太秦からの映画便り

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映写室NO.165 SEX AND THE CITY

映写室NO.165 SEX AND THE CITY
―1冊丸ごとファッション雑誌― 

 ニューヨークで暮らす4人の女性の、華麗な生活と本音を描いて大ヒットしたTVシリーズから4年、その後の物語が映画になって返って来た。今回もパワフルな生き方と流行のファッションが女心を鷲摑みにする。大人の中の乙女心と少年、微妙にすれ違うカップルの心情がリアルで、異次元の世界が私たちに身近な物語へ変わっていく。分厚いファッション雑誌をめくる様に観て、お洒落心を取り戻したい作品です。

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(C) MMVlll New Line Productions,Inc.Sex and the City(tm) is a trademark of Home Box Office,Inc.All Rights Reserved.

<荒筋> 
 「VOGUE」等に寄稿するキャリーは、長年の恋人と一緒に豪華なマンションを買ったのがきっかけで、プロポーズされる。子供が出来ないけれど養女を貰って幸せにくらすシャーロット、L.Aで恋人の俳優と暮らすサマンサ、夫が浮気を告白したのが許せず息子を連れて家を出た弁護士のミランダという、友人達も大はしゃぎ。でもマスコミまでを巻き込んだ華やかな結婚式に、花婿は…。


 <主人公が時代の先端を行く華やかな職業なので>、ニューヨークのお洒落なスポットを舞台に、とっかえひっかえトップモードを着こなして物語が展開するのが、この作品の一番の見所だろう。衣装デザイナーは「プラダを着た悪魔」のパトリシア・フィールドで、有名ブランドを巻き込んでトレンドと豪華さを圧倒的な物量で見せてくる。それでもさすがの貫禄で、どの服よりも中身の本人が目立つのは、お洒落とはこうするもんよと言う、デザイナーと着こなす女優達、キャリア女性の独断場。
 <画面いっぱいにバブルのような華やぎが溢れ>、長尺でも濃密な空気感が途切れない。それらをファッション雑誌を捲る様に楽しんだのに、観終えた後にのこるのは、豊かな人生と愛や恋は切り離せないという真っ当さなのもいい。映画として人物描写から視点をずらしていないのが凄いのだ。

 <舞台はニューヨーク、マンハッタンで>、主人公は生き方も個性も違う美しい女4人。誰もがなりたい自分に向かって努力し、失敗を繰り返しながら今の仕事や暮らしを手に入れてきた。でも集ればまるで少女、男には言えない秘密を打ち明け、愚痴も言える。
 <それもこれも>、女性の社会進出が当然な時代とはいえ、外で男達と戦ってきたからこその、痛みを知る者同士の庇い合いだ。友人の陰の努力を知っているから、慰められた方も素直に受け入れて再生の力に変えられる。このシリーズが若い女性に人気なのは、そんな4人の友情への憧れも大きいと思う。同性の友達は、まるで港のような世間からの避難場所、成功を喜び合え、みっともなさをさらせる相手って早々いるもんじゃあない。

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(C) MMVlll New Line Productions,Inc.Sex and the City(tm) is a trademark of Home Box Office,Inc.All Rights Reserved.

 <ところが男と女になると、とたんにギクシャクする> キャリーも最初は二人だけの結婚式のつもりだったのに、周りに囃され、自分も舞い上がり、相手を置き去りにしたまま、ウエディングドレスに乙女心がときめいて制御できない。恋に仕事にと奔放に生きて、若い女性の羨望を一身に集めてきたキャリーが、今度は華やかな結婚話で世間を羨ましがらせる。以前ならたとえ愛し合う相手がいても、自分の足で生きる自由のほうを選ぶサマンサに焦点があったのに、最近のアメリカ映画は、女性をもっと可愛く等身大に描く。競争社会で女性が1人で生きることに疲れているのかもしれない。
 <一方男達も、自立した妻の人生まで引き受けたがったり>、余所の女性に心を移したり、結婚に怖気づいたりと、立派な大人が若者のように右往左往。両者の隠していた本心を肩肘を張らない素直な形で描いている。女性達はパートーナーに大人の男を求めるけれど、男だって迷っているのだという、監督・脚本のマイケル・パトリック・キングの告白かも。女性映画だけに男性は脇に徹して気弱さや優しさが前面に出る。それも今の風潮なのだろうか。
 <ただ、いくら美人でも4人揃うと年増感が漂い>、若いモデルがアンニュイに着こなすファッション雑誌とは違ってくる。美の中のその一抹の切なさがこの物語の隠し味だと思う。それはそのまま4人の暮らしでもあり、自分の力で色々なものを手に入れながら、愛だったり、子供だったり、信頼だったり、自由だったりと、もう一つ欲しいものが手に入らない。お金で買えないものばかりを最後に欲しくなるのだ。お洒落して闊歩する華やかな世界と、一人の部屋の孤独等、ちょっとパターン的でもその辺りがいじらしい。

 <一服の清涼剤は>、キャリーの秘書役のジェニファー・ハドソン。「ドリーム・ガールズ」でアカデミー賞を取った美声を封印しても、はちきれそうな体と知的な瞳が圧倒的な存在感。チャーミングに小首をかしげる姿が、物語に風を吹かせ躍動感になる。身の程知らずに上を目指さず、地道に自分の幸せをつかむ賢さ、有能で若々しい田舎娘に魅了された。(犬塚芳美)

  この作品はTOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ伊丹、
         MOVIX京都等で上映中
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映写室NO.164 雲南の花嫁

映写室NO.164 雲南の花嫁   
―もう一つの中国―

 真っ直ぐな太陽と緑に映える民族衣装の、何と鮮やかで美しい事か。この映画は中国でも最も多くの少数民族が暮らす西南部、雲南省を舞台にしている。「鳥の巣」に代表される近代的な北京を見慣れた目には、まるで別の国のような緑溢れる自然の中で、伝統文化を守って素朴に暮らす人々。女性の龍舞チームに絡めて紹介される、イ族の新婚カップルのお話は、一風代わっていてもすべて真実で、民族衣装に包んではいても乙女心は私たちと変わらない。輝く笑顔と太陽、もう一つの中国の本当の豊かさがここにあります。

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<荒筋> 
 イー族の娘フォンメイ(チャン・チンチュー)は小さい時に母を亡くして男手一つに育てられた。幼馴染の龍舞を継承する家の息子アーロン(イン・シャオテイエン)と結婚するが、イ族のしきたりで結婚しても3年間は別々に暮らすことになる。離れたくなくて、こっそりアーロンの部屋に忍び込んだり、彼が女性龍舞チームを教えると知ると、無理やりチームに加わったりと、ヤンチャを重ねてアーロンを困らせる。


 <今や世界的になった映画監督のチャン・イーモウ>が演出した北京オリンピックの開幕式で、50を超える中国国内の少数民族の子供たちが、独自の伝統的な衣装で行進して華を添えた記憶が新しい。でも実は本物ではなく、全てが漢民族の子供が扮したものだったと後で解って、複雑な思いを持ったのだけれど、この映画を作ったチアン・チアルイ監督だったら、そうはしなかったはずだ。少数民族の彼らにこそ本当の光を当てて、晴れの舞台に立たせていたと思う。
 <チアン・チアルイは、ドキュメンタリータッチの>「雲南の少女 ルマオの初恋」で鮮烈なデビューを飾った監督で、この後にも再びチャン・チンチューを主役に迎えて雲南を描いた「芳香之旅」があり、この作品は雲南3部作の第2作目になる。彼の魅せられた雲南とチャン・チンチューに私も魅せられてしまった。この地の文化と人々に対する思いが溢れるように込められて、珠玉の作品となっている。

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 <この作品の魅力は>、何と言ってもキュートなくるくる動く瞳のチャン・チンチューと、この作品で映画デビューを飾ったイン・シャオテイエンの放つ瑞々しさだろう。雲南に魅せられた様に監督がこの二人に魅せられているのが映像からもよく解る。鮮やかな民族衣装を今の空気感で着こなして、私たちを夢の中へと誘い込む二人。屋根から屋根へと移って思いを歌に乗せるシーンなど、まるでアクロバット。歌も上手いし踊りも上手い。お互いに好きでたまらない新婚カップルの初々しさが観客の頬までを緩ませる。

 <すぐ近くに近代化の波が押し寄せてきていながら>、ここの人々はどうして伝統を守るのだろう。町に出ると今風の暮らしをしても、故郷に帰ると民族衣装に着替え伝統的な暮らしをするという。ここは世俗の無いユートピアで、年長者を敬い父親の言葉は絶対で、薪を焚いたり手作りのお菓子。まるで時計を巻き戻したような世界で、時間が濃密にゆっくりと流れていく。イー族とは近代化よりも何よりも大切な、この地の暮らしの豊かさを知っている人々のように見える。フォンメイやアーロンを探しに雲南に行きたくなった。(犬塚芳美)

  この作品は、8月23日(土)よりシネマート心斎橋で上映

※<ちょっとディープに>
 この映画はそもそも、1999年にイー族の女子龍舞隊が全国優勝した事に監督が触発されたことから始まっている。元々は男性が独占してきた龍舞を女性でも出来ると示したのがこのチームだった。青い空、爽やかな風、緑溢れる野山等雲南の大自然の素晴らしさと共に、女子龍舞隊の鮮やかな舞をお楽しみ下さい。アーロンが屋根の上で踊るダイナミックな舞踏も見所。

映写室「アメリカばんざい crazy as usual~クレージーってか?それが戦争さ!」上映案内

映写室「アメリカばんざい crazy as usual~クレージーってか?それが戦争さ!」上映案内  
   ―本物のブートキャンプと戦争の実態― 

 中国のチベットやウイグル問題、オリンピックの最中をぬったようなグルジアでの争いと、新たな世界の火種に報道の主体が移っていますが、他の地でも戦いが終わったわけではありません。イラク開戦から5年、今なお死傷者が増え続け、それを補うように戦場へ兵士が送られ続けています。他にもアフガニスタン、コソボとアメリカが軍事介入している紛争は多い。かって日本は「天皇陛下ばんざい」と叫び、ドイツは「ハイル・ヒットラー」と叫んで若者を戦場に送りました。アメリカは今なお「アメリカばんざい」と叫んで世界中の戦場へ若者を送り出しているのです。昨年ブームになったのはダイエットの為の「ビリーズ・ブートキャンプ」だったけれど、このドキュメンタリーが伝えるのは本物のブートキャンプのお話。

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(c)2008森の映画社

 <この作品は、新兵を生み出し続ける>ブートキャンプと帰還兵に焦点を当て、現代の戦争実態をリアルに描いていきます。彼らを送り出す家族の苦悩をとらえているのも特徴で、戦地から命からがらアメリカに還って来た若者が、その後をどんな風に生きるかを追えば厳しい現実に目を覆うでしょう。こんな政治にどうしてもっと怒らないのか。アメリカ全人口の100人に一人、350万人がホームレスと言われ、男性ホームレスの3人に一人が元兵士という「戦争が人生を狂わせた」現実を映して、この国の病理を浮かび上がらせています。
 <兵役に付けば奨学金が免除になると>、借金に拘束されない未来の為に貧しい家庭の若者が戦場に出かける映画をどれほど観たでしょう。でもこのドキュメンタリーを観るとそれすらも嘘なのが解る。戦場はまさに地獄絵、あの凄まじさの中では大抵の者が精神を狂わせる。戦死、PTSD、アルコール依存、薬物中毒、貧困、失業、揚句の果てのホームレス、家庭崩壊、社会からの離脱、やっと帰還したところで彼らを待っているのは厳しい暮らし。本人だけでなく彼らの家族もまた人生を狂わせてしまう。他所の国を守るという大義名分の下、自国民の未来すらも奪っている軍事大国アメリカの負の部分が、色々な角度から映っています。(犬塚芳美)

  この作品は、第七藝術劇場にて上映中。    
      時間は、  8/16(土)~8/22(金)12:35
             8/23(土)~9/5(金)10:30
             9/6(土)~9/12(金)18:30


※<ちょっとディープに> 
 日本人で始めてブートキャンプの取材に成功し、この作品を作ったのは藤本幸久監督。前作「Marines Go Home」で、沖縄(辺野古)、韓国(梅香里)、北海道(矢臼別)の米軍基地で、演習や作戦を展開するアメリカ軍を取材した際、若いアメリカ兵の多様性を見て、「彼らはどこから来たのか?何故兵士になった?」と疑問を持ち、この映画を思いつく。しかしこの地では接触できず、計7回の渡米で、この作品を完成した。

映写室 NO.163 同窓会

映写室 NO.163 同窓会  
   ―お盆の帰省と同窓会―

 高校の同窓会がいつもお盆にあるせいか、この季節になると故郷や同級生を思い出す。毎日を楽しみながらも都会に憧れて飛び出す日を今か今かと待っていた田舎での暮らし、過剰だった自意識と夢やほのかに憧れた男の子たち。都会育ちの方には解らない感覚だろうが、高校時代とは巣立つ前の故郷の記憶なのだ。
そんな気持ちにぴったりの作品が完成し、しかもお盆に公開になります。夢を実現した人も、挫折して途中で進路変更した人も、同級生の前では昔に返って人生の小休止。多感な頃を一緒に過したと言う、同じ根っこがあるからこそ、すべてを認め合える。同窓会とはそんな優しさに包まれた再会の場所だ。そんな雰囲気と共に長崎弁の暖かさが心に染みる作品です。

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(C) 2008「同窓会」製作委員会

荒筋
 映画プロデューサーの南(宅間孝行)は高校時代の憧れだった雪(永作博美)と結婚し、仕事は順調だが子供がいない。不倫中の新進女優にそそのかされ離婚を口にすると、雪はあっさり承諾。怒ったのは、昔雪を諦めた同級生だった。雪と別れた南は全てが狂い始める。一方雪は、思わぬ体の異変に気付く。そんな時、東京で同窓会をしようと…。


 <監督・脚本はサタケミキオ>、主演は宅間孝行。…と、名前を使い分けているけれど、どちらも同一人物で、彼こそが劇団「東京セレソンデラックス」の主宰・作家・演出家・役者をマルチに務める男。今を時めく「花より男子~ファイナル~」の脚本家と聞けば、ああ、あの人かとハッとする。初監督作品に、誰もが思い当たる話を微妙な切り口で裁いてぶつけて来た。主人公が自分の原点の故郷に帰り、昔を思い出して再起を誓うように、宅間も自分の根っ子の部分を差し出して、映画の成功を願っているのだろう。1970年東京生まれの時の人も、根底には意外な浪花節が流れていそうだ。奇を衒わないせりふと作風が温かい。

 <南は映画プロデューサーといっても、カッコいいわけでもなく>、ちょっと間の悪い男。時代の先端にいながら、何処か田舎の匂いがする。その辺にいそうなリアリティが持ち味の宅間が主役になった事で、作品にB級感が生まれ、今乗りに乗っている永作や鈴木砂羽とのアンバランスさが絶妙だった。そのせいか永作のさり気無くて可愛い妻振りと、「ひめ」と呼ばれる鈴木砂羽のキャリアウーマン振りも地に足が付いて、騒々しい同級生の面々も馴染む。回想する高校時代を演じる少年少女が、ちょっと古風でほのぼのとしているのも、思い出はいつもセピアに霞むということだろうか。あの頃にプレイバックしたくなった。それでも、宅間の存在感が全てを上回って未だに消えない。姿かたちではない、内面から滲み出る物のようだ。

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(C) 2008「同窓会」製作委員会

 <人生を振り返った時、一番懐かしく甘やかな時代は何時だろう> 私の場合は断然高校時代だ。小・中学時代はまだ子供だから、未来はまるで未知数だし、懐かしさはあっても甘酸っぱさは笑い飛ばせるほどの物。大学になると今の自分に近く、誰がどう変わるかも予想が付くから、再会しても意外性が無い。しかもこの年代の恋となると結婚に近過ぎて、甘やかと言うより辛過ぎたりもする。会いたい様な、会うのが怖い様な、だからこそ会った時の一気に氷解する時間と打ち解けようが嬉しいのは、やっぱり高校時代の同級生だ。

 <そんな時に始まって大勢が馴れ初めを>知っている結婚は、誰もが二人に自分の夢を重ねる。彼らの幸せがまるで自分たちの青春の証しであるかのように、思うものだ。だからこんな結末に外野が黙っているわけが無い。南が二人の関係が微妙なこんな時期に同窓会を開いたのは、一肌も二肌も脱ぎそうな面々のおせっかいを何処かで期待してる事になる。皆もそれが解っていて、それでも気付かないふりで集まって、何とか二人の仲の修繕の役に立てば良いと思える位に、同級生は優しいのだ。そんな雰囲気を、本人たちの感情以上に周りの心配や思惑を丁寧に描いて説明していく。

 <ところで、話は幾つかお互いの誤解に>繋がる引っ掛けがある。大よその察しが付いたものも、意外な種明かしに(こう来るか!)と驚いたものもあった。大切な人の前では誰もが自信をなくして、動作の一つ一つを勘繰るもの。実人生もそんな具合に誤解や思い違いで成り立っているのかもしれない。それが悲劇でもあり人生の豊かさでもあるとこの作品で思った。つぼを得た話にすら泥臭さを加えて、独特の暖かさに変える宅間の世界観は癖になりそう。
同級生と言うのは不思議なもので、昔それほど仲良く無くても、否ライバル同士すらも、時間が同じ時代を生き抜いた戦友に変える。どこか懐かしいこの映画が、まさに皆の同窓会だ!(犬塚芳美)

   この作品は、8月16日(土)よりシネマート心斎橋で上映

映写室 NO.162 地球でいちばん幸せな場所

映写室 NO.162地球でいちばん幸せな場所   
          ―ホーチミン市に住む少女― 
 
 このところの暑さと湿気とスコールのような集中豪雨、日本は温帯ではなく亜熱帯になったらしい。といっても本物の亜熱帯はもっと濃厚。正真正銘の亜熱帯の街ホーチミン市を舞台に、ハンドカメラと同時録音で可憐な少女を追えば、スクリーンからはむせ返る木々の生命力や甘い果実の香り、雑然とした町の匂い、騒音、ヌターッと生ぬるい空気、行き交う人々の吐息等がリアルに伝わってきて、まるで自分がこの街を歩いているような気分。古さと新しさが混然としたベトナムの今の空気感が映っています。何処か懐かしい街の、活き活きとした時代の蠢きに魅せられるでしょう。

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©ANNAM PICTURES

<荒筋>
 ホーチミン市の郊外に住む10歳のトゥイは、両親を亡くして伯父さんに引き取られ簾工場を手伝っている。でも夢見がちで失敗ばかり。伯父さんに叱られると「弁償します」と応えるような勝気さもある。とうとう貯金箱を壊し、ピンクのリュックにお人形を詰め家を飛び出す。ホーチミン市に着くと絵葉書を売り、それが上手く行かないと今度は制服を借りて路上の花売りになる。そんな時に出会ったのが象の飼育係のハイと、フライトアテンダントのランだった。


 <東南アジアに行くと花売りの少年少女を>よく見かける。(移動中で買えない)と手振りで言っても諦めず作為的な笑顔で追いかけて来られると、どうしていいのかわからず困るのだけど、自尊心のあるトゥイはそんな強引なことはしない。だからちっとも売れず、夜になっても残ったお花を抱えてとぼとぼ歩くしかないのだ。
 不倫相手に取り残されて傷心のランが、そんなトゥイに気付いたのは偶然よりもある種必然。プライドと現実の狭間をさまよう孤独な魂が年代を越えて響き合った瞬間だった。場違いなおめかしをして屋台で一人フーティウ(米粉で作った麺)を啜るラン、心の拠り所がさっきの豪華なホテルではなく庶民的な町の中にあるのは確かで、彼女自身夢から覚めたような一瞬でもある。賢いトゥイはランの孤独に引き寄せられたのかもしれない。
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©ANNAM PICTURES

 <トゥイに扮するのは、この作品で映画デビュー>したファム・ティ・ハン。伝統的なダンス教師の母親の影響で以前から舞台には出ていたと言うが、カメラに動ぜずなんとも自然体。浅黒い肌とくるくると動く憂いを含んだ賢そうな瞳、子供なりのプライドと健気さに、たちまち心を掴まれた。姿形に気高い心根が漂い、エレガントでさえある。うつむいて耐える姿や、ふらりと動物園に入るシーンなど、ランがこの少女の本質と愚劣な環境とのギャップに驚いたように、私もハラハラと見た。

 <ベトナム戦争が終わって33年>、社会主義国家なのに市場経済を取り入れたベトナムは、今凄まじい勢いで変質している。従来の農業、漁業の自給自足型から、近代国家型に変わりつつあり、現金収入の得られる都市部への人口流入は激しい。政府が規制をかけても子供なら網の目を潜れるから、リュック一つが所持品の、絵葉書や花を売って暮す少年少女は結構いるのだ。この物語はそんな多くの話を元に作られている。ファムはそんな境遇の少女ではないけれど、見知っているから花売りの役を自然に演じられたと言う。
 <もっとも、働く子供が不幸かと言ったら>そうとも言えない。かって日本もそうだったように、この国では子供が働くのは当たり前。親を助け逞しく明るく自分の力で運命を切り開いていく途上国の姿がここにある。
 <都市部はバイクの排気ガスが舞い上がり>、暮らしの匂いで満ちて喧騒の中。私も旅行中にトゥイのように、騒がしさを逃れて動物園に入ったことがある。そこは人影もまばらで、時の止まったような静けさ。我も我もと近代化に雪崩を打つ外とは距離をとった、まるで別の世界だった。ハイはそんな暮らしを好む若者なのだ。一方のランは、空を飛んで皆の憧れを一身に集める時代の最先端の女性。優しさや空虚感が一緒とは言っても、スタンスも境遇もまるで違う。少女の企みどおり、二人と一緒に暮せるだろうか…。

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©ANNAM PICTURES

 <いちばん幸せな場所>って何処だろう。ちょっとおませに二人を取り持つトゥイの仕種が、子供目線と大人目線の入り混じった微妙な陰影で、自分のその頃を思い出させる。大人は子供だと思っても、子供は子供で大人をよく見ているもの。大人以上に本質を掴み老成したところがあるのだ。ベトナム系アメリカ人のステファン・ゴーガー監督が、そんな子供たちと幼い頃を過ごしたホーチミン市に愛を込めて作った作品です。観終えた後にじわじわと暖かい物が広がって行くのが嬉しい。(犬塚芳美)

 この作品は、8/9(土)よりシネマート心斎橋にて公開

<ちょっとディープに>
 ベトナムは約8400万の国民のうち、6割以上を30歳未満が占めるという若くて未来ある国。近代化へと雪崩をうつこの国の喧騒が想像できる。ホーチミン市はベトナム戦争の終結後の1975年、共産党指導者のホー・チー・ミンの名をとったもので、一般的には旧称のサイゴンと言われる。トゥイが送り込まれた孤児院は市の中心部から西にあり、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットの3人目の養子はここの出身。

映写室 「火垂るの墓」合同会見(後編)

映写室 「火垂るの墓」合同会見(後編)    
 ―日向寺太郎監督と主演の吉武玲朗さんに伺う撮影秘話―

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(C)2008 「火垂るの墓」パートナーズ

<昨日の続き>
―確かに戦争の記憶は、世代的に一部の人のものになっていますね。
監督:それと、実写版を撮るに当たって、清太のキャラクターをはっきりさせたかった。アニメや短編なら曖昧でもいいけれど、長編で主役だと、どういう人間で何を考えたかを描かないと2時間近くが持ちません。僕はアニメ版でも原作でも、清太が優等生過ぎると思っていました。優しいお兄さんなのはいいけれど、スポーツが出来たりと完璧過ぎる。もっと不完全な人間のほうが共感を呼ぶだろうと、喘息と言うコンプレックスを付け加えたんです。父が軍人なのに、自分は喘息で軍人になれるかどうか解らないという不安、そんな部分のある人間にしたかった。それと「どじょうすくい」が得意だと言う、おどけた面ですね。
―「どじょうすくい」は凄く上手でしたね。練習が大変だったのでは。
吉武:1ヶ月の間で「どじょうすくい」と剣道と方言をマスターしないといけなかったんです。「どじょうすくい」は凄く難しいと言う話だったので、自分でも出来るかどうか不安でした。踊りをマスターするのも大変なのに、歌いながら口三味線でというと、普通は出来るまで何年もかかる。でもそれを1ヶ月でやったら凄いんじゃあないかと思って、頑張りました。練習風景をDVDにとって家で見たり、色々工夫しました。「どじょうすくい」は全部タイミングなんです。左足1歩出すのが狂うと、後がおかしくなって。
監督:彼は自分の事なので言わないけれど、身体能力が凄いんです。撮影の時に名人の方に来ていただいたら、上手いのに感心されていました。口三味線は無理だと言われていたのにそれも出来て、驚いていましたね。あんまり上手だから東京の教室で教える事になった位です。剣道も大変なんですよ。頭に手ぬぐいを巻きますが、何でもなくやってるようで、普通はなかなか出来ないんです。
吉武:今でも長いものを見るとつい頭に巻きそうになるというか、あ、これいけるなと思ってしまいます。(笑い)

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(C)2008 「火垂るの墓」パートナーズ

―アニメ版のドロップのシーンを、毎年夏になると見ていた気がしますが。
監督:ドロップはアニメのオリジナルなんです。アニメ版も僕らと同じように、短い原作の何処を膨らませるか工夫していて、それがドロップなんですね。だから本当はドロップを止めたかったんですが、全部無くなるとあまりに厳しい「火垂るの墓」になってしまう。佐久間製菓さんがドロップ100周年で協力したいと言って下さり、アニメのイメージを裏切らないように最低限入れました。いかにもなドロップのシーンは撮っていないので、他のスポンサーが心配しましたが、社長とかはこの作品に満足して下さいました。
―彩奈ちゃんとのコミュニケーションはいかがでしたか。
監督:大変は大変ですよね。(笑い)
吉武:宿舎が一緒なので、行き帰りのマイクロバスの中でスーパーで買ったおもちゃで遊んであげました。それだけでもコミュニケーションになったかと思います。彩奈ちゃんはバスの中で脚本を楽しそうに読むのですが、楽しそうな声なのに死にそうな顔を演じているのが凄くて。
―撮影で一番大変だったシーンは。
監督:二人が楽しかった頃を思い出して、食べ物の話をするシーンで長回しをしています。彩奈ちゃんはセリフはちゃんと覚えてて言うんだけれど、他に興味があるものが出るとそちらを見てしまう。でもあそこでカットを使いたくないので、10テイク位いったでしょうか。彩奈ちゃんの集中力を切らさないようにするのが大変でした。逆に学校のシーンとかは、彩奈ちゃんが後ろのスタッフの動きをジーっと見てるんですよ。カメラを回しっ放しにして撮っているんですが、芝居半分素が半分のところが良かったと思います。カメラが動く時が大変で、まだ幼いからどうしてもカメラの方を見てしまうんですよね。

―戦争を描いた作品を撮られて、何か変化がありましたか。
監督:僕の中で60年と言う時間が縮まったのは確かです。自分の中に戦争体験という核が無いので、映画を作る上で必死で考えざるを得なくて、色々な事を考えましたから。大変だったけれど、これを撮ってよかったと思います。これを撮れたのはプロデューサーの親心なんですが、テーマ的に背伸びせざるを得なかった。又子供が主役の映画で、演出としても背伸びせざるを得なかった。演出で迷っている時、ベテランの俳優さんにならどうですかねえと相談できても、子供にはそれが言えませんからね。2つの事で自分としては無理してよかったと思います。でも黒木組の重鎮たちが助けて下さいました。こんな作品で一番大変なのは美術なんですが、それを木村(武夫)さんがしているから、心配しなくていい。焼け跡とか素晴らしいものです。又具体的な動作としては、スクリプターの内田さんが戦前のことを知っていて、例えばご馳走様と手を合わすのは多分戦後のものだと言うので、今回はやっていません。

―意外だったのですが、松田聖子さんや松坂慶子さんの配役は。
監督:松田聖子さんの役は、出番が少ないけれど印象に残らないとまずい。華やかでなおかつ母性を持っている人、しかも意表をついたキャスティングと言うのでお願いしました。包帯でぐるぐる巻きのシーンも、皆は吹き替えかもと言っていたのですが、嫌がらずにやってくださいました。目が出てますから代役だと困りますよね。松坂慶子さんの役も、単に厭味な小母さんではなく、こういう状況になったら人間はこうなるんだろうなと言う説得力がいる。根っからの悪い人ではないというキャラクターが本人にあって、見る人がそう思う人をとお願いしました。小母さんの複雑な内面描写の為にも、未亡人の寂しさを出したいと言ったら、西岡さんが亡くなったご主人からの手紙が、後れて届くと言うアイデアを出してくれました。

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(6月27日 大阪にて)

―出来上がったものを観ていかがですか。
監督:今は反省が多いですね。1作目も反省はあったが、撮影も楽しかったし撮り終えた喜びが大きかった。でも今回は撮影も苦しかったし、終わってからも映画的な表現で(あ、ここをこうすれば良かった)と気付いたことが多いんです。この作品は西岡さんと言う力のある脚本家の力もお借りできました。力のある脚本家と組むとこんなに膨らみ楽なのかと思いましたが、それでも一つに還元できないプレッシャーで、苦しかったですね。僕としては精一杯背伸びした作品です。
―吉武さんはどうでしょう。学校(現在高校2年生、撮影時1年生)とかで戦争の話をしますか。
吉武:この映画に参加して戦時中のことが少し解りました。でもそれを学校で友達に話すかと言ったら、中々話せません。今の高校生は、戦争を考えるより恋愛や遊びに夢中です。この映画も友達たちが見に行くよと言ってくれるけれど、僕に興味があるからで、戦争の話に興味があるわけではありません。そこが大変ですが、この作品でそんな風にのんびり出来る、平和の大切さ等を伝えられたらと思います。(犬塚芳美)

  この作品は、岩波ホールで上映中
      8/2(土)より梅田ピカデリー、なんばパークスシネマ、布施ラインシネマ、
         MOVIX堺、MOVIX京都、神戸国際松竹で上映


<会見後記:犬塚> 
 アニメ版の浸透で「火垂るの墓」は大好きと言う方と、可哀想だから見たくないという方がいます。その両方の観客を見据えて、なおかつ知らない戦争を描いた日向寺太郎監督、真面目なお人柄から、大きいプレッシャーで真正面から向かわれたのだと、お話からよく解りました。名場面は何と言っても小さい蛍の墓の並ぶシーンで、誰もの命がそのまま消えてしまいそうな儚さが映っています。主演の吉武玲朗さんは濡れたような大きな瞳が印象的で、学生服の似合う古風な少年も普段はもちろん現代っ子。大人びたようでもあり、末っ子の姿も垣間見え、清太に重なってきました。この少年が「どじょうすくい」をマスターしたなんてと、秘めた役者魂に驚きます。もう一人の主役、おかっぱ頭の節子を演じる畠山彩奈ちゃんも儚げで可愛いですよ。清太の「節子!、節子!」と言う悲鳴のような声音と、節子の「ドロップ上げましょ」という声音が忘れられません。セルフのトーンが素晴らしい子役二人の名演をぜひ劇場で御覧ください。又脇を固める大人の俳優陣の豪華さも見所で、こちらもお楽しみに。

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