―中澤正行さんに伺う撮影テクニック―
「あの空をおぼえてる」は、映像的にも色々な工夫がされています。その辺りを少しマニアックに、撮影監督の中澤正行さんに伺ってみました。
(C) 2008「あの空をおぼえてる」フィルムパートナーズ
<中澤正行さんインタビュー>
―素敵な映画で、自然に涙が溢れました。導入部のビビットな映像とラストシーンの青空に浮んだ風船が今も忘れられません。
中澤正行撮影監督(以下、敬称略):有難う御座います。ビビットさで言うと、それを皆さんの記憶に植え付けたくて、今回ちょっとした仕掛けを使いました。導入部と最後のシーンは、富士フィルムの一番鮮やかなものを使っています。その途中のつまり絵里奈が死んでからのシーンは、逆に彩度をおとしたくて「銀のこし」の手法を使いました。実はこの手法は、元々は市川崑監督の「おとうと」で撮影の宮川さんが開発したものです。その後「セブン」で使われて注目され、今やポピュラーになってホラーやサスペンスではよく使われるんですが、今回の様な明るい話に使うのには抵抗がありましたね。でも前後を際立たせたいと思うと、「銀のこし」の手法は魅力的だった。やり過ぎないように一番効果の出ないフィルムを使ってますから、自然に仕上がっているとは思うのですが。それに極端に彩度の無いものから突然ビビットな調子への変化は不自然なので、途中に普通のものも入れて3段階でいっています。
―技術的な工夫は解らないまま、英治の心象風景が投影されて私に見える画面も暗いのだろうと思っていました。
中澤:そう観て下さるとありがたいですね。こっちはそれを狙っているわけで、いかにもになるのは避けたいですから。空の色もこれだけいいロケーションなのに、途中はいい青空は殆ど映っていないんです。色に餓えさせて、カラフルな色への飢餓感をラストシーンに持ってくるようにしました。ただ映画全体を見ると絵が勝ち過ぎるのは良くない。冨樫監督と組んだ前作の「天使の卵」で、綺麗な風景の誘惑に負けて構図を優先したシーンがあるんです。芝居に観客を引き込む為には、絵的には貧弱になったとしてもこう撮ってはいけなかったと後で気付いたので、今回はその点に注意しました。
―謙遜されているだけで実際にはそんなことは無いと思うのですが、監督はカット割りなんかは解らないので中澤さんに任せていると仰いましたが。
中澤:確かに冨樫監督は、専門分野はそれぞれに任せてくれます。カット割とかは僕がしますし。でもそうは言っても、僕でない他のカメラマンが現場にいたとしても、そう撮るしかない形に出来上がっているんですよ。一応僕が考えた事にはなっているけれど、監督にそう撮らされているというか、結局は監督が支配してるとも言える。もうこれは不思議としか言いようがありません。もしかしたら監督も、自分自身の思いという以上に、脚本とか皆が関わって複合的に生まれたその映画の方向性、映画の動き出した主体性のようなものに、突き動かされているのかもしれませんが。冨樫組の現場にはそんな力があるんですよ。監督と組んで、自分のオリジナリティ云々より自分の意図しなかった現場の流れを映す事が大事だと解かって来ました。とは言っても、未熟なのでいい絵を撮りたいというカメラマンとしてのエゴを捨て切れない時もありますが、それはいけないと反省はします。たかだか自分一人の思いとかで動くと、映画が小さくなる。せっかく大勢で作っているんだから、個人の思いは捨てたほうが色々な力が作用して映画が大きく膨らむ。そう気付いてから、事前にこう撮ろうとか思って臨む事はなくなりました。
―監督のお話でも、皆で作る形の方だなあと思いましたが。
中澤:監督にも大きく分けて二通りのタイプがあって、日本映画で言うと小津と溝口ですね。小津さんはカメラアングルを全て自分で指定したそうです。芝居だけでなく絵も完璧に自分で決めていて、「ここからこう撮れ」と指示したと。だからどの作品を観ても小津色です。ところが溝口さんは、カメラには口を出さず役者に芝居をつけるだけだったのに、出来上がったものを観ると、どのカメラマンと組んでもやっぱり溝口色。小津と同じ様に自分がフレームを支配しています。言わないまでもカメラがそう撮るしかない形が出来ているのでしょう。冨樫監督の現場はそんな感じなのです。
―なるほど。ところで今回カメラマンとして留意されたのはどんな点ですか。
中澤:実は先日東京のプレミア試写会で、久しぶりに広田君や里琴ちゃんに会ったんですが、微妙に大きくなっているんです。まだ撮影から半年ですが、英治役にぴったりと言うには今の広田君では子供っぽさが足りない。逆に子供っぽ過ぎた作品もある。(ああ、絶妙のタイミングであの役柄に重なる彼が撮れたなあ)と嬉しかったし安堵しました。映画にはあの時だからこその、彼のか弱い感じやよるべ無さが映っています。広田君は子供なので日々成長している。天才子役とはいえ、里琴ちゃんとのあの関係性はあの時期だけのものだった。移ろうそれをフィルムに残せたのが今回の僕の一番の仕事だったと思います。
―私もそんな英治に感情移入して、自分の事で精一杯でうじうじと幼い父親にいらいらしながら、切ない気持ちで観ました。かっこいい竹野内さんなんで許せますが。
中澤:竹野内さんはやっぱりスターです。完成したものを見ると、自然に竹野内さんが視線を集めるし存在感がありますね。感情移入についてはそうして貰える様に、と言うか観客をフィルムの中に引き込む様に、フレームの枠を忘れてもらえる様にと、工夫もしています。映画はスクリーンまでの距離や枠を感じさせないで、観客のいるところまで映画の世界を広げないといけない。英治が自宅に帰って廊下を歩くシーンでは、キャメラがトラックアップ(前進移動)していますが、誰かの移動に沿って視界が変る事で、観客はその人物に自分を重ねますから、この辺りからは英治の気持ちになって観てもらえるのではないでしょうか。後、視点とかも工夫するんです。感情移入させたい人の視点の先の物を映して、自分が見た気分にさせると言うようにですが。
―水野さんも生活感があるなあと思って観て、後で考えると本当はまるで違うカッコいい方ですよね。役で母親に成り切ってらしたのですね、凄いです。
中澤:そうなんですよ、実際はともかく画面の中ではしっかりお母さんです。上手いですよね。監督は演技も特に指示を出さず役者さんに任せるのですが、O.Kまで「もう一遍」とか「もう少し出来るんじゃない」という形でテイクを重ねて粘る事はあります。そうしたからといって、いい演技につながるとは限らないし、粘った結果がそのシーンには生かされない事もある。でも役者さんにとっては何処かでそれが生きているんでしょう。後でそれが効いて、全く別のシーンで現場にいた皆に鳥肌が立つような素晴らしい演技が出たりします。今回は演出のそんな奥の深さも見ました。地方ロケで長い間合宿のような形で撮影したので、再会すると4人は傍目には家族の再会のようですし、僕らスタッフもそんな気持ちです。映画の現場はそんなものを生み出しますね。色々見所の多い作品ですので、コアに楽しんでいただきたいと思います。
<インタビュー後記:犬塚>
中澤さんには撮影監督ならではの視点で、ちょっとディ-プにこの作品を解説していただきました。それにしても、観客を映像の中に引き込み、感情と言う見えないものを見せる為に、プロは色々テクニックを使っているのだなあと、今更ながらに驚きます。もっとマニアックに「このシーンは、実はこの映画へのオマージュです」と言うお話も伺ったのですが、う~ん、奥が深い。それについては実際に観て探していただくことにしましょう。ヒントだけ申し上げると、「天使」(監督 エルンスト・ルビッチ)の食事シーンです。ディープに観ればいくらでも深くなるのが映画ですね。種も仕掛けもある映画作りの裏側への驚きと、冨樫組の撮影秘話がことさら印象的なインタビューでした。
この作品は26日より全国で拡大上映中
「あの空をおぼえてる」
出演 竹野内豊・水野美紀・広田亮平・吉田里琴・小日向文世
主題歌 「いつか離れる日が来ても」平井堅
監督 冨樫森 ・脚本 山田耕大 ・撮影 中澤正行