太秦からの映画便り

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映写室 NO.200グラン・トリノ

映写室 NO.200グラン・トリノ 
   ―移民社会アメリカの融合―

 「硫黄島からの手紙」、「チェンジリング」等、監督のイメージが定着したクリント・イーストウッドだけれど、出発点はもちろん俳優業。そんな彼が「ミリオンダラー・ベイビー」以来となる、待望の主演、監督作で帰ってきた。自戒を込めた露悪的な視点も加えて、死生観と共に移民問題を抱えるアメリカの現状を捉えます。(こんなのってあり?)と、言葉を失う驚愕の結末のほろ苦さ。最後の俳優作品と聞いては見逃せない。

guran-torino-s.jpg
(C) 2009 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

<荒筋>
 ウォルト(クリント・イーストウッド)は元フォードの組立工。朝鮮戦争従軍の経験があり今もライフルを磨く。妻を亡くし一人住まいだが、二人の息子は自分の事で精一杯で寄り付かない。かっての住民は引っ越してしまい、近所は家の手入れもろくにしないアジア系移民ばかり。ウォルトは全てが気に食わない。日課は庭の芝刈りとビールと、秘蔵のヴィンテージ・カーを磨く事。その愛車<グラン・トリノ>を盗もうとしたのは、隣家のモン族の少年タオで、不良に脅されてのことだった。タオを不良たちから助けた事から、隣家との付き合いが始まるが、不良たちの牙が今度はタオの姉に…。


 <舞台は、自動車産業の崩壊で街が壊滅的>になったデトロイト。日本車を売る息子が腹立たしいのは、ウォルトだけではなく仕事を奪われたこの地の人々の本心だろう。実際に、ビッグ3は窮地でも、トヨタのプリウスは大変な人気で、購入が順番待ちらしいのだ。お金がある層は、荒れた町からとっとと逃げ出し、安価になった市街地に移民が入って、治安が悪化しているのも現実の問題。車で通りぬけるのさえ危険になったと、この近くに住む知人が嘆くが、そんな世相と空気感が写っているのがこの映画のタイムリーな所だ。

 <一昔前の栄光の影もなく荒れていく街に住む老人の内面と外観を>、クリント・イーストウッドが見事に体現している。まるで彼にあて書きしたような一体感、この年でないと演じられないこんな役に巡り会えるとは、何て幸運な俳優か。
 <いかにも従軍経験がありそうな姿勢の良さ>に、実務を堅実にこなしてきた男の頑固さと保守的な偏狭さを漂わせて、肌の色の違うだらしないよそ者に眉をひそめる男…と、ウォルトは実に具体的だ。まぶしい時代があればあるだけ変化は辛い。静かで高潔だった街を変えていく異民族に眉をひそめるのは当然だ。彼の姿に移民を受け入れながらもそう簡単に融合はさせない、アメリカ社会の差別の根幹が見えてくる。決定的な優位に立ったアングロサクソン人の差別意識は強固なのだ。

gurantorino-m.jpg
(C) 2009 WARNER BROS. ENT. ALL RIGHTS RESERVED.

 <近所や家族との付き合いは>妻がしていた。寂しくても、今更沽券に関わるようなことは出来ないし、するつもりもない。空回りするプライドに邪魔され、さあ、どうやって人生の終盤を送ろうかと目標を見失っていたところに関わってきたのが、自分とは対照的にフレンドリーな一家だ。人口密集に慣れたアジア人は、異国の地でも濃い情の中で暮らすもの。祖母に母、姉と女ばかりの家でたった一人の男のタオは、学校へも行かず職も見つからず、フレンドリーさでは乗り越えられないこの国の壁にはじき飛ばされ、大人の入り口で躓いている。

 <そんなタオを悪仲間に引き入れようとする>従兄弟達。こうして弱者どうし落ちていくのかと、負の連鎖に心痛めたところを救うのがウォルトだ。タオの真面目さに次第に心を解して面倒を見始めるウォルト、ウォルトの頑固さの奥に優しさと男の美学を見つけるタオ。親子と言うより祖父と孫のような二人は不思議な感情で結ばれる。遠くの子供よりも身近な他人に生きがいを見出す所もよくある話だ。観客がウォルトとタオが開きつつある穏やかな未来に頬を緩ませていたら、物語は最後に大きな山場を迎える。 

 <もちろんここまでも充分に魅せるけれど>、この作品が本領を発揮するのはこれから。頑固さが痛ましいほどに、ウォルトは老いの一徹でタオたち兄弟を守ろうとする。しかも銃社会アメリカへのさり気無いアンチテーゼ。そのかっこよさと確たる死生観、ウォルトの物なのか演じる俳優の物なのか解らないままに、観客はアメリカ的父性を見せつけられることになるのだ。アメリカとは父性の国、クリント・イーストウッドは父性の俳優だとしみじみと思う。しかも人生観として、これを突きつけられたらもう後はない。クリント・イーストウッドが俳優人生をかけた渾身の老いた立ち姿、このかっこよさを観客の目に焼き付けてラスト作品にしたい気持ちがよく解る。

 <こんな風な人と人の触れ合いを通して>、移民社会アメリカの融合は少しづつ続いていくのだろう。クリント・イーストウッドの異国で暮らす少数民族への暖かい視線が心地いい。気が付くとタオに感情移入して彼の愛を受け止めていた。(犬塚芳美)

   この作品は全国で絶賛上映中

《お知らせ》
 <振り返ってみると>、映写室の1回目は「ミリオンダラー・ベイビー」でした。アカデミー賞の主要4部門を受賞し、世間が大絶賛したこの作品の結末に、映写室は異議を唱えたもの。クリント・イーストウッドが演じるのはいつも強い男、大変なことは自分一人で引き受け、女子供等、弱者は常に守る姿勢です。世代の差や受けた教育の差もあって、私の場合そこに少し違和感を持ってしまう。それは今回も一緒でした。(守られた者の悔恨はどうしてくれる? 女子供だって頑張れる、一緒に頑張らせて欲しい)と言うのが私論ですが、もちろんこれは理想論かもしれません。
 <200回目を初回と同じ感想と同じクリント・イーストウッド作品>で飾る事になりました。基本的な考えかたは変わってないみたい。意図したのではないのに、書き始めて気が付いたこの偶然は、筆者にとっても驚きです。でもこれも神の教示かもしれない。長らくご愛読いただきましたが、200回を機に少しお休みを頂き、更に充実するよう映写室の形を変えようと思います。今しばらくお待ちください。(ただしインタビュー記事は公開に合わせてアップを続けます)新装開店のその日まで、皆様ごきげんよう!
スポンサーサイト

映写室 NO.199 子供の情景

映写室 NO.199 子供の情景
  ―学校へ行きたい、バーミヤンの少女―

 タリバンの本拠地アフガニスタンが注目されたのは、2001年9月11日。同時テロのあったあの日を境に世界は大きく変わったけれど、それ以前だってここはいつも戦火の中だった。強国の侵攻や内戦に巻き込まれ、平和を知らない若者が大勢いる。戦禍は子供たちに何を残したか、19歳の少女監督、ハナ・マフマルバフが、瑞々しい感性で寓話的な世界に纏めました。学校へ行きたいと切望する少女に希望を見ながら、大人の罪深さに心が痛む作品です。

kodomo_main.jpg

<荒筋>
 6歳の少女バクタイは隣家の少年のように自分も学校に行きたい。「鉛筆とノートがないと学校に行けない」と聞き、卵を売って買おうと4つ持って出かける。ちっとも売れず、落として割ったりもして、買えたのはノートだけ。鉛筆の代わりに母親の口紅を借りて学校に行く途中、崩れたバーミヤンの仏像の前で戦争ごっこの腕白坊主に捕まる。ノートは破かれて米軍の爆撃機になり、目と口に穴のある仮面を被せられた。


 <描かれるのは子供の目に映る寓話的な情景>だけれど、背景から浮かび上がるアフガニスタンの現状が痛ましい。ここは今もって危険な、時には渡航禁止にもなる地。私たちのもとに映像が届くのは、テロや拉致という極端な事件の後ばかり。住んでいる人の事はほとんど知らない。でもここにも日常はある。軍靴に踏み荒らされて、人々はどんな風に暮らしているのか。物語の狭間に、ブブカを被った女たちの姿、男女別の教育システム、タリバン政権の残したものや仕組み等、男尊女卑の風潮の強いこの地の暮らしが垣間見える。

kodomo_sub01.jpg

 <バーミヤンは標高2500メートルもの高地で>、夏は40度、冬は零下40度と寒暖差が激しく、しかも冬が5ヶ月も続く厳しい気候だ。それでも春には緑に覆われる美しいところだけれど、そんな自然の中に戦車の残骸等が放置され子供の遊び場になっている。
 <バクタイの家はがらんとした洞窟> 母の言いつけで兄弟の子守をしていると、隣家の少年の本を読む声がする。自分も学校に行ってあんなふうに本を読みたい、物語の続きが知りたいと思う。でも探したけれどいなかった母親だって、この暮らしでは彼女の希望通り本や鉛筆を買うお金をくれたかどうか解らないし、学校に行って子守をしないのを怒るかもしれない。ここでは子供も重要な働き手、学校に行けるのは恵まれた境遇らしいのだ。だから余計に、学びたいと言うバクタイの思いが胸に迫る。

 <バクタイに扮するのは実際にバーミヤンに住む>ニクバクト。時折り浮かべる大人びた表情は、過酷な運命を生きるこの地の少女の複雑さのまま。スカーフを被った姿が何とも可愛く、瞳には強さも感じ、この物語の希望とリアリティになっている。小さな手でぎこちなく卵を持って、「卵はいかが?」と売り歩く姿をハラハラしながら見た。
 <一方町を歩くと昼間から手持ちぶたさな男たち>が何をするでもなくたむろしている。アフガニスタンは1979年のソ連の侵攻に始まり、内戦、タリバンと反タリバンの戦い、米軍の攻撃から2001年12月のタリバンの崩壊と、20年を越える長い間戦渦にまみれて荒廃し尽くし、ろくに仕事もなさそうだ。
 <学校に行き未来を積極的につかもうとする>少女には希望が見えるが、大人にはそれが見えない。現世を諦めて、ジハードと来世に望みをかけたい下地は充分で、又もやタリバンが復活したとも伝えられる。

 <それにしても、貧しい暮らしの中で、鮮やかな口紅を隠し持つ>女性もたいしたものではないか。「女性は守られるべきもの」という伝統的な家父長制度のもと、就学、就労を禁止され、髪や肌を覆うことを強要されても、密かにお洒落を楽しむ強かさ。そんな物を買う余裕があるのなら鉛筆を買ってあげてよと、思わず抗議したくなったのは、私がここの暮らしを知らないから。口紅は、この地の女に明日も生きる力をくれる唯一のものなのかもしれない。
 <貴重な口紅を鉛筆代わりに>惜しげもなく使うバクタイ、彼女にとっては学校へ行く事が明日への希望なのだ。教室でバクタイの口紅でお化粧しあうおませな少女たちには、勉学とお洒落の両方の機会を手に入れて欲しい。

kodomo_sub02.jpg

 <悲しいのは、タリバンの真似とアメリカ軍による空爆ごっこ>と言う少年たちの遊びだ。捕虜になった外国人が被されてよく映像に流れた、あの不気味な覆面を少女に被せたのにはドキッとする。死んだふりをして難を逃れろと言う隣家の少年の知恵にも驚く。これこそが戦禍の爪跡で、大人たちの罪は深い。
 <でも彼らにも再生の力があると思えるのは>、無邪気さを残しているから。乱暴にバクタイから取り上げたノートに憧れがあるのは隠せない。子供たち皆が机に座りノートに文字を書ける日が、この国の再生の時だろう。学校の力、学ぶ事の威力は侮れない。さりげなく国際社会のすべき事を示された気がする。

 <もちろんそんな現状はアフガニスタンだけではない> 舞台をバーミヤンにしたのだって、イランに住んでいてもイランでの映画製作は簡単ではないらしいのだ。思想的、政治的、社会的な抑圧に耐える日々で、ここに映っているのはイランとアフガニスタンに共通する苦しみだと監督は告白する。(犬塚芳美)

 この作品は、4月25日(土)より第七芸術劇場、5月9日(土)から京都シネマ、
         7月以降神戸アートビレッジセンター にて公開


《ちょっとディープに》
 テヘラン生まれのハナ・マフマルバフ監督は、8歳から、父親でイランを代表する名監督のムフセン・マフマルバフの設立したフィルム・スクールで学ぶ。父から受けた影響は計り知れず、この作品も彼女の心に残った父の言葉が核になっている。

 <ノートを効果的に使っているが>、それは父の「多くの国がアフガニスタンに爆弾を落としてこの国を救おうとした。もしその時、爆弾ではなくノートが落とされていたら、この国の文化はずっと豊かになっていただろう」と言う言葉が忘れられないからだと言う。
 <原題は邦訳すると「ブッダは恥辱のあまり崩れ落ちた」>となるが、これは父ムフセンが、2001年の同時多発テロ以降に世界各地で出版した本から取ったもの。ムフセンは「国際社会は、タリバンの仏像破壊については声高に抗議するのに、長期にわたる戦争と干ばつで起こった飢餓のために、100万もの人々が死に瀕している事には声を上げない。仏像は誰が破壊したのでもなく、アフガニスタンの人々に対し世界の人々がここまで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けた」と書いている。

映写室 「バオバブの記憶」本橋成一監督インタビュー(後編)

映写室 「バオバブの記憶」本橋成一監督インタビュー(後編)
    ―大樹の周りに流れるゆったりとした時間―

(昨日の続き)
―伺えば伺うほど神秘的です。
本橋:実は樹齢4000年のこの樹を(と、写真集を見せて)撮りたかったんですが、ロケハンに行ったらもうなかった。この樹は実はお墓でした。アフリカには文字がないんで、文化は語り部等で伝えられ、グリオと言う吟遊詩人がその役目なんですが、彼らが亡くなるとバオバブの幹に穴をあけてそこに埋葬する。彼らは土の中に埋めると歌が唄えないと言うんですよ。でもこの樹がグリオの墓で有名になると、観光客がいっぱい来てその遺骨を持って帰ったりした。これじゃあいけないと、村人たちは穴から遺骨を集めて土の中に埋めたんです。そうしたら樹のほうが枯れてしまった。村の人に「どうして枯れたんでしょうねえ」と聞くと、「役目が終わって用事がなくなったからでしょう」とすまして答えるんですよ。

baobabu-1.jpg

―そんな話はモードゥ等若い世代も信じているんでしょうか。
本橋:部分的には受け継いでいます。モードゥは薪拾いに行ってもバオバブの枝は拾いませんからね。彼のお父さんがフランス語学校に行かなくても良いと言いますが、学校に行ったらテレビとか色々欲しいものが出てくる。でもこの村にいる限り手に入らないから、彼のような男の子は村を捨てて出稼ぎに行く事になります。物質的な豊かさを求めて、もっと豊かな他の多くの文化を捨てることになる。「お前は学校に行かなくて良いんだよ」というお父さんの言葉も、ある意味で正しいかもしれません。もっともそう言うお父さんは、雑穀の商売で稼いで、色々なものを手に入れているんですが。僕の育った頃は高度成長の時代で、物が増えるのが嬉しくて仕方がなかった。でもそういうのは切りがなくて、続けていたら大変なことになる。一つの豊かさを手に入れる陰で、別の豊かさを削っている。僕が写真を撮る時のテーマは大体そういうものです。外国、例えばヨーロッパに行くと駅は元々広場で人の集まる場所だった。でも今は単なる駅で5分前しか列車のドアが開きません。もうそろそろ、電車を10分速く走らせる豊かさよりも、10分遅く走らせる豊かさに気付くべきだと思うのです。僕の写真集「東京駅」もそんな変化を残したくて、新幹線の走る3年前から撮り始めました。

―少年の家には電気がありましたが、村全体ではどうですか。
本橋:家によって違いますが、10軒に1軒くらい電気が来ています。これが全部に引かれるようになり皆がテレビを見始めると、電力事情は大きく変わるでしょうね。ここにも原子力発電が必要になるかもしれない。
―女の人たちが皆さん綺麗な衣装を着ていましたが。
本橋:大体すぐに晴れ着を着たがりますね。小さいお祝いでも綺麗なものを持ってきます。
―それって村で織っているんですか。
本橋:違います。買ったものです。セネガルの重要な現金収入に落花生があって、この村でも落花生の栽培から現金が入ってきます。よその村は地下資源とか色々あって開発が進むけれど、この村にはないので、開発されず昔ながらの文化が残っているんです。もう少し内陸に入ると同じような暮らしが残っていますが、ダカールの近郊は開発されてしまいました。
―先生が村人より数段豊かに見えましたが。
本橋:彼女自身がダカールでそういう教育を受けたのもあるんでしょうが、夫がイタリアに出稼ぎに行っていて仕送りがあるんですよ。仕送りの度に家を建て増ししていました。でもたぶん不法滞在なんでしょうね、一度帰るともう行けないから帰ってこれない。考え方も進歩的で、例えば女性問題なら、ここを卒業しても女の子たちにメイド位しか仕事がないという現実は、何とかしないといけない等話していました。

baobabu-3.jpg


―子供たちが多いから先生は忙しいですよね。
本橋:彼の家も20人家族で子供が一杯います。ただし実は隣の子供が紛れ込んでいたりもする。行き来が自由で、大勢の中の中で家の子他所の子の区別もなく、皆に可愛がられてすくすく育つんです。ぽんと預ければ誰かが育ててくれるんだから、これなら安心して生める。僕らの社会よりよっぽど進んだ社会かもしれません。
―第一夫人と第二夫人が同居していて仲が良いのも不思議ですが。
本橋:そうでないと女性があぶれて暮らしていけないと言うのが根底にあるんでしょうが、回教は4人まで妻帯出来る。ただし平等に扱わないといけないんで、経済的にも大変です。ここは2人ですが凄く仲が良い。だいたい、自分が年を取って家事がしんどくなると、「ウチの旦那にいい娘を」と第一夫人が言い出し、おめがねにかなった自分の言うことを聞く娘を第二夫人に迎えさせる。そうして自分は夫と第二夫人の両方をコントロールできるというわけです。もっともこの仕組みも最初に女性が嫌だと言えばそれまで。結婚の時に重婚しない事を宣言さすことも出来ます。又5パーセントはキリスト教徒ですから、そちらは重婚は出来ません。

―ナレーションが橋爪功さんでしたね。
本橋:原稿は僕がぜんぶ書いて、僕の代わりに語ってもらう訳ですから、僕が器用に喋れないので、少しもたもたした人がいいと思っていたんです。僕というより、プロデューサーが橋爪さんのファンでお願いしました。
―いつもの橋爪さんよりさらに朴訥とした語り口で、最初誰だか解からなかった。いい味わいだなあと思ってラストの字幕を見たら橋爪さんでした。
本橋:そうでしたか。最初に色々状況を説明してお願いしたので、役者さんですからこちらの意を汲んでそのように喋って下さったんでしょう。橋爪さんでよかったと思います。
―撮影は一之瀬正史さんですね。
本橋:ええ、彼はドキュメンタリーのフィルムを回させたら、NO.1の実力者です。僕はフィルムが好きで、手間隙もかかるし、お金もかかるけれど、何ともいえない味わいがあるから大切にしたくて拘りました。贅沢な映画になっています。
―柔らかい映像が素敵でした。ところで又バオバブや少年に会いに行かれますか?
本橋:ええ、この作品を見てもらいに行きます。村では大騒ぎになるでしょうねえ。(聞き手:犬塚芳美)


この作品は、4月18日(土)より第七藝術劇場で上映
       順次、京都シネマ・神戸アートビレッジセンターにて公開


<インタビュー後記:犬塚>
 監督の専門が写真だけあって、全てのシーンが1枚1枚絵になる美しさ。しかも大樹に守られた村のゆったりとした時間が映り、スクリーンに広がっています。旅情をそそられ、バオバブに会いに行きたくなりました。学校に行きたいと訴える少年のはにかんだ瞳が忘れられません。


※この映画を観て、環境や自分たちの今の生活を考えるきっかけにしてもらえたらと思い、初の試みとして、「エコサポートチケット」の販売をします。
これは「バオバブの記憶」を下記劇場でご鑑賞の際、当日一般料金1,500円をお支払いいただくと、そのうち200円が「国際協力NGOセンター」(JANIC)の運営する「NGOサポート募金」を通じ、海外で環境保全などを行うNGO団体の活動に提供されるという仕組みです。
ご協力下さった方には、「バオバブの記憶」本編のフイルムをリユースした特製オリジナルしおりをお渡しします。映画のどのシーンが写っているかは、その時のお楽しみ。詳しくはhttp://baobab.polepoletimes.jp/eco/をご覧ください。

映写室 「バオバブの記憶」本橋成一監督インタビュー(前編)

映写室 「バオバブの記憶」本橋成一監督インタビュー(前編)    
 ―35年前の出会いから―

 本橋監督が初めてバオバブを見たのは、今から35年前のこと。その時からこの樹に心を奪われ、「いつか映画に撮りたい」と温め続けた構想が実現した。セネガルの小さな村の、バオバブの樹とそんな樹と共に暮らす人々を映せば、後ろにはアフリカの珍しい風景が広がり緩やかな時の流れが浮かび上がる。68年「炭鉱(ヤマ)」での第5回太陽賞等多くの受賞暦を誇り、写真家としても有名な本橋成一監督に伺いました。

baobabu-kan.jpg
(3月24日 大阪にて)

<その前に「バオバブの記憶」とはこんなドキュメンタリー> 
 アフリカ大陸の西、セネガルの首都ダカールから車で2時間のトゥーバ・トゥール村には、沢山のバオバブの樹があり、人々はその樹と共に昔ながらの素朴な生活を続けている。12歳の少年、モードゥは20人もの大家族の次男。コーラン学校に通っているが、本当はフランス語学校へ行きたい。でも家の手伝いが忙しく、父は行かなくていいというのだ。牛を追い農作業を手伝い、バオバブの樹の下で遊び今日も一日が暮れる。


《本橋成一監督インタビュー》
―ドキュメンタリーなのに寓話の世界に迷い込んだような幻想的な世界が広がっていますが、それは監督の作風ですか。それともこの村の持つ空気感でしょうか。
本橋成一監督(以下敬称略):僕のドキュメンタリーは、元々ドキュメンタリーらしくないドキュメンタリーなんです。僕は基本的に劇映画とドキュメンタリーの違いがないと思っていて、面白いものを撮っていると物語的にもどこかで繋がっていく。「ナージャの村」も、「アレクセイと泉」もそんな風にして作りました。
―作風だけでなく、この土地自体が霊的な時間を纏っているように見えますが。
本橋:もちろんそうです。この映画の舞台になっている所は、本来の地球の時間で時が動いている。東京や大阪にいると時間の流れが速く、例えば冬でもトマトが出来るし、鶏は365日卵を産む。これは不自然な事で、自然や動物が本来持っている時間を人間が都合のいいように操作して早めていますよね。そんな事が何時までも続くわけがない。もうそろそろ限界で、このあたりで立ち止まって考えないといけません。バオバブは500年、1000年と人間の暮らしを見ています。一生の短い僕らが見れるのなんて高々知れているけれど、バオバブの樹に聞けば、本来の時間、本当に大切なものが解るんじゃあないかと思って撮りました。撮影の合間に大樹の下で休んでいると、自然に謙虚な気持ちになる。バオバブの見てみた記憶、過ごしてきたゆったりとした時間が伝わってきて心地良いんです。

―画面からもそんな雰囲気が伝わってきます。ところで樹齢500年とか1000年とかは、どうやって解るんですか?
本橋:長くなると祠が出来るんで年輪では解らない。1年に大体このくらい大きくなるというのがあって、それを元に計算するようです。バオバブは切られないから自然に枯れるまで生き続けて、樹齢1000年、2000年というのが沢山あります。
―バオバブを撮りたいと思われたのは、確かアフリカで、象がバオバブの樹を倒しているのを見たのがきっかけでしたね。
本橋:ええ。テレビ番組の撮影で東アフリカのツァボ国立公園に行った時、象がバオバブを倒していました。その年は十数年ぶりの干ばつで、象も水がなくて困って、幹や根に大量の水を含んでいるバオバブを倒して水分を得ようとしたのでしょうが、マサイの長老が、「こんな光景は見たことがない」とつぶやいたんです。自然界の動物は何でもとり尽くす事はしません。又来年も恩恵を受けたいから、再生できるように必ず残しておく。象とバオバブも、何千年、何万年と共生してきたのに、それが壊れてきていると気付きました。それから気になって、何かの撮影で行ったついでに、バオバブを撮ってくるようになりました。

―バオバブは確か「星の王子さま」に出てくる木ですよね。砂漠にあるイメージですが。
本橋:ええ。インドでも見ましたが、サバンナ気候のところにあります。この村も気候変動は雨季と乾季で、雨季は4ヶ月、乾季は8ヶ月続きます。「星の王子さま」では根っこが地球を壊す悪い木だからと、王子さまは芽が出ると摘んでしまうんですが、実際のバオバブは大地の許しを得て芽が出ていると言われて、発芽率が低いのと、人が植えても枯れてしまうんでそうしてきたようですが、何処から生えようと抜かないし切らない。だから今までは道の真ん中に大木があったり、道路がバオバブの樹をよけてそこだけ曲がっていたりした。でも開発ラッシュで変わってきています。宅地造成等の土木工事に中国人が入っていますが、効率が大事な彼らはそんな文化を理解しない。現地の人は例えばブルドーザーで工事をする時、車輪の横に祈祷師を乗せて、「切っても良いですか」とバオバブの樹にお伺いを立てるらしいです。で、「3週間待て」と言うと本当に3週間待って、もう一度「如何でしょう」と聞くと、今度は「明日動く」と言う。これでやっと工事が出来るわけです。

baobabu-2.jpg


―樹に人格が宿っていると言うか、神秘的ですね。
本橋:バオバブは人間とのかかわりが深いんですよ。この樹を見つけると必ず近くに人間が住んでいます。南の島で1本の椰子の樹があると生きていけるというのに近く、バオバブには100通りくらいの用途があると言われ、例えば葉っぱは乾燥して粉にするし、種からは食料油をとるでしょう、幹は薬にもなるし、樹皮の繊維からはロープを作る。このあたりの井戸は深いんで、丈夫なバオバブの繊維で作ったロープでないと水が汲めなかった。ほとんどナイロンのロープになりなしたが、今もバオバブのロープを使っている井戸が1つあります。葉っぱから樹皮、実、殻、種と全てが役に立って、人間だけでなく生き物全てがこの樹のお世話になっている。
―樹齢の長さと共に神格化される所以ですね。
本橋:日本でも古木になると天然記念物になったりしますが、そうなると祭り上げられて人間との関わりが見えてこない。でもバオバブは違う。この樹ほど人間と関わっている樹は他にないですね。

―皮を剥ぐシーンがあってドキッとしましたが、枯れないんですね。
本橋:内側までは剥がないとか、剥ぐルールがあるんです。年上のものから教えれて、そのあたりのルールを代々受け継いでいく。この樹のもう一つの特徴は、皆の心の支えと言う部分で、精霊が宿っていると信じています。困った事があると樹の元に集まってお願いをするし、お願いのお返しでしょうがお供えをして、収穫の感謝祭もする。後、病を治すとも信じられています。例えばこの作品のプロデューサーは女性で、ずっと子供が出来なかったんだけど、映画に出てくる92歳の長老に、子供が出来るようにと相談すると、本当に出来ちゃった。そんな話を向こうで話すと、「良かったな、やっぱりあの長老は凄い」となる。そういう世界なんですよ。東京で過ごしていると(本当かな?)と思うけれど、向こうの時間の流れの中にいるとそんな事が信じられる。もちろん漢方の薬も貰うんですけどね、僕はそういうのを信じたいんです。この地では子供が生まれないのは致命的なので、バオバブの樹はそんな意味でも、名医なんです。(聞き手:犬塚芳美) 
                                 (明日に続く)

この作品は、4月18日(土)より第七藝術劇場で上映
        順次、京都シネマ・神戸アートビレッジセンターにて公開


※この映画を観て、環境や自分たちの今の生活を考えるきっかけにしてもらえたらと、初の試みで「エコサポートチケット」の販売があります。それは「バオバブの記憶」を下記劇場でご鑑賞の際、当日一般料金1,500円をお支払いいただくと、そのうち200円が「国際協力NGOセンター」(JANIC)の運営する「NGOサポート募金」を通じ、海外で環境保全などを行うNGO団体の活動に提供されるという仕組みです。
 ご協力下さった方には、「バオバブの記憶」本編のフイルムをリユースした特製オリジナルしおりをお渡しします。映画のどのシーンが写っているかは、その時のお楽しみ。詳しくはhttp://baobab.polepoletimes.jp/eco/をご覧ください。

映写室 NO.198スラムドッグ$ミリオネア

映写室 NO.198スラムドッグ$ミリオネア     
 ―“スラムの負け犬”が求め続けたもの―

 強豪を押さえて8部門を制したアカデミーの授賞式に、素人のインドの子供たちが大勢登場したのを覚えている人も多いだろうが、あの舞台のように賑やかな作品だ。今やハリウッドに取って代わる勢いのボリウッド映画で、世界中の映画賞を総なめにして躍進中。イギリスのスタッフの端正な仕事振りの後ろに、製作地ムンバイのエネルギッシュな躍動感が広がっている。インド理解にも役に立つのが頼もしい。

suramudog-m.jpg
(C) 2008 Celador Films and Channel 4 Television Corporation

<荒筋>
 ムンバイのスラム出身の青年ジャマール(デーヴ・パテル)が、後1問で2000万ルビーを手に入れそうな今、国中が「クイズ$ミリオネア」に釘付けだ。番組のホストは無学な彼がこんな難問を知っているわけがないと、不正を疑って警察に通報。拷問にかけられたジャマールは、答えを知っていた理由を、一つ一つ辛い記憶を紐解いて話し始める。さあ、疑いが晴れ大金は手に入るのか、彼がテレビに出た目的は達成できるのか…。


 <この作品は大きく分けると3つの場面>で成り立っている。まず実況中継のクイズ番組のスタジオ、警察の取調室、そして回想されるジャマールが答えを知るにいたった彼の半生だ。話が広がるのはもちろん回想シーンだけれど、番組のホストや取調官とのやり取りに、より人間ドラマが広がる。しかも静的なシーンを引き締めるそれぞれの脇役に、インドが誇る名優を配しているのも上手い。

 <インド中の視線をくじ付けにしたスタジオでは>、ホストが内心面白くない。この手の番組の醍醐味は、クイズ以上に、大金に目がくらむ挑戦者の葛藤を司会者が暴く事。でもジャマールにはそれが見えない。淡々とクイズを続ける青年の平常心の前では、大金が手に入るかどうかの天国と地獄の間を煽れば煽るだけ、自分の陳腐さが浮き上がってしまう。番組を盛り上げる決定的な何かを挑戦者に奪われ、カメラに笑顔を見せながら裏側で舌打ちをするホスト。
 <いつもなら皆の視線は自分にあるのに>、今回は目の前の気弱そうな青年に国中が熱狂している。忌々しいけれど、カメラの前ではそんな素振りも見せられない悔しさ。アニル・カプールがさもありなんと思わせる演技と存在感で、テレビ業界人の内外両面の胡散臭さを体現する。二人が向き合って座っただけのシーンがこれだけ力強いのは、カプールの実力だと思う。
 
 <警察の取調室でも、映画的に同じ事が起こる> ジャマールの告白で変わっていく部屋の空気を知らせるのは、もっぱら取調官に扮したイルファーン・カーンの表情。世界的には知らない顔がほとんどのこの作品で、「その名にちなんで」や「マイティハート/愛と絆」等、国際的な出演作が多い彼の出現でメジャー感が出てほっとした人も多いのではないか。豊かな表情に、不正を疑いながらも信じようともする根底の優しさや人情味が滲み出て、ジャマールだけでなく取調官の人間性を浮かび上がらせるのが見事だった。

suramudog-s.jpg
(C) 2008 Celador Films and Channel 4 Television Corporation

 <そうは言っても、もちろんメインは>波乱万丈のジャマールの半生。その半生を、答えを知った経緯の説明の形で回想するのがこの作品のミソだ。幼い頃からいつも兄のサリームと一緒だったジャマール。母が死に二人で生き始めた時に目に付いたのはぽつんと佇む少女ラティカ。兄に反対されながらジャマールは少女を仲間に入れる。この日が運命だったのかもしれない。お金儲けに長け、いつの間にか純粋な心をなくするサリーム、兄について動けば良いから純粋さを無くさずにすんだジャマール、美貌ゆえにやくざのボスに気に入られて囲われの身となるラティカ。
 <絡みながら離れる3人の運命が>、ラストになればなるほど重層的に浮かび上がる手法も見事なのだ。出演者の中でただ1人イギリス生まれと言うデーヴ・パテルのかもし出す静が、めまぐるしい展開のこの作品に気品を与えているのも見逃せない。

 <それらのシーンは実際のムンバイで>ロケがされたという。アジア最大というスラム街を走り回る子供たちの貧しさと逞しさ、舞台挨拶に立った子役の中には実際にこのスラムに住む子供が何人もいる。時にはハンドカメラに持ち替えて切り取り、観光地での不法な商売、近代化された巨大なビル街、さまざまなインドの顔が、街の匂いやエネルギーそのままに、まるでその場に立っているように臨場感を持って広がっていく。人こそがこれからの財産のようなもの、躍動的なインドが映っているのも見所だ。

 <圧巻はラストに浮かび上がる>それぞれの愛の物語。書きたい事は山ほどあるが、運命の絡み合いとジャマールの平常心の訳が解き明かされる過程は、実際に映画を観て欲しい。ダニー・ボイル監督と脚本のサイモン・ビューフォイというイギリスのコンビが、緻密な設計図を作ってこの作品を撮っているのに感動するだろう。
 幼年期から青年期までの物語なので、主演の3人は年代別に3人が扮している。くりくりと動く瞳が印象的な、子役たちの可愛さもこの映画の見所の一つだと思う。(犬塚芳美)

  この作品は、4月18日(土)より全国でロードショ-

<「クイズ$ミリオネア」とは?>
 イギリス発祥のクイズ番組で、徐々に難易度を上げ正解を続けると高額賞金が手に入る仕組みだ。現在までに世界の80カ国以上で放送され、熱狂的な人気を誇っている。全世界の「クイズ$ミリオネア」は、本作の製作提供会社でもあるセラドール・フィルムズの関連会社によって所有・ライセンスされている。日本でも、みのもんたが「ファイナルアンサー?」と迫って社会現象にまでなった。ちなみに最高賞金額はイギリス版では100万ポンド(約1.3億円)、本作の舞台インドでは2000万ルピー(約4000万円)、日本では1000万円。

映写室「Beauty」片岡孝太郎さんインタビュー(後編)

映写室「Beauty」片岡孝太郎さんインタビュー(後編)     
 ―舞台の名コンビとノ映像作品―

beauty_main.jpg
(C) 2007 Beauty Partnership

(昨日の続き)
―その見物客の中にお父様が映っていて驚きました。皆さんも興奮したのでは?
片岡:実はあそこの父のシーンだけは合成なんです。父の出演は出来ればお願いしたいと言われていて、一緒にはスケジュール的に無理で、何とか空けれた日に撮りました。隣に座っているのは後藤監督の奥様なんです。もし客席の真ん中にあんなふうに父が座っていたら、客席以上に僕が緊張して大変だったと思います。

―そうでしたか。私がその場にいたらお父様から目が離せないだろうと、皆さんの無視したような自然さが不思議だったんです。さすがの存在感で、この後は客席が映ると仁左衛門さんばかりを探してしまいました。歌舞伎の舞台は親族の共演が多いですが、映像でこうして従弟の愛之助さんと映るのはお父様にも感慨深いものがおありだったのではないでしょうか。そのあたり何か仰いましたか。孝太郎さんはお母様とよく似てらっしゃって、お二人のバランスも良くて。
片岡:僕が母に似ているのはよく言われます。従弟の愛之助君は又父に似ている。彼とは普段から舞台で男役・女役としてよく共演しますから、次はこう動くだろうなというのが、阿吽の呼吸で解る。向こうもそう思ってくれているだろうし、相手のしたいことが解るのはやり易いですね。父に言われたことは、相方として一緒に芝居をしていても、上手いことふっと懐に入ってくる人と、そうでない人がいると。そういう相手は大切にしないといけないんですが、僕の場合、舞台でも今は愛之助君が多いですし、後、市川染伍郎さんも多い。この2人だったら次に彼がどう動いてくるかが解ります。
―どちらとも美しいカップルです。ところで舞台と映像の違いはいかがでしたか。
片岡:歌舞伎だったら、鬘を被ってからはずすまで2時間位です。でも撮影だと朝から晩までと被っている時間が長い。鬘を長くつけていると、体力的にきついんですよ。疲れるというレベルでなく気を失うほどの疲労度なんです。

beauty_sub02.jpg
(C) 2007 Beauty Partnership

―そんな二人の間に麻生さんが入られたわけですが。
片岡:共演者はある意味で敵です。敵を知ろうと思って、撮影の前にDVDを観たんですが、麻生さんは役によってぜんぜん感じが違う。凄い役者さんだなあと思いました。でも現場では気さくな人でしたね。この物語には舞踏のシーンもあって、麻生さんは大変だったと思います。夜中まで旅館で踊りの練習をしていました。
―半次と雪夫、歌子とこの作品は恋の物語でもありますが、3人の関係性はどうなのでしょう。
片岡:それについては3人で何度も話したんですが、正直答えが出ませんでした。解んないですね、この関係。相手役を超えた思いがあるとは思うけれど、子供時代の出会いにしても友情を超えそうで超えない。何かあるんだろうと思わせながら踏み込んでいかない。微妙なんですよ。ただ半次が歌子を好きだったのは事実で、雪夫との二人の思いに気付いていたから引き下がる。そこのあたり、実は僕にもそんな経験があって、しかも譲った相手が死んでいるので、自分の経験とオーバーラップしてしまいました。

―二人の間の感情は歌舞伎の世界そのもののようにも思いますが。舞台上で疑似恋愛はありますか。
片岡:しょっちゅうしています。相手役のいいところを一生懸命考えて、自分の中にそんな感情を膨らませるんです。後、僕は女形なんで、かさかさの手では相手に申し訳ないから、クリームを塗って手入れを怠らないとか、相手にもそんな感情を持ってもらえるように努力すると。舞台上の疑似恋愛は見てくださる方に何らかの形で伝わると思っています。
―そんな感情も舞台を降りるとすっと引くんでしょうか。
片岡:僕の場合は引きます。

―恋愛、歌舞伎、戦争と色々なシーンがありましたが、一番楽しかったのは何処ですか。
片岡:半次の引退興行のシーンですね。苦労もしたんですが、ふだんから変身願望があるので、いつもやらない男役でしかも年寄りの役というのが演じ甲斐がありました。年寄りの芝居は、体力的な力は無いけれど形がいい。僕らは力が入ってそれが自然と形に出てしまうけれど、年寄りのそれは力みが無い分何ともいえない味があります。あのシーンは、長袴を履いていますが、あれはよっぽど足が強くないと裁ききれずに転んじゃう。実際よろけるんですが、よろける風情も渋くて良いですよね。歌舞伎役者は小さい頃は女役・男役と両方やっていて、だんだん振り分けられていくんですが、いつもは女役だけれど、祖父も父も男役です。今回両方をやりましたが、祖父たちが出来て僕ができないと言うのは悔しいんで、いつもとは違う男役が出来たのも喜びでした。

―田舎暮らしのご経験はありませんよね。
片岡:ありません。だから撮影に行くと新鮮で嬉しかったですね。星空が綺麗で、3階建ても無いようなところなんで、東京に帰ってくるとビルに囲まれた世界が嫌になりました。ただ本当に不便なところで、ダム沿いの道を行くんですが、「今日は通れます」と書いてあるような、しょっちゅう落石で通行止めになる、落石で人が亡くなっているようなところなんです。シベリアのシーンは、最初は本当にシベリアに行こうかと言っていたんですが、予算の関係で霧が峰で撮りました。それでもマイナス15度。服が凍るんです。カイロを手袋の中、靴の中、帽子の中と体中のありとあらゆるところに張りました。キャンピングカーを控え室にして、トイレも近くのスキー場まで車で連れて行ってもらうような過酷なものです。このシーンはリアリティを出す為に弁当も食べずお腹をすかしていたんですが、愛之助君と温かいものでも食べたいなあと言って、「トイレに行きたいといってスキー場に連れて行ってもらって、あそこでカレーを食べよう」と相談し、こっそり食堂でカレーを食べたんですが、美味しかったですね。それでも半分は残しました。

beauty-takatarou.jpg


―完成した作品をご覧になっていかがでしたか。
片岡:台詞が少ないのを心配していましたが、スクリーンで見ると少なくても伝わっているなと、安心しました。日本の原風景を映した素敵な作品に仕上がっているので、多くの方に見ていただきたいですね。
―台詞が少ないことに見たほうは気が付かない。歌舞伎役者としていつも体や表情で感情を表現する訓練をされているので、お二人の映像が台詞以上に雄弁でした。後藤監督がそのあたりを充分計算して作られているんだと思います。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》
 <3人の恋模様>、特に半次と雪夫のそれが美しく描かれています。恋なのか友情なのか摩訶不思議な人を慕う気持ち。誰かを思う心に男女の境界や区別はない、魂の共振し合う相手への思いは時に恋のようなものというのが、私の感想です。そんな二人を、男役・女役としていつも舞台で共演しているお二人に託した監督の思惑。戦争をはさんだある時代のある村のこの物語が、時代、土地、性別を超えた普遍的な物語に広がっていく所以でしょうか。
 <後藤監督の出身地、伊那路村の美しい>風景もこの物語のもう一つの主役です。13年前から故郷に住む監督が伝統芸能の宝庫のような村を、誇らしげに案内している。その村歌舞伎の形で、物語を彩る歌舞伎も見逃せません。本歌舞伎で演じられる代表的な演目から、伊那地方だけに伝わる演目までの数々の美しい舞台は、ぜひスクリーンでお楽しみください。

この作品は、4月11日(土)より第七藝術劇場で上映
        11日17:00よりの回上映後に
           後藤俊夫監督と片岡孝太郎さんの舞台挨拶予定
      5月、京都みなみ会館にて公開予定

映写室「Beauty」片岡孝太郎さんインタビュー(前編)

映写室「Beauty」片岡孝太郎さんインタビュー(前編)    
―祖父の十三代・仁左衛門に導かれた仕事―

 信州・伊那谷の小さな村を舞台に、村歌舞伎に魅せられた二人の男の半生を描いた作品が出来た。主演の半次を演じるのは、十五代・片岡仁左衛門の長男、片岡孝太郎さん。時を巻き戻したような美しい風景と共に、歌舞伎界の御曹司が村の青年になり、そして村歌舞伎を演じると言う、複雑な構造が見ものです。出演の経緯やこの作品について伺いました。

beauty-taka2.jpg
(2月20日 大阪にて)

<その前に「Beauty」とはこんなお話>
 雪夫の舞う村歌舞伎を始めて見た少年・半次は心を奪われた。雪夫に誘われ歌舞伎を始めると、二人はすぐに看板役者になる。二人の間には歌子(麻生久美子)もいた。昭和19年、二人の元に召集令状が届く。やがて終戦、シベリアに送られた二人は過酷な労働。雪夫(愛之助)が死んで一人で帰国した半次(孝太郎)は、廃っていた村歌舞伎を再興する。ある日、遠くの村で伊那谷だけに伝わる芝居を演じる役者がいると聞いて…。

《片岡孝太郎さんインタビュー》
―タイトル通りに自然や人間性という日本の美しいものが沢山映りますが、その対極の醜いものとして戦争が描かれていますね。
片岡孝太郎さん(以下敬称略):ええ、映画の中でも戦争は暗い影を落とし色々な人の人生を狂わします。現実の身近なところでも、父や祖父は大阪の北畠の家を空襲で無くして京都に疎開し、それから京都に住むようになりました。歌舞伎界でも戦後GHQから上映とかで色々制限がでましたし、この物語でも若い人が死んでしまい演じられなくなりますが、現実でも歌舞伎役者で死んだ人が大勢います。そんな話を聞いているので、こんな時代になっても自分にとって戦争は遠いものではありません。恐ろしいもの、絶対あってはいけないものだと思っています。白黒の映像が流れていますが、客観的なものではなく、このストーリーに入って、どれだけの苦労があったか、どれだけ醜いものだったかを皆さんに感じ取って欲しいと思います。

―確か孝太郎さんの映画デビューは、スピルバーグ監督の「太陽の帝国」(88)でしたね。久し振りの映画出演ですが。
片岡:「太陽の帝国」に出た時は、実は誰が撮るのかどんな話なのかまだ解らない時に、ギャラが1億円だと聞いて、これは凄いと事務所にとりあえずエントリーしてくださいと言いいました。途中でスピルバーグが撮ると解り、日本で本物の監督にお会いできて、もうこれでいいやと満足したんです。だから抜擢は宝くじに当ったようなもので、歌舞伎の世界の人間が海外の大きな作品に出れ、しかも凄い人たちと共演できた。もうこれで充分、中途半端なものに出るのは止めて、この思い出を心の中にしまっておこうと映画の話は封印していました。今回、後藤監督からお話を頂き、歌舞伎の人間が歌舞伎をやるのもどうかと思ったけれど、この村には13代目の祖父からのご縁もあり、祖父に背中を押されたと思ってお受けしたんです。
―撮影はいかがでしたか。
片岡:スピルバーグの時は、朝、1枚の紙でその日のストーリーが来ました。日本語が書いてなくてその場で訳して覚えていましたね。今回は夜中にこの台詞を覚えてと、絵コンテが来るんです。その台詞が少ないんですよ。麻生君や愛之助君と、「少ないよね。お客様に意味が伝わるのかな」と不安がりましたが、映画と言うのはぜんぶ監督にお任せしないといけません。言われた通りに動いただけです。少しは相談したところもありますが。地方ロケなんで、撮影中はスタッフが老人ホームの大広間を借りて雑魚寝で合宿していました。夜遊びに行くと皆でお酒を飲んで、和気藹々と楽しそう。撮影隊は素敵なチームワークだったんです。そんなこともあって手作り感のある作品になりました。

beauty_sub1.jpg
(C) 2007 Beauty Partnership

―10代から70代を演じてらっしゃいますが、一番楽しかったのはどの年齢ですか。
片岡:お爺さんが楽しかったですね。白塗りで特殊メークのお爺さんは映画史上初めてだったんじゃあないかなあ。その前の日に演じたのは10代で、1週間の間に10代から70代を演じ分けないといけない。10代になると赤とか入れて若々しくしていたのが、次には老けメイクでしょう。メイクに凄く時間がかかるんですよ。メイクさんが怒る位大変でした。
―映画の中で主人公が歌舞伎をするという2重構造ですが。
片岡:そうなんです。お芝居のシーンは、片岡孝太郎がお芝居をするのではなく、半次というこの主人公が芝居をしないといけない。それも隣村まで鳴り響くような実力だった。しかも歌舞伎と言っても半次たちのは村歌舞伎です。そのまま歌舞伎をやっても駄目だろうし、どのへんで妥協しようかと愛之助君と話し合いましたね。いつも演目ごとに迷いました。
―子役さんも踊りやお芝居がありますね。
片岡:皆頑張りましたよね。子供たちはゼロからの練習で僕らよりもっと大変だっただろうけれど、上手くやっていると思います。一人食品アレルギーのある子がいて、途中で倒れましたが、それでも頑張ってくれました。

―村歌舞伎と言うのは今もあるんですか。
片岡:あります。伊那谷の村歌舞伎は奉納歌舞伎なんですよ。素人さんがやっているので独特の動きがあって、家のお祖父さんが見にいった時、「私たちには無い形だけれど、貴方達は守ってください」と言っているんです。今回は村歌舞伎に無いお芝居や家の芸もやっています。義太夫が上手かったですね。素敵なおじ様がいらして、僕らの世界でも充分に通用する。こちらに来ませんかと言いたい位でした。衣装も僕らが作ったものの払い下げが一杯ある。昔着ていた人の名前が入っていたりするんです。ただし今回映っているのは、この作品の為に新調したものですが。

―その歌舞伎見物には客席に大勢の方が映っていますが。
片岡:地元の村の皆さんです。明日エキストラが何人必要だとか、ローカルの有線放送で呼びかけるんですね。で、村役場の前に集まってもらってそこからバスが出る。地べたに御座を敷くだけで長時間座っているんですから震える位寒い。たぶん記念品とお弁当くらいしか出ないだろうに、皆さん喜んで協力してくださいました。撮影自体がお祭りだったようで、僕らが初めて行った時の記事が、地元新聞の1面にでかでかと出ている。まるで総理大臣か何かが来たような扱いで、嬉しいいけれど、こんなことをしてもらっていいのだろうかとびっくりしました。(聞き手:犬塚芳美)
               (明日に続く)

この作品は、4月11日(土)より第七藝術劇場で上映
        11日17:00よりの回上映後に
            後藤俊夫監督と片岡孝太郎さんの舞台挨拶予定
      5月、京都みなみ会館にて公開予定

映写室NO.197 MILK(ミルク)

映写室NO.197 MILK(ミルク)  
 ―1970年代のアメリカでマイノリティの為に戦った政治家―

 さすがに本年度のアカデミー賞主演男優賞を射止めた演技だ。脚本も凄いし、実在の人物ハーヴィー・ミルクも凄いが、映画的に言うなら、この作品はまるでショーン・ペンの力を再認識する為のようなもの。公職に付いたゲイの男性の、微妙なゲイ的匂いを過不足なく漂わせる見事さ。マドンナの元夫の問題児は、今やハリウッドを代表する演技派だと確信する。

milk-m.jpg
(C) 2008 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED

<荒筋>
 72年、同性愛者のハーヴィー・ミルク(ショーン・ペン)は20才年下の恋人と共に、サンフランシスコの「カストロ地区」でカメラ店を開く。ミルクの人柄で店はたちまちコミュニティ・センターのようになる。全ての人の権利と機会の平等を求めて市政執行委員(日本の市議のような立場)に立候補し続け、4度目の挑戦で米国史上初めてのゲイを公言した公職者が誕生した。しかし同性愛者の権利剥奪の動きが全米で起こり、ミルクは多くのマイノリティを巻き込んでそれを阻止する運動を起こすが、ある日…。


 <ミルク側からの視点で描くこの中では>はっきりとした悪者だけれど、同性愛者への差別運動の筆頭、元準ミス・アメリカのアニタ・ブライアントを笑ってばかりはおれない。当時、海のこちら側日本でも西海岸のこの騒動は時々報道されていたが、正直に言うと私も、パレードで腕を組んだりキスしあったりと、同性愛を白日の下にさらす行為に、アメリカって極端な国だなあと驚き、彼女に近い懸念を持ってもいた。アート志向でヒッピーやウッド・ストック等自由を求めるアメリカ文化に憧れていた私ですらそうなのだから、当時の世間はまだまだ同性愛者へ偏見が強かったと思う。
 <そうかと言って同性愛を嫌悪していた>わけでもない。ゲイの友人に好意を持っていたし、「モーリス」とかの映画には魅せられたんだから、認めつつもどこかで秘めるべきものと思っていたんだと思う。その、自分でも意識しない、(秘めるべき事)と言う思想の中に潜む差別意識に立ち向かっていったのがミルクだ。(何故秘めなくてはいけない?正々堂々と言えば良いのだ)と示す彼の姿が、どれほど多くのマイノリティを救った事だろう。

 <いつの間にか婚姻届すら受理されるところが出来たが>、この映画を見て、時代は自然に変ったのではなく、悔しい思いをバネに、血の滲むような努力を続けた人々がいるのだと思い至る。しかも偏見を持つ人は1つに対してだけではない。例えばゲイへの偏見でも、その向こうにはもっと多くの差別意識があること、自分との違いを排除する思想がある事を教えられた。

milk-s.jpg
(C) 2008 FOCUS FEATURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED

 <亡くなった時のミルクは政治家だけれど>、彼は政治の為に戦ったわけではない。正々堂々と自分の愛を誇り、愛する人を太陽の下で抱きしめたかっただけ。そんな、人としての基本的な自由の為に戦った人だと思う。
 毎回どんな難役でも確実に自分のものにするショーン・ペン。微妙な口元のニュアンス、少し前に回した肩や手の角度が匂わす微かなゲイの雰囲気、決してアーティスト系のゲイではなく、優秀な保険屋だった人の持つ地味さと普通さも纏っている。顔形ではなく彼の本質に迫ってミルクになったのだ。

 <そんな主役との2人3脚で>この作品にリアリティを与えたのは、もちろんガス・ヴァン・サント監督。この手の作品ではラストに記録映像を畳み込むように映して、観客を当時に連れ戻す手法がよく取られるが、今回は途中にバランスよく配して(これが出来るのはもちろんミルクに限りなく近づいているショーン・ペンがあればこそだけれど)、記録映像と劇映画をシャッフルし、私たちをまるでその場に迷い込んだような気分にさせる。しかも当人役は別の俳優でも、ミルクの周りの当事者をさり気無くその場に配して、その時の空気感を再現。劇映画なのかドキュメンタリーなのか時々解らなくなった。もうこの監督の作品は見逃せない。

 <ミルクが銃弾に倒れた夜の>伝説的な追悼行列が再現されているが、多くの市民がエキストラとして協力したと言う。既成概念や伝統を変えることは難しい。しなやかな心と強い意志でそれに挑んだ人として、ミルクは今なお慕われている。(犬塚芳美)

この作品は、4月18日(土)より梅田ブルク7、シネマート心斎橋、
                  京都シネマ等全国でロードショー
      4月25日(土)より三宮シネフレックスで上映


<ちょっと横道に>
 理解し合っていたはずの恋人スコットは、選挙に落ち続けても、二人の関係性よりも公人として皆のミルクになろうと夢を追い続ける姿に(もう付いていけない)と呟いて離れていくし、後の恋人ジャックは職場にまで電話して帰宅時間を尋ねるし、あげくには取り残された寂しさで自ら命を絶ってしまう。これってまるで男女の関係と一緒。恋に性別は関係ないと改めて気付かされる。

映写室 「遭難フリーター」岩淵弘樹監督インタビュー(後編)

映写室 「遭難フリーター」岩淵弘樹監督インタビュー(後編)   
―人生に遭難したのは自分のせい?時代のせい?―

sounan-m.jpg
(c)2007.W-TV OFFICE

(昨日の続き)
―仕事の様子は映らないし、派遣の大変さより青春ぽい作品だと思ったんですが。
岩淵:工場の中は撮れないんです。撮り方も適当で、これを(と小さいカメラを見せて)横において、カメラを意識しないで日常を続けました。自己演出もしていません。とにかく生活の記録をとろうと思って、カメラは回し続けたんです。
―キャノン工場の派遣の方たちとの人間関係とか、そこの辺りを少し伺えますか。
岩淵:派遣の中の人間模様はさまざまで、関係性は作れないですね。それを避ける人もいますから。1日で辞める人も、給料日の翌日にもう来なくなる人もいます。23歳の僕が最年少でした。何で来たかはさまざまで、行く会社行く会社が潰れて(仕様がないよな)という人もいるし、水商売に失敗してやくざに追われている人もいる。俺のようにしようがなく来た人もいれば、派遣を選んできた人もいました。派遣の製造業はまさに単純作業、仕事をやってもスキルアップにはならない。いつかはここを出たい、出ないといけないと思いましたが、そんなことを思わない人も多いんです。出来るだけここにいたいと思う人もいて、状況が解ってないというか、ちょっと辛いですね。映画に映らない、撮影不可能だったそんな諸々は、本に書いています。(書籍版「遭難フリーター」太田出版)

―キャノンで働きながらも週末は東京に行っていましたよね。
岩淵:金曜の夜12時に仕事が終わって、土曜の朝5時か6時の電車で東京に出て行く。今考えてもなんであんなに東京に拘ったのか解らないし、あの頃の生活をもう一度やれといわれても無理だけれど、撮っている時は、自分の生活を記録するというテンションに引っ張られて続けてあんな事が出来ました。編集中もまだ熱が残っていて、当時の前のめりの姿勢が消えたのはこの1年位です。
―ラストの音楽が流れるシーンがいかにも青春映画ですが。
岩淵:ラストシーンを撮ったのは2月頃です。山形映画祭が5月なんで、それまでには作らなくちゃあと思っていて、時間的にもぎりぎりでした。あのシーンがあって、これで終わりだなあと、思いましたね。これが伝わるかどうかはともかく、ここに自分としての主張や希望を置きたかった。音を入れたのは意図的です。こんな生活もいつか終わりがあると思いたかったし、自分のそんな時代の終焉かと。と言ってもそのあとも派遣暮らしは続くんです。派遣が終わったのは先月で、でもそこも今度辞めますが。「〇〇〇〇」の仕事で、仙台の派遣村を取材したら、俺と同じ頃にキャノンで働いていた人もいたんです。ADの仕事を続けていたら、そんな人に出会える機会も増えるだろうけれど、その前段階でバラエティーもしないといけないのに迷っているところです。

sounan-s2.jpg
(c)2007.W-TV OFFICE

―最初からある程度の構成は考えていたんですか。
岩淵:いいえ。プロットがあったわけでもありませんし、ナレーションとかは後で入れたものです。だから後でどうにでも使えるように、どう使うかは考えずに撮っておきました。題名も最初は違っていたんですが、3人で喋っていて、「ブッチは自分で迷ってる感じだよね。自分で遭難したんだ」と言われて、「遭難フリーター」となりました。
―映画の中で勝ち組のはずのNHKの方が自分の大変さを話していますが。
岩淵:思ってもいない事でした。実はこのディレクターとは結構話をしていて信頼し合える仲になっていたんです。だからあんな事を言ったんでしょうが、本当は聞きたく無かった。貴方が貴方の意図で作るように、僕は僕で言いたい事を伝えるからと言いたいです。

―岩淵さんの同級生たちはどんな生活ですか。
岩淵:皆地元の大学を出て地元の企業に勤めてと、堅実です。でも3,4年経つと、なんで俺はこんな事をしているのかと後悔してくる。僕の事を自由で良いねというけれど、いや君らもボーナス貰って良いじゃあないかとこっちは思う。そのうち親が病気になったりと家の事情が出来て、そんなやつは続けられるし、皆何らかの続ける理由を探していると思います。僕は一般的ではないけれど、悩んでいるという意味では皆と一緒かもしれません。いい意味でも悪い意味でも僕はピーターパン症候群。だからといってピーターパンなのを恥じてはいない。
―今の日本に再チャレンジのチャンスはあると思いますか。
岩淵:年齢の壁がありますね。30,40代でこんな状態だと、何とか仕事が見つかるのが幸せというレベルで、2年かかって正社員になった人もいます。チャレンジがチャレンジになっていない。

―映画が完成していかがですか。
岩淵:自分の日常を撮っただけなのにこんなに注目されてと思います。僕は何にも変わっていないから、何処か他人事なんですよ。でもこうして話を聞いてもらえるのも祭りで嬉しいです。テレビ番組のコメントを求められたりしますが、例えば派遣村とかどう思いますかと聞かれて、「自己責任だと思います」と言わせたいだけの取材もありますし、この騒ぎが終わったら隠居しようと思っています。
―全てはお祭りですか。
岩淵:ええ、中でも山形の映画祭で上映した時が自分的には最高で打ち上げ花火でした。自分の作品が映画館のお客様の前でかかっているというのが嬉しく、その残り火がずーっと続いている感じです。これからも映画を作りたいけれど、出来れば仕事としてやらないほうがいいという気がして。色々面倒くさいですから。

sounan-s3.jpg
(c)2007.W-TV OFFICE

―外国の映画祭でも上映されましたね。反応はいかがでしたか。
岩淵:香港の上映会に行きましたが、海外メディアは日本の若者がこんな事になっているのに驚いたようです。どうしてこんな事になっているかに興味があるようでした。
―作品を撮った後と前で何か変わりましたか。
岩淵:本質的には変わらないけれど、文字通り大人になったと思います。映画の中でもおっさんに「君は間違っている」とガツンと言われて、「じゃあ僕は一生フリーターで行きますよ」と言っていますが、そんな事とかも聞き流せるようになりました。
―流すだけですか?
岩淵:いえ、しっかり受け止めて後でへこんでいますよ。怒って解決したくないんです。そうだよなあと思いながらも、しょうがないんだよなあというのがある。この映画の中の甘えも含め、だらしなさも含め、図太さも含め、見る人にとっては不快かもしれないけれど、それぞれに捉えてもらうしかありません。

―チラシ等のイラストは真鍋昌平さんですが。
宣伝:1回断られて、岩淵が手紙を添えて送って、作品を観てもらったら気に入ってくださって描いていただけたんです。
岩淵:お忙しい方なのに感謝しています。マックを食っているとことかお願いしたんですが、こんな風に出来上がってきました。最初はちょっと違和感がありましたが、だんだんこんな風かなあと。複雑ですよ。
―え? 映画の世界にぴったりだと思いましたが。
岩淵:確かにこの通りかもしれないけれど、(ああ、自分はこんなふうか)と思ってみると複雑ですよ。自分の事ですから。それと僕は有名な方の客で良いのに、こうして描いてもらっておこがましいというか。音楽にしても僕がファンだった方に参加していただけて、嬉しいというよりおこがましさで一杯です。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》 
 <アドバイザーの二人が>、主人公を「勝手に自分で迷って遭難している」と思って題名をつけたように、この作品を派遣ギリとか、ワーキングプアとか社会現象だけで捉えるのは片手落ち。彼の置かれた現状はそうでも、ここに溢れているのは、形のない自分らしさを貫くことが自分らしい生き方だと信じる、良くも悪くも図太くて頑固な若者の物語。遠い日の自分と何処か似ていて青春物語として見ました。若さというマグマは収まる時があるのか、収まった時に再チャレンジの道はあるのか、それがないと、聞き分けのいい訳知り顔の小粒な青年ばかりになると思うのですが。
 <自分で勝手に迷って遭難しながら>、そんな生き方を止められない若者の心理を、もっと掘り下げて聞きたかったのに言葉にならない。纏めきれない彼の回答からほのかに浮んでくるものがあるといいのですが。ところで、映像には心までは映らない。書籍版のほうに彼の姿がよく現れています。映画の後で、本を読もう!


この作品は、4月11日(土)よりシネマート心斎橋で上映
   11日は各回上映後、岩淵弘樹監督の舞台挨拶があります。
   時間等のお問い合わせは直接劇場まで(06-6282-0815)

映写室 「遭難フリーター」岩淵弘樹監督インタビュー(前編)

映写室 「遭難フリーター」岩淵弘樹監督インタビュー(前編)  
 ―人生に遭難したのは自分のせい?時代のせい?―

 実感がないまま、未曾有の不景気だと騒ぎ立てるマスコミを見ていたら、いつの間にか足元も深刻な事態になってきた。そんな現状を、派遣切り、格差社会、ワーキングプア等々言うが、ここに映っているのはそれとも少し違う。本人には深刻だけれど大人から見るとどこかゆるい若者の生態だ。この映画を厳しい現実と取るか、甘えた若者の生態と取るかは受けてしだい。でも「それでも自分らしく生きてやる」と言う、主人公の不敵さに自分の若い頃が重なる。片隅に置いたカメラの前で淡々と日常を続けたという、岩淵弘樹監督にお話を伺います。

sounan-kan.jpg
(3月16日 大阪にて)

<その前に「遭難フリーター」とはこんな作品>
 岩淵弘樹・23歳。平日は製造業派遣の大手からキャノンの工場に派遣され、時給1250円での単純作業。週末は早朝の電車で東京に出て日雇いの派遣を探す。学生時代に作った借金の返済もあり、時には1ヶ月の生活費が1万円。フリーターの権利を求めるデモに参加し、メディアの取材を受けるが、映った自分は何処か違う。大人に甘いと説教されると、「一生派遣を続けますよ」と反抗したくなる。


《岩淵弘樹監督インタビュー》
―大変な生活が映っていますが、そこから抜け出して就職されたそうですね。
岩淵弘樹監督(以下敬称略):就職したんですが、おととい辞めると言ってしまいました。
―え!(絶句!)何故?
岩淵:フジテレビの番組の製作会社にADとして入ったんですが、元々現代アートの番組のADと言う事だったのに、会社の経営上からもそれ1本では難しい。2,3本兼任しないと無理だと言われました。番組が重なってどんどんスケジュールが詰まって来始め、このキャンペーンも前から決まってて休むと言っていたのに、会議があるから無理と言われ、融通が利かなくなって「じゃあ、辞めます」と言ってしまったんです。現代アートだから受けたのに、「〇〇〇〇」とかの番組で、ディレクターとして構成会議に出ると、取材と言いながら最初に応えありきの姿勢でドキュメンタリーを作っていく。事前に用意した答えの為の番組なんておかしいじゃあないですか。それに失望したのもあるし、元々テレビ業界とかADに拘っていた訳じゃあないんで、自分の興味のない番組もしないといけないとなると、こんなこと我慢しながら生きる事に意味があるのかと思い出し、嫌になって辞めると言いました。我侭と言われればそれまでだし、仕事はそんなもんだとも言われるけれど、僕の甘さかも知れませんがこんな風にしか生きられないんです。

―この映画を観てご両親は何と?生き方とかについては?
岩淵:両親は嫌がってまだ見ていません。父はタイトルからして観たくないと言いました。生き方については何も言われないですが、僕がこんな風にフリーターなのにも怒っていて、ちゃんとした仕事について欲しいといつも言っています。
―のんびりと育てられたんでしょうね。
岩淵:50代半ばの両親と弟の4人家族で、父は地元で居酒屋をやっていて、ちゃんと暮らしている。弟は東京でフリーターをやりながらバンド活動をしています。両親が病気だったりとか家が大変な状態だったら、僕もこんな生活はしないと思うので、両親がちゃんとしていて大丈夫なのに甘えているのかもしれません。元々、2006年3月の卒業予定で、地元の出版社に就職が決まっていたのに、単位不足で卒業が9月に伸び、内定が取り消されました。それでしかたなく地元でアルバイトしていたんですが、東京に行きたかった。でも東京で就職活動しようにも、拠点を借りる敷礼金等がなくて出来ない。そんな時に埼玉でキャノンの派遣の仕事を見つけて、住む所もあると書いてあるから、これで東京に近づけると思ったんです。

sounan-s.jpg
(c)2007.W-TV OFFICE

―元々映画を作っていたんですか。
岩淵:僕は東北芸術工科大学の映像コースの出身で、クラスが写真とか、CD、ビデオと分かれていて、ビデオは僕一人で一緒にやる人がいないんで、セルフ・ドキュメンタリーの形で卒業制作とか作っています。大学三年の時、身近な問題をなんか撮ることになって、習作で10分位のじいちゃんの映画を撮りました。じいちゃんは戦争体験とかも話すような面白い人なんですよ。と言っても、じいちゃんと言うと死を連想するんで、じいちゃんと死を結びつける為にお墓を撮りに行ったりとか、カメラの前で何かが起こっているようなドキュメンタリー本来の面白さがあるものではないです。山形で何ヶ月かに一度、ドキュメンタリーの監督を招いてワークショップがあるんですが、誰か自分の教わる監督を選ばないといけない。土屋豊さんの「新しい神様」を観て、自分に近いというか、解りやすいと言うか、現代的だなあと思って、土屋さんを選択しました。その土屋さんが雨宮処凛さんと一緒に山形に来た時、自分の書いた企画書を見せたりしたんです。その後の飲み会で、「毎日つまんない」と言ったら、雨宮さんが「そんなにつまらないなら一緒に行く?」と言うんで、家族に反対され友達にも全員反対されたけれど、人間の盾としてイラクに行きました。戦争反対とかそんなんじゃあなく、テレビの向こう側の世界が自分の命の問題になるとか、身近になる事へのスリルや刺激で行っただけです。でも実際に行ってみると、イラクの人たちはのんびりしていた。ただ劣化ウラン弾の被害者等に会うと、戦争は悲惨だなあとは思いましたが。帰国した後で自分のいた所が爆撃されるのをテレビで見たけれど、それでも反戦の映画を作ろうとは思わなかったです。帰ってからも東京で暮らしたいと思いながら、大学時代の借金もあって、地元で身動きが取れなかった。キャノンの派遣はそんな時に見つけた仕事でした。その頃は派遣という言葉もあまり使われてなかったんです。で、二人に派遣で埼玉に行くと言ったら、「面白そうだね。その生活を撮ればいいのに」と言われて、そのまま撮り始めました。いつか映画になったらいいなとは思いましたが、とりあえず自分の生活の記録として1年間撮ったんです。2007年の3月に撮影を止め、山形の映画祭にまにあわそうと、実家に帰って2・3ヶ月で編集をしました。構成とかは土屋さんとFAXで意見を送り合いながらの仕事です。

―その間にも世の中の雇用状況は益々厳しくなってきましたが。上映会での反応はいかがですか。
岩淵:労働組合の自主上映とか単発のものはありますが、まだ一般上映はないんです。ただ試写会で、「派遣村に行ったのは自分の責任だ」と言われたし、そういう見方をする人にはこの映画は説得力がないとも言われました。当時は、こういう生き方しか出来ないけれど、それでも生きるんだと言うつもりで作ったんですが、甘いというか軟弱というか、そういう生き方を選んでいるのも自分だと言われた。僕は何かに熱中するということがなく、何に対してもテンションが低いけれど、こんな風に続けられたんだから持続力はあるようです。

―借金の総額は?
岩淵:全部で600万円です。そのうち奨学金が400万で、後はサラ金等で200万円の借金があった。イラクに行ったり半年の留年で授業料も余分に要りましたから。奨学金分は40歳まで毎月1万7千円返す仕組みです。親には隠していたんですが、山形の映画祭で留守にしている間に実家に督促状が届いてばれました。思いっきり叱られ、何も言い返せなかったですね。で、じいちゃんの貯金とかや親からも借り、百数十万円の入った封筒を渡された。毎月月末になると金策に走り回って大変だったんだけど、その薄っぺらさに、俺はこんなものに振り回されていたんだなあと唖然としたというか、正体を見てショックでした。
―どれ位で暮らしていたんですか?
岩淵:ばれた後で、収入を全部いったん親元に送り、そこから6万僕の方に送ってくるという風に、親にお金を管理してもらうようになったんです。でもサラ金のことは親に話してないから、そこから返さないといけない。そうしたら1万位しか残らなくて、それで1ヶ月暮らしていました。(聞き手:犬塚芳美)
                      (明日に続く)

この作品は、4月11日(土)よりシネマート心斎橋で上映
   11日は各回上映後、岩淵弘樹監督の舞台挨拶があります。
   時間等のお問い合わせは直接劇場まで(06-6282-0815)

映写室 NO.196フロスト×ニクソン

映写室 NO.196フロスト×ニクソン 
   ―リチャード・ニクソンとは、一体何者だったのか?―

 アメリカの一般市民に「歴代大統領のうち“もっとも好ましくない大統領は”」という質問をすると、ジョージ・W・ブッシュと共に、たいていリチャード・ニクソンが上がるという。でも歴史学者や政治学者の評価はそれほど悪くない。大衆と専門家の間でかなり評価が違うのだ。実績を残しながらウォーターゲート事件の汚名にまみれ、任期半ばで退任したリチャード・ニクソンとは、一体どんな男だったのか。トニー章受賞の傑作舞台劇の映画化で、今も語り継がれる伝説のインタビューが再現される。

hurosuto-m.jpg
(C) 2008 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

<荒筋>
 1977年、米国元大統領ニクソン(フランク・ランジェラ)に、イギリスのテレビ司会者、フロスト(マイケル・シーン)が独占取材を申し込む。政界復帰を目論んでいたニクソンは、タレントのフロストをくみやすしと考え、巨額の報酬で承諾する。一方フロストは、これをきっかけに米国メディア復帰を目指していた。それぞれの思惑の元、カメラの内と外で丁々発止のやり取りが始まる。


 <主演の二人は舞台と同じ俳優なので熟達の境地にあり>、どちらもこれ以上望めないほどの役との一体感。まるでリアルタイムで本物のインタビューを見ているように、一挙手一投足に息を呑む。ただ正直に言って、主役の二人はどちらも気持ちのいい人間ではない。特にマイケル・シーンの演じるフロストは、メディアと言う水商売の垢がたっぷり。日本で言うと「古館一郎」や「みのもんた」のようで、人を食った雰囲気に違和感がある。ビジュアル的にも日本人の私には馴染みにくい顔立ちで、企画が売れなくて金銭的に追い詰められるシーンにすら、気弱さを隠す精一杯の虚勢や自意識が鼻について、同情はしにくいのだ。
 <彼に追い詰められるフランク・ランジェラ演じる>のニクソンの方がまだしも深い。ニクソン本人のものなのか、演じた俳優の力なのかは解らないが、老獪さと孤独、弱さが共存していて、何を考えているのかと心の内を図りかねる。これこそが政治家かもと目を見張った。ただしそこは映画的な表現というもので、ランジェラがあらゆる感情を顔面で複雑に表現するのが見事で、余計に人間味が増してもいるのもある。本物の政治家なら、これほど表情に心のうちを出さないだろう。

 <こんな具合に名演ながら、二人のどちらにも感情移入できない>のがこの作品の特徴で、私たちは目の前の凄まじいやり取りを、聴衆そのままにジャッジするようにテレビ的視点で見ることになる。まあ、疑惑の主へのインタビューという設定だから、それが正しいのだけれど、本当にどちらもが曲者だ。
 <老人臭かったニクソンは>テレビカメラが回り始めると急に威厳を持ち始めるし、元大統領の風格も戻ってくる。最初のフロストをなめた視線や、途中からの甘く見ていた相手の意外な力に身構える瞬間等、刻々と変わる心のうちをランジェラが解りやすく演じていく。

 <元大統領に気を使わずに>、言葉尻を取ってじわじわと追い詰めるフロスト、彼の厭らしさも凄い。まるで言葉のボクシングのようなやり取りさえも正義感よりは野心丸出し。こうでなくてはこんな仕事は出来ないのかもしれないが、どうも苦手だ。
知性よりも成り上がり根性が見えて、どちらもに人間的な品性を感じられず、いわば二人の厭らしさ比べをしたようなインタビューだった。

hurosuto-s.jpg
(C) 2008 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

 <驚くのが収録時間の長さ> まるで回顧録の聞き取りのように2週間も当てられる。脛に傷の有る身でそんな条件を飲んだニクソンの甘さを感じたが、ニクソンはニクソンで、弁明と政界復帰の宣伝に最大限に利用したかったんだろう。テレビを利用しようとして、テレビに止めを刺されたといえるかもしれない。
 <そうして作られた実際のインタビュー番組は>450万人のアメリカ国民を釘付けにしたという。唇の上に噴出す汗に象徴される元大統領の緊張、思わず「大統領は時に法律を超える存在だ」と言わされてしまう無防備さ、多くの業績を残しながらアメリカ的な正義感の元、大衆の好奇心の渦中に引きずり出されたニクソン。私には元大統領という以上に一人の老人に見えた。望みをたたれて背中を丸めた後年の姿が痛ましく映ったのは、フランク・ランジェラの名演に負けたということだろうか。

 <ロン・ハワード監督は>、このインタビューをリアルタイムで見ている。追い詰められたニクソンの懺悔で、もう2度とこんな醜い事件は起こらないだろうと思ったというが、この映画を見た観客の私に残ったのは、背後の謎とニクソンの得体の知れなさだった。再選確実といわれた男が、汚い手を使ってまで知りたかった民主党側の情報は何だったんだろう。「大統領は時に法律を超える存在だ」という言葉に、言葉尻を掴んだという思い以上に、そうまでして知りたかったことのほうに興味を持ってしまう。アメリカ国民ではない私は大衆の嫌悪感も持てないし、政治学者の知識もない。最後までフランク・ランジェラのかもし出した不可解さにやられっぱなしだ。(犬塚芳美)
 
《ちょっとディープに》
 <リチャード・ニクソンの功績>は、まず外交面では、泥沼化していたベトナム戦争を終結させ、中国との国交を回復し、ソ連とはデタント政策で緊張を緩和したりと、共産主義圏との冷戦関係を平和的に解決しようとしたことだ。内政面でも経済を再建し、人種差別撤退を遂行。環境問題にも取り組み、環境保護庁を設立して、オイルショックへの対応策として石油節約の為に高速道路の最高速度を制限もしている。こんな実績を引っ下げ、再選確実といわれていたニクソンが、一気に泥にまみれたのがウォーターゲート事件だった。
 <ウォーターゲート事件は> 1972年6月の事で、ワシントンD.C.のウォーターゲート・ビルにあった民主党全国委員会本部オフィスに、5人の男が不法侵入して逮捕される。取調べで時のニクソン政権の高官たちが、野党の盗聴に関与していたことが発覚するが、ニクソンと側近は捜査を妨害し、事件の揉み消しを図った。でも大統領執務室での会話を録音したテープが出るなどして、ニクソン自身も不法行為の容疑を受ける。弾劾を避けて74年8月に辞任表明。現職大統領の辞任は米国史上初めてという汚名を科せられた。ただし疑惑は一杯でも、後任のフォード大統領の恩赦で刑事責任は問われず、国民への謝罪もない。司法の手を免れた元大統領への民間調査のようなこのインタビューは、その3年後に行われる。


 この作品は、全国で上映中

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。