太秦からの映画便り

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映写室 2008年各部門ベストテン

映写室 2008年各部門ベストテン
    ―米映画スーパーヒーローの進化と邦画人気―

 2008年も残すところ1日となりました。一年間の閲覧を有難う御座います。今年最終の映写室は、2008年公開(関西での一般公開時が基準)の映画各部門ベストセレクトです。こうしてみると良作が目白押し。今の日本の映画環境は観客の立場だと恵まれていますね。大ヒットし出来も良いから、名前を出さないのが悪いような作品がたくさんこぼれていますが、思春期物やひりひりとした人間の痛みを描いた作品に弱いと言う、筆者の偏重だとお許し下さい。ドキュメンタリーも独自の視点の良作が続きました。こちらは小さい作品が毀れてしまって御免なさい。まだ劇場で見れるものもあるし、もうDVDが出ているものもあります。新作以外のお正月のお楽しみに!

<洋画部門>
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(C) Bai Xiaoyan

作品ベストテン
1位 ダークナイト……ハリウッドの進化を示すヒーローと悪役の心の複雑さ
2位 ある愛の風景……荒い画像、極端なクローズアップ、大胆なセリフの省略
3位 パラノイドパーク……スケボー場で少年がひょんなことで陥る悲劇
4位 フートンの理髪師……ドキュメンタリータッチで描く開発の裏側の老人達
5位 アメリカを売った男……二重スパイとその部下の息も詰まる探りあい
6位 コントロール……伝説のバンドの夭折したボーカリストの繊細な神経
7位 フィクサー……農薬汚染に絡む企業弁護士と落ちこぼれ弁護士の騙しあい
8位 ブーリン家の姉妹……エリザベス1世の母という歴史の影の人物に光を当てる
9位 スルース……配役を真逆にしてリメイクされた息も詰まる二人の駆け引き
10位 ゼア・ウィル・ビー・ブラッド……石油に魅せられた男の半生

  監督賞…スザンネ・ビア(ある愛の風景、アフターウエディング)
  主演男優賞…トニー・レオン(ラスト・コーション、レッド・クリフPart1)
  主演女優賞…ナタリー・ポートマン(ブーリン家の姉妹、宮廷画家ゴヤは見た)
  助演男優賞…ヒース・レジャー(ダークナイト)
  助演女優賞…ヴァネッサ・レッドグレーヴ(つぐない)
  女優新人賞…タン・ウエイ(ラスト・コーション)
  男優新人賞…ジム・スタージェス(ラスベガスをぶっ飛ばせ、
                   アクロス・ザ・ユニバース、ブーリン家の姉妹)

<邦画部門>

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(C) 2008 映画「おくりびと」製作委員会

作品ベストテン
1位 スカイ・クロラ……生きることの辛さを静かに訴える大人のアニメ
2位 パコと魔法の絵本……カラフルな映像と作品世界を楽しんでいるはじけた演技
3位 休暇……罪人を善人に返してからが死刑執行官の仕事という複雑さ
4位 真木栗ノ穴……何が現で何が妄想か、作家の文学世界を映像に移し変えた
5位 山桜……キッタハッタを封印して、武士と彼に惹かれる女の心を丁寧に描いた
6位 カメレオン……テンポの良い活劇の中に不安定な世相を盛り込む
7位 おくりびと……北国の静謐な空気間の中、納棺士と言う仕事を認識させた
8位 蛇にピアス……痛みこそが生きている証という、ひりひりした青春
9位 ビルと動物園……故郷を離れてふわふわと暮らす娘を心配する老いた父
10位 きみの友だち……映画化の続く重松清原作の夭折した友だちとの思い出

   監督賞…阪本順治(闇の子供たち、カメレオン、Theショートフィルムズ…)
   主演男優賞…西島秀俊(休暇、真木栗ノ穴、東南角部屋二階の女、丘を越えて)
   主演女優賞…坂井真紀(実録連合赤軍、ビルと動物園)
   助演男優賞…小林薫(休暇)
   助演女優賞…小泉今日子(転々、トウキョウソナタ)
   女優新人賞…マイコ(山のあなた 徳市の恋)
   男優新人賞…徳井義美(天国はまだ遠く)


<ドキュメンタリー部門 ベストファイブ>
1位 ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト……ミック・ジャガーの少年性
2位 おいしいコーヒーの真実……コーヒー農家の窮状とフェアトレードの大切さ
3位 アメリカばんざい……アメリカ大学の高額費と奨学金免除の為の兵役
4位 いま、ここにある風景……地下資源を消費し続ける人類に未来はあるか
5位 ウォー・ダンス/輝け僕らの鼓動……少年兵、幼い娼婦にされる内戦地帯の現状

 さあ、いかがでしょう。主演、助演は(え、彼は主演よ)等々異論がありそうですね。冨司純子さんは今年も少ない出番で一気に作品のグレードを上げてしまうという力技を随所に見せて、感嘆するばかり。最初其方にしていたのですが、こんな事をしていたら毎年そうなりそうなので、今年は後輩に譲っていただく事にしました。来年も良い作品が目白押して待機中です。ご期待下さい。(犬塚芳美)
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映写室 『いのちの作法』小池征人監督インタビュー(後編)

映写室 『いのちの作法』小池征人監督インタビュー(後編)  
 ―ハンディの重さが命の重さ―

(昨日の続き)
―田舎では何処も若者が都会に出て行ったまま帰らず困っています。沢内の若者達はどうですか。
小池:もちろんこの町にもそんな問題はあります。東京とかの大都会だけでなく、盛岡とかの県都に出て行く。でもここでは人が流出するのを憂う以上に、外から人を呼び込もうと考えている。それが里親制度であり障害者の施設や老人医療を町の中に置くことで、よそから人が来たり雇用等が増えるのを模索しています。

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―施設の子供たちが沢内に来るシーンがありましたね。
小池:ええ。ラッキーだったのは夏に増田君という青年に出会ったことで、施設の子供たちの里親になると聞いてこれは映画になるなと思いました。よその人間が行ってそこの人間が当たり前に思っていることを再見する。そういう意味では両方の二人三脚で生れた作品です。ホームステイでも、子供たちを世話するのは老婆でしょ。虐待等で傷ついて人間不信になっている子供たちにかける言葉が温かくてね。一番人間力を持っているのが老人なんですよ。そんな老人が一杯いるのも、50年前から生命行政に力を入れてきたからでしょう。元々命というのは2つの命から誕生する。1人では生きられないんです。1人で頑張れるのは10年くらいじゃあないかなあ。後は上手に迷惑を掛け合って命をつないでいけば良いんですよ。

―そう考えるとこれから年を取るのが怖くなくなりました。その代り今私が出来る事はお手伝いしないといけませんね。
小池:そうそう、そうやって順番に迷惑を掛け合っていこうと言う事です。
―「雪見そり」のシーンは、雪が消えてしまわないかとハラハラして見ました。
小池:豪雪地帯なのに撮影の頃は雪がなくてね。いつもは厄介者の雪を町の皆が降れ降れと祈ってくれるんですよ。あのシーンは、太田さんのお孫さんが「雪見そりに乗せてあげたいなあ」とポロッと言うんで、「やろうよ」とけしかけて始まったんです。13年前に実際にあったらしいんですが、作り手の欲望と現地の人の心の隅にある小さな願望とがシンクロして生れたシーンです。悪く言えばやらせだけれど、それで良い。考えてみると映っているのは弱者の集団なんだけれど、弱者というのは大事なテーマで、表現法によってはそれがヒーローになるんです。

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―とりわけ心に残るのが、90歳を超えた父親が施設で暮らすお嬢さんを訪ねるシーンです。お嬢さんの恥ずかしそうな、逆に父親を気遣うような瞳が忘れられません。世間一般だと、障害のある子供を残しては死ねないと悲惨な決断をしかねない境遇ですが、所長さんの「大丈夫、任せて」が頼もしくもらい泣きしました。
小池:素晴らしいですよね。これが沢内の宝です。あの老人は20数年前から共同作業所とかに関わった方で、娘に会いに行きたいというから一緒に行きました。だからあそこに行っても皆知り合いばかりなんです。誰々ちゃんのお父さんが来たよと、皆が言ってね。実はここはその前のシーンの「ハンディの重さが命の重さだ」というところから繋がっています。その後に僕は万感の思いで「沢内に生まれ、沢内に生き、沢内に託す100年の生涯」というナレーションを書きました。命を地域で守っていますよということで、こんな支えあう小さな社会を一杯作りましょうと言いたいんです。

―完成を見て地元の反響はいかがですか。
小池:撮影中から地元では何度も報道されて注目されていました。今のところ岩手を中心に上映会で2万人くらいが見ていますが、映画を見てうちの親でも出来るとか、里親候補が増えているようです。子供だけでなく老人も引き受けていこうと言う試みも始まりました。命なんて一人では守れません。人間だけでも守れない。命そのものは依存しあって続くもので、しかも自然と共存しあって続くものです。この映画の温かいメッセージが届いて、人と人との良い関係性が生まれればと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 興味の向くままに記録映画の理念についても伺いました。それにしても、このドキュメンタリーがうたい上げる、「すこやかに生まれ、すこやかに育ち、すこやかに老いる」とは何て温かい言葉でしょう。母の胎内に命を宿し、生まれて育って社会を支えて、やがて老いて回りに支えられながら命を全うすると言う、そんな当たり前の事がこの頃は難しい。自己責任ばかりが強調されて、ある年齢になると、動けなくなったらどうしようと不安を募らせるし、生きにくい世の中に将来を悲観し、自ら命を絶つ人もいる。これっておかしい。どんな状態であれ、命こそ大切にされるべきだと思いませんか。迷惑を掛け合えばいいんですよと繰り返す小池監督に、生きる勇気をいただきました。
 さてこの作品、挿入される音楽も心に響きます。いつもは伴奏に回るウクレレが、何処か懐かしい音色で格調高く命の煌きを主旋律で奏でる。演奏している森拓治さんの生演奏があちこちの上映会であったとかで、「映画の応援団です」と監督が嬉しそうに話されました。


12月27日(土)より第七芸術劇場で公開。一般1200円
(元旦を除いて1月9日まで10時30分、14時40分開始の2回上映。以降時間変更)
順次、京都シネマ、神戸アートビレッジセンターにて公開予定
 
      
1月3,4日にはこのドキュメンタリーの音楽を担当した森拓治さんのウクレレ生演奏と小池監督の舞台挨拶があります。詳細は劇場(06-6302-2073)まで

映写室 『いのちの作法』小池征人監督インタビュー(前編)

映写室 『いのちの作法』小池征人監督インタビュー(前編)    
―岩手県沢内で受け継がれる「生命行政」―

今年最後のインタビューは、大阪所縁の社会派監督をお迎えしてです。
 <このドキュメンタリーは>、神から授かった命は産まれた時からそれが果てるまで、誰もが同じように尊厳を持って守られるべきだと考え、それを「地方行政」の真ん中において、「人間の尊厳」を語り継いでいる小さな町の物語です。撮ったのは『人間の町 大阪・被差別部落』等社会派ドキュメンタリーで知られる小池征人監督。撮影秘話やこの映画が誕生するまでを伺いました。

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(11月末 大阪にて)

<その前に『いのちの作法』とはこんな作品>
 昭和30年代に、日本で初めて老人医療の無料化や乳児死亡率ゼロを達成したのは岩手県旧沢内村(現西和賀町)。元々ここは貧しい豪雪地帯。多病多死で苦しんでいたのを、「住民の命を守ることに自分の命をかける」と宣言した当時の深沢村長によって、日本一の保険の村に生まれ変わった。その志は今も生き続け、「老人」や「障害者」、「社会から排除される人」達が大切にされるさまが映る。若者たちは「雪見ソリ」に老人を乗せて夜の町の雪景色を見せようとするが、…。


<小池征人監督インタビュー>
―大事にされる弱者、優しく世話をする人々、和賀山塊の豊かな自然に抱かれた町の皆さんが明るくて、こんな所に住みたいと思いました。
小池征人監督(以下敬称略):いい所でしょう。撮影の為に大きな家をタダみたいな値段で借りて住んだんですが、大家さんが優秀なお百姓さんでね、お米を持ってきてくれたり、トマトとかとうもろこしとか野菜を一杯くれる。温泉は出るし素晴らしかったですね。山の幸、川の幸に恵まれた沢内は、暮らしやすいから、8000年も前から人が住んでる。縄文土器がここから一杯出てくるんです。その土器と一緒に栗も出るんですが、栗は昔はお米代わりの重要な食料だったんだけれど、その栗の木を山から持ってきて自宅の周りに植えていた。現代の家にも同じように栗の木が周りに一杯あると言う風に、8000年前の英知が今に受け継がれている場所です。命は世代を超えて繋いでいくもの、この地域の8000年の歴史の中で命を見つめようと思って作りました。

―冒頭に映る雪の里山とか、時を止めたように静かで神が宿っていそうです。素晴らしい自然ですね。
小池:実際に八つの神様がいてそれも映したんですが、編集の都合で切りました。自然には良い所も悪い所もあります。沢内は元々土地に力のあるところですが、一方で昔は日本のチベットとか言われたような辺境の地で、そんな厳しい環境だからこそ一人では生きれないと皆が知っていた。支えあうことが自然だし、そこに深沢村長の掲げた理念が根付き、自然の力と培われた文化の力、人間の力が合わさって、「生命行政」の伝統が出来たんだと思います。
―医療や福祉にそれだけ予算を使えば何処かにシワ寄せがあるのでは。
小池:もちろん限られた予算を配分するんですから、他の部分で圧縮してる所があるでしょう。でもそれも仕方ないと皆が納得している。自分たちの町の「生命行政」が住民の誇りなんだと思う。合併で沢内村は無くなりましたが、西和賀町の議会に沢内出身の議員さんが大勢当選しているのも、こんな地方行政を守ろうという皆の意志だと思います。何もここが恵まれているんじゃあない。これを見て、これだったら自分たちの街でも出来るんじゃあないかと思っていただけたら最高です。

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―この企画は日本映画学校で学んだ沢内出身の二人の若者が立ち上げたんですよね。
小池:ええ、そうです。僕もこの村の事を学生時代に本で読んで知ってはいました。でも30数年前のことで忘れていたのを、お話をいただいて思い出し、すぐ、これはやるべきだ、戦後日本の忘れている大切なものがここにあると思ったんです。以前、団塊の世代の社長同士が保険金を掛け合って死ぬという事件がありました。30数年前は世の中を変えようとあれほど戦った世代が、今度は戦わないで資本の論理に負けたままでどうしてこんな事をするのかと辛くてね。高度成長に踊らされた経済の尺度ではなく、自然の恵みの中の命という視点、命を大事に見つめないといけないと思ったんです。そんな意味を込めて「いのちの作法」と言う題名にしました。人間の持っている命は小さな物です。1人じゃあたいした事は出来ないけれど、命をつないで次の世代が頑張ってくれれば良い。偶然ですが冒頭の里山の風景の中にお墓が映っていた。命と言うのは生れて死んででしょう。死も避けられない事で、お墓を見せて人の一生を表せたのは良かったと思います。

―映っているのはある種理想郷ですが、この町にそうでない部分は無いんですか。
小池:もちろんありますが、最初から悪い所は撮らなかった。それがドキュメンタリーが報道と違う所で、記録映画は問題提起をするんじゃあない。人々の営みの中にある勇気をもらえるものをすくい取って、感動を伝えるのが目的です。僕はそれを平熱の力と呼んでいるんですが、この映画にはセンセーショナルなものがなくて早い時間での食いつきはないが、時間がたった時じんわりと温かいんですよね。ここで見つけた宝から自分たちの暮らしに光を当てようと言う姿勢、良いところから出発しようというのがいつもの僕のスタイルです。悪いところは誰でも解りますから。

―小池監督はずっと人権問題や人をテーマに作品を撮っておられますね。そういう姿勢は何処で身に付かれたのでしょう。経歴を拝見しますと、日高六郎さん、土本典昭監督と凄い方々に師事されていますが。
小池:結果的に人に恵まれていましたね。僕の監督としての出発点は、85年の、部落開放同盟と大阪府の教育委員会という、運動と行政が一緒になって作った『人間の街 大阪・被差別部落』です。皮を剥ぐシーンとかの凄い技術が始めて映像になり、地下鉄にずらーっとポスターを貼るような大キャンペーンもあって、当時としては大ヒットしました。僕もこれを撮ったことで、学校で教わってきたような画一的な人の見方とは違う、きちんとした独自の人間を見る視点を持てたと思います。大阪が好きになりましたし、職業とかで分類できるような人しか知らなかったけれど、実際には分類できない人が多いと知った。映画が良い出来だったので、これから後『人間の街』の小池にと言って仕事が来るようになったんです。(聞き手:犬塚芳美)   (明日に続く)

 この作品は12月27日(土)より第七藝術劇場で上映 
 (元旦を除いて1月9日まで10時30分、14時40分開始の2回上映。以降時間変更)

映写室 NO.183「ワールド・オブ・ライズ」&「ラースと、その彼女」

映写室 NO.183「ワールド・オブ・ライズ」&「ラースと、その彼女」
   ―世界中を騙す嘘とたった一人を騙す嘘― 

 <年の瀬だというのに米国発の>未曾有の不況が世界中に影を落としています。色々な中心が米国だった時代は終わりを告げるのでしょうか。でもハリウッドの衰退を言われながら、米映画はまだまだ世界を凌駕している。そのハリウッドだって、威信をかけた大作で、CGやアクションだけでなく苦悩する主人公の心の内をじっくりと描くようになってきた。インディペンデント系の良作も出てくるし、こうなるとお金も人材もあるアメリカはやっぱり強い。
 <通常版は今年ラストになる>今週は、年末年始にご覧頂けるそんなアメリカ映画2本の紹介です。どちらも多くの人が嘘をつく。嘘だけれどそれで救われた人もいる。世界の陰謀を相手の大きな嘘と、非力な1人を守る為の小さな嘘、貴方の心をとらえるのはどちらの嘘か。対照的な2作品です。

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(C) 2008 Warner Bros. Entertainment Inc.

1.《ワールド・オブ・ライズ》
 <そのまま直訳すると”嘘の世界“となるように>、この作品に登場する諜報機関の人たちは敵どころか味方にさえも嘘を付く。上官は部下に危険な任務をさせる為に、部下は最初は嘘をつかないけれど、現場を知らない上官に振り回された揚句の作戦上の嘘だった。グローバル化の今の時代らしく、物語は中東のイラクで始まって世界各国10カ所以上で展開する。その何処へでも出向き、工作し指令する国はアメリカだった。

 <『グラディエーター』等大作の多いリドリー・スコット>が、ハリウッドの2代スターを迎えて送るサスペンス・アクションで、ノートパソコンに集った情報で、安全な場所から電話1本で指示を送る、血も涙も無いCIAのエリート局員ホフマンにラッセル・クロウ、彼の指令で抗うことも知らず世界中の危険な現場に飛び込む、優秀だけれど情を捨てきれない工作員フェリスにレオナルド・ディカプリオが扮する。敵味方無く騙し騙されの複雑な話なので、凄まじい戦闘に身をすくめていると解らなくなるが、それは現場で戦っているフェリスも一緒。混沌の中から真実を焙り出すのは培った勘だけだ。物語だけれど世界情勢にリンクしてもいるので、筋を追うだけでなく、自分の知識でも補足すれば解り良い。

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(C) 2008 Warner Bros. Entertainment Inc.

<荒筋> 
 テロ組織のリーダーを捕まえる為イラク潜伏中のフェリスに、自爆テロを命じられた男が組織の情報と交換に保護を求めてきた。ホフマンは却下し、泳がして仲間を見つけろという。アジトでの銃撃戦でこちらの情報を守る為にやむなく男を殺し、フェリスも瀕死に。気が付くと体中に現地助手の骨が刺さっていた。遺族に補償をと頼んでもホフマンは聞かない。次の任務地ヨルダンでは、親しくなった情報局の男との信頼をホフマンの画策で台無しにされる。こうなったら組織を焙り出すには、味方も騙して究極の嘘をつくしかないと・・・。


 <でっぷりと太って自分の出世しか考えない>嫌な役だけに、上手く演じれば演じるほどラッセル・クロウに素敵さは見えない。国の為に個を殺して行動してるようで、実はそれが自分の利益になるからだけでしかない男は多い。だからこそ非情な作戦が取れるわけで、ホフマンにアメリカの醜さを象徴させているようにも見える。
 <一方ディカプリオの方は気が付いたら>いつもアクションと心情表現の両方を要求される役。今回も自分の人間性でさらに苦境に陥る工作員を、ハラハラさせながら演じる。
イラクに来たものは皆狂うというほど過酷な任務の中、裏切りに次ぐ裏切り、民衆から支持されるテロリストと、まだ出口の見えない中東情勢が浮かび上がる。兵士でなくても、中東の混沌に飲み込まれていったアメリカの若者は多いのだろう。

     お正月に向け全国で上映中

2、《ラースと、その彼女》

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(C) 2007 KIMMEL DISTRIBUTION,LLC All Rights Reserved.

 <脚本の面白さに感動して映画化を思い立ったという>クレイグ・ギレスビー監督が、企画が潰れそうになっても諦めず努力を重ねて製作にかかれたのは最初から4年後だった。物語は人と付き合うのが苦手な青年が、通販で手に入れたリアル・ドールに恋する話で、それに巻き込まれていく周りの人々の温かさが心に染みる。CM出身の監督は商業界で鍛えたバランス感覚を発揮し、物語が奇想天外なだけに、映像にはリアリティが必要だと考え98パーセントをロケで撮影。物語の季節に合わせて撮影の開始を半年ずらし、冬の空気感を映すとかの拘りも示している。

 <そんな熱意の賜物と脚本の独創性で>、アカデミー賞のオリジナル脚本賞にノミネートされた。善意の人々の住むこの町はユートピアだけれど、それはラースを気遣って皆の中に生れたもの。労わる人がいれば労った方にも生れる物があるという真実を示して、のんびりとした田舎町の普段着の風情に癒された。
 最後に示される「何時大人になったって感じるの?」という命題が深い。質問したラースは衝撃的な方法で自ら答えを出すが、私のそれは何時だったろうとぼんやり考える。

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(C) 2007 KIMMEL DISTRIBUTION,LLC All Rights Reserved.

<荒筋>
 ラース(ライアン・ゴズリング)は兄夫婦の隣でガレージを改造して1人で暮らしている。人付き合いが苦手で兄嫁が食事に呼んでくれるのも本当は辛い。そんなラースが「紹介したい人がいる」と言って連れてきたのはリアル・ドール。ビアンカと呼びもっともらしい彼女の生い立ちまで話し出す。兄達は困惑するが、ラースの妄想に合わせるのが治療の糸口と、町の人たちにも協力を仰ぐ。ビアンカは徐々に町の人気者になるが、今度はラースがビアンカが病気になったと騒ぎ出す。実はラースは同僚に心が動いていた。


 <最初はラースの行動を好奇の目で見ていた>人々が、いつも間にか彼の妄想に合わせていくのは、この町の元々の長閑さもあるし、彼の純粋さに心打たれたのと同時にリアル・ドールのもつ不思議な力に魅せられたのもあるのだろう。ビアンカは時に愛らしく時に寂しそうな表情を見せる。皆のつき始めた嘘は、共犯者意識と共に不思議な連帯を芽生えさせた。真ん中にいるのはビアンカでもそれはラースがもたらした物で、妄想に逃げるラースの弱さを労わる事で、老人達ですら自分の存在意義を確認していく。
 <幼い時の出来事から、優しい故に大人の女性が怖いラース>、瞳に幼さを宿したライアン・ゴズリングの名演で、この不思議な青年が魅力的に浮かび上がる。兄がいたたまれずに自分の過去を悔いるように、こんな純粋な魂を見ると、常識の枠で生きられる自分の俗っぽさを恥じてしまう。傷つく事を恐れて人はどこかで繊細さを捨てる。それを抱えながら大人になったラースの生きにくさ、彼を見守る事で優しさの連鎖が生れた。

 <ビアンカが来日し評判になったが>、映画の中や撮影中と同じく、ずっと主演女優としての扱いを受けたらしい。この美しくてリアルな人形は、撮影の間に皆の心を掴んだのだろう。2体で大役を努めたが、今はそれぞれ、監督とライアン・ゴズリングに引きとられている。健やかな余生を。(犬塚芳美)

 この作品は、シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、京都シネマで上映中

映写室 「ウォー・ダンス 輝け僕らの鼓動」上映案内

映写室 「ウォー・ダンス 輝け僕らの鼓動」上映案内  
―紛争地帯に生きて、音楽と踊りで取り戻す生きる喜び―

 このドキュメンタリーは、アフリカはウガンダ北部の紛争地帯にある避難民キャンプに住む3人の子供たちを主人公に描いたもので、家族や帰るべき家を失い希望の見えない子供たちが、全てをぶつける様に歌い踊って、体の中に生きる喜びを取り戻す様を感動的に捉えている。音楽も踊りも彼らにとっては魂の叫び。黒い肉体の中から民族の誇りをかけて、抑えようにも抑えきれないものが弾け出す。その姿は神々しくさえあり命の輝きを感じるが、同時に背景の悲劇も浮かび上がるのがこの作品の優れた所だ。

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(C)2006 Shine Global, Inc. All rights reserved.

 <3人の口から語られる家族の思い出や>、ここに来た理由はどれも痛ましい。だがもっと痛ましいのは、ここに逃れきれずに紛争に巻き込まれた子供たちで、この地の子供たちは紛争の被害者として家や家族を失っただけでなく、今度は自らが紛争の担い手として少年兵に仕立てあげられ、少女は慰安婦にさせられる。親はそんな悪夢から子供を守ろうと命を落としていくのだった。
 <全国音楽大会>は、年に一度開かれる国中の2万を越す学校が参加する大会で、ウガンダの生徒でこの大会を知らないものはいない。不安定な政治と貧困との命がけの戦いに明け暮れるこの国の生徒にとって、民族の誇りを思い出せるかけがえの無いイベントだ。しかも紛争地帯のキャンプにある学校の参加が認められたのは初めてで、画期的な出来事だった。

 <銃弾の跡も生々しい粗末な学校で>、音楽と踊りに希望を託して瞳を輝かせる子供たち、未来への希望はそこにしかない。2日間もバスに揺られ、兵士に守られてたどり着いた都会で、ビルに目を見張り、電気に驚き、水道に驚愕する子供たち。ここには違う希望もあるのだ。恵まれた地域の子供たちに気後れしながらも、其処は子供のこと、すぐに無邪気さを取り戻して自分たちの音楽に没頭する姿が可愛い。そこが音楽や踊りの力の凄さで、この民族にそれらがあって良かったと思わずにはおれない。民俗音楽のどれもが躍動的で珍しく、黒い肌にはえる鮮やかな民族衣装にも見とれる。子供たちの笑顔に感動を受けながらも、より以上に遠い地の紛争が心に刺さった。(犬塚芳美)

  この作品は、12月20日(土)より第七芸術劇場で上映

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(C)2006 Shine Global, Inc. All rights reserved.

《ちょっとディープに》
 <ウガンダはアフリカ東部に位置し>、ケニアやスーダン、ルワンダ、タンザニアに隣接する内陸部にある。コーヒーや紅茶、綿花等を産出する農業国で、イギリス植民地だったが1962年に独立した。1970年代にアミン大統領が実権を握り悪名高い圧制が始まると、国内情勢は混乱を極めるが、1979年に彼が失脚すると復興に向けてさまざまな動きが起こった。ただ北部では反政府組織(LRA)との戦闘が20年近く続いていて、住民の襲撃や略奪、子供の拉致が横行し、一時は400万人にも上ったほどの多くの国内避難民が発生する。
 <2006年8月のウガンダ政府とLRAの間>での「敵対行為停止合意」以降、南部のスーダンの仲介により和平に向けた交渉が続く。しかし未だに2500万人という人口のうち100万人近くの国内避難民を抱えている。舞台となった“パドンゴ避難民キャンプ”には60万人を超す避難民が暮らし、プライバシーも無い劣悪な環境だけに帰還が急がれる。UNHCRも支援しているが、2008年3月ウガンダ政府がこの地の国内避難民問題は解消したと宣言し、現地支援事務所の撤退が決まるなど現状とあわず問題を残している。

映写室 NO.182バンク・ジョブ

映写室 NO.182バンク・ジョブ 
     ―封印された英国史上最大の銀行強盗事件の真実―

 貸し金庫の中の目も眩みそうなダイヤとぎっしりの札束、そして王室スキャンダルを巡って、諜報機関の暗躍や蠢く陰謀と奇想天外な話だけれど、9割が実話というのだから驚く。
 1971年の秋、ロンドンと英国全土を揺るがす大強盗事件が起こった。ニュースは数日間世間を騒がせたが、ある日を境にぷつりと情報が消える。この作品は、あの時いったい何があったのかと謎を追って、めっきり少なくなった当時の関係者の証言を元に衝撃の事実に迫ったものだ。日本と比べても仕方ないが、40数年後とはいえ、現女王の妹君の実名まで出したこんな映画が出来る英国は、色々な面で吹っ切れている。モデル出身のヒロインの着こなす70年代の華麗なファッションに見とれながらも、つわもの達の危機一髪の危険な作業に肝をひやした。

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(C) 2007 Baker Street Investors, LLC. All Rights Reserved.

<荒筋>
 中古車屋のテリーは、モデルのマルティーヌから「ロイズ銀行の警報が1週間ほど解除される。その間に地下の貸し金庫の強盗をしよう」と持ちかけられる。実はこの話には裏があって、麻薬密輸で捕まったマルティーヌが、特殊機関(MI-5)から釈放の交換条件に持ちかけられたもので、貸し金庫にはMI-5がどうしても取り返したい、リゾート先で乱交していたマーガレット王女の隠し撮り写真があった。そうとは知らず誘いに乗って仲間を集めたテリーは…。


<事件の背景はこうだ> 
 1971年9月11日の土曜日、あるアマチュア無線家が偶然セントラル・ロンドンから半径10マイルの何処かで進行中の銀行強盗の様子を傍受する。すぐにロンドン警視庁に通報され、該当の150行を調査するが特定できない。ロイズ銀行も訪れたが、まだ彼らが中にいたのに侵入した痕跡は見つからなかった。色々幸運な偶然が重なり、薄氷を踏むように危機を乗り越えて、ことが発覚したのは月曜日に銀行が開いてからのこと。貸し金庫268個の中身は消え去り、替わりに8トンの土砂があったという。

 <さあ、ここまでが皆が知っている事実で>、この後は独自に暴いた裏話も想像も加わる。数百万ポンドにも及ぶ現金と宝石類が奪われた大事件、当然大騒ぎになった。マスコミは連日トップニュースで報じるが、4日後英国政府から出されたD通告(国防機密報道禁止令)によって、突然全ての報道が打ち切られてしまう。D通告は歴史上数回しか発令されていないもので、隠したいことの大きさが伺えるが、たどり着いた真実のその複雑さと過激さ、さすがに「007」と言うスパイ映画の傑作を生み出した国だと舌を巻いた。にわかには信じられないが、映画そのもののような諜報活動が現実にあるのだろうか。この事件だけでなく、他の映画にも通じるMI-5の暗躍に目を見張る。

 <貸し金庫だけに>皆が秘密裏に預けたものばかりで、無くなった物の正確なところは解らない。でも時代とお国柄から私たちの想像を超えた豪華な金品がつまり、MI-5が守ろうとしたスキャンダラスな写真だけではなく、警察組織がひっくり返りそうな汚職のメモや英国要人の由々しき写真もあったらしいのだ。奪われた金品を狙うものと、スキャンダルの発覚を恐れるもの、雑多な勢力が犯人たちを追いかける。
 <追いつ追われつで、観ていても誰が味方で誰が敵か>解らず混乱するが、それはそのままこの犯人たちの心境でもあった。色々な事情を抱え一攫千金を狙って強盗に加わったメンバーは、最初自分たちの起こした事件の思わぬ広がりや裏の事情を知らない。観客が姑息な権力者側よりも銀行強盗側に感情移入するのは当然で、ハラハラドキドキが止まらない。強盗役誰もが情けなくも魅力的で、いつの間にか応援していた。

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(C) 2007 Baker Street Investors, LLC. All Rights Reserved.

 <隠し金庫に人は何を入れるか> 大事なもの隠したいものは人によって違う。金品よりももっと大事な秘密が納められていることもあるが、もちろん全てが明るみに出ることはない。該当者が見たら卒倒しそうだが、裁判沙汰等の話を聞かないのは、全ては真実だからか該当者が亡くなっているからか。金品すら、出所や税法上面倒になるのを恐れて、被害届けは出なかったと言う。

 <ところでロンドンと言うと>名探偵“シャーロック・ホームズ”だ。彼が住んでいたのはベイカー・ストリートだけれど、ロイズ銀行はベイカー・ストリートとマリルボーン・ストリートの交差点にあって、この事件はシャーロック・ホームズが解決した事件と不思議なほど手口が似ている。銀行強盗たちにはユーモアもあって、貸し金庫の壁には「「“シャーロック・ホームズ”にこの謎を解明させるがいい」と書き残していた。犯人の中に“シャーロック・ホームズ”の愛読者がいたことだけは確かだ。

 <こんな事件が今起こったらどうなるのだろう> 70年初頭は、王室にはまだまだタブーが多かった。時を経て、ダイアナ妃とチャールズ皇太子の双方のスキャンダラスな私生活は、本人自らが暴いたりもしている。もう王室に関しては諜報機関が必死で守るものはなくなったかもしれない。そんな時代の空気もこの映画の製作を可能にしたのだろう。
 プロデューサーは10年以上この企画を温め、関係者との接触に成功し彼らの証言から作品にリアリティを加えた。私たちは報道を信じるが、全てが報道されるわけではない。この映画の製作姿勢から、報道されなかった事にこそ真実があるのだと教えられる。(犬塚芳美)

 この作品は12月20日(土)より、シネマート心斎橋で上映
      来年度 1月17日(土)より京都シネマ、  
          1月24日(土)よりシネ・リーブル神戸で上映予定


《ちょっとディープに》 
 <この事件は、無線の傍受で発覚が始まったことから>“ウォーキートーキー事件”と呼ばれ、50年近くが経つというのにロンドンのある年齢以上の人は、誰もが覚えている。被害を受けたのが貸し金庫を持つような富裕層で、庶民に被害のない気楽さと謎の多さも、多くの人の関心と憶測を呼ぶのだろう。日本で言うとつい先日、事件から40年を経過して再び注目された “3億円事件”のようなものだろうか。
 <こちらのほうも少し前に>、犯人が当時の総理の息子と14歳の少女だったと言う大胆な推理を加えた映画が登場して、単純な私などは、原作者がこの少女なのではと興奮したが、この作品にも犯人しか知りえないようなことが描かれている。製作者の取材力と想像力の豊かさと言うものだけれど、もしや周辺の関係者がと想像を掻き立てられる。両方とも暴力的な犯罪ではないだけに、権力側のあわてぶりに天晴れとシンパシーを持つ者もいるのだ。一生遊んで暮らせるものを手に入れたわけで、ある種庶民の夢でもあったりする。

映写室 NO.181 青い鳥

映写室 NO.181 青い鳥 
 ―大人は、みんな、14歳だった―

 思春期の繊細な心を描いて定評のある重松清の小説が、「きみの友だち」に続いて映画化された。学校の荒廃が叫ばれる今、1人の生徒の自殺未遂を巡るこの物語は、大人が思う以上に身近になっている。いじめを扱いながらお説教臭くならないのは、主眼を主人公の教師の魅力を描く事に置いているからだと思う。教師はまるでそれが彼の贖罪であるかのように、執拗に苦しんだ生徒の思いを皆に想像させる。優しい瞳と「本気の言葉」が真っ直ぐ心に届いて、いつの間にか立ち返る自分の14歳の頃。ひりひりとした思春期の痛みを思い出します。思春期の貴方と心の中に思春期を持つ貴方に見て欲しい。

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(C) 2008「青い鳥」製作委員会

<荒筋> 
 とある中学校の新学期、一見平穏だが前の学期に野口と言う生徒が、いじめで自殺未遂を起こし転校している。遺書には「僕を殺した犯人です」と3人の名前が記されていたが、それが表に出ることは無かった。担任教師は重圧から休職し、臨時で村内(阿部寛)が赴任してくる。村内の極度の吃音で教室には笑いが起こるが、村内はどもりながらも「忘れるなんて卑怯だな」と呟くと、外に出された野口の机を中にいれ、毎朝誰もいない机に向って「野口君、おはよう」と繰り返す。


 <事件の発端は、1人の生徒が>コンビニを営む両親の店から次々と万引きを強要されて、断りきれずに自殺未遂を起こした事だけれど、この物語は彼からでも加害者からでもなく、周りにいた生徒の心の揺れから描いていく。実はこれが一番心配される事で、それでなくても思春期の子供たちはナイーブだ。友人の自殺未遂は衝撃だし、何か出来なかったのかと自分を責めることもあるだろうし、、自分がその原因かもしれないと思うとよけいに辛くなる。とりわけ園部(本郷泰多)は、友だちの自分までが盗みを強要したせいで、野口は死のうと思ったのではと、悩んでいた。誰にも言えないものの、遺書の最後の名前は自分に違いないと思い込んでいる。一方無関心と言う冷酷さも誰もが持つ物、村内は辛抱強くそんな子供の何かを待つのだった。

 <生徒達は古傷を付かれてだんだんイライラを募らせていく> そりゃあそうだろう、後ろめたいからこそ忘れたいのに、村内は忘れる事を許さないのだ。もちろん人を死のうとまで思わせたことを、そんなに簡単に忘れて良いわけがない。苦しみぬいて自分は何をしたのかを考えないといけないのだけれど、たいていの教師や親は自分の責任に及んでくるのを恐れたり他の生徒の動揺を嫌って、腫れ物に触るようにその話題を避ける。中には子供たちの心を掴めない素っ頓狂な思いやりで、物分りのよさを示す教師もいるが、子供たちの心がよけいに離れていく事に気付かない。
 誰もが忘れようとする中、1人村内だけは目を逸らさなかった。彼の姿勢が少しづつ子供たちの心を溶かして、あの時何があったのかと考え始める。こうして初めて本当の再生へと動きだす。

 <無理難題を言っても、へらへら笑いながら>要求以上のものを持ってきた野口、笑いの影で死のうと思うくらいに苦しんでいたんだと、やっと気付いた子供たち。苦しみをストレートに表現する者もあれば、屈折して逆説的に表現する者もいると、野口の自殺未遂は教えてくれた。明かされる最後の1人の名前は当然と言えば当然の事、子供たちだけでなく観客の私たちにも容赦なく突き刺さってくる。本質から目を逸らさない作業、村内のような事の出来る教師がどれほどいるのだろう。

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(C) 2008「青い鳥」製作委員会

 <阿部寛の演じる教師の佇まいが>、悲しみを秘めて味わい深い。静かな瞳、長身をかがめた姿勢で着込んだ綾織りのジャケットを羽織り孤高を貫く姿に、彼の誠実さと抱える物の深さが垣間見える。ともすれば過剰になりがちな吃音を、物まねではなく心から絞り出す声として演じた功績は大きい。たどたどしいからこそ思いがこもる言葉、その重さが観客や子供たちの心に響く。彼もまた時間を止めて彼の贖罪を続けているのだろう。心からの言葉はこんなにも重いものだと、噛締めながら聞いた。
 <本郷泰多の演じるナイーブな少年も>、繊細な容姿を持つ彼の本領発揮で素晴らしく、ひりひりした思春期の痛みを思い出させる。誰もがこんな傷を持ちながら思春期を通り過ぎて行く。でも何時しかそのナイーブさを忘れてしまうのだ。そんな感情をリアルに描く、重松清の小説を読む度に、永遠の思春期を生きているのだろう作家の感性に驚かされる。
 <脚本、演出も素晴らしく>、描く事と想像させる事の間合いが見事で、特に冒頭ずっと村内の顔を映さず、本や服、靴等でこの教師の人となりを説明する手法に魅せられた。

 <何か事件が起こると、「虐めは無かった」と>たいていの学校が発表する。聞かされるたびに腹立たしい言い訳だけれど一向に減らない。傷ついた生徒の事よりも、自分たちの責任逃れや残された生徒を傷つけるのを恐れる姑息さが繰り返されている。
 <教職にいる方は口をそろえて>今学校が荒れていると言う。生徒だけでなく、その対応に追われてこの物語の担任のように神経をやんで休職する教師もいれば、安定剤などの薬に頼りながら何とか乗り切っている方もいるらしい。何時の間に学校がこうなったのだろうか。私たち大人社会の閉塞感が子供社会までを締め付けているらしい。犠牲になるのはいつも弱いところ、繊細な思春期の子供たちが悲鳴を上げているのだ。でもこの物語のように、傷ついても、過ちを犯しても、友達と一緒に立ち直る方法はあるのだと思い出して欲しい。(犬塚芳美)

 この作品は関西では、シネ・リーブル梅田、シネプレックス枚方、
              シネ・リーブル神戸で上映中
           12月20日(土)より京都シネマで上映

映写室「能登の花ヨメ」白羽弥仁監督&田中美里さんインタビュー(後編)

映写室「能登の花ヨメ」白羽弥仁監督&田中美里さんインタビュー(後編)     
 ―震災の後に地域ぐるみで作った映画―

<昨日の続き>
―田舎育ちのものにとっては身に詰まされるお話が一杯出てきましたが、そんなせりふ等は監督の思いでしょうか。お年寄りたちが自立してると言うか元気ですよね。
監督:僕自身ではなく脚本を書いてもらった人の思いが入っているのでしょう。でも社会全体で見ても、皆が等しく持っている思いだと思います。実際は老人が多く老々介護とかの問題もありますが、これからの時代元気なお年寄りが増えてくると思うんです。そういう人の心境をきちんと述べる映画も必要なのではと思いました。

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(C)「能登の花ヨメ」製作委員会

田中:実際の能登の人たちもそんな感じだったんです。震災後半年で入ったんですが、大変な時に何も知らない私たちがどやどやと入っていいのかと心配しましたが、凄く応援してくださって一緒に作ってる感じで、人間て強いんだなあと思いました。
監督:とくに女の人たちがね。能登には「能登のとと楽」と言う言葉があって、映画の中の台詞にもありますが、女の人が魚を取って野菜を作り家畜を育ててをぜんぶ引き受けて、ビックリする位働き者なんです。この映画は作っている時に地元の皆が映画の中に入っているのが他のこんな形の作品と違うところです。松尾さんがお祭りの中止を言う会合のシーンで、両側にずらっと並んでいるエキストラの皆は全員仮設住宅に住んでいる人々で、あそこに行く、映画つくりに参加する事がわくわくしたと後から聞きました。キリコ祭りの中止についてもあそこに住んでいる人々の暮らしとシンクロしているのが、この映画の特徴です。

―震災の後でキリコ祭りのシーンを加えたんですか。
監督:ええ、そうです。担ぎ手がなくてもう20年位お祭りがないんです。あの映画のロケで20年ぶりにあったとかで盛り上がり過ぎる位盛り上がりました。
田中:昼間からべろんべろんに盛り上がって、夜の撮影が出来なくなるんじゃあないかと心配しました。
監督:あのお祭りは、昼間から飲んで夜担いで朝まで騒ぐと言う形ですよね。
田中:皆さんから飲め、飲めと言われるんだけど、撮影があるんでと断ったんです。でも担ぎ手もそうですが、お祭りを見るほうの老人たちがキリコを見て久し振りで懐かしいと涙ぐんでいたりすると、ああ、お酒を飲めばよかったと思いました。
―この作品は地元からの要請で始まったんでしたね。
監督:ええそうです。ただ要請といっても力強いものではなく、観光客が減っているから、興味を持ってもらえる事が何か出来ないかなと言う感じでした。小さなきっかけでしたが、その準備中に震災が起こって、その前後で地元の人たちの結束が強まり、何とかしなくてはと言う思いが強くなったんです。

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(C)「能登の花ヨメ」製作委員会

―それだけ打撃が大きかったと言うことですね。この映画に多くのことを期待されたと?
監督:ええ、打撃は大きかったです。撮影が始まったら毎日山盛りのおにぎりとか牡蠣フライとか夜食の差し入れを持ってきてくださる。こんなに良くしてもらって、温かく支えて下さってと感激しながら、皆さんのこの映画への期待の大きさを感じました。
―ある意味プレッシャーですよね。
監督:映画はプレッシャーがあったほうがいいんです。力になりますから。
田中:エキストラの皆さんも撮影現場から5メートルくらいに住んでいるような地元の人々です。映画が地元と一体になっていき、撮影が進むとそこに住んでいるような気持ちになって、お嫁に行くシーンなど本当にそんな気分で、皆さんも声をかけてくださるんだけれど、「美里ちゃん」って言うから、気持ちはそのままでそこだけは「みゆきちゃん」にしてと、頼みました。
―映画の花嫁行列の風習はあそこだけのものですか。今も残っているんでしょうか。
監督:能登独特のものです。行く先々の縄張りは困難の象徴で、ご祝儀を渡すと切って通してくれますが、ここ以外では見ませんね。めっきり減ったとはいえ、今も残っているようです。

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(C)「能登の花ヨメ」製作委員会

―花嫁衣裳を着られていかがでしたか。
田中:花嫁衣裳を着るのは初めてではなく何度も経験があるのですが、今回は特別の感情でした。地元の人と一緒に作ったので、皆が集まっている隣の部屋で着付けてもらって、戸を開けると待っていた人たちが「わー」とか言って下さって、本当にここからお嫁に行くような気分になりました。
監督:着付けをしたのも地元の方で、張り切ってくださったんです。
田中:そんな人々の温かさだとか、能登の自然の美しさ等が目に焼きついています。心温まる素敵な作品なのでぜひごらん下さい。(聞き手:犬塚芳美)

 この作品は、12/6(土)より第七芸術劇場で上映中
         続いて京都シネマ、シネカノン神戸で上映予定


<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
 思っていても中々言葉には出来ない素直な気持ちを、自然な間合いでぽろっと呟く出演者達。その真実味に思わずほろっとさせられる作品です。解っていても言葉になると重みが増すもの、親世代の思いも子世代の思いも温かい。たとえ照れて憎まれ口を利いたとしても、家族を思う気持ちは本当はこんななのでしょう。
 田中美里さんは其処だけに特別な光が注いでいるように華やかで、近くに座るのに一瞬たじろぎました。こんな方が身近にいらした能登の皆さんがはしゃいだのは解るような気がします。夫役の池内万作さんは少ししか出ないのに不思議な存在感が妙に気になると思ったら、故伊丹十三監督のご長男。田舎的でないこんなカップルだからこそ成立するお話でもあります。他にも多彩な実力派が揃って、そんなプレッシャーも力に変えたと言う監督のお話を聞いていると、映画の場面が甦り久しぶりに能登に行ってみたくなりました。

映写室「能登の花ヨメ」白羽弥仁監督&田中美里さんインタビュー(前編)

映写室「能登の花ヨメ」白羽弥仁監督&田中美里さんインタビュー(前編)      
 ―震災の後に地域ぐるみで作った映画―

 誰にでも大事な家族がいる。でも今の時代、その家族が離れ離れで暮らすことも多い。心配しながらも故郷に母を残して都会で暮らす子供に対して、残された親の願いは、子供に迷惑をかけないように元気でいることだという。自分の事情に重なってぐっと来るが、この作品にはこんな具合に心に染みる言葉が一杯出てくる。撮影は震災の爪跡も生々しい頃だったのに、「エキストラ、おいしいご飯の炊き出しと、地域を上げて撮影に協力して下さった」と感謝で一杯の、白羽弥仁監督と田中美里さんに撮影秘話を伺いました。涙腺の緩む人々の触れ合いの話だけでなく、能登の朝市やおいしい食べ物、キリコ祭りや結婚式という珍しい風習も出てきます。

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(12月4日 大阪にて)

<その前に「能登の花ヨメ」とはこんな話>
 広告代理店で働くみゆき(田中美里)は、一人暮らしの婚約者の母親松子(泉ピン子)が足を怪我したと聞いて、震災の爪跡の残る能登へ手伝いに行く。はじめての田舎暮らしは戸惑うことばかりで、魚をさばきヤギに餌をやって広い家を一日中掃除する。めげそうなみゆきに近所に住むフジばあさん(内海佳子)は「みんな仲いいがいい」と呟くのだ。


<白羽弥仁監督&田中美里さんインタビュー>
―田中美里さんは大御所二人と渡り合う設定ですが、いかがでしたか。
田中美里さん(以下田中):最初はやっぱり緊張しました。でもそれはこの物語のみゆきのものでもありますから、ピン子さんと共演するのは初めてで、始めてお会いしたのがみゆきが能登の家を訪ねるシーンだったのですが、緊張が上手く役に重なって現れているのではと思います。現場では色々教えていただき楽しく進んで行きました。そのピン子さんに対して、内海師匠が「ピンちゃんそれは駄目でしょう」とかと教えてらして、ピン子さんに対してピンちゃんと言える人がいるんだなあと面白かったです。世代の違う女性がいることが、この物語の嫁、姑といった家族の繋がりそのままで、映像にもいい感じで出ていると思います。
―内海師匠は泉ピン子さんとお知り合いなんでしょうか。
白羽弥仁監督(以下白羽):なんでも浪曲師だったピン子さんのお父さんを知っていたとかで、ピン子さんがこんな小さい頃から(小さい背丈のしぐさ)知っていると言っていましたね。
―3人に対する監督の演出はいかがでしたか。
白羽:ご存知のようにピン子さんはどのような要求をされても出来る、色々な引き出しを持っている方ですから、今回は今までやってない役をやっていただこうと考えたんです。感情を出さない役を淡々とポーカーフェースで通してもらって、世間の思っているピン子さんのイメージを覆そうと思いました。現場ではしょっちゅう「淡々、淡々」と言い合って、合言葉のようにしていましたね。佳子師匠は86歳と言ってもお年を感じさせない元気でパワフルな方ですが、今回はあまり喋らない役で、師匠にとってはチャレンジだったと思います。と言っても、撮影が進んでいくと抑えきれずに芸人魂で面白いアドリブを入れられるから、こちらは思わず笑ってしまうんだけど、(ああ、いけない)と我に返って、それは止めてくださいとお願いしました。芸人に喋るなと言うのは酷だ、いじめだったと本人は言っています。この作品は地震というファクターが入るのでそちらに流れ過ぎると話が広がらずつまらなくなります。この物語の主人公は何にもない土地で色々なことに戸惑いながら、障害を撥ね退けて行く役なので、美里さんとは始めに、自然にやれば充分だから明るく前向きに行こうと話しました。二人一緒の撮影がピン子さんと会うところから始まるので、現実のピン子さんと色々なことがガツンといく始まり方と一緒で、あそこに本物の緊張感が出ていると思います。

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―田中さんは役と重なるところがありますか。
田中:似ているところもあります。似ているのはめげないこと。色々考えるけど、めげないで1歩進んで行こうというところですね。ただ、みゆきほどは強くなれません。あそこに行けるのかなと思うとやっぱり躊躇してしまう。能登の花嫁になるのは相当勇気がいります。好きな人でも好きな度合いによると言うか、今まで付き合った人のことを考えると行けなかったと思う。人と人との繫がりとか能登の楽しみ方も色々見つけたつもりだけれど、生活で多くの同じ事を繰り返していけるのかというと難しい。私は金沢の生まれで石川県の田舎の風景には慣れているので、能登の暮らしに対応は出来るんですが、繰り返してその中に居れるかどうかは解らないです。どうしても刺激が欲しくなってくる。魚をさばくシーンだって、ピン子さんは練習したらすぐスラスラ出来るようになったのに私は出来なくて、ああ、能登の花嫁は無理だなあと思いました。
監督:鯛は固いんですよね。
―田中さんの実際のお料理の腕前はどうなのでしょう。
田中:好きではあるけれど、腕前のほうはどうでしょうか。見てるほうが怖いらしく、包丁を使ってる姿など危険を感じると言われました。でも調味料をドバドバと入れるのは監督のアイデアです。あそこは勇気が要りましたが。

―能登弁は実際のものですか。
田中:ええ、能登の人が聞いても自然になっていると思います。
監督:お鍋を囲むシーンなど皆が喋っているところに美里ちゃんが入るとつられて訛り出すくらいでした。
田中:聞いていると引きずられて訛ってしまって。私は金沢弁なんですが普段は訛りを直されてしまいます。ようやく金沢弁が披露できると思ったら、設定が東京生まれで東京育ちと言うんで、残念でした。お話を頂いた時はてっきり地元の女性を演じるのだと思っていたんです。(聞き手:犬塚芳美)
 <明日に続く>

  この作品は、12/6(土)より第七芸術劇場で上映中
          続いて京都シネマ、シネカノン神戸で上映予定

映写室 「真木栗ノ穴」深川栄洋監督インタビュー(後編)

映写室 「真木栗ノ穴」深川栄洋監督インタビュー(後編)     
 ―映画との出会いとこの作品との出会い―

<昨日の続き>
―確かにどんな役でも品位を感じますね。ところで真木栗はあるところで異界に入りますが、監督もこれをきっかけに異界に入れると言うところはありますか。
深川:僕の場合は映画の現場です。自分では感じていないんですが、現場に入ると人が変わると言われます。いつもは自分とも向き合っていないような男が、現場に入るととたんにスイッチが入ると言うか、人の人生と向き合い作品の世界と向き合って行ける。映画が僕の異界への入り口ですね。

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―監督になろうと思われたきっかけは何ですか。
深川:監督というより、最初は録音技師になりたかったんです。監督は無理だろうと思っていたんですね。小さい頃は映画を観たこともなかったんですが、17、8歳の頃付き合っていた人が映画好きで、自分のほうが先に観てああだこうだと言いたくて映画を観るようになりました。映画が好きになったのはそれからです。実家が表装や建具の職人さんが出入りするような和物系の内装屋で、高校の頃から手伝っていたんですが、卒業してそのまま手伝うのは嫌で、映画の専門学校に入って時間的な猶予を貰おうと思ったらこうなりました。

―だからこの作品も日本的な情緒があって、曖昧な時代の出し方がお上手なんですね。お若い監督なのに不思議でした。作った作品はその方に見せていますか。
深川:若い頃の話でそれから会っていないんで見せていません。でも彼女だったらどう思うだろうかとか、このシーンは見て欲しいとかいうのはあります。もちろん彼女だけではなく他の誰かに見て欲しいシーンと思って作るシーンはたくさんあります。
―何処かで観てらっしゃるんじゃあないでしょうか。監督は脚本もお書きになりますが、こんな風に原作のあるものとオリジナルとどちらがお好きですか。
深川:原作ものとかオリジナルとか拘ってなくて、何か面白そうなものがあれば映画を作りたいと思います。1つでも2つでも面白がりポイントを自分の中に見つけられたら、そこから面白く作っていける。この企画は最初プロデューサーにジャパニーズホラーを作ろうと言われて始まったんですが、脚本を貰った時しっくりこなかった。でも原作を読んだら良いんですよ。ここからが現実でここからが頭の中と言うのが曖昧模糊としているのが、魅力だと気付きました。この話はホラーじゃあなく人間ドラマが良いんだからそれを生かした作品を作りたいと思ったんで、プロデューサーにそんな風に話して納得してもらい、かなり原作に引き戻して作り直したんです。原作者が若い方で、女性ならではのせりふが面白くて、真木栗の周りのそれぞれの女性を上手く書き分けている。20代の担当編集者、マドンナの30代の女性、40代の女性、50代の女性と、それぞれに話す言葉や行動にリアリティがあって上手いなあと思いました。

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―キムラさんとの入浴シーンなんて、ついていくだけでも凄いのにお風呂に入ったから驚きますが。あのシーンの西島さんの困った表情で客席が沸いていました。
深川:あれおかしいですよね、ここまでやるかと。でも真木栗の性格や不安定な心理状態をさりげなく表していて、原作の上手いところです。キムラさんは単純に西島さんと一緒にお風呂に入れると喜んでいました。
―そんな風に、この作品には見えそうで見えないとか独特のエロスがありますが。
深川:今まで子供の映画が多かったのに、久しぶりに大人の映画のオファーが来たので、自分の性癖をさらけ出してでも大人の映画を作ろうと思いました。僕が美しいと思うもの、女性の美しさを丸みとかで表現しています。それと、そのものを映すより想像で広がる見えないエロスとかですね。この作品は真木栗の視点に合わせて、覗き見感覚でじわじわと思わせぶりに小出しにしています。トマトを落として拾ってあげたりと、視線を合わせそうなところでも合わせないで、合わせるだろうという観客の期待を感じながら、合わせられない思いを次のシーンに引っ張っていくとか、そうすると次までそのテンションが持続できますから。そんな焦らしのテクニックを意識的に随所に張り巡らしています。

―かなりそれにやられました。それに雨上がりのような全体のしっとり感も素敵ですが、撮影時のお天気は。
深川:全て快晴でした。撮影もタイトでハイペースで撮ったのですが、しっとりした風情が映っているとしたら、作品の世界観を理解して下さった撮影の高間さんの力量です。今回は撮影監督と凄く響き合ったんですよ。高間さんは僕が役者さんと話しているのを聞いて、僕の演出意図の全てを理解してくれ、撮影3日目で信頼し合えました。こんなことは初めてです。今までの作品では戦ったこともあるし、指示通りに動いてくれたこともありますが、今回はまるで僕の分身が撮影をしているようでした。父親ほども年齢が離れているのに、全く年の差を感じなかったです。

―凄いですね。役者さんも皆さんいい味わいですが、背中の曲がった不動産屋のおじいちゃんが印象に残っています。異界への案内人として適任ですね。
深川:あの方は僕の最初の作品に出ていただいたので、何か恩返しがしたくて今回あんな形で出ていただきました。90幾つの方ですが独特のいい雰囲気が出ていると思います。残念ながらこの撮影の後で亡くなられてしまったんです。役者さん、スタッフと色々な幸運な出会いでこの作品の不思議な世界が出来ていますので、ぜひ御覧ください。 (聞き手:犬塚芳美)

 この作品は、12/6(土)より第七芸術劇場
         12/20(土)より神戸アートビレッジセンターで上映
         12月下旬より京都みなみ会館で上映予定


<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
 だらしない西島さんがため息が出るほどかっこいいし、女の人たちもそれぞれに美しい。邦画ならではのしっとりとした情感に魅了される作品です。こんな文化を持つ日本人なのを誇りたくなりました。小さい世界を大切にして丁寧に作られたのが解るし、少し前の昭和の匂いもする。こんな繊細なバランスを貫いたのはどんな監督だろうと思ったら、飄々としたお若い監督が登場して、成熟した演出術との対比に驚きました。しかも内的世界を話してくださる言葉には、老成された無頼漢の匂いもします。ご実家で出入りの職人さんたちから見聞きされたことが血肉になっているのでしょう。邦画が量産される今、時々は腹立たしいような作品にも出会うのですが、こんな監督を見出せた時は、たくさん作れるのはやっぱり良いことだと思い直しました。ところで熟達の技ともいえるこの世界観を堪能しながらも、だからこそ、この作品の一番の関心はやっぱり結末の解釈です。現場の皆の解釈の差異を利用しながら作るという大胆さもすごいじゃあないですか。いつか機会があったらそこら辺りをじっくり伺いたものです。

映写室 「真木栗ノ穴」深川栄洋監督インタビュー(前編)

映写室 「真木栗ノ穴」深川栄洋監督インタビュー(前編)
   ―夢とうつつの境界をさ迷う―

 いつの時代の話なのかも、現実なのか妄想なのかと言うのも曖昧な、まるでこの1作そのものが架空の世界のような、不思議な作品に出会った。一枚一枚めくりながら文学作品を読んだ気分になる。原作は2001年に四谷ラウンド文学賞を受賞した山本亜紀子の「穴」で、出版社の解散で一度絶版になったものの、2004年角川ホラー文庫から再び出版され話題を集めた作品だ。メガホンを取ったのは、前作「狼少女」で熱狂的なファンを掴んだ深川栄洋監督。古びたアパートで妄想を広げていく主人公を、まるで自分のようだとまで言う監督に、この不思議な作品が出来るまでを伺いました。

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(11月5日大阪にて)

<その前に「真木栗ノ穴」とはこんな作品> 
 鎌倉の切り通しの向こうの古いアパートに住む真木栗勉は売れない作家だ。ある日官能小説を頼まれるが書けない。壁の穴から隣の部屋を覗くと、女を連れ込んだ男が情事を繰り広げていた。急いでそれをネタにして書き、今度は逆の部屋の情事を書きとめる。連載は評判をとるが、担当編集者は真木栗が本当に覗き見して書いているのではと疑い始める。一方真木栗は自分の書いた人物が次々と死んでいくのに気付く。

<深川栄洋監督インタビュー>
―余情漂う素敵な作品で、観ただけで充足したので本当は伺う事はないのです。ただどのようにも取れるラストを他の人がどう解釈したのかと興味があって、いつもはそんなことはしないのに、色々な方に聞いてしまいました。それも監督の意図なんだと後で読みましたが、そうは言っても、一つに集約できる物語が監督の中にはおありですよね。
深川栄洋監督(以下深川):ええ。色々な解釈があるといっても監督としては一つの方向に導かないといけないので、自分としては答えを持っていますが、それを言っていいもんかどうかは疑問なんです。この作品を撮っている時も、演じる人には演じる人の答えがありスタッフにはスタッフの答えがあるという状態でしたが、一つの答えを探る作業はしないほうが良いだろうと思って、そのあたりは曖昧なまま、それぞれに少しづつ差異を感じながら作りました。だから観客に対しても、一人一人と向き合って個人的にこうだったんですよねと言うのに相槌は打てるけれど、公的なところでこうだとは言わないほうが良いだろうと思っています。

―そう伺うと余計に伺いたくなりますが。
深川:DVDが出る頃には言ってもいいかなと思っていますが。絵を見ていても何処までが絵で何処からが額縁なのか解らない時がある。絵のつもりで見ていたらいつの間にかはみだして額縁も超え壁を見ていたりという具合に。そこにあることが大切で、境界が解っても意味がないかもしれない。この作品はその不思議さを楽しんで欲しいのです。
―そんなところを探る為に何度も見るのも良いかもしれませんね。
深川:ええ、2度、3度見ていただくと違ったものが見えてくるかもしれません。この本は書かれていない行間の部分が素敵なのですが、そこを広げるのに、役者さんにも助けられ、鎌倉の切りとおしと言う1000年も続いた風景にも助けられました。色々なものが相まって言葉にならない部分が膨らんだ世界です。

―西島さんがしっかり演出をされたと言っていましたが。
深川:僕は自主映画から出発しているので自分の現場しか経験がなく、他の方がどう演出されるのか知らないんですが、凄い細かいところまで演出したと思います。ただ西島さんだけを演出したわけではなく、他の役者さんにもしています。目指す所までたどりつけているかどうかの判断や、役としてのキャラクターを出すべきなのか、出さないほうが良いのかのさじ加減を、僕の判断に任せてもらいました。
―そんな風に丁寧に作られたものを観てどうでしたか。
深川:真木栗は僕だなあと思いました。生き方が下手で駄目なところが一緒なんです。僕は映画を作ってない時は酔っ払っているか妄想しているかで、若い頃はあんな安アパートに住んでましたし、真木栗のような生活をしていました。職業病なのかどうか、頭の中にあるのが想像したことなのか、実際に経験したことなのか、酔っ払ってみたことなのか、前の作品で経験したことなのか曖昧模糊としていたりしますし。

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―西島さんにもぴったりでしたが。
深川:原作を読んだ時にぱっと西島さんの顔が浮んだんです。ただしそれがいいんだか悪いんだかは解りません。あえてイメージと違う人に演じてもらって役を広げることもありますから。西島さんは表情が出にくい役者さんだなあと思います。今までの作品で演じている役の駄目なところが人間らしくて魅力的で、触れ幅のある作品を作りたかったんでぴったりだと思いました。偶然スケジュールの都合もついて、撮影の前に1時間くらい会って話したんですが、お互いに照れて目を合わせられないんです。
―お二人は似てらっしゃるんじゃあないですか。とくに目が同じです。
深川:撮影現場では似ていると言われました。お互いに話す事なんて無くて、照れていましたが、でも佇まいとかチャーミングな方だなあと思います。映画を作ってきて今回一番響き合える人に出会いました。

―その西島さん扮する真木栗が住んでいるアパートが素敵でした。
深川:今回はロケハンも上手くいって、偶然築40年と言うこの物語にぴったりの木造アパートが見つかったんです。もう壊すからと中を自由にさせてもらえて、壁を外したりと撮影しやすいように改装できたのも幸運でした。部屋の中は作家の部屋に興味があって、色々な作家の方の話を聞き参考にして作っています。雑然としていて周り中が本で一つの部屋で何でもする形ですが、貧しくても居心地良さそうですよね。西島さんはこの部屋に入ったとたん、作りたい映画が解ったと言ってくれました。
―監督だけでなく西島さんもお若いころは真木栗のような生活をされていたのかもしれませんね。こんなアパートが似合うと言うか、今公開中の「東南角部屋二階の女」でもそんな役をやっていますよね。
深川:そうかもしれませんね。経歴を拝見すると、西島さんは好んで小さい作品に自分の居場所を探っています。そういう志向があるから売れない役者や売れない小説家の役がしっくり来るのでしょう。育たれた環境だろうと思いますが、西島さんは何をやってもどんな役を演じても品があるんです。相手を傷つけるようなことをやっても何処かでその人間を信頼できるし、悪くなりきらない。この作品では覗き見をするんで、真木栗の視点を追って感情移入させられる観客は、真木栗に品がないと自分に返ってきて辛くなるのですが、西島さんの品位で救われています。(聞き手:犬塚芳美)       <明日に続く>
             
この作品は、12/6(土)より第七芸術劇場
        12/20(土)より神戸アートビレッジセンターで上映
        12月下旬より京都みなみ会館で上映予定

映写室NO.180「ヤング@ハート」&「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」

映写室NO.180「ヤング@ハート」&「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」     
  ―ロックは永遠の青春!―

 <今週は、ロックがガンガン流れる作品を揃えました> アメリカはマサチューセッツ州の平均年齢80歳のロックンロール・コーラス隊の日常や舞台風景を映したものと、1962年に結成以来世界のロックシーンをリードし続ける永遠の不良青年たち「ローリング・ストーンズ」のライブフィルムと言う、二本のドキュメンタリーを紹介しましょう。
 <片方は素人、片方はプロ中のプロの>スーパースターだけれど、どちらも「ヤング・ハート」を持っていて、しかもどちらも「シャイン・ア・ライト」で、舞台に立つといっそう輝きを増すから凄い。クライスラーのオープンカーをぶっ飛ばす元海兵隊員の78歳のソロシンガーに感情移入するか、皺までもチャーミングな今もってロック体形のミック・ジャガーに感情移入するかは人それぞれでも、思わず体が動き出すこと請け合いの刺激的な2本です。どちらも大人のチャーミングさに溢れ、年を重ねるのも悪くないとたっぷりの元気を貰えるのが嬉しい!

《ヤング@ハート》
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 <「やんちゃな年金生活者たち」と評され>、“ヤング@ハート”と呼ばれるコーラス隊のメンバーは、平均年齢80歳のおじいちゃんとおばあちゃん。年に一度のコンサートに向けて「ザ・クラッシュ」や「トーキング・ヘッズ」の歌を練習するが、メンバーには次々と事件が…。
 <このお年だったら、おとなしくレクエームや叙情歌等>を歌いそうなものなのに、腰を振り手を突き上げてロックと言うのが振るっている。年のせいだと諦めがちだけれど、だからこそ秘めた思いがあるはず。その突破口をロックに持っていけば心も体も輝くはずだと考えた、コーラス隊の演出家のボブ・シルマンの着想が良かった。
 <ボブ・デュランの“Forever Young”を力強く>歌い上げられると、改めて歌の内容を理解するように、肉体は老いても心まで老いてはいない。若さの象徴のような、ジーンズにピンタックの入ったぱりっとした白いシャツを、老人の風格で格調高く着込なす気概を見せて、いつもは腰を曲げて歩く老人が、背筋まで伸びて力強い姿を見せるのも驚きだ。多くのお年寄りを元気付けるだろう。と言っても、なんだかんだ言いながら日本の今のお年よりは元気もパワーもある。こんな老後だって送れると元気付けられるのは、お年寄りに負けてられない私たち予備軍だけれど。

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 <それにしても老人たちの歌うロックの深さ>、歌に人生の重みを加えて、知っている曲がまるで違う世界観を持ち始める。花形スターは92歳だし、癌を患い3回も手術した83歳のジョーは医者に止められてもヨーロッパ・ツアーに参加するという入れ込みよう。押し付けられた年相応のらしさなんて跳ね飛ばす。
 <このコーラス隊の2008年現在のメンバーは>72歳から88歳で、いくら歌は生きがいで生きる事そのものだとは言っても、歳が歳だけに、体調を壊したり鬼門に入る人が後を立たない。1982年結成当時のメンバーはもう残っていないが、その精神は受け継がれている。人は誰も死なずにはおれないのだ。その日までを輝き続けて生き切るお年寄り達が見事だった。
  
  この作品は梅田ガーデンシネマ、シネカノン神戸、京都シネマ等で上映中


《ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト》

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(C) 2008 by WPC Piecemeal, Inc. All Rights Reserved

 <この企画は元々、ザ・ローリング・ストーンズ>のボーカリスト、ミック・ジャガーが持ち出したものだ。当初はブラジルのビーチで開かれる彼らにとっての最大規模のコンサートを映画にしようというものだったが、依頼を受けたマーティン・スコセッシ監督はもっと観客とバンドが密接な空間でのコンサートを撮りたいと、ニューヨークはビーコン・シアターでのライブを持ちかける。こうして監督に押し切られる形でこの映画の撮影の形が決まった。
 <ところが事前に綿密な撮影プランを決め>映像技術を酷使したい監督に対して、メンバーはぎりぎりになっても演奏する曲を決めない。カメラの位置が決まらずいらいらするスコセッシの姿が映り、ライブの主導権は映画の撮影か、瞬発力を大切にして最高のステージにしたいメンバーの思いかと綱引きがあったり、偉大なアーティスト同士、共同作業とは言っても簡単には相手の思うように動かないのだ。

 <そのせめぎ合いも演奏開始とともに吹き飛び>、カメラも観客もロックに心酔していく。圧倒的なパワーのステージだ。流れる汗、真剣な瞳、ステップを踏むセクシーな腰つきとカメラはあらゆる角度からメンバーを追いかけ、観客はその場にいる以上の視点でステージを楽しめる。それでもカメラを先導する自分の姿を映したりと、映画を作る側の姿もフィルムに納めているのは、スコセッシの茶目っ気だろうか。バンドの音楽に一歩も引けをとらず、これはバンドと僕ら映画人のタッグなんだとでも言いたそうに、彼らを映す側の主張を入れているのが面白かった。

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(C) 2008 by WPC Piecemeal, Inc. All Rights Reserved

 <ミック・ジャガーはヤンチャなままで>、歌って踊って時を飛び越える。他のメンバーは体のたるみとかそれなりに年を感じるのに、彼だけは顔の皺以外は未だに身も心も少年。こんな60歳がいるだろうかと若さとセクシーさ、エネルギーに驚く。元恋人のマリアンヌ・フェイスフルがすっかりおばさんになったのとは対象的だ。そんな彼がかき回して、キース・リチャーズ、チャーリー・ウッズ、ロニー・ウッドの嬉しそうな事、目配せの一つ、絶妙に絡む間合いの取り方と4人の仲の良さが浮かび上がる。
 <このプラチナチケットを手に入れた観客の熱狂振り>も見所で、元クリントン大統領夫妻の姿とかセレブ感に溢れ、会場は盛り上がりながらどこか品が良い。かっての不良青年達が不良を続けながら加えた品性が香り立つ。気が付くと私も片隅で嬌声を上げている気分で、映画館はもう一つのプラチナチケットだった。「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」で始まり「サティスファクション」で終るまでの18曲を堪能したい。

  この作品は12月6日(土)よりTOHOシネマズ梅田等全国で上映

 どちらに使われるのもお馴染みの曲ばかり。臨場感だけでなく作品に映画としての格調もあって、ロックファンなら見逃せないドキュメンタリーの2本です。(犬塚芳美)

映写室「252 生存者あり」水田伸生監督と豪華出演者の合同会見(後編)

映写室「252 生存者あり」水田伸生監督と豪華出演者の合同会見(後編)
     ―東京を襲った大災害とハイパーレスキュ―隊の活躍―

<昨日の続き>
―撮影の為のレスキュー隊の訓練はどうでしたか。
伊藤:ビルの6階からロープを垂らして降りたり上ったり、皆さん普段から凄い訓練をしています。そこに入って一緒にやりました。
内野:僕の演じた隊長というのは勉強が凄いんです。どんな事態にも備えられるようにと朝から晩まで勉強と訓練で一杯で、、それが終わった後で役作りの為に話を聞いたんですが、災害の現場が大変過ぎて助けたくても助けられないことがあり、それが心に傷をつけてしまうと伺いました。

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(C) 2008「252」製作委員会

山本:隊に入って1ヶ月以上訓練しました。厳しい訓練ばかりでなかなか撮影に入らなくて、撮影に入ったかと思ったら今度は撮影が長くて、僕らが「252」信号を発して助けて欲しかったです。
―伊藤さんは「LIMIT OF LOVE 海猿」からこのような役が続いていますが。
伊藤:そうですね。これは実は、前作で出来た原作の小森さんとの繋がりから生まれた作品です。レスキュー隊員は仕事柄助けを求めている人がいれば助けたいんです。でもそう出来ない時もある。僕の演じた祐司のように、救いたかったけれど救えなかったと心に傷を持った人が多い。そんな作品に続けて出て人生観が変わりました。この映画がそんな人たちへのエールになれば良いなと思います。

―皆さんそれぞれ一番大変だったことを教えてください。
MINJI:体的には毎日大変だったけれど、作ることは楽しかったです。
山田:役が役で、僕は人を拒絶する男ですから、仕事以外でも負のオーラーを引きずってしまい、毎日現場に行くのが嫌になって困りました。
伊藤:自然災害をモチーフにしていて、監督もリアルに再現しているので、事前の準備よりも現場で水や風に当ることで役に入っていきました。
内野:寒くて大変でしたが、元々ハイパーレスキュー隊の仕事自体が常に悪条件の中での活動です。現場は自分の演技プランが吹き飛んでしまうほど大変でしたが、立ち向かっていく気迫が合ったので吹き飛ばせました。ただ大きな音の中でやっていたので現場でのせりふが全て使えなくて、せりふは後で入れています。自分の演技なのになぜかそれに合せてアフレコするのが大変でした。
山本:役としては普段の僕の通り男前なんですが、水とほこりの中で大変でした。撮影中はまちがいなく僕らが日本で一番汚れた体の役者だったと思います。
監督:過酷な現場なのに誰も愚痴や不平を言わず付いて来てくれて感謝しています。
伊藤:リアルな演技と圧倒的なスケール感を、ぜひ映画館で楽しんでください。特に人と人の繋がりの素晴らしさを見て欲しいと思います。(レポート:犬塚芳美)

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《会見と作品の感想:犬塚》
 <この作品は仲間を死なせたという心の傷から>ハイパーレスキュ―隊を辞めた男と、災害に巻き込まれたその男を助け出す、かっての仲間の現職のハイパーレスキュ―隊員の活躍の物語ですが、「252」信号を一般の人に知らせた意味は大きいと思います。私もいざという時の為に忘れたくないし、何時か誰かが役に立てるでしょう。
 <かっこいい男優さんが勢ぞろいしての>記者会見は華やかで、男の方にも華があるのだと驚きました。兄弟役を演じた伊藤英明さんと内野聖陽さんは、会見でも皆を引っ張り、助けて欲しくないと駄々をこねる山田さんに(おい、おい)とでも言いたそうなお兄さんオーラを送ったり、踏み込んだ話をして下さったりと、主演らしく会場を盛り立てていきます。そんな様子を横から頼もしそうに眺める監督の視線にチームワークの良さを感じました。
 <さて、伊藤さんのお話にもありましたが>、耳の悪い設定の娘役に挑んだのは、弱冠8歳の大森絢音ちゃん。手話も学び可愛くて健気な娘をあどけなさをまじえて熱演しています。一見普通の少女でしかも何処か古風で温かさを感じさせる。こんな娘がいたらどんなことがあっても生き延びようと思うことでしょう。
 <作品は迫力満点で>、崩れ落ちる足元押し寄せる土砂や水と、息をつく間もありません。このところの異常気象、こんなことがあったとしても不思議はないと思わせる現実が何より怖い。温暖化対策を急がないといけません。

  この作品は12月6日(土)より梅田ブルク7 他全国ロードショー

《“「ハイパーレスキュ―隊」って何?“と、ちょっとディープに》
 通称「ハイパーレスキュ―隊」とは東京消防庁の消防救助機動部隊のことで、阪神・淡路大震災の教訓を踏まえて、平成8年12月に運用を開始したタスクフォースです。新潟中越地震での奇跡と勇気の救助活動で、一般に知られるようになりました。毎年400から500人の志願隊員から選抜試験で50名が選ばれ、厳しい研修の後に資格が与えられる。現在の隊員は28歳から35歳までと若い人で締められています。

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