太秦からの映画便り

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映写室 追悼・若松孝二監督の思い出

映写室 追悼・若松孝二監督の思い出 
―サングラスに隠したシャイな瞳―

 <この春>「海燕ホテル・ブルー」と「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」という新作を引っさげて、関西キャンペーンにいらした若松孝二監督。着込んで体の一部になったようなジーンとスニーカー、ヨレッとしたシャツにベストを重ね、襟元には無造作にマフラーを巻き込み、好奇心旺盛なきょろきょろ動く瞳を隠すような黒いサングラスだった。以前の取材でもそんなスタイルが写っているから、多分監督の定番ファッションなのだろう。寒くなるとそこに革ジャンが加わる。そういう姿が目を閉じると自然に浮かんでくる。全身で若松孝二を体現している監督だった。
 <この日は主演男優を加えて>の合同会見だった。台上まで少し距離があり、それぞれへの遠慮もあって、直ぐには皆から質問が出ない。そんな様子を見た監督が、丸っこい体でニコニコ取材陣を見回し、さあ何処からでもかかってこいと言うように、作風とはまるで違う人懐っこい雰囲気をかもし出してくださる。隣の男優さんが緊張しているのとは対照的だ。

 <以前、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」>のキャンペーンの後、監督を囲む飲み会に出た時も、同じような感じだった。始めてこんな席でご一緒する私にも、まるで旧知の間柄のような打ち解けた顔を向けてくださった。狭いテーブルを挟んだ皆との雑談がことのほか嬉しいようで、この映画の資金集めの苦労、お嬢さんからも借りたこと、「無一文になっても、色々な人が“お酒くらい飲ましてやる”というから、それでいいよ」と、自分の別荘まで撮影で爆破した捨て身の状態を、話された。監督はいつも自然体、脱力の人だ。場所や相手によって態度が変わることはない。これこそが反体制、反権力の本来の姿で、監督の作風にもなっていると思う。

 <ピンク映画と強面で一世を風靡した若松監督は>、私には遠い世界だった。ピンクを隠れ蓑に、どんなメッセージを忍び込ませていようと、男子の世界には違いがなく、敬遠していたのだ。
だから私が始めてみた若松作品は「17歳の風景 少年は何を見たのか」だった。大好きな母親を金属バッドで殴り殺して、自転車で北国を目指した少年の物語だ。発生当時マスコミをにぎわした事件も、次第に風化していったが、私はなぜかこの事件を忘れられなかった。事件の根底や少年の孤独に、現代社会の閉塞感だけでなく、私の中に潜む何かを嗅ぎ取っていたような気がする。

 <そんな題材を>、あの若松孝二が撮ったのかと、驚きと好奇心で見て以来のファンだ。いまだに私の一番好きな若松作品で、少年の孤独と絶望、心の中にぽっかりとあいた空洞、少年を追い詰めた社会の残酷さが、ひしひしと伝わってきた。この時監督は67歳だ。偉大な監督に失礼な感想だけれど、67歳で思春期の感情をここまでリアルに描ける監督がどれほどいるだろう。監督の中に永遠の少年がいるとしか思えない。

 <その後から、快進撃が始まる> 大ヒットした「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」、「キャタビラー」と続いて、「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」では、「実録・・・」とは対照的な、右よりの、しかし同時代の、国を憂う若者の事件を描いた。
 <ピンク映画の中に>自分の社会的なメッセージをこめてきた監督が、やっと、正面切って、自分のメッセージを押し出せる土壌を得たのだ。しかし、「キャタビラー」は別として、歴史的な事件を題材にした後の2作品には、監督の思いを曖昧なままにしている。分からないことは分からないままに提示して、後は観客に任せる手法。無理やり結論を導こうとしない思い切りの良さも作風といえる。それをずるいと思ったこともあるが、若松監督の目的はそういう事件を解説することではなく、そういう事件に駆り立てられた若者自身、若者の焦燥感を描くことなのだろう。そこにこそ共感していたのだと、今気が付いた。
「彼らは何が目的だったのでしょう?」、「三島は本気だったのでしょうか?」という質問に、「色々考えたけど分からなかったねえ」と、答えてくださった。目的を見失いながらも、死に急ぐように生きた若者たち。若者が私利私欲もなく、純粋な目で未来を見据え、何とか世の中をよくしようと世の中を憂う。そういう若者に、監督は若い頃の自分自身を見ていた気がする。

 <ところで>、この時の話で印象深いのは「実は体のあちこちが悪いんですよ。癌になって何回も切っているしね。撮影中は気力で乗り切るけど、もう体はがたがたでねえ。この撮影中にも実は一度倒れている。でもまだまだ死ぬわけにはいかない。撮りたいものがあるからなあ。この歳になると、食べるものにも大して興味がないし、一番やりたいことが映画を撮ることなんだ。こんな楽しいことってないよ。こう見えて僕は案外人見知りだから、次の作品も今まで出会った、気心の知れた人たちと作りたい」という監督の隣で、「監督の現場は辛い。役者をどんどん追い詰めていく。極限で出てくるものを要求する演出法です。1作終わったらもうくたくたで、今はまだ次のことまで考えられない」と困惑した主演俳優。

 <あっけない最期で>永遠にその機会をなくした今、誰もが極限を求められた監督の現場を渇望しているだろう。でも若松監督に長患いは似合わない。この最期も、らしいのだ。意識不明のまま亡くなられたとのことだが、我が家の夫のように、頭を打ったのだろうか。少ししたらリハビリの参考に「破損した脳、感じる心」を送ろうと思っていたのだけれど、それもかなわなかった。しきりに監督を思い出す秋の夜長です。(犬塚芳美)
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映写室「天心の譜(調べ)」細川佳代子さん舞台挨拶

映写室「天心の譜(調べ)」細川佳代子さん舞台挨拶   
>―コバケンとその仲間たちのオーケストラが迎えた、知的障害者たち―

 <INCLUSION(イルクルージョン 包み込む)社会>の創造を目指す、元総理夫人・細川佳代子さんが、映画製作の第5弾として、世界的な指揮者・小林研一郎さんとその仲間たちのオーケストラが、知的障害者を演奏者として加えたコンサートを開くさまを、ドキュメンタリー映画で作りました。

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 <細川さんとコバケンとの出会いは>、細川さん悲願のスペシャルオリンピック(知的障害者のオリンピック)を、2005年に日本で開いたときでした。アジアで始めてのこのオリンピックに、頼んでもいないコバケンが現れ、無償で仲間を引き連れて演奏をしてくれたのです。静かな賛同者の出現でした。
悲願だったスペシャルオリンピックは開催できたものの、まだまだ国内の知的障害者への偏見は大きい。イルクルージョン社会を知ってもらおうと映画製作を始め、孤軍奮闘する細川さんを助けようと、再びコバケンが動きました。

 <2010年に古希を迎えた小林研一郎さんは>、音楽仲間たちに呼びかけ、障害のある31名の演奏者を加えたコンサートを開催します。プロの中で生き生きと演奏する彼らの、真剣で誇らしい顔、顔。映像の45パーセントは、同じく知的障害のある9人の撮影隊“ビリーブクルー”が映したものです。本来なら許されない角度からの映像は、コバケンが彼らとの心のふれあいを大切にして、特別に立ち入りを許可されたからこそのもの。

 <「どんなに医学が進歩しても>、人間が生まれ続く限り、人口の2パーセント前後は知的障害のある子どもが生まれてくる。それは人間にとって一番大事な“優しさ”や“思いやり”を教えるために、神様が私たちに与えてくださった、神様からの贈り物だからです」と言う言葉を聞いて、私の人生はひっくり返ったと言う、細川さん。「知的障害者を“可哀想で不幸な人たち”と哀れみの目で見ていた私は、彼らのよき理解者、支援者になりたいと、心の底から思いました」と繰り返す言葉通り、イルクルージョン社会の実現を目指して、日本中を飛び回る生活を続けている。

映写室 映画ニュース 寺島しのぶさんに渡されたトロフィー

映写室 映画ニュース 寺島しのぶさんに渡されたトロフィー    
 ―若松作品で、ベルリン映画祭最優秀女優賞―

 <日本映画界に届いたビッグニュース>、第60回ベルリン映画祭で「キャタピラー」(若松孝二監督)の演技により最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞した寺島しのぶさんに、お預けだったトロフィーが届いた。舞台の移動日を利用して弾丸で映画祭には参加したものの、結果も見ないで帰ってきたのだという。寺島さんのかわりにベルリンでトロフィーを受け取ったのは若松監督、日本まで運んだのは共演者の大西信満さんだった。
 <そんな二人が東京から駆けつけ>、大阪の舞台の終了後、壇上で手渡した。「血は立ったまま眠っている」を観た1000人の観客からも満場の拍手で祝福され、寺島さんは高々と上げたトロフィーにキスしながら「こんな素敵なシチュエーションはないなと、感激しています」と晴れやかな笑顔をみせる。

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(2月27日 大阪 シアターBRABAロビーにて)

 <受賞の感想を聞かれて>、「重いです。色々な重みが詰まっているなと、改めて感じています。このトロフィーは『キャタピラー』のチーム全員で貰ったもの。皆で一生懸命作った作品を、こんな風に評価していただき、本当に嬉しいです。私にとっては一生の宝物になりました。これをきっかけに、一人でも多くの方に観て頂きたいと思います。東京に帰ったらまず家族に見せたいですね。父(尾上菊五郎さん、母親は俳優の富司純子さん)からはまだ何も言って貰ってないけれど、これを見せたら、よかったね位は、言ってくれるんじゃあないかと思います」

 <監督は>「諦めていたので賞を取れた時は嬉しかったですよ。本当はもっと大きなトロフィー(金熊賞)が欲しかったが、これも嬉しい。いやあ、トロフィーは思ったより重かったね」と。
大西さんは「やっぱりずしりと重いですね。ベルリンから運ぶのも責任が重くて緊張しました。空港のセキュリティーを通る時、普通だったら厳しいのに、トロフィーと気づくとフリーパスで、皆がブラボーと祝ってくれる。凄いことなんだなあと、この賞の大きさを実感しました。僕は心ある肉の塊として現場にいただけ。声にならない思いを伝える役が寺島さんで、だからこの作品に最優秀女優賞というのは当然だと思います」

 <大変だった事について>、「監督は早撮りで14日間の予定が12日で撮ったほど。雰囲気作りで追い込んで行き、私たちを絶対緩めさせない。緊張の連続で大変だったが、テンションの高い役だから休みがなかったのがよかったかもしれません。卵をぶつけるシーンなど、役に入り込んでるから本気でやって、大西さんが痛いって思わず言ってしまうほどでした。2人ともそれほど入っていて、生傷が絶えなかったですね。この映画は監督の作りたいと言う一途な思いで実現した、低予算の小さな作品です。監督の情熱が伝わるから、スタッフは過酷な状況でも文句を言わない。他の現場と違い1人の人が色々な役目をこなしていて感動しました。映画は色々な作り方があるけれど、こんな風な現場が好きです。国が援助してそんな監督にもっと一杯映画を撮らせて上げて欲しい。私もそういう映画に出たい。又、そんな風にして出来た映画を、これを機会に多くの方が知ってくださり、大勢の方に見ていただけたらと思います」

 <監督は>「大変な事と言っても、僕は作る方で、不条理な事を押し付けるのが仕事。無理難題を言われて、皆さん若松が憎いと思ったんじゃあないかなあ。それでも必死になって作った作品なんですよ。戦争の悲惨さを知って欲しいと思って作りました。本当は終戦記念日を初日にしたかったが、劇場のスケジュール上8月14日から公開です。一人でも多くの人に観て欲しくて、入場料は1人1000円でとお願いしている。日本の映画料金は高すぎますからね。低迷中の映画業界はこのままじゃあ大変な事になる。これできっかけが出来れば良いなと」

 <ベルリン国際映画祭は>、カンヌ、ヴェネチアと並ぶ世界的な映画祭で、社会派の作品が集まる事が多い。今年は第60回目にあたるが、日本人が銀熊賞を取ったのは、左幸子さんと田中絹代さんに続いて3人目だ。寺島さんは、丁度バンクーバーで銀メダルを取った浅田真央ちゃんに絡んで問われると、「真央ちゃんなんて気安く呼べないほどの偉業をされた方で、潔く負けを認める姿が凄いと思った。そこから又新たに出発していけるわけですから。私は傷口に塩を塗るようにして生きるところがあって、全てが劣等感です。今までも色々な人に色々な事を言われたけれど、「なにくそ、何時か金メダルを取るぞ」と言う思いが原動力になってここまで来れました」

 <「キャタピラー」は>、太平洋戦争も末期、顔面は焼けただれ四肢を無くした姿で帰 ってきた夫と世話をするその妻の物語。「生ける軍神さま」と村の人に祀り上げられ、戸惑いながらも夫を支える妻だけれど時には憤りが。彼女もまた、なにくそと言う思いがなくては乗り切れない人生なのだ。物語はほとんど二人で進んでいく。それも、言葉も発せず、四肢を無くした夫は性欲といらだちを妻にぶつけるだけ。寺島しのぶさんの一人芝居の様でもある。特異な環境だけれど、夫の行動にも妻の行動にも身につまされるリアリテイがあった。じっくりと戦争の悲惨さと極限の夫婦を描いて、若松孝二監督渾身の反戦映画です。(犬塚芳美)

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