太秦からの映画便り

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映写室 NO.187懺悔

映写室 NO.187懺悔
  ―ソ連邦崩壊前夜の伝説的映画が、遂に日本公開!―

 <見慣れないテイスト、重い色調や独特のリズム>、人々の体型や流れる空気感等に濃厚に旧共産圏を匂わすこの作品は、旧ソビエト連邦の厳格な検閲の下、1984年にグルジア共和国で作られたもの。架空の小都市の寓話的な物語ながら、独裁政治に喘ぐ人々の苦しみと不条理は、誰もに1937年のスターリンの大粛清を連想させて、あの時代を真正面から非難する映画だと注目を集めました。
 <グルジアだけでなく、ソビエト全土の公開でも記録的な動員をし>、この映画の及ぼした社会的な反響がソ連邦の崩壊に繋がったとまで言われています。いわばペレストロイカ(改革)やグラスノスチ(情報公開)の象徴のような作品ですが、完成から25年を経てやっと日本でも公開になりました。まるで玉手箱を開けたように、フィルムの隙間から、時を超えて創られた時代の空気や描かれている時代の空気がこぼれて来るのが見える。

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(C) Georgia-Film, 1984

<荒筋>
 教会をかたどったケーキを作る女性の傍らで、男が新聞を広げて「偉大な男が死んだ」と言う。長い間市長を務めたヴァルラムだった。ヴァルラムの葬儀が盛大に行われるが、翌朝、墓から掘り起こされた彼の遺体が見つかる。そんな事が何度か続いて、厳重な警備の中捕まった犯人は、ケーキを作っていた女性だった。法廷に堂々と現れた彼女は、自分の行為を認めつつも、掘り起こしたことは罪ではないと言う。そして自分が生きている限りヴァルラムを墓地では眠らせませんと、話し始めた思い出は…。


 <慣れた手つきのケーキ作りや、そのケーキの、繊細さとは程遠い>無骨な教会の形がちょっととぼけていて、最初物語がどちらに転がっていくのか解らなかった。それは悲劇を描きながら、ゆったりとした当時の時間を描いているからだと思う。重さと暗さと浮遊感、田舎町の素朴さが絶妙のバランスで共存する不思議な作品だ。それに独裁者とその時代を非難しても、其処に寓話性を忘れないのがこの作品の大きさ。愚かさを時を越えた全ての権力者に当てはまる普遍性まで広げている。

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(C) Georgia-Film, 1984

 <丸いほっぺとつぶらな瞳の少女が>、甘いケーキを作りながらも、これほどの復讐心を持ち続ける女性に育った過程を思うと痛ましい。と言っても、今の私たちから見ると、幼い頃の傷を癒し復習心を溶かすような幸せな出来事はその後なかったのだろうかと、其方のほうが痛ましくもある。其処の辺りが民族性の違いなのかもしれないし、より以上にこの作品が作られた時代性なのかもしれない。厳重な監視下で作られたと言うように、まだ時代は告発すべき権力者の横暴に満ちていたのだと思う。

 <幼い頃のケテヴァンは>、画家の父と美しい母の元幸せに暮らしていた。そんな日々に影が差したのは、文化遺産として教会の修復運動をしていた父が、市長選の演説中に演説を聞かずシャボン玉を飛ばしていた娘を睨みつける、ヴァルラムを避けるように窓を閉めたのが最初だった。あからさまに自分を無視する者がいると言う不快さ、独裁者は自分にひれ伏さない者を許さない。媚びる事を知らない気高い両親は、ますます独裁者の目の敵になる仕組みだ。まして彼の美しい妻を見れば、なおさらの事。横恋慕もあり、毅然とした姿勢を見るたびにさらに嫌がらせを重ねるのだから始末が悪い。それでも世間的には偉大な指導者で、市井の人々は長い物に巻かれるように彼の愚考に口を閉ざした。
 <こうして書いていると>、ケテヴァンの怒りは彼へはもちろんだけれど、彼の愚考を葬り去ろうとする民衆にむけられているように思う。たとえ死んだとしても、独裁者が何をしたか、彼のしたひれつな行為をいかに人々が忘れているかを知らせる為に、死体を墓に眠らせるわけには行かなかったのだ。

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(C) Georgia-Film, 1984

 <彼女の言葉に非難轟々の民衆の中>ぐさりと心に刺さった者もいる。それがこの作品の救いで、新しい時代の到来を予感させるのだ。後悔しなくても良い人だけが後悔するという、ある種の悲劇で幕を下ろす復讐劇の後、彼女の流す涙は映らない。

 <意味深な邦題は全編に漂う重さのままで>、誰が何を「懺悔」するのかと考えてしまう。この物語の登場人物だけでなく、国民全体の懺悔なのかもしれないし、誰かの懺悔を待っているようにも思える。観る者全ての心の片隅の「懺悔」を誘い出すトーンもあり、私たちにはちょっと解りにくい背景の宗教感が意味深でよけいに重い。
 独裁者に人生を狂わされた1人の女性の、執念のような復讐心を描きながら、最初と最後は甘いケーキで締めくくる洒脱さが、どこかユーモラスでこの作品の味付けになっている。(犬塚芳美)

この作品は、
   1月31日(土)より第七藝術劇場で上映
   3月7日(土)より京都シネマ、5月 神戸アートビレッジセンターにて上映予定


<ちょっとディープに> 
 公開できるかどうかわからないまま作った監督は、「結局は観客と出会うことになるだろうと確信していても、その前に絶望する事のないように、映画を自分自身のために作ろうと決めていました。たとえこの作品が映画スタジオから外へ出られなくても、作りたかった。このような映画を作ったという事実そのものが必要でした」と言っている。
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映写室 NO.186 エレジー

映写室 NO.186 エレジー
  ―運命の人に出会って―

 プレイボーイも純粋な女性も、運命の恋に出会えば人生は一変する。長年女性に肉欲のみを求めてきたカリスマ大学教授と、目も覚めるように美しいスペイン系キューバ移民の生徒は、教壇の上と階段教室の椅子で運命の瞳を絡ませた。原作は、今最もノーベル賞に近いといわれる現代アメリカ文学の巨匠フィリップ・ロスの短編小説「ダイング・アニマル」で、『死ぬまでにしたい10のこと』のイサベル・コイシェ監督が、恋に落ちて自分に自信を無くするという恋愛心理を、男と女、年配者と若者の両側から、しっとりとした大人の物語に仕立てている。こんなにも美しいペネロペ・クルスは見たことがないし、こんなにもセクシーなベン・キングズレーも見たことがない。年齢差を越えて、二人が運命の恋にひれ伏すまでの魂の移ろいを情感豊かに描いた、久々の大人の恋の物語です。

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(C) 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.

<荒筋> 
 デヴィッド(ベン・キングズレー)はテレビや雑誌でも活躍する有名教授で、ある日教室で目もくらむような黒髪の知的美人を見つける。裕福で厳格なキューバ移民の両親に育てられたコンスエラ(ペネロペ・クルス)だった。二人は恋に落ちるが、自由な恋愛を謳歌してきたデヴィッドなのに、彼女の若さと過去に嫉妬し、彼女のほうも心を掴み切れないデヴィッドに疲れて離れていく。でも別れてもそれぞれの心にはお互いの存在が…。


 <恋が切なくて美しいのは儚いからで>、曇りのない幸せの絶頂はほんの一瞬の事。思いが深いほど、両方の思いは危うい不均衡に陥るし、失くしたくないからこそほんの些細な出来事で未来に不吉な影を感じてしまう。この二人も最初は幸せで一杯だった。皆から注目されるカリスマ教授と腕を組むコンスエラは誰よりも誇らしく、若くて美しい彼女とベッドを共にしたと友人に告げるデヴィッドも、年甲斐もなく舞い上がってしまう。でも相手に非の打ち所がないからこそ、失いたくないと自分の欠けたところが見えてしまうのだった。二人一緒の夢を見たいのに、男は自分の年齢から未来の惨めさを思う。輝くばかりに美しい彼女の若さに目が眩んだゆえに、近づいてくる老い、人生の下り坂に向かっている自分が解る。女の方はそんな男の躊躇いに気付かず、彼の過去のプレイボーイ振りを思い出す。相手の素晴らしさが気後れになるという皮肉、それぞれが相手にとっての自分の大切さや、二人一緒の未来を信じられないなんて、一途な恋は切ない。

 <デヴィッドは誰よりも自分が大事で>、異性にひれ伏した事のない男だった。お洒落な部屋に住んで、人生を洒脱にこなす都会人。複雑な女性関係で息子に屈折した思いを抱かせたことも解らないほど勝手なくせに、まるで初心な少年のような臆病さはあまりに陳腐だし、老いを自覚し始めたプレイボーイの末路としてもありふれた話だけれど、ベン・キングズレーが演じると、その我儘さえも魅力になるのだからたまらない。初めて知った執着に苦しみ、厳格なコンスエラの親族の視線にさらされるのを怖がる様は、愚かでも男心の真実でもあるのだろう。こんな風になる自分が嫌で、魂の触れ合いを避けてきたのだろうに、人生も終盤になって陥った深み。それでもこの恋の威力は凄い。彼の隣にコンスエラがいる前半といない後半では、肌の艶まで演じ分けているようだ。

 <邦画ならこの年齢のカップルなんて>、まだ青臭い女性と年老いた男性になってしまうけれど、若くても女性が成熟して大人の雰囲気を持ち、年を重ねた男性が大人の魅力を湛えてセクシーな西洋文化圏では、寄り添う二人は絵的にもぴったり。溜息が出るほどに美しく、身も心も寄り添った大人のカップルになっている。特に、宝石のようだと彼女の美しさをたたえるデヴィッドの視線に重なるカメラワークは素晴らしい。
 彼女の美しさに陰を宿らせず、エキゾチックさをそのまま真っ直ぐ魅力として輝かせるのは、ペネロペ・クルスと同じスペインのイサベル・コイシェ監督ならではのことだ。

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(C) 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.

 <コンスエラと対照的な40代の女性を>、悲哀を込めて際どいシーンまでを体当たりで演じ切ったのがパトリシア・クラークソン。シルクの高価そうな下着で包んだ肢体はあちこちにたるみが見えて、デヴィッドに迫れば迫るほど痛々しい。長年体を重ねてきた男に他の女性の存在を感じても、取り乱すでもなく、クールに年を重ねる悲しみや恐れを打ち明け、離れて行くキャリアウーマン。体を求めながら、本当に求めていたのは彼の心だったのだと感じさせる巧みな演技も素晴らしく、彼に似合いのパートナーは彼女なのにとしみじみと思わされる。愚かな事に、それでも男が追い求めるのは輝くばかりのコンスエラなのだ。

 <この作品は最初にペネロペ・クルスありで>始まった物語で、主演女優から依頼されたのが女流のイサベル・コイシェ監督なのだけれど、今回も作品を複雑にして、まるで恋と対比させるように老いが浮かび上がった。キャロラインの役をここまで膨らませたのは、監督がパトリシア・クラークソンの魅力に負けたからだろう。ペネロペの美しさに負けないほどに、彼女の老いを知性と悲哀で魅力的に描いている。恋には負けても場面としての記憶でははるかにペネロペをしのぐ。 
 <実はキャロラインの告白は>、そのままデヴィッドが恐れている事。恨みがましい言葉は吐かなくても、セックスフレンドに「老い」をじんわり考えさせるのだ。こうして書いていると、この作品、愛を描きながらそれ以上に老いを描いているのに気付く。それは、恋といっても、魂から始まった恋ではなく、体と心、エロス的執着が何時しか人間的なものに変化していく過程を描いているからだと思う。ラストのような悲劇がなくても、この二人は何時かもう一度呼び合う魂だと思うのだけれど。(犬塚芳美)

 この作品は1月24日(土)より、
       TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、
       TOHOシネマズ西宮OS、三宮シネフェニックス等で上映

映写室「フツーの仕事がしたい」土家トカチ監督インタビュー(後編)

映写室 緊急集会の案内と「フツーの仕事がしたい」土屋トカチ監督インタビュー(後編)
     
 ―1人で始めた労働争議を勝ち取って―

<昨日の続き>
―この過酷さは運送業界とか建築業界とか、業界特有の問題もあるのでしょうか。
土屋:いや、特定の業界の問題ではありませんね。日本全体の問題だと思います。コンビニのアルバイトの方から聞いた話で、月に500時間働き、それでもノルマが達成できず、疲れ切って「死にたい、辞めたい」と会社に言うと、代わりの人を見つける為の広告費に50万出せと言われたとか酷いですよ。

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―もちろんこんな形で人を使う経営者は悪いけれど、一方で少しでも安くと貪欲に自己利益を求める消費者の姿勢があります。経営者側でなくても私たち消費者もこの醜いサイクルの一端に加担しているようで、問題は根深いと思いましが。
土屋:もちろんそうです。すぐに解決する問題ではありません。対話で変えていかないといけない問題です。ただ、この組合は誰でも入れる。困っている人にこそ見て欲しいんです。同じ境遇の人ほど身に詰まされるはず。そんな人は映画代も無理かもしれないけれど、お金がなかったら持っている人から奪う位の気持ち、持っている人についていって一緒に入る位の気持ちで見て欲しい。困っている人は一人で頑張らないで労働組合に相談して欲しい。この作品が組合の仕組みを伝えるツールになればと思います。

―最後は皆倉さんも社員になれて、奇跡的な解決を見ましたね。
土屋:まるでヤラセのようですが、入院した時は本当に悪くて、父親も死を覚悟させられたほどだったんです。入院後3週間はICUで家族以外面会謝絶でした。僕がインタビューできたのは6週間後です。その時に彼がしみじみと「フツーの仕事がしたいなあ」と言ったので、(ああそうだなあ。派遣社員の人は皆そう言うし、自分もバイトをしてる時にそう思った)と、この言葉を題名にしました。重い言葉です。クローン病というのは難病指定されている病で、医療費はほとんど免除だけれど再発の危険性がある。2週間に1度は病院にいかないといけないし、無理も出来ません。今度の会社はそこの当たりも承知で、仕事を休んで通院できるし保険もあるし、8時間労働でそれ以外は残業手当ても出る。それが当たり前なんですが、今までと比べると奇跡的にいい結果が出ました。皆倉さんの会社では組合員は広がっていませんが、彼のオルグでよその会社では広がっていっています。
―会社の態度の変化が映らずナレーションで逃げていますが。
土屋:よくそう言われるんですが、そこを描くと主題が変わってしまう。見る人に自分の問題として引き付けて見て欲しいので省略して、主人公の心の変化を映しました。最初はすぐに辞めそうだった普通の人の皆倉さんがここまで頑張って手に入れたものを見て欲しいのです。

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―会社側にとっては都合の悪い映像が多そうですが、肖像権は大丈夫ですか。
土屋:作り手にとって肖像権を考えるといろいろ縛りが出ます。今回は皆倉さんの生存権と肖像権とどっちが大事だと考えたら、断然生存権なんで、肖像権を無視して作りました。抗議されて話題になればそれも面白いと思ったんですが、今のところ抗議は来ていません。肖像権に配慮して顔にモザイクを入れると、どうしても其処に視点が集中する。問題提起のつもりで、争うなら争いたい位の勢いで作りました。
―労働組合って知らない人が多いですよね。それに今、撮影時より状況が厳しくなって、「フツーの仕事」どころか、「何でもいいから仕事」をとなっていますが。
土屋:そうなんです。こんな世の中ですから今こそ労働組合が必要なんですよ。労働運動は生存運動と一緒にならないといけないと言った人がいますが、人間らしく暮らす権利がある。僕のような仕事もですが、「好きな事」を仕事にしていると、(好きなんだから…)と諦めやすいし、こんな状況に陥りますよね。好きなことを仕事にしているって言うのはミソだなあと思いました。その業界ではこれが普通だ仕方がないと思っていても、人と話すと自分は普通じゃあないと気付く。個人だと思考が広がりませんからね。この作品も作ったと言うより作らされたと言う感じです。この人大丈夫だろうかと思うような人が、労働組合に入って最後まで戦えたと言うところに注目して欲しいのです。(犬塚芳美)


《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》 
 <よくこんな事を続けて事故が起こらなかったもんだ>と、私たちの隣を走るトラックの過酷な労働条件に驚きました。1ヶ月に552時間の労働とは1日に換算すると18.4時間になり、仕事以外に残されたのは、たった5.6時間にしかなりません。その5.6時間の間に自分の事の全て、食事をし、お風呂に入り眠らないといけない。自宅に帰る時間もなく、お風呂に入る時間もない。それが毎日だから、もちろん慢性的な睡眠不足で、皆倉さんもトラックの中で眠り起きて暮らすことになって体を壊したのでした。
 <この作品は組合からの依頼で始まり>、監督の立地点も労働組合の役割に比重があるので、少しぎこちなさもありますが、そこは少し自分の想像で補ってみるのがいいかもしれません。どうして其処まで追い詰められてもこの仕事を辞めなかったのかと、あまりの従順さに疑問も残るのですが、「貴女だって好きなことだとそうでしょう」と言われると、言葉に詰まります。確かに好きなんだから仕方がないと言い訳をして、同じ事をしている。監督はそれがおかしいと声を荒げ、労働運動は生存権の運動であるべきなのだと訴えます。
 <ここでは経営者が断罪されていますが>、加害者になりかねない消費者も忘れてはいけません。私たちも安さを喜ばず、自分と同じ様に、他の分野の仕事、物を作ったりそれに関わった人に労働に見合った賃金を払える値段でものを買うべきだと、国内での異業種間のフェアトレードを思います。

  この作品は、1月24(土)より第七藝術劇場で、
         2月14日(土)より神戸アートビレッジセンターで上映



―フツーの仕事がしたい! 映画的表現から日本の「雇用」を撃つ!―
<日本はどうなっちゃったんだ? どうしたらいい? >“1.23緊急・映画上映とシンポの集い“ の案内
日 時:09年1月23日(金)午後6時開場
会 場:エルおおさか(天満橋の府立労働センター)
参 加 費: 1000円

〈第1部〉
6:15~7:25 話題の労働ドキュメンタリー 『フツーの仕事がしたい』(土屋トカチ監督) 先行上映会 ――悲惨な労働の中で、生き残るための闘いがはじまった!
〈第2部〉
7:30~ パネルディスカッション「深刻な雇用実態と立法府がなすべきこと」
7:30~7:55 雇い止め、派遣切りされた人たち+ 土屋トカチ監督による実態報告
7:55~8:20 各党の出席者から発言
8:20~8:45 登壇者全員でフリートーク 

 [主催/連絡先] 1.23緊急市民集会実行委員会
   06-6302-2073(第七藝術劇場気付)  第七藝術劇場 松村

映写室「フツーの仕事がしたい」土家トカチ監督インタビュー(前編)

映写室 緊急集会の案内と「フツーの仕事がしたい」土屋トカチ監督インタビュー(前編)
      ―過労死寸前まで働き、1人で労働組合に参加して― 

 世界を未曾有の不景気が覆いつくし、この冬は非正規雇用の人々が生存の危機に晒されています。現代版の「蟹工船」だと上映の度に注目され、「フツーの仕事がしたい」と訴えた映画の世界は、フツーで無い仕事すらも無いような、もっと過酷な状況に追い込まれました。だからこそ、労働組合の存在を知られたいと意気込む土屋トカチ監督のインタビューです。「他人事ではないんです。実は貴方にだって当てはまる。好きなことというのが曲者で、好きなことをしてるのだからという言葉に騙されて、お金にならない仕事をさせられていませんか」と問いかけられて、言葉に詰まりました。

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(2008年12月22日 大阪にて)

<その前に「フツーの仕事がしたい」はこんなドキュメンタリー> 
 皆倉信和さん(36歳)は、高校卒業後転々としながら大好きな車の運転を仕事にしている。現在はセメント運送をしているが月に552時間という労働時間ゆえ、家に帰れずトラックの中で寝泊りする日々。会社が赤字だからと賃金も下がり続け、限界を感じて”誰でもどんな職業でも一人でも加入できる”といううたい文句のユニオン(労働組合)の門を叩く。ところが待っていたのは会社からのユニオン脱退工作だった。


<土屋トカチ監督インタビュー>
―監督は京都のお生まれですよね。
土屋トカチ監督(以下敬称略):ええ、京都といっても北の方の舞鶴で生れました。大学は京都市内で学生時代は音楽をやっていましたが、95年に東京に出て行った時、新宿の都庁のすぐ近くにあるダンボールハウスを見て衝撃を受けたんです。日本は豊かなのにその中心地でこれは何だろうと思いましたね。書店員を止めた後、仲間達と支援を始め、夏祭りのイベントでボランティアスタッフになったんですが、憧れのバンドが出演するので、スタッフになれば近付けるかもという不純な動機もありました。
―映像の世界に入ったきっかけは
土屋:そのボランティアスタッフの中に映像で飯を食ってる人がいて、そのイベントの記録映像を作るのを手伝ってくれと言われて、手伝っているうちに楽しいし面白くなって、ホームレスの方を自分で取材したりもしていたので、もっと勉強したいと思って、29歳の時にある映像制作会社に入りました。でもそこを2年後に解雇されそうになる。それで労働組合に相談して、半年間交渉して貰った和解金でPD150というカメラを買ったのが始まりです。自分がこんなことにならなければ労働組合と関わることもなかったでしょう。

―だから今回も撮影しようと。
土屋:最初は依頼で始まりました。2002年に労働運動を広げていこうと、僕はそこの執行委員でもあるのですが、自分の解雇されているところを撮影し3分間のビデオに纏めて上映していたんで、組合の書記次長に変なやつがいると覚えてもらったようです。それからの縁で時々仕事を貰うようになった。今回も組合から、会社との交渉を有利にする為に、労働争議を20分位の映像に纏めて提出できるようにしてくれないかと依頼が来ました。撮影を始めたのは2006年の4月で、映画のファーストシーンで使ったものがそのまま最初の撮影です。主人公の皆倉さんと出会ったのもこの時が最初でした。会社側に暴力団まがいの人がいるから、用心の為にカメラを回しておこうということになって、そしたら最初から大変で、僕は工藤さんと言う人にタバコの火を押し付けられたり、どつかれたり、部屋を追い出されそうになったんです。労働争議に巻き込まれてしまった。映画にしようと思ったのはずいぶん後で、皆倉さんが退院してきて仕事に復帰した頃です。最初は僕と同年だとは思えないほど顔色も悪かった人が、明るくなって顔色も良くなった。人間ここまで変われるものかと驚いて、依頼を離れて撮り始めました。

―ご自分にもダブったとナレーションにありましたが。
土屋:ええ、自分の解雇の時とかですね。それにドキュメンタリーなのにこの作品には冷静さが足りないと言う人もいますが、映画の製作者と言うより、最初から争議に巻き込まれ人間扱いされなかったんです。こんな状態で冷静になれるわけがありません。両腕を羽交い絞めにされながら映しているからぶれている所もあります。最初は争議の時とか、暴れ始めると映しますよと言ってカメラを回していました。経営者側もカメラを回していて、皆倉さんに辞めると言わせてそれを映して証拠にしようと思ったんだと思います。工藤さんは喧嘩の仕方が上手いんですよ。カメラを払うふりをしながらタバコの火をつけたりするんですからね。
―皆倉さんは結局辞めるのだろうと思っていましたが。
土屋:たいていは辞めてしまうケースですよね。でもここで辞めたらこの人の人生は何なんだろうと思っていました。辛過ぎますよ。皆倉さんも一度辞めると言っていますが、本心ではなく会社に脅されて言ったもの。母親の葬儀の時から表情が変わって、絶対に職場に復帰すると言い出すんです。それまでは孤独だったのが、組合に入って色々な人を知り色々な人と話すようになり明るくなりました。(犬塚芳美)
                          <明日に続く>

   この作品は、1月24(土)より第七藝術劇場で、
         2月14日(土)より神戸アートビレッジセンターで上映


<「フツーの仕事がしたい」緊急集会のお知らせ> 
 現実の雇用環境が映画で描かれている以上に厳しくなってきました。それを見据えて、この作品の劇場公開に先駆け、下記の集会があります。ぜひご参加ください。

―フツーの仕事がしたい! 映画的表現から日本の「雇用」を撃つ!―
日本はどうなっちゃったんだ? どうしたらいい? 1.23緊急・映画上映とシンポの集い


日 時:09年1月23日(金)午後6時開場
会 場:エルおおさか(天満橋の府立労働センター)
参 加 費: 1000円

〈第1部〉
6:15~7:25 話題の労働ドキュメンタリー 『フツーの仕事がしたい』(土屋トカチ監督) 先行上映会 ―
―悲惨な労働の中で、生き残るための闘いがはじまった!
〈第2部〉
7:30~ パネルディスカッション「深刻な雇用実態と立法府がなすべきこと」
7:30~7:55 雇い止め、派遣切りされた人たち+ 土屋トカチ監督による実態報告
7:55~8:20 各党の出席者から発言
8:20~8:45 登壇者全員でフリートーク 

[主催/連絡先] 1.23緊急市民集会実行委員会
        06-6302-2073(第七藝術劇場気付)  第七藝術劇場 松村

映写室 NO.185 「チェ28歳の革命」&「チェ39歳別れの手紙」

映写室 NO.185 「チェ28歳の革命」&「チェ39歳別れの手紙」 
  ―チェ・ゲバラの二つの戦い―

 <亡くなってもう40年以上たつというのに>、「チェ・ゲバラ」という名前のこのインパクトはどうだろう。響きだけで未だに私たちをときめかせる。この2つの作品は、そんな男の栄光の時と挫折の時、キューバとボリビアという二つの戦いを描いたものだ。圧巻の連続上映で世紀の革命の裏側を探ってみたい。
 <どちらもまるで革命軍に参加しているような>臨場感、時々ハンドカメラが揺れるドキュメンタリータッチもよくて、進軍の様子は歴史の1ページを覗いた様な重々しい気分になる。ただしゲリラ戦以外は省略が多く、予備知識等を使った補足が必要だ。革命に捧げた39歳の生涯はあまりに短くドラマティック。特に後者のミステリアスな終わり方の意味するものは何なのかと、今も頭を離れない。カストロとの関係は最後まで良かったのだろうか? 色々疑わしい事はあっても、ここまでしか描けない事情があるのかもと想像する。それともこれが映画的な解釈というものなのか。映画をきっかけに「チェ・ゲバラ」の生涯を探ってみたくなった。

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(C) 2008 Guerrilla Films, LLC - Telecinco Cinema, S.A.U. All Rights Reserved

 <1964年ニューヨーク国連総会で>、革命家にとって大切な事は何かと聞かれ、チェ・ゲバラは「人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛のない真実の革命家を想像する事は不可能だ」と答えている。アルゼンチン生れの医師が、何故キューバに革命をもたらし、20世紀のカリスマになったのだろう。答えはこの演説の精神が全てで、もちろん彼の愛だけれど、そんな精神を持つゲバラがどう戦ったかを、キューバ革命に参加しボリビアでも一緒に戦って、今も健在な3名の証言を元に再現していく。
 <私たちの熱狂は2度までも全てを捨てて>革命に身を投げ出した男への畏敬というのが大きい。でも理想社会を夢見続けた男、全ての人に幸せをと平等の精神を忘れなかった男は、彼の注ぐその愛がはね返された事もある。ボリビアの戦いは多くが謎の中で、罠に嵌められたシーンが目立った。戦いの途中からはまるで死への旅立ちのようだ。2度も家庭を放り出し、個人の幸せよりも人類全体の幸せを見続けた男、安定に留まれなかった永遠の求道心が眩しい。

<「チェ28歳の革命」荒筋>
 ラテン・アメリカの貧しい人々を救いたいと思いながら旅をしていたゲバラは、キューバに革命を起こそうとしていたカストロと出会い、2万人の軍隊に82名で挑むという無謀な戦いに参加する。上陸後奇襲されたりして生き残ったのはわずか12名だったが、民衆にも歓迎され奇跡的に勝利を収める。チェの愛称で呼ばれるゲバラの隣には、美しい女性兵士のアレイダがいた。


<「チェ39歳別れの手紙」荒筋> 劇的な勝利の後、キューバで要職を務めるチェだが、ある日「サトウキビ畑の視察に行く」といって出かけたまま帰ってこない。訝る人々にカストロはチェから託された「別れの手紙」を読む。その頃チェは妻のアレイダや子供たちとも別れわずかな同志と共にボリビアにいたのだ。ここでも革命を起こそうとするが、民衆を味方に付けれず、共産党の支援も受けれないで、次第に追い詰められていく。

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(C) 2008 Guerrilla Films, LLC - Telecinco Cinema, S.A.U. All Rights Reserved

 <ロバート・レッドフォードが制作した>『モーターサイクル・ダイアリーズ』でも描かれたように、1928年生れでアルゼンチンの裕福な家庭出身の医学生は、友人と中古バイクで南米大陸横断の旅をし、多くの貧しい人々を見て、この後社会の不平等を無くそうと革命に身を捧げていく。故郷に妻子を残したまま、20代でフィデル・カストロと共にキューバ革命を成功させると、今度は新しい愛する妻や子供、名声に安定した地位と、キューバで得た全てのものを投げ捨て、再び革命に身を投じ、貧困に苦しむボリビアの人々を救おうとした。製作者の当初の目的は、あまり知られていず、謎の多いこのボリビアの戦いを描くことだったという。ところが何故ボリビアに行ったかを描かなくてはと、映画はその前のキューバ革命から始まり広大な2部作に仕上がったのだ。

 <そう言いながらも肝心の何故ボリビア>に行ったかは、表面的にはともかく真相は描かれていない。其処を描きたくないからこそゲリラ戦の場面主体のドキュメンタリータッチで逃げているようにも思うのだ。安定の似合わない革命家だったということだろうか。信じていたボリビアの共産党の裏切りもあまりにも陳腐で、陰で何かなくてはあれほどの男がと疑問が浮かぶ。ボリビアでの戦いを勧めたのは実はカストロだった。そのカストロのソ連への傾倒は今までの圧制に代わる別の権威を生みだすとチェには不本意な物で、キューバを去ったのもそれへの反発があったのは間違いない。又、チェの殺害は、永遠のカリスマになってしまうと、ボリビア政府を支援していたアメリカが反対していたはずで、ボリビアの共産党はソ連の支援を受けていた。しかも其処で銃殺されて遺骨が回収されるのは30年後の事。こうして並べると、不思議な事だらけ、冷戦構造の真っ只中で、個人と国同士の思惑が交差する。

 <山岳地帯のゲリラ戦を描いても人間の存在感が濃い>のは、チェに扮したベニチオ・デル・トロの存在感の賜物だろう。いつもは暑苦しいくらいの物言う瞳が、ゲバラ風の髭と長髪に中和されてまさにぴったり。伝説の革命家に重なる。30数キロの減量で伝説の男に挑んだというが、長髪姿は見違える。だからこそラストシーンの意味が深い。キューバ革命から50年という節目の年に、眠っていた小さな秘密が息を吹き返しそうだ。

  「チェ28歳の革命」は全国で上映中
  「チェ39歳別れの手紙」は続いて1月31日(土)より全国で上映

映写室 NO.184ミーアキャット

映写室 NO.184ミーアキャット 
  ―『ディ―プ・ブルー』、『アース』のスタッフが贈る砂漠の偉人―

 ネイチャードキュメンタリーでは最高の技術を誇るBBCが、又もや素敵な物語を届けてくれます。カラハリ砂漠に住む成長してもたった30センチにしかならない小動物のミーアキャットは、遠くを見る瞳、すまし顔がまるで人間のような佇まい。野生で生きる英知、年長者の責任感等、生物界の神秘に目を見張るでしょう。映像だけではもっと大きい姿を想像して、後でパンフに写る寝転んだカメラマンの隣に立つ彼らのあまりの小ささに驚きました。地球って、生物界って神秘が一杯! 砂漠に広がるドラマチックな家族愛から生きる元気をもらえる。ちなみにミーアキャットは日本でも約35の動物園で見ることが出来るのだとか、今年の人気者の座は間違いない。

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Yaffle Films (Meerkats) Limited (C) 2007
Mattias Klum/NationalGeographic/ゲッティイメージズ  


<荒筋>
 ここはアフリカ南部のカラハリ砂漠。環境に適応できないと絶滅するしかない過酷な環境下で、小さなミーアキャットは家族で団結して必死で生き延びている。コロはまだ生れて3週間目、穴の中から初めて地上に出たが、持ち前の好奇心とヤンチャな性格で両親や兄をハラハラさせる。異常気象か、夏になって雨が一滴も降らない。このままでは飢え死にすると両親は危険な茂みの中へ入っていく。他の動物も生きるのに必死で、天敵が空にも地中にも地上にも一杯だ。兄がコロを庇って命を落としてしまう。


 <ドキュメンタリーなのに>、ヤンチャなコロを主人公にドラマ以上にドラマティックな物語が展開する。ミーアキャットそのものの生態も興味深いが、なにしろコロはジッとしていない。両親の目を盗んで、兄の腕を潜り抜け、すぐに好奇心のままに動いてしまうのだ。この辺り人間界でもいそうな腕白坊主だけれど、周り中が敵という砂漠の真ん中で、コロのせいで皆が怖い思いをする。両親や兄が怒りながらも心配し必死で守ってくれるのも人間と一緒だ。子育てをした方なら、我が子と重ね合わせて目を細めるだろう。

 <それにしてもミーアキャットの擬人性> 高い木に登って天敵から家族を守ろうと首を伸ばして見張りをする姿、家族そろった日光浴は皆で同じ方向を向いて、まるで未来を見据えているようで、物思う聖人にも見える。後ろ足2本で立って尻尾で支え、両手をお行儀よく前で揃えた端整な立ち姿、彼らの並んだ風景は何を考え何を思っているのかと、キュートでユーモラスですらある。時々は気持ち良過ぎて居眠りしコテンと転んだり、お腹がすき過ぎて貧血をおこす時もあるというのも可笑しくて、用心深いのか暢気なのかこの不思議な動物の生態を見て欲しい。こんな小さな体で、毒蛇に怯まず仲間を呼び寄せて威嚇ダンスで撃退する様等は、さすがにマングースの仲間。又この小ささだからこそ、天敵がもっと大きな獲物に狙いを定めて見逃してくれる事もある。

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Yaffle Films (Meerkats) Limited (C) 2007

 <このクルーが撮った「アース」でも>そうだったけれど、今地球は転換期だ。温暖化であちらこちらが異常気象に見舞われ、自然の中で生きる動物達が生存の危機に瀕している。ここカラハリ砂漠の乾きようもまさに異常。いつもだったらミーアキャットの子供たちは雨季の初めに誕生し食べ物が豊富なはずなのに、この夏は全く雨が振らず、砂漠は干上がって成長期のコロたちに食べさせる為に両親は巣穴から離れるという危険を侵さないといけない。この地に住む生き物の全てが生存をかけて他の生き物と争い、いつもの棲み分けが機能しないのだ。まず極限地に生きる弱い動物から始まった崩壊へのプロセスは、確実に人類に近付いている。
 <過酷な地に乗り込み>、忍耐強い撮影で地球や生命の神秘を教えてくれるBBCの技術とユーモア精神の生きたドキュメンタリーです。砂漠の聖人ミーアキャットに魅せられながら、自分も動物界の一員なのを思い出した。

  この作品は1月10日(土)より全国でロードショー

《豆知識:ミーアキャットとは》

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Yaffle Films (Meerkats) Limited (C) 2007

 <食肉目マングース科に属し>、大人になっても、体調30センチ、尾長15センチでしかない。南アフリカ、アンゴラ、ナミビア、ボツナワに生息し、砂漠の低木林に住んで、マングースらと巣穴を共有する事もある。必ず群れで生活し、個体では生息できない。敵対する群れとの縄張り争いや、身内同士の抗争も盛んな事から、「動物界のギャング」とも呼ばれる。好きな食べ物は昆虫やサソリ、植物の根っこで、天敵は鷲、毒蛇、猛獣類。
 <1年で性的には成熟するが>、群れの中には一組の優位オスと優位メスがいて、繁殖活動はこのペアのみが行う。大人になるのは命がけで、1匹のメスが生涯で生む子供は70匹、生れた子供の3匹に1匹は天敵や病気や飢えで死んでしまう。
 <ミーアキャットの有名な姿勢の直立姿>は腹部を温める為で、太陽に腹部を向ける為全員が同じ方向を向く。腹部には余り毛が生えていなく、「動物界のソーラーパネル」とも呼ばれている。皮下脂肪が少ないため温度が下がる夜間は、昼間温めた腹部と仲間同士が体を寄せ合って体温を保って眠る。
 <幼い子供に餌の捕り方や身の守り方等を教育する>が、成長に合わせて難易度の上がるカリキュラムを組む等の積極的な教育システムがあり、こうした仕組みは人間以外の哺乳類ではミーアキャットだけに確認されている。

映写室『プライド』金子修介監督と主演のステファニーさんインタビュー(後編)

映写室『プライド』金子修介監督と主演のステファニーさんインタビュー(後編) 
   ― 一条ゆかり漫画家デビュー40周年記念作品―

<昨日の続き>
―そこまで本気の状況もあったわけですね。本気と言えば、ラストシーンの続きが気になります。役に成り切ったステファニーさんとしては、二人の男性の間で史緒がこの後どんな選択をすると思いますか。
ステファニー:蘭丸に行くか神野に行くかということですよね。私なら好きな人の方の蘭丸に行くと思うんですが、私だったらと考えると、はたして蘭丸を好きになるかどうかが解からなくて…。今の女の子だったらたいてい神野に行くと思います。気障でかっこいいから人気があるでしょうし。

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(C) 2008プライド製作委員会

金子:かたや権力もお金もあり冷たい感じ、かたや貧乏で純粋と言うと、今までは後者を選ぶのがパターンだったけれど、それが繰り返されると嘘っぽいと感じるようになる。一条さんの描くのはそこが新しくて、史緒と萌にしても、なに不自由なく育ったお金持ちだったら性格が悪くて、貧乏だったらいい性格で健気で優しいと言う、今までのパターンとはちょっと違う。逆の設定が真実っぽく思えるんですよね。
ステファニー:一条先生の世界、皆が一条ワールドと呼ぶものは、だから面白いんだと思います。

―史緒と萌のどちらがしたたかだと思いますか。
ステファニー:史緒です。ひかりちゃんとも話したんですが、萌は性格が悪いわけではない。したたかというより考えてる事が解かりやすくて、手段は悪いけれど、気持ちを真っ直ぐ出しているだけだと思います。史緒も解かりやすいところがあるけれど、それを隠そうともしますから、やっぱりしたたかかと。
―その答えはちょっと意外でした。史緒は別に自分から動いて何かを手に入れようとはしませんが。
金子:その辺が原作の上手く出来ているところで、神野との話が進む前に、萌と蘭丸の歌を聞いたりして史緒は落ち込んでいる。残された拠り所の、自分の歌を救う為に神野の力を借りようとするわけで、人生こうなるのかなあと思わせるような作りになっています。ただ外から見ると史緒はしたたかに見える。レコード会社の御曹司と結婚してと噂される人なんでしょうね。

―実は私は一条さんの漫画で育ったんですが、あのゴージャスな世界がそのまま映像になっていて感動しました。原作に忠実なのでしょうか。
金子:原作は膨大なので、そのままは無理です。かなり省略していますし、オリジナリティを加えて変えているところもあります。でもファンの方は忠実だと言ってくださる。それは僕にとっては誉め言葉だと思っています。オリジナリティを加えながらも、そう思われるように工夫していますから。
―ええ。ところで一条作品の、ゴージャスは悪ではなく美徳というのが好きです。
金子:ご本人もゴージャスな方です。この作品の打ち合わせで撮影に入る前に2,3回お会いして一緒に飲んだんですが、正式なワインの注ぎ方とか「こうするのよ」と教えていただきました。脚本もチェックされていましたが、ゼロ号の試写の時に「良い出来じゃない」と言って貰えて良かったなと思います。撮影現場にもいらして、実は一条さんもこの作品に出ていらっしゃいます。
―それはご本人の希望ですか。監督の要請ですか。
金子:僕がお願いしました。
ステファニー:お出になっているのは、最初の頃の二人がオペラを見に行ったシーンです。
金子:ただ観客の目線は他の方に向いていると思います。前のお芝居の後ろをさりげなく歩かれるので、気が付かれるかどうかは解かりません。目線のマジックを利用して、いかにも一条さんが出ているという風にならないように、でもきちんと出ていただきました。

―ファンにとっては2度目、3度目を見て確かめたい仕掛けですね。ところでステファニーさんはいつもはポップスですが、今回クラシックに挑まれていかがでしたか。
ステファニー:クラシックも面白いなと思いました。ストーリーを知った上で歌詞を読むと、激しくて何かを訴えているものが多い。オペラってけっこう過激なんです。発声法や歌い方は違うけれど、これってポップスと同じだと思いました。時間がなくて身に付かなかったけれど、オペラの楽しさを知ったし、この作品に出て歌の幅が広がったと思います。
―撮影現場ではクラシックもステファニーさんが歌ってらっしゃるんですよね。
金子:ええ、そうです。コンクールのシーンとか一応最後まで使おうと思っていたんですが、他の出場者と比べるとやっぱり異質なので、諦めました。プロに映像に合わせて歌ってもらっています。
ステファニー:悔しいけれどオペラは歌い方がまるで違って大変でした。でも二人の掛け合い等他のポップスの場面は自分で歌っています。

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―史緒を演じて一番楽しかったシーンを教えてください。
ステファニー:最後のバーで、一緒に歌ってと頼んだら、萌から唾の入った水を飲ませられそうになるシーンがあります。その時史緒が「私は私のプライドをかけて歌うわ」という最高にかっこいいシーンがあるんですが、終わった後でひかりちゃんが「あれ、マジでむかついた」と言ってくれたんです。私も気持ちよくて後何度でも演じたいほどでした。もっともその後で二人で一緒に歌うシーンがあるから余計にいいんですが。
―最後になりましたが、お二人にとってのプライドは何でしょうか。この映画のここがプライドというのでもかまいません。
ステファニー:さっきも言いましたが、私の場合は歌です。これに出て歌にプライドをかけている自分に気付きました。自分の歌が解からなくて悩んでいた史緒が、だんだん強くなって、最後は母親の形見のネックレスを自分から外します。5オクターブとばかり言われるのがコンプレックスにもなっていましたが、高い声が出るのは誇ってもいい事でもあるので、私も史緒から元気を貰って、徐々にあせらずに自分を出して行こうと思いました。これからも自分でも気付かなかったプライドに気付くこともあるでしょうが、自分の駄目な部分も詩に書いたりと作詞でも歌の世界を広げたいと思います。
金子:私生活でいえば全部がプライドかもしれませんが、これで言えば、映画らしい映画にするということですかね。意外と昼ドラマっぽい展開もあるが、音楽が感情を昇華して行くというのは、映画でしか出来ない新しい独創的な部分なのかなと思います。映画でしか見られないものを作りたいというのが、僕の監督としてのプライドですね。(聞き手:犬塚芳美)

   この作品は1月17日(土)より、
        梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、
        MOBIX京都、TOHOシネマズ西宮OS他、全国でロードショー


《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》
 <この作品の何を見るか> もちろん私のような元一条フリークが見れば楽しいし、ステファニーさんの歌と美貌に憧れるファンも見逃せないでしょう。原作の漫画をそのままの顔をしながら巧みに世界観を広げていく監督の手腕も見逃せないし、ここに名前が挙がった以外の、渡辺大、高島礼子、由紀さおり等々多くの出演者の吹っ切れた成り切りぶりも見逃せません。有名なアリアが何曲も歌われるのも魅力です。でも圧巻はなんと言っても監督のお話しにもあった二人の心が歌で氷解していくシーンで、ステファニーさんと満島ひかりさんとのコラボレートが、徐々に変っていく表情、歌の響き合い共に心の中を見事に現して見応え聴き応えがありました。
 <傍から見るとプライドの空回りは痛くて滑稽なもの> 下手をすれば陰惨になるつばぜり合いを、突き抜けさせて笑いに変えるという監督の思い切りのいい演出で、試写室が何度も笑いに揺れました。こんな視点があれば世の中は随分変わる。そう考えると、この映画を今一番見て欲しいのは、国民から見ると目的を忘れてくだらないプライドのつばぜり合いで、大変な時期の政治を混迷に落としている日本の国会議員の方たちになります。…と変化球の提案もしましたが、楽しみな新春の1作になりました。
 <金子監督もステファニーさんも丁寧に>お答え下さり有難うございます。ステファニーさんはあまりに流暢な日本語を話されるので、アメリカでの事や2002年の来日等を伺うのを忘れてしまったほど。真摯に歌や映画に取り組む姿が浮かび上がっていると思います。

映写室『プライド』金子修介監督と主演のステファニーさんインタビュー(前編)

映写室『プライド』金子修介監督と主演のステファニーさんインタビュー(前編) 
    ― 一条ゆかり漫画家デビュー40周年記念作品―

 新年おめでとう御座います。今年最初の映写室は、新春らしい華やかな作品『プライド』のヒロインと監督のインタビューで幕開けです。本年もご愛読をどうぞよろしく!

 常に時代の真ん中で、変ることなく独特のゴージャスな世界を描き続ける一条ゆかりさんの漫画が、まるでその絵から飛び出したようなぴったりのヒロインを迎えて、映画化されました。原作の世界観を生かしメリハリの効いた映像作品に仕立てたのは、「デスノート」シリーズ等何本も漫画原作の映画化で成功している金子修介監督。際立つ才能と美貌でプライドの高い主人公に挑むのは、2007年に「君がいる限り」でデビューして、日本レコード大賞新人賞を獲得したステファニーさん。暗い世相を吹き飛ばす豪華な作品で、クラシックファンもポップスファンも魅了する音楽劇になっているのも注目点。お二人にこの作品について伺いました。

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(2008年12月12日 大阪にて)

<その前に『プライド』はこんなお話>
 同じ年頃で同じ様に声楽家を目指しながらまるで違う世界に住む二人の出会いは、史緒(ステファニー)の住む豪邸にハウスクリーニングに来た萌(満島ひかり)と、最初から象徴的だった。高価なオペラに行きたがる萌をチケットが余っているからと誘った史緒は、悪気はないもののレコード会社副社長の神野(及川光博)等、華麗な人脈で格差を見せ付ける。史緒が伝説のオペラ歌手の娘と知ると、アル中の母親に苦労しながら二流の音大で学ぶ萌は、思わず「ズルイ!」と呟くのだった。ところが史緒の父の会社が潰れ、世間知らずのお嬢様が一人ぼっちで世間の荒波に晒される事になる。


<金子修介監督と主演のステファニーさんインタビュー>
―設定は特別でも、よく見ると現実的な、誰もが持っている感情を描いているように思いますが。
金子修介監督(以下敬称略):そうなんです。この作品の売りは女同士の戦いですが、実は誰にでも当てはまる話です。エゴは作家とか芸術家なら持っているものでしょうし、自分もそうですが、特に映画監督というのは嫉妬の塊ですから、作品を通してエゴのぶつかり合いを見るのは面白い。自分が当事者だったら大変だけど、他者の物語としては面白い設定です。
ステファニーさん(以下敬称略):萌とかも特に性格が悪いわけではありません。誰もが本来持っているものを、こうやってむき出しに出来る姿が素敵だなあと思いました。
金子:ただそうは言っても、現実のままではない。二人が一緒にオペラを見に行ったシーンで、史緒の恵まれた境遇を知った萌が「ズルイ!」と言います。ここは実は漫画そのままのセリフなんですが、現実にはそこまでは言わないですよね。その後で「言いがかりをつけてるよね、私」と言う自分でのエクスキューズもあるんですが、原作の上手さでもあって、萌というキャラクターを掴む上で重要な箇所です。

―原作の世界観そのままのメリハリが利いたテンポの良い作品でしたが、漫画を映像化するに当たって演技上や演出上で心がけられた事はありますか。
ステファニー:工夫したところは色々あります。史緒は不器用なお嬢様で、誰もが気付くことをお嬢様過ぎて気付きません。最初は恵まれた環境なので、出来るだけ綺麗に落ち着いてゆっくりと気をつけて演じました。でも途中で大きく環境が変わります。その変化をどう演じようかと迷いましたが、注意深く内面を見ると、一途で歌が大好きだしプライドも高いという、本来彼女の持っていたものはそのままです。環境が変わっても史緒の本質は変わらないんだから、私も自分の思った通りに自分らしく演じればいいと思いました。
―お美しいので、史緒と重なる所も多いと思いますが。
ステファニー:一番重なるのは歌です。彼女は母の幻影から逃れられなくて、自分の歌が見つけられない。才能があるのにそれを認められる前に、母親の事やお金持ちとかが注目されてしまって、自分の歌は何なのかと言う悩みをずっと抱えていました。私も歌手デビューし、5オクターブとばかり宣伝されて、他にも表現したいことや自分なりの歌の世界観があるのに、そこが認められなくて苦しみました。でもあるきっかけで史緒は自分に自信を持つことを知り、自分の歌を歌い始めます。私にしても高音が出るのは悪いことではないので、5オクターブの声域と言われるのをマイナスに捕らえず、気にしないで自分の歌を歌えばいいんだと気付きました。史緒のプライドは歌です。歌が好きだし歌には誰にも負けない一途な思いがあるのですが、そこのところは私も一緒だから自信を持とうと思いました。この映画で学んだ大きなところです。

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金子:演出上では芝居の幹の部分からはみ出る部分を排除する工夫をしています。自然な事と言うのは無駄が多いもので、ナチュラルな芝居で物事を表現しようとすると、どうしても間延びする。そういう部分を敢えてやらないとかです。もともと原作の分量が多く、しかも歌は普通の芝居に比べて2倍以上も尺が膨らんでしまうものなのに、その歌がかなりある。だから歌以外のお芝居をテンポよく凝縮しました。
―それを助けるような、及川さんとか皆さんの演技もメリハリが効いて楽しめました。
金子:ええ、それぞれのキャラクターは適役を揃えられたかなと思います。この作品は誰ものキャラクターがはっきりしています。
ステファニー:神野とか山本教授、秘書の有森も癖があって解かりやすいですよね。
―ただ史緒は解かりそうで時々解からなくなりました。
ステファニー:史緒は不器用だから自分の中でも葛藤があるのだと思います。演じていても何を考えているのかたまに解からない時がありました。でもいつもプライドは高い。それは変わりません。
金子:状況で気持ちは揺れ動くんだけれど、考え方は一貫してるんですよ。その場での行動は状況で変わっても、核になるキャラクターは変わらないんだと思います。

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(C) 2008プライド製作委員会

―映像的にもメリハリが利いていて、姿勢が良くて何を着てもゴージャスな史緒と、微妙に前屈みの萌のドレス姿とが対照的でした。あの姿勢は演出でしょうか。
金子:そうです。ただ萌を演じた満島自身がそういう感じなんです。
ステファニー:現場でも話題になって、及川さんが「それ、演技だったら凄いよね」と言っていました。
―満島さんは監督の抜擢だと伺っておりますが、演技だとしたら、仕事とはいえ若い女優さんが偉いなと思いました。
金子:ええ。そのあたりは対照的に際立って出来たかなと思います。彼女とは「ウルトラマンマックス」のオーディションで出会ったんですが、その後も何本か出てくれて見ていたので、萌にいいなと思ったんです。そう言えばアンドロイドの役をやったその時は、背筋を伸ばしていましたね。
ステファニー:ひかりちゃんはさばさばしていて男っぽいと言うか、立ち方とかでもヤンキーっぽい格好とか上手いんですよ。演技に入ったら凄い顔とかもするし、でも外に出たらとたんにニコ―ッと笑って可愛い。切り替えが早くてさっぱりした人です。

―こんな状況を演じるのを楽しんだんでしょうか、本気になったんでしょうか。
ステファニー:楽しんでもいたし本気にもなっていました。萌にビンタをされるシーンがあるんですが、痛いんだけどひかりちゃんが泣きながら叩いてくる。こことかは両方が本気になったシーンです。
金子:殴られた方じゃあなく、殴った方が泣いているんです。そこは何テイクもしたんだけど、鼻水を垂らしながらやっていて、編集で選ぶのが大変でした。(犬塚芳美)
                        <明日に続く>

  この作品は1月17日(土)より、
      梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、
      MOBIX京都、TOHOシネマズ西宮OS他、全国でロードショー

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