太秦からの映画便り

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映写室 新NO.14女の子ものがたり

映写室 新NO.14女の子ものがたり   
 ―旅立ちの時を振り返る―

 <夏の終わりが見え始めた> 季節の移ろいに人生を重ねて、1年のうちでも一番メランコリックになる頃だ。こんな時は昔を思い出す。元気一杯で、夏の太陽のようにぎらぎらしていた思春期。それは故郷の情景や幼なじみの思い出とも重なる。あの原風景がある限り、又明日から頑張れそうな気がするものだ。
 <この作品の主人公も>、故郷に帰って元気を取り戻す。元気をくれたのは、精一杯に生きていたあの頃の自分や友達、そして今も変わらない山や海だ。私のそんな場所は何処だろうと、思わず心の中を覗いてしまう。友達だけれどライバル、ライバルだけれど友達。複雑な女性心理を描いて、まさに「女の子ものがたり」。誰もの中の少女性を擽る作品です。

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(C) 2009西原理恵子・小学館 / 「女の子ものがたり」製作委員会

 <36歳独身の菜都美は>スランプ気味の漫画家だ。散らかった部屋で寝そべっていると、12歳の頃の自分や友達が夢に出てくる。海と山のある小さな町で「お前はなんか違う。人と違う人生が送れるぞ」と繰り返した義父。編集者に「先生、友達いないでしょう?」と言われて、ふらりと故郷への旅に出る。そこには思い出の絵が…。

 <家が貧しくても皆に嫌われても>、3人でいれば楽しかった日々。青田の中の3人の少女の弾ける笑顔が眩しい。友達がいるのに親友を探して海へ流す瓶の手紙、デパートへの冒険、友達を巡る学校での諍いや放課後の遊びと、どれもリアリティがあって懐かしかった。
 <今の菜都美を深津絵里>、子供時代を実写版「ちびまる子ちゃん」で主役を演じた森迫永依、高校時代は大後寿々花と、年代別に3人の実力派が演じ分けている。最初の2人のどちらもに未来の大物感が漂い、配役が巧みだ。控えめながら秘めた意志を感じさせて、後を受け継いだ深津絵里がその余勢も借り、肩の力を抜いて心地良さそうに演じているのも、物語に当てはまる。

 <原作は「いけちゃんとぼく」とか>このところ映像化が続く、西原理恵子の自伝的漫画。人生の過剰さと痛い心情を笑いに変える直前で踏みとどまり、痛いままでリアルに描く作家の誕生秘話が興味深い。
 <自分を突き放したようなシニカルなあの視点は>、何時出来たのか? 選んだ友達は、向こうから近づいてくる裕福な少女ではなく、家庭的に恵まれず外見を取り繕ったりしない、いや取り繕いようもないような破綻した家庭で、ひりひりした心を抱えてそれでも逞しく生きる本音の人だ。良い人と悪い人がいるように、運の良い人と悪い人がいる。不器用で、ついつい入らなくてもいい溝に落ちてしまう不運を、情けなさで怒りながらも、見放せない優しさがあるのだと思う。もしかしたら自分は何とか落ちないで生きているから、無防備に落ちる人が自分たちの不運まで引き受けてくれているようで、余計に愛しいのかもしれない。思春期に出会った、何も悪くはないのに人生に躓いてしまう友達2人と義父へのシンパシーが、西原の独特の視点を作るのに大きく加担したようだ。

 <やくざな男と結婚して、人生の見通しも立たないうちから>子供を生み、世間の基準では惨めな人生に満足する友達。事業に失敗し田舎に引きこもったものの、やっぱり蒸発してしまう義父。自分たちは躓いているからこそ、田舎で燻ぶっているからこそ、ここを出て外へ行けと背中を押す彼ら。それも優しくではない。「お前の顔なんか見たくない。町を出て行け、帰ってくるな」と激しい口調で追い立てる。 
 <可能性のある友達を送り出そうと思う>気持ちもあるけれど、それだけではなく、彼女の批判的な視点が痛かったのも大きい。惨めさは自分でも解っていることなのだ。でも、自分にはそんな人生しか選べない。それで納得しているのを不幸だなんて思わないで欲しい。…と言う友人たちの苛立ちも解る。思春期は大人へと続く道。ここからはそれぞれの線路は離れて行くだけ、近くにいたら3人の友情は消えていたと思う。

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(C) 2009西原理恵子・小学館 / 「女の子ものがたり」製作委員会

 <人生には別れの時がある> 西原を作家にしたのは、才能だけでなく義父や友人との苦味を伴う別れでもあったようだ。思春期に彼らと共に見聞きした、単純な夢や取り繕うことの虚しさを誰よりも心に刻んだ、だからこその孤独を抱える作家だと思う。デフォルメした画の優しさと相反するようなテーマの暴力性は、まるで甘くなりがちな自分の中の少女性を恥じているみたい。どうして甘さを恥じるのだろう? 甘さに虚飾を感じるのだろうか? …と、サイバラファンの私はどうしても映画をディープに見てしまう。そんな作家の少女時代が、苦味を伴って浮かび上がり、自分のその頃と重ねていた。

 <ところで、田舎に描き残した設定の>象徴的な絵が出てくる。もちろん描いたのは原作者の西原で、少女がずっと続く道の前で、歩き出しかねて心細そうに今の場所を振り返っている構図だ。道の向こうは地球の果てまで続いている。未来が見えたのだ。こんな風に人生には、心細くても前に踏出さないといけない時がある。故郷の良さは、そんな時にいつでも帰っておいでと迎えてくれる大らかさ。都会で消耗の激しい流通の中で頑張るサイバラが、多分時々思い出す情景だと思う。心の中に仕舞った自分の原点を愛と感謝を込めて差し出した作品だ。

 <余談だけれど、ロケ地は四国愛媛県> スクリーンにも漂っている爽やかさやぬるさ等、この地の空気を知る筆者には、余計に作品の世界感が迫ってくる。最後に流れる持田香織のボーカルが又良いのだ。物語の世界を歌が更に広げて行き、彼女の声はまさに女の子の声だと、テーマとの一貫性に思い至った。(犬塚芳美)
 この作品は、8月29日(土)よりシネ・リーブル梅田、なんばパークスシネマ、
               京都シネマ、シネ・リーブル神戸等で上映


  関連イベント、タイアップ多数あり:詳細は公式サイトで
      http://onnanoko-story.jp/index.html 
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映写室 「サマーウォ-ズ」細田守監督ティーチインレポート

映写室 「サマーウォ-ズ」細田守監督ティーチインレポート     
―主人公は大人しいのに頑張るキャラクター― 

 公開から4週目に突入した「サマーウォ-ズ」の勢いが止まりません。細田守監督による、満員御礼の舞台挨拶とティーチインが、関西でも22日にありました。以下は「又大阪に来れました」と言う監督の挨拶で始まったそのポートです。
 <アニメといっても子供は少なく>、会場は若い男女で一杯。私も何度も見たいけれど、「2回目の人は?」という司会者の問いに半数近くが手を挙げる。3回目、4回目の人も多く、最多は12回目の人だった。しかも会場のこの熱さ。「時をかける少女」等、監督の以前からのファンも多く、「2回目の今日は富山から来たけれど、3回目は地元で家族と一緒に見ます」という方とか、監督に会いたくて遠くから駆けつけた人もいる。「質問は?」の声に、勢いの良い若い手がたくさん上がった。そんな客席の様子に嬉しそうな細田監督、まるで皆のお兄さんのようで和やかなティーチインが時間一杯続く。

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会場:この作品は、韓国、ロカルノと世界を回っていますが各国の反応の違いは?
監督:これは日本の家族の物語ですが、反応は日本も外国も変りません。どこでも楽しんでもらえました。日本以外でも僕の新作を待っていて下さって、有り難いなと思います。
会場:色々な人が出ますが、監督が一番好きなキャラクターは?
監督:この作品は登場人物全てが主人公で、場面場面でそれぞれが活躍する。作っていると皆好きになります。ただ強いて言うなら、編集している時、健二がよく頑張っているなと思いました。たった一人で他人の家に入っていき、お祖母ちゃんが亡くなった後など、手を挙げて発言したりするんです。自分で設定したシーンながら、僕なら出来ないなあと感心しました。彼は一見普通そうなのに、お祖母ちゃんから託された後は、託されたものとして行動するようになる。しなやかで健気なんですよ。

会場:監督のデジモンの頃からのファンです。流れが続いているように思うのですが。
監督:10年前の東映アニメーションにいた頃、朝のアニメ番組をやっていたので、小学生の頃見ていたという方が多いんです。僕は演出家になって12年で、今は東映を止めてフリーになっているけれど、東映で勉強したことがこの作品にも入っています。羨ましい事に今映画を教える学校が多いけれど、僕らの頃はなくて、仕事の中で勉強していました。作る機会を与えられて作りながら勉強していたんですね。仕事を始めて3年後の1999年、短編を任されて、どうやって映画を作れば良いのか解らないなりに模索しながら作っていたんです。当時、「東映漫画祭りを馬鹿にしちゃあいかんよ」とプロデューサーに言われて、20分が作れたら次は40分、それが作れたら次は60分。60分が作れたら今度は長編が作れるようになると教えられました。そんな風にして積み上げてきた成果が、この作品にも現れているかもしれません。

会場:「時をかける少女」とほとんど同じスタッフですが。
監督:脚本家の奥寺佐渡子さん、キャラクターデザインの貞本義行さん、作画の青山さんとかプロデューサーが一緒ですね。映画作りは想像以上に大変なんです。新しいメンバーだと組み合わせ方が難しいし、作品の議論以前に意思疎通までに時間がかかる。同じメンバーで作るのは、気心が知れているのでそこら辺りが簡単で、より高いレベルを目指せるからだと思います。エネルギーを余計なことに使わず作品に集中して、作品の正解に早くたどり着けますから。実は「時をかける少女」の時は、この作品なら脚本は奥寺さんが良いだろう、キャラクターデザインは貞本さんに御願いしたいとか、作品に合わせてスタッフを選んだけれど、今回はどんな作品を作るかも決ってない時から、「時をかける少女」を作り終えた時点で、次もよろしくとお願いしていました。皆さんもまた一緒に仕事をしようと思ってくださったわけで、前作で良い関係性が出来ていた事になります。

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会場:「時をかける少女」も夏がテーマでしたが、今回も夏の物語です。監督は何故夏をテーマにされるんですか?
監督:主人公が成長していく物語の場合、一番似合うのが夏だろうと思うんです。思春期の人には夏がぴったりする。特にこの作品についての理由は、一番家族の事や親戚のことを考えるのがお盆、夏というのがあって。日本の夏には戦争が終わったイメージもあります。題名にも入れているように、この作品は夏でないと成り立たない物語になりました。
会場:どうして田舎とインターネットなんですか?
監督:企画の段階ではどうしても面白さを追及します。仕事でよく使うインターネットの世界と最も遠い所は何処だろうと考えたら親戚だった。デジタルと親戚と言う一見結びつかないものが結びつく過程が物語になると思ったんです。僕の中ではピーンと来て、直感で2つを結び付けられる自信がありました。

会場:完成までにどれくらい失敗しましたか。(小5の男子生徒)
監督:失敗は数限りなくしています。まず文字の段階の脚本で8回書き直している。作品が全部出来上がるまでに3年かかっているんですから。3年と言ったらヒロイン夏希の声優の桜庭さんに驚かれたけれど、子供にとっては長くても、大人になると3年はあっという間なんです。ただ、経験上からも失敗があったほうが良いものが出来る気がします。この作品も失敗とそれの克服の積み重ねで完成しました。
会場:仮想と現実のどちらも綺麗でしたが、監督としてぜひこれは見て欲しいと言うシーンは?
監督:全てを観て欲しいですね。所でカズマは好きですか?片目を隠して一見女の子のように見えるけれどもちろん男の子で、モデルは「ゲゲゲの鬼太郎」です。普通のアニメはカズマ的な主人公が活躍するんだけれど、この作品の主人公は健二です。彼は一見大人しいけれど、ピンでの活躍以外でもいろいろな場面で活躍しています。家族を引っ張って盛り上げている。彼がいなければこの家族の団結はなかったでしょう。健二がお祖母ちゃんに後を託されて、考えて行動していく。見込まれた人が見込まれたことで成長して、自分の力を発揮するのを観て欲しいと思います。夏希に手を握られてぼーっとしてるシーンがあるけれど、健二は目の前の夏希を見てぼーっとしてるんじゃあなく、彼女を自分に託したお祖母ちゃんを思い出しているんだと思うんです。

 <オリジナル脚本で思春期の物語を>2本続けたように、細田守監督は成長していく少年少女がお好きなようだ。若い観客の質問に丁寧に答えて、この作品への思い入れの深さを思わせた。この作品、アナログな手描きとデジタルを上手く組み合わせて、ジプリ作品とも違う独特の世界観を出している。最初は物語を追ったけれど、そんな手法をじっくりも見てみたい。12回は無理でも私も何度も見ることになりそうだ。(犬塚芳美)

映写室 「台湾人生」酒井充子監督インタビュー(後編)

映写室 「台湾人生」酒井充子監督インタビュー(後編) 
   ―日本兵として戦った日々が、日本政府に認められない―

<昨日の続き>
―色々複雑な感情を聞きだしていますが。
酒井:ええ、日本人の私が日本語で尋ねたからこそ、ここまで話して下さったのかも知れません。日本に言いたいことがあるというか、誰もが多くの思いを持ってらっしゃるのもあるでしょう。自分たちはもう長くないと思っているので、何らかの形で残しておきたいというのもあれば、長い間話せない時代があったので、やっと話せるというのもあったと思います。これが完成して台北で試写をした時に、見て下さった方が、日本人どころか台湾の若い世代も知らない事が多い、ぜひ台湾の若い人に見せて欲しいと言っていました。そう言われてみると、今回は台湾のお爺ちゃんお婆ちゃんの話を聞いたけれど、私も自分の祖母や祖父の話を聞いたことがない。この映画を若い人が観て下さったら、今度はぜひ、自分の御祖父ちゃん御祖母ちゃんの話を聞いてあげてほしいと思います。
―どこも世代間ギャップが大きいんですよね。
酒井:そうなんです。特に台湾では戦後日本時代が否定された。日本時代は悪かったと学校で教わり、自宅に帰るとアメリカ志向の親がいてそれを否定しない。御祖父ちゃん御祖母ちゃんの出る幕がなかったんですね。教科書が民主的になったのも90年代になってからなので、余計に世代間が断絶しているんです。

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(C) 台湾人生 2009

―全部で何人の方に会われましたか。
酒井:話を聞いたのは50人くらいです。特に長く話を聞いたのがこの5人で、私がもっと話を聞きたい、もっと会いたいと思ったのがこの方たちでした。全部で100時間くらい回しているので、編集で縮めるのは大変。身を切られるような様な思いですね。最終的には、この人が一番伝えたいことは何か?というのを大切にして、それに集中して編集しました。
―台湾原住民とか日本軍従軍者とか、台湾社会を象徴するような色々な方がバランスよく入っていますが。
酒井:台湾に詳しい方にはよくそう言われるんですが、特にバランスを取ったわけではないんです。たまたまこうなったと。最後にお会いしたのがお茶畑のヤンさんなんですが、ヤンさんに会った時、(これでこの映画を作れる。何とか形に出来る)と確信しました。と言うのも、ヤンさんは時代にかかわらずいつも働いていて、台湾の大地のような方なんです。彼女を主軸にしたら、他の方それぞれの人生も浮かび上がるはずだと思いました。実は他の方は今まで比較的日本語を話す環境にいるので、流暢だったのですが、彼女は最初上手く話せなかった。ほとんど単語だけで話していたのが、私と話しているうちにだんだん思い出して、日本語が上手くなっていくんです。それが如実でした。今回の取材は、問いただすことはせず、聞かせてくださいと言うスタンスで、話してくださるのをじっと待っています。ご高齢と言うこともありゆったりした時間でした。

―皆さん日本語時代を懐かしみ好意的ですよね。日本統治は本当に良い事をしたのか、それとも教育による刷り込みでしょうか。
酒井:そこら辺りが解りません。ただ私は、どうであれ日本の統治は悪いと思いますが、国レベルでは不幸な歴史があったにも拘らず、未だに恩師のお墓参りをする人がいるとか、人々の間には心の繋がりがあったのが素晴らしいと思うのです。単純に日本時代が良かったという事ではなく、日本語教育を受けた統治下、蒋介石の時代を生き抜かれた人たちが、今も健在だと言う事を知らせたくて。彼らが言いたいのは、お金をくれでも昔の事を謝れでも無い。そんな自分たちに対して、今日本がどう向き合ってくれるかと言う事だと思います。戦後日本は台湾を無視し続けました。あんな風に流暢な日本語を話す人々が健在なように、日本統治は過去の事ではなく今に続いているんだと忘れないで欲しいのです。

―同じ様に日本の軍国主義の被害を受けながら、韓国や中国とは国民感情が違うのですね。
酒井:台湾の寛容さとか他の要素ももちろんあるでしょうが、台湾と言う国の辿ってきた歴史が対日感情を良くしていると、今回取材をして思いました。もちろん日本も、欧米への対抗上手厚いことをしましたが、日本の統治時代の方が蒋介石の統治よりましだったと、よく言われます。それと、台湾は九州と同じ位の大きさなのに、共通の言語を持っていないところでした。清の統治下まで国と言う概念のないところに、日本語という共通言語を持って、日本が入っていったんです。反日感情もありましたが、裏返しの民族意識、台湾人としての自覚が生まれたのがこの頃でした。そうするうちに大陸から蒋介石が入ってきて、またしても傀儡政権が置かれます。こんな具合に、結局台湾人の国が持てなかったんですね。しかも蒋介石が随分酷いことをしたので、反動で親日的になったのもあるでしょう。「犬が去って豚が来た」と台湾で言います。犬が日本で豚は中国なんですが、日本人は煩かったけれどちゃんとしていれば何もしなかった。豚は手当たりしだいに辺りの物を食い荒らかしたから、まだ日本のほうが良かったと言います。

―撮っている間にこんな事がと思われた事は?
酒井:元日本兵の方、ショウさんの日本政府への怒りですね。それまでは一切触れなかったのに、最後の最後に出ました。彼は二二八事件で拷問を受けていますし、白色テロでは弟も亡くしています。そんな過酷な運命を生きながら、日本兵として戦争に行ったことを誇りにしている方でもあり、まさかあんな話が出てくるとは思わなくて驚きました。が、(一番言いたかったのはこれだったのか!やっと出たか!)とも思いました。ショウさんはお金とか保証とかそんなことは言っていない。日本兵として何年間も戦場にいた事を認めて欲しい。政府の公式見解として、そんな自分たちに感謝の言葉がほしいと、それだけが望みなんです。実はショウさんは知る人ぞ知る有名人で、台湾に興味を持っている台湾好きの日本人ならたいてい知っているような方です。ボランティアの解説も、教育勅語のコピーを持っていて、自分はこういう教育を受けたと説明するところから入っていくような人なので、彼がそんなことを言うとは誰も思ってもみなかったはず。積年の秘めた思いでもあり、カメラがあったからこそ言った言葉かもしれません。

―そんな事とか何も知らなくて、自分の国の残酷さがショックでした。
酒井:本当に冷たい国ですよね。日本人として戦争に行きながら、台湾の方は軍人恩給をもらっていません。80年代に元日本兵が訴訟を起こしていますが、駄目でした。日本政府は、サンフランシスコ条約の戸籍条項により、今は日本人じゃあないんだから、かって日本人だったとかは関係ないというスタンスを取っているんです。皆の思いは単純な事で、日本人として戦った自分たちに感謝の言葉が欲しいと言うことなんですが。
―本当に申し訳ないです。心が痛みます。ところで監督は、文字から映像へと表現方法を変えました。違いはいかがですか。
酒井:取材をするという意味では記者だった頃と同じです。記事を書くのは編集と一緒ですね。ただ横にいるカメラと一緒に取材すると言うのに無自覚で、まだ慣れていません。
―今回、(カメラマンの手で)自分の目を超えたものが映っていると思われたことがありますか。
酒井:カメラマンは同じ年齢ですから気が合うし、しかも私よりずっとキャリアが長い、信頼できます。時々「こんなんでどう?」とか聞かれてファインダーを覗かせてもらったりと、助け合いながら共同作業で進めました。編集で冒頭が決まらず最後になったんですが、どういうシーンから入ろうかと随分悩んだんです。そうしたら、こういうのもあるよと、今回使っている茶畑とか山のもやのシーンを見せられて、えっ、こういうのもあったんだと驚きました。私では気付かなかった視点です。

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―今まで取材する側だったのが今回取材される側に回っていかがですか。
酒井:自分で話している間にだんだん頭の中が纏まってくるのが解りました。
―そうして纏まった観客へのメッセージを最後にお願いいたします。
酒井:台湾の若い世代は日本が大好き。テレビでよく流れる、「可愛い」とか、「おいしい」とかは普通に使われますし、嵐とかのアイドルのファンも多いです。そんな親日的な国が、何時までも親日的でいてくれるとは限らない。かって日本の統治下にあった事、日本語教育を受けた人たちがその後の過酷な運命を潜り抜けて今も生きている事を知って、今日本がどんな風にこの国に向き合えるかを考えて欲しいのです。何より、私の大好きな台湾を知って欲しいと思い、このドキュメンタリーを作りました。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 スクリーンの中には、流暢な日本語、古風な考え方、日本の唱歌を歌う楽しそうな人々。多感な頃に刷り込まれた日本語教育の威力を感じます。それと共に、インタビューやこの原稿を書く過程で、あまりにも自分が台湾について知らない事にも驚きました。又台湾人の寛容さにも頭が下がります。監督に感化されて、台湾が大切にしたい大好きな国の一つになりました。


この作品は、8月22日(土)から第七藝術劇場で上映、
       (舞台挨拶があるので、時間等は直接劇場まで。06-6302-2073)
      その後京都シネマ、神戸アートビレッジセンターで上映予定

映写室 「台湾人生」酒井充子監督インタビュー(前編)

映写室 「台湾人生」酒井充子監督インタビュー(前編)   
 ―今も健在な台湾の日本語世代―

 <韓国や中国と比べて格段に親日的な近国>が台湾だ。日本語の離せる年配者も多い。でもそのわりには、私たちは台湾を知らない。政治に翻弄されて、オリンピックや国連とか世界規模のことになると、中国本土との兼ね合いで複雑な対応になるから余計に混乱する。「昔、台湾は日本だった」…と言う事すら知らない世代が増えた。蒋介石時代には長い間戒厳令が敷かれ、自由な発言の出来なかった国でもあります。
 <そんな風にあやふやな私たちに>、台湾のことを伝えようと、台湾が大好きな一人の女性が、“かって日本人だった人たち”を訪ねて、統治時代とその後の複雑な思いを聞き出しました。最後の最後に搾り出すように訴えた、心情の重さが胸に迫る作品です。2本続いた戦争ドキュメンタリーの番外編と言えるかも知れません。6年にわたる取材をまとめた酒井充子監督に伺いましょう。

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(8月3日 大阪にて)

《その前に台湾の簡単な年譜と日本との歴史》
<台湾統治の年譜>
  1624~1662年:オランダ植民統治時代
  1662~1683年:鄭氏政権時代
  1683~1895年:清朝統治時代
  1895~1945年:日本統治時代
  1945~1996年:中華民国統治時代
  1996~現在:台湾総統選挙時代

<日本との歴史>
 〈1895~1945年の日本統治下の51年間〉、欧米への対抗心もあり、日本政府はインフラ整備や治安維持、教育の普及に力を注いだ。また同和政策により、台湾での学校教育が日本語で行われた為、この時代に学校教育を受けた世代は日本語が話せる。いわゆる「日本語世代」と呼ばれる人々だ。このドキュメンタリーの登場者はその最末期に多感な頃を送った人々で、第2次大戦を日本人として生き、戦況が厳しくなると米軍の空爆をうけ、日本兵として従軍した人もいる。
 〈敗戦後日本が撤退すると〉、今度は大陸から来た蒋介石の中国国民党が統治。激しい台湾人弾圧が行われた。台湾語、日本語の使用が禁じられた為、「日本語世代」は長い間口を閉ざさざるをえなくなる。1952年、「サンフランシスコ講和条約」締結で、日本は台湾における一切の権利を放棄するが、その帰属は明記されなかった。1971年には国際連盟で「中国」の代表権を喪失し、脱退。1972年の日中友好条約で日台の国交は断絶したが、民間レベルの交流は今なお強固に続いている。それを支えているのが「日本語世代」だ。

《酒井充子監督インタビュー》
―経歴を拝見しますと、最初は民間企業の営業マンで、その後新聞記者、そして映画監督とふり幅の大きい転職ですが。
酒井充子監督(以下敬称略):元々大学を卒業する時は新聞記者になりたかったんです。サッカーが好きなので記者になってスポーツを担当したかった。で、就職試験でスポーツ新聞を受けたんですが、役員面接で「駅売りのエロ記事とかは嫌だ」と言ったら、「そんなことを言っているようではウチは無理です」と言われてあえなく頓挫です。だから、新聞社への転職は自然でした。
―でも新聞記者志望でエンジニアリング会社の営業と言うのは…。
酒井:そこの会社はアジアを中心に展開していたんです。当時アジアに興味があったので入りました。

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(C) 台湾人生 2009

―アジアに興味をもたれたのは?
酒井:初めて外国旅行に行ったのがイギリスで、友達が留学していて遊びに行ったんです。向こうの人に「何処から来たの?」と聞かれて、「日本」と言ったら、「ああ、あの皆が同じ服を着て自転車に乗っている国ね」と言われた。中国と一緒になっているんだけれど、(イギリスの田舎では中国も日本も一緒なんだなあ。自分はアジア人だなあ)と思って、それからアジアに興味を持ち始めました。アジアの中でも特に台湾に興味を持ったのは、台湾のツァイ・ミンリャン監督の「愛情萬歳」を見た時で、映画の舞台に立ってみたくて、キー・フンと言う町に行くんですね。小さい町を半日掛かって回って、バス停で帰りのバスを待っていたら、私が日本人だと解ったらしく、近くの家からおじいちゃんが出てきて、「日本からお越しですか」と流暢な日本語で話しかけてきました。「昔、公学校(台湾人の為の小学校」へ通った頃、凄く可愛がってくれた先生がいる。戦後引き上げられて住所が解らなくなったけれど、僕は今でも先生に会いたいんです」と一気に話された。今だったらバスを何本乗り過ごしてでも聞くんだけど、その時はなぜか立ち話で終わって、そのままバスが来て帰ってしまったんです。後でそれを後悔して、(どうしてその先生のお名前とか聞かなかったんだろう。日本で探してあげられたかも知れない)と悔やまれました。それと共に、あんな風に流暢に日本語を話す方がいると言うのと、53年も経った今でも昔の先生に会いたいという人がいるような台湾ってどんな国だろうと思い、帰国後に台湾に関する本を読み始めるんです。でも周りの皆も、統治下だった台湾についてや、日本語世代についてよく解らない。日本人は台湾についてもっと知るべきだと思って、現役の記者だったので、そんな事とかを文字で纏められたらいいなあと思いました。一方、当時は函館にいて、函館は映画祭がありますし映画のロケも多い。仕事で映画を作る人たちに沢山会いました。元々映画ファンだったけれど、新聞記者として映画関係者に取材するうちに、映画を作ることに興味を持ち始めるんです。台湾に興味を持った時期と映画つくりに興味を持った時期が重なって、台湾の映画を作ろうと思って退職しました。

―「かもめ食堂」の荻上直子監督とか、その後の映画制作や宣伝の仕事は、函館時代の繋がりですか。
酒井:いえ、映画に関わっていくのは東京に帰ってからです。新聞社は、何の展望もなく、ただ「映画が作りたい」と言う思いだけで辞めました。東京に帰ってから、たまたま知り合いがいて紹介してもらったりと、映画の世界に繋がりが出来ます。映画を作りたいとは言っても生活もしないといけない。その後は宣伝や制作の仕事をしながら、台湾に通い続けることになりました。実は、バス停で出会ったあのお爺ちゃんにもう一度会いたくて、キー・フンに行ったんです。でも、周辺をしらみつぶしに当っても解らなくて。
―お幾つ位の方だったんですか。
酒井:日本語の流暢さや声のはり等から、2000年当事で70代の前半だったと思います。あの後ご病気にでもなられたのかもしれません。で、仕方ないから、キー・フンの町をうろうろしていたら、小さな雑貨屋さんから日本の軍歌が聞こえてきた。ランニングシャツのお爺ちゃんが出て来たんで、「お好きですか」と尋ねると「軍歌を聞くとスカッとするからね」と言われる。当時は軍国少年だったんだなあと思いました。その他にも日本語を話す人に沢山出会って、この国は未だに日本の統治時代をしょっているなあと思って帰って来たんです。

―そんな事とかを、劇映画ではなく、ドキュメンタリーにしようと思ったのはどうしてですか。
酒井:実は最初は劇映画を作りたかったんです。台湾のお爺ちゃんと日本の青年が出会う物語が出来ないかと思って、最初は老人の人物背景の取材のつもりで行っていました。当時は日本や台湾の知り合いから紹介してもらったり、電車の中で日本語の解る人はいませんかと聞いたりして、取材相手を広げていました。そうしたら、その人が解らなくても、必ず回りに知り合いのお爺ちゃんやお婆ちゃんがいたりと繋がっていったんです。取材範囲が日本語繋がりで広がっていく感じでした。それをドキュメンタリーにしようと思ったのは、取材で、想像以上に貴重な話が出て知らない事を聞いたのと、あそこまで流暢な日本語を話し、独特のイントネーションを使う人たちを、演技的に再現するのは難しい。本人たちを映して、ダイレクトに伝えようと思ったんです。彼らの存在感、日本語を流暢に話す人たちが生きていることを、ちゃんと映して映像で伝えたいと思いました。

―新聞記者は伝えることが主眼です。映画となると表現したいとか描きたいもあると思いますが、酒井監督のこの映画のスタンスは?
酒井:伝えたいです。台湾をこう見て下さいより、台湾の日本語世代の話を聞いてどう考えますかと尋ねる映画にしたかった。私が驚いたり怒ったりした皆さんの話をそのまま伝えて、皆にも歴史を知って欲しい、考えて欲しいと思いました。(聞き手:犬塚芳美)
 <明日に続く>

 この作品は、8月22日(土)から第七藝術劇場で上映、
        (舞台挨拶があるので、日時、時間等は直接劇場まで。06-6302-2073)
        その後京都シネマ、神戸アートビレッジセンターで上映予定

映写室 新NO.13 ポー川のひかり

映写室 新NO.13 ポー川のひかり 
  ―エルマンノ・オルミ監督最後の劇映画―

 この満ち足りた思いは何なんだろう? 試写室を出る誰もが目を泳がせて、誰とも視線を合わせないのは、映画の余情の中で現実に戻りたくないのだ。この作品の何に感動したのか、言葉に出来る自信はない。監督のメッセージをきちんと受け取れたのかどうかも解らない。でも、映画が優れた文藝の世界だと言うことだけは実感させられた。スクリーンの中に広がる神秘、映画の世界感を少しでも深く受け止めたいなら、1人で静かに観ることをお勧めしたい。

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(C)COPYRIGHT 2006 cinema11undici-Rai Cinema

 <物語は全編寓話的だ> イタリアの名門大学の資料室で、大量の貴重な古文書が太い釘で打ち抜かれる。誰が何の為にこんな事を?と嘆く老司教。容疑者として浮かび上がったのは、若手の実力派哲学教授だった。その彼は大学を後にあてもなく車を走らせるが、途中で車や所持品のほとんどをポー川に投げ捨て自殺を装う。やがて川のほとりの朽ちた小屋に住み始めると、パン屋の女、川沿いを不法占拠して住む老人達は、男の風貌からキリストさんと呼び緩やかに関わっていく。でも港の計画でその平穏も揺らぎ・・・。

 <それにしても観客を引き込む冒頭部の上手さ> 歴史を感じさせる建物の中、古めかしい鍵を持った守衛が薄暗く狭い階段を上る間にも、緊張した彼のわずかな瞳の動きで、観客も緊張しつつ何かを予感する。そして開けた扉の向こうに驚愕する守衛。あまりの驚きように殺人事件に違いないと身構えると、やがて明らかになる、机や床を埋め尽くす釘で打ち付けられた分厚い古文書。緊張と肩透かし意外性と、アップダウンの激しい冒頭部で、守衛に導かれてこの作品の特異な世界に入っていた。

 <さあ、ここからは寓話的だけれど、>収集にかけた人生そのものを否定されたように嘆き悲しむ老司教の横で、捜査官が思わず漏らしたように、犯行現場ではあってもそれはあまりにも美しく、まるで前衛芸術家の作品の様でもある。一面に繰り広げられる書物の処刑だ。日本版なら、かって寺山修治が「書を捨てて街に出よう」と若者に呼びかけた世界だろうか。反体制的でもあり、雁字搦めの古い価値観からの脱却がその研究者の手で提案されると言うことになる。

 <しかも舞台は世界最古の大学で>、知識を象徴するようなボローニァ大学。バチカン市国を内蔵するイタリアの話でもあり、キリスト教が色濃く漂ってくるのだ。古文書はまるで貼り付けにされたようで、ここら当たりで十字架の上のキリストの贖罪を思い浮かべたりもする。知識、既存の宗教観、権威主義、貼り付けにされたのはそんな全てだ。

 <主人公の心の内が>登場する誰にとっても最後まで解らないように、観客にとっても彼の思い、つまりは監督の思いは最後まで謎に包まれている。主人公が人間を超えるところでもあると思う。解らないし謎に包まれてはいるけれど、背後に豊かな物語性を感じさせるから、誰もが自分の思いを重ねて想像を膨らませるしかない。結局観た人の数だけ物語がある事になる。無限に広がる観客の想像が作品の最後の仕上げと言う手法、それがこの作品の文学性だと思う。

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(C)COPYRIGHT 2006 cinema11undici-Rai Cinema


 <研究室の中ではなく>、か弱い民衆の中に戻ったキリスト、あるいはキリストになったキリストさん、解釈は色々だ。
 <それにしてもポー川は美しい> 豊かな水量、沿岸の緑、川風の爽やかさ、全てを飲み込み優しく抱いてくれるような気がする。こんな所で、それも気のあった集団で、人生の終盤を過ごせる幸せ。人生の終え方としてこれ以上のものがあるだろうか。身元がばれるのを覚悟で教授が守った彼らの暮らし、これこそが神の与えた恵みかもしれない。

 <キリストさんは去ったけれど>、ポー川は今もひかりを湛え傍らを流れている。母なる川、ポー川。誰かを癒し、誰かを育んでくれるのは、大いなる自然なのだ。辿り着くべきは、神の創りたもうた世界。自然に身を委ね、観念を捨てて感性のままに生きる時代がきたと静かに示すエルマンノ・オルミ監督。老境だからこそ辿り着いた監督の境地だと思う。
 こんな作品に出会うと、映画の無限の可能性を感じる。映画が心を揺さぶる瞬間を体感したいのなら、この作品を観れば良い。(犬塚芳美)

この作品は、梅田ガーデンシネマ8/22(土)から、京都シネマ8/29(土)から上映、
        シネ・リーブル神戸9/19(土)から上映予定

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「花と兵隊」(後編)

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「花と兵隊」(後編)  
 ―松林要樹監督インタビュー―

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(c)2009 Yojyu Matsubayashi

<昨日の続き>
―庭にある塔は、藤田さんが一人で遺骨を拾ってご自分で立てたものですよね。言葉が論理的でなくて、少し解り辛い。でも単語一つ一つを搾り出すように、痞えながらで、逆に迫力があります。すんなりとは話せない相当のことがあるのだろうとか、恐怖感が蘇るのだろうとか、たどたどしさの向こうを色々想像しました。ところで日本語の会話にも時々字幕が入っていますが。
松林:上手く音を拾えてなくて、どうしても駄目なものには入れました。ただ藤田さんの場合は聞き取りにくくてもそれが個性なので、よほどでないと入れていない。「鉄砲を撃ち合うだけが戦争じゃあない」と言って口籠った後は、実は僕は何度聞いても解らなかったんだけど、プロデューサーが「食いつき合うんだ」と言っているのに気付いた。だからそこには字幕を入れています。あの言葉が出たのは、何度か僕が挑発した後でした。今村監督の作品でも人肉食の事は出てくるので、聞きたいんだけれど聞きにくい。泊めてもらって一緒に飯を食ったりして、人間関係が出来た後はなおさらです。若造の僕が、地獄を経験をした人にどんな顔をして聞けば良いのかと迷い、このあたりで僕の姿も映し始めています。坂井さんの話では、皆栄養失調でかさかさなのに、肉を食った人はてかてかしている。そんな人を見ると「あいつは肉を食った。俺にも食わせろ」となって、最初は外人から、最後は日本人同士だったそうです。
―え? そうは言っても死んだ人の肉でしょう?
松林:いや、僕は生きている人と理解しました。

―えーっ! ああ、それならあのどもり方が理解できます。(生きる為なら仕方が無い。どうせ死んだ後なんだから、私だって喜んで食べられるのに)と、過剰に苦しむ事を不思議に思っていました。そこまでは想像できなくて。
松林:ええ。で、そのまま聞き続けると人肉食の映画になるので、それ以上は追求していません。他の方からもこの作品で使っている以上のことを聞きましたが、今はまだ公表できないですね。それにそのことは今村監督がもう撮っているので、僕は撮りたくなかった。ラストシーンを家族の物語にもって行きたいなと。この映画を見て、日本人でよかったと思えるラストにしたかったんですよ。ただ、その時僕は26歳、藤田さんが従軍したのは27歳です。時代が違っていたら僕も藤田さんになっていたのかもしれません。そう考えると、これは20代の映画と言う事になる。ここに描いたのは、20代の人が国の為に戦わないといけなかった物語なのです。

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(c)2009 Yojyu Matsubayashi

―そうですね。話す時は老人だけど、戦争当時は誰もが青年でした。奥様を亡くされた藤田さんはともかく、向こうで成功して、皆さんそれぞれに幸せな老後だと思うのですが、望郷の念はあるのでしょうか?
松林:どうなんでしょうねえ、口には出されません。お正月とかは日本を意識して、お餅を付いたり蕎麦を食べたりしますが、個人差があると思います。お墓参り等で里帰りしたら、日本はすっかり変っていてもう愛着がないと言う人もいました。戦争を語ろうとすると、どうしても天皇に行き着く。日本を思い浮かべる時も天皇の存在が大きいんです。そこらあたりが日本を語る時の口の重さになっていると言うか…、複雑なものがあるのでしょう。この中の一部の人は、今村監督のドキュメンタリーに出た後で、軍人恩給を貰い始めましたし、充分に余裕があるからと辞退した方もいます。最初は日本人だと言うので土地の人に嫌がられたこともあったと思います。でも、皆さんそれぞれ、現地の人には無い技術を持っていた。坂井さんと中野さんの奥さんは姉妹で、しかも二人とも親から反対されて、駆け落ちをして結婚しています。今でも美しいけれど、若い頃は相当きれいだったろうと想像できる。他の方たちの奥さんも皆きれいです。そういう人を惹きつけるんだから、未帰還兵の皆も相当魅力的だったと思うんです。それに知らない土地で暮らす為に、奥さんたちの力が大きかったんでしょう、奥さんを大事にもしたとも思う。だからなのか、口ではああこういいながら、皆仲がいいんです。話を聞くと、助け合って生きてきた感じが伝わってきました。そうしてたどり着いた老境で、望郷かどうかはともかく、坂井さんは日本の春は桜が咲いて綺麗だとよく言う。それを聞いていた長男が、生まれた子供にサクラと名前をつける。そんな繋がりが何だか嬉しくて、それをラストに持ってきました。

―家族の物語にしようと、最初からある程度作品の方向性を決めていらしたんですね。プロデューサーとの意見の対立は無かったですか。
松林:長さですね。自分としては短くしたかった。「ヒロシマ・ナガサキ」が85分なので、それに近づけて、伝え切れないところは想像させたいと思っていました。でもプロデューサーが内容的に2時間にはなると言って。実際には中間の106分になりました。
―兵士たちをタイに引き留めたのは彼らの花、妻たちでした。監督を映画に引き止めるものは何でしょう。
松林:僕が映画学校に行ったきっかけは、当時付き合っていた彼女が映画学校生だった事。学校の近くに住んでもいたし、その人を追っかけて映画学校に入りました。(顔を赤らめながら)

―素敵な動機です。当時の彼女の影響で映画監督になったと言うお話を、他の方にも聞きました。この後のご予定について教えてください。
松林:今進行中のものについては、まだ言えません。でも、この作品でも完成前に坂井さんと藤田さんが亡くなっているように、(この人は今しか喋れないな)という勘の働いたところに行って撮りたい。そうして受け取ったものを、文字でも映像でもいいから、表現していきたいと思います。
―最後になりますが、観客の皆さん、特に同世代の方々にメッセージを。
松林:自衛隊の派遣にしても、海上給油とか、輸送とか、後方支援とか、このところ流れが速すぎます。これってまずい。流されないで、外国に軍隊を送る事がどういう事かを、ちゃんと考えるべきだと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 〈戦争ものを理解するには〉知識がなさ過ぎる。…という自分をふまえて、今回も簡略なビルマ戦線の資料を最初に載せました。
 〈悲惨な体験を聞き出しながら〉、画面に流れているのは東南アジアのゆったりとした空気感。生温かい風の中で、庭の花が甘く香り、隣では妻の動く気配。時を止めたように、ハンモッグや椅子でとろとろとまどろむ、坂井さんの心地よさが伝わってくるようです。やっとたどり着いた穏やかな日々が永遠にとは思っても、彼らにそんな時間がそんなには無いのは、映像からも明らか。 “(この人は今しか喋れないな)という勘の働いたところに行って撮りたい”という監督の言葉を重く受け止めました。
 〈それにしても美しい花嫁たち!〉 着飾って穏やかに微笑む妻の写真は、未帰還兵の苦境の日々をどれほど慰めたことでしょう。過ぎ去った過ちを誰も責めないだけに、責任者や関係者が見たらいたたまれなくなると思います。それでも見て欲しい。見届ける義務があるのではないでしょうか。


  この作品は、8/15(土)から第七芸術劇場、
          8/30(日)から京都みなみ会館 にて公開

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「花と兵隊」(前編)

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「花と兵隊」(前編)   
 ―松林要樹監督インタビュー―
 
 太平洋戦争末期、地獄の戦場はアジアのいたるところにありました。先々週の作品の舞台、ソ連侵攻に伴う満州国崩壊は、開拓民を巻き込み地獄絵となりましたが、陸軍兵士の地獄絵の1つが、1944年3月に発動された「インパール作戦」です。この作品「花と兵隊」に登場するのは、タイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に還らなかった6名の日本兵とその家族。2005年から3年にわたる取材で、未帰還兵のその後を追った松林要樹監督にお話を伺いましょう。

《第2弾:「花と兵隊」松林要樹監督インタビュー》

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(7月21日 大阪にて)

<その前に、ビルマ戦線、あるいは「インパール作戦」とは>
 〈1941年12月、日本軍はビルマ侵攻作戦を始める〉目的は連合軍から中国国民党へ送られる物資の輸送路の遮断だった。42年には日本軍と密通したビルマ独立義勇軍との共闘で、英領のビルマ・ラングーン等を次々と陥落、東南アジアに勢力を伸ばす。しかし6月のミッドウェー海戦以降、米軍に制海権、制空権を奪われ、物資の海上輸送が不能に。輸送路確保の為、7月にはタイとビルマを結ぶ「泰細鉄道」の建設を始めた。おびただしい犠牲の元に1年3ヵ月後に完成する。
 〈1944年3月に発動された「インパール作戦」とは〉、ビルマの第15軍司令官が立てた、連合軍の輸送路を断つ為に、拠点のインパール進攻を目指したもの。補給の目安も無いままに決行され、近くまで迫ったものの、食糧・弾薬の払底で7月作戦中止命令。退路はまさに地獄絵で、力尽きた日本兵の死体が累々と続き「白骨街道」と呼ばれた。この作戦を含むビルマ戦線では、33万の日本兵が送り込まれ19万人が亡くなっている。


<松林要樹監督インタビュー>
―この作品を作ろうと思ったきっかけは。
松林要樹監督(以下敬称略):始まりは1999年から2000年にかけて、東南アジアを貧乏旅行した事です。バンコクの中華街で「日本に還らずここに残った兵士がいるよ」と聞いたんですが、よくある都市伝説の類だろうと思っていました。でも2004年に日本映画学校に入って、資料室で今村昌平監督のドキュメンタリー作品を見たら、それがテーマ。以前タイで聞いた事が本当にあったんだなあと驚きました。それまで未帰還兵と言うと、横井庄一さんや小野田寛郎さんの例から、もっと南のグアムやフィリピンのミンダナオ島とかだと思っていたんです。そうしたらちょうどその頃、朝日新聞に東南アジアに未だに残る日本兵と言う記事が出て、やっぱりいるんだなあと思い、大宅文庫で色々調べて、2005年にこの映画の企画書を出しました。

―1979年生れで戦争を知らない世代の松林監督が、何故其処まで未帰還兵に興味を持ったのですか。
松林:戦争を知らないと言われましたが、それは戦争と戦場を混同しているんだと思います。戦場は確かに知りませんが、戦争は政治の延長ですから、色々な紛争地に日本も自衛隊を派遣している今、特にイラク戦争以降は、知らないとは言えません。
―確かにそうですね。ご両親の影響とかは?
松林:父は団塊の世代ですが、政治の時代を潜り抜けながら全くノンポリ。影響を受けていません。それよりは2000年に旅行した時、途中で見聞きした事が大きいです。現地で知り合った人たちに、僕が日本人と言うだけで、尊敬されたり敵意をもたれたり、色々突き詰めたことを聞かれたりしました。東南アジアにはかっての日本軍が残したものが、今も至る所に残っているんです。最初の頃に入った兵士は、アジアを列強の植民地支配から開放しようと本気で思い、その為に行動した。それもだんだん意識が低くなるんですが、同じ日本軍でも差がありますよね。どの時に接したかで人々の反応が違います。(ここで何があったんだろう?)とは思っても、何も知らない。それを知りたいと思いました。又、東南アジアの人たちは、僕らよりはるかに強いなあと思ったこともあります。外国で感染症にかかった時慌てふためいたけれど、現地の人にとってはどうって事の無い病気だった。無菌状態のような日本で育った自分は、この人たちと比べて生命力が劣っているなあと。そんな事とか、この旅の途中で思ったことを表現しようと思って映画学校へ入ったのもあります。

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(c)2009 Yojyu Matsubayashi

―未帰還兵だけでなく東南アジアを描きたかったと言うことですね。監督はこの映画を作る以前に紛争地に行かれていますよね。その影響はどうでしょう。
松林:2005年の12月にアチェにテレビ取材のアシスタントで入りましたし、アフガニスタンの選挙取材にも入っています。そんな風に紛争地の取材をして、軍隊と言うのは国民を守る組織ではないと思ったのも大きいです。それに戦場というと、玉がバンバン飛ぶシーンばかりを思うけれど、そこにも日常がある。現地に行ってみて、戦う男たちの後ろで、土地を守り日常生活を支えているのは女の人だということにも気付きました。でもそちらは報道されません。だったら僕がやろうと。横井さんや小野田さんは、戦争が終わっているのにそれを知らずに残り続けました。向こうに家族がいませんから、終わっているのが解ると日本に還って来ている。ところが未帰還兵には家族がいた。戦争が終わったことを知っているのに残り続けたのはどうしてだろうと考えた時、家族、妻がいたことは大きいと思ったんです。彼らが残ったきっかけは、終戦、戦争のトラウマや捕虜への恐怖だけれど、残り続けさせたのは家族だったと。それを撮りたいと思いました。

―登場する未帰還兵のうち、坂井さん、中野さん、藤田さんは今村監督のドキュメンタリーにも登場しますから、その後の物語としても観れますね。この作品は特に坂井さんに焦点を当てて作られていますが。
松林:坂井さんが亡くなった時にたまたま撮影をしていて、これは坂井さんの映画にしなくてはと思いました。ポスターの写真も坂井さん夫妻ですが、実はここは自宅ではなく、お墓の隣で撮ったものです。坂井さんがお墓を買った時のもので、横を向いている奥さんが見ているのはそのお墓ですし、本人はお墓を買ってほっとした様子、安心した顔が映っていますよね。
―そんな穏やかな写真にマッチする、風がそよいでいるような風情のある題字が素敵です。色も優しくて。
松林:友達が書いてくれたものです。気に入っています。

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(c)2009 Yojyu Matsubayashi

―この作品を撮り終えて何か変わったことは。
松林:太平洋戦争の末期は空襲とかで、日本人にとっても戦場が身近だったけれど、今イラクで爆撃があってもテレビの中の事。どこか他人事になっている。それに戦争は政治なのに、最近の若者の傾向として政治を語らない。こんな時代こそ、もっと危機意識を持って、政治を語らないといけないと思いました。撮影は実は藤田さんから始まったんですが、最初は話してくれない。そのかわりに怒鳴られました。でも、「おい、お前!」とか、「こら!」とか上から目線の罵声を絶えず浴びながら、こういう形で初年兵の教育は行われたんだなあと実感したんです。これほどの時間がたっても、藤田さんには若い頃の軍隊経験が抜けない。染み付いているんですね。供養塔の掃除をしたりして、少しずつ話してもらえるようになりました。(聞き手:犬塚芳美)
                              <明日に続く>

  この作品は、8/15(土)から第七芸術劇場、
          8/30(日)から京都みなみ会館 にて公開

映写室 新NO.12 南極料理人

映写室 新NO.12 南極料理人 
 ―究極の単身赴任地で!―

 毎日茹だる様な暑さ、せめて映像だけでも涼しげなものが見たい。今週はそんな要求にぴったりの作品を取り上げよう。舞台は白一色、雪、雪、氷。外を歩くと、口ひげの周りが息で凍ってきたりする。
 <原作は、1997年の南極ドームふじでの越冬隊に>、海上保安庁から派遣されて調理を担当した、西村淳さんの「面白南極料理人」。題名からも察せられるように、人間ドラマだけでなく、毎食並ぶ美味しそうな食事も見逃せない。
 <考えてみると極寒の地は究極の単身赴任地> 隊員だけでなく、送り出し待つ身の家族との間には複雑な物語がある。本当に寂しいのはどちらなのだろう。面白おかしい男たちの物語だけど、なんとも愛しい男と女の物語にもなっている。

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(C) 2009『南極料理人』製作委員会

 <沿岸部の昭和基地から約1000キロ離れた>南極ドームふじ基地は、標高3810メートル。平均気温マイナス54度Cで、ウィルスさえも生存できない。そんな極寒の地に、8人の男たちが1年半滞在する。研究の為、あるいは研究のサポートの為に、家族と離れ離れの任務だ。志願した者も任命された者もいる。楽しみは3度の食事と家族への電話だけれど、その電話も時には素気無く切られる有様。せめて食事で皆を慰めようと工夫を凝らすのが料理人。孤独感から備蓄食料を盗み食いする隊員もいて…。

 <この頃見ないから解らないが>、以前はNHKの紅白歌合戦の途中で、必ず南極昭和基地からの応援メッセージが届いたものだ。宗谷丸が氷に閉じ込められたというニュースもあったし、越冬隊の命をかけた大変な暮らしぶりのドラマも見た。その頃と困難は変わらなくても、成功が重なると関心は薄くなる。でも今年は南極条約署名50周年。しかも新南極観測船「しらせ」が出向するなど、定例化した南極越冬が再び注目を集めているのだ。
 <何しろ辺境の極寒地>、いくら嫌になっても喧嘩をしても帰る手段はない。8人が顔をつき合わせて基地の中で1年半を乗り切るしかないのだ。ここで描かれるのは、そんな男だけの集団生活の、まるで悪ガキのような右往左往ぶりだ。体験が元になっているだけに、8人それぞれのはみだし方にリアリティがあって、ほほえましくも可笑しい。苦労さへも面白おかしく描かれているのは、原作者の視点でもあり、脚本も担当した沖田修一監督の人間性でもあるのだろう。

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(C) 2009『南極料理人』製作委員会

 <それぞれのキャラの立った、絶妙のバランスの配役も見所だ> 妻に離婚を示唆されながら出発する主人公の料理人には堺雅人。家では娘に疎まれる情けないお父さんを、父性と母性を織り交ぜて演じている。しなやかな頑固さと言うのか、この料理人の両性有具的な個性がそのまま人気絶頂の堺の個性に思えた。毎回離婚騒ぎの果てに出発すると言うベテランの雪氷学者には生瀬勝久。目の動きだけでコミカルな雰囲気を出せるのはさすがで、終盤にはこの男の魅力と人生の奥深さを、又もや瞳の深さで見せる。ラーメンが好きでこっそり食べ尽くすタイチョーの気象学者にはきたろう。彼の場合存在そのものが和みで、でも瞳の奥にはカッコたるものも感じて、隊長ってこんな人が良いなあと。電話魔の若者には、今時の若者らしさが光る高良健吾。酒好きのドクター役の豊原孝補は、ハンサムを返上した、むさ苦しいどてら姿が楽しそう。
 <…とこんな具合に>、8人の暮らしは大人版男子寮状態。いじける者、抜け駆けする者、なだめる者と大人気なさが素敵だった。男の人はすぐに童心に帰れるものらしい。
 <可笑しいのが誰もが献立に一喜一憂する様で>、ここでは食事が唯一の気分転換。何があろうと皆で揃って同じものを食べるのが困難を乗り切る力、家族の原点のようだった。
 
 <私はバスの上から道路工事を>見るのが好きだ。其処にはせわしなく動く人も力一杯頑張っている人もいない。誰かが何かをしている間は、他の人はぼーっと見ているだけ。それでもその人がやり終わると次の誰かが自分の受け持ちの仕事を始める。こんな風にちんたらと働いているようで、作業自体が途切れることはない。最初は何ていい加減なのかと思ったが、繰り返し見ている間に、そんな風にしないと体力が持たない仕事なのだと気付く。どの人にも役割がありそれを淡々と行っている。
 <これが女の人の集団だったらこうはいかない> 例えば私だったら、後先考えず最初に頑張ってすぐにバテて、結局何日も休むことになるだろう。あるいは誰か一人だけが頑張り、他の人は白けているかも。要するに、短期ならともかく、女たちには長期の共同作業は出来ない気がする。男性の専売特許だ。

 <この南極観測隊は>そんな男性軍の美徳を発揮して、誰もが頑張り過ぎず、でも皆で頑張り、笑いながら大変なことを成し遂げてしまう。主題を超えて、私には男性の美徳を描いた作品に思えた。
 <もちろんそれ以前に>、夢にかける男達の純粋さもたっぷり描かれる。ユーモア、助け合い、友情、家族への愛と、全編男性による男性賛歌の映画なのだ。そんな姿勢が熱くて、実はこれだけ氷を見ながら涼しくはならなかった。この熱さで越冬を乗り切ったのだからそれも仕方がない。後ろに古典的な理想の女性像も垣間見えるけれど、ここまでやられたらそれも仕方ないか。31歳の沖田監督、今時の若者に似合わずなかなか硬派だ(犬塚芳美)

 この作品は、8月22日(土)よりテアトル梅田、TOHOシネマズ二条、 
                 シネ・リーブル神戸等でロードショー

映写室 「色即ぜねれいしょん」&「堀川中立売」案内

映写室 「色即ぜねれいしょん」&「堀川中立売」案内   
 ―公開間近と編集中の、京都が舞台の2作品― 

 少し前に「鴨川ホルモー」がありましたが、今回取り上げる2作にもディープな京都が登場します。8日から関西先行上映の「色即ぜねれいしょん」の原作者は、京都出身の作家兼マルチタレントのみうらじゅん。まだ編集中の「堀川中立売」は、京都に移り住んで来た柴田剛監督が、地名に触発されて想像を広げたオリジナル脚本。どちらも製作側に地元人が絡んでいるゆえのディープな京都が映る。住民目線の京都は、スクリーンに広がるとちょっと怪しい。古臭さと今が混じって時代もあやふや。サンダル履きの感覚で、京都の町の暮らしの匂いが嗅げます。

《1.色即ぜねれいしょん》 

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(C) 2009色即ぜねれいしょんズ

 <妄想ばかりが先走る、童貞の男子高校生>の夏の物語。舞台は1974年京都。物分りが良い両親と暮らす、仏教系男子高1年の主人公は、悩みがないのが悩み。ロックが好きでも、学校では幅を利かすヤンキーに負けている。片思いの少女にも告白できず、悶々とした日々だ。同じような友達2人と、フリーセックスだという隠岐島に夏休みの旅行に行くことに。

 <監督は独自のスタンスを貫いて>、芸能界でも異彩を放つ田口トモロウ。物語はみうらじゅんのほとんど実体験だという。二人の存在感だけで充分な、そのまま前衛に突入しそうな存在のコラボネートに、まず興味をそそられる。やりたい事が一杯あるから今に興味が集中して、めったに昔話などしないという二人が振り返ると、青春はどうなるのか。ちょっと痛い、だから愛しい、遠くて近い70年代半ばの純情な高校生たちがいきいきとよみがえります。こそばゆく少し恥ずかしいのが青春時代みたい。

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(C) 2009色即ぜねれいしょんズ

 <今見るとダサくて、わざと面白おかしく描いているように見えるけれど>、当時の高校生はこんなもの。童貞喪失どころかキスすらも妄想でしかないのが当たり前だった。誰かを好きになること、それを伝えることの大変さで一杯一杯。両親の庇護の疎ましさと心地よさ、受験で大変と言いながらまだまだ余裕のあった時代、溢れる思いを吐き出せずに時々爆発する純情さ、70年代の高校生は、今の高校生にどう映るのだろう。 

 <この作品の見所の一つが、意表をついたキャスティングで>、本職の俳優以外に多彩なミュージシャンが出演している。主役には、地元神戸を中心に活躍する“黒猫チェルシー”の渡辺大和。役柄の通り、物静かな普段とステージの弾けようの落差で決まったと言う。隠岐島ユースにいる大人な匂いのヒゲゴジラには“銀杏BOYZ”の歌手、峯田和伸。大きな瞳に吸引力があって、失恋して泣き崩れるオリーブの気持ちが解る。家庭教師のヒッピーには“くるり”の岸田繁。わが道を行く風情は、人を食ったような役にぴったり。誰もがステージ慣れしているだけに、時々無意識に「俺を見ろ!」オーラを出してくるとか、俳優とは違う独特の存在感も見所だ。

 <普段着そのもののようで>、するりと異界にもぐりこむ主人公に重なり、いつもと一緒なのに何処かが違う京都の町を、新鮮な気持ちで見れます。
 
 8月8日(土)より、梅田ガーデンシネマ、難波パークスシネマ、
           MOVIX京都、シネリーブル神戸にて、京阪神先行ロードショー



《2.堀川中立売》 
 5月に一度クランクアップしたものの、7月中旬追加撮影もあった。宣伝プロデューサーの田中誠一さんにもまだ全容は見えないと言う。どんな物語なのか、4月撮影中にお邪魔した際の、監督のお話で想像してみましょう。

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 <柴田剛監督は、前作「おそいひと」で>障害者の犯罪と言う、いわばタブーの世界を描いた気鋭の人。大阪から移って、堀川中立売の町屋に住む田中さんの所で一緒に住みだし、(町中に行こうにもバスも不便なこういう所に流れ着いて、映画をゆっくり考えたい)と思ったのだそうだ。
 <関東出身の監督は堀川中立売>の読み方が解らない。京都の住所表記にも興味を持った。しかもこの町の放つオーラ、不思議さが何かを擽る。ドヨンとした川の怪しさは何だろう。東側には西陣の織屋さんや友禅職人とか昔ながらの人々が住んでいる。今も変わらない佇まい、こんな古い町に生まれ、幼稚園からずっと地元の学校に通い、今もここを拠点に生きているような人はどんなことを考えているのだろう。それを描きたいと思った。関東から関西、それも大阪から京都と移り住んだ自分とは違う、古い町で地元に根付いて生きる人の気持ちが解りたかったのだ。

 <主人公はヒモとホームレスで>、何もしないことをしている。映画はそんな駄目な人間二人に加担して進んでいく。二人はただ自分の住む場所を確保しているだけ、他の人を蹴落としたりしない。なのに、京都に流れ着いて挙句に正義感から殺人事件を起こしてしまう。世の中の他の人間は妖怪だ。今と昔の時空の交差…。
 と、この時は話してくださったけれど、物語は撮影中にもどんどん変わっていく。最終稿は解らない。そんなストーリーは、制作会社つまりスポンサーの、シマフィルムの志摩さんと田中さん、海外戦略担当の松永さん、監督の4人で撮影の前に合宿して考えたもの。志摩さんは「おそいひと」でも作品力に惹かれ、窮地に落ちていた監督の暮らしと、過激さから漕ぎ着けれないでいた上映を助けた。
 
 <堀川中立売には>、監督の直感どおり曰く因縁が眠っている。以下はロケを見ていた地元の方が教えて下さった。かって戦争に行く人が希望を託して必ず渡って行き、霊柩車と花嫁は絶対渡らないと言う、光と影を併せ持つ“一条戻り橋”があったり、陰陽師所縁の神社もある。遊歩道が出来たりと4月に整備され、残念ながらおどろおどろしさは半減したが、今もそのままの川の石組みは、二条城の城壁の余ったもので、大阪から運ばれた石。戻り橋の名前は、大阪から来た舟がここで引き返したことに由来する。西側に広がるのはかって西陣京極と呼ばれた場所で、映画館や芝居小屋が並んだ歓楽街があった。川風に身を任せれば今も古の都人の息遣いが聞こえる場所だ。

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 <「そうだ、京都へ行こう」という観光キャンペーン>の表題からは見えない京都を撮りたかった。京都の裏側がどれだけ撮れているかが、この作品のミソだそうだ。ロケハンには苦労したが、グーグルアースにヒントを貰って、鳥の目で見ようとしたら見えてきた。京都の撮影は大変で、住民が撮影に慣れていてこちらの事情が解るから、困ったこともあるとか。この日も皆が気楽に見ていた。
 <そんな撮影を支えたのは>、正規のスタッフ以外にどんどん増えていったボランティアスタッフ。一時は50人にも膨れ上がった。「いつもはどうしようもない男だけれど、撮影現場に入るとカリスマ性がある。それに惹かれてどんどん人が集まってきました」と、頼もしい弟を誇るように志摩さんが話す。志摩さん自身、「17歳の風景」とか「ニワトリははだしだ」等、何本もの個性的な作品を制作し、しかも舞鶴八千代館や福知山シネマ等、地方の廃館になった映画館を譲り受け、本業から補填しながら文化の拠点を死守している奇特な方。この業界では知らない人がいない、映画好きなのだ。「柴田君とはもう一本大きなものを撮ろうと約束しています」と、ロケ弁をぱくつく若いスタッフたちを見ながら、嬉しそうに話された。(犬塚芳美)

   この作品は、ただいま編集中。この秋完成予定。

映写室 新NO.11「ボルト」&「屋根裏のポムネンカ」

映写室 新NO.11「ボルト」&「屋根裏のポムネンカ」
   ―対照的な作り方の2本の冒険アニメーション―

 夏休みのせいか、良質なアニメ作品の公開が続きます。今週取り上げるのは、新生ディズニーによるCGアニメーションと、芸術の国チェコが誇るストップモーション・アニメ。先週の「サマーウォーズ」の平面性とは違って、今週の2作はどちらも立体的。しかもどちらも冒険物語で、友情が起こした奇跡を描きます。ここまで進歩したと誇るような、ハイテク技術を酷使した「ボルト」も、65年の歴史を持つ、恐ろしくアナログな手法の「屋根裏のポムネンカ」も、作品の根底は友達を思う心。勇気を奮い立たせるのはいつも誰かへの熱い思いでした。手法と物語の両方で、クリエーターたちの創造力を楽しみたい。

《1.ボルト》新生ディズニー第1弾CGアニメーション
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(C) Disney Enterprises, Inc. All rights reserved.

 <犬と猫とハムスター3匹のロードムービー> ボルトは、TVドラマの中で少女を守るスーパー犬として活躍中だ。車よりも速く走れ、一吠えでそこら中を破壊する話を支える特殊効果を、自分の力だと思い込んでいる。間違えてニューヨークに来たら、スーパーパワーが出ない。あれは架空の話だと教えられても、にわかには信じられない。少女との絆を信じて、野良猫やハムスターと一緒にハリウッドを目指す。

 <…と、主人公のボルトは>世間知らずでちょっと間抜け。もっともハリウッドの撮影スタッフが、それを利用して作品の臨場感を保ってきたのもある。純粋と言うべきかも知れない。スーパーパワーは贋物でも、少女を思う気持ちは本物だ。少女はそれが解っているから辛い。でも自分を助けようと、“どんな時でも危険の中へまっしぐら”のボルトの姿が、番組を支えているのも解っている。犬だけれど、まるでナイト気取りのボルト。きっと誰の愛犬にもこんな物語があるのだろう。繊細に犬の心理が描かれ、愛犬家だったら堪らない作品だ。

 <騙されているとボルトに教えたりと>、世間並みのおせっかいを焼く野良猫、TVドラマのファンで、スーパーパワーを信じてボルトに憧れているハムスター、そんな2匹のキャラクターも可笑しい。特に元は飼い猫だったのに、人間に忘れられた過去を持つ野良猫の複雑さ。いじけ方や住処作り等、まるで人間の女性のようで、いじらしいのだ。透明なボールに入ってころころと転がって移動するハムスターの、向こう見ずさと義侠心も見逃せない。こちらはさしずめ次男坊ってところだろうか。
 <3匹が主人公だからか>、人間の姿は何とも不様。少女以外はCG作品独特のヌペーッとした顔と巨体が映る。もしかすると動物の目にはこんな風に人間が映るのかもと思ったくらいだ。技術が進んだとはいえ、人間の表情を描き分けるのは難しい。当分の間のCGアニメの人間描写は、体が特徴のこんなものなのかもしれない。

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 <一方で、3匹の走るシーンは>CGの威力を誇示する。草がなびき、車が横をすり抜けと、画像が飛び出してきて、まるでスクリーンが客席まで広がったよう。時々身を避けるのも楽しい。この企画自体、3Dを効果的に使える物語として生まれたものなのだろう。そのくせ、地図だとかエンディングだとか、従来の手描き塗り絵の手法を効果的に使用し、ほっとした味わいを加えてもいる。この手法で全編行くのも良いかもとも思ったくらいだ。このあたりが余裕だけれど、CGアニメのヒットを重ねたジョン・ラセターが帰ってきたディズニーは、これからも進化を続けるのだろう。
 
  全国で上映中、劇場により、2D,3Dあり
      (3Dは大人2000円、中・高・シニア等1500円の特別料金)


《2.屋根裏のポムネンカ》:伝統のチェコ人形アニメーション長編最新作

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 <主人公は屋根裏部屋の忘れられたガラクタたちだ> 古いトランクの中で、不思議な人形たちが暮らしている。ある日、青い目の人形ポムネンカが悪玉にさらわれた。仲間たちは彼女を助けに、箪笥から溢れるシーツの洪水、家具の山と、幾多の困難を乗り越え、屋根裏の向こうのまだ見ぬ世界へ飛び出す。

 <物語に触発されて>、子供の頃を思い出した。小さい頃に遊んだお人形は、いま何処にあるのだろう? へこんだ薬缶やクッキーの入っていた綺麗なブリキ缶は何処に? いつの間にか筆箱から消えた定規にちびた鉛筆は? 昔の家だと、子供が放り出しても母親が蔵の片隅に思い出と一緒に保管していてくれたものだ。電球も無い梁がむき出しの屋根裏部屋に大きな箱に容れたままで上げて、仕舞った事さえ忘れられたりもする。このアニメーションは、そんな屋根裏のガラクタたちが住む世界を描いたもの。空想好きな子供が、無くしたおもちゃを思い出して見た一夜の夢の様でもある。
 <人形の大きさに身を縮めれば>、箪笥だってテーブルだって、私たちの日常は巨人の世界。視点を下げただけでお伽の国が始まる。ここに創造も加わり、映像だからこそ表現可能な、書くに書けない奇想天外で速い展開も、この作品の魅力の一つだ。


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 <芸術の薫り高くしているのは、物語だけでなく手法が大きい> 何しろこのスピード時代に、恐ろしく非効率な、アニメーターが1コマ1コマ人形を動かして撮るという、ストップモーション・アニメの手法で作られているのだ。出来上がるまでには、気の遠くなるような時間と、職人技的技術や作業の積み重ねがある。
 <作ったのは>、チェコ人形アニメでも最後の巨匠と言われる“イジー・バルタ”。映画祭等で絶賛されながら、手法に時間とお金がかかるせいか、何と23年目の新作になる。資金集めの為途中で止まっている作品もあるらしい。
 <お茶目でユーモラスなキャラクターたちは>、彼がチェコの街から集めたガラクタや古道具で作ったもの。国中いたるところにガラクタ市があるような、古いものを捨てない文化、伝統と薄暗がりのあるチェコの監督だからこそ出来た作品だと思う。使った人の手垢の残るガラクタは、誰もの想像力を豊かにする。私を使って! 私の過去を当ててみて! と言うガラクタたちの声に耳を傾けたバルタの工夫の数々、彼の中の子供心を炸裂させた映像や物語が楽しい。

 <驚くのが、ポムネンカの豊かな表情だ> カメラワークや光で人間よりも複雑に感情を覗かせる不思議さ。もちろんそれは、私たちの感情移入の賜物でもある。作品の深みは、制作者たちの工夫とそれに触発された観客の想像という、共同作業で始めて出現する世界。どちらか片方では成り立たない。だからこそストップモーション・アニメは世界中のクリエーターに愛される。ぎこちない動きのガラクタたちに命が見えた。映像も物語も詩情溢れて、宝石のような作品だ。

 この作品は、8/8(土)からシネマート心斎橋、京都シネマで上映、
          9/26(土)神戸アートビレッジセンター にて公開



 <さあ、先週から続いた対照的な3つのアニメ作品>、あなたのお気に入りのはどれだろう? どんな手法をとるにしても、アニメーションは見えないところでおびただしい時間と人手が費やされている。だからこそ可能なぶっ飛んだ発想や映像が特徴で、クリエーターの創造のままに、スクリーンの中に全く新しい世界が出現するのだ。その結果の、現実と想像の世界の境をなくした飛躍感が命だと思う。こうして書いていると、アニメ作品を深くするのは観客の加える想像力なのも痛感する。どの作品にも、大人ならではの楽しみ方があった。子供にここまで理解できるのかしらと思う深さもある。涼しい映画館で、この時代だからこそ味わえる、3つの贅沢をお楽しみ下さい。(犬塚芳美)

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