太秦からの映画便り

映写室「Coming Out Story」梅沢圭監督インタビュー(後編)

映写室「Coming Out Story」梅沢圭監督インタビュー(後編)  
 ―誰もの生きやすい世界―

<昨日の続き>
―私に解からないのは、突き詰めれば自分とは何かなのなら、内面こそが大事で、外見にこだわり手術までしなくてもと思うのですが。外見はそんなに大きいのでしょうか?
梅沢:やっぱり大きいですよね。
―自分にとってですか?それとも周りからの目にとって?
梅沢:自分なのでしょうねえ。自分にとってどこまで行けば女性として満足できる生き方なのかと考え、体も女性になりたいと思ったということでしょう。いつきさんは男とか女とかを超えて、自分は自分であると解かってはいるけれど、それでも性の転換手術をされるんですからねえ。性の自認と外見は一致しているんだと思います。周りが何と言おうといつきさんはいつきさんじゃあないかと思うんだけど、お風呂場で鏡に自分の体が写る度に、男性器が付いているのが苦しかった。そういう自分の姿に自分が納得できないわけです。手術はそういう自分に対する決着のつけ方だったと思います。それに対して、他人がどう言おうがかまわないけれど、手術することで自分はすっきりさせたい。自分のイメージと体を一致させたいということなのでしょう。そういういつきさんを見て、更に「自分とはないか?」というテーマになって行きました。

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―そのうちにスタッフの一人が帰ってしまうと?
梅沢:ええ、豊島さんです。彼の揺らぎは大きくて、何で彼がそうなったのかと言うのを、すごく考えました。そして、彼が自分の中のものに向き合うプロセスが、自分の頭の中で考えたものではなく、人と人との出会いと繋がりの中で起こったと気がつきました。いつきさんを鏡のように見て、もともと自分の中にあった、隠していたものに光が当たったんだと思います。人と人との鏡のように映しあう関係性の中で、自分が何だろうと考える視点が出てきたんだと思うのです。其処を映像化したいと思い出して、豊島さんが帰った後、2週間位たってから、混乱した彼を撮らないといけないなあと気付きました。やっぱりスタッフと言う思いが強く、最初は彼にカメラを向けると言う発想が無かったんです。
―豊島さんは学校の同級生ですよね?
梅沢:ええ、映画学校の同級生です。彼の揺らぎなくしてはこの映画は語れません。最初の計画はご破算になったけれど、登場人物によって、作品が思わぬ方向に動き出したわけです。

―監督自信も、冒頭でバイセクシャルだとご自身の立ち居地のことを語っていますが、あれは最初からの計画ですか?
梅沢:いえ、違います。最初はそれを登場させるつもりは無かったけれど、豊島さんが現れたことで、二人の中間で、豊島さんといつきさんの出会いを見つめる、作り手でもある自分の立ち居地を語ってしまいました。と言うか、最終的に自分の立ち居地を語らざるを得なくなったと言うことです。
―ご自身では自覚されていたわけだから、この作品を思いついたのは、そこらあたりのご自分の複雑な感情を探りたかったとも言えませんか?
梅沢:そうとも言えます。

―自分の性を突き詰めて自覚するのは、誰かを好きになった時だと思うのですが、其処のところは語られていませんね?
梅沢:そうですね。そこらへんは難しいです。自分でも答えは出ていません。ジェンダーアイデンティティーと性的嗜好は、何かしら連動しているだろうけれど、明確に解からない。ここでは描けていません。これから考えてみたいところです。自分は男であるとか女であるとか考えずに、誰かを好きになって、後になってくるのか、好きになる段階なのか…。いつきさんはトランスで女性が好きなんです。自分はレズだと言っていますが、いつきさんは男性として生きた時代に結婚されていて、お子さんもいます。実はご家族も撮りたかったのですが、以前テレビで放映されて、その後奥様の心労が大きく精神的に参られたので、今回はご家族にはカメラを向けていません。

―あまりにもデリケートですものね。私たちが見たのは、パブリックないつきさん。家庭の中では別のいつきさんが見えるかもしれません。
梅沢:そうですね。十数年前までのいつきさんは、自分の事を「変態」だと思い、女性になりたいという夢を、心の奥深く隠して生きていました。でもカミングアウトして、女性の体を手に入れた。ありのまま、自分らしく生きようと、覚悟の旅を始めたわけです。そんないつきさんの姿は、豊島さんだけでなく、多くの人の心を揺らすのではないでしょうか。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 色々解からないことは多いのですが、いつきさんのしなやかさと強さが心を打ちます。どんな時も、自分らしく、自分を偽らずに生きるというのは苦しい事。でも世間に自分を偽るのは、いつきさんにとってはもっと苦しい。誰もが「ただすこし、生きやすく」と願ういつきさんや梅沢監督。揺らぎのままに、ご自身の立ち居地もカミングアウトした梅沢監督の次回作が楽しみです。


この作品は、5月19日(土)より、シアターセブンで上映
時間等は劇場(06-4862-7733)まで
  又、6月2日より1週間限定で、神戸元町映画館、
   その後、京都みなみ会館で上映されます。

映写室「Coming Out Story」梅沢圭監督インタビュー(前編)

映写室「Coming Out Story」梅沢圭監督インタビュー(前編) 
  ―誰もの生きやすい世界―

 自身をバイセクシャルだとカミングアウトする監督が、性に揺らぐ人々、トランスジェンダーの世界にカメラを向けます。カメラはその問題にとどまらず、何時しか、「性」と「生」、男とは何か、女とは何か、自分とは何かというところまで問いかける。「ただすこし、生きやすく」と思うだけの、マイノリティーたちの願い。撮影秘話等を梅沢圭監督に伺います。

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<その前に「Coming Out Story」とはこんなお話> 
主人公は男性として生まれながら女性として生きるようになった土肥いつきさん。京都の公立高校で教師をしながら、この十数年間少しずつ女性に変わってきました。土肥いつきさんは、最後の望み「女性の体を獲得する手術」へと向かう。それは命をかけた苦しく不安な手術だった。
 「歩くカミングアウト」と自称し、笑顔と関西弁で自身を語るいつきさんに、ついつい皆は、自分の秘めた思いを打ち明ける。ある日、スタッフの一人が、現場を離れた。いつきさんの姿に、封印していた自身の秘密と向き合ったのだ。


<梅沢圭監督インタビュー>
―性がどうとか言う以前に、しなやかに生きる土肥いつきさんの魅力を感じる作品ですね。トランスジェンダーの問題を映画化しようと思ったきっかけは何でしょう?
梅沢圭監督(以下敬称略):この作品の最初は、僕の日本映画学校の卒業制作でした。僕はバングラディッシュに住んでいたことがあるので、そこの村の映画を撮りたかったんですが、予算的に無理で断念したんです。次の題材を探していた時に、とある新聞記事が目に留まりました。埼玉で男の子から女の子になった性同一性障害の人が、女の子として通学するのを認められ、そうし始めたという記事を、たまたま新聞で読んだんです。ところが載っていた写真は後姿で、ドヨンと澱んで見える。顔が写ってないことや、せっかく望みがかなったのに写真が暗く見えるのはどうしてだろうと気になりました。もっと言えば、どうして顔写真が駄目なんだろうと、そういうことが気になったんです。元々、セクシャリティーの問題を抱える人に関心があったので、トランスジェンダーの問題で映画を撮ってみようと思いました。

―100人くらいのトランスジェンダーの方にお会いした後、土肥さんを主人公に決めたのですね。多くの方の中でも、土肥さんを主人公に選んだ訳は?
梅沢:色々な人に会って、それぞれ個人個人には興味がありましたが、性同一障害という言葉の先の、もやもやした所、男とは何か、女とは何か、ということを語る人を探していたんです。関東では出会えなくてとうとう京都まで来ました。いつきさんはそういう根本を考えている人なんです。もうその頃には有名でメディアにも散々取り上げられた方ですが、暫くして、お会いしていただけないかとお願いし、この映画が始まりました。
―それは手術の前ですよね?
梅沢:そうです。最初は手術をするとは思ってなかった。想定外でした。いつきさんは教師なので、自分の教える生徒たちの問題から、元々在日外国人の問題や部落問題という、マイノリティー問題の活動をしていて、そういう所とトランスジェンダーという、いつきさんの中にあるマイノリティー性がリンクするのではと、最初はそこのあたりを考えてみたいと思っていたんです。でも、会ってすぐに手術すると聞き、それによって作品がどうなっていくのか想像も出来なかったけれど、手術は本人にとって重大なんだから、とりあえずはそれを撮らなくてはと言うところから始まりました。

―テーマが自然に動き出したと? 男とは何か? 女とは何か? 突き詰めれば自分とは何か? となっていったわけですね。それはそもそも、梅沢さん自身がお持ちだったものでしょうか? 当初からそういうものを撮ろうと思ってらしたんですか?
梅沢:いえ、いつきさんと関わることで生まれたテーマです。最初はセクシャリティーということだけで作品が出来ると思っていたんですが、言葉で表すとどんどん掴み所がなくなる。そういう悩みはありました。自分についても、男とか女とか何なんだろうなあと思うし、一つの言葉で説明しきれないものがあるんですね。色々な人に会って話を聞くうちに、自分たちをトランスと呼んでいる人たちにとっても、誰にもそういう思いがあるんだなあと思い出しました。勿論誰でも考えているというわけではなく、考えている人もいるということですが。だから、何人か主人公の候補はいたんだけれど、いつきさんになりました。いつきさんは長い時間をかけて自分の中のものと向き合ってきたし、教師という立場上、周りとの関係の中で、自分の立ち居地を探してきている。トランスジェンダーという規制の言葉に当て嵌めないで、考えていると。そういう意味で別格でした。若い人だと、自分はこうなのに世間がそれを認めないのは認識が狭いからだとか、短絡的に考えるけれど、いつきさんの場合は言葉すらないところから、自分を探っているんです。しかも、男として生まれたけれど女として生きていこうと決めた時、教師という立場上、人との関係性を地道な努力で折り合いをつけながら進まざるを得なかった。(聞き手:犬塚芳美) 
<明日に続く>

この作品は、5月19日(土)より、シアターセブンで上映
時間等は劇場(06-4862-7733)まで
  又、6月2日より1週間限定で、神戸元町映画館、
   その後、京都みなみ会館で上映されます。

映写室「珈琲とエンピツ」今村彩子監督インタビュー(後編)

映写室「珈琲とエンピツ」今村彩子監督インタビュー(後編)    
―ろう者の世界を飛び出した軽やかなコミュニケーション―

<昨日の続き>
―そういう意味でも、この作品は監督の大きなステップになるのでは?
今村:そうですね。今までと違って長い作品ですし、1年半かけて追っかけ取材をしました。名古屋から静岡まで電車で通って、夜遅い時は太田さんのショップに泊めてもらって、家族のように付き合って、作った作品です。この1年半はかけがえの無い時間でした。

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(C) COFFEE TO ENPITSU.STUDIO AYA

―最初から、そういう長い密着を計画されていたのですか?
今村:始めは「珈琲トエンピツ」の前に、太田さんの25分の短い映画を作りました。でも太田さんを見ていると、大切な魅力がまだまだ伝わっていないと思ったんです。自分が見たのはもっともっと太田さんとお客さんが繋がるところとか、生き方とか、家族のつながりとかで、深い。だから、更に取材をしようと思いました。そうしてこの作品が出来たわけです。
―監督から見た太田さんはどんな存在ですか?
今村:何かにぶつかって困った時は、太田さんのところに行って意見を聞きたいなあと言うような存在です。諦めないで夢を持ち続けて生きている人だから、壁にぶつかって挫けそうな時は相談して元気を貰いたいと思います。

―そういう、こちらを元気にして下さるパワーをお持ちなのですね。
今村:そうですね。頑張って夢を実現した人のパワーと言うか、皆もそれを感じていると思います。特に励ましてくれるわけではないのですが、話していると冗談も一杯で、それで元気になっていくと言う感じです。落込んでいる時だと、元気になって帰ってくると思います。
―そういう太田さんには悩みは無いのでしょうか?ろう者だからと言うのではなく、今の厳しい世の中を生きるのですから、誰だって悩みを抱えていると思いますが。
今村:家族には解かりませんが、私に対しては悩んでいる姿を見せたことがありません。職人としてのプライドもあるし、店長としてお客様には笑顔で接していて、凄いなあと思いました。私も悩んでいるところを撮りたかったのですが、感じないと言うか。見せないようにされているのではないでしょうか。自分より若い人に対しては特に見せないかも。

―何度断られても、ボード職人になるのを諦めなかった人ですものね。冒頭のボードを削る音が印象的です。ボードがこんな風に、例えばその人の足に合わせた靴のように、個人仕様だとは知らなくて驚きました。
今村:私もそうです。その人の身長とか色々な要素で決まると言うのは取材で解かったことです。長さや厚さ、ペインティングの模様や色と、色々お客様の注文で決まることも多い。細かい寸法とか、太田さんは筆談で聞いていますが、お客様とのコミュニケーションが大事で、ろう者のボード職人は世界で4人だけだと聞いています。

―確か、この作品の編集中に東北大震災が起こったんでしたね?
今村:3月22日に、太田さんの映画の編集を中断して、震災後初めて東北に行きました。被災地でろう者の方がどうなっているのか気になったのです。その後も合計6回行き、4人のろう者に会って話を聞きました。その時の取材で、津波の警報が聞こえなかったが隣の人に教えてもらって助かったとか聞き、ろう者が情報を得られなかったことに気付きました。映画の中で海で楽しそうにサーフィンをしています。その同じ海で東北の人々は命を奪われました。海の映像を見るのは辛いのではないか、公開を伸ばしたほうがいいのかもと思いましたが、被災地で、「これからの日本に大事なのは地域の絆だよ」と聞いた時に、(あ、太田さんはお客さんと絆で繋がっている。この映画を多くの人に見て欲しいな)と思って、編集を始め、去年の10月に完成しました。

―太田さんはごらんになって何と?
今村:自分の人生を映画として見て、人生を見つめなおすことが出来た。有難うと言われました。それを聞いて嬉しかったです。
―この作品は太田さんにとっても人生が凝縮されたものだったのですね。ところで、さっきから拝見していますと、気持ちに近い動作が手話には多いような気がします。気持ちをジェスチャーで表しているというか、私もやってみたくなりました。
今村:ええ、ぜひやってみて下さい。

―監督は劇場公開を見ていかがでしたか?
今村:初めての上映は豊橋であったのですが、ここは私の第2の故郷でもあって、感動しました。映っている自分を見るのはちょっと照れくさいですが。
―そういうことがあると、ますます映画の魅力に嵌り、次の構想も浮かぶのではないでしょうか?
今村:構想は2つあります。私のプロフィールを見ていただくと書いていますが、ダスキンがやっている事業に、障害者を世界に留学させる制度があります。私はこの制度でアメリカに留学しましたが、それとは逆に、アジアの障害を持っている人を毎年7,8人日本に呼んで、研修をする仕組みもあるんです。彼らが成長していく姿を撮りたいと思っています。日本で学んだ経験を、自分の国でどう生かしていくか、其処まで取材したいと思っています。もう一つはろう者のお母さんがいるある家族の物語で、其処のお子さんが保育園かに入って自分の家庭とまるで違う環境を知り、どう育っていくか、成長の記録をとりたいと思っています。

―長くなりそうですね。
今村:ええ、10年間位追いかけてみたいと思っています。
―旺盛な創作意欲です。
今村:そんな風にして、ろう者だけではなく、世の中には色々な人がいて、色々な形の情報を求めていることを広く解かって頂ければ、皆が生きやすい世の中になるのではないかと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 水平線のかなたに浮かぶ白い雲。アロハシャツの似合う日焼けした恰幅のいい太田さん。ハワイアン小物と色とりどりのサーフボード。珈琲を片手に、身振り手振り、時にはエンピツをさらさらと走らせて、会話を続ける太田さんとお客様。まるで妹のように太田さんに迫る今村監督。からっとした明るく爽やかな空気が流れています。太田さんはたまたまろう者だけれど、ろう者の世界を生きてはいません。誰とも心を開いて、自分らしくコミュニケーションを取ります。サーフィンは出来ないけれど、こんなお店に行ってみたい!
 今村監督の可愛さも抜群!可愛いお顔に秘めた闘志も抜群です。二人に感動したら、次回作も乞うご期待!


この作品は、5月5日(土)~6月1日(金)の間、大阪シアターセブンで上映
時間等は直接劇場(06-4862-7733)まで。
順次京都シネマでも上映予定

映写室「珈琲とエンピツ」今村彩子監督インタビュー(前編)

映写室「珈琲とエンピツ」今村彩子監督インタビュー(前編)    
―ろう者の世界を飛び出した軽やかなコミュニケーション―

 自身もろう者である今村彩子監督が、同じろう者でありながら、珈琲とエンピツと笑顔を武器に、軽やかに色々な人とコミュニケーションをとる太田辰郎さんのドキュメンタリー映画を作りました。手話のできない人は多い。それでも繋がる聴覚障害者と聴者の世界。貴方の心の中にも温かいものが広がるはずです。手話通訳の方に入って頂き、今村彩子監督にお話を伺いました。

<その前に「珈琲とエンピツ」はこんなお話>
 太田さんは静岡県にあるサーフショップ&ハワイアン雑貨のお店の店長。自身も30年以上のキャリアのあるサーファーで、サーフボード職人でもある。会話のきっかけに自分の大好きなハワイアン珈琲を薦めると、思わず笑顔になるお客さん。すかさず太田さんの筆談と身振り手振りの会話が始まった。

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<今村彩子監督インタビュー>
―なんとも大らかで素敵な方ですね。太田さんとの出会いは?
今村彩子監督(以下敬称略):豊橋でサーフィンをやってる人が太田さんのお店の常連で、引き合わせて下さったんです。3年前の8月に始めて太田さんのお店に行きました。
―初対面の印象はいかがでしたか?
今村:大田さんは始めて会った時の私を暗いなあと思ったそうです。だからすぐに意気投合とは行かなくて、私の方が一方的に太田さんの笑顔や人物に惹かれました。そして、どういう流れでお店を出したのかとか、聞きたいと思いました。

―今の監督からは暗かったなんて想像できません。カメラを回している時も、いつもニコニコと楽しそうでしたよ。
今村:有難うございます。撮影中はいつも太田さんの笑顔や楽しそうにお客様と会話している様子で、こちらまで温かい気持ちになりました。太田さんご夫妻もとても仲が良く、しょっちゅう冗談を言い合っていて、楽しそうなんです。お客様たちも二人のことを見て理想だなあと言うのですが、その気持ちが解かります。二人の影響で私も温かい気持ちになって帰りました。
―ご両親も大らかと言うか温かいですね。
今村:お母さんもお父さんも本当にいい方で、お母さんが特に社交的なんです。
―小さい頃から何処にでも連れて行かれたから、太田さんがこんな風に物怖じしなくなったと?
今村:ええ、そういう姿勢のお母さんの影響が大きかったと思います。

―監督は今まで主に耳の不自由な方のドキュメンタリーを作ってらしたのですね?
今村:そうです。社会には色々な人がいて、その中には耳の不自由な人もいるというのを知ってもらいたいと思い作ってきました。例えば、私が小学校の頃にはテレビには字幕が無かったのですが、家族は皆聞こえるので、一緒にテレビを見ても楽しめなかった。社会の中には聞こえない人もいると気付けば、テレビも字幕をつけるだろう。又、駅の案内も、放送だけでなく電光掲示板があれば良いなという風に、いろいろな情報の伝達手段を使ってもらえる。逆に、見えない人もいるわけで、そういう人には耳の情報が大事です。見える情報が欲しい人、聞こえる情報が欲しい人。色々な人がいる社会で、どんな人も情報を得られる社会になって欲しいと言う気持ちがあります。

―そうは言っても、監督は長い間の訓練で唇を読んだりも出来るんですよね?
今村:私の小さい頃は手話が認められていなかったので、聞こえる人に近づく綺麗な発音をした方が良いと言う教育でした。厳しい口話教育を受けて育ったんです。今は手話で良いと言われますが。
―そういう時代変化もあったのですか。
今村:太田さんはご両親もろう者なので、お家での会話は手話が主体です。発音は苦手と言っていますが、苦手だからと言って暗くなったりはしない。他の方法があると言って、筆記等でコミュニケーションをとるので、お客様も、(大変だなあ)とは思わないんです。最初は(大変だなあ)と思う人もいるかもしれませんが、太田さんと会話をしていく中で、だんだん相手の気持ちが変わっていくんですね。そういう力を太田さんは持っていると思います。発音がよければいいという考えを太田さんは持っていなくて、伝わればいいと思っているのです。伝わることを大切にしている人だなあと思いました。

―確かに。例えば英語が出来なくても、本当に伝えたい気持ちがあれば、シンプルな単語を並べるだけで、何とか伝わりますものね。
今村:そうです。発音より何より、伝えたい気持ちが大事と言うのを、私は太田さんから学びました。そういうこともあって、この映画のナレーションは私がしています。最初は悩みましたが、一番大事なのは伝えたい気持ちなのだと思い出しました。
―ええ。さすがにこれを作った監督だけに、思いが篭っていて心に響きました。それにしても、太田さんとサーフィンはぴったりですね。
今村:やっぱり、お好きですから。見ていても好きと言う気持ちが解かります。
―太田さんの風貌も日本人離れしていますし、一瞬サーフショップのあそこがハワイかどこかのように見えました。
今村:私も最初に見た時はそう思いました。目の前に海が広がって、とっても美しい場所です。

―そういう事もあって、監督もサーフィンを始められたのですか?
今村:それまでは思ったこともなかったのですが、取材がきっかけで、自分もサーフィンに挑戦してみようと言う気持ちが起こりました。と言っても、取材の間に3回出来ただけです。もっと続けたいけれど、住んでいる名古屋からは海が遠く、なかなか出来なくて。元々体を動かすのは好きで、中学校の時は柔道をやっていましたし、バスケットとか陸上の長距離とか、今までもやっています。
―太田さんは本当に明るいですね。この方に会われて監督も何か変わりましたか?
今村:はい。考え方が変わりました。私も太田さんのように耳が聞こえません。太田さんに出会う前の自分は、聞こえる人たちに対して引いていたんです。でも太田さんは、聞こえる、聞こえない、手話が出来る、出来ないに関わらず、誰に対しても壁を作らず、コミュニケーションをとっていく。そういう様子を見ていて、自分も手話が出来ない人に引くのではなく、色々な人と話したいなあと言う気持ちが湧いてきました。自分で作っていた壁を取ることができたと思います。(聞き手:犬塚芳美)
                             <明日に続く>
この作品は、5月5日(土)~6月1日(金)の間、大阪シアターセブンで上映
時間等は直接劇場(06-4862-7733)まで。
       順次京都シネマでも上映予定

映写室 「春、一番最初に降る雨」上映案内

映写室「春、一番最初に降る雨」上映案内  
  ―カザフスタンに生きる家族の物語―

中央アジアの国、カザフスタンを舞台にした映画が公開になる。

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©2011 STUDIO-D JAPAN, Inc.

<何処までも続く>草木の生えない土地(多分、これがステップと呼ばれる土地)、低い土だけの山並み、水道もガスも無い不便な土地にぽつねんと建った一軒の家。ここに暮すのは両親と二人の子供で、もう一人の住人はお祖母ちゃんかと思いきや、そうではないらしい。彼女が天に召されるあたりから物語が転がり始める。カザフスタンの方が見ても自然なように、この地の神秘的な風習が盛り込まれて、映っているもの全てが珍しい。

<作ったのは元カザフスタンの日本大使館員佐野伸寿さん>で、自ら脚本を書き、共同監督として現地の映画人エルラン・ヌルムハンベトフさんとタッグを組んだ。佐野監督以外は、すべて現地のスタッフ。エルランさんとは2008年の佐野監督の「ウイグルから来た少年」でもタッグを組んでいて、今回は心優しい父親役でも登場する。
<ソビエトの映画技術を受け継ぐ>カザフスタンは映画技術が高いそうで、力強いカメラワークも見所だ。雪解け水でうねりながら流れる川面、見渡す限り何もない大地。圧倒的な自然の前に、ちっぽけな存在でしかない人間。一家はそんな自然を傷つけることなく、自然と共生して暮している。だからこそ、この一家が待ちわびるのは、「春、一番最初に降る雨」なのだろう。これこそが命の元、土色の大地も、その雨で緑の大地へと変貌を遂げるのだろうか。

2127アイグリとアリシェル
5303ミルクを注ぐ
©2011 STUDIO-D JAPAN, Inc.

<劇映画なのだけれど>、其処に流れているのは限りなくドキュメンタリー的匂い。突発的な出来事もストーリーに組み入れながら撮影したそうで、味わいも自然だと思ったら、プロの俳優さんは金髪の美少女一人だけなのだと言う。
カザフスタンと言っても、まだまだ私たちには馴染みが薄い。でも親日国だそうだ。ソビエト連邦の崩壊で誕生した国だけに、未だにソ連に抑留された日本人が住み、彼らの作ったインフラ等の技術の素晴らしさで、今もって信頼を得ているという。
<地区的にはアジアだけれど>、中東でもなく、ヨーロッパ的というか、そんな丁度中間地点の国だ。そんな神秘の国の、人情味溢れる人々の暮らしはまるで家族の原点のよう。砂漠やステップと言う日本人にはなじみの無い内陸型気候で、雄大な地球、母なる大地を感じさせられる力強い映像に旅情をそそられる。こんな作品を見ると、映画には色々な役目があるなあと思う。
佐野監督の愛してやまない国、カザフスタンの心を教えてくれる物語です。

この作品は、シアターセブンで上映
     4月28日(土)~5月4日(金)12:45~
     制作秘話等のトーク有り。日程は劇場まで(06-4862-7733)