太秦からの映画便り

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映写室「言葉のきずな」の自主上映会と、コミ・ワークのお知らせ

映写室「言葉のきずな」の自主上映会と、コミ・ワークのお知らせ
―結成10年となる長野の「ぐるっと一座」を追いかける―

ひと・まち交流館 京都』で、二日間にわたって「言葉のきずな」や失語症に関連したイベントがあります。

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映画上映会: 10月12日(土)13:00~16:30(開演13:30)   
  会場: ひと・まち交流館 京都  2F大会議室(240席)
  入場料: 1000円
  オープニング:かとうかつあき&仲間たちのミニライブ( 乗り遅れたバス、他 )
  アフタートーク:「言葉のきずな」田村周監督、劇団「ぐるっと一座」演出家 内山二郎氏、他 

コミ・ワーク: 10月13日(日)  10:30~15:30
     会場: ひと・まち交流館 京都 3F 第4、第5会議室
     講師: 演劇ワークショップファシリテーター、内山二郎氏 
     受講対象者: 失語症者を主体に、家族やST、医療スタッフ及びボランティア    
     参加費:  受講者(含付添い)1000円(映画半券提示で500円引)
             見学者1000円(映画半券提示で500円引)

<コミ・ワーク>-午前、午後の二部形式
・午前(10:30~12:00)アイスブレイクの要素を入れたコミュニケーションワーク

・ランチタイム懇親会(12:00~13:30)有料1000円:当日申し込み 
*安藤倬二氏による、失語症者の為の、携帯用「音声合成発声システム」の実演有り  失語症の仲間よ、これを持って外に出よう!「弁活のすすめ」 )

・午後(13:30~15:00)想像力喚起や内面表現要素を入れたロールプレイ⇒メルヘンづくり   

受講希望者は下記まで、連絡先を明記してお申し込みください。当事者優先で、受講定員30名。(当日も可)。見学は充分余裕があります。
T&F 075-721-1061(犬塚)   メール sakurasaico@ezweb.ne.jp

ひと・まち交流館 京都 :(河原町五条下る東側)
アクセス:市バス4,17, 205号、「河原町正面下車」。 立体駐車場有。

後援・助成:京都新聞社会福祉事業団
後援:国際ソロプチニスト北山・大阪自由大学・(株)ウーマンライフ新聞社
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映写室「言葉のきずな」上映案内

映写室「言葉のきずな」上映案内  
 ―失語症者の演劇集団とは?―

この作品は、長野県の失語症者の演劇集団「ぐるっと一座」の活動を追ったものです。数年前に劇団の活動がNHKで放映され、反響の大きさから更に2年間追いかけ、ドキュメンタリー映画になりました。

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<ところで、「失語症」とは何か?> この障害は、脳溢血や頭部外傷等で脳の優位半球にある言語野に損傷を受け、話す・聞く・書く・読む・計算する等々の、他者とコミュニケーションをとる手段に大きな不便を抱える障害です。損傷が優位半球側なので、利き手利き足にも障害を抱えていることが少なくありません。体に不自由を抱え、伝えることに不自由を抱えた不便さを想像してみてください。又、100人いれば100人の障害があると言われるように、損傷した脳の部分によって、障害の出方は千差万別、個人差が大きいのも特徴です。

<私たちが何気なく行う話すと言う行為は>、頭の中に伝えたいことがあり、それがどういう言葉を使えばいいのか的確に選べ、選んだ言葉を口で発語するよう脳が指令を出せ、発語機能がそのように動くと言う、多くのシステムの結果です。意志があっても後のシステムの途中のどこかに、損傷を受けていると、発語には至りません。
<口から言葉が出ないのなら>、文字を書いて伝えればいいと思われるかもしれませんが、自分の思いがどの単語に当たるのか、自分一人ではそれを探ことが出来ない。書こうにも書くべき言葉を見つけるまでが大変なのです。このまどろっこしさを想像してみてください。
頭の中には豊かな知性や知識を残しながら、それを表現する手段に障害を抱えた失語症者は、知性や感性・人格で多くの誤解を引き受け、諦め、そして達観と言うもっと高い境地にたどり着いているのかもしれません。


<「ぐるっと一座」を率いるのは>、演出家・内山二郎さんで、脚本を担当するのは土屋澪子さん。土屋さんはご主人が脳疾患で失語症となり、長い介護生活を送っています。身近で、教師だったご主人の言葉を失った悲しみを見、失語症になっても社会と関わりたい、何か出来ることはないかと模索を続けました。
自身の体験に重ね、絶望と希望の狭間を右往左往する当事者や家族の生の声を集め、脚本を起こし、声にならない心の叫び、当事者や家族の真実の声を皆に問いかけます。
 <二人を中心に>、音楽家・劇団員といったプロや医療スタッフという多くのボランティアが参加し、失語症者の演劇集団を、福祉という枠を超えたエンターテイメントとして、万人が楽しめるレベルまで引き上げています。

 <映画は、そういう劇団に2年間にわたって寄り添い>、舞台にかけるまでの練習風景、劇団員の普段の生活を追いかけました。守られる存在だった失語症者が、演劇に参加して、今度は情報の発信者となり、自らの手で人生を取り戻す様。「ハローワーク」に通って仕事を見つける様は、感動的です。(犬塚芳美)

この作品は、十三・シアターセブンで上映中。
  10月12日(土)、13:30より、「ひと・まち交流館 京都」で自主上映有り
  翌日は、失語症者のための、コミュニケーション・ワークショップもあります。
  詳細は、次回の映写室で

映写室「標的の村」上映案内

映写室「標的の村」上映案内 
 ―全国ニュースから抹殺された、沖縄のもう一つの物語― 

 SLAPP裁判とは、国策に反対する住民を国が訴える裁判です。力のある団体が、声を上げた団体を訴える弾圧・恐喝目的の裁判を、アメリカではSLAPP裁判と呼び、多くの州で禁じていますが、そういう裁判が沖縄で起こりました。

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©琉球朝日放送

「オスプレイ」の着陸帯建設に反対して座り込んだ住民を、行政が「通行妨害」で訴えたのです。訴えられた中には現場にいなかった6歳の少女も含まれていました。この珍事件の意味するものは? 全国放送から抹殺された沖縄の現実を、地元琉球朝日放送が取り上げました。その反響の大きさで、今度は全国の劇場に問いかけます。三上知恵監督に撮影秘話等を伺いました。

<舞台になるのは沖縄北東部の東村・高江区です>人口160人あまりの、ヤンバルの森に囲まれた長閑な山村ですが、戦後、村を囲むように、7800ヘクタールという国内最大の、米軍のジャングル戦闘訓練場に囲まれてしまいました。いつもは鳥のさえずりのこだます静かな村も、ひとたび米軍の訓練が始まると、上空には巨大なヘリが飛び交い、耳を劈くような騒音に包まれます。

<それでも人々は自然と共存し>、自給自足で豊かな暮らしを続けてきました。物作りの人が集まりやすい環境で、安次嶺現達さん、通称ゲンさんも、この森に魅かれて10年ほど前に家族で越してきました。自分で家を建て、自家製の新鮮な野菜と釜焼きパンを売り物に、そこでカフェを営み、6人の子供と楽園のような暮らしを続けてきたのです。そこに降って沸いたような、高江の周りに6つのヘリパッドが新設されるという話。そして、死亡事故の多い垂直離陸機・オスプレイも配備されるという話でした。

<2007年1月22日>、今まで運動とは無縁で静かに暮らしてきた高江の人々が驚愕し、那覇防衛施設局に抗議をします。局員の返事は「米軍の運用に関しては日本側は関与できない」という突き放したものでした。再三の反対決議もむなしく、一方的な工事通告がされます。(ヘリパッドが出来たらもうここには住めない。首長は基地反対を訴えて当選しても、複雑な経済構造を知ると時を経ずして容認に変わっていく。どこに訴えても誰も助けてくれない。自分たちの村は自分たちで守るしかない)と、この年の7月2日から、住民による座り込みが始まりました。

<8月21日、防衛施設局が工事にやってきます> 腕を組んでいく手を阻止する住民たち。飛び交う罵声。とうとうこの日は中断して施設局が帰っていきました。しかし、程ない2008年11月25日、現場での座り込みが「通行妨害」にあたるとして、国が仮処分を申請します。ゲンさん一家は、ゲンさんだけでなく妻や現場にはいったこともないまだ7歳の少女海月ちゃんまで訴えられました。2009年12月11日に15人のうち13人の処分は却下されましたが、住民の会の代表の伊佐真次さんとゲンさんには「通行妨害禁止命令」が出され、本裁判に発展してしまいました。皆は動揺します。反対運動を萎縮させる、これこそSLAPP裁判の狙いでした。「これは見せしめのようなもの。なんとしてもひっくり返したい」皆の思いでした。

<米軍ヘリには日米どちらの空港法も適用されません> 民家や学校の上空もかまわず飛び、夜間は集落のわずかな明かりを目印に旋回します。
高江は周りを訓練場に囲まれ、かっての自分の家のお墓にもいけません。訓練場と民家の間にはフェンスもなく、兵士が突然庭先に現れたこともあります。まるで標的にされているようだと感じる住民は多いのです。かってここは、米軍がベトナム村を作り、実践直前の襲撃訓練を行ったところでもありました。

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©琉球朝日放送

<1964年9月9日地元紙「人民」には>、地元の高江区民がべトナム人の役で米軍の訓練に借り出されたと記述があります。この記事を書いた元記者の知念忠二さんは「当時の米軍がひどかったのは皆知っているが、陸の孤島だった高江やジャングル戦争訓練場のある地域で米兵がやったことは、私たちの想像を超えるものだった」と証言します。
でも、それを声高に言う住民はいない。本土からは遠く、援助もない隔離された土地で、実際に道を作り助けてくれたのは米軍。あれこれ言うよりは口をつぐんで基地と共存することを選んできたのでした。

<それでも、「オスプレイ」の配備は容認できない> 住民が自分たちの暮らしを守るために、腕を組んで体で阻止しようとした時、住民を排除しようとしたのは上から命じられた地元沖縄の行政機関や警察。本当の敵ははるか後ろに下がって、沖縄住民同士が対立し争っています。

<2012年9月29日、「オスプレイ」強行配備の前夜に>、沖縄の人々の怒りが爆発しました。普天間基地のゲート前に、身を投げ出し車を並べて22時間にわたって完全封鎖したのです。真っ先に座り込んだのは、沖縄戦や米軍統治下の苦しみを知る老人たちでした。
辺野古を取材していて、次は高江だ、背後には「オスプレイ」の配備があると、直感的に分かりました。だからこちらも続けて取材していました。復帰後40年たっても、なお沖縄の苦しみは続いています。全国放送では抹殺されたニュースですが、これをこそ伝えたいと、私たち地元テレビ局が動きました。(三上知恵監督談)

この作品は、8月31日から第七芸術劇場、
9月7日から京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開。

映写室「ひろしま 石内都・遺されたものたち」上映案内

映写室「ひろしま 石内都・遺されたものたち」上映案内      
―アートで心の扉を開く―

 ぼんやり見ると、被写体が原爆の遺品というのを忘れてしまう。美しいアート写真の向こうから浮かび上がるのは、それを身につけていた人の奪われた日常だ。広島の原爆を考えさせる、新しい切り口の作品が公開中です。

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©NHK / Things Left Behind, LLC 2012

 <日本は世界で唯一の被爆国だ> 今なお爪痕が残り、世代を超えて後遺症で苦しむ人もいる。マスコミもまるでそれが義務ででもあるかのように、夏休みでテレビをつける時間が多くなったお茶の間に、原爆に絡んだニュースを届けてくる。私たちから、原爆の記憶が消えることはない。繰り返してはいけない愚考だと、誰もが思う。
 <でもそれは被爆国日本の視点だから> 驚くことにアメリカでは、未だに、リベラルな人々の間でさえ、「原爆は戦争を終息に導くのに必要だった」と言われている。パール・ハーバーの攻撃から始まった戦争は、双方が自国の愚考に蓋をして、本質を突き詰めないまま、風化されようとしている。

 <そういうアメリカの人々に>、原爆のことを知らせ、もっと考えてもらいたいというのは、リンダ・ホーグランド監督の長年の思いだった。
<監督はアメリカ人宣教師の娘>として京都に生まれ、山口や愛媛で公立の学校に通った。小学4年の時に、教師が黒板に「原爆」と書き、クラスメートが一斉に自分を見た時の震える感情は未だに忘れられないという。その場にアメリカ人は自分一人しかいない。幼い自分がたった一人でアメリカを代表して、クラスの皆に詫びなくてはいけないという心の重さ。この時の記憶はしばしば蘇り、監督にとって人生の大きな宿題となる。その思いを結実させた作品だ。

 <この作品は、巧みな2重構造になっている> 原爆そのものを追うのではなく、まずは日本を代表するカメラマン、石内都が原爆の遺品を映す様を追い、完成した写真を映し、続いて世界各地でその写真の展覧会を開くさまを追い、写真と観客の反応から、写真の向こうの原爆の悲惨さを浮かび上がらせるという巧妙で複雑なものだ。

 <長年広島を避けてきた石内都だが>、出版社からの依頼でこの地を訪れ、平和記念資料館に保存されているおびただしい遺品の、声にならない声に魂を揺すられる。以降広島に通い、平和記念資料館に届けられた遺品の中から、美しくて心に響いたものだけを映した。

 <そういう石内の姿勢に共感した監督は>、彼女と彼女の写真を追ってみようと閃く。

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©NHK / Things Left Behind, LLC 2012

「石内さんとは、私の前作<ANPO>以来の付き合いです。彼女の写真集を見て<ANPO>に出てもらって、その忘年会でこの作品のカメラマンの山崎さんに出会いました。そして、自分の長年の宿題の為に、彼女の広島の写真を追ってみたいと思ったのです。

 そして、石内さんの写真を見て素直についていったら、いつの間にかこの作品ができていました。当時の悲惨さを訴える映画はたくさん作られています。でも、そういう作品では、アメリカ人に見てもらうことは難しい。悲惨であればあるほど、皆が吾関せずと目をそむけます。原爆と今の自分たちを結びつける別の切り口が必要でした。
石内さんがよみがえらせた、美しい遺品の数々。美しいだけに、それを身につけていた人の一瞬で消し去られた日常が浮かび上がります。その日常は、今これを見ている貴方とそんなに違わない。又、原爆で一瞬に奪われた命は何万人ですが、命を落とされたのは私たちと同じ一人一人。それぞれの人生と生活が一瞬で消え去ったことに気づいて欲しいと思います。

 でも、私がこの作品で気をつけたのは、戦争が悪いとか原爆が悪いとかの、明確なメッセージを与えることではありません。もっとより多くのことを、この向こうに想像してほしいのです。
 石内さんの写真が主体ですが、後半30分は意識的に彼女の存在を消しています。この作品はアーティストを主人公にしたのではなく、彼女のアートを中心に置いたものですから。アートは素晴しい。現実を超越する力を持っています。時を止めて今も昔もなくなります。見ている人と表現されているものの時間がシンクロしますよ。又、石内さんは遺品そのものではなく、遺品の持つ魂を映しています。ある意味で現代のいたこですね。まるで石内さんが魔法をかけたかのように、遺品がそれに秘めている物語を語っています。静かな展示室がある意味で饒舌で」と、語るリンダ・ホーグランド監督だ。


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©NHK / Things Left Behind, LLC 2012


<この作品の中では>、私が始めて聞く衝撃的なことも明かされている。たとえば、原爆に関するマンハッタン計画には、アメリカだけでなくカナダとイギリスも関与していたこと。原爆に使われたウランを掘ったのは極東に住んでいたカナダの先住民で、彼らは唯一広島で原爆の謝罪をしているということ。というのも、採掘に関係した男性は20年以内に皆死んでしまった。原爆がどういうものであるかを理解し、誤らずにはおれなかったのだ。心の痛みを持つものこそ、痛みを共有できるということだろう。(犬塚芳美)

この作品は、8月3日から梅田ガーデンシネマで上映中
      9月14日から神戸アートビレッジセンター にて公開。

映写室「立候補」上映案内

映写室「立候補」上映案内  
  ―泡沫候補の思いを探る― 

 選挙シーズンも終わりました。貴方は政見放送を見ましたか? 選挙結果を見ましたか? そして、選挙速報にも載らない泡沫候補を知っていますか? 夢を諦めない藤岡利充監督が、夢を諦めない泡沫候補に感じるシンパシー。面白くてちょっと切ない泡沫候補たちを追うという、斬新な視点のエンタテインメント・ドキュメンタリーが完成しました。彼らの目的は? 本気度は? 知れば知るほど切ない物語、笑いと涙に誘います。藤岡利充監督と木野内哲也プロデューサーにお話を伺いました。

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―目から鱗が落ちました。選挙というと、当選落選のせめぎ合いにばかり目が行きますが、考えてみると、皆からぽつんと離れて、わずかの得票しかない候補者がいますね。この作品を撮ろうと思われたきっかけは?
藤岡利充監督(以下敬称略):僕ら二人は元々CM製作会社の上司と部下でした。一緒に組んで色々な仕事をしてきたのです。でも映画への夢が捨てがたくて、会社を辞めて1本映画を作りました。あまり評判がよくなく、その後山口に帰って、向こうで仕事をしていたのですが、自分の中で映画への夢がふつふつとしていました。そういう時に、泡沫候補たちに目が行きました。この人たちはものすごい夢追い人だなあと、気がついたんです。たいていの人が夢を口にしますが、その夢というのは単なる目標で、実現するものではない。でも立候補者は、単なる夢で終わらせず、夢を実現するために一歩進みだしています。平気な顔はしていても、やっぱり覚悟してはいても、落選のダメージは大きいと思うのです。それでも出続ける彼らに興味を持ちました。マック赤松さんは「静かな池に投げる一個の石」だと表現しましたが。

―この方は不思議な方ですね。ちょっとわけが分かりません。本気なのかどうか。
木野内哲也プロデューサー(以下敬称略):本人も手段と目的がわからなくなっている気がします。得票数が足りないと、供託金の300万円が没収されます。お金持ちとはいえ毎回ですからね。
―息子の健太郎さんの言葉が生きていますね。
藤岡:実はあれは後で撮れたものです。駄目だろうと思いながら、撮影をお願いしたらいいですよと。健太郎さんのインタビューを入れてしまりました。父親をクールに見ていて、一般の人の思いを代弁していますからね。

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―そのくせ、肉親ならではの情もある。こういう息子がいるからこそ、会社を任せて選挙見入れあげれるのだなあと思いました。それでも、健太郎さんが父親の心理を理解しきれないように、マック赤松さんは、私たちには謎のままです。何か突っ切った大きな思いがおありなのでしょうねえ。いちいち説明するのも面倒で、道化と思われても気にせず、スマイル党の精神を広めているのかなと。凡人には想像の範疇を超えています。
木野:正直分かりません。
―そういう思いはすべての泡沫候補者に通じます。
藤岡:ちょっと切ないところもありますが。でもこの映画を見て、一票を入れたい候補者がいなければ、自分が出ればいいと気づいて欲しいのです。そういう形で、夢を諦めずに、自分が自分の人生に立候補して欲しい。僕は映画でご飯が食べられるようになりたい。いつかはアカデミー賞を取りたいと思います。そういうことを言うと、又大きな夢ばっかり入ってといわれるけれど、無形の夢を追い求める人を、もっと称えるべきだと思って作りました。(犬塚芳美)

    この作品は、第七芸術劇場で上映中

映写室「選挙2」上映案内

映写室「選挙2」上映案内
―選挙シーズンに放つ問題作―

<日本全国、選挙シーズン>に突入しました。街を選挙カーが走り回り、街頭演説も増えています。21日に向って、ひた走る候補者たちと政党。一方で、有権者の意識は高まっているのか? 私たちの投票基準は? 

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©2013 Laboratory X,Inc.

<「選挙」で日本の選挙の特殊性>を描いて世界に認められた想田和弘監督が、同じテーマで第2段を作りました。
<正しいことを訴えれば選挙は勝てる>と信じて、街頭演説も選挙カーも、事務所も用意しなかった一人の候補者。彼の勝算は当たるかどうか? 時は2011年4月1日の川崎市議会選挙、主人公は「選挙」と同じ、「山さん」こと、山田和彦さんで、選挙区も一緒です。この作品が投げかける素朴な疑問が、21日にどう生きてくるのか。

<「山さん」は>、05年の川崎市議会補欠選挙で、小泉自民党の落下傘候補となり、組織に助けられた徹底したどぶ板選挙で当選しました。ところが、07年の統一地方選挙では、自民党の公認を得られず、立候補を断念。この4年間、主夫として子育てに従事し、政治からは遠ざかっていたのです。
<その「山さん」が>、なぜ、もう一度選挙に出ようと思ったのか? それは「脱原発」への思いでした。この頃の日本は、3:11の東北大震災の直後で、加えての原発事故です。誰もが放射能汚染におびえ、全村避難をするところが出たり、立ち入り禁止区域が広がったり、海外の方には母国から引き上げ勧告が出たりもしました。列島は混迷を極めて、統一地方選挙すら、実施が危ぶまれていた頃です。ガイガーカウンターが品切れになるほど売れたことを思い出してください。東北からは離れていても、関東のこの選挙区も、放射能汚染におびえていました。

<ところが、そういう時期の選挙だというのに>、この選挙区では誰も原発問題を争点にしない。今までと同じような選挙風景が広がっています。小さい息子を育てる「山さん」は、それが解せなく許せません。今こそ、「脱原発」を目指さなくては、この国はどうなる! どうしてこんな当たり前の事を誰も言わないのか? だったら僕が出て、それを訴えよう。立候補動機は至極まっとうなものでした。
<しかし、「山さん」には苦い思い出があります> 05年の、わけが分からないままに当選した、政党主導の選挙です。(あれは一体何だったのか? どうしてあれだけお金が要ったのか?) これほど明確な動機があれば、あの時の様な手法を使わなくても当選できると、「山さん」が思ったとしても、不思議はありません。

<ポスターは映画「選挙」のポスターを利用した>デジカメ作品で一枚120円。そこに自分の思いを細かい字でびっしりと書き込みます。妻はそれを見て、「泡沫候補と思われないかしら? でも、元市議会議員というのが光るかも?」と、有権者の反応を諮りかねます。完全無所属なので、葉書で投票をお願いするのも、妻や支援者との手分け作業。選挙の総費用は8万4720円でした。
<街頭演説もスローガンの連呼もしない「山さん」ですが>、最終日には放射線防御服を模した白装束で「子どもにツケをまわさない!!」とのぼりを立てて演説します。
さあ結果は?

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©2013 Laboratory X,Inc.

<想田和弘監督は「選挙」で>観察映画という手法を確立させました。壁にハエのように止まって、じっと周りを観察するが信条でしたが、あの映画の成功が、監督の存在を大きくしてしまったようです。もう誰もが「選挙」の想田監督を無視してくれません。カメラを意識する候補者、警戒する候補者とさまざまながら、撮影は、自分が現れることで起こる風、皆のアクションの変化、それを利用してのものになっています。映画手法も変わりつつある想田監督、日本列島の選挙シーズンにぶつけての問題提起となりました。

<これは又、想田監督独自の切り口の>、東日本大震災の映画でもあります。
「映画素材は撮ったものの、僕は長い間、それを編集したいという意欲がわかなかった。撮ったことすら記憶から薄れていました。ところが、去年の12月、衆議院選挙で阿部普三率いる自由民主党が圧勝しました。まだ原発事故は収束していないのにです。1年半前に撮った映像を見ながら、(ああ、あの時に見たものはこういうことだったのか)と納得し、編集へとひらめくものがありました。上手く言葉には出来ないけれど、この作品には日本の何かが映っていると思います」(犬塚芳美)

この作品は、7月6日より第七芸術劇場で上映中。
7月20日から神戸アートビレッジセンター、
順次京都シネマ にて公開。

映写室「100年の谺-大逆事件は生きている―」上映案内

映写室「100年の谺-大逆事件は生きている―」上映案内  
―日本の近代史を汚す、思想弾圧事件― 

<冒頭から心臓を掴まれた> 灯りに透かせば浮かび上がる「―私他三名近日処刑ノ―宣告ヲ受クベシ幸徳ノ為ニ弁護士ノ御世話ヲ切ニ願フ」という文字。大逆事件で処刑された内の一人、菅野須賀子が、獄中からひそかに託した針文字の手紙だ。平成のお気楽な今から、一気に時代が巻き戻された。こ只事ではない空気感が伝わってくる。

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 <大逆事件とは>、1911年(明治44年)に、皇室に対する大逆罪に問われ、絞首刑12名、無期懲役12名を出した事件だ。当時から冤罪が囁かれたが、その後の研究で、大逆罪に名を借りた社会主義者、無政府主義者への弾圧であり、国家によるフレームアップ事件だったと明らかになる。

 <この作品が位置づける>「大逆事件」とはこうだ。日露戦争への世論が高まる中、勤めていた新聞社が主戦論に転じたことで、幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三は、非戦論を掲げて退社する。そして「平民新聞」を発行した。日露戦争後、労働運動が活発化し、日本各地に幸徳たちに共鳴した新聞が生まれた。こうした動きに危機感を持った時の政府は、激しく弾圧。活動家には尾行がつき、平民新聞を始め、各地の新聞は次々と廃刊に追い込まれた。
 <ちょうどその頃、信州の職工・宮下太吉は>、神と崇められている天皇も、爆弾などで傷つけば、赤い血が流れて同じ人間なのが証明できると考え、爆弾の実験をした。菅野須賀子とは、具体性のない暗殺計画も話している。こうした中で、各地の社会主義者が大勢検挙され、無理やり大逆事件に関係つけられて、断罪されていく。その悲劇は被告にとどまらず、親類縁者にまで及んだ。
そのまま戦争に突き進んだ日本、そして敗戦。新憲法が出来、幸徳たちの夢が実現したが、処刑された人々の名誉回復は、遅々として進まない。

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 <幸徳秋水の名前は知っていた> 確か、住井すえの小説「橋のない川」の中に出てきたと思う。部落差別に苦しむ少年には、身分制度の頂点に立つ天皇も、赤い血が流れている同じ人間だという思想は、どんなに新鮮に映ったことだろう。

 <この作品は、犠牲者の中の紅一点>、菅野須賀子を中心に纏めている。故藤田治子さんが、文化事業のために遺された志を受け継いで製作さられたものだ。事件から100年、国家と人権の問題は新たな局面を向かえ、同じ過ちを繰り返さない為にも、この事件の意味が問われる時代になった。筆者としては、この時代に大局に流されず、人生をかけてみんなの暮らしの向上を考えた女性がいたこと、処刑に際し、我が身よりも、巻き添えになった多くの同士を案じた菅野須賀子に、畏敬の念を覚える。多分それは、藤田治子さんが感じたことでもあるのだろう。(犬塚芳美)

この作品は、十三のシアターセブン(06-4862-7733)で上映中
          31日(金)までは、13:30~
          6月1日(土)より~6月7日(金)は、11:00~

映写室「先祖になる」上映案内

映写室「先祖になる」上映案内
―岩手県陸前高田市のもう一つの物語― 

 中国残留日本兵の悲劇を描いて大ヒットした「蟻の兵隊」の池谷薫監督が、震災から一月後の陸前高田市を舞台に、もう一人の魅力的な老人にスポットを当てました。前作に続いて、私達はそこに、頑固で筋の通った一人の男の生き様を見せ付けられます。まさに、ディスカバージャパン! いつも間にか映画は、震災を超えて、一人の人間の生き様を追うのでした。

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 <陸前高田市は>、津波が押し寄せる市庁舎で、最後まで避難勧告を放送し続けた若い女性職員の物語で有名になったところです。テレビでも当時多くの映像が放映されたし、毎日放送のドキュメンタリー映画、「生き抜く」もここが舞台でした。

 <そして、この作品が映すのは>、同じ町ながらもっと山沿いの集落。主人公は農林業を営み、仲間から“親分“と慕われる、80歳を目前とした佐藤直志さんです。直志さんの家も2階の床まで浸水しました。でも倒れることは無かった。気仙大工の力だと直志は誇ります。しかし、消防団員の長男は、老婆を背負ったまま津波に飲み込まれました。

 <最初は息子さんの遺体の捜索>が目的だったのでしょう。皆が避難所に行く中、奥さんとお嫁さんの3人で、不便な自宅に住み続けた直志さん。市役所の職員が、避難所に行こうと誘いに来ても動く事はありません。避難所では炊き出しがあります。ずいぶん楽なのに、薪を拾って、塩水に使った米を川で洗い、煮炊きしながら「あんなところに行くと貰い癖ができる。ここに残って自分の力で生きる」と言うのです。きこりなので、今までも山に篭ればいつも自給自足。人間は水と火と木があれば、何とか生きていけるという自説を、実践するような暮らしでした。

 <時は移り>、妻も嫁も仮設住宅に移りますが、直志さんは一人瓦礫の中の一軒家に住み続けます。毎日仏壇に供えるお茶と祈り。そして、決心する。もう一度ここに家を建てよう。皆がいつの日かこの町に戻ってくるよう、自分が先陣を切ろうと。

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 <直志さんは山に入っては>、この木はあそこに、この木はあそこの柱にと、木の特質を見ては決めていく。その姿はまるで後を託す若者に、技術を教える過程のようでもありました。
復興は遅々として進みません。役所と掛け合い、しぶしぶながら建築を承諾させ、やがて、まだ回り中が震災の跡地の中で、木の香も新しい家が完成しました。この家でも毎朝、淡々とご先祖様にお茶を備える直志さん。津波で家を流されても、この老人の生き方は以前のままでした。
「家が流されたら又建てればいい。この地で自分たちは先祖になる」とは、なんと淡々とした、しかし覚悟のある言葉でしょう。

 <昔、福島に住んだことのある池谷監督は>、震災後に何かをせずには居れず、支援物質を運びます。そこで運命的に出会ったのが佐藤直志さんでした。一目で惹かれ、映画監督の自分に出来るのはカメラを回すことではないかと気づき、直志さんを追いかけ始めたのです。
直志さんも又、この生き様を見よという風に、池谷監督に自身をさらし続けます。きこりとしての技術の伝承の意味もあったのかもしれません。枯れながら色っぽい直志さん、癌に侵されている80歳近くのこの老人には、私利私欲は見えない。飄々とこの地の先祖になる覚悟を示し、後に続く若者の心を揺さぶるのです。

 <池谷監督は>、「僕はドキュメンタリーといっても仕掛けていくタイプだけれど、今回はそういう気になれなかった。被災地でそういうことが許されないというのもあるけれど、それ以上に佐藤さんが僕の予想を超えていたのです。よくこういう人に巡り会えたなあと色々な人から言われるけれど、長い間こういう仕事をやっていると勘が働く。僕の作家性でもあるし、出会わされたのかもしれません。支援物質を届けた時、今度お花見をやると聞かされて、こういう時でも、そういう毎年の楽しみを続ける人たちに興味を持って参加したら、佐藤さんがいました。又、佐藤さんを支える一世代下の菅野さんとも巡り会ったんです。二人に出会ってすぐ、この人たちを撮りたいと思いました。

 <佐藤さんは被害者ではなく>、生活者の俺を撮れという風に、自分の行動の予定を教えてくれました。佐藤さんの中には、私たちが無くした何かがあります。懐かしさを覚えるのはなぜだろうと思いながらカメラを回しました。この地の先祖代々の営みが生きる知恵となって、こういう状況でも立ち向かえる佐藤さんたちを作ったのでしょう。

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 <自宅の再建に使った木は全て杉で>、塩水に浸かったため、もう切り倒すしかなく、用途もチップスにしかならないといわれたものです。でも佐藤さんは、長年の経験から、いや、まだこの木は建材として使えると感じた。それを実践したかったのもあるのでしょう。きこりとして木の命を全うさせたかったんだと思います。根元にまたがって木のねじれを見ながらどこに使うか決めていく。そういうのを若い人たちが食い入るように見ていました。年代の離れた両者に、もともとここまでの結束があったのかどうかはわかりませんが、きっかけはお祭りでした。例年通りお祭りをやろうということになり、木の切り出しや藤の枝の細工で、若い人が佐藤さんの知恵を目のあたりにします。地元の組織が消えていく中、佐藤さんの思いが乗り移ったかのように地域の再生を口に出す若者たち、感動的でした。

 <そうは言っても>子供の学校の問題等があって、若い世代がすぐにここに帰ってくるのは難しい。この後で、菅野さんも家を建てたりと、数軒が再建されましたが、まだこの地域はがらんとしています。町の再興には、文字通り「先祖になる」覚悟の長い時間が必要かと思います。それでもも、佐藤さんも菅野さんも淡々と諦めないんだろうなあ。この地域は昔から出稼ぎの村で、田舎ながら進取の気質に富んだ特別な人々の集団だったのだそうです。そういうこの土地の伝統の力もあるんでしょうねえ」(聞き手:犬塚芳美)

*この作品は、第37回香港国際映画祭・ドキュメンタリー・コンベティション部門で、最高賞のファイアーバード賞を受賞しました。 

 4月6日より、第七芸術劇場、京都シネマで上映中、
  5月4日から元町映画館で上映。

映写室「僕のうしろに道はできる」上映案内

映写室「僕のうしろに道はできる」上映案内 
 ―宮ぷーとかっこちゃんと、岩崎靖子監督の伝えたいこと― 

<脳幹出血で倒れ>、一生植物状態だろうと言われながら、奇跡的な回復をした方の、ドキュメンタリーが公開になります。
宮ぷーこと宮田俊也さんは、ある日突然脳幹出血で倒れます。一命は取り留めたものの、まったく体の動かない、閉じこもり症候群になりました。
医師からは一生植物状態で、体を動かすことも話すこともないだろうと言われます。でも、元同僚で、彼に色々助けてもらってきた山元加津子(かっこちゃん)さんだけは諦めない。宮ぷーを治したいと、毎日仕事の帰りに病院に立ち寄り、献身的な介護を始めました。

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<そういう話を聞いた>、「1/4の奇跡~本当のことだから~」のプロデュースコーチ、岩崎靖子さんは、友人・かっこちゃんに今大変なことが起こっている、記録しなくてはと、すぐに撮影を依頼し、自分も通い始めました。
かっこちゃんは、こんな状態でも宮ぷーにはきっと思いや意志があるはずだと想像し、彼の内面を探ろうとします。それは、養護学校教員として自分自身が今まで感じてきたことでもありました。

<反応の無い宮ぷーに言葉をかけ続け>、必ず一度は抱きしめ、手足の屈伸やマッサージを続けます。ある日、ほんの僅かな瞼の動きで宮ぷーは意志を示しました。ここからは薄氷をはぐように回復に向かっていきます。首が動いた時は、奇跡の予感がしたのではないでしょうか。

<この作品は多くのメッセージを含んでいます>まず看病の工夫が凄いのです。体中が麻痺しているため、何かを口に入れると、誤飲して肺に入って、肺炎を起こしそのまま命を落とす危険性があります。布にくるんだチョコレートを口に入れてもらい、そこから滲み出るものを味わい、眠る時には片手にチョコレートの箱を持ち、夢の中で食べるという宮ぷー。現実でも味わえるようになりたいと、飲み込む練習を繰り返し行います。そして、動かない筋肉に呼びかけるようなマッサージ等。
そういう日々を経て、車椅子で散歩ができ、物が食べれて、特殊な機械を使って会話ができるようになるまでを、カメラはかっこちゃんに寄り添うように映していきます。

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<まだICUにいる頃の>、ここまでプライベートな映像が撮れたのは、監督とかっこちゃんとの関係性があればこそ。そして、養護学級の教師として、長年皆に啓蒙活動を続けてきたかっこちゃんと、当事者・宮田俊也さんの、ここからでも治ることを皆に知って欲しいという、身を徹した強い意志でした。
初期の宮ぷーの状況は、以前に評判になったフランス映画「潜水服は蝶の夢を見る」と同じです。こちらは当事者の側から見た外の世界を、映像化したものでしたが、ドキュメンタリーの本作は、閉じこもり症候群の宮ぷーの外観、気管切開をし、体のあちこちにチューブをつけて、まさにスパゲッティシンドロームで、ベッドに横たわっているだけの存在として映します。

<去年、「破損した脳、感じる心―高次脳機能障害のリハビリ家族学」>を上梓した私は、宮ぷーと連れ合いが重なりました。彼の奇跡的な回復も、こういう綱渡りを経てです。活発に活動していた人気者の高校生が、事故で宮ぷーと同じようになる話も紹介されましたが、そういう全てを見て、(ここにも「まさかの坂」はあったんだなあ)と、それも強く実感しました。

<この作品を見ても>、多くの方は、まだ、こういう事が我が身に起こるとは思わないかもしれません。でも、まさかの坂の前では誰もが特別な存在ではない。宮ぷーも、高校生も、そして私の連れ合いも、人生を楽しんでいる最中にこういう事態に陥ったのです。
これは映画のメッセージとは違いますが、この作品から、こういう脳疾患が誰にでも起こる可能性があること、起こったときに迅速に最適な対応が取れるのは、予備知識があってこそなのだと、多くの方に知って欲しいと思います。

<勿論、こういっている私>とて例外ではありません。前回は介護の当事者でしたが、自分自身が患者になる可能性もあります。それも忘れないでいたい。
そして、起こったときには、諦めないで欲しい。当の本人は何もわからないだけで、何一つ諦めてはいません。事態の深刻さに、当人を置き去りにして早々に諦めるのが、医療従事者や家族です。諦めずに、少しでも回復につながる方法をとって欲しいと切に思います。
<そして、それは早ければ早いほどいい>そういう知識は、「まさかの坂」に遭遇した時に身につけようと思ってももう遅いのです。その時は動転するだけで、実際に新聞の見出しの大きな活字すら目に入りませんでした。平常時に、見たり聞いたりして、頭の片隅に残っているからこそ、非常時にそれを活用することができます。

<損傷した場所等の関係で>、一概には言えませんが、私の周りには、もっともっと奇跡を起こした方が一杯います。私もそうでしたが、他のすべてを捨て、本当に付きっ切りで介護している家族をたくさんみました。この作品やそれらを見て思うのは、患者の側に、誰か一人、絶対に諦めない人がいた場合のみ、奇跡は起こるということです。最初の間は、当人には頑張る能力も意志もありません。本人が自分の力で頑張れるところまでは、周りが必死で押し上げる以外方法が無いのです。

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<映画の中に>「現状を見るのが辛くて、まっすぐ病室に行けない。駐車場で、コーヒーを飲んでから、おもむろに行く」と自分を責める方がいて、多くの方が励ましておられました。たまにはそれも良いけれど、過酷なようでも、私は「そのコーヒーをベッドサイドで飲めば?」と言いたい。こういうささやかなことがどれほどの刺激になるか!この時期の家族の頑張りが、後に大きく影響してきます。人手の限られた医療機関に望んでも無理。そこまで出来るのは、やはり運命共同体の家族だからです。自分の為だと思って、後で挽回できるものはすべて後に回して、とにかく側にいてあげてと、言いたいと思います。

<この作品は>、かっこちゃんにかなり比重が置かれていますが、裏側には今の医療制度の問題点、世間の眼差し等多くの問題も含まれています。もちろん一番知って欲しいのは、喋れなくても頭の中は以前どおり、いや、感覚を集中して、依然以上に鋭敏になっているだろう宮ぷーの知性です。あの場面で、高村光太郎の道程の一説を「(僕の前に道は無い)僕のうしろに道はできる」と伝え、ユーモアも加えた知性、自分のすべてを晒しても、奇跡が起こることを伝えたいという思い、勝手に周りで諦めないでという思いを、私も全霊で受け止めたいと思います。(犬塚芳美)

この作品は3月23日から十三、シアターセブンで上映。
時間等は劇場(06-4862-7733)まで。
*なお、3月24日、4月5日の各上映後に岩崎靖子監督の舞台挨拶があります。

*3月9日(土)は東京北沢タウンホールで12:30~より、3月20日(水・祝)は、大阪中央公会堂で13:00~より、イベントを含んだ上映会があります。

映写室「長良川ド根性」上映案内:東海テレビ・ドキュメンタリー劇場第四幕

映写室「長良川ド根性」上映案内:東海テレビ・ドキュメンタリー劇場第四幕 
    -流れてこそ、川?-

<冒頭から、シュールな映像に驚く> まるで宇宙基地ででもあるかのような、巨大な金属製のキノコの羅列。しかし、周りに広がるのは洋々と流れる川だし、俯瞰すると沿岸には豊かな緑が広がっている。この人造物が、のどかな風景の中に平然と並んでいる不思議さ。ここはどこ?と目を凝らすと、この川が日本の中部地方を流れる長良川だと教えられる。きのこの群れは、「長良川河口堰」だった。

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©東海テレビ放送

<古来より長良川は>、日本でも有数の豊かな漁場だった。沿岸には、上流、中流、下流と、それを生りあいとする多くの漁師が住んでいた。そこに押し寄せた高度成長と近代化の理論。ここは沿岸に中部工業地帯も抱えているのだ。地元住民をさえ、賛成派と反対派に2分し、総工費1500億円をかけ、全長661メートルにも及んで作られたこれが、今、開門と閉門の続行の間で揺れている。

<元々の目的は利水で>、中部工業地帯への水の供給だった。さらに上流の治水の目的もあって、川底を掘って深くしよう。そうすると、低くなった上流に向かって海水が逆流を始める。周辺の農地に塩害が出るかも解らない。だったら河口に堰を造ろうという、自然に手を加えてとどまるところを知らない、遠大な計画が動き出す。途中で賛否両論起こったが、一度動き出した巨大プロジェクトはとまらない。川の形態を変え、多くの漁師の仕事をなくすることを予想しながら、経済発展の旗印のもと出来上がってしまった。

<川の形態変化は、予想以上に進んだ> いや、誰もが予想しながら、見ない振りをしてきた現実が、襲ってきただけかもしれない。魚や貝が捕れなくなり、多くの漁師が廃業していった。
長良川はその前から、農地確保の為に干潟を埋め立てたりと、自然に手が加えられてきた。蜆の大切な魚場だった干潟を埋め立て作った農地は、いまだに手がつけられないままで、雑草が茂っている。米の自給が大きな目標だったのに、完成した頃には米あまりになっていた。
<日本は今や、環境問題が>民意の主流だ。2010年、堰が出来て16年後に、愛知県知事選挙に出馬した大村秀章氏は、環境の悪化につながっていると、河口堰の開門調査を公約にあげた。正しいことのように思うが、軽々にそう言われると、かって命がけで反対した者には、之も又、なんともやりきれない。

<胸を締め付けられる言葉と映像がある> 開門、閉門続行を問う討論の途中で、席を立ってしまう一人の老人の姿だ。一徹なこの人は、この堰の建設に最後まで反対し、皆から、中部地方の発展を邪魔していると批判され、挙句には周りから保証金の吊り上げを狙っているとまで言われた、桑名市の赤須賀漁協組合長の秋田清音さんだった。「桑名といえば焼き蛤、どこに行ってもそう言われる。それを捕っているのが自分たちの誇りだった」という秋田さんは、反対に力尽きた後は、堰があるのを前提に、それでもこの地で漁業を続けようと、模索し続けてきた。

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©東海テレビ放送


 <壊滅的になった蛤の養殖>、捕獲制限での資源保護、干潟の作成等、独自の工夫を重ね、家庭を顧みずに寝食を忘れて守った桑名の蛤。何とか盛り返してきたところへ、この問題提起。環境問題という、新しい民意の流れだった。
 「今頃になって、正直ほっといてくれや。わからん人にあれやこれや言うて欲しくない」という言葉に、ドキッとする人は多いだろう。「辛くても(水の供給で皆の役に立っている)と言い聞かせて納得してきたのに、今更堰が役に立ってはいないと言われたら、長年の苦しみや憤りをどこにもって行けばいいのか」という言葉の重さ。誰もが言葉を無くする。

 <最初に見せられた豊かな自然とシュールな人造物>、両者が並ぶこの不思議さこそが、近代日本が抱えている矛盾だった。そういう現実を、たった一人ぶれずに受け止め、しかも諦めずに、生き残る道を模索し続けてきた秋田さん。
<この作品を作った東海テレビ>の阿武野プロデューサーと、共同監督の片木武志監督は、この素敵に頑固な組合長に、「長良川ド根性」と敬意を込めて進呈する。そして、頑固な秋田さんの心をほぐし、ここまで取材できたのは、建設当時の自局の先輩方の、友好的な密着取材があったからと、かっての自局のド根性にも思いを馳せる。社会問題を鋭く提示し続ける東海テレビの姿勢を追う者としては、表題が、制作者たちの、秋田さんや先輩たちのような「ド根性」を、自分たちも無くさないぞと言う、決意のようにも思うのだ。

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©東海テレビ放送

<この作品が問いかけるのは>、この地域の問題にとどまらない。その時々の事情で、地元の暮らしを振り回してきた、政治や私たちの姿勢だ。続行、中止と、時流で政治判断がころころ変わる公共建造物はあとを絶たない。八ツ場ダムが典型的な例だ。
「その時代時代で、政治や行政は簡単にぶれないで欲しい。だけど間違うこともある。間違った時は、ぶれるのを恐れて、誤りを正すのを恐れることもしないで欲しい。ぶれるのは困るけれど、ぶれざるを得ないこともある。そのときの謝り方、対処の仕方に誠意が無くてはいけない。秋田さんが言いたいのはそれだと思う」と、制作者たちは声を揃えた。

 <ちなみに、堰には不似合いな>、ここの堰のきのこ状の形は、水滴をイメージして作られたのだそうだ。この形から、単に利水や治水だけではない。之でこの地を変えるという、当時の行政や制作者の、自然に挑むような、よく言えば意欲、悪く言えば思い上がりを感じるのは、私だけだろうか。それにしても巨大なお金をかけたものだと驚く。(犬塚芳美)

 この作品は、第七芸術劇場で上映中。時間等は劇場まで(06-6302-2073) 

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