないと感じました。カメラマンも、「この人良いよ。びんびん来る。深いものを持ってる」と最初から言ってましたね。でも本人はマスコミが嫌いなんです。山古志一の山菜取りの名人だとか、地元では有名なんだけど、テレビ局等が映そうとすると嫌がる。僕らは拒絶されなかったけれど、最初からがんがん映せたんじゃあなく、そろりそろりで、我々を解ってもらうまで結構時間がかかっているんです。

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―なるほど。ひまわりを植える関さんも印象的ですが。
橋本:映画ではそこまで映りませんが、関さんだけで映画が1本できるほど回しています。今までは夫を立てて後ろから静かについていく、絵に描いたような良妻だったのが、地震をきっかけに自分って何なんだろうと考えたと言っていましたね。地震で避難所に来て、時間があるから色々な事を考える。仮設にばかりいると家族が心配するから外に出るんだけれど、暗い表情で下を向いている姿を人に見られるから、晴れの日は出れない。雨の日に傘を目深にさして、顔を隠しながら仮設の周りをぐるぐる1日中歩いた、と。人生をリセットされてしまって、自分はどう生きてきたのか、自分の人生は何だったのか、これからどう生きるつもりなのか、自分を突き詰めたそうです。又以前のように山古志に戻るのであれば、そこで自分が生き直す為の理屈が欲しいと考える。そんな時、神戸の方がひまわりの種を持ってきてくれるんですね。「ひまわりはどんなに辛くても真っ直ぐ上に伸び、太陽を向いて咲く。こんな風に生きようよ。自分たちは震災の後ひまわりを育てて元気をもらった。あんたたちもここで怯まないでひまわりを育てなさい。」と言われて、(そうだひまわりを育てて、種から油を絞ろう。それを自分の生きがいにしよう。ひまわりを一つのシンボルにして、自分なりに山古志に尽くしたい)と、その時決めるんです。ご主人は昔風のしゃしゃり出るなというタイプだけれど、生き生きと元気になっていく妻を見て、影で協力するとか変っていく。大人しい人が団体まで立ち上げました。「地震は色々な物を奪ったが、奪うだけでなく、人生を考え直すきっかけを与えてくれた。山古志って本当に良いところねえって、ここのよさを見直せるきっかけにもなった。辛い経験だったけれど得た物も多い」と言っていました。全てを破壊されたわけだから、皆さん色々厳しい決断を迫られるんです。岐路に立ち自分を試された人たちの、「今畜生、負けるもんか!」という頑張りを、ちゃんと撮りましたよというのが僕の思いです。底から這い上がってこれる力、これが日本人のDNAかなあと思いました。

―日本人というけれど、山古志の人々は特別のようにも思います。生きる知恵があるというか、生活を楽しむ力があるというか。
橋本:確かに山古志の人はイマジネーションが豊かだし、民意が高いですよね。ここは元々幕府の直轄領だったんだけど、役人が時々来るだけで、あまり締め上げられてないんです。錦鯉にしても、突然変異できれいな色の物が出たら、それをかけあわせてもっと珍しい物を作るとかを、昔からやっているんですよ。元々、日本の百姓と言う言葉は気高い言葉で、自治能力や知識があった。昭和の初期に、貧しい人たちがお金を出し合って、16年もかけてトンネルを掘ったというのがそれを証明しています。中央から言われた事じゃあなく、自分たちでやっているんですからね。何をやるにしてもしなやかで品格があると思いました。この映画でもリーダーの松井さんが、「これは国がやってくれる、県がやってくれるというんじゃあ駄目だ。自分たちがどうしたいかを考えないと」と言うんですが、何事も人任せにしない。自分の足で立ち自分の力で切り開いて生きてきた。それが地震が起きた時に生かされたと。ここにいたって自分の中で「掘るまいか」から「1000年の山古志」が一つに繋がりました。山古志の人々は自然に痛めつけられたけれど、自然に助けられてもいる。土地と細胞が繋がっているというか、土地は命の元なんですよ。そういう生き方をしてきたからこそ、便利だとか不便だとかではなく、戻りたいと思うんです。それが役人には解らない。

―深い言葉です。同じ武重さんプロデュースの「いのちの作法」の舞台の村と同じ匂いを感じました。
橋本:沢内村もそうでしたね。特別な村長がいたのもあるけれど、あの村も自分たちで考え自分たちで実行している。しかも人間が自然と共生して生きているんです。これが日本人のDNAですよね。プロデューサーは今までも日本人の根っこを探ってきた人で、ぜひとも残したいそういう所を見つけてくるんですよ。この問題は実は僕にも関係していて、自分はオーム世代というか、高度成長の最中に育って、根っこのなさというか、生きていく手段がないというか、自分の所在のなさに後ろめたさがあるんです。(俺って何?)と山古志に行くと劣等感を感じる。あそこでは皆生きていく実学を持っていますからね。便利になったけれど、私たちは色々な物を切り捨ててきた。自分たちよりもっと酷い状態になっている若い人にも観てもらって、何かを感じてもらえれば良いなと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 本当言って私も、もう山古志の人々が元の場所に帰る事はないだろうと思った一人です。でも予想に反して、多くの人々が故郷に帰った。その裏にこんな物語があったとは…。ここにあるのが本物の暮らしだなあと、監督の狙い通り、1000年続いた山古志の人々の英知に心を揺さぶられました。浮ついた都会暮らしが、ちょっぴり虚しくなる。


  この作品は11月7日(土)より第七芸術劇場で上映。  
         <なお、8日(日)には監督のトークショーがあります>
       順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開