太秦からの映画便り

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映写室 NO.191カフーを待ちわびて

映写室 NO.191カフーを待ちわびて 
 ―リゾート開発の進む沖縄の孤島の本当の幸せ―

 「嫁に来ないか。しあわせにします」と絵馬に書いたら、「私をお嫁さんにしてください」と手紙が届いた。これって奇跡?神様の配慮? 原作は原田ハマさんの、第1回日本ラブストーリー大賞をとった同名小説で、こんなのどかな島になら、そんな奇跡も起こるかもしれないと思うほど美しい南の島、沖縄の孤島が舞台の物語です。何もせずひたすら「カフーを待ちわびて」とは、いかにも南の島の空気感。方言の温かさが嬉しく、こんな奇跡を探しにこの島に行きたくなった。私のカフーに出会えるかも。

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(C) 2009映画「カフーを待ちわびて」製作委員会

<荒筋>
 沖縄の小さな島で、犬のカフーと共に世捨て人のように暮す明青(玉山鉄二)の元に、突然幸(マイコ)という女性からこっちに来るという手紙が届く。思い当たるのは友人達との旅先での事。悪戯だと思っていたが、幸は「今日からよろしくお願いします」と言って、本当にやって来る。明青の保護者のような存在のユタのおばあを手伝って、見よう見まねの家事は下手でも、都会的で美しい幸は明青が何も聞きだせないうちに、島の人気者になっていく。それでもどこか謎めいている彼女は一体誰なのか?


 <この物語の主役は3つある> まず、本当の主役の明青役の玉山鉄二。時々見せる自堕落さと放心した風情が彼の心の空洞を感じさせて、後半の種明かしへと繋がる。ぼさぼさの髪で世捨て人のような風情がよく似合っているが、この若者の本質が掴み切れない。さぞかしおばあをヤキモキさせるだろうという無骨さを自然に演じ、海や島の風景に馴染んでもいて、こんな青年が本当にいそうに思えた。
 <いかにも海の似合う南の島の青年の雰囲気>なので、出身地はもしや?と気になったが、京都府だという。演技力の賜物だろうが、それにしても不器用な役の似合う役者さんだ。たまに見せるはにかんだ笑顔が心に染みる。役としてのものなのだろうか、本人の物なのだろうかと迷いながら、最後は、まるでおばあのような気持ちで彼の恋を案じていた。

 <次の主役はもちろんマイコ> 「山のあなた~徳一の恋」で見せた大人びた和服姿とは打って変わって、年齢不詳の少女のような風情が素敵だった。本人の持つ透明感がこの不思議なヒロインにぴったりで、物語の神秘性と寓話性が高まる。儚げな感じはこの世の物とも思えず、途中までユタのおばあが呼んだ奇跡かもと思えた。それにしても美しい人だ。都会的なのに島の風景にスーッと溶け込む不思議さ。土着的に土っぽく演じた玉山と対照的で、さすがリゾート開発されそうな島だと、彼女の存在感がこの島を無国籍にしているのも見事だった。少し鼻にかかったような存在感のある独特の声も忘れられない。

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(C) 2009映画「カフーを待ちわびて」製作委員会


 <もう一つの主役は、もちろん沖縄のこの島だ> ユタのおばあがいるように、こんな島なら、人の力を超えた神がかり的な何かが支配していそう。そんな力には逆らえない。じたばたと働くよりも、カフーを待ってのんびりと自然を受け入れるのが良さそうだ。
 <島の若者を明青の仲間として>、裏には深刻な問題を抱えながら、この作品のトーンを壊さないよう、時にユーモラスに演じている多くの人々から、南国の島ののどかさと厳しさが浮かび上がる。とりあえずの答えは出したものの、たいていの田舎が抱える、開発か自然のままかの正解は見つからない。暮らしの大変さを知らない部外者が、理想論を押し付けられれるものでもないもの。

 <後半の思わぬ展開>は原作の上手い所だ。ちょっと推理小説めいた楽しさもあって、隠された過去、謎解きが感動を呼ぶ。映画は、読者に委ねた原作よりも踏み込んで、もう一つのラストシーンにたどり着く。
 <本当の幸せって何だろう?> 前に向かってひたすら走るのが楽しい時もあるし、ほんの小さな安らぎが嬉しい時もある。どちらもに幸せはあるけれど、何も無いのが長閑さの、この島の空気感に浸りたいと思う今日この頃です。恋の過程を丁寧に描いた、人の良心を信じられる爽やかな小品。ちなみに「カフー」とは沖縄の古い言葉で、「果報」や「よい知らせ」を意味する。(犬塚芳美)

この作品は、2月28日(土)より
   梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、MOVIX京都等全国でロードショー
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映写室NO.190 ホルテンさんのはじめての冒険

映写室 NO.190 ホルテンさんのはじめての冒険    
 ―勤続40年の実直な運転手がラスト乗務に遅刻をしたら―

 <もうすぐ3月、年度替りは人生の区切り>に重なる。特に、サラリーマンなら誰にでもある定年は大きな節目だ。この頃はその前に辞める人も多いが、最後まで勤め上げての定年退職は感慨も深いと思う。だからこそ有終の美を飾りたい。ピシッと最後を決めたいと、この主人公も思っていた。なのに、時間厳守の列車の運転手が肝心の最後の乗務で遅刻とは!しかもそれが始めての遅刻だなんて、人生はままならない。
 <ノルウェーの首都オスロと>第2の都市ベルゲンを6時間半で結ぶ “ベルゲン急行”の運転手の、ちょっとしたことから始まった新しい数日を、温かく描いた物語です。もちろん20世紀の名列車と異名を取る、名物の車窓風景も楽しめる。

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(C) 2007 COPYRIGHT BulBul Film as ALL RIGHTS RESERVED

<荒筋>
 ホルテン(ポード・オーヴェ)さんは、67歳のノルウェー鉄道の運転手。この40年間線路沿いの自宅で決まった時間に起き、小鳥にえさをやり布を被せて出かけるが、そんな規則正しい生活も今週で終わりだ。最後の乗務の後は、列車をやめて始めて飛行機で帰ってこようと計画している。ささやかな新しいことだった。ところが仲間が退職を祝ってくれたパーティで、無理矢理2次会に誘われ、気が付くと寝過ごして…。


 <今までレールの上を走り続けてきたホルテンさんは>、文字通り定年退職のその日に脱線してしまった。仕方なく自分の足で歩き始めると、人生は意外なことばかり。一つのつまづきが又次のつまづきを呼ぶ展開は、短い時間を描きながら、人生そのものを見てるようでもあった。人はなかなか自分の足では歩けない。自分で歩いているようで、誰かの敷いたレールの上を走っているものだ。見通しの悪い初めての道を自分の足で歩けばよろけるのは当然、もちろん67歳の男に走る事は出来ない。職業病のように真っ直ぐ前だけ見てきたホルテンさんは、ゆっくりと人生の車窓を楽しむ事になった。

 <実直で愛すべき主人公は>デンマークを拠点に活躍するボード・オーヴェで、寡黙でも心のうちが雄弁に表情に表れるのが素晴らしく、困った顔がチャーミングなのだ。真面目なホルテンさんの行動は世間知らずゆえに時に大胆。どこかにユーモラスな匂いがして、観客は知らず知らず彼を見守るような保護者の気分になる。風変わりな人々や予測不可能な出来事に次々と遭遇する様がおかしいが、こんな事でもないと真面目なホルテンさんに冒険は出来ない。決して自分からではなく、他人に巻き込まれながら新しい人生を垣間見る戸惑いが、見るものにはほほえましく写る。

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(C) 2007 COPYRIGHT BulBul Film as ALL RIGHTS RESERVED

 <象徴的な出会いは、元外交官と称し>、目隠しで運転できるという不思議な才能をもった男シッセネールとの出会いだった。彼は「人生は手遅ればかりだが、逆に考えれば何だって何時だって間に合う」と言う。つかの間の出会いはホルテンさんを決定的に変える。
 規則というたがをはずした時、前に広がった凍った道は明日からの人生。思い思いの他の人に触発され、ホルテンさんも昔取った杵柄であるものを持ち出した。眼下に広がる美しい夜景、町を目指して飛びたつ心、第2の人生のスタートだった。

 <監督は『酔いどれ詩人になるまえに』などで知られる>ノルウェーのベント・ハーメルで、ユーモアを交えたシニカルな視点が冴え渡る。北欧人が発するユーモアは、押しつけがましくなく、心地よいのだ。北欧のほのかな光がつくる独特の世界も珍しい。(犬塚芳美)


この作品は
   2月21日(土)より、梅田ガーデンシネマ、シネ・リーブル神戸で上映
   近日京都シネマにて上映予定

映写室「ノン子36歳(家事手伝い)」熊切和嘉監督と星野源さんインタビュー(後編)

映写室「ノン子36歳(家事手伝い)」熊切和嘉監督と星野源さんインタビュー(後編) 
―駄目な人たちの何をやっても駄目になる話の向こうの微かな救い―

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(C)『ノン子36歳(家事手伝い)』FilmPartners

<昨日の続き>
―セックスシーンとかは
星野:僕は今までそういうシーンをやったことがなかったんで緊張しました。こんなシーンで普段の自分が出るのは嫌じゃあないですか、心配しましたが、それはなかったです。監督が演技をつけてくれてそれに従いました。坂井さんの服を脱がせられなくて諦めると、坂井さんが自分で脱ぎますが、別の筋書きがあったんですが上手く行かずたまたまそうなってしまったんです。でも妙にリアルですよね。撮影の前に(もし興奮したらどうしよう)と思って、暫く悩んだ後、先に謝っておこうと思って坂井さんに「興奮したらごめんなさい」と言ったら、「興奮してもらったほうが嬉しい。してもらわなかったらがっかりだよ。しょんぼりしちゃう」と言われて、ああいい人だなあと思いました。実際の撮影時はお坊さんの気分で、無我の境地でした。坂井さんは脱ぐのは今回が最初で最後だと言っていたんで、気合も入っています。それを邪魔してはいけないと思いました。撮影が始まると皆が覗いていて真ん中に僕らがいる。真剣な集団の真ん中で興奮しなかったし、芝居でそんな風に見せようと思いました。逆に隣の監督の「ハーハー」と言う息遣いが聞こえて、僕はトランシーバーになったようなもの。一体化というか監督からの念を受けて動きました。ここまで自分が空っぽになれたのは初めての経験です。僕が興奮しちゃうとツーマッチだったでしょう。
―監督の演技指導はいつもそんな風なのでしょうか。
熊切:場合によるとは思いますがたいてい念を送っています。マサルは特にで、ノン子にも念を送っていました。と言っても全員には送れません。さすがに宇田川には送れなかったですね。

―この作品はなかなか複雑なお話ですよね。
星野:どうしても駄目になってしまう人たちの駄目な話だなあと思いました。でも駄目な人にしか起きない奇跡が起こる。馬鹿な人たちだったのに最後には馬鹿な事をしない、マサルを一人残すと言うか、少しずつ成長しています。一言で現わすのは難しい映画だと思いますね。上手くいかなくて毎日一人で反省会をしていました。
―この映画もですが、監督の作品には一定の方向性が見えますが。
熊切:オリジナルで考えると、孤独な人がいて、隣にいる人も孤独で、二人がひと時一緒に過ごすと言った、どうしてもそんな話になってしまいます。僕は嫌われ者や悪者が好きなんです。破壊者の孤独と言うか、町の嫌われ者とか好きですね。何時もそんな人を主人公にしてしまう。
―この映画のきっかけは何ですか。
熊切:坂井さんで1本撮りたいと言う思いと、前作が少し話を広げ過ぎたんで、男と女の話というシンプルなものに戻って撮りたいと言う思いが結びついてこうなりました。この物語を思いついた5年前は、もっと突き放して考えていたんです。でも具体的に役者さんの顔が見えてきたら、そこに情が入ってトーンがいい具合に変わってきました。ラストシーンも、この物語はどうにもならない話で、どうにもならないことを受け入れると言う救いようのない話なのだけれど、唯一つノン子が笑えるようになったと言うのが救いになる。坂井さんの笑顔が好きなのでそれを入れたくてそうしたんです。

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―この後マサルはどうするんでしょう。
熊切:別に設定はありません。
星野:監督とも話したんですが、しょんぼりしながら地元に帰るんじゃあないでしょうか。チェーンソーでガーッとやった後なんで、しょんぼりはしてるだろうけれど、それを悲観して死んだりもしない。あんなことを繰り返して生きていく人じゃあないでしょうか。台本を読んだ時は(自分に似ている。こんな鬱積した時期があるなあ)と思ったけれど、演じてみるとまるで自分とは違う人がいるなと思いました。中学とか高校の頃、チェーンソーを振り回したいような思いになっても、こんな人間なので実際の行動はなく、頭の中で済ましていました。僕が役者を始めたのは皆に誘われてですが、やってみると楽しい。元々学校や会社等の仕組みが嫌いで、連帯責任のあるサラリーマンとかにはなれないなと思っていました。熊切監督の事は『69』で共演した加瀬亮さんや菊池凛子さんから「いい監督だからいつか出れるといいね」と教えてもらっていたんです。今回「出たよ!」とメールで知らせたら、二人ともメールアドレスが変わっていて通じなくて。(笑い)

―近くで演出を見てご自分も監督をしたいとは思われませんでしたか。
星野:バンドのPVとかでは監督をやっています。熊切監督を身近で見ていると、場面ごとにガーッと皆を引っ張って行き楽しそうでした。大変なことが多いけれど、それまでしてやりたくなるもんなんだなあと言う印象を与えてもらえたんです。ただどんな芝居をしても見ていてくれると言う安心感をもらえたので、短いPVですら大変だった自分はまだまだだなあと思いました。今までも映画音楽という形で映画に関わってきましたが、音楽は出来上がった後での参加です。今回出演者として芝居をして、皆で作る現場の楽しさを知りました。
―坂井さんへの演技指導はいかがでしたか。
熊切:今までは、撮影中はともかく、普段は緊張して目をあわせられなかったんですが、今回は坂井さんが扮するノン子で引っ張る作品なので、今まで以上に色々話をしました。寄り添った感じがあります。これからも一緒の仕事があるといいなと僕としては思っています。(犬塚芳美)

《この作品の感想とインタビュー後記:犬塚》 
 熊切監督は皮膚感覚で映画を作ると仰いましたが、その皮膚感覚も痛いところを付いてくる。ノン子もマサルも本当に情けなくて夢までが一人よがり。でもデフォルメはしているけれど、こんなことってありそうだから辛い。こんなもんだと受け入れるべき現実はたいてい不本意なもの。落込んでいる時に見ると辛い映画ですが、そこに監督のしっかりとした力量を感じます。こんな現実があっても笑えるようにもなると言う、若さゆえの人生の肯定というか、もう少し年を重ねたらこの痛さは描けないだろうなあと、監督の若さゆえのクールな視点も感じました。自分の感性年齢や精神年齢を試すつもりで見てください。


 この作品は、2月14日(土)より、第七藝術劇場、京都シネマで上映

映写室「ノン子36歳(家事手伝い)」熊切和嘉監督と星野源さんインタビュー(前編)

映写室「ノン子36歳(家事手伝い)」熊切和嘉監督と星野源さんインタビュー(前編) 
   ―駄目な人たちの何をやっても駄目になる話の向こうの微かな救い―

 やる気なし、お金なし、男なし、離婚歴ありの三十路の女が、ひょんな事から、もっと駄目な年下クンと出会う。彼の夢はお祭りの縁日でひよこを売って、一山当てたら世界に飛び出すことだった。そんなイタくて甘い話を、どこか懐かしい風景の中で伸びやかに展開したのは熊切和嘉監督。坂井真紀さんとベッドシーンも演じると言う、駄目駄目ながら癒しの年下クンを「SAKEROCK」のギタリストとしても活躍し、舞台でも活躍中の星野源さんが切なく演じます。お二人に伺う撮影秘話です。

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(2008年12月15日 大阪にて)

《その前に「ノン子36歳(家事手伝い)」はこんなお話》 
 東京で芸能人をやっていたのに、鳴かず飛ばずで夫の宇田川(鶴見辰吾)と離婚して実家に舞い戻ったノン子(坂井真紀)は、やる気のない自堕落な暮らし。父親には叱られ母親は腫れ物に触るように扱う。そんなところへ、実家の神社のお祭りに境内でひよこを売らせて欲しいとマサル(星野源)がやってくる。頓珍漢でも真っ直ぐな彼の何かがノン子を癒し…。


<熊切和嘉監督と星野源さんインタビュー>
―何だか女としては辛い映画でしたが。
熊切和嘉監督(以下敬称略):この物語を思いついたのは共同脚本の宇田川さんと僕が年上の女性が好きで、わりとマサル視点で思いついた事なんです。それが5年前で、こんな女の人がいたら良いよねと妄想モードでした。具体的に女性映画を撮ることになってこんな風に変わっていきました。
―孤独感を体にも重みを置いて描いています。と言うか、心以上に体の寂しさに比重のある作品に見えますが。
熊切:心と体を分けているわけではないのですが、僕は映画を皮膚感覚で作るところがあって、そういうところが出たのかなと思います。
―マサルにノン子の寂しさが見えたのでしょうか。
星野源さん(以下敬称略):もちろん感じるものはあったのでしょう。このところ『人のセックスを笑うな』とか、年上の女の人とのセックスや恋愛が映画になりますが、この作品はそれ以上に、マサルにとってノン子の生きにくそうなところが、自分と通じたのかなと思います。

―撮影中に緊張したのは?
熊切:撮影が始まるまでにも、本当に作れるかどうかで胃の痛くなる思いをずいぶんしました。撮影ではノン子と宇田川のセックスシーンは、長回しで会話から入ってそのまま行きたかったんですが、デリケートなシーンなのでそんなに何度も出来ません。芝居は良かったけれど撮影が駄目だったとなっては困る。一回で決めたいと緊張しました。後、ひよこや鶏を映すのも大変で、鶏が橋を渡るシーンが1回で撮れず、翌日もう1回撮って3回目でやっと決まりました。
星野:マサルとしては、チェーンソーで暴れるシーンが、暴れるシーンで使うのは贋物でも、それ以外は本物なので重くて筋肉痛になって大変でした。その前のぼこぼこにされるシーンも大変で、擦り剥いた傷の跡が今でも残っています。本当はあそこまで暴れなくても良かったんだけど、芝居の流れで暴れたくなって自分でそうしました。

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(C)『ノン子36歳(家事手伝い)』FilmPartners

―監督は坂井さんと3度目ですが、相性というか坂井さんの魅力は。
熊切:良く聞かれるんですが一番は馬が合うと言うか通じると言うか。段から魅力的な方ですが、映画に出てもらうともっとしっくり来ます。一番思うのは嘘っぽいことが嫌いな人と言うか、そういう気がします。後、笑う時に思いっきり笑う、それがいいなと思います。
―マサルから見て坂井さんはどうでしたか。
星野:年上の女性に憧れるという気持ちは、誰にでもあるじゃあないでしょうか。マサルのシチュエーションは羨ましいです。実際の坂井さんは凄く優しくて、話していても色々冗談を言ったりして緊張を解してくれました。僕は頭ん中中学生なんで、くだらない下ネタ等すぐ飛び出すんですが合わせてくれるんです。
―星野さんの起用はどんなところから?
熊切:彼が出ていた『69』に僕の仲の良い役者も出ていて、源君いいよと言う噂を聞いていました。でも『69』を見た時はどれが彼だか解らなかったんです。「赤犬」と彼のバンド「SAKEROCK」のジョイントライブを見て、それで『69』のウンコをする人だと気付きました。(良いな。いつか一緒に仕事をしそうだな)と思っていたんです。今回何人かの候補の中から彼になった決め手は、彼だとマサルの役が重くなり過ぎない気がして、それがいいなと。チェーンソーを振り回しても何処か笑えるようになりそうだなとか、それと笑顔の印象があって良い人そうなので、やってることはむちゃくちゃだけれど、良い奴だなあと言うのが映ればいいなと思いました。出来上がったひよこを呼ぶシーンを見て、大正解だったと確信しました。彼にやってもらってよかったと思います。
―ちなみにひよこは何羽位撮影に使ったのでしょう。
熊切:4000羽です。ひよこは成長が早くてすぐに白い羽が出てくる。よく見ると映像が繋がっていないんです。撮影の後は日大の生物学科に引き取ってもらいました。

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―監督の演技指導はどうでしたか。
星野:台本を読んだ時は怖い役なのかな、もっと狂気が前に出ているのかなと思いました。でも入ってみると、マサルは真っ直ぐなだけでちょっとだけ狂気が見え隠れする人だと気付いて、なるほどそっちかと。ただこの撮影の前にハイテンションな作品を撮っていたので、この映画でもそのテンションが残って自分が余計なことをしないかと心配でした。そうしたら監督から「何もしないでいいよ、自分のトーンで行ってくれ」と言われたので、自分のままでと思ったんですが、やってみると何かが違う。自分をなくして空っぽの中に監督の思いを入れたほうがしっくり来ると気付いて、そこからは空っぽにして、横から監督が入れてくれる念でやりました。演技はしていないのかもしれません。役つくりもしてないのかもしれない。自分は何も考えず、監督の放つビームで演じているんです。(犬塚芳美)   <明日に続く>
  関西では2月14日(土)より、第七藝術劇場、京都シネマで上映

映写室 NO.189 悲夢(ヒム)

映写室 NO.189 悲夢(ヒム)
 ―夢と現を分け合って生きる男女の切ない恋―

 <夢の中の出来事が妙に生々しくて>戸惑うことがある。まして愛しい人が現れたりしたら、目覚めた後の物思いは深くなるばかりだ。もしかすると夢ではなく現実ではと期待し、忘れていた過去なのか、あるいは未来を予知しているのかもと考え始めると余計に混乱する。恋も愛も美しいばかりではない。時には苦しみに変化するが、それでも過去を反芻し、未来を妄想して、確かだった愛の残り香を探そうとするもの。
 <夢でもいいから会いたいと思う人>、眠っていてさえ憎しみの消えない相手。どちらも心がままならぬ誰かに囚われている訳で、願望が夢を呼び、憎しみも夢を呼ぶ。そんな夢はやっぱり悲しい。悲しいけれどそれこそが本当の恋なのかもしれない。そんな囚われの過去を払拭し、人生をやり直せるか…。不思議な物語のようで、過去の恋の清算は新しい恋で始まるという、考えてみると当たり前の現象を描いた作品でもあるのだ。

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(C) 2008 KIM KI DUK FILM All Rights Reserved

 <キム・キドク監督という、アバンギャルドを好み>タブーやモラルの限界に挑戦し続けてきた韓国の鬼才と、美貌を持て余すように、皆を煙に巻くのが好きなオダギリ・ジョーという日本の鬼才がコラボレートすれば、新たな境地の出現は当然。古さと新しさが共存し、未来なのか過去なのか時代さえも不確かで、日本語と韓国語が混じりながら、自然に両方が通じると言う不思議な世界を作ってもいて、もしかすると全ては主人公の妄想、夢の中とも思えてくる。そういえば映画は監督の妄想を具象化したもの、夢なのだと思い至った。
 <ここにあるのはキム・キドクの夢> このところ作品ごとに執拗に恋の悲しみを描くキム・キドクの、恋に囚われた者への愛しさが滲む。オダギリにとっても、こんなラブストーリーは初めてになる。

<荒筋>
 ジン(オダギリ・ジョー)は別れた恋人を追って車を走らせていて、車に衝突した。怪我をした運転手をそのままに恋人を追い続けると、今度は男が飛び出して来て急ハンドルを切る。汗をびっしょりかいて目覚めるとベッドの中だった。妙にリアルで気になって夢の場所に行って見ると、其処には夢の通りの事故の跡が。でも監視カメラに写っていて逮捕されたのはラン(イ・ナヨン)で、彼女は夢遊病だった。やがてジンの夢の通りにランが行動することに気付くが、精神科医は「二人が愛し合えば夢遊病は消えるかも」と言う。


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(C) 2008 KIM KI DUK FILM All Rights Reserved

 <自分の行動が予想できないほど>怖いことはない。心の奥底の願望を感じるからこそ、それがどう現れるかと二人は眠るのが怖くて、針を刺したり目をテープで引っ張って閉じないようにしたりと睡魔と闘う。それでもふとした瞬間に記憶が途切れ、そうして夢の中でもう1人の夢の通りに行動を始めるのだった。
 この二人は云わば表と裏、二人で一人だ。そもそも夢と現実は表裏一体、もしかすると一緒なのかもしれないと、観ているほうも夢と現の境界を越えてしまう。大変なことが起こった後の意外なラストに救いが見える。(犬塚芳美)

この作品は、梅田ガーデンシネマで上映中
     2月14日(土)よりシネ・リーブル神戸、3月、京都シネマにて上映

映写室 「CINEMA,CINEMA,CINEMA映画館に行こう!関西映画館情報」出版のご案内

映写室 「CINEMA,CINEMA,CINEMA映画館に行こう!関西映画館情報」出版のご案内
    ―1冊丸ごと映画館と映画賛歌の本―

 関西版の映画館の本が2月14日、バレンタインデーに発売です。義理チョコはもうかっこ悪い。本気チョコも重すぎる。こんな本をプレゼントして、さり気ないお誘いのアピールは如何でしょう。一人ぼっちの自分の新しい明日の為のプレゼントも良いかもしれません。映画館には思わぬ出会いがあります。


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 書かれているのは、1冊丸ごと映画館と映画賛歌で、関西圏全87館の映画館の、劇場側と観客側からの映画館情報の他に、地域ごとの映画館の歴史、外国(ブラジル、アメリカ、チリ、タイ・バンコク、韓国・フランス・パリ等)の映画館情報、インタビューによる成人映画館の話、プロデューサー、監督、カメラマン、俳優さんによる映画つくりのプロのお話、映画宣伝や劇場経営の事、映画村ぶらり探訪記、初めてのユニバーサル・スタジオ・ジャパンと盛りだくさん。業界の裏側ものぞければ、見る立場の思いには(私もそう!)と共感を覚えるはず。ぜひ手にとって、映画館で観る映画の楽しさを思い出してください。お買い物のついでに、あるいはちょっと遠出して隣町の映画館へと、映画館の手前で立ち止まっている皆さんの背中を押せれば嬉しいです。
「出会いは映画館で!」皆さん映画館でお会いしましょう。
                          “映画館に行こう!“本制作委員会 

本の題名  
         CINEMA,CINEMA,CINEMA 映画館に行こう! 関西映画館情報
発行日   2009年2月14日(バレンタインデー)
定価    1300円(税別)  145ページ A5版
編著者   “映画館に行こう!”本制作委員会(代表 犬塚芳美)
出版社  創風社出版(〒791-8068 愛媛県松山市みどりヶ丘9-8)
         Tel :089-953-3153   Fax:089-953-3103

 ※都市部大型書店にはありますが、今映画館や一般書店とも取り扱いを交渉中。最寄の書店にない場合は、「地方・小出版流通センター扱い」でお申し込みいただくか、直接出版社へ、あるいは“映画館に行こう!”本制作委員会(T&F  075-721-1061)まで連絡ください。送料無料でお届けいたします。

詳しい本の説明

 昔の映写機の写真を配したカバーを取ると、黒い表紙の背に銀の文字。中の紙は深紅で、これは昔懐かしい暗幕のイメージです。さあ、幕も引いた。照明が落ちて、映画の始まり始まり…。皆さんお静かに。

目次
夢見の闇、心の洞窟へ(三室 勇)
下関スカラ座 シアター・ゼロ
映画館を愛し、育ててみよう(浅野 潜)
映画館が舞台の映画紹介

映画を作る人  
  「必殺」の名カメラマン石原興さんのお話
  「北辰斜めにさすところ」を作った廣田稔弁護士のお話
  「オイチニッーのサン」で牧野省三を描いた高野澄さんのお話
  奥田瑛二の見果てぬ夢(金城静穂)
  「新撰組血風録」で土方歳三を演じた栗塚旭さんのお話
映画を見せる人
  映画館の看板絵師、竹尾昌典さんのお話
  祇園会館元テケツ係、近藤好子さんのお話
  テケツからこんにちは(オガワカンチ)
  映画館って何?(岸野令子)
  RCSの佐藤英明さんのお話
  第七藝術劇場支配人、松村厚さんのお話
  映画宣伝の松井寛子さんのお話
  「ホームレス中学生」(北野洋子)
映画を見る人
  映画館で見る夢は(横谷佳子)・私の彼氏を紹介します(花蘇芳)・映画と旅と私(佐伯七三)・
  渋谷映画館(ヒロセマリコ)・受難の座席指定(Seiko)・アラビアのロレンス(池田良則)・
  子供も一緒に映画館♪(Kimico)・MY HOME THEATERS@京都2008(長谷川里江)・
  映画館と私(落合祥堯)・深呼吸の場所(林ひろ子)・映画館通いの私の1週間(小野寛)・
  若者達の映画館(佐渡満)・映画1本千円主義(船越聡)

各国映画館事情
  ブラジル(岡村淳)・アメリカ(想田和弘)・タイ(松永実)・チリ(国司)・韓国(川瀬俊治)  
  フランス・伝説のプチ・シネマは残った(山本三春)

成人映画について
  たかがピンク映画、されどピンク映画(太田耕耘キ)
  駒田慎司さんに伺うポルノ映画館の現状
  関西成人映画上映館

関西映画館情報  
    映画のお茶の間進出~それでも映画館!~(喜多匡希)

Ⅰ大阪版  大阪市内20館、 大阪府下17館 
  “おもろい街”大阪の映画館(池田知隆)
       コラム:主役よりも脇役が好き!(寺田)、映画に対する想い(西村美希)
Ⅱ兵庫県版  東部17館、 西部9館
  神戸の映画館事情(小山康之)
       コラム:映画と写真(ケイ・イシカワ)
Ⅲ京都府版  中央9館、 兵庫・京都北部3館
  私の映画館ライフ -京都の映画館物語―(砂岸あろ)
       コラム:映画館という贅沢な空間(稲岡ヒーコ)
Ⅳ滋賀県版  滋賀県館7館
  出会いは映画館で(安田直紀)
       コラム:思い出の白蛇伝(奈千巴)
Ⅴ奈良県版 奈良県館7館
  銀幕に胸躍る 奈良旧市街の映画館事情を中心に(うだしげき)

静穂と佳子の 映画村ぶらり探訪記(金城静穂・酒谷佳子)
初めてのユニバーサル・スタジオ・ジャパン(文:青木朋子 イラスト・地図:青木耕也)
映画館でもらったクッキーについて(今西富幸)
後書き(犬塚芳美)


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映写室 NO.188 ベンジャミン・バトン 数奇な人生

映写室 NO.188 ベンジャミン・バトン 数奇な人生
    ―80歳の肉体で生まれ、年を取るごとに若返っていく男―

 <既成概念かもしれないけれど>、生まれたばかりで何も知らない知能や心には、柔らかくてぴかぴかの肉体が似合う。逆に、成熟した知性や心には、深い皴が味わいになる。なのに、この数奇な運命の男ベンジャミン・バトンは、心や頭脳と言う目に見えない部分と目で見える肉体との年齢が、逆の組み合わせだった。つまり1歳の心と頭脳に80歳の肉体という風に。赤ん坊には誰もが触りたくなるが、老いた肉体となるとちょっと違う。畏敬の念を抱くのは肉体にではなく、その向こうに老成した精神が見えるからだ。考えてみると、何も解らなくなった頭と心はまるで赤ん坊のようなもの。今人生の最終章はたいてい痴呆になる。どうせ誰かの手を借りるのなら、この物語のように懐に抱かれるのが似合う、幼い肉体がいいかもしれない。
 <原作は「グレート・ギャッツビー」のF・スコット・フィッツジェラルドで>、フラッパーな暮らしの空しさを描いた彼が、こんなにも意味深で不思議な短編を書いていたとは!と驚く。まるですれ違う電車が一瞬重なったように燃え上がった主人公たちの恋。それは愛でもあって、心が深く結びつくほど肉体は離れていく。愛とは、人の一生とはと、答えの出ない深い思いにとらわれる作品です。

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(C) 2008 Paramount Pictures Corporation and Warner Bros. Entertainment All Rights Reserved

<荒筋>
 裕福な夫婦に男の子が誕生するが、赤ん坊はまるで老人のようにしわくちゃだった。母親は産褥で死に、驚いた父親はわずかなお金と一緒に老人ホームの前に捨てる。こうしてベンジャミン(ブラッド・ピット)は、其処で働く黒人女性に我が子として、老人達と一緒に育てられた。少しずつ背が伸び腰も伸びてくる。12歳の時の姿は腰の曲がった老人だったが、デイジー(ケイト・ブランシェット)と仲良くなる。二人が再会した時、デイジーは目の前の美しい青年がベンジャミンだと気付かないで激しい恋に落ちる。


 <年齢を逆にとるベンジャミンは>、いつも他の人の人生に伴走できず、すれ違うようにどんどん離れてしまう。出会いは本当に一瞬の事なのだ。そんな孤独を運命として受け入れていたのに、激しい恋ではそうは行かない。何時までも一緒にいたいと思うから、自分の運命がよけいに辛い。
 <二人の人生が重なった証は>、娘だけ。片方は老いていく自分が彼にふさわしくないと思うし、片方は若くなっていく自分が娘の父親にふさわしくないと思う。心では求め合いながら、二人だけならともかく、娘までの人生を含めて考えると離れるしかなかったのだ。もしかすると、娘のことだけでなく、外観の変化でお互いの心が離れるのが怖かったのかもしれない。あまりにも過酷な経験から、ベンジャミンは今の幸せが続かないのを知っていた。

 <普通の成長過程を送ろうとも>、ベンジャミンのような真逆の人生を送ろうとも、成熟して身も心も満たされた“人生の良い時期”は短いのだと思い知らされる。でもそこで本物の出会いをすれば、その愛が人生を照らすと気付く。この二人がそうだった。惨めな姿をさらしてもやっぱり寄り添いたい人、気取りも何も全てを捨てて寄り添った時が本物の愛なのだろう。

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 <こんな不思議な物語の映像化を可能にしたのは>、もちろん今日の特殊メイクとCG技術の発展で、主演のブラッド・ピットもケイト・ブランシェットも、本当の彼らがどれなのか解らないほど自然に、あらゆる年齢を行き来する。ケイトはプリマドンナを目指すぴかぴかのお肌の少女になったかと思えば、終盤は皴に人生と慈愛を込めた老婦人を演じるし、もっと凄いのがブラピで、初めて彼に惹かれた「テレマ&ルイーズ」のジージャンの青年の姿になる。まずその技術力に驚かされた。
 <そんなビジュアルに魂をこめるのが>二人の名演で、特にブラピは、数日前に観た別の作品で、脳みそまで筋肉で出来ているような気がいいだけの青年を嬉々として演じていたので、本当の彼が解らなくなった。
 ブラッド・ピットとデイヴィツド・フィンチャー監督は「セブン」、「ファイト・クラブ」に続く3本目のコラボだし、主演の二人は「バベル」に続くコンビで、気心の知れた実力派同士が、映像技術以上に演技力を見せ付けている。どちらもの意味でメモリアルな作品だ。

 <ベンジャミン・バトンの人生が教える事>は大きい。どんな姿になろうと大切に抱いてくれた養母とデイジー、結局は彼の魂が身近な人を魅了した事になるが、私たちのうちこんな愛を手に入れられる人がどれほどいるだろう。いや、いざとなれば私たちの愛だってこんな風に深いかもしれない。人と人って結局は魂を見ているはずだから。
 気が付かないけれど、私たちの一生を精神から映像化すれば、こんな風なのかもしれないとも思わされる。子供ほど、全てを受け入れる偉大な大人なのかもしれないもの。


 <映画に感動しながらも>、今回は、こんな不思議で核心を突いた物語を作った原作者のF・スコット・フィッツジェラルドに、より以上に思いを馳せた。対照的なようで「グレート・ギャッツビー」と共通して漂う物、人生の儚さにとらわれていた作家なのだろうか。こんな事を考えていては神経が持たない。フラッパーに騒ぐしかなかったのだろうと彼の人生を思った。
 <デイヴィツド・フィンチャー監督は素晴らしい> 彼の元に集った映画人達が、今の映画界の持てるもの全てを酷使して作った作品です。(犬塚芳美)

  この作品は、2月7日(土)より全国でロードショー

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