太秦からの映画便り

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映写室「252 生存者あり」水田伸生監督と豪華出演者の合同会見(前編)

映写室「252 生存者あり」水田伸生監督と豪華出演者の合同会見(前編)    
 ―東京を襲った大災害とハイパーレスキュ―隊の活躍― 

 「252」って何のことだかご存知だろうか? 2回、5回、2回と叩いて伝えるハイパーレスキュー隊の「生存者あり」という信号を指す。遠くない将来に東京に地震が起こると言われて久しい。そうは聞いてもなかなか備えは出来ないものだけれど、この物語は地震だけでなくその後で巨大台風が上陸し、首都が未曾有の状態に陥る話だ。何時陥没するかもしれない地下に閉じ込められた人々はどんな行動をとるか、又地上のハイパーレスキュー隊は人々を救う為にどうするのかと、災害をリアルに再現しながらそれ以上にじっくりと人間ドラマが描かれる。映画だけでなく向田作品の演出での受賞も多い水田伸生監督と、伊藤英明、内野聖陽、山田孝之、MINJI、山本太郎という豪華な出演者による来阪キャンペーンのレポートです。

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(11月27日 大阪にて)

<その前に「252 生存者あり」とはこんなお話>
 東京に震度5の地震があった数日後、元ハイパーレスキュー隊員の篠原祐司(伊藤英明)は妻と娘の7歳の誕生日を祝う為、銀座に行こうとしていた。其処に突然の巨大な雹や鉄砲水。地上への出口がふさがれて、地下鉄新橋駅はパニックになる。地上では祐司の兄(内野聖陽)達のハイパーレスキュー隊が、閉じ込められた人々を救出しようとしていた。ところが今度は巨大台風が近づいて来、ここにいては隊員が危ないと隊長が撤退命令を出す。でも祐司の妻が「貴方の弟が地下で助けを待っているの!」と食い下がるのだ。
  

<監督と出演者の合同会見>
「今日は皆さん有難うございます。一生懸命作ったのでぜひごらん下さい」とそれぞれの方が挨拶されて始まった。

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水田伸生監督(以下監督):災害がどんなものか、問題発言のあった兵庫県知事に何とかこれを見て欲しいと思います。(笑い)この作品は大前提が災害なので、そこをリアルに描かないと皆さんの目がスクリーンに向かないから再現に頑張りましたが、そうかと言ってこれはパニック映画ではなく、そんな中での人間ドラマなので、人をきちんと描く事に留意して作りました。これを作って、CG等どんなに技術が発達しても大きい災害は再現できないと実感しました。
伊藤英明さん(以下敬称略):僕は娘と一緒に地下に閉じ込められ娘を守る為に頑張るという父親の役ですが、子供がいなくて解りにくい父親の感情は、娘役が素晴らしいので彼女と向き合うことで理解しました。内野さんにも娘がいますが、僕は地下に閉じ込められ、内野さんは地上から僕らを救援すると言う設定ですから、撮影中はほとんど接点が無く、それを教えてもらったのは後になってからです。娘を持つ監督からも父親の心情について色々アドバイスを受けましたが、ほとんど役に立たなかったですね。(笑い)
監督:子を持つ役を演じて、両親はこんな風に愛してくれたのかと気が付いたと彼から聞いて、ああそんなもんだなあと思いました。
MINJIさん(以下敬称略):今回は主題歌も歌っています。映画は初めてなので韓国と日本の現場の違いは解りませんが、地下に取り残される役だから寒いしきついし体的にも精神的にも大変な現場でした。でも監督が優しくして下さって精一杯頑張りました。

―もしこのように自分が閉じ込められたら皆さんどうしますか。
MINJI:実際にどうするかは解りませんが、極限では普段よりもより強く大切な人の事を考えるものだと気付きました。
山田孝之さん(以下敬称略):こんな風になったら僕は放っておいて欲しいです。助けないで下さい。(ボソッと)
山本太郎さん(以下敬称略):え?助けて欲しくないの?(笑い) だったら僕と山田君がいたら彼を放っておいて僕のほうから先に助けて下さい。(笑い)こんな状態になっても、僕が助ける側だったら絶対諦めない。もし助けてもらう側だったら、252を打ち続けますから助けて欲しいと思います。
内野聖陽さん(以下敬称略):僕は隊員全体のことを考えて弟を探したいという情を殺すと言う、血も涙もない兄を演じています。この物語はあまりに凄い設定なので、こんな時に助かりたいと思うより、もしそうなった時に備えて災害が過ぎた後の家族の集合場所を決めたり、防災グッズを揃えたりしました。この現場から生き残る為には、どんな時もパニックにならない強い精神力を持つ事が大事だと学びました。

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伊藤:なったらどうするかより、東京は何処が安全だろうかと考えました。こんな時にはまず家族に安否を知らせたいと思います。
監督:自分で撮っていながら本当の被災の実感はないんです。ただ撮影現場で水を貯めたところに俳優やスタッフが長い間閉じ込められていると、寒いし本当に大変でだんだん手が震えてきたりする。そうしたら移動する時に手を貸したりと、普段ならはずかしくてしないような動作で皆が自然に助け合い始めたんです。人間は置かれた環境で助け合うもんなんだなあと思いました。(レポート:犬塚芳美)
                         <明日に続く>

  この作品は12月6日(土)より梅田ブルク7 他全国ロードショー
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映写室 「夢のまにまに」長門裕之さんインタビュー(後編)

映写室 「夢のまにまに」長門裕之さんインタビュー(後編)    
  ―ドキュメンタリーで綴る南田洋子さんとの日々―

<昨日の続き>
―大女優の南田さんのこんな姿を世間に見せるのは勇気が必要だったと思いますが。
長門:そうなんですが。その決断をするのが僕しかいないから、迷いました。一番大事だと考えたのは洋子の人権です。だから隠しカメラの位置も言い、洋子に「ここにあるけど映しても良いか?」聞いて撮り始めた。でも「うん」と言っても意味が解ってるのかどうか…。「うん」は映すことへの承諾ではなく僕への承諾なんです。この映画の撮影中はあんなじゃあなかったのに1年でここまで急激に進行しましたからね。朝の洋子はもう夕方にはいませんから。それ位変化のスピードが速い。

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(C)2008パル企画/ポニーキャニオン/トルネードフィルム

―でもさすがに女優さんでスッピンでもあんなにお綺麗なのに感動しました。
長門:そうでしょう?綺麗だし可愛いでしょう? 僕もそれを見てこれだったら見てもらってもいいかなあと思ったんです。元々洋子が女優開眼したのはスッピンで出てからですしね。ただ洋子が自分があんな姿で出てるのを見たらどう思うだろうかと、放映の日は緊張していました。で洋子に、「今から洋子が映るから見る?」って聞いたら見るというんですよ。でも始まる頃にトイレに行くとかなんか言って立って、そのまま「もう寝る」と言ってベッドに行ったんで現実には見ていないんです。わざと避けたのか如何だか解りません。ほっとしたような、見たらどう思うか、起こっている事が解かるかどうか反応を見たかったような、複雑な心境でした。

―南田さんは長門さんだけが頼りなんですね。
長門:自分が女優だったことや芸名は忘れているんだけれど、僕の名前は忘れていないでしょう。ちゃんと言えるんですよ。それが嬉しくてね。それを忘れる時も来るのかなあと思うとそれが辛くてね。映像に映しておきたかった。幸い僕はこの年まで役者としていい仕事をさせていただき続け、京都の撮影とかで留守にすることもあるんですが、離れている時も洋子のことが頭を離れません。若い頃から色々洋子に苦労をかけましたからね。女でしょう、お金でしょう、今罪滅ぼしをしてるようなもんです。出来るだけ側にいて慰めてやりたいし、今日もこの後帰ります。洋子が待っていますからね、帰らないといけない。二人で話しているとだんだんベランメエ調になって、怒って僕を抓るんだけど手加減してるんだねえ、痛くない。ベッドに洋子を連れて行く時に窓から少しだけ夜景を見せると、穏やかな顔をしているんですよ。そんなときは寛ぎますね。あの時の放映は終わったけれど、そんな暮らしは続いています。今もカメラは回り続けていて、あのドキュメンタリーの続編がそのうちにあるでしょう。これをきっかけに同じ立場の人たちが慰め合えれば良いなと思います。それと研究のスピードですね、もっと速く研究してどうすれば良いのか手段を教えて欲しいですよ。

―映画のお話を伺おうと思いながら、ついつい奥様のお話になってしまって。木村さんは美術監督らしく、言葉からよりもイメージで映画を組み立てられるのでしょうか。この作品は現実と回想や妄想が渾然一体となって、何処からがどうで何処からがどうなのか曖昧なのが魅力でした。瘤になった木の銅版画も印象的でしたが。
長門:この作品は最初は「瘤広場」と言う題名だったんです。木の瘤と言うのは、伸びて邪魔にならないように人間が剪定したところが、木のほうにとっては傷口で、それをふさいで生き延びるために樹液で瘤を作って塞いでいく。瘤は木にとって生きた証であったり痛みと再生の後なんですね。最初そのイメージで作品が出来るのかと思っていましたが、木村さんはもう少し曖昧に広げていかれた。ストーリーよりもビジュアルから観客が自由に広げるイメージが大切なのかもしれません。ただ妻のエミ子がピアノを弾くシーンで、どうしても思い出せなかった曲の最後のフレーズを、夫に昔の恋人に似た画家が現れたことで思い出します。女性の究極のエネルギーは嫉妬だと言ってらして印象に残っていますね。

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(C)2008パル企画/ポニーキャニオン/トルネードフィルム

―「夢のまにまに」と言うのは、そのまま90歳を越えられた木村さんの今の心境なのかもしれませんね。現実と過去や未来を分けて考えるけれど、そのあたりは曖昧模糊と繋がっているのかもしれない、私たちは実は漂いながら生きているのかもしれないと、こうしてお話を伺って気が付きました。洋子さんも今そんな状態なのかもしれませんね。
長門:そうかもしれません。僕はこの仕事を始めて来年で70年ですが、洋子のことも含めいい時期にこの年だからこそ出来るいい作品に巡りあえたと思っています。この作品は今の若者の世界とは少し違うかもしれない。でも木村さんの今の若者に伝えたい思いが詰まっています。文化振興基金から助成金も出ていますが、この助成金は映画にとって肝心の企画や脚本には出ないでしょう? 本当は其処も支援して欲しいんですよ。去年邦画は400本作られましたが、どこも大変です。こんな風に映画を支援し元気付ける仕組みを強力にやって欲しいですね。特に京都は映画発祥の地ですから、その火を絶やさないように皆で力を合わせて守り立てたいです。この映画ぜひ御覧ください。(聞き手:犬塚芳美)

この作品は、11月29日(土)より第七芸術劇場 
        1月10日(土)より神戸アートビレッジセンターで上映
        1月京都シネマにて上映予定


<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 90歳と言っても監督の木村さんはエネルギッシュ。美術監督としての作品は途切れませんし、この後にも曾孫ほどの教えている造形大の学生たちと一緒に別の監督作品を撮り上げておられます。さすがにビジュアルの分野の方で言葉よりもビジュアルイメージが先に湧いてくるのではと、長門さんのお話を伺って感じました。その長門さんは撮影所でも別格扱いの映画界の重鎮なのに、とても気さくで丁寧に答えて下さり大感激。最初緊張していたのにだんだんと厚かましい質問までを重ねる始末です。映画のお話がすぐに奥様のお話になるのは、夕暮れ時でもあり、東京に残してきた洋子さんが気掛かりだったのでしょう。実際の長門さんはお元気ですが、映画の中ではもう少しお年を召したように演じておられます。慈愛を込めた瞳で人生を見つめる名優のしっとりとした存在感を味わってください。

映写室 「夢のまにまに」長門裕之さんインタビュー(前編)

映写室 「夢のまにまに」長門裕之さんインタビュー(前編)
    ―有馬稲子さんを妻の南田洋子さんと重ねながら―

 日本を代表する美術監督の木村威夫さんが、ご自分の人生と戦争への思いを綴ったものを基にして、初の長編監督作品に挑みました。命を救えなかった若者との往復書簡を挟み、老いと若さ、男と女、生と死を、戦争体験と絡ませて浮かび上がらせる様は、題名の通りまるで木村さんの「夢のまにま」のよう。90歳を超えての初監督はギネスコードだそうです。映画界での長いキャリアを物語るように、豪華な俳優陣が駆けつけていますが、木村さんに重なる主人公に扮するのは長門裕之さん。ちょうど長年連れ添った妻で女優の南田洋子さんがアルツハイマーになった様を、TVドキュメンタリーで公表した直後でもあり、この作品の話だけではなく、役とも重ねて介護の日々を伺いました。

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(11月14日 大阪にて)

<その前に「夢のまにまに」はこんなお話>  
 映画学校の学院長の木村は精神を病んでやめていった学生村上(井上芳雄)が気になる。村上は木村にどうして戦争をしたんだと、生きたかったのに死んでいった若者たちの無念さをぶつけていた。頻繁に手紙を交換するがとうとう自殺してしまう。そんな木村の前に木村を描く女性(宮沢りえ)が現れる。それは青春時代の淡い思いの相手に似ていた。自宅では妻のエミ子(有馬稲子)が夢と現の間で原爆で亡くなった姉の形見を離せないでいる。

<長門裕之さんインタビュー>
―映画界の重鎮の木村威夫さんの演出はいかがでしたか。
長門裕之さん(以下敬称略):木村さんは我々とは別の次元の方で、はるか上の事を考えてらっしゃいますから、あの方とイメージを共有するのは無理です。台本を見てもドラマツルギーから離れていて、参考にならなかったですね、役について何も見えてこないし浮ばない。で、どうしますかと伺ったら、何もやらないで下さいと言われました。これは僕ら役者にとっては辛い。イメージも沸かずしかも役つくりをやらないでくださいと言うのは、両手両足をもぎ取られたようなものです。現場での木村さんとは距離がありました。そんな訳で何もやらせて貰えず充足感のないまま撮影が終わったんですが、仕上がりを見るとさすがに木村さんですよ。初めて、ああこんな風になるのかと思いました。人間を救おうと思っても救えるもんではないとかいった葛藤が写っています。ただこれは木村さんの作品なのでこの中には自分のものは何もありません。

―長門さんを始め豪華な俳優陣ですよね。
長門:そりゃあ木村さんが長年映画界で培ってきたものがありますからね。宮沢りえさんはずっと主役を張ってきた人だけに存在するだけで輝いている。さすがにオーラが違いますね。有馬稲子さんは久しぶりの映画出演ですが、お婆ちゃんぶりが可愛いでしょう?仕事にかけるエネルギーが凄くて、有馬さんがいるだけで現場に緊迫感が出ましたね。桃井かおりだって少ない出番で存在感がありますしね。彼女のおかげで母親の役が大きくなっているでしょう?浅野君や永瀬君は前の作品からの付き合いでしょうね。これだけの俳優を集められるのはさすがです。能楽師の観世榮夫さんはこれが遺作になりましたしねえ。僕もこの年で主役をやれて幸せですよ。今上映中の東京でも評判が良くて、それもだんだん良くなってきて、弟のマキノ(津川)雅彦が俺も見に行くよと言ってくれました。

―有馬稲子さん扮する痴呆の妻を慈愛込めて見つめる長門さんが印象的でした。
長門:そうですか。まあ、そのあたりは現実と重なります。もうご存知だと思いますが妻の洋子が認知症をわずらってましてね、今日のように家を出る時等は気になるんです。これを撮っていた頃は、まだこの間のドキュメンタリーで見ていただいたほど悪くなかったんですが、ああいう場面等は家に置いてきた洋子の事が頭をよぎったかもしれません。当時はまだトバ口で認知症かどうか解らなくて、何で自分だけがとか、どうしてこんな事にとかね、泣けたし悲しかったですね。仕事に来ても本当言って頭のどこかに洋子のことがあって、これからどうなるんだろうと現実に怯えていました。しかも世間では洋子が仕事をしないので色々な憶測や間違った噂が広まっている。それも気になりましたし、僕自身も日々進行する症状に洋子はこの先どうなるんだろうと不安になる。認知症の行き着く先を知らないので、それも知りたい。こうなったら洋子を皆に見てもらって、この病気をもっと研究してもらおう。そうしてこの病気が治るようにしないといけないと思ったんです。今まで僕が洋子を映したものもたくさんありますから、今度も自分で映してもよかったけれど、それでは僕が映らないでしょう。我侭ですが二人の関係性を映しておきたかったんですよ。

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(C)2008パル企画/ポニーキャニオン/トルネードフィルム

―そのあたり映画監督の視点で、さすがマキノ一族の方だと思いました。
長門:日本はこれから凄まじい高齢化社会に突入しますからね、アルツハイマーは大変な問題になってくる。この病気はもっと早く研究されるべきだったんです。そうしたら洋子だって直っていたと思う。洋子の最後の仕事は僕と一緒の北海道の旅番組でした。洋子が「どうしても台詞が覚えられないからカンニングペーパーを出してもらってもいいか」と言うんですよ。「そんないい加減なことは駄目だ、付き合ってやるから徹夜しても覚えろ」と怒って、二人で必死で一晩中洋子は泣きながら何とか覚えたんですが、その後で「台詞が覚えられないから仕事をやめてもいい?」と言って、それが最後の仕事になりました。その時はまだ認知症だとは思わなかったんです。
―先日放映されたお二人のドキュメンタリーは凄い視聴率だったと伺いますが。
長門: 7時台に地味なドキュメンタリーだと言うのに23パーセント近くの数字が取れた。それは洋子が女優と言うのも大きかったでしょうし、世間の皆さんが僕らに注目してくださったわけですからありがたいですよね。翌週の別のドキュメンタリーは7パーセントも取れなかったと聞いています。誰でも同じなんですけどね、残念ですが現実はそんなもんです。やっぱり洋子だから皆の注目を集めたんでしょう。ただ実際はあんなどころじゃあありません。もっと大変な事や修羅場があります。僕も情けなくてね、思わず叩いてしまう事もある。(聞き手:犬塚芳美)
              <明日に続く>

この作品は、11月29日(土)より第七芸術劇場 
        1月10日(土)より神戸アートビレッジセンターで上映
        1月京都シネマにて上映予定

映写室 NO.178 Theショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった

映写室 NO.178 Theショートフィルムズ みんな、はじめはコドモだった
     ―「こども」を題材に5人の監督が紡ぐオムニバス映画―

 長編は物語を紡ぎ、短編は言いたい事を伝えるというお手本のような作品が届いた。大勢のスタッフを率いる映画監督はバランス感覚として限りなく大人だけれど、表現したいと言う欲望など際限を知らず、見方を変えれば限りなく子供だと思う。そんな大人子供の監督たちに「こども」という題材が与えられたらどんな物語が生まれるだろう。日本を代表する5人の映画監督が、オリジナル脚本で5つの珠玉の物語を綴ります。どの短編にも思いが凝縮されていて、伝えたい事って実はこれくらいのほうが伝わりやすいのかもと思う。それぞれにらしさが溢れ、かって子供だった5人の心の中に巣食うロマンを覗いたような気がする。今の社会への警告も読み取れるのは社会派を集めた所以でしょう。

《展望台:阪本順治監督》178-展望台代表_mail
(C)2008朝日放送

 <閉店後の通天閣に中年の男(佐藤浩市)と>一人の少年が取り残される。少年の背中には「この子をよろしく」と張り紙があり、男は自殺しようとしていた。親に見捨てられた子供と人生に見捨てられた男は、大阪の町を見下ろす夜の通天閣で次第に心を通わせていく。
 <大阪生れらしく通天閣を舞台に>物語を紡ぐ阪本監督にとって、ここは高校時代のちょっと閉じていた時に訪れほっとした場所らしい。この不確かな時代、実際に死なないまでも、死にたいとか死んでもいいやと思うことなら誰にだってあるだろう。それでも、無邪気な少年に何をしてるのと声を掛けられると、飛び降りようとした仕種をごまかして世間話に逃げるほどの大人の分別はある。
 <展望台に取り残された二人は>、双眼鏡で覗く地上の小さな幸せからは遠いところにいた。でも不幸な同士の一夜で奇妙な連帯感が生まれて、何とかなるようにも思えるものだ。子供って気付かないふりをしながら実は大人のことがよく解っている。小父ちゃんが生きててくれるだけで嬉しいと言われれば、心の中に灯が点ったようなもの。主人公の世代の監督が、ほんわかとした結末に些細な触れ合いの温かさを込め、人生こんなこともあるよと元気つけているようにも見える。

《TO THE FUTURE:井筒和幸監督》 
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(C)2008朝日放送

 <とある小学校の5年生のクラス>、ブラジャーをつけ始めるのは本人にとっても他の少女にとっても大事件だし、男子にとっても妙にくすぐったい出来事だ。それを囃したりからかったり傷ついたりの子供たちの繊細さなどお構いなしに、今日もモンスター先生(光石研)は訳の解らない事を喚いて一人暴れまくる。
 <先生は子供たちにとっての社会の入り口>のはずなのに、この所きゅうきゅうした社会で肝心の先生方がバランスを崩している。この教師も自分の歪んだ価値観を押し付けたりとめちゃくちゃで、子供から大人への扉を開ける大切な時期に、夢を持って未来に導く水先案内人がいないのだ。でもそんな大人にあっけにとられながらも、子供たちは何とか育って行くというのが井筒監督の視点。大人に頼らず、未来は君たちが掴み取れって訳で、この物語は現実への諦めと究極の子供への信頼だと思う。しなやかな子供のほうがある意味大人というのも、今的なのだ。

《イエスタデイワンスモア:大森一樹監督》178-イエスタデイワンスモア代表_mail
(C)2008朝日放送

 <女手一つで育ててくれる母親(高岡早紀)>を助けたくて、玉手箱を持った男(岸部一徳)に10歳の少年から一気に大人にしてもらった将太(佐藤隆太)は、別人に成りすまして母親の飯屋を手伝う。事情を知らない母親は青年の姿の将太に心を動かし始め、このまま大人でいたほうがいいのか、元に戻ったほうがいいのかと、…。
 <本格的な時代劇の設定で、不思議な世界が>展開する。しかも短編という設定を生かしたテンポのよさで、省略された部分が余韻を引く。昔ならば10歳の子供のいる母親は、もはや母親でしかなかったけれど、今の母親たちはまだ充分に身も心も若いのだ。男は「人は誰も一度生きた年齢をもう一度生きようとは思わない」と言うが、子供に返りたい大人は多い。この作品は大人目線で見た子供の話だけれど、いや案外子供はこんな風に老成しているのかもしれないと思ったりもする。母親の感情と言いちょっとほろ苦い味わいの小品です。

《タガタメ:李相日監督》
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(C)2008朝日放送
 
 <余命3ケ月と宣告を受けた初老の男(藤竜也)>は、キャンプ場に車を停め、練炭を焚く準備を始める。隣には39歳になる知恵遅れの息子(川屋せっちん)がいて、彼を一人残して死ぬわけには行かないと、思いつめた挙句の無理心中だった。そこに現れたのが死神(宮藤官九郎)で、止めながら「人は死に方は選べない」と言う。
 <何とも切ない物語だ> 親にとって気掛かりなのはいつも子供で、なかでもいつまでたっても子供のままの息子は、一人残していくのが不憫で道連れにしたくなるのだろう。二人の演技で親子の情愛をリアルに感じて胸が痛い。重く沈んでしまう話が奇想天外な話に広がり、死神役の宮藤官九郎の跳躍で攪拌されるのが良かった。この息子だって彼らしいやり方で一人で生きていけるかもしれないのだと、これを見ていたときは思えた。でも時間がたった今は、心配する父親の気持ちが痛いほど解る。障害を持つ子供をもつ親が見たらたまらない話だと思うが、社会正義を押し付けてこないのが良かった。
 
《ダイコン:崔洋一監督》 
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(C)2008朝日放送

 <「ご飯よ」と家族を起こしながら、母親(樹木希林)>はダイニングテーブルを整える。かって学生運動に没頭した父親(細野晴臣)も今は定年でぶらぶら、娘(小泉今日子)は夫に浮気され息子は勝手に留学して実家に出戻っていた。それぞれの一日が終わり、又夕食に3人が集る。
 <一見ばらばらのような家族だけれど>、かみ合わない会話の行きかうダイニングテーブルを軸に、緩やかにつながりこの一家の一日は回っていく。娘は母親の子供でもあり、息子の母親でもある。すれ違いながらもどこかでお互いを理解していた。そんな普遍的な親子のつながりが緩やかに描かれる。


 <短編というのは、スケッチのような物だ> 全ては描かず日常の断片から観客の想像で全容を浮かび上がらせる手法を5編のどれもが取っている。どれも凝縮された監督の思いが明確で、魅力的なオムニバス作品です。
 この作品は2008年7月の朝日放送新社屋記念事業で作られたもので、当初は新社屋でのイベント上映だけの予定でしたが、好評につき一般劇場公開に漕ぎ着けました。(犬塚芳美)


  11月26日(土)より、
      新設のTOHOシネマズ西宮OSにてオープニング先行ロードショー!
  ’09年1月10日(土)より、梅田ガーデンシネマで上映
  '09年1月、京都シネマにて上映予定

映写室 NO.177空想の森

映写室 NO.177空想の森   
 ―北海道新得町(しんとくちょう)の農ある暮らし―

 「空想の森」とはなんて詩的な言葉だろう。夢見がちな言葉のイメージの通りに、このドキュメンタリーの舞台はまるで神様が舞い降りそうな素敵な場所だ。そこに住んでいるのは神と共存するのに相応しい何かを乗り越えて達観した人々に見える。そんな皆にカメラを向けた田代陽子監督の気負いの無さにも和む。声高に何を言うでもなく、ただ魅せられたままに穏やかな人々と情景が映っている。北の国から届いた優しいビデオレターです。

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(c)森の映画社 映画「空想の森」上映委員会

 <サプライムローンの破綻から始まった>架空経済の揺らぎの後、豊かな暮らしって何だろう、本当の暮らしって何だろうと、誰もが自分の暮らしに疑いの目を向け始めている。もちろんそれは人の数ほどある正解だけれど、このドキュメンタリーに映っているのも一つの答えだと思う。
 <ここでは北海道の美しい自然とともに>、1970年代後半に食べ物をつくって暮らそうと、京都から新得町に入植した宮下さん夫妻と、20代半ばの自分探しの旅で、社会に馴染めない人や障害をもつ人たちと一緒に作る農場「新得共働学舎」に出会いそこで働いて、子育てをして、野菜を作ってと、逞しくしかも自然体で生きる大阪出身の山田聡美さんを主に映しています。

 <まだ歩くことも出来ない子供を背中に背負って>、時には土の上に置き、時には泣き止まない子供をひょいと小脇に抱えたままで農作業をする若いお母さん。手間ひまをかけても箱代ほどでしか売れなかったトマトの話、産地直送の野菜を待っている都会の大勢の人たち、苦労話とその中の喜びを語るこの人たちの穏やかさは何だろう。こんなところで暮らしていると、自然を相手にじたばたしたところで人間なんてたかが知れていると思い知らされたのだろうか。おいしそうに食べる季節の野菜、畑から引き抜いてその場で切って口に入れた瑞々しい大根を誰でも食べてみたいと思うだろうし、電子レンジにかけただけでバターと蜂蜜で食べるずっしりと詰まったかぼちゃを食べてみたいと思うだろう。

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(c)森の映画社 映画「空想の森」上映委員会

 <このドキュメンタリーのきっかけは>、1996年、札幌から釧路方面に汽車で約2時間半の距離、北海道のほぼ真ん中にある新得町で開かれた(SHINTOKU空想の森映画祭)という小さな映画祭だったという。田代監督は其処で初めてドキュメンタリー映画と出会い、同時にこの町で農業をして暮らす魅力的な人々にも出会った。ここを舞台に映画を作ろうと思い立って7年、資金が底をついて途中で頓挫したり、体を壊して半年ほども休んだりと、試行錯誤の後に完成したのは、土の上で働く人々の生き生きとした姿や、親子のふれあい、美味しそうな季節ごとの野菜を映したもの。この町の何気ない日常に、自然と共に暮らす生活の健全さや、土に触れる豊かさを思い出します。(犬塚芳美)

  この作品は11月22日(土)より第七藝術劇場で上映。
  監督の舞台挨拶もありますので、
  上映時間等は直接劇場(06-6302-2073)にお問い合わせください。


※<新得共働学舎とは>
 全国に6ヶ所ある共働学舎の一つで、1978年に宮嶋望さんが心や体に障害を持つ人たち、社会に馴染めない人たちと共に生きていける場所を作ろうと立ち上げた農場です。50人ほどが農場の内外でそれぞれが出来る仕事をしてともに暮らしていて、牛を飼い乳を搾りを理想的な環境で行い、今や本場ヨーロッパも認めるほどのナチュラルチーズを作ります。宮下さんは同じ年に入植した為、お互いに助け合って暮らしてきました。

映写室 「黒い土の少女」上映案内

映写室 「黒い土の少女」上映案内
    ―今年で2度目の「韓国アートフィルム・シーョケース」―

 反韓流と名うった「韓国アートフィルム・シーョケース」が関西の第七藝術劇場でも始まっています。2006年に続き今年で2回目で、アート系韓国映画の連続上映を行い、前回は「キムチを売る女」に衝撃を受けましたが、今回上映の4作品「黒い土の少女」、「俺たちの明日」、「永遠の魂」、「妻の愛人に会う」も、すでにベネチア、ロカルノ、東京等、世界各国の映画祭で好評を博したもの、韓国映画の多様さと水準の高さを思い知らされるはずです。ここでは「黒い土の少女」を紹介しましょう。

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<荒筋>
 ヨンリムはまだ9歳の少女。炭鉱夫の父と知的障害のある兄の3人で暮らし、母親のような役目も果たしている。だが父がじん肺症で仕事を首になり、保証金で買ったトラックも事故で傷めてしまう。やけになって昼間から飲んだくれる父、家にお金は無く買い物に行こうにも万引きをするしかない。もう駄目だと、小さな胸を傷めある決心をする。


 <主人公の少女ヨンリムを演じるのは>ユ・ヨンミ。韓国のテレビ界で活躍する名子役で、洗練と言うより朴訥な子供らしい自然体に、大人びた表情を時折滲ませ、この少女の孤独をリアルに伝える。こんな少女の健気な決心を、誰が想像できるだろう。
 <もう日本では見られない>素朴さを残した表情が、洗練された演技と対照的で、ユ・ヨンミは貴重な存在だ。赤いセーターがせめてもの子供らしさで、幼い彼女が家事を一人で引き受け、皆を助け励ます役目も担ってきていたのだ。希望をなくして酔いつぶれる父と、訳が解らずに無邪気なままの兄の横で、1人で思いつめていく様子がいじらしい。ほとんど見せないからよけいに、その子供らしい笑顔がまぶしかった。物語のトーンは彼女の心象風景を切り取るように、現実を描きながらその静謐さで現実を超えさせる。

 <石炭から石油へのエネルギーの転換は>、多くの人とかっての繁栄の町を過去へと置き去りにしていく。時代ほどには人も町も変われないもの。日本でも最近も「フラガール」とか、寂れていく炭鉱の街をテーマにした作品があるが、廃坑寸前の寂寥とした町の風景は、見ていても辛い。9歳の少女に未来が見えただろうか。孤独を募らせ、空想の世界に遊んで、ありえない物語をつむぎだしたとしても無理の無い事。時代の変化が大人の人生を狂わせるだけでなく、子供たちの人生や表情を曇らせるのが痛ましい。

 <韓国の映画だけれど>、過剰さよりは省略で想像させる手法で、物語と映像の静謐さが心に染みます。からっと乾いてどこかフランス映画の香りがすると思ったら、チョン・スイル監督はフランスで映画術を学び、この作品もフランスからの援助を受けて作られている。この時代の変化は万国共通のもの、石炭と石油程に劇的でなくても、地方のシャッター通りとか、時代が置き去りにするものは多い。人のいた気配、繁栄の残骸、人は無くしたものほど思い出す。本拠地をソウルではなく釜山においてちょっと韓国映画界の本流とは距離をとっているのもこだわりがあるのだろう。(犬塚芳美)

 この作品、および「俺たちの明日」、「永遠の魂」、「妻の愛人に会う」の上映については、
直接第七藝術劇場( 06-6302-2073)までお問い合わせください。


<「韓国アートフィルム・シーョケース」とは>
 韓流ブームで日本でも韓国映画のファンが増えたものの、商業ペースの作品だけの配給になってしまった。韓国の映画振興委員会はそんな現象に異を唱えて、韓国映画の多彩さを伝えようと、インディペンデント系作品に限りない情熱を持つ所と組んで、この開催につなげている。委員長はハンギョレ新聞社の記者で、映画雑誌「シネ21」の編集長を歴任、女性映画人会の理事でもあるアン・ジョンスクさんです。

映写室 NO.176レッドクリフPart.1

映写室 NO.176レッドクリフPart.1   
  ―ハリウッドから里帰りのジョン・ウーが送る「三国志」― 

 オリンピック景気に沸いた中国から、その余勢を借りたようなスケールの大きい作品が登場した。見所の1番は迫力の戦闘シーンで、世界でもトップクラスのSFXスタッフと組みながら、リアリティと臨場感を求めて、撮影には1000人以上もの現役兵士と200頭以上の馬を使ったという。中国だからこそ可能なこの人海戦術、スクリーンからはみ出しそうな馬の大群、地響きまでを体に感じて、土煙にうごめく人々に圧倒される。制作費100億円が底をつくと、監督自らが10億円を投入し、最後まで完璧を目指した成果を大きなスクリーンで確かめて欲しい。男性向けの題材なのに、裏には愛や横恋慕が見える構成も巧みで、女性ファンにとってもトニー・レオン、金城武、チャン・チェンと、アジアの誇る美しい男優たちの競演が見逃せない作品です。

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(C) Bai Xiaoyan

<荒筋>
 西暦208年、80万の兵と戦艦2000を持つ曹操(そうそう)は、周辺に勢力を伸ばしていた。天下を掌握しようと劉備(りゅうび)と孫権(そんけん)にも降伏をせまるが、それぞれには、孔明(こうめい)と周瑜(しゅうゆ)と言う名将がいる。たった5万の兵で仁義無き大軍と戦うことになった。実は曹操の目的は周瑜の美しい妻小喬(しょうきょう)を奪うことだ。


 <孫権の悩める君主にはチャン・チェン>、その軍の人望厚い司令官周瑜はトニー・レオン、彼の妻小喬役にはトップモデルのリン・チーリン、ここの武将に日本から中村獅童が参加して、周瑜をかき口説く劉備の軍師孔明には金城武が扮する。…と乱世を生きる英雄が大集合で、漢字が続いて飲み込みにくいけれど、実際に画面を観れば大丈夫。時々洋画で、同じような体型で同じくらいの年齢の、同じようなスーツを着た白人が次々と出て来て、アジア人の私には誰が誰なのか訳がわから無くなることがあるが、この作品はそこらあたりに充分な配慮があり、特徴的な顔立ちの俳優を並べた主な人物たちは、他の文化圏の人にも解りやすいと思う。そう考えると日本からは美男と言うより個性派の獅童というのも、納得が行く。
 <三国志やそれぞれの俳優を知らなくても充分>楽しめるが、知っていればより深くなりそうで、通には通の深さのある作品だ。実は私は1日置いて2度観たが、2度目になってより細かい表情に気が付いた。覇権争い、駆け引き、奇策、ちりばめられている有名なエピソード、今回の工夫等、監督の構成した多くの下敷きの上で俳優達はそれぞれの人間ドラマを演じている。歴史的な争いを見るか、人間ドラマを見るか等、一度に全てを見るのは無理なほどに重層な仕組みになっているのだ。余裕があれば繰り返し見て、より創り手に近い視点で、ジョン・ウーの企みや方法論を探ると面白いと思う。

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(C) Bai Xiaoyan

 <まず魅せるのがトニー・レオン> この配役は難航して色々なビッグネームが出ては消えたが、今回の情に厚く穏やかな周瑜像はトニー・レオンと決まってから書き直したものだという。指揮棒を手に冷静に軍を動かしていても、いざとなると先頭に立って攻めていく果敢さ。勇ましい戦闘シーンだけでなく眼差しの一つで心を掴む人望の厚さを滲ませ、皆にとっての司令官は一人の男として限りなく魅力的なのだ。金城武と二人並んだ美しさは格別で、一番の見せ場のジャズセッションを思わせる激しい琴の競奏は、この物語が争いを描いているのを忘れさせる。時々絡みつく二人の視線はいわば男同士のラブシーン、一方リン・チーリンとの本物のラブシーンは、少しぎこちない所に二人の気品が漂い甘やかで美しい。トニー・レオンはやっぱりラブシーンの名手なのだ。

 <金城武は今までで一番と言って良いほどの存在感>で、深い彫りの顔が時々憂いを帯び、美しい青年はいつの間にか大人の色香を漂わす骨太な男になっていて驚かされる。少し乱れた髪にこの男の複雑な心情を覗かせるのが、今後の展開を不透明にして又見事だった。チャン・チェン君主の端整な横顔に浮かぶ苛立ちと気負い、その妹の大きな瞳と勇ましい姿、一人一人の人格が際立ち、個性的な俳優陣が織り成す人間模様に魅せられる。
 <人を切っては捨ての残忍な血生臭い話>なのに、気の弱い私でも何とか見れるのは、監督の込めた躍動感と軽快なリズム、からっとした作風だと思う。武将は誰もが主君に忠義を誓い、信じる力で戦いを潜り抜けていく。男達の物語なのに、匂やかな女達が少ない出番で鮮やかさを加え、しかもラストには甘い歌声がこの物語の底流の愛を浮かび上がらせる。時代劇なのに其処に流れているのは今と変らない空気感と言うのも見事だった。…とジョン・ウーへの賛美が止まらない。

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(C) Bai Xiaoyan

 <そんな人間模様だけでなく>、本来の「三国志」ファンには見逃せない、名場面や両陣営が繰り広げる戦いの形も解りやすく示されていく。ざざっと動く楯の作る亀甲模様の八卦陣、逃げたと思わせた女達を使った囮作戦や奇襲と、鮮やかな展開だ。もっとも肝心の赤壁の戦いは4月公開の5時間の物語の後半、Part.2に委ねられて、待ち遠しい。
 <この作品は衣装や小道具も見所で>、よく見ると大胆なデザインなのに、しっくりとした色で全てを馴染ませ、観客を幻想の世界に引き込んでいく。ワダエミの撒いた種は中国衣装のレベルを相当に押し上げている。しかも誰もがそんなコスチュームに負けることなく着こなし、しっかり人物像に焦点を当てさせるのが見事だった。壮大な物語に負けない壮大な映像になっている。

 <ジョン・ウー監督の18年の構想>に、中国が国を挙げてサポートし、日本、アメリカ、韓国、台湾等の大手映画会社も資本参加した。ハリウッドに挑む大作は、多くの協力で成り立っている。それがこの作品のテーマ「友情」、「智謀」、「団結」にも重なるようで、男達の企みは大勢の仲間と、影で支える女達がいればこそ実現できるのだった。ジョン・ウー監督の描いたのは今回も男の世界。ロマンと友情に支えられたヒロイズムは、さあ後半でどうなるのだろうか。(犬塚芳美)

   この作品は全国で上映中。

映写室 NO.175天国はまだ遠く

映写室 NO.175天国はまだ遠く   
 ―海と里山で癒されに、宮津に行きたい!― 

 <仕事や日常に疲れると>何故か人は旅に出たくなる。しかもそんな時に目指すのはたいてい自然溢れる田舎、靴を泥だらけにして野山を歩きたいと思うものだ。癒しの旅の目下の候補地は宮津。ぐっすり眠って、目覚めたら産みたての卵で作った玉子焼きと、炊き立てのぴかぴかのご飯を食べて、おみお付けの具は前の畑で取れた野菜。お昼ご飯には蕎麦を打ってもらおう。物音一つしない夜は寝転んで満天の星を眺め、後は闇と一緒に眠るだけ。旅行鞄を横目に、そんな時間を夢見てこの映画のロケ地マップを眺めた。
 <「幸福な食卓」等の映画化作品もある>、瀬尾まいこ原作の温かい癒しの世界が、そんな自然と、M-1グランプリも制した人気お笑いコンビ、チュートリアルの徳井義美演じるストイックな青年から伝わってくる。紅葉の頃と季節もいい。(海と里山に抱かれに、宮津に行きたい!)と思わせられる作品です。

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(C) 2008『天国はまだ遠く』製作委員会

<荒筋>
 仕事も恋も上手く行かない千鶴(加藤ローサ)は、「知らない土地でさよならするのだ」と空っぽのトランクを持って、小さな町を訪れる。絶景の宿「たむら」と言う民宿に泊まり、睡眠薬を大量に飲んだが、32時間後に美味しそうな匂いで目覚める。主は両親からここを継いだ若い男(徳井義美)で、1泊1000円で良いという。千鶴は死のうとしたことも忘れ、田舎暮らしを楽しみ始める。


 <話自体はちょっとした御伽噺のような浮遊感>でも、そこは日常の微妙な思いをさりげなく描く瀬尾まいこ、ディテールや言葉がはっとするほどリアルで、この物語を身近に感じさせる。明日にでもふらっと出かけて、タクシーで民宿「たむら」を探せばこの少女になれそうだ。「ここは何もないとこや」と田村が言うけれど、何もないからこその宮津の自然とそこに住む田村の無骨な優しさに癒されて、知らず知らずに頬が緩む。若い頃の絶望なんてそんなもの、この作品で、死のうと思っても些細なきっかけで明日はあっけらかんとなれるのを、思い出して欲しい。

 <自殺にも失敗し、恋人へのその予告も意味が伝わらない>、不器用でノー天気な千鶴を加藤ローサが可愛く演じて、微笑ましくもある。たいていの若い女性は、千鶴のように思い込みで八方塞に陥ることがあるものだ。死にたい願望だって、このレベルだったら解る。そこがこの物語の巧みさで、構えているものを脱げば、誰もがこんな風にそそっかしくてちょっと自惚れの少女になってしまう。長逗留してもあくまで旅行者の視点で、そこに溶け込み過ぎないのもリアルで、まるで私たちが何処かを訪れたかのように物語は展開する。何か訳があるらしい旅行者を、何にも聞かず温かく包み込む人々。少し休めば元気は戻るもの、ここは人生の小休止を黙って受け止めてくれる場所らしい。

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(C) 2008『天国はまだ遠く』製作委員会

 <傷心の千鶴をさりげなく包む田村は>、都会の青年にはない骨太さが魅力だ。こんなに長い演技は初めてだと言う徳井が、田村は普段の自分のままだと言う様に、あまりに自然に演じるから、現実と混同して彼を探しに宮津に行きそうになる。既存の俳優ではない匂いに「あの人の本業は何?」と聞くと、さすがは大阪の人たち、皆詳しくて得意そうに、今人気のお笑いコンビのイケメンのほうだと教えてくれた。映画を見ない人や大学生にもそんな話題を出したが、私以外は皆彼のことを詳しく知っていて驚く。今度は映画ファンにも認知されたわけで、徳井義美の素敵さを見る作品でもあるのだ。余談だけれど、相棒のほうもさりげなく登場しているので、ファンの方は楽しみに見て欲しい。

 <自然な演技の二人が演じるから>、千鶴と田村のほのかに芽生えた思いもリアルで、まるで不器用な友達の恋を覗いている気分。気が付くと観客全員が二人の応援団になっている。思いとずらした台詞や繊細な感情表現が巧みで、本当の事は言わないもの、創造の世界はとても繊細な域に入っているのだと、原作者、監督、演技者等と若いクリエーターたちの力量がまぶしい。
 
 <宮津が故郷の原作者だけでなく>、シナハンをした長澤雅彦監督と脚本家の三澤慶子さんも、よほどこの地を気に入ったのだろう。自分たちの故郷の様に、愛を込めて宮津の名所を案内している。
 <圧倒されるのは、見上げて俯瞰してと>、色々な角度からカメラが捕らえる紅葉のメガネ橋の情景。自然は癒しばかりではない。人を引き込むような魔力もある。自殺の名所と言うのが解かる様で、美しさに魂を抜かれそうになる。自然の中で暮らすとはそんな魔力にも負けない何かを体の芯に持つこと。それが田村を素敵にしている物でもある。魂を抜かれても仕方ないから、この橋に立ってみたい。(犬塚芳美)

   この作品は11月8日(土)より、テアトル梅田、なんばパークスシネマ、
                     MOVIX京都他でロードショー
          11月15日(土)より、109シネマズHAT神戸で上映予定

映写室 「天安門、恋人たち」シネマエッセイ

映写室 「天安門、恋人たち」シネマエッセイ
    ―政治運動と恋とセックス―

 <中国映画が今面白い> 「レッドクリフ」のようにハリウッドに挑む大作もあれば、アート性の高い作品も作られる。この作品は後者で、中国では未だにアンタッチャブルな天安門事件と言う題材を、あの中にいた学生の視点から描き、大胆なセックスシーンも多いから、2006年にカンヌで上映された時、会場は賛美と衝撃でざわめいたという。しかも中国政府の許可を得ないまま国際映画祭に出品したから、後で「技術的に問題がある」と言う、訳の解らない理由で国内での上映が禁止になったし、ロウ・イエ監督は5年間の表現活動の禁止が言い渡されたりもした。この頃の日本では鳴りを潜めた、タブーに挑む前衛性が頼もしい作品なのだ。

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 (C) LAUREL FILMS/DREAM FACTORY/ROSEM FILMS/FANTASY PICTURES 2006

 <1989年6月にあった「天安門事件」>を覚えているだろうか。たまたま北京にいたテレビクルーが、武力鎮圧されて不気味に静まり返る天安門広場を映し、「この向こうで何が起こっているのかは解らない」と言いながら、何かに怯えて無意識に声を潜めていたのを思い出す。自由化は近いと思っていたのに、突然の事態にこの国が私たちの国とはまるで違うのを実感させられた。当然西側諸国の非難は激しくて、内部抗争も引き金になっていただけに、政府にとっては未だに清算できない事件のようだ。

 <この作品はそれを描いているわけではない> 田舎から北京の大学に進んだ超エリートの女子大生が、そんな時代を生きて、運命の男と出会い恋をしてセックスをして、別れながら忘れられずに、幾多の相手を経て又巡り会うと言う物語で、10年ほどの移り変わりの激しい中国をバックに、人は時代ほどには変われなくて、あの頃の記憶を抱えたまま体と魂がさ迷う様を描いたものだ。
 <これほどセックスシーンを描きながら>、誰と体を重ねても零れる主人公の虚ろさ。それは、もう手が届かないあの時求めた自由とあの時の彼が纏っていた自由への郷愁。いや、全ての可能性を信じていた若い日の自分への郷愁かもしれない。大学を出たばかりの監督が、あの騒動の中にいたからこそ持てる共感で虚ろさを描いている。

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(C) LAUREL FILMS/DREAM FACTORY/ROSEM FILMS/FANTASY PICTURES 2006

 <時代は20年ほども違うけれど>、この物語が日本の学生運動の頃に重なっていく。あの頃も革命を唱えながら、アジトの中で若者たちは目の前の恋とセックスで、時には仲間同士争うこともあった。自由と改革と恋とセックス、まるで違うこれ等が切り離せなくて、時に革命や自由は恋になりセックスになったのだった。でもどちらも追えば追うほど遠ざかる。全ては夢でもあり、若者のエネルギーの発露でもあったのだと思う。

 <政治の季節の残したものは重く>、運動の余韻を未だに引きずっている人は日本にもいる。衝撃の時代を見た若者を覆った虚しさと喪失感が、人生を曇らせた。空回りした虚しさこそが自由の代償で、さ迷う事も仕方がないと、しみじみと思わされる作品だ。それがあの時代を伝えることかもしれないのだから。
 余談だけれど、この年の1月、日本では雪の降る日に昭和天皇が崩御し、ドイツでは11月にあっけなくベルリンの壁が崩壊している。1989年も世界は激動していた。(犬塚芳美)


   この作品は第七藝術劇場で上映中。
   時間等は、直接劇場(06―6302―2073)までお問い合わせください。

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