太秦からの映画便り

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「嗚呼、満蒙開拓団」(後編)

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「嗚呼、満蒙開拓団」(後編)
  ―羽田澄子監督インタビュー―

<昨日の続き>

aa_main.jpg

―お墓は松田さんが建てたのですか?
羽田:飢餓や寒さで死んでしまった開拓団の遺体が方正周辺に山となっていたんです。冬は寒いから凍っていたのが、春先になって溶け出してくる。匂いも凄くて、困って遺体を集めて燃やした。それがそのままになっていたのを、あのあたりの開拓が許されて土を掘り起こしていた時、ちゑさんが見つけて心を痛め、何とか供養したいと方正県政府に日本人のお墓を作る許可を申請するんです。そこから省政府、中央政府と回って、最終的には周恩来総理の元まで行ったようです。で、日中が国交を回復する9年前に、まだ貧しかった中国政府の手で、中国人の字で刻まれたお墓を建ててくれたと。もっとも最初からあそこにあったわけではありません。今は水の底に沈んだところにあったのを移転して、あんなふうに立派になった。あの墓石は、ハルピンの朽ちた外人墓地の中から一番大きく綺麗な石を探してきたものだそうです。
―日本の総理大臣もお参りに行って欲しいですね。中国政府がそこまでしてくれたというのに、日本政府の無策ぶりが情けないです。
羽田:本当にそうですよ。方正のお墓に対して日本政府は何も関与していません。騙されて国策で送り出されたと言うのに、開拓団への謝罪もありませんしね。

―開拓団にも最初の頃の方と、終戦直前の頃の方と違いがあるのでしょうか。敗戦の色濃い終戦直前には、関東軍の前に人が楯のように送り込まれたとも聞きますが。
羽田:最初の頃は武装して義勇軍として入って行ったようです。実は彼らもあまり成功してないんだけれど、それは伏せられたまま以降も送り込んでいくんですね。当時日本の農家は大変で、満州国へ送り出す環境がありました。増え続ける人口に対して土地が狭いから2男や3男坊は食べられなかったし、世界恐慌で養蚕業が壊滅的になったのも大きく、開拓団はそんな地域から多く送り込まれています。それにあの頃の満州は関東軍がいましたから、誰もが安全だと思っていた。私なども大人が“関東軍”と言う時に浮かべた誇らしげな表情を覚えていますからね。でもソ連軍の入る半年前には負けた場合のシュミレーションをして、戦いの主戦場は南へ下がっていた。皆が信頼した関東軍の精鋭部隊は、実際には満州からいなくなっていたんです。私の周辺の男の人たちも招集されて奥地へ送られたりしましたから、なんとなく解かってはいたんですが。
―嘘の情報を吹き込まれて、最後まで送り込まれた開拓団の人々の怒りは収まりませんね。しかも引き揚げの時に軍人の家族を優先して、開拓団の人を見捨てている。日本人社会に階級があったということですよね。
羽田:一部の人は、日本から送った荷物の紐を解かないうちに終戦だったそうですからね。平時は解らなかった階級意識が、ああいう極限状態で炙り出されて、助ける命に順番を作ったと言うことだと思います。

―そういうことの保障はどうなのでしょう?
羽田:作品の中にもあったように、国家賠償請求がされていますが、年々厳しくなって認められないことが多いそうです。ただ以前は生活保護だったけれど、それだと養父母に会いに行く旅費も生活費からになる。今はそのあたりは別にできるようになったようです。
―6割近くの人が生活保護になっているそうですが、生活苦から又中国に帰りたいと言う人も多いのでは。
羽田:私も心配になってそれを聞いてみたんですが、いくら生活保護でもまだ日本のほうが良いと言っていました。向こうには生活保護という最低保障制度もありませんから。それに敗戦国の日本人と言うことで、向こうにいると肩身の狭い思いをするのもあるのかもしれません。

aa-s3.jpg

―皆さん辛くて嫌な思い出なので口が重かったのでは。
羽田:辛い思い出には違いないけれど、誰もが話を聞いてくれる人を探してもいたのでしょう。非常に熱心に話してくれました。家族に話そうにもその家族に興味が無いこともあれば、身近過ぎて話せないこともある。話せる相手はなかなかいないものです。そんな時に話を聞きたいと言うのが現れた。それもまるで別の世界の人ではなく、同世代で同じ頃中国にいた私にだからこそ話してくれたのもあると思います。話しやすい人に話したいことを話したと言うことですね。
―「皆“国の為”と送り出されたのに、遺骨を見ると残念で」と言う松田さんのお話が真に迫っていました。
羽田:心からの言葉でしょうね。ただ年齢的なこともあって、松田さんも当時のことをす~っと思い出すわけではありません。何か聞いても、「もう忘れた」と言うんですね。相当長い時間一緒にいて色々話していると、そのうちにあんなことも話し出す。当事者の貴重な体験談を聞くと言う意味でも、時間的にぎりぎりでした。

―あのあたりには遺骨がまだ残っているんでしょうか。
羽田:方正のあたりのものは解る範囲で遺体を集め遺骨にしたそうです。でも色々な開拓団がいたので、遺骨はあちこちに散らばっているでしょう。それを収集しようにも出来ないのです。近くまで行ってお線香を上げてきたと言う話をよく聞きますが、大体このあたりでと言う場所でしかない。反日感情もあって、日本人が入れないところもあります。
―この作品は2008年度のキネマ旬報文化映画ベストテンの第1位ですし、日本映画ペンクラブ文化映画ベスト1も取っています。映画賞の常連ですが、企画はどのように。
羽田:賞を頂くのは励みにはなりますね。でも作っている時は関係ないんです。私は器用ではないんで、同時にあれこれは出来なく、一つの事を集中してやるしかない。で、ずっとやって、一つの作品を作り終わると、又次の作りたいものが出てくる。そんな風にして作り続けてきました。自然に作りたいものが近づいてくるというか。だからこの作品の公開のことで頭が一杯の今は、次回作とかも思い付きません。

―実際にお会いしたら勿論、この作品の中でも監督は颯爽と歩いてお若いですが、何か若さを保つ秘訣がありますか。
羽田:私はそんなに元気ではありませんよ。(隣にいた秘書的役割の自由工房の佐藤さんが、「撮影現場では動くのも早いしお元気ですよ。凄いエネルギッシュです」とフォロー)私って何も自慢できることが無いんです。スピードもゆっくりですしね。映画を作る以外何も出来ない。だから作り続けているんですが、岩波映画にいた頃、優秀な人はどんどんフリーになって有名になっていく。私は定年までいて、そこで映画を作っていたんだけれど、(若くして有名になった)親しかった人から「どうして辞めないの?」と聞かれて、(どうして私にそんなことを聞くの?)と逆に思いました。そんな能力はありません。その時にスローペースのこの調子だから、私がちゃんとした作家になれるとしたら、よっぽど長生きしないといけないなあと思いました。その時からあまり年を考えないで働いてきたんです。でも80歳を過ぎると、自分では何とも思って無くても、周りのほうが、80,80と年を口にするようになって。
―実際の監督と実年齢とのギャップがあまりにも大きいからでは。羽田監督というと、いつも女性監督のパイオニアと言う代名詞が付いて回ります。今でこそ増えましたが、当時は珍しかったですよね。
羽田:映画を作る上で女なのを意識したことはありませんし、岩波でも女性だからと言って差別も特別待遇もありません。そんな風に紹介されて戸惑うこともあります。

aa-kan2.jpg

―自由学園のご出身ですが、そんなことも関係していますか。
羽田:自由学園の影響はあったと思います。あそこはキリスト教で、私は真面目なキリスト教徒ではないけれど、キリスト教的な精神を教えられました。当時創設者の羽仁もと子さんがいらして、毎朝お話をするんです。私が育ったのは戦争中ですから、学校での話と言ったらたいていは杓子定規なものだったけれど、あの方は違って、どうしたらいい生活が出来るかとか、世の中が楽しくなるかとか、実に率直な話をされる。東北の方で時々何を言っているのか解らなくなるけれど、聞き逃さないように一生懸命聞きました。一番印象に残っているのが、「一人一人が努力しないと良い世の中は作れない。こうすれば良いと感じた人は行う責任がある」と言われた事で、これはぴんと来ました。何にそう思うかは人によって違うけれど、感じた人はそれを見逃してはいけない。私が感じたことは私の映画で表現していこうと思います。私は最初から映画監督を目指したわけではありません。何かものを表現する仕事をしたいとは思ったけれど、画家になるほど絵が上手くもなかった。自由学園を卒業する時、学長が、「岩波書店で教育映画部門を作るから来ませんか」と誘って下さったんだけど、最初は断ったんです。そしたら、写真集を作るからこないかと言われて、本の編集なら出来るかもと入ったんですね。そうするうちに周りで皆が面白そうに映画を作っているから、私もやってみようかと映画を作り始めました。私は他にできることが無いので映画を作り続けて来たんです。

―ご主人が制作ですが。
羽田:主人は元は文部省にいたんですが、岩波が文部省との提携で「薄墨の桜」を作った時、彼が制作をしていて知り合いました。主人はその後文部省を辞めて製作会社を作りますが、私が岩波を定年になってからは、私の映画をそこで作っています。資金を集めてきたりはぜんぶ主人の仕事。私はお金の心配をせずに作品に集中すればいいんです。ありがたいけれど、その分作品に高い次元を要求される。それに応えるのも大変だし、あまりに重い証言を頂いたこともあり、今回は途中で体も悪くしました。それでも何とか完成させた作品、“満蒙開拓団”を読み難いと言わず、若い方たちにもぜひ観て頂きたいのです。(聞き手:犬塚芳美)

この作品は、8/1(土)から第七芸術劇場
        8/15(土)から京都みなみ会館
        9月12日(土)から神戸アートビレッジセンタ にて公開


<満蒙開拓の歴史> 
1929年:世界恐慌が始まる
  31年:関東軍が軍事行動を起こし、満州事変始まる
32年:満州国が建国される。第1次武装移民団がチャムスーへ
34年:東北地方の冷害で大飢餓
36年:満州100万戸移住計画を策定
37年:日中戦争始まる
38年:満蒙開拓青少年義勇軍第1次募集
41年:太平洋戦争勃発
44年:関東軍による開拓団男子の根こそぎ動員
45年:ソ連参戦により満州国崩壊。敗戦。
46年:満州からの集団引き上げ開始
49年:中華人民共和国の建国。日中国交断絶で、政府による集団引き上げ中断
53年:民間レベルの集団引き上げ開始
58年:民間レベルの集団引き上げ中断
66年:文化革命始まる:(~77年)
72年:日中国交正常化
74年:民間レベルでの肉親探し開始
81年:厚生省による中国残留孤児・訪日肉親探しの開始
2001年:3名の元中国残留婦人が国家賠償請求訴訟を提起。全国に広がる
  07年:改正中国残留邦人支援法、成立。
スポンサーサイト

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「嗚呼、満蒙開拓団」(前編)

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「嗚呼、満蒙開拓団」(前編)    
 ―羽田澄子監督インタビュー―

 お盆と共に今年も終戦記念日が近付いてきました。今更ながらに平和の大切さを噛み締める時期ですが、時を合わせたように、戦争の惨さを伝えるドキュメンタリーが上映されます。「嗚呼、満蒙開拓団」と「花と兵隊」の2本で、前者は文字からも解るように、引き上げの際に多くの中国残留孤児を出した中国北東部の満蒙開拓団の話。後者は敗戦時に自らの意志で日本に帰らなかったタイに住む未帰還兵の物語。どちらも声高に反戦は言わないけれど、すくいとった人生の過酷さが雄弁に何かを語ります。今週、来々週で、それぞれの監督インタビューをお届けしましょう。

《第1弾 「嗚呼、満蒙開拓団」羽田澄子監督インタビュー》

aa-kan.jpg
(7月10日大阪にて)

<その前に、満蒙開拓団の悲劇>
 開拓団は敗戦の直前まで送り込まれた。45年8月、ソ連軍の侵攻と日本の敗戦で、奥地の開拓団は逃げ惑うことになる。この頃には軍に取られて成人男子はいず、ほとんどが女子供や老人だった。目指したのは軍の補給基地もあり関東軍のいる方正。100~200キロも歩いて辿りつくと、軍は撤退した後。このままでは死んでしまうと中国人に子供を渡す人もいれば、親の手でわが子を殺した人も、集団自決した人も多い。冬には零下40℃にもなる土地で飢えと寒さ病気で多くの人が命を落とす。生きる為に中国人と結婚し日本人なのを隠して生き延びた人、養父母に貰われ中国人として育てられた人等、複雑な人生が始まる。 当時満州にいた開拓団員は約27万人。そのうち約7万2000人が犠牲になり、未帰国者は約1万1000人(うち6500人は死亡と推定)。遺骨のほとんどは今も満州に眠る。

 
<羽田澄子監督インタビュー>
―漢字の並んだ刺激的な題名ですが。
羽田澄子監督(以下敬称略):制作の夫、工藤がつけた題名です。最初は“嗚呼”が若い人には読めないのでは心配したのですが、岩波ホールの支配人が、「“嗚呼”は劇画で知っているから大丈夫」と言うのでそのままにしました。でも「それよりは“満蒙開拓団”が読めないかも」と言うから驚いたんです。

―戦争体験のある世代が高齢化して、色々な事が受け継がれていない。そんな意味でも、これは今創っておかないといけない作品ですね。監督はお父様の仕事の関係で昔中国で過ごされました。この物語の舞台に近いわけで、この作品はそんな事と関係があるのでしょうか。以前から温めておられたテーマですか。
羽田:いいえ、そうではありません。私は確かに戦中戦後を中国で過ごしましたが、滞在したのはずっと南の大連。開拓団のいた所とはずいぶん離れていますし、大連は日本にもないような大変な都会で恵まれていました。原っぱの真ん中に放り出されて、何処かに行こうにも駅まで行くのすら大変だった開拓団とは環境が違う。同じ中国にいながら当時は開拓団の情報は私のところまで入ってこなかったんです。もちろん戦後の引き上げには苦労しましたが、それだってあの方たちの苦労とは比べ物になりません。それでも帰国船に乗りながら、大勢いた日本人が皆船に乗れたんだろうかとか、気になる事はありました。残留孤児の訪日や補償問題等の記事が出始めると関心を持って読んでいたんです。そんなところへ「星火方正」(せいかほうまさ)という雑誌が届き、方正に日本人の公墓があると知って驚きました。で、雑誌を出している方に聞いたら、新潟からそこへ行く訪中団があるのを知って、じゃあ行ってみようと。その時は映画にしようとは思ってなかったんだけれど、夫でプロデューサーの工藤が「君1人で行っても駄目だ。カメラマンを連れて行け」と言うので、とりあえずカメラマンと一緒に行って、色々映してきたのです。

aa_sub2.jpg


―ご主人はこの時点で映画になると直感が働いたんでしょうか。
羽田:いやいや、夫は最後までどんな作品が出来るかなんて解らなかった。ただ、カメラマンを連れて行けといっただけです。でもそれが正解だった、と。結局夫は、解らないままに最初から最後まで私を支配したことになります。正直なところ、私もこんな作品になるとは思わず映していました。どんな人がツアーに行くのだろうと思っていたので、飛行機の中や宿舎で話して、ああこんな人たちが行くんだなあと思ったのをそのまま映したりしただけ。そのうち、この話はこの人に聞こう、あの話はこの人にと、聞きたいことや映す事がどんどん広がっていったんです。
―誰かに話を聞く度に広がっていったと?
羽田:そうなんです。どんどん広がっていきました。でも最後まで映画のスタイル、形は見えなかったですね。

―そんな風に漠然と撮り始めたものが、映画になると思われたのは何時ごろですか?
羽田:中国人が小さい女の子を育てて後で日本に返した。で、その娘を探していると言う話あたりからです。
―あのシーンには感動しました。日本はこんなにもひどい事をしたのに、それにも拘らず助けてくれた中国人がいる。しかも助けた少女との間に人間的な繋がりが出来ていたのだと知り、温かいものが溢れてきました。
羽田:本当にそうですね。娘も養父を心配しているし、養父もいまだに日本に帰した娘を気遣っている。もともと帰したくて帰したんじゃあない、日本人の娘の為に良かれと思って帰した事です。作品になると確信したのは、2度目の方正訪問で、彼女のほうは直前に体調を壊して行けなくなり夫だけになりましたが、お宅を訪ねてお墓参りに行ったあたりです。結構遠いのに皆がぞろぞろ一緒に行ってくれるでしょう? 日本にいても想像出来無かったのですが、目のあたりにしたあの養父と娘夫婦の、実に自然な繋がりが素晴らしくて心に響きました。後、やっぱり方正の日本人の公墓ですね。それが日本人じゃあなく、中国人によって作られたという事が大きい。

aa_sub1.jpg

―それにも感動しました。この作品を見た直後に、私は(周恩来って凄い人だなあ。もっと知りたい、本を読んでみよう)と思いました。
羽田:周恩来は偉いですよね。毎日凄い数の人と会うのに、松田ちゑさんの名前を覚えていた。毛沢東の時代に開拓団のお墓を建てたというので死刑になりそうだったちゑさんを、「この人は無罪だ」と言って救っています。この作品を撮って立派な人だなあとあらためて思いました。
―考え方も素晴らしいですよね。
羽田:ええ、日中戦争の頃には嫌な思いもしたでしょうが、若い頃に日本に留学したりして親日家でもありました。バランス感覚のある国際的で視野の広い方です。「祖国を見ることなく逝った開拓民たちも、日本軍国主義の犠牲者だ」と言って、戦争の犠牲者と加害者をきちんと区別できる。あの当時の中国でそれだけの事を思えるのは、相当です。(聞き手:犬塚芳美)
                               <続きは明日>

この作品は、8/1(土)から第七芸術劇場
        8/15(土)から京都みなみ会館
        9月12日(土)から神戸アートビレッジセンタ にて公開

映写室 新NO.10サマーウォーズ

映写室 新NO.10サマーウォーズ 
   ―大家族が挑む現実と仮想都市OZの危機―

 ネット社会はどんどん進化している。でもサイトの悪用や支配を目論むサイバーテロも、ますます巧妙になっていく。まるでいたちごっこだけれど、今や取り締まりにサイバーポリスが必要な段階に来たと、先日も専門家が言っていた。んん?、ネット音痴には何だか難しいが、そんな未知の領域を視覚化して、アニメーションならではの解り良さときれいな映像で体感させてくれるのがこの作品だ。
 <創ったのは「時をかける少女」の細田守監督>、前作に続いて今作も現実と仮想のミックスが見事。ネット社会とそのすぐ隣にある長閑な農村風景をリンクさせた、大家族の奮闘物語です。時代や状況は変わっても、危機を救うのはいつも助け合い、日ごろは疎ましい家族力がそんな時そこ生きてくる。現代はまさに「時をかける」ようなスピードの時代。一方でまだまだ残る昔ながらの日々の営み。この作品の持つ二つの世界感が、夏休みの子供たちと若者、好奇心旺盛な大人を虜にするでしょう。美しい映像はビジュアル系の方にも見逃せないと思う。

summer-m.jpg
(C) 2009 SUMMER WARS FILM PARTNERS

 <物語はこうだ> 高2の夏休みにOZの保守点検のバイトをしていた健二が、憧れの先輩夏希に頼まれ、フィアンセを装って田舎に行く。そこは長野の広大な屋敷で、90歳になるお祖母ちゃんの誕生日を祝って、一族郎党が集まると言う。嘘はばれたものの健二は皆に馴染んでいくが、不審な数学クイズのメールを受け取り、思わず解いたことからOZの世界と現実で災難が起こり始める。はたして地球の危機は救えるのか…?

 <スクリーンの中に広がっているのは未来だろうか>、少し前の事だろうか。ネットの進化から見ると少し先のことに思えるし、青い空や山々、縁側にずらりと並んだ朝顔の鉢や田園風景の長閑さ、人情を見ると、時計を巻き戻した気分にもなる。つまりそう遠くない未来ってことかな。仮想社会は進化しても、田舎の風景はそんなに変わらないもの。この作品は両者を魅力的に描き分けている。
 <画面から漂ってくる信州の清々しい空気>は、優しいタッチと色調で、まるで自分が其処にいるようで避暑気分を体感。長い廊下で繋がる古い陣内家の屋敷もリアルだ。時が止まったような、ゆったりとした世界に癒されていると、今度はクリアーな色の氾濫する仮想社会OZに引き入れられる。こちらは一瞬の隙を付いて巨大化するネットの凄まじさを視覚化したもの。今の世の中、両方が同時に存在するわけで、ネットとそれを操る人の住む現実との兼ね合いがテーマになっている。当たり前だけれど、ネット上の犯罪は常にそれを操る現実社会の住人の仕業ってわけだ。そこに、開発者の思惑を超えたシステムの知能が加担することもある。人を超えていく機械、何時もそれが問題だ。

summer-s.jpg
(C) 2009 SUMMER WARS FILM PARTNERS

 <何しろ健二は>、数学オリンピックの代表に漏れて落ち込んでいるような数学の天才。難しい数式クイズが来ると、ついつい解いてしまう。世界中にはそんな天才が他にもいるから、鍵穴を探している知能犯は、数学好きのそんな習性を利用しようと世界中にメールを送ったわけだ。そうして開いたOZの管理部、他への進入口もあり、ちょっといじっただけで、管理されている世界中の通信機能、防災、防衛、インフラ等が混雑する。このあたりぞっとするが、確かにそう遠くない近未来の姿だと思う。ネット管理社会の怖さでもあり一番の弱点だ。
 <もっともこの作品の楽しいのはそこからで>、SEの頭脳戦に似せて、ここに視覚的なゲームを絡ませてくる。システムの侵入を企む者、阻止する者、現実での疲労感も神経戦ならばこそだ。ネットの主役若者たちをサポートして、大人も右往左往。正義感の強い、武家の末裔の誇りをかけた大家族のそれぞれを巻き込んで、極上のエンターテインメントが始まっていく。このあたりのアナログなドタバタも圧巻だった。

 <魅惑的なのが、アニメに命を吹き込む声優たちの声質のバランスだ> まず、見ている時はそれと解らなかったお祖母ちゃんの声は富司純子。16代続く陣内家の当主として君臨する者の言葉の重みの確かな表現、せりふの間にも格段の余情と品位があって、威厳だけでなく優しさも耳に残る。この作品を若者だけでなく大人の物語にもしている功労者だ。いつもは美しい佇まいに目を奪われるが、言葉にもこんなに説得力があるのだと表現力を思い知らされた。

 <夏希の初恋の相手でOZ事件でもキーマンとなる、>叔父の陣内侘助役の斉藤歩の声が、一人篭った様に響く。これも良い。他と混じらず際立っているのは、ミステリアスな役柄の上からも正解だ。現実とは違う別の空間から響いてくるみたい。主人公の健二には、天才子役からすっかり成長した神木隆之介が、育ちが良い繊細な少年として命を吹き込んでいる。声の頼りなげなところがそのまま健二のキャラクターだ。夏希の大勢の従兄弟たち、叔父さん叔母さんたちの賑やかさも見事で、雑然とした様はまるでお盆に集まった親戚一同。夏の集りはいつもこんな風に騒々しい。

 <そんな多彩な声やキャラクターデザインと共に>目を見張るのは、やっぱり非現実のOZの世界のビジュアルだろう。溢れる色、色、色。これほどクリアーでポップな映像は初めてだ。目まぐるしく変わる色と動きを楽しみながら、ネットの増殖を視覚的に理解できる。ちょっとしたきっかけで、すぐに片方に流されてしまうのは、私たちネット世代の浅はかさ。よく言われる“炎上”を視覚化したらこんな風になるのだろう。憎悪だから本当はもっとおどろおどろしい色の表現が適しているのかもしれないけれど、カラフルにすることでゲーム感覚になったのが親しみやすさだ。

 <…と、家族の団結と言う古典的なテーマを内蔵しながら>、こんな具合に楽しみどころは満載。夏休みを映画館で過ごせば、バーチャル避暑とバーチャルアドベンチャーが体験できる。さあ、この作品が一番受けるのはどの年代にだろうと、私の関心は其処にも。映画に触発されて、こちらの楽しみ方も多彩になる。(犬塚芳美)

  この作品は、8月1日(土)より梅田ブルク7 MOVIX京都 109シネマズHAT神戸 
他全国ロードショー

映写室 新NO.9セントアンナの奇跡

映写室 新NO.9セントアンナの奇跡 
  ―ドイツ軍による、イタリア、トスカーナ地方の殺戮―

 オバマ大統領が誕生して「CHENGE!」が合言葉になった。その単語に歓喜する黒人たち、アメリカは何を変えないといけないんだろう? 一つの答えのようにタイミングよく登場したこの作品は、1983年のアメリカと第二次大戦も末期のイタリア、トスカーナ地方の物語を繋いでいく。
 <創ったのは、オバマ大統領のシンパとしても名高い>スパイク・リー監督。映画界での黒人の役割を拡大し続ける旗手的存在だ。原作と脚本は「母の色は水の色」と言うベストセラーのある、ジェームズ・マクブライド。当事者だった叔父から聞かされた実話と現地での調査がベースになっている。戦争の最前列に立たされるのはいつも弱者、それでもそこに奇跡を起こす物語があった。

sent-anna-m.jpg
(C) 2008(Buffalo Soldiers and On My Own Produzione Cinematografiche)- All Rights Reserved

 <物語の発端は>、定年間近の善良な郵便局員が、切手を買いに来た男を突然射殺したことだった。局員の部屋からはイタリア、フィレンチェの橋を飾る歴史的に貴重な彫像の頭部が出てくる。時価500万ドルの、1944年にナチスが爆破して行方不明になっていた代物だ。一体彼は何者で二人の間に何があったのか。謎を解く鍵は1944年のイタリアにあった。

 <こうして導入部は>訳が解らないままドラマティックに展開する。そして主な舞台となるイタリアのシーンからが、ハリウッド作品とは思えないほどリアルで重厚なのだ。戦場のあまりのおぞましさ、痛ましさに目を伏せてばかりになるだろう。もちろん、当時こんな事がこんな悲惨さであったと言う事だ。
 <郵便局員は元第92歩兵師団>、通称バッファロー・ソルジャーの一員だった。バッファロー・ソルジャーとはアメリカが過酷な“最前線”に送り込む黒人だけの部隊のことで、ナチスが待ち受ける川向こうに偵察に行かされる。渡ったものの心優しい兵士が一人の少年を助ける間に4人は孤立、援軍も来ず取り残されてしまう。留まったそこで、黒人に偏見の無い村人たちと心を通わせ合うが、もちろんそんな平穏な時は何時までも続かない。

 <舞台は今や憧れの観光地>、トスカーナ地方だけれど、ここにも血塗られた歴史がある。当時は、ファシズム、米軍、アフリカ系米軍、イタリア人パルチザン等々、色々な勢力が入り乱れた時代、物語が進むに連れて多くの史実が暴かれていく。
 <まず、バッファロー・ソルジャーの事> その起源はメキシコ戦争の頃にまで遡るという。祖国で差別された黒人は、戦場でも命を紙切れのように扱われる。だからこそ、偏見のないイタリア人との交流は楽しい思い出だった。其処にあるのは肌の色の違いではない。戦いを好む者と嫌う者の区別だけ。「僕ら黒人はどんなにイタリア人に愛されたか」と、マクブライドの叔父は繰り返し話したと言う。彼らの向こうにはナチスと言う共通の不気味な敵があった。

sent-anna-s.jpg
(C) 2008(Buffalo Soldiers and On My Own Produzione Cinematografiche)- All Rights Reserved

 <次は少年の見た恐ろしい光景> ドイツ軍によるセントアンナ教会での大虐殺は、罪のない市民560名が皆殺しにされた。反ナチパルチザンの掃討作戦の名目でなされたが、多くが子供や老人、女性だったと言う。ここだけでなく43年末期から44年にかけて、ドイツ軍はイタリア各地で民間人を虐殺している。この物語でも冷酷な所を見せているが、事件から60周年の記念式典にドイツの内相が出席し、国民を代表して謝罪。これほどの時間が経つというのに、2007年11月には、軍法会議で責任者3名に終身刑が言い渡された。ここの辺りがドイツの戦後処理が国際社会で評価されるゆえんなのだろう。

 <物語はとても複雑に重厚に進んで行く> 誰が見方で誰が敵か? 平穏は一瞬で崩れて、殺戮地獄。観ただけで歴史の全容を理解するのは難しい。映画には奇跡の物語を任せて、触れられている史実の多くは後で探ってみるのが良いと思う。この作品は戦争の悲惨さを思い知る事と、歴史を紐解くきっかけにしたい。
 <リアリティを求めて>、セントアンナ教会とか、実際に戦場だった場所で撮影が行われたという。効果は充分に出ている。古い石組み、朽ちた小屋、当時の血飛沫を未だに内蔵していそう。余談だけれど、こうしてみるとハリウッド作品の軽さは、作風だけでなくそれの撮られた土地の持つ空気感が大きいようだ。
 それでも最後に、奇跡で未来につなげるところがアメリカ映画。オバマ大統領と同じく、黒人と白人両方の血を受け継ぐジェームズ・マクブライドの希望でもあるのだろうけれど、それ以上に監督の希望でもあるはず。善意の力に希望が持てる、こんな楽観主義は好きだ。何しろ奇跡だもの。少年のあどけない瞳が忘れられない。(犬塚芳美)

この作品は、7月25日(土)より、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸
                   TOHOシネマズ三宮OSで上映
    8月1日(土)より京都シネマで上映
    
 
(注)ジェームズ・マクブライドの母親は、白人のユダヤ人で、人種差別の激しい時代にジェームズの父親の黒人と結婚。12人の子供を生んで白い肌で黒人社会を生き切った。その母と自身について書いたのが200万部を売った「母の色は水の色」で、ジェームズが「神様は白人か黒人か?」と問うと、「神様は霊だから水の色をしている」と答えた母の言葉がタイトルになっている。

映写室 「精神」想田和弘監督インタビュー(後編)

映写室 「精神」想田和弘監督インタビュー(後編)   
 ―誰かに話したかったこと―

<昨日の続き>
―なるほどと思う意味深い事を言いながら、茶化すように「はい・カット」と自分で仕切る方がいますが。あの方など完全にカメラを意識した行動ですよね。
想田:編集で後半に回っていますが、あの方のシーンは撮り始めてすぐのものです。正直に言って、最初は参りましたね。「選挙」でとった手法は、対象者を外側から観察することで、今回も同じように、対象者とガラスで隔てられた距離感を目指したけれど、それが上手くいかない。皆が僕に話しかけてきますから。途中から考え方を変えて、もっと密着したものでもいいと思ったんです。精神を病んだ人たちは孤立しがち、皆が孤独感を抱えているんでしょう。話したい事がいっぱいあるけれど機会がない。そこに飛び込んでいった僕らは、ある意味で聞き手としてちょうど良かった。映すのは駄目と言う方でもお話は色々して下さいました。

seishin_main.jpg
(c) 2008 Laboratory X, Inc

―ナレーションが無いので誰が患者さんで誰がスタッフか、暫く解りませんでした。服装も一緒ですし。
想田:ええ、混同しますよね。それに元々、健常者と病や障害のある「当事者」にそれほどの区別があるわけではありませんから。「こらーる岡山」を立ち上げた山本先生は、精神病患者を外から鍵をかけて閉じ込めるのを止めようとした運動の草分け的な存在です。だから1997年に開設されたここは、社会の安心の為に病んでいる人を隔離するようなことはしない。精神障害者が病院ではなく地域で暮らすことを目指していて、その支援に力を入れている、外来の精神科診療所です。建物は古い民家をそのまま利用していて、畳敷きの部屋があったりと、自宅のように寝転がったりもできる。先生やスタッフの人柄もあって寛げる温かい雰囲気です。一方、診療所には牛乳配達を行う作業所「パステル」や、食事サービスを行う作業所「ミニコラ」が併設されていて、「当事者」に働く場所を提供しているんですよ。別棟ですがすぐ近くに、ショートステイの出来るところもあります。患者たちは本当に先生を慕っていて、先生はじっと話を聞いてくださる。その治療は、こちらから結論を押し付けるんじゃあなく、自分がどうしたいのか本人が答えを見つけるのを根気よく待って、それを助ける作業です。先生と話していると、自然に自分がどうしたいのかが解ってくる。山本先生の治療は、本当の意味での患者の為の治療です。

―そういう下地があるからこそでしょうが、そこまで話して良いんだろうかと思う様な深刻な事を、ぽろっと話し始めて驚きますが。
想田:子供を殺したと言う話ですね。あの話が出た時は僕も驚きました。これは外せないとカメラを回しながら緊張したんですが、不思議なものでそんな時は集中力も高まる。後で見ると、自分でもこれ以上は無いと思えるほどの完璧なカメラワークが出来ていました。あそこはワンショットで6分30秒ありますが、言葉以上に間が雄弁なんです。編集でも切れなかったですね。でも編集の段階で、モザイクもかかっていない彼女の映像を使っていいものかどうか、ずいぶん悩みました。カメラを向けるのを承諾して解って話しているとはいえ、殺人を告白しているものが公開されるとなると又事情が違ってくる。15年間も話していないのに、彼女がこれからどうなるだろうと心配でした。だから試写の前は緊張しました。そうでなくても精神を病んだデリケートな方たち、この作品を観て病気を悪化させてはいけないと胃が痛くなる思いです。柏木の義母もそれを一番心配していました。

seisin-kan1.jpg

―岡山での試写には皆さんいらっしゃったんですか。
想田:試写があるというと、出演者たちは皆動揺していました。自分がどう映っているか、どう描かれているか、そりゃあ気になりますよね。彼女は最初見たくないと言って来なかった。あれを入れられたら私は生きていけない、周りの皆が敵になると言い出したんです。肖像権の問題がありますから、この作品はもう上映できないかもしれないと、僕も覚悟を決めた位でした。でも途中で、やっぱり観たいと言ってタクシーで飛んできたんです。観終わるとそんな危惧もなくなりました。と言うのも、他の方が、「これを観て今までは解らなかった貴女の苦しみが解った。世界上に同じ状況で苦しんでいる人が一杯いる。貴方はそんな人を救う事になった」と彼女の苦しみに共感したんですね。それで彼女も納得しました。
―考えてみると、精神病疾患は本人が公表を納得しても、家族が嫌がることもある。モザイクもかけずドキュメンタリーに出るのは大変なことです。
想田:そうなんです。そこが他の病気と違うところで、未だに遺伝とか間違った知識に支配されている。誰でもなりうる普通のことなのに。そんな意味でもぜひこの作品を皆に観て欲しいんです。

―最初に目指した作品の方向性と出来上がったものは違いますか。
想田:違うと言うより、僕の場合最初に方向性は無いんです。とりあえず色々なシーンにカメラを回していますよね。後でその中から残したいものだけを繋いで行きます。その作業を重ねるうちに必然的に残るべきものが残る。それが活きる為に前後に持ってくるものとかを編集していると、やっと作品の方向性が見えてくるんです。僕は撮る時はあまり考えないので、この時期が自分の思いを構築する大事な時期になるのかもしれません。編集は大変でたっぷりと時間と精力をかけます。繋ぐにしても、どういう順番で見せれば自分の印象に近いかとか、慎重になる。ドキュメンタリーに演出はそぐわないけれど、どうしても作為はあります。自分の世界観を作品に反映するのが目的ですから。

―今脳科学が流行です。ポスターにシナプスを現すような模様も入っていますが、精神とは心なのでしょうか、脳なのでしょうか。この作品を撮って思われたことを教えて下さい。
想田:この作品を撮ったからといって僕に精神病の事が解ったわけではありません。謎ですね。解らないと言うこと、もやもやとしたものを撮りました。ただ、病んだ事はマイナスばかりではない。さっき出た「ハイ、カット」と言う方の言葉には力があります。病を得たからこそ深まった世界があるし、病気が感性の鋭さになるんだなあと色々な方を見て思いました。この作品でそんなところも観ていただけたらと思います。
―撮り始めてから少し時間がたっていますが、「こらーる岡山」の皆さんに変化はありましたか。
想田:ありましたね。何人かは亡くなっています。何度も自殺未遂を繰り返していると言った彼女は、とうとう亡くなりました。辛いですね。難しい病気だなあとあらためて思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
 なぜか私の周りには精神を病む人が多い。私なりに手を尽くして何処かの医療機関等に繋ぐのだけれど、ちょっとした駆け込み寺のようで、精神科医やセラピストの友人から、「あなたには精神疾患者をひきつける磁力があるのかも」と言われる位だ。しかも監督の奥様のように、精神の揺れに同化し安い。つまり自分もおかしくなるって事だ。だから、本当言うとこの作品の映像は私にとってはそんなに珍しくない。精神病は私にとって身近だし、もっと錯乱した状態を何度も体験している。
 それでも物静かに話す「当事者」たちの心の重さにはドキッとした。「頭の中のインベーダーが何時暴れだすのかと思うと…」と冷静に分析する男性の諦めたような顔と根深い恐怖心、どうも出来ない。長年自分の変調と付き合った誰もが、鋭利な感性を持った哲学者だ。それ以外何も解らない。この作品で精神の不思議さを、監督の言うようにもやもやと受け止めた。ただ、自死した女性の周りには確かに別の空気が映っている。亡くなった人がいると聞いた時、その空気感から真っ先に彼女が頭に浮かんだ。色々な不思議を感じた作品だった。


この作品は7/18(土)から第七藝術劇場
   (19日は監督の舞台挨拶あり。時間等は直接劇場へ)
    7/25(土)から京都シネマ、8/15(土)から神戸アートビレッジセンター にて公開

映写室 「精神」想田和弘監督インタビュー(前編)

映写室 「精神」想田和弘監督インタビュー(前編)    ―「選挙」の監督が今度は精神科クリニックに寄り添った―

 閉塞的な世の中のせいか、精神を病む人が多い。なのにまだまだタブー視されて、家族にすら病気を隠す人もいる。体の怪我なら包帯を巻けるけれど、心の怪我にはどうしたらいいのだろう。この作品を撮ったのは、「選挙」の想田和弘監督で、躁鬱症から重篤な統合失調症まで、心の痛みで苦しむ人々に寄り添う医師、「こらーる岡山」の山本昌知医師とスタッフ、そこに通う患者たちにカメラを向けている。度重なる自死未遂、頭の中で暴れる怪物、子供殺し等、時には思いもかけない深みまで告白を始める患者、妄想なのか真実なのかは解らない。他者に何が出来るのか解らないけれど、じっと患者の言葉を待つ山本先生の姿が一つの答えのようだ。想田和弘監督と制作の補佐をされた奥様、本業はダンサーの柏木規与子さんにお話を伺います。

seisin-kan2.jpg
(6月17日 大阪にて)

―この作品を作ろうと思われたきっかけは。
想田和弘監督(以下敬称略):柏木の義母が「こらーる岡山」に関わっていて、山本先生について色々話を聞いて惹かれていたんです。それと僕自身が、大学時代に精神科にかかった経験があるのも大きいと思います。自分で言うのもあれですが、僕はずっと田舎の優等生で順調に東大まで進んだのに、新聞部に入って色々な仕事を1人で抱えほとんど寝ないでこなしていたら、ある日突然何にも出来なくなった。びっくりして精神科に行ったら、医師から燃え尽き症候群だと言われたんです。何にもするなと言われ、全部ほっぽり出して実家に帰り、ずっと寝ていたら直ったんですが、この経験から、精神病は決して特殊な病気ではなく誰でもがかかる病気だと知りました。

―確かに、欝なんて心の風邪のような物で、誰でも一度位はかかるとも言われます。それにしてはタブー視され過ぎますよね。病気を隠している方も多く撮影は大変だったのでは。
想田:ええ、僕も最初は無理だろうと思いました。ところが、「こらーる岡山」に問い合わせたら、こちらでは強制できないけれど、個別に許可を取れば良いと言って下さったんです。でカメラを持って行ったんですが、やっぱりほとんどの人に断られる。一日中カメラを回せない事もありました。僕らが所在無げにしていると話して下さるから、映してもいいですかと聞くと、それは駄目だと言う。そんなことを繰り返しながら少しづつ慣れていって、一部の方がカメラの前で話して下さる様になったんです。でも10人中9人には断られました。

seishin_sub1.jpg
(c) 2008 Laboratory X, Inc

―その方たちにインタビューされたのは奥様ですよね。
柏木規与子さん(以下敬称略):ええ、母がここに関係しているせいで私は以前ここでダンスを披露しています。その時とても良い雰囲気で、自分でも思いがけないほどの良い作品が出来たんですね。そんなこともあってここの皆さんと顔馴染みだったので、私がいたほうが上手く行くだろうと言うことに。合槌を打つと声が入るので、目と口で肯きながら声は出していません。
―何かそうするうちに、規与子さんが患者さんと同化して精神状態が不安定になったそうですが。
柏木:そうなんです。皆さんの話を伺っていると色々自分と重なるんですね。それって自分と一緒だ、だったら自分も病気じゃあないかとか思う様になりました。何か一つ嫌な事があるとそれがどんどん増殖されて、憎悪が雪だるまのように大きくなっていくと言うんですが、私の場合も夫への不満がだんだん膨らんで留まる所を知らない。自分はニューヨークでダンスをしているべきなのに、こんな所で何をしているんだろう。こんな事に巻き込んだ夫が悪いと、どんどん夫への不満が膨らんでいく。悔しくて涙が止まらないとか、感情がコントロールできなくなったんです。でこれはもう駄目だと思って、山本先生に予約してカウンセリングを受けました。

―その時監督が一緒に入ってカメラを回そうとしたとか。
想田:ええ、精神病のドキュメンタリーを撮っている監督の、補佐をしていた連れ合いが精神病になったと言うのは凄いことだ、これこそ撮らないといけないと思って、当然のようにカメラを向けました。そしたら『撮影して良いとは行っていない。失礼よ、出て行って!』と凄い剣幕で言われて、仕方なく諦めました。
柏木:だって失礼ですよね。許可を取ってないんですから。それにこちらは夫の悪口を言おうと思っているんだから一緒にいられたら困ります。
想田:そうだろうとは、解っていたんだけどね。
柏木:幸い先生にワーッと話したら衝きものが落ちたようにすっきりして、それだけで直ったんですが、一時は涙が止まらないとか本当にひどい状態だったんです。
想田:柏木の義母から、「ニューヨークに帰ってもこんな調子だったら、規与子だけ帰してね」と言われたくらいだったんです。こんな具合に、なんでもなかった普通の人でも一気にこんな事が起こる。精神病は特別な病気ではなく誰でもかかりうる病気なのだと言う事ですよね。
柏木:後で考えると、やっぱりあそこは撮影するべきだったと思いますが、あの時は許せなかった。

―奥様が同化されたのは解るような気がします。私の話も真剣に食い入るように聞いてくださる。患者さんのお話もこんな風に聞かれて、距離感を無くして同化されたのでしょうね。監督のほうは同化しそうにはならなかったんでしょうか。
想田:僕はカメラを持っていますから、撮影中は物事をカメラを通してみるんですよ。ちょっと距離があるんです。カメラを持ってなかったらどうなったでしょうねえ。そんな彼女の存在もあって、この作品は僕のドキュメンタリー手法、観察映画とは違ってしまいました。最初はそう撮ろうと思っていたんですが、対象が勝手に近づいてくる。壁に止まった蝿のように存在して観察すると言う、さり気無い位置からが望ましいんだけれど、距離感が保てなくて戸惑いました。観察映画には二つの意味があります。監督自身が目の前の物を観察すると言う意味と、お客さんの観察の邪魔をしないと言う意味。僕は今回観察よりももう少し濃密に関わってしまいましたが、そんな意味ではこれも観察映画になっていると思います。(聞き手:犬塚芳美)
            <続きは明日>

この作品は7/18(土)から第七藝術劇場
       (18,19日と監督の舞台挨拶あり。時間等は直接劇場へ)
      7/25(土)から京都シネマ、8/15(土)から神戸アートビレッジセンター にて公開

映写室 新NO.8チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室

映写室 新NO.8チャーリー・バートレットの男子トイレ相談室    
 ―人生は明るく乗り切ろう!―

 大人は忘れただろうけれど高校時代は以外に辛い。大人と子供の感情の狭間で揺れ、人生や恋に迷い、時には悩める親を見てみぬふりをするという芸当も必要だ。こんな時期こそ親身な相談相手が欲しい。『スタートレック』でエンタープライズ号のロシア生まれの航空士役、『ターミネーター4』では、人類の救世主の父親と言う準主役、カイル・リース役を務めた、アントン・イェルチャンが男子トイレでそんな役目を果たすと言う、ハイスクールコメディです。どうやって? 青春映画かと思いきや意外と深遠。大人だって本当は一杯一杯、アップアップしているという、人生のほろ苦さを教えられる。

dannsitoire-m.jpg
(C) 2007 Kimmel Distribution, LLC. All Rights Reserved. / WISEPOLICY & GOLD RUSH PICTURES

 <チャーリー・バートレットは母親と二人で>住む高校生。豪邸に住む何かあるとセラピストが駆けつけるようなお金持ちで、しかも頭脳明晰なのに、免許証の偽造とか悪戯が過ぎてあらゆる私立校から退学になる。地元の公立校に転入するがお坊ちゃんの匂いの彼は浮きまくり。でも負けてはいない。目立ちたい、人気者になりたいと変な商売を思いつき…。

 <こうして書くとコメディだけれど>、小柄で金髪の巻き毛のアントン・イェルチャン、繊細な演技で物語を複雑にしていく。気弱な瞳が何を考えているのやら。それにいつもお洒落な母親の、正常そうで異常な心理もやんわりと感じとれる。余談だけれど、まるで世間への鎧の様に完璧にお洒落するのって、どこかバランスを崩している証拠。其処のあたりの表現も上手くて、監督のセンスの良さを感じる。親子だけれど二人並ぶとチャーリーは小さなナイト、母親が彼に頼っているのが透けて見えるのだ。こんな親子関係実は多いかもしれない。
 <一目ぼれの女生徒スーザンとその父親の>、『アイアンマン』のロバート・ダウニー・Jr.が演じる校長との関係だってそう。厳格な父親に反発しながら、荒れる学校に悩んで酒に溺れる姿を娘は心配している。チャーリーもスーザンも、子供である以上に親たちの保護者。彼らの喪失感を理解して、無くした連れ合いの役目を果たしているのだった。

 <お洒落する事で何とか正常心を保とう>とするチャーリーの母親の健気さは好きだし、スーザンの父親の家に帰ってからのアル中ぶりも、人間的で魅力的。ハチャメチャな若者文化とカラフルなハイスクール風景の中、コメディと人生の深遠さが交差して、人の弱さが浮かび上がる。

dannsitoire-s.jpg
(C) 2007 Kimmel Distribution, LLC. All Rights Reserved. / WISEPOLICY & GOLD RUSH PICTURES

 <・・・と、高校でのオチャラケを描きながら>物語りはどんどん深みに入っていく。本当は自分が一番傷ついているのに、親や仲間の救済で忙しい高校生チャーリー・バートレットはどうなるのか。
 母親のナイト役からいかにもな子供の姿まで初々しく演じる、アントン・イェルチャン。スーザン役のカット・デニングスも個性的で美しく、それぞれの親役も映像的にも魅力。
B級感を漂わせながらの佳作で、後々リアルタイム見た事を自慢できそうな、『40歳の童貞男』のジョン・ポール監督の手腕が冴える作品です。

 <大人になればもっと器用に生きれると>思っている高校生諸君、人生はそう簡単じゃあない。君の親たちだって、しっかりした振りをして君より悩んでいることもあるはず。あ、親のほうはそれを隠したつもりになっているからもっとややこしい。気が付かない振りをしながらさり気無く親をフォローする子供世代、威厳を保つ振りをしながら、内心よよと子供に助けられる親世代、全くどちらが子供でどちらが大人か。でもそれが親子関係というものなのだろう。
 何時までたっても悩みは尽きない、親子、友達同士、人は支えあって生きるしかないんだとそんなことを考えた。(犬塚芳美)

 この作品は7月18日(土)より、シネマート心斎橋で上映

映写室 新NO.7 サガン―悲しみよこんにちは―

映写室 新NO.7 サガン―悲しみよこんにちは―   
 ―天才作家のドラマテックな人生―

 <フランソワーズ・サガンに>直視や真正面は似合わない。大抵のポートレートは斜めからだし、視線も何処か遠くか斜め下に落としている。取り巻きに囲まれながら孤独な影が消えない彼女を、一番的確に表現するのはこんな風な写真だ。世間とサガンは、そんな具合にお互い斜に構えて対峙していたのだと思う。間には作家が煙に巻いておろした、薄いベールだってあったような気がする。
 <踝を出したスリムなパンツに金髪のショートカット>、せわしなくくわえタバコをふかすサガンの瞳は何を見ていたのだろう。書くもの以上に私生活が話題になった作家のスキャンダラスな人生を、孤独と愛から読み解いた作品です。本物より庶民的なイメージのシルヴィ・テスチューが演じて人間味が増し、愛と孤独がより強く結びついた。

sagan-m.jpg
(C) 2008 ALEXANDRE FILMS / E. George (C) 2008 ALEXANDRE FILMS / C. Schousboe

 <伝え聞くサガン伝説そのままに>、物語はドラマティックに展開する。友人に小説を書いていると見栄を張って、辻褄合わせでひと夏で書き上げた「悲しみよ こんにちは」は、18歳の少女をマスコミの寵児に押し上げた。手にした巨額の富で繰り広げる夜毎のパーティ、取り巻きたちを引き連れての凄まじい浪費、大事故と奇跡の復活、ドラッグ、ギャンブルと、車だけでなく人生そのものを猛スピードで駆け抜ける。

 <危うい関係を描く彼女に>、世間は不道徳、新しい時代の小説と賛否両論だったが、もちろんそれは、作家の生き方への非難でもあった。サガンの方も、世間に対してこれ見よがしに思えるほどの行動をとる。このあたり、サガンは自分のしたいように行動しただけではなく、自分の描く世界に縛られてますますエキセントリックになったように見えなくも無い。何しろ若くて無防備、自転車が欲しかったのにスポーツカーをプレゼントされ、走りながら運転を覚えたようなものだ。作品の世界と実生活を分けられるほど器用でもない。心の中の小さな願望が、文字にしたことで作家を支配し始めたようにも思うのだ。
 <それに200ページ足らずの小説が変えた人生を>一番危ぶんでいたのは、本人だったのだろう。まるで夢から覚めるのを恐れるかのように、地位や名誉お金と、手に入れたものを狂ったように浪費する。世間から見ると、取り巻きたちは彼女の富に群がったようなものだけれど、彼らだって知らず知らず嵐に巻き込まれて、狂乱の一時期を疾走させられたのかもしれない。

 <彼女は、「10歳に戻りたいわ。大人にはなりたくない」が口癖>だったと言う。恋をし、2度まで結婚し子供を産んでと、女として成熟の時もあったはずなのにそのイメージは無い。69歳で亡くなるその日まで少女のままだったように見える。持ち主の願望どおり、体や精神が年を重ねるのを躊躇していたようだ。
 <私たちはよく>、楽しかった昔を思い出して、あの頃に戻りたいと言う。大抵の人が、戻りたい時代に思春期や幼年期の、誰かに守られて無邪気に毎日を楽しめばよかった時代を上げるけれど、私は幼年期はともかく、思春期にだけは返りたくない。もちろん楽しいこともあったし可能性にも溢れていた。あの頃に返れたらもっと賢い選択をして、今よりもっといい人生をつかむことも出来るかもしれない。それでも嫌だ。取り扱い要注意のまるでガラス細工のような自我は、自分も回りも傷つける。些細なことに悩み、些細なことに傷ついたあの頃に返りたいとは思わない。少々の事はまあしょうがないかと諦める術を覚えた今がいい。

 <人は自分の一番輝いていた時を忘れられない>という。女性など、一生その時代の化粧法を続けるとも言われるほどだ。天才作家の不幸は、彼女が嫌がったとおり諦める術を覚えた大人にもなれず、10歳の少女にも返れず、彼女が輝いた、精神的には一番過酷な思春期を生き続けたからだと思う。何をしても消えない孤独は思春期特有のもの、私たち読者は自分が逃げ出したくせに、作家のそれに共感する。なんと残酷なことだろう。それが解りながら、サガンは自分の紡いだ世界に溺れ殉死したのだった。

sagan-s.jpg
(C) 2008 ALEXANDRE FILMS / E. George (C) 2008 ALEXANDRE FILMS / C. Schousboe

 <例え自分がファンでないとしても>、マイケル・ジャクソンとか、一時代を築いた有名人の死は、誰もに特別の思いを抱かせる。彼らが活躍した時代と我が身がシンクロして、時の流れを強烈に思い知らされるのだ。2004年にサガンが亡くなった時もそうだった。日本ではもう新聞にも小さくしか載らなかったけれど、なおさらに青春が遠ざかった事、時の流れを思ったものだ。

 <彼女が私たち世代の文学少女に与えた影響は>計り知れない。私と同じ年の文筆業の友人は、字面だったらサガンとも読めるようなペンネームを持っているほどで、多感な頃に読んだサガンの世界は強烈だった。
 <ハイソサエティーが舞台の小説世界は>日常からは遠いけれど、それを紡いだのが少女というのがみそで、作家と小説世界の両方に憧れを募らせた。先進国と日本の経済力の差は歴然としていたけれど、でもいつか手が届くかもしれない勢いもその頃の日本にはあったのだ。しかもまだフランスは遠く、情報だって少なかったはず。全てへの憧れを凝縮したフランソワーズ・サガンという名前の甘美な響きはたまらない。口にしたり映画のタイトルを読むだけで、彼女に憧れた日々がよみがえってくる。
 <そんな人には見逃せない作品だけれど>、元祖天才少女の破天荒な姿は、現代の若者たちにも響くと思う。覚悟せよ、個性派達!天才ならではの孤独な人生が待っている。まあ、ここまでのスケールで物事が押し寄せてくるなら、それも甘受したいけれど。(犬塚芳美)

  梅田ガーデンシネマ、シネリーブル神戸、京都シネマ等で上映中

夏の京都で、映画館と映画談議!

夏の京都で、映画館と映画談議!  
             
 祇園祭も真近、暑い夏の始まりです。
でも、(こんな時期こそ映画館!)という貴方、京都で映画談議しませんか。
 お話頂くのは、京都新聞でマキノ省三物語「オイッチニーのサン」を連載され、「京都 魅惑の町名―由来と謎をたずね歩く」という近著もある、映画通で有名な高野澄先生。そして今や生き字引のような存在、京都の映画産業の全盛期に、千本通を中心に映画館の看板絵を描き続けた竹尾昌典さん。そんな歴史の詰まった街に触発されて制作中の、柴田剛監督『堀川中立売』は若い息吹です。
 サプライズゲストも有り? 映画館と映画の好きな人、サカタニに集まれ!

 
“「オイッチニーのサン」で始まりま~す ” 
プログラム: 1.竹尾昌典さんの映画館の看板絵、スライドショー
         2.ただ今編集中、映画『堀川中立売』
         3.高野澄先生に伺う映画や京都のお話

日時: 7月12日(日)4時~5時半。(無料。先着60名まで)
              その後、飛び入り歓迎の懇親会(実費)があります。
会場: 集酉楽(syu-yu-raku) サカタニ(075-561-7974) http://www.sosake.jp/
アクセスと地図: 京阪七条より徒歩東1分。市バス七条京阪駅(206/208/100楽バス)
集酉楽地図
                          
主催: “映画館に行こう!”本制作委員会(T&F 075-721-1061)

hon.jpg

  「CINEMA,CINEMA,CINEMA 映画館に行こう!関西映画館情報」
          会場には執筆の面々集合。お会いしましょう!
          本の異論反論オブジェクト受け付けます。

※ご予約は、この記事へのコメントの書き込み(シークレット機能付)、
    あるいは(T&F 075-721-1061)、サカタニ(T 075-561-7974)まで。

映写室 新NO.6「MW―ムウ―」&「ディア・ドクター」

映写室 新NO.6「MW―ムウ―」&「ディア・ドクター」   
 ―止まらない邦画の快進撃― 

 日常を切り取り、揺れ動く心情をドキュメンタリータッチで描く分野で、邦画は世界でも他の追随を許さない領域に達していますが、このところ予算的に到底敵わない大スペクタクルでも、テンポの良い演出でハリウッド作品とは違った広がりを見せています。先週に続いて今週も、そんな全く違うタイプの邦画2本を紹介しましょう。どちらもミステリーで、「MW―ムウ―」は今年生誕80周年にあたる手塚治虫の原作を映画化したもの。「ディア・ドクター」は、「ゆれる」の西川美和のオリジナル脚本で、山間の村の医師の失踪で始まる物語。どちらも善だとか悪だとか、単純には割り切れない人間の2面性をあぶり出します。

1.「MW―ムウ―」 
 冒頭の軍隊を総動員したというダイナミックなカーチェイスが圧巻で、始まりはタイで起こった誘拐事件だった。被害者を追うと日本でのもう一つの殺人事件に結びつく。犠牲者は全員が同じ島の出身で、しかも皆、望月という国会議員の後援会員だった。この一致は何?と探り始めた新聞記者は、事故死した先輩記者がこの島の特集をしていたことに突き当たる。

mw-m.jpg
C) 2009 MW PRODUCTION COMMITTEE

 <こうして事件のキーワードが>沖之真船島だと解るのだけれど、先輩の死の背後にある闇の大きさを察したこの記者の戦慄が伝わってくるようだ。
 <明晰な頭脳で次々と復讐を企む結城に扮する玉木宏>、先週紹介した『真夏のオリオン』では、一人の命も粗末に出来ない艦長を大きな瞳に愛を込めて演じたが、今回は同じ瞳に冷酷な光だけを込めて演じる。見せない感情を探って仮面を剥いでみたくなるのは、あまりにも人間離れしているから。遠くを見つめる瞳が現実の何をも映していない。まるで空(くう)で、何かに心と体を犯されたサイボーグのようだ。そうは言っても伝わってくる感情、玉木が表現するのはいわばサイボーグの感情で、動かさないことで伝える感情の冷たさが見所だと思う。
 <一方牧師の賀来は>、結城の狂気を恐れながらも止める事も出来ず、自分の運命までも翻弄されてますます祈りに逃げ込む。原作では二人の間に肉体関係があってもっと複雑なドラマが展開するけれど、映画ではそこまでは踏み込まない。同じ苦しみを背負った者同士、離れられない一卵性双生児のような運命なのだろう。精神的な結びつきに焦点を絞った映画版のほうが、二人の過去が重くなるかも。賀来は何を祈っていたのか、山田孝之が内省的な青年の苦悩を瞳だけで表現する。玉木と対照的に、相手を思いつめたように見つめる瞳が印象的だ。結城の狂気は賀来の救いで、賀来の慈愛もまた結城の救い。まるで合わせ鏡のようにお互いの隠した感情を表現し合う二人。惹かれながら反発しあう様に悲しみがあって、役柄だけでなく役者としても相性が良いのだろう。

 <ところで、松本サリン事件から今年で15年> 家族が被害者になりながら犯人扱いされた、河野さんの無念さはどれほどのものだろう。どんどん過熱する報道の後、証拠不十分で釈放されても世間一般の疑いは消えなかった。それは地下鉄サリン事件でオウムの犯行が解るまで続いたけれど、私は河野さんを疑った事などない。実は政府を疑っていて、自衛隊とは思わなかったけれど、米軍の駐屯地での毒ガス実験ではと、とんでもない事を想像していた。生成の化学反応式が流失しても真似た事件が起きなかったように、サリンなんて簡単に出来るものではない。特殊な装置と神様が特別な人にだけ与える才能が必要なのだ。そう考えたら発生源は自然に狭まってくる。
 <あの事件はオウムだったけれど>、私と同じ様な事をもっと真剣に想像した人がいたと思う。化学のプロだったらなおさらだ。そんな事件が起こった時、事件は表に出るのだろうか。政府や米軍を信じても良いのだろうか? 手塚治虫の「MW―ムウ―」は松本サリン事件の20年近く前に作られている。真相を追うミステリーだけれど、結城と賀来の二人、いやもっと広く人間とは?の答えを追い求めるミステリーでもあるのだ。

 7月4日より全国でロードショー

2.ディア・ドクター
dear doctor
(C) 2009『Dear Doctor』製作委員会

 棚田の美しい山間の小さな村を舞台に、脱ぎ捨てられた白衣の主、笑福亭鶴瓶が扮する医師の伊野を探って物語は始まる。彼は何故失踪したのか? 研修医の相馬、余貴美子が扮するベテラン看護婦の大竹、八千草薫扮する1人暮らしの老婦人等の証言から浮かび上がる伊野は、誰もに慕われ、強かでもありと人間らしい姿。でも彼の過去は誰も知らない。

 <こうして徐々に彼が偽医者なのが解ってくるが>、観ているほうは逆に、彼の周りのどの辺りがそれに気付いていたのか、解らなくなる。多くの事が観客に委ねられている。怪しいと言えば皆怪しい。村長だって最初はともかく、最後のほうは思い込みだけかどうか。緊急患者の処置での対応、看護婦はどうだったのだろう? 新米医師等にベテランの看護婦さんがさり気無く手助けするのはよく聞く話だけれど、彼女の場合一家の生活がかかっている。善意だけではないのかもしれない。余貴美子の意味ありげな目配せや一つ一つのセリフに、図太さや母親としての凄みを感じた。
 伊野医師は小さな嘘を転がし続けた男。好運なその場しのぎが成功し続け、皆の期待に合わせるようにずるずると医師を続けただけなのだろう。引き返したくても引き返せない。ここまで続けたのも、自分が首を突っ込んでしまったことへの、彼なりの責任感かもとも思う。

 <後姿に風情があって>、寝巻きのシーンなどセリフ以上に物語をつむぐ八千草薫、いつも素敵だけれど、この映画での八千草薫はいっそう輝いている。もしも自分が不治の病にかかったらどんな終末期を送りたいか。彼女の体全体が問いかけてくるのだ。それが自分ではなくて家族だったらどんな風に見送りたいか。今度は娘が考え込む。
 田舎の嫌らしさ、暮しにくさをリアルに描いてなんだか辛い。辛らつな目だけれど、最後に付け加えたと言うラストシーン、その向こうには優しさがあるのが西川美和だ。(犬塚芳美)

  梅田ガーデンシネマ、京都シネマ等全国で上映中

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。