映写室 NO.200グラン・トリノ
―移民社会アメリカの融合―
「硫黄島からの手紙」、「チェンジリング」等、監督のイメージが定着したクリント・イーストウッドだけれど、出発点はもちろん俳優業。そんな彼が「ミリオンダラー・ベイビー」以来となる、待望の主演、監督作で帰ってきた。自戒を込めた露悪的な視点も加えて、死生観と共に移民問題を抱えるアメリカの現状を捉えます。(こんなのってあり?)と、言葉を失う驚愕の結末のほろ苦さ。最後の俳優作品と聞いては見逃せない。

(C) 2009 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
<荒筋>
ウォルト(クリント・イーストウッド)は元フォードの組立工。朝鮮戦争従軍の経験があり今もライフルを磨く。妻を亡くし一人住まいだが、二人の息子は自分の事で精一杯で寄り付かない。かっての住民は引っ越してしまい、近所は家の手入れもろくにしないアジア系移民ばかり。ウォルトは全てが気に食わない。日課は庭の芝刈りとビールと、秘蔵のヴィンテージ・カーを磨く事。その愛車<グラン・トリノ>を盗もうとしたのは、隣家のモン族の少年タオで、不良に脅されてのことだった。タオを不良たちから助けた事から、隣家との付き合いが始まるが、不良たちの牙が今度はタオの姉に…。
<舞台は、自動車産業の崩壊で街が壊滅的>になったデトロイト。日本車を売る息子が腹立たしいのは、ウォルトだけではなく仕事を奪われたこの地の人々の本心だろう。実際に、ビッグ3は窮地でも、トヨタのプリウスは大変な人気で、購入が順番待ちらしいのだ。お金がある層は、荒れた町からとっとと逃げ出し、安価になった市街地に移民が入って、治安が悪化しているのも現実の問題。車で通りぬけるのさえ危険になったと、この近くに住む知人が嘆くが、そんな世相と空気感が写っているのがこの映画のタイムリーな所だ。
<一昔前の栄光の影もなく荒れていく街に住む老人の内面と外観を>、クリント・イーストウッドが見事に体現している。まるで彼にあて書きしたような一体感、この年でないと演じられないこんな役に巡り会えるとは、何て幸運な俳優か。
<いかにも従軍経験がありそうな姿勢の良さ>に、実務を堅実にこなしてきた男の頑固さと保守的な偏狭さを漂わせて、肌の色の違うだらしないよそ者に眉をひそめる男…と、ウォルトは実に具体的だ。まぶしい時代があればあるだけ変化は辛い。静かで高潔だった街を変えていく異民族に眉をひそめるのは当然だ。彼の姿に移民を受け入れながらもそう簡単に融合はさせない、アメリカ社会の差別の根幹が見えてくる。決定的な優位に立ったアングロサクソン人の差別意識は強固なのだ。

(C) 2009 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
<近所や家族との付き合いは>妻がしていた。寂しくても、今更沽券に関わるようなことは出来ないし、するつもりもない。空回りするプライドに邪魔され、さあ、どうやって人生の終盤を送ろうかと目標を見失っていたところに関わってきたのが、自分とは対照的にフレンドリーな一家だ。人口密集に慣れたアジア人は、異国の地でも濃い情の中で暮らすもの。祖母に母、姉と女ばかりの家でたった一人の男のタオは、学校へも行かず職も見つからず、フレンドリーさでは乗り越えられないこの国の壁にはじき飛ばされ、大人の入り口で躓いている。
<そんなタオを悪仲間に引き入れようとする>従兄弟達。こうして弱者どうし落ちていくのかと、負の連鎖に心痛めたところを救うのがウォルトだ。タオの真面目さに次第に心を解して面倒を見始めるウォルト、ウォルトの頑固さの奥に優しさと男の美学を見つけるタオ。親子と言うより祖父と孫のような二人は不思議な感情で結ばれる。遠くの子供よりも身近な他人に生きがいを見出す所もよくある話だ。観客がウォルトとタオが開きつつある穏やかな未来に頬を緩ませていたら、物語は最後に大きな山場を迎える。
<もちろんここまでも充分に魅せるけれど>、この作品が本領を発揮するのはこれから。頑固さが痛ましいほどに、ウォルトは老いの一徹でタオたち兄弟を守ろうとする。しかも銃社会アメリカへのさり気無いアンチテーゼ。そのかっこよさと確たる死生観、ウォルトの物なのか演じる俳優の物なのか解らないままに、観客はアメリカ的父性を見せつけられることになるのだ。アメリカとは父性の国、クリント・イーストウッドは父性の俳優だとしみじみと思う。しかも人生観として、これを突きつけられたらもう後はない。クリント・イーストウッドが俳優人生をかけた渾身の老いた立ち姿、このかっこよさを観客の目に焼き付けてラスト作品にしたい気持ちがよく解る。
<こんな風な人と人の触れ合いを通して>、移民社会アメリカの融合は少しづつ続いていくのだろう。クリント・イーストウッドの異国で暮らす少数民族への暖かい視線が心地いい。気が付くとタオに感情移入して彼の愛を受け止めていた。(犬塚芳美)
この作品は全国で絶賛上映中
《お知らせ》
<振り返ってみると>、映写室の1回目は「ミリオンダラー・ベイビー」でした。アカデミー賞の主要4部門を受賞し、世間が大絶賛したこの作品の結末に、映写室は異議を唱えたもの。クリント・イーストウッドが演じるのはいつも強い男、大変なことは自分一人で引き受け、女子供等、弱者は常に守る姿勢です。世代の差や受けた教育の差もあって、私の場合そこに少し違和感を持ってしまう。それは今回も一緒でした。(守られた者の悔恨はどうしてくれる? 女子供だって頑張れる、一緒に頑張らせて欲しい)と言うのが私論ですが、もちろんこれは理想論かもしれません。
<200回目を初回と同じ感想と同じクリント・イーストウッド作品>で飾る事になりました。基本的な考えかたは変わってないみたい。意図したのではないのに、書き始めて気が付いたこの偶然は、筆者にとっても驚きです。でもこれも神の教示かもしれない。長らくご愛読いただきましたが、200回を機に少しお休みを頂き、更に充実するよう映写室の形を変えようと思います。今しばらくお待ちください。(ただしインタビュー記事は公開に合わせてアップを続けます)新装開店のその日まで、皆様ごきげんよう!
―移民社会アメリカの融合―
「硫黄島からの手紙」、「チェンジリング」等、監督のイメージが定着したクリント・イーストウッドだけれど、出発点はもちろん俳優業。そんな彼が「ミリオンダラー・ベイビー」以来となる、待望の主演、監督作で帰ってきた。自戒を込めた露悪的な視点も加えて、死生観と共に移民問題を抱えるアメリカの現状を捉えます。(こんなのってあり?)と、言葉を失う驚愕の結末のほろ苦さ。最後の俳優作品と聞いては見逃せない。

(C) 2009 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
<荒筋>
ウォルト(クリント・イーストウッド)は元フォードの組立工。朝鮮戦争従軍の経験があり今もライフルを磨く。妻を亡くし一人住まいだが、二人の息子は自分の事で精一杯で寄り付かない。かっての住民は引っ越してしまい、近所は家の手入れもろくにしないアジア系移民ばかり。ウォルトは全てが気に食わない。日課は庭の芝刈りとビールと、秘蔵のヴィンテージ・カーを磨く事。その愛車<グラン・トリノ>を盗もうとしたのは、隣家のモン族の少年タオで、不良に脅されてのことだった。タオを不良たちから助けた事から、隣家との付き合いが始まるが、不良たちの牙が今度はタオの姉に…。
<舞台は、自動車産業の崩壊で街が壊滅的>になったデトロイト。日本車を売る息子が腹立たしいのは、ウォルトだけではなく仕事を奪われたこの地の人々の本心だろう。実際に、ビッグ3は窮地でも、トヨタのプリウスは大変な人気で、購入が順番待ちらしいのだ。お金がある層は、荒れた町からとっとと逃げ出し、安価になった市街地に移民が入って、治安が悪化しているのも現実の問題。車で通りぬけるのさえ危険になったと、この近くに住む知人が嘆くが、そんな世相と空気感が写っているのがこの映画のタイムリーな所だ。
<一昔前の栄光の影もなく荒れていく街に住む老人の内面と外観を>、クリント・イーストウッドが見事に体現している。まるで彼にあて書きしたような一体感、この年でないと演じられないこんな役に巡り会えるとは、何て幸運な俳優か。
<いかにも従軍経験がありそうな姿勢の良さ>に、実務を堅実にこなしてきた男の頑固さと保守的な偏狭さを漂わせて、肌の色の違うだらしないよそ者に眉をひそめる男…と、ウォルトは実に具体的だ。まぶしい時代があればあるだけ変化は辛い。静かで高潔だった街を変えていく異民族に眉をひそめるのは当然だ。彼の姿に移民を受け入れながらもそう簡単に融合はさせない、アメリカ社会の差別の根幹が見えてくる。決定的な優位に立ったアングロサクソン人の差別意識は強固なのだ。

(C) 2009 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.
<近所や家族との付き合いは>妻がしていた。寂しくても、今更沽券に関わるようなことは出来ないし、するつもりもない。空回りするプライドに邪魔され、さあ、どうやって人生の終盤を送ろうかと目標を見失っていたところに関わってきたのが、自分とは対照的にフレンドリーな一家だ。人口密集に慣れたアジア人は、異国の地でも濃い情の中で暮らすもの。祖母に母、姉と女ばかりの家でたった一人の男のタオは、学校へも行かず職も見つからず、フレンドリーさでは乗り越えられないこの国の壁にはじき飛ばされ、大人の入り口で躓いている。
<そんなタオを悪仲間に引き入れようとする>従兄弟達。こうして弱者どうし落ちていくのかと、負の連鎖に心痛めたところを救うのがウォルトだ。タオの真面目さに次第に心を解して面倒を見始めるウォルト、ウォルトの頑固さの奥に優しさと男の美学を見つけるタオ。親子と言うより祖父と孫のような二人は不思議な感情で結ばれる。遠くの子供よりも身近な他人に生きがいを見出す所もよくある話だ。観客がウォルトとタオが開きつつある穏やかな未来に頬を緩ませていたら、物語は最後に大きな山場を迎える。
<もちろんここまでも充分に魅せるけれど>、この作品が本領を発揮するのはこれから。頑固さが痛ましいほどに、ウォルトは老いの一徹でタオたち兄弟を守ろうとする。しかも銃社会アメリカへのさり気無いアンチテーゼ。そのかっこよさと確たる死生観、ウォルトの物なのか演じる俳優の物なのか解らないままに、観客はアメリカ的父性を見せつけられることになるのだ。アメリカとは父性の国、クリント・イーストウッドは父性の俳優だとしみじみと思う。しかも人生観として、これを突きつけられたらもう後はない。クリント・イーストウッドが俳優人生をかけた渾身の老いた立ち姿、このかっこよさを観客の目に焼き付けてラスト作品にしたい気持ちがよく解る。
<こんな風な人と人の触れ合いを通して>、移民社会アメリカの融合は少しづつ続いていくのだろう。クリント・イーストウッドの異国で暮らす少数民族への暖かい視線が心地いい。気が付くとタオに感情移入して彼の愛を受け止めていた。(犬塚芳美)
この作品は全国で絶賛上映中
《お知らせ》
<振り返ってみると>、映写室の1回目は「ミリオンダラー・ベイビー」でした。アカデミー賞の主要4部門を受賞し、世間が大絶賛したこの作品の結末に、映写室は異議を唱えたもの。クリント・イーストウッドが演じるのはいつも強い男、大変なことは自分一人で引き受け、女子供等、弱者は常に守る姿勢です。世代の差や受けた教育の差もあって、私の場合そこに少し違和感を持ってしまう。それは今回も一緒でした。(守られた者の悔恨はどうしてくれる? 女子供だって頑張れる、一緒に頑張らせて欲しい)と言うのが私論ですが、もちろんこれは理想論かもしれません。
<200回目を初回と同じ感想と同じクリント・イーストウッド作品>で飾る事になりました。基本的な考えかたは変わってないみたい。意図したのではないのに、書き始めて気が付いたこの偶然は、筆者にとっても驚きです。でもこれも神の教示かもしれない。長らくご愛読いただきましたが、200回を機に少しお休みを頂き、更に充実するよう映写室の形を変えようと思います。今しばらくお待ちください。(ただしインタビュー記事は公開に合わせてアップを続けます)新装開店のその日まで、皆様ごきげんよう!
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