太秦からの映画便り

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映写室「葦牙―あしかび―」小池征人監督インタビュー(前編)

映写室「葦牙―あしかび―」小池征人監督インタビュー(前編) 
  ―児童虐待を受けた子供たちに社会的な母乳と母語を― 

 <この作品は虐待を受けた子供たちが暮す>、岩手県盛岡市郊外の児童養護施設「みちのく・みどり学園」の日常を捕らえたもの。親に傷付けられるという悲しい過去を持ちながら、逞しく再生の希望を見せる子供たち、そんな子供たちを温かく見つめる学園スタッフとの触れ合いが、もっと大きな、温かい眼差しで切り取られています。
 <小池征人監督は>、前作「いのちの作法」の撮影で、旧沢内村に来るこの学園の子供たちと出会いました。プライバシーに関わるデリケートな問題に、モザイクをかけず素顔を晒した撮影は画期的で、この問題の深刻さを知らせたいという両者の覚悟の程も伺える。子供と同じように傷ついている虐待の加害者の親も映り、問題の複雑さと共に再生への祈るような思いが伝わってきます。小池 征人監督にお話を伺いました。

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(11月16日 大阪にて)

《小池征人監督インタビュー》
―この泥児童虐待の問題がよく報道されますが。
小池征人監督(以下敬称略):90年ごろから目立ってき始めましたね。ただしキャッチする機関が増えたから表に出始めただけかも知れず、問題が増えたのかどうかは解りません。法律的に気付いた人は通報する義務があるんですよ。児童憲章には3つの事が書かれていて、「児童は人として尊敬される。児童は社会の一員として重んじられる。児童は充分な養育をされる権利がある」とあります。皆がそんな所に目を光らせ出したんでしょうね。この作品の目的は、児童虐待という事件は知られてきたけれど、その被害者の子供たちがどういう風に生きているかは知られていない。それを知って欲しいと言うものありました。

―確かにベールの向こうでした。お互いに隠そうとする所もあったのかもしれません。子供たちの日常を自然に捉えていますが、カメラを意識させないのは大変だったのでは。
小池:素顔での撮影が可能だったのは、みどり学園が今まで築いてきた実績と信頼関係でしょうね。僕を知ってもらっていたのもあると思います。「いのちの作法」で2年間の付き合いがありますからね。みどり学園の中でもカメラを回していたんです。それに今回も、学園で4ヶ月間寝泊りして3食提供して頂いてますから、子供たちは親しみを持ってくれたんでしょう。普段は職員しかいないのに別の人が来て好奇心を擽られたのもあると思います。小1に物凄い物まねが上手い子がいて、ティッシュの箱等でカメラを作って、僕らが撮影してたらその真似をしてましたね。カメラマンに成り切って逆に僕らを映そうと、回り込んだりするんだよ。

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提供:みちのくみどり学園

―将来はカメラマンになるかも、楽しみです。色々な年代の子供の、住み分けはどうなんでしょう?喧嘩もありますが。
小池:兄弟げんかのようなもんですよ。昔は皆一緒に遊んだでしょう? あんな感じで、一緒に暮して子供同士の自治が生まれるんです。誰かが仲裁したりなだめたりしていますね。ただ喧嘩は危ない。切れると目が完全に狂気の世界に行きますから。虐待を受けた子供たちは感情のコントロールが出来ないんです。彼らにはONとOFFはあってもその中間のグレーゾーンがない。喜怒哀楽の幅が人間性で、本当は人間の感情の8割はそこに入り、それが人間関係を作るのにね、彼らにはそれがないんです。この作品で難しいのは、そんな風な虐待を受けた子供たちの未成熟さや心の傷が、どう行動に現れるかをきちんと見せれているかどうかでした。彼らは母乳(栄養)と母語(言葉)が奪われた子供たちで、それらを受け継ぐ一番大事な時期に、親子の関係が切れているわけですからね。そんなところを親の代わりに社会がフォローしないといけない。テーマは社会的な母乳と母語をどうするかと言うことですよ。そのために養護施設があったり、沢内の様な所があったりするわけで、太鼓を作り、こけしを作り、弁論大会をやったりして、ぽっかり空洞だった所に心を作っていくんです。児童養護施設は全国に580ヶ所くらいあって、そのうち100位が再生に熱心だそうですね。みどり学園が素晴らしいのは、ホームスティや東京から来た大人とキャンプに行くとか、他所のホームと比べて余計なことをやっている所。彼らに一番ないのが経験ですから。人間性豊かな人に出会って、人間性を取り戻していく場所なんです。校長先生と一緒に沢内に行って、自分で買い物をしたり料理を作ったりと言う、学園では出来ないこと、普通の子供が普通にする事を経験するのも嬉しいそうだったでしょう。

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(C)記録映画『葦牙』制作委員会

―普通の経験がないんですね。こけし作りも楽しそう。自分を作っている感じでした。
小池:面白いでしょう?あれ。作った子に似てるよね。自分の顔でもあるし、心の自画像だと思います。2,3月の雪が多くて外に出れない頃に作るんですよ。
―弁論大会も先生は大変だけど、本格的です。
小池:そうなんですよ。側でサポートする先生の資質や力が大事です。皆さん頑張っていますよ。もう38回目なんです。今年も11月14日が弁論大会で、僕も仕事がなければ見に行ったんですがね。自分を見つめて、それを文章化して、なおかつ皆の前でそれを発表しないといけないから、子供にとっては大変。でも客観的な視点が生まれます。あれを経ないと女になれない、男になれないと言うんですからね、大変だよ。5,6年生になると審査員になるんだけれど、上手いなあと思ったのは、そうやって次は自分が書かないといけないと思い始めるんです。(聞き手:犬塚芳美)
              <明日に続く>

 この作品は、12月5日(土)第七芸術劇場(06-6302-2073)にて上映、
       初日監督の舞台挨拶があります。詳しくは劇場まで。
      順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開
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映写室 「あがた森魚 ややデラックス」あがた森魚さんインタビュー(後編)

映写室 「あがた森魚 ややデラックス」あがた森魚さんインタビュー(後編)
  ―「惑星漂流60周年!」ツアーに密着して―

<昨日の続き>
―あがたさんは話される言葉がそのまま歌になっていく。この作品でもそんな音楽家としての真髄を随所で拝見しましたが、歌を作る時はやっぱり言葉が先に出るんですか?
あがた:理想は言葉に音楽が重なって、歌が生まれることだね。それが自然に出来た時歌が生まれる。今回のツアーも全国で70回近くやっていると、広い会場で時には6.7人しかいないという事もある。興行的にも成り立たないし、がらんとして淋しいよね。でも、一人でも歌おう、今日この歌を聴いてくれる誰かさんの為に歌おうと思うわけ。こうして話していても、言いよどんだりして言葉を発しない間も、バイブレーションは発している。言葉が出ようが出まいが、一緒にいることが嬉しいなあという思いが歌なんだ。気持ちを込めて「会えて嬉しいよ、有り難う」と言えばもうそれは音楽。歌っていることが歌じゃあない、僕にしたら喚いているのはロックしてるだけで、気持ちを伝えるのが音楽なんだ。
―もしそんな会場に当ればラッキーというか、贅沢な時間になりますね。
あがた:そんな風に言う人もいますね。歌は僕の心が届きそうな貴方の為に歌うということだと思う。

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(c)Transformer,Inc.

―歌いだした途端にそんなご自分の世界に引っ張ってらっしゃる、絶対的な音楽の世界を持つあがたさんですが、歌にそんな力がありながら、音楽の世界にとどまらず、映像に興味を持ち続けてらっしゃいますね。
あがた:そうだねえ。僕は言葉から出てくる。言葉って音にもなるし映像にもなるんです。僕の表現の基本である言葉が、ある時は音楽になり、ある時は映像になるんだと思う。視覚も聴覚も両方満足したいというか、欲張りなんだろうね。でも歌だったらギター1本で死ぬまで歌えるでしょう。どちらかを選べと言われたら、僕の場合は歌をとるしかないんだけどね。

―そんな映像志向の強いあがたさんが、今回は監督の座を明け渡して被写体だけになりました。完成した作品をご覧になっていかがでしたか?
あがた:最初から託すつもりではあったけれど、出来上がったものに対しては正直複雑ですね。上映会でよく言うのは、「お母さんが編んでくれた、愛情が一杯詰まったセーターだけど、子供には何処か不満がある。親が作ってくれた物って、知恵や愛情が詰まっていたりするけど、子供はそれが解らなくて(これは俺向きじゃあねえな)と思ったりするもんなんです。でもここで、あがたさんってこうなんだよねと、客観視してくれてますよね。(え、これ俺じゃあないよ。この歌は本当はこうじゃあないんだよ。これじゃあお客さんに伝わってないんじゃあないの?)という思いは正直あります。でも、たかだか90分の中に、半年間の旅や日常、コンサートを詰め込んで、60年間生きてきた人間を浮かび上がらせているのは斬新だし凄いと思う。
―監督として何か擽られましたか?
あがた:擽られたけれど、毎月こういうのを撮っているでしょう? ドキュメンタリーは普段撮っているからね。逆に劇映画には物凄い興味がある。もう僕の役目ではないけれど、作りたい思いはあります。今まで何度か自分の資金で作ったけれど、悲惨だよね。もし作るとしても、今度は自分のお金とか、自分で資金を集めてでは作れない。月間映画等を見てくれて、「監督をやらないか?」という話がくればだと思う。

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(c)Transformer,Inc.

―この中に、「子供も出来て、もう家賃が払えないとか言うのは出来なくなった」という箇所がありますが。
あがた:それが要じゃあないかなあ。僕は20世紀の人間だと思っていたのに、21世紀になって子供が生まれた。20世紀の自分が21世紀と繋がったと感じたね。20世紀を知らない子供に、20世紀を教える事って大事なんだよ。それをやって行きたいと思っている。来年はタンゴをやるんですよ。タンゴって、70年代のロックやフォークの大ブームで一度消えかけたでしょう? 古典的な一つになったけれど、実は素晴らしい世界観を持っている。淘汰されて残ったものって実は凄いんだよ。今その魅力にはまっているね。1つの事が終わった瞬間から、もう先のことを考えてしまうんだ。したい事が一杯あってね。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》 
 <短いけれどとても充実した時間でした> この後あがたさんはコンサートの打ち合わせに。時代認識も重なり、感性的に共感できるところも多く、身を乗り出して答えて頂いたと感じたのは、思い上がりでしょうか。お忙しいところを本当にありがとうございました。これからも応援しながら拝見していますね。
 <さて、映画のほうは>、あがたさんが「赤色エレジー」で一世を風靡した頃学生生活を送っていたので、時々自分と重なりウルウル。同世代の方が今も第一線で、しかも過酷な創作に挑んでいらっしゃる姿は、何よりの励みになります。翌日某所であったライブにも駆けつけましたが、こちらも充実感が一杯。ライブの前にお話の中で出たあがたさん作の月間映画が上映され、その続きが歌というわけです。店内の情景は「あがた森魚 ややデラックス」のままで、何だか自分があの映像の中に入ったような、不思議な気分。浮遊感と頑張りたいという地に足を付けた気分の両方を味わいました。あがた時間に乗って、しばし惑星漂流をしたのでしょうか。

この作品は、11月28日(土)より、第七藝術劇場(06-6302-2073)で上映
      2010年春、京都シネマでも上映予定

映写室 「あがた森魚 ややデラックス」あがた森魚さんインタビュー(前編)

映写室 「あがた森魚 ややデラックス」あがた森魚さんインタビュー(前編)  
 ―「惑星漂流60周年!」ツアーに密着して―

<このドキュメンタリーは>、今年還暦になったあがた森魚さんが、「惑星漂流60周年!」と題して、全国70箇所近くを廻るツアーに同行して撮影したもの。ドキュメンタリー作家の森達也さんの監修のもと、新鋭の女流監督・竹藤佳世さんが手がけています。小さい会場の夜もあれば、かってのバンド仲間や、矢野顕子さん、緑魔子さんという豪華ゲストを加えて敢行された、九段会館での大掛かりなファイナルイベントの夜もある。北から南まで、1台のキャンピングカーでの暴走ツアーが続きました。
 <全編に溢れるあがた森魚さんの姿>、旅の日々や音楽の素敵さと共に、ものを生み出すことにこだわり続ける人生の壮絶さ、過去を捨てず、かつ時代を捕まえ続ける事の過酷さも見えてきます。素敵であればあるだけ、凡人には決して出来ないそんな生き方を続ける人の過酷さが身に染みました。それでも前に進む姿に同世代人として元気をもらえます。コンサート前のお忙しい時間を割き、あがた森魚さんにお話を伺いました。

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(11月2日 京都造形大学にて)

<あがた森魚さんインタビュー>
―デラックスの前に(やや)が付くという絶妙な題名ですが、どなたがお付けになったんでしょうか?
あがた森魚さん(以下敬称略):このドキュメンタリーを作った竹藤監督です。僕は毎月の活動を60分位に纏めた月間映画のようなものを作っていて、「それのややデラックスなようなもんか」と言ったら、監督がそれを題名にしようと言いました。
―え、そうなんですか? 私はあがたさんの生き方を示唆されているのかと思いましたが。あがたさん流のこだわりの生き方って、私から見ると充分デラックスなんだけれど、世間一般の常識で言うとそれをデラックスと言うかどうかは解らない。そんな意味かと思いました。
あがた:それもありますね。この中でも映っているように、「北斗星」という寝台車に乗って東京から北海道まで行くんだけれど、ああいうのもデラックスと言えばデラックスですよね。飛行機に乗れば1.2時間の距離を、わざわざ一晩かけて行く必要があるかどうか。でも地上を旅して歩くと、日常の佇まいや暮らし、日本の色々な景色が見えてくる。学生時代は、上野から急行に乗って、物凄い時間をかけて北海道の実家に帰っていました。木の硬い椅子だから眠れなくて、うとうとしながら東北地方を明け方の薄暗い頃通るんだけど、枯れ草を燃やしていたりとか、あの辺の景色に日本の素朴な生活が見えて、とても良い時間だったんだよね。だんだん夜が明けてきて、薄紫に煙る情景が綺麗なんだよなあ。そんなのを見ようと思ったら、新幹線で行っても駄目。夜行列車で行かないと駄目なんだよ。

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(c)Transformer,Inc.

―私もそれを見たくて、学生時代の帰省は必ず夜行列車を使っていたので、よく解ります。時間と体力がありましたから。
あがた:そう、時間と体力が一杯あってお金がないから出来る事だよね。テレビ的なメディアではそういうのを紹介しない。その旅自体も贅沢なんだけれど、そういうのを自分で見つけるという贅沢さって良いよね。そういうの、もっと体感して欲しいと思うね。古書の魅力とかもそうで、リアルタイムにあるものもいいけれど、20年、30年後にも読まれる、時代の中を生き残ったもの。20世紀のものが21世紀に伝わっていることの贅沢さを知って欲しいよね。

―あがたさんを拝見すると、自分のペースで時間を流しているというか、時を止めたり早送りしたりと、一般的な時の流れを超越している気がしますが。
あがた:え、どうしてそう思うの?
―どうしてって、体が体現してますよね?(周りのスタッフに同意を求める)
あがた:凄い勢いで走る事と、ゆっくりとした空気を吸って景色を見ながら道草する、この両方がないと、ややにも、デラックスにもならないよね。1日24時間である事と、48時間かかる事を両方受け入れて、騙し騙し、矛盾だらけだけれど生きている。物凄い勢いで1時間を30分に付きつめようとしたりと、四苦八苦してるね。これって、20世紀の僕が21世紀に歌っている贅沢さだよね。時代の力って凄いんだよ。赤色エレジーだって、僕が作ったんではあるけれど、時代に呼び寄せられて作ったとも言えるからね。(聞き手:犬塚芳美)
          <明日に続く>

この作品は、11月28日(土)より、第七藝術劇場(06-6302-2073)で上映
       2010年春、京都シネマでも上映予定

映写室 新NO.27戦場でワルツを

映写室 新NO.27戦場でワルツを   
 ―ドキュメンタリーアニメと言う新しい手法―

 2008年カンヌでの上映以来、各国の映画賞を総なめにした衝撃作がいよいよ公開になる。日本での配給権がつかず、一時はお蔵入りさえ噂された本作。内容、手法、人間の深層心理の追求と、色々な意味で新しい。主人公は監督のアリ自身で、20年以上前戦場にいたはずなのに記憶がない。何故記憶がないのか、そこで何があったのか、生きる為に失くした記憶の謎を探っていく。攻める側の兵士の苦しみを描けば、複雑な歴史と民族問題が絡み、今もって戦場という中東の悲劇が浮かび上がる。戦友に会う度記憶のパズルがくっついたり離れたり。そんな心象風景を映したアニメーションの芸術性の高さも見逃せない。

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(C) 2008 Bridgit Folman Film Gang, Les Films D'ici, Razor Film Produktion, Arte France and Noga Communications-Channel 8. All rights reserved

 <2006年冬、イスラエルのバーで映画監督のアリ>は、旧友から26頭の犬に襲われる悪夢に悩んでいると聞く。レバノン戦争の後遺症だろうかと言う彼に、アリは驚く。自分にはその時の記憶が全くないのだ。でもこの時ベイルートの焼夷弾が光る海に、戦友と全裸で漂うシーンが浮かぶ。これは何だろう? 親友で映画監督兼精神科医のオーリの勧めで、失われた記憶を求めて、世界中に散らばる戦友を訪ね始める。

 <この作品の端正さは何だろう!> 色々な作品に端正という言葉を使うけれど、まるで別格のこんな世界に出会うと、むやみに使ってはいけない、こんな作品にこそ使うべきだと痛感する。何が端正って、計算され尽くしたアニメの画面もだし、記憶の欠片を拾い集める形で全体像を浮かび上がらせる手法、場面場面の音楽もそうだ。それ以上に、作品のトーンとなっている、過去を探っていく精神自体が端正だと思う。悲しみと後悔を芸術に昇華させながらも、それでも作者に残ったもの、作品の根底を流れるやるせなさが作品のトーンになっている。

 <人は記憶を作り変えるらしい> 思い出すと生きていけないようなあまりに辛い記憶は消してしまうのだ。アリもそうだけれど、彼がインタビューする戦友もその人によって覚えていることが違う。それでもかっての同士を横に、重い記憶の扉を開けて話し出す。
 <何も解らないまま戦場に送り込まれた若者は>、緊張と恐怖の極限で、一台の車にすら過剰反応。皆で銃弾を浴びせて蜂の巣のようになった車の中に、自分と同じ年頃の無防備な若者の死骸を見つけたら、今度は自分の異常に気付いて、なおさら敵地は不気味になる。このあたり、イラク戦争等でも米軍兵士が経験しているのではないだろうか。
 <戦場は、平時は犯罪になる人を殺すことが>唯一の正義と言う異界。さっきまでの戦友も極限では置き去りにせざるを得ない。壊れていく人間性、生き延びながらも人は自分の凶暴性に怯える。命を狙われ攻められるほうだけでなく、攻める方も傷ついているのだ。

 <圧巻は、映画の題名にもなっている>、周りのビルの影から銃弾が飛び交うベイルートの町中で、一人の兵士がワルツを踊るようにくるくるに舞いながら銃を連射する姿だった。この時フランケルは何を思ったのか。一介の兵士がこのばかばかしい争いに抗議する手段と言ったら、戦場という現実を否定することだけ。銃さえも華麗な小道具にし、戦場の最中をこの世でもあの世でもない特別な舞台に変えた。踊り果てて宇宙の塵と消える覚悟が見えるのだ。軽やかなピアノの調べが重なり、静謐さに圧倒される。

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(C) 2008 Bridgit Folman Film Gang, Les Films D'ici, Razor Film Produktion, Arte France and Noga Communications-Channel 8. All rights reserved

 <それにしてもこのアニメーションの贅沢さ>はどうだろう。手法としては、まず最初にこの通りの実写版を撮り、手だれのアニメーターたちがそれを参考に絵を描いたと言う。写真を加工するのではなく、一からの制作だった。だからこそ到着した領域、動きや位置等は正確でも、心象風景らしく見たくないところは大胆に描写をカットして影にする手法で、省略と抑制が効いて独特の世界を作っている。その影が又雄弁なのだ。時々は不安な心理のままに影が周りを飲み込み、ゆらゆらと不安定に揺れる。アニメーターの創造が観客の想像力を掻きたて、造形の妙と共に、描かないからこそ雄弁だと言う、もう一つの真実に思い至った。
 <全体のセピアのトーン>、くすんだ黄色から茶色を限りなく黒に近づけた影の色も中東のイメージだ。砂漠の色、砂漠の下の石油の色、砂嵐の中の太陽の色と、どんどん想像は膨らむ。もしかすると人々の皮膚の色かも知れず、その土地に似合う色があるものだと納得した。

 <監督のアリは>「イスラエルの兵士は戦場と日常生活の場が近い。休暇で戦場から帰り遊びに行く海辺は、昨日までの戦場の海辺に繋がる」と、この地の複雑さと悲しさを訴える。以前ここで、イスラエル兵士による「沈黙を破る」と言う映画を紹介した。パレスチナの難民キャンプへの攻撃の不当性を、文字通り沈黙を破ってイスラエル兵士たちが話す映画だ。その中でも兵士たちが言っていた言葉だった。戦場が日常の続きになる怖さ、でも二つの世界で違う命への倫理観。人間が狂わないのがおかしい。

 <ちょっと気になるのは>、イスラエル側からは自分たちを反省するこんな発信があるのに、パレスチナサイドのそれが見えないことだ。受け手の問題で、日本とのつながりのせいだろうか、それとも世界でもこんな風なのだろうか。あるいは、イスラエルの脅威に怯えるパレスチナには被害者意識はあっても自省の思いがないのだろうか。
 <隣どうして止まない争い>、長い歴史と宗教観、後ろに大国の思惑が見え隠れする。どちらの側も、特にパレスチナ側には色々な勢力があるし、どんな解決法があるのか解らないが、今のようにあまりにも右に傾いたイスラエルや、過激なヒズボラでは問題は解決しないのは確かだ。

 <この作品もイスラエル、アラブの人々>、どちらもに監督の思いが上手く伝わったわけではないらしい。イスラエルの右派には、この作品の反戦メッセージが届かないまま世界での快進撃を歓迎され、監督を戸惑わせる。一方極左のイスラエル人は、作品の中でアラブ人が言葉を持たず、単なる肉体として描かれていることを強烈に非難する。それに対しては、監督は「元兵士の視点で描く戦場の映画なんだから仕方がない。そこの描写はアラブ人自身が作る映画でやって欲しい」と答えている。

 <消えた記憶をたどると>、実は彼が従軍していた「サブラ・シャティーラの虐殺」、そして彼の両親がアウシュビッツにいた事と、歴史の暗部に繋がる。被害者が加害者になっている現実と不条理、中東問題は複雑で根が深い。
 <そんなアリの思いから生まれた作品は>、サブラとシャティーラでの非公式の上映会では遺族が敬意を表してくれたと言う。しかしレバノンでは上映禁止なのだ。パレスチナ人は映画を好意的に観ようとしながら、イスラエルの責任を前面に出してないのに批判的だという。
 <映画だけれど>、政治抜きでは鑑賞できないこの地の不幸。監督の私的な物語が私的な物語として、その思いのままに届かないのが悲しい。この地の不幸は、私的な思いが政治に隠れて表に出ないことかもと思ったりする。(犬塚芳美)

この作品は、11月28日(土)より梅田ガーデンシネマで上映
      12月19日(土)より京都シネマ、
シネ・リーブル神戸でも12月中旬上映予定

映写室 「犬と猫と人間と」飯田基晴監督インタビュー

映写室 「犬と猫と人間と」飯田基晴監督インタビュー   
 ―1人のおばあちゃんとの出会い―

 この作品は、飯田監督と稲葉恵子さんという一人のおばあちゃんの出会いで始まる。2004年4月、ドキュメンタリ―映画祭があった東京のある劇場で、前作「あしがらさん」の上映に合わせ舞台挨拶に来ていた監督に、おばあちゃんは劇場のロビーで「動物たちの命の大切さを伝える映画を作って欲しいの。お金は出します」と言ったのだ。見も知らぬ若者に大金を託すこんな話ってあるのだろうかと思うけれど、半信半疑なのは私達と監督だけ。おばあちゃんは本気だった。託された願いどおりの、動物たちの命の大切さを伝える映画を作った、飯田基晴監督にお話を伺います。


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(11月9日 大阪にて)

<飯田基晴監督インタビュー>
―思わぬ出会いで始まった映画ですね。
飯田基晴監督(以下敬称略):そうなんですよ。最初のナレーションにあるように僕も半信半疑でした。ちょうど「あしがらさん」の公開時期で色々なマスコミが取り上げてくれ、おばあちゃんは新聞をみてやってきたんです。半信半疑と言うより、僕はこの話ほとんど信じていなかったですね。でも撮って欲しいと言うおばあちゃんの決心は揺るぎなくて。しかも基本的にお任せで何の注文もない。自分が前に出るのも嫌で、最初に映っていますが、嫌がっていたのを少しでいいから出て下さいとお願いするところを、承諾前に強引に映しているんです。それ以降も、私はいいからと控えめな方で、自分が前面に出るのは拒まれました。時々は進行状況をお伝えしていたのですが、後で条件が出て、以前関わっていた保護団体の前川先生と自分の写真を1枚だけ入れて欲しいと言われたんです。

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(c)2009.group Low Position

―自分が死ぬまでに完成させて欲しいのとも仰っていましたね。
飯田:そうなんです。結果的に間に合わなかったんですが。癌の手術をされていて、転移の心配が全くないわけじゃあないので、急いでらっしゃいました。それまで自主映画を撮っていた僕から見ると充分過ぎる位のお金を貰って、最初はこんなお金をどうしようと思いました。結果的には自分一人では無理なので、人を雇ったり、仕上げを丁寧にしたりして使いましたが。おばあちゃんが言ったのは、「映画を作って欲しい」と言うことだけ。今映画と言っても色々でしょう? フィルムじゃあなくてビデオで撮ることも多いし、テレビやホームビデオと映画であることの境界が曖昧になっています。ただしおばあちゃんが言ったのは、「映画館でお客さんがお金を払って見てくれるもの」という意味だろうと思った。自分のやりたいものではなかったが、次に撮る作品のテーマも決まってなかったので引き受け、おばあちゃんが求めるそのレベルまで高めた作品を作ろうと思いました。

―イギリスの情報が入ったりと、広がりもありますよね。
飯田:あれはたまたま「あしがらさん」がイギリスの映画祭に招待されて持っていくので、だったらついでに動物愛護の先進国の向こうの情報も撮ってこようと思ったんです。日本だけだったら狭苦しいものになったでしょうね。結果的に広がりが出てよかったかなと。
―がけっぷち犬や犬捨て山等色々な情報が入っていますが、それは何処から集められたんですか?
飯田:他の事と平行しながらですが、この作品に3年半関わったので、色々調べたり動物問題に注意してニュースも見ますし、自然と耳に入ってきた事です。一箇所に行くとその関連で次の情報が入ってきたりとかですね。大体各自治体に動物愛護センターと言うのがあって、そこで色々な問題が処理されています。センターがないところは保険所ですね。日本で年間30万匹以上の犬と猫が処分されると言ってもぴんと来なかったけれど、一日千匹近くだと思うと具体的ですよね。それに驚いたのもありました。

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(c)2009.group Low Position

―犬や猫は、閉じ込められた自分の状況をわかっているのでしょうか?
飯田:どうなんでしょうねえ、自分が処分されるのを感じていると言う人もいます。実は処分される猫の8割は子猫なんです。捨て猫も持ち込まれた猫もある。処分を待つ姿を沢山見たので、町中で家猫や野良猫を見ると、単に可愛いではなく、最後まで幸せに生きて欲しいなあと思うようになりました。
―こんな現実の一方で、世は空前のペットブーム。専用の砂場があったり洋服を着せたりと過剰に可愛がられるペットが沢山いますが。
飯田:可愛がる人たちを否定はしないけれど、片方でこんな現実があるのを知って欲しい。命の重さは一緒ですから。人間と動物の命の重さに違いがあるのは仕方がないんでけれど、それが近づいていけばいいなと思います。

―おばあちゃん、「人も好きですけど、人間よりはマシみたい。動物のほうが」と意味深な事を仰いますよね。
飯田:おばあちゃんは本当に動物が好きでしたね。だから何より、この映画で切り取ったような現実を憂いていました。いろいろな人が矛盾を感じながら保護と言う名目の元処分をしている。そんな現実を見て欲しいと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 しろえもんとかがじろうと色々な犬が出てきます。監督は過剰な思いを込めず、人柄のまま淡々とそんな動物たちの窮状を映しました。保護する側も、オーストリア生まれのマルコ・ブルーノさんとか、多摩川で猫の世話を続ける小西さん夫妻等々。動物に愛を注ぎながら、無責任な人間に苦言を呈しています。


 この作品は、11月21日(土)より第七藝術劇場、京都みなみ会館で上映。
      *22日(日)午前中はみなみ会館(075-661-3993)
           午後は第七藝術劇場(06-6302-2073)で監督の舞台挨拶あり。
             詳しい時間は各劇場まで。

映写室 NO.26 千年の祈り

映写室 NO.26 千年の祈り
   ―娘を気遣う老父の思い―

 端正な作品だ。異国で暮す娘と、娘を心配して訪ねてきた老父の、お互いの気持ちを探るような物語が続く。何処かですれ違ったままの2人、まるでそれを気遣う老父の歩みの様な、スクリーンの中のゆったりとした時間。それはそのまま、忙し過ぎる娘を心配する父親からの贈り物のようでもあり、この作品のテーマに重なっていく。いたわりが的を得ていればいるほど煩わしい時もある。反発する娘とそれでも心配せずにはいられない親心。このあたりは普遍的な問題だ。
 <この作品には>、北京生まれの女流小説家、香港出身の監督、中国で活躍した主演俳優、日本人プロデューサーと、アメリカで暮す漢字文化圏の者達がかかわり、異文化の中での東洋人の魂の競演も見所。歴史あるアジア文化、悠久の時が、新しい土地に根付くさまが匂いとなって漂っているのだ。原題は「A Thousand Years of Good Prayers」で、色々な意味に訳せてこちらも興味深い。

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(C)2007 Good Prayers,LLC All Rights Reserved

 <離婚した娘を心配した父親が>、中国からアメリカの地方都市にやってくる。12年ぶりの再会だ。殺風景な部屋に住み、朝食もとらず、国籍不明の妙な料理を食べる娘に面食らい、父がしたのはまず中華なべを買うことだった。色々料理を作っても娘は不機嫌で、やがて帰宅も遅くなる。新聞を読み片言の英語で隣人と仲良くなりと、気を紛らわせても不幸せそうな娘が気にかかる。娘の身辺を探る父親、ある夜、とうとう2人は衝突して…。

 <親子の情愛だけなら>、これを異国間の問題にしなくても、田舎から出てきた娘と父親でもいくらかは当てはまる。ただ文化大革命期という、思想狩りまでされた中国の政治が絡むと物語は複雑だ。親子の確執にも、実は見えないところであの時代が影を落としている。父の秘密は、あの変革の時を、家族を守る為屈辱を耐え自分が犠牲になって生延びた事。その苦悩を知らない家族は父の突き通した嘘を虚勢とだけ見て、彼を疎んじ確執を生んだ。

 <そんな時代や祖国を忘れるように>、異国の言葉に馴染み異文化に染まっていく娘。自分を苦しめた変革や祖国すら敬愛し、娘にも忘れて欲しくない父親。自分の捨てたい過去を持って訊ねてきた父は重い存在だ。忘れないと、このスピードで回る異国では暮していけないのに、ゆったりと暮らす老人世代の父親にはそれが解らない。もう私のしたいようにさせて、お父さんとは違うんだからという娘の苛立ち、同じ立場に立ったら私もそうなるだろうとリアルだった。もちろんそうかと言って父への愛がないわけではない。2人のすれ違う思いを重ねるには、千年の祈りのような静かな時が必要なのか…。

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(C)2007 Good Prayers,LLC All Rights Reserved

 <父親を演じるヘンリー・オーが素晴らしく>、この作品の気品になっている。背中を丸めて肩を落とした姿の内面から滲み出る端正さ、人の品格って何だろうと改めて考えた。静かにスクリーンを支配して客席にまで品位を広げていく様が見事なのだ。オーのこの姿こそ、中国の底力。悠久の時千年の祈りの果てに持てる物だと思う。
 <そんな父親だから>、まるで秘密のベールを取るように、娘の部屋のマトリョーシカをだんだんに剥がし、机の中を探っても、品位はなくならない。老人と言うのも良いのだろう。生々しくなくて、親ってこんなもんだとちょっと笑いながら見れる。過剰な愛すらも父親の慈愛とし、そのまま祖国の慈愛になっていく。それでも娘は何時までも父の慈愛の中にばかりはいられない。新しい土地で、自分世代の祈りの時を持たなくてはいけないのだ。

 <そんな葛藤はこの親子だけではないらしい> 父親が公園で知り合った裕福なイラン人の夫人も、息子夫婦から疎んじられ老人ホームへ入っていく。片言の英語と中国語とイラン語という通じないはずの言語で心を通わせ、異国暮らしを慰め合った2人の老人の感じる寂しさ。他人に通じるのに、血を分けた子供に通じないもどかしさ。親と子に共通するはずの祖国の思い出は、親には絶対でも子供にとっては過去のものになっていくのだ。
 いくら心配でも娘の事は娘に任せるしかないと徐々に解ってくる父親、とっくに親離れしている娘に対して、父親が子離れをする時、お互い大人同士で向き合う時が来た。

 <長年の秘密を独り言のように語る父親と>、それを隣の部屋で聞く娘の姿が美しい。向き合っては打ち明けられない本当の事、大人の親子にはこんな距離が必要なのだ。
 <ラスト>、父は娘の薦めどおりアメリカを旅する。飛行機ではなく列車に乗ってゆっくりと、娘と自分のことを考えながらの旅だ。旅が終われば娘が止めたとしても、父は笑って自分の住む場所、北京に帰っていくだろう。自分の願いとは違っても、娘も又、娘なりの幸せを探す旅をしている。黙って見ているしかないと納得する父、この後にこそ本当のいたわりが生れる。
 知的な父と娘の、お互いを解り合えたからこその静かな別れが想像できて満たされた。それぞれの幸せを願う思いが、時空を超えてゆったりと流れる。(犬塚芳美)

この作品は、11月28日(土)より、梅田ガーデンシネマにてロードショー!
     (近日)、京都シネマ/シネ・リーブル神戸にて上映

映写室 NO.25 eatrip(イートリップ)

映写室 NO.25 eatrip(イートリップ)
  ―ごはんのじかんです。―

 おなかよりは心のごはんのような作品だ。食にこだわりを持つ、職業も年齢も違う出演者たちが身にまとう、クリエイティブな匂いに心を擽られた。「人と食を巡る、映画のかたちをした、ごはん」と言うキャプションがついているが、まさに食は生き方だ。誰もの生き方のセンスがよくて、このドキュメンタリーをお洒落に仕上げる。監督はテレビ、ラジオ、雑誌等で幅広く活躍するフードディレクターの野村友里(のむらゆり)さん。全編フィルム撮影と言うこだわり様で、“食”の周りの言葉にならない空気感を映します。

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(C)2009 スタイルジャム

 <色々な人が食について>、野村監督のインタビューに答える形で、語っている。それもさすがフードディレクターの出入りする所、普通のようで贅沢な食材が続くのだ。まず最初は、築地魚河岸市場。ずらっと並ぶ魚やセリの様子と共に、ここで5代に渡って魚の仲買をする丸十高橋のご主人が、このところ取れる魚の変化や、魚の魅力について、生き生きと話す。鮮度の良さがスクリーンからも伝わってきて、お寿司が食べたくなった。
 <その次は日本料理の要>、だしの根源、鰹節だ。同じく築地の鰹節問屋、秋山商店が登場するが、ここは日本で最初に削り節を商品化したところだという。良いおだしなら後は何にもなくても美味しいという女主人の話。芸術作品のようなきれいな削り節に、こんなのをたっぷり使っておだしを取れるのは高級料亭だろうなあと、溜息。さり気無い贅沢、一度買ってみたい。

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(C)2009 スタイルジャム

 <自給自足したいと思っても>、思うだけで実際は出来ない。ところが、この人は軽やかに実行してる。沖縄・やんばる高江に移り住み、夫と2人の子供と共に、川の水を汲み畑仕事をして、自然と共存して暮すのが森岡尚子さんだ。田舎暮らしが素敵なのは、田舎で都会の感覚を残して暮しているからの典型のように見える。小さなお芋しか採れない畑仕事が楽しいのも、心の余裕があるから。ままごとの様に見える暮らしだけれど、そんな暮らしをする自分を楽しんでいるのだろう。そんな彼女はいまや若い女性のカリスマらしい。本当の田舎を知っていると違和感も残るけれど、色々な事を楽しめるのも若さ。10年後を見てみたい。今のままで続けて欲しいのだ。

 <久しぶりに見る歌手のUAも>関東近郊でロハスな暮らしだ。コットンの長いドレスを着て田園風景を無国籍にする。地元の人との物々交換、自家菜園、都会の時間を止めた暮らし、UAもそんな自分を楽しんでいるみたい。森岡さんもUAも、いつでも都会へ戻れる人の、つかの間の休日のように見える。

 <最後のシーンの>、浅野忠信や内田也哉子等クリエイティブなゲストが語らう、テントの中でのパーティのように、何を映してもクリエイティブでお洒落なのが特徴だ。もちろんそれが監督の視点で、一番の醍醐味は、監督自身の手際の良い調理の手元が映って、次々とお洒落なメニューが出来上がっていく。まるで手品のようだ。香ばしい香りを放つ料理の数々、食を扱いながらセンスを見せている様な、近くて遠い世界が続く。お料理以上に登場人物たちの放つ、物を生み出す人たちのオーラが印象に残った。(犬塚芳美)

11/14(土)より、梅田ガーデンシネマにて “秋の上映会”スタート!
       近日、京都シネマにて

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(後編)

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(後編) 
   ―中越大震災と闘った小さな村の物語―

<昨日の続き>
―ええ、そうでしたね。
橋本:山古志は元々地震や地すべりがあった土地で、それを乗り越えて命を繋いで来ている。ここの様な中山間地は日本の大部分を占めています。映画に出てくる人々がどう生きているかを描いたら、日本人の生きてきた姿が浮かび上がるはずだと思いました。元々日本人は人の繋がりを大事にして、自然と共生して生きてきたんですよね。「掘るまいか」を撮った時から、(この村の深さは何だろう?)と思っていました。腹にすとんと落ちなかったそんなものが「1000年の山古志」のテーマに繋がったんです。(これは日本の村の物語だよね)という、うっすらと感じていたものが、ラストまで撮って解ったというか。俺達が作りたかったのはこういうものだったんだと、作りながら解りました。

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―解るまでには、時間がかかっていると。
橋本:全部で150時間回しています。最初プロデューサーから、700世帯全部を映せと言われました。まあ、そういうつもりで撮れという意味でしょうが。完成後の発表会で「特定の家族が出てくるが、決して特定の人の物語ではない。山古志の人全てを描くつもりで撮っている」と言って観てもらったら、たとえば上田さんの物語に「ああ、これは自分の物語だ」と皆納得してくれました。元々この作品は、カメラと村人が近かったんです。プロの方たちからは、「対象に踏み込み過ぎもせず、そうかと言って空々しくもない。いい距離で撮ってる」と言ってもらいました。

―皆さん生き生きとしていますが、カメラが背中を押した所もありますか。
橋本:映画を撮るという行為そのものが皆さんの背中を押し、生き生きとさせ、そんな村人達の姿がとるほうの背中を押したという、共犯関係から撮れた映画です。田んぼを修復した上田さんなんてその典型で、最初は諦めていた。家を壊す日に初めてお会いしたんだけど、上田さんは「自分の代で家を壊してご先祖様に申し訳ない」としょんぼりしてて、「ご先祖様のお墓と仏壇を修復して、自分はもう一度田んぼをやりたい。それが出来たら家なんて掘っ立て小屋でも良い。ここで田んぼが出来たら、他には何にもいらない」と言うんですよ。僕らもうるうると来て、「上田さんが稲を刈り取る所を見たいよね」と言い合い、どうしたら田んぼが出来るかをカメラのないところで話したんです。「映画の為じゃあなく僕らは上田さんが田んぼをやるのを見届けたいんだ」と言っても、最初は「でもお金が無いし」、「もう自分は年だし」、「娘達も反対してるし」とか言ってたのを、だったらこうしたらと一つ一つ解決していった。そのうち「そこまで言ってくれるんだったら、やっちゃおうかなあ」とか言って、ホースを発注したりとか少しずつ自分で動き始めた。

―スタッフの思いが上田さんの背中を押したと。
橋本:そうですね。ホースを持って山道を突き進んで行くところとか凄いでしょう? 崖の上を草に捕まって登るんですよ。まず最初に、重い機材を持った録音が脱落しました。僕も途中で駄目になるんだけど、カメラマンなんて僕を心配するどころか邪魔にする位だった。上田さんのこの執念を撮りたいと、必死でくらい付いていく。映したほうの執念も凄かった。よく落ちなかったものだと、後で怖くなりました。
―そうして伸ばしたホースから、ちょろちょろと水が流れてくる、と。
橋本:水が出た時は、ほんと嬉しかったですね。あの年齢の人が、長靴をはいて子供みたいにピチャピチャやってる。山古志は元々水の神様がいて、水は大事だから、こうして水が引けたときは祝うんだと言って、何か貰ったりしました。まだその時には水が溜まるかどうか解らなかったんだけど、夢が半分くらいは叶ったかなと思いました。ただ上田さんは、途中でお祖母ちゃんが死ぬんです。田んぼも見せたかったし、長岡に建てた家も見せて、こうして再出発できた事を知らせたかったと言っていました。

―その上田さんとか、たくさん映した中から、5人に絞り込んだ基準は何ですか?橋本:ある種運命的な出会いの方です。上田さんの場合、初めての出会いであの方の持つ重みから本当の山古志人と出会ったと思ったし、名前とか僕のお袋と似ているところもあって、色々な思いが錯綜し、この人は僕らにとって大事な人になるかもしれないと感じました。カメラマンも、「この人良いよ。びんびん来る。深いものを持ってる」と最初から言ってましたね。でも本人はマスコミが嫌いなんです。山古志一の山菜取りの名人だとか、地元では有名なんだけど、テレビ局等が映そうとすると嫌がる。僕らは拒絶されなかったけれど、最初からがんがん映せたんじゃあなく、そろりそろりで、我々を解ってもらうまで結構時間がかかっているんです。

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―なるほど。ひまわりを植える関さんも印象的ですが。
橋本:映画ではそこまで映りませんが、関さんだけで映画が1本できるほど回しています。今までは夫を立てて後ろから静かについていく、絵に描いたような良妻だったのが、地震をきっかけに自分って何なんだろうと考えたと言っていましたね。地震で避難所に来て、時間があるから色々な事を考える。仮設にばかりいると家族が心配するから外に出るんだけれど、暗い表情で下を向いている姿を人に見られるから、晴れの日は出れない。雨の日に傘を目深にさして、顔を隠しながら仮設の周りをぐるぐる1日中歩いた、と。人生をリセットされてしまって、自分はどう生きてきたのか、自分の人生は何だったのか、これからどう生きるつもりなのか、自分を突き詰めたそうです。又以前のように山古志に戻るのであれば、そこで自分が生き直す為の理屈が欲しいと考える。そんな時、神戸の方がひまわりの種を持ってきてくれるんですね。「ひまわりはどんなに辛くても真っ直ぐ上に伸び、太陽を向いて咲く。こんな風に生きようよ。自分たちは震災の後ひまわりを育てて元気をもらった。あんたたちもここで怯まないでひまわりを育てなさい。」と言われて、(そうだひまわりを育てて、種から油を絞ろう。それを自分の生きがいにしよう。ひまわりを一つのシンボルにして、自分なりに山古志に尽くしたい)と、その時決めるんです。ご主人は昔風のしゃしゃり出るなというタイプだけれど、生き生きと元気になっていく妻を見て、影で協力するとか変っていく。大人しい人が団体まで立ち上げました。「地震は色々な物を奪ったが、奪うだけでなく、人生を考え直すきっかけを与えてくれた。山古志って本当に良いところねえって、ここのよさを見直せるきっかけにもなった。辛い経験だったけれど得た物も多い」と言っていました。全てを破壊されたわけだから、皆さん色々厳しい決断を迫られるんです。岐路に立ち自分を試された人たちの、「今畜生、負けるもんか!」という頑張りを、ちゃんと撮りましたよというのが僕の思いです。底から這い上がってこれる力、これが日本人のDNAかなあと思いました。

―日本人というけれど、山古志の人々は特別のようにも思います。生きる知恵があるというか、生活を楽しむ力があるというか。
橋本:確かに山古志の人はイマジネーションが豊かだし、民意が高いですよね。ここは元々幕府の直轄領だったんだけど、役人が時々来るだけで、あまり締め上げられてないんです。錦鯉にしても、突然変異できれいな色の物が出たら、それをかけあわせてもっと珍しい物を作るとかを、昔からやっているんですよ。元々、日本の百姓と言う言葉は気高い言葉で、自治能力や知識があった。昭和の初期に、貧しい人たちがお金を出し合って、16年もかけてトンネルを掘ったというのがそれを証明しています。中央から言われた事じゃあなく、自分たちでやっているんですからね。何をやるにしてもしなやかで品格があると思いました。この映画でもリーダーの松井さんが、「これは国がやってくれる、県がやってくれるというんじゃあ駄目だ。自分たちがどうしたいかを考えないと」と言うんですが、何事も人任せにしない。自分の足で立ち自分の力で切り開いて生きてきた。それが地震が起きた時に生かされたと。ここにいたって自分の中で「掘るまいか」から「1000年の山古志」が一つに繋がりました。山古志の人々は自然に痛めつけられたけれど、自然に助けられてもいる。土地と細胞が繋がっているというか、土地は命の元なんですよ。そういう生き方をしてきたからこそ、便利だとか不便だとかではなく、戻りたいと思うんです。それが役人には解らない。

―深い言葉です。同じ武重さんプロデュースの「いのちの作法」の舞台の村と同じ匂いを感じました。
橋本:沢内村もそうでしたね。特別な村長がいたのもあるけれど、あの村も自分たちで考え自分たちで実行している。しかも人間が自然と共生して生きているんです。これが日本人のDNAですよね。プロデューサーは今までも日本人の根っこを探ってきた人で、ぜひとも残したいそういう所を見つけてくるんですよ。この問題は実は僕にも関係していて、自分はオーム世代というか、高度成長の最中に育って、根っこのなさというか、生きていく手段がないというか、自分の所在のなさに後ろめたさがあるんです。(俺って何?)と山古志に行くと劣等感を感じる。あそこでは皆生きていく実学を持っていますからね。便利になったけれど、私たちは色々な物を切り捨ててきた。自分たちよりもっと酷い状態になっている若い人にも観てもらって、何かを感じてもらえれば良いなと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 本当言って私も、もう山古志の人々が元の場所に帰る事はないだろうと思った一人です。でも予想に反して、多くの人々が故郷に帰った。その裏にこんな物語があったとは…。ここにあるのが本物の暮らしだなあと、監督の狙い通り、1000年続いた山古志の人々の英知に心を揺さぶられました。浮ついた都会暮らしが、ちょっぴり虚しくなる。


  この作品は11月7日(土)より第七芸術劇場で上映。  
         <なお、8日(日)には監督のトークショーがあります>
       順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

映写室 「無防備」市井昌秀監督インタビュー(後編)

映写室 「無防備」市井昌秀監督インタビュー(後編)    
 ―息子の誕生に命の大切さを思う―

<昨日の続き>
―富山と東京の違いはどうですか? 物を書く仕事で、東京は時間の流れが速く、情報が多過ぎて自分を見失いそうだからと、敢えて不便な地方に住み距離をとっている知人がいますが。
市井:僕もそんな感じを持ちます。今回は特に、以前と違って東京の何かに馴染めないんです。家族を持った事が大きいかもしれないけれど、2年間富山に住んだ事もあって、何かが違ってしまった。出来れば都心を離れて、1時間位で仕事に通える、田舎の雰囲気が残っていて情報も入って来る所に住みたいんです。僕は大学時代を過ごした阪急沿線の西宮が好きで、片側に海が見え町にも近く、しかし自然もあるというのが理想なんです。今は東京に住まざるをえないけれど、撮影だと田舎に行って撮りたくなる。僕の今までの作品は、東京で撮ったものも、都会というより田舎の匂いの残った所で撮っています。これを撮る2年間は富山に住んだので、脚本を書きながら自分の過去が甦って来て、随分助けられました。15年位前に離れた場所ですが、田舎や故郷の温かさというのは良いですね。

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(C)2008『無防備』製作委員会

―田んぼの中にぽつんと建った工場とか、田舎の閉塞感や、逆に田舎の豊かさやのんびりした所とか、この物語自体が田舎だから成り立つわけで、私もそんな所で育ったので、微妙なニュアンスが伝わってきました。そこで暮す律子のリアルさも格別ですが、森谷さんはこれ以外でも市井監督の作品によく主演されていますね。
市井:僕自身が特別な存在ではなく、目立たないという事にコンプレックスを持っています。だから僕の映画では、あまり目立たない所の人に光を当てたいという思いがあるんですが、失礼ですが森谷さんにも同じ匂いを感じました。最初短編の主役をお願いして、出来上がってみると僕のイメージにぴったりで、3作続けてお願いしています。
―そうは言っても、森谷さんはふてぶてしいほどの存在感。目立たない様で凄く目立っていますよね。
市井:そうですね。森谷さんはカメラの中で独特の存在感を示します。それに役の解釈も適切なんです。いつもは律子よりずっと明るいおっとりした方ですが、カメラの前では役柄を掴んで、この作品の律子のように変わっていきますね。

―森谷さんへの演出とかは?
市井:僕は最初から押し付けないで、俳優さんの解釈のまま一度野放しで演じて貰う方なんです。要所要所の手直しはしましたが、今回もそれでほとんどブレが無かったです。この作品は富山で妻と2人、期間・お金と制約の多い中で作りました。森谷さんだけでなく他の役者さんも、それを解ってくれ、なおかつ僕を理解してくれる人たちと組んで作っています。スタッフも同じです。そんな事もあって、最初はどうしても遠慮があり、僕が一人で多くの事を抱え、準備が追いつかなくてパニックになったりしました。これじゃあ駄目だと皆に謝り、低予算のこんな状態でも皆それを承知して参加したプロなんだから、遠慮せずに力を借りようと思い直して、話し合い、上手くいくようになりました。

―律子にしても千夏にして女性は素敵で頑張るのに、夫たちがあまりにだらしが無い。そんな設定とかはどうしてですか?
市井:確かに男たちはだらしが無いですね。前作もそうなんですが、僕の作るものは、女性の頑張りに対して、男が酷い。誰しも完璧な人はいないけれど、根本的に女性の方が強いなあと思っているんですよ。現に、律子の夫の冷たさや自分勝手さ、千夏の夫のだらしなさとか、脚本を書いた僕自身の持っているものでもあります。彼らに何処か重なりますね。
―それでも従う女性たちに少し不満も持ちました。
市井:そうでしょうねえ。千夏に嫉妬する律子の感情とかも解りますし、女性たちのキャラクターも僕自身が持っているもので、僕の願望かもしれませんね。
―律子の家とか、今回はロケシーンも絶妙でしたが、ロケハンとかは?
市井:富山に帰ってから、僕がほとんど一人でロケハンをしました。律子の家はフィルムコミッショナーの方が「誰々さんとこ行って見たら?」という感じで、何箇所か候補を挙げてくれて、その中でも一番イメージに近い所にオーケーが貰えました。例えば、階段に手すりが付いているとか、食器が沢山あるとか、以前に夫の両親と同居していた痕跡が残っていて欲しかったんです。今は両親が死んでしまったという設定ですが。踏み切りで二つに分かれた道とかも、フィルムコミッショナーの方に教えて貰いました。最後まで決まらなかったのが、工場への行き帰りに律子や千夏が歩く田んぼの中の真っ直ぐな道です。田んぼはあってもたいてい間にぽつんぽつんと家が建っている。あそこまで開いている所はなかなか無くて、探すのが大変でしたね。

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(C)2008『無防備』製作委員会

―監督はいつもは他のお仕事をされているんですね。奥様の日記に、早く映画の仕事だけをさせてあげたいと書いていました。
市井:助監督とかをするより、1本でも多く映画を観たり脚本を書く時間を作るほうが大事だと思うんで、あえて映画の仕事には関わらず、全く別の仕事をしています。でも時間的にも仕事の占める割合が大きく、それが悩みですね。
―カードローン、消費者金融と目いっぱい借金をしてこれを作ったとも書いていますが。
市井:ええ、これは最後の自主映画で、どんな借金をしても完成させたかったんです。でももうそんな事は止めて、借金がまだ残っているので、そういう意味でももう自主制作では作れないんですが、今度からは企画書を出して、お金も出して貰って作れるような監督になりたいですね。
―この作品で大勝負に出たと?
市井:自分をさらけ出したという意味ではそうですね。お金でもそうですかね。借金の事は両親にも内緒です。今も知らないんじゃあないかなあ。

―どうしてそこまで映画作りに拘るのでしょう?
市井:自分が出る事も好きで、最初はお笑いを目指していました。でもだんだんお笑いではなく、役者として出たいと思い出し、東京乾電池の研究生として1年間演技の勉強をしたんです。でも劇団員に残れなかった。自分が脚本を書いて監督をやれば出演できると思って、作り始めたのがきっかけです。
―じゃあ機会があれば、ご自分も出たいと?
市井:もう今は考えていないですね。監督として外から見ていて、役者さんの大変さが解ってきたし、自分がそれをやるというのは考えられなくなりました。監督としての映画作りの面白さに目覚めたのもありますし、自分はそんなに器用でもないので、作る側でいようと思います。この作品には音楽を担当してくれた朝倉裕稀が出演していますが、音楽家というのは何処かで俳優とリンクする所があるんでしょうね。独特の存在感を見せてくれました。

―撮影中に息子さんが誕生したわけですが、子供が生まれる前と後で変った事を教えて下さい。
市井:日常的には妻と息子という家族に対する責任をもの凄く感じるし、自分を生んでくれた親の事にも目が行く様になりました。映画的にはどうでしょうねえ…。(暫く考える)こんな事を始めて聞かれたんで、今考えてるんですけれど、子供の顔を毎日見て思うのは、例えば走っていて直角の曲がり角とかに来たら、大人だったら向こうから誰か来るんじゃあないかとか考えて少し怯むんだけど、子供は何の躊躇も無くそのままのスピードでバーッと曲がっていくんですね。こんな風に未来を恐れない子供の感性を持ち続けないといけないなあと思いますね。
―そもそもこの作品、最初は息子という題名で書き始めたんですね?
市井:ああ、そうでしたね。忘れていました。「無防備」に変ったのは、脚本を書いている時、アメリカの高校で銃の乱射事件があって、それを伝えるニュースが「無防備な子供たちを…」と繰り返して、何か引っかかったんです。で、子供というのも無防備だし、律子にしても、殻に閉じこもっていた心が段々無防備になっていく。そんなものを描きたいと思ったんです。

―お話していて気付いたんですが、無防備というのは監督自身の事かも知れませんね。ご自分の姿勢にリンクするから、誰もが聞き逃すニュースのその言葉に引っかかったんじゃあないのかと。創作する姿勢においても、子供のような無防備さを失くしたくないと仰っていますし。
市井:そうかもしれません。借金の事とかはそうですよね。次に作りたいものも、ある程度具体的になってはいるが、何かが足りないんです。お話していて、子供が無邪気に突っ走っていく勢いを、表現者として忘れてはいけないと思いました。これからも物を作る上で、僕自身から生まれてくるものを大事にしたいし、映画作りは多くの人が関わってくれるので、これを現したいというものは、例え無防備であってもぶれないで作って行きたいと思います。

―最後になりなしたが、皆さんへ一言。
市井:先行した東京では年配の方が多く見て下さいました。もちろん年配の方にも観て欲しいけれど、命を粗末にするのは若い世代が多いので、若い世代にもぜひ観て欲しいと思います。又この作品の大きなテーマは再生、女性だけに解る映画でもないので、男性もぜひ御覧下さい。観光名所は出ないけれど、怪獣公園とか、富山の面白い所、美しい所が映っています。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
 “この秋、劇場が分娩室になる!”という、ちょっとショッキングなキャプションも付いていますが、生まれたのは赤ちゃんだけではなく、新しい試みの作品でした。女優2人の体当たりの演技で、柔な頭に強烈なパンチを食らった気分。映画の放つ衝撃をぜひ劇場で体験して下さい。又、素晴らしいのが、作品の世界をそのまま豊かに広げていく、ラストの齊藤さつこさんによるボーカルです。心に染み入って震える事請け合い! 市井監督と素敵な仲間たちの無防備なコラボレートが光る作品です。


    この作品は、11月7日(土)より京都シネマで先行上映、
                 11月21(土)からシネマ-ト心斎橋で上映

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(前編)

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(前編)   
 ―中越大震災と闘った小さな村の物語― 

 未曾有の災害となった2004年の中越地震からもう5年。私が山古志の名前を知ったのは、あの時流れた全村避難のニュースでした。半分崩れ落ちた道、美しい棚田や錦鯉の池の崩壊、牛舎に取り残された牛たちの姿と、自然の猛威を見せ付けた映像が忘れられません。それと共に、暫くして届き始めた、あれほどの破壊の後でも村の人々が少しずつ山に帰っているというニュースに驚いたものです。
 この作品は、山古志村を舞台に「掘るまいか」を撮った橋本信一監督が、震災の2週間後からカメラを回し続けたもの。1000年の歴史を持つ村が、災害に負けずどうして再生を目指せたのか。村人たちの不屈の魂、英知を探っていきます。そこから浮き上がるのは、山古志だけではない、私たち日本人がもっていた生きる力、普遍的なものでした。橋本監督にお話を伺います。

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<橋本信一監督インタビュー>
―監督と山古志とのかかわりは、「掘るまいか」からですよね?
橋本信一監督(以下敬称略):ええ、そうです。始めて村に行ったのは98年11月、完成したのは2003年の8月でした。山古志村の方から、「新しいトンネルが出来るんだが、そうすると昔皆が手掘りした隋道が忘れられてしまう。村の歴史だから記憶に残したい。それには広報媒体がいる。映画を作りたいんだけれど」と相談があったんです。当初は劇映画を作りたいと言っていて、有名監督とかにも話を持っていったらしいんだけど、「昭和初期の話を撮るなら5億はかかる」と言われて、村の人はびっくり。そんなお金はないし、騙されるのではないかと怖くもなった。神奈川県に今村昌平監督とこの作品のプロデューサーの武重邦夫さんが作った日本映画学校というのがあって、学校の人なら騙さないだろうと、こっちに持ってきたというわけです。で、武重プロデューサーと一緒に初めて山古志に行ったんだけれど、トンネルを5百メートル位歩いただけで圧倒された。手掘りだから岩とかむき出しで、ごつごつしていて彫刻みたいなんです。厳かというか、何かを語りかけてくるというか、まるで有名な宗教施設に入ったような感じなんですよ。思わず背筋を伸ばし、最初はわあわあ言っていたのに、残りは黙って歩きました。出口まで歩き終わると、プロデューサーの目が「やるだろう?」と言っていて、ぼくの目も「やります!」と言っていて、何も喋らないんだけれど、これで決まりました。

―凄いお話ですね。
橋本:再現シーンとかもあるんですが、山古志の人たちに協力してもらって、道具とかは当時使っていた本物か、使っていただろう物を用意しました。当時を知っている村の長老が時代考証をしてくれたんで、リアリティがあるんです。村の人にとっても映画作りはお祭りで、皆熱に浮かされたように、農作業をサボってやって来て、ワーッと一緒に作ったりと面白かったんですね。だから、映画が完成して我々もいなくなると、火が消えたようにさびしくなった。若い人とかが、又映画を作りたいなあと言っていたようです。こっちは細々と上映を続けていたんですが、そしたら2004年10月に中越地震がおき、大騒ぎになった。実はその日は、知り合いが東京国際映画祭で受賞したんで、お祝いに六本木ヒルズに行っていました。小泉さんとかも来てたんですが、エレベーターが止ったんです。結構揺れたんで、最初は東京で地震があったと思いました。誰かが新潟だと言い出し、心配になって山古志の人たちにメールや電話をするんだけれど、誰も出ない。胸騒ぎがするけれど、ニュースで長岡、小地谷、柏崎等新潟の地名が出るのに、山古志は出ない。山の中なんで大丈夫だろうと思っていました。そのうちにテレビで全村避難のニュースが流れて、怪我をしてヘリコプターで運ばれている人が映ったら、松崎六太郎さんという「掘るまいか」に出たおじいちゃんだった。(え、何やってるの?)と映画を観てるような感じで、現実味は無かったですね。時間が立つにつれ、水没した地域が映ったり、僕等が撮った棚田がめちゃくちゃになってたりで、だから連絡がつかないんだと解りました。後で村の人に聞くと、山が一つ動いたというんですよ。大変ですよね。すぐにでも駆けつけたかったけれど、どのルートを使っても、何処かで寸断されてて陸路では入れない。スタッフは「早く行こう」、「早く行こう」と言うけれど、テレビを見てるしかなく、連絡もつかず不安な日々でした。2週間後に天皇陛下が長岡市の体育館にいらっしゃった時、関越道が一時開通したんです。で、「掘るまいか」のスタッフで行きました。

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―天皇ご夫妻のお見舞いの映像がニュースで流れましたね。
橋本:ええ、それです。入ってみると長岡市内は凄い渋滞でした。新潟のテレビ局が「掘るまいか」のスタッフが来るというんで、カメラを準備してるし、僕等が行くのが伝わって、皆待っていました。で、山古志の人たちと映画みたいに抱き合って喜ぶんだけど、「無事で良かったです」としか言えなかったですね。食べ物を持っていってたのに、受取れないと言うんですよ。「こんな大変な時に来てくれて有難う。それは持って帰ってくれ。代わりにこれを食べろ」と言って、自衛隊の配給で貰ったものを布団の上に並べて、もてなしてくれるんですよ。お見舞いに行っているのにおかしな話だけれど、山古志の人たちはこんななんだよなあと納得しました。車座になって話してた時、仕切りもないところに布団を敷き詰めているから、「女性の着替えはどうしているの?」と聞くと、「トイレとかに行って着替えている」と言うんです。「衝立でも作ってもらわないとね」と言う僕らの話を聞きつけたお祖母ちゃんが、怒り出した。「何でこんな所で山古志の皆が元気か解るか? 皆の顔が見えるから元気でいられる。皆で支えあって生きて来た村だから、壁なんていらない。壁を作ったら、ジジババはすぐに弱るぞ。すぐに止めさせろ」と言うんですよ。はっとしました。苦しい中で皆で食べ物を分け合って生きてきた村なんで、個人のプライバシーよりも皆で繋がっているほうが大事。壁がコミュニティを阻害するんです。

―ええ。
橋本:最初、どうやって声をかけたらいいんだろうと思ったけど、実際の皆は暗いばかりでもない。松井さんと言う新築の家が水没した人なんて、お気の毒で声をかけられない。でも本人は暗いわけでも無く、しょうがないんだと開き直っている。「泣いて家や牛が返ってくるんなら、いくらでも泣くよ。でも泣いても返ってこないんならしょうがねえじゃあないか。それより自分はこれから集落をどう立て直すかを考えている。今までより良くして、次の世代に渡したい」と言うんですよ。地震からわずか2週間後に、村を子供たちにどう残せるかと100年先のことまで考えている。凄いですよ。誰もが話すのが後悔ではなく未来のことなんです。リーダーの松井さんが、とにかく前に向かっていました。「しょぼくれていたら誰もついてこない。道が壊れたんなら作ればいい。新しい山古志を作ろう」と、強がりではなく、心の底から言っていたんです。

―凄いですね。
橋本:そうでしょう? この人たちの凄さって何だろうと思いましたね。行政やマスコミの人たちから、「1年の半分は雪に閉ざされる、職場まで遠い山に帰るのは止めて、平場で暮らしてほしい。コスト的にも助かるのに、不便な所にどうして帰りたいのか」という声が聞こえてきて、山古志の人たちはじっと耐えていました。「掘るまいか」で人々と土地との繋がりを感じていたんで、僕らも「何言ってるんだよ!」と腹を立てながら聞いていたんだけれど、なんでそこまでして帰りたいかを証明する映画を作りたいと思いました。「マスコミはいずれいなくなる。1人減り2人減り、やがて震災があった事を忘れる。最後に残るのは自分たちだけだ」と松井さんが言うんで、「俺達だけは側にいます。皆さんがどうなるかを見届けるまで、側にいますよ」と言ったんです。その時は撮影するお金も無くてどうなるか解らないんだけれど、映画を作ろうと決心しました。

―それがきっかけになったと。
橋本:それ以前に小さな芽のような物はありました。地震の前に、山古志村の名前が合併で消えるから、確かにこういう村があった事を証明する映画を作ろうと言っていたんです。村の予算で「永遠の山古志」という小さい映像作品を企画していて、調印するところだったのが、震災で吹っ飛んだ。その小さな芽と避難所で僕が体験した事とが重なり、「1000年の山古志」のイメージが出来上がりました。僕がその時皆に言ったのが、「これを震災復興の映画にはしたくない。もちろん村の人たちの復興は映すけれど、それはプロセスとしてで、1000年続く山古志の深さを描きたい。それが“日本の村とは何か”、“日本人とは何か”に必ず繋がるはずだ」という事です。そしたら皆が「監督の気持ちは解るけれど、それじゃあお金が集らない。震災からの復興を前面に出したほうが良い」と言うんですよ。でも、「それをやるんだったら僕は降りる。タイトルは譲れない」と頑張って納得してもらいました。だから仮設住宅はあまり映っていません。(聞き手:犬塚芳美)
                    <続きは明日>

   この作品は11月7日(土)より第七芸術劇場で上映。  
          <なお、8日(日)には監督のトークショーがあります>
         順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

映写室 「無防備」市井昌秀監督インタビュー(前編)

映写室 「無防備」市井昌秀監督インタビュー(前編)     
―息子の誕生に命の大切さを思う―

 妻の懐妊で思いついたという、大きいお腹と同時進行のこの物語は、ドキュメンタリーなのか、劇映画なのか? 題材と共に、境界を曖昧にした斬新な手法が光ります。そんな独特のスタイルと出産を真正面から扱った大胆さに、第30回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)はグランプリを含め3部門の賞で応えました。さらに第13回釜山国際映画祭コンペティション部門ではグランプリを受賞し、第59回ベルリン国際映画祭への正式出品と勢いが止まりません。市井昌秀監督に制作秘話等を伺いました。


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(10月27日 大阪にて)

<その前に、「無防備」とはこんなお話> 
 田園地帯のプラスティック工場で働く律子は、家と工場を歩いて往復するだけの単調な日々だ。ある日、大きなお腹を抱えた千夏が新人で入ってくる。仕事を教え、一緒に帰り姉のように慕われる律子。流産をきっかけに夫との仲が冷え切っていたが、もう一度子供が欲しいと思いだす。しかし夫は冷たく、幸せそうな千夏を見るとざわめく思いが…。

<市井昌秀監督インタビュー>
―妻の懐妊すら映画作りのきっかけとして見逃さないという姿勢に、快諾したという奥様共々、物作りをする者の性を感じました。
市井昌秀監督(以下敬称略):そうかもしれません。ぼくも妻もいつもクリエイティブでありたいと思っているし、撮りたいものが出てくるのを探しています。そんな僕等にとって、妻の懐妊は何よりの刺激になりました。「無防備」は出産から逆算して作ったといわれるけれど、僕自身は最後が決まってないと書けないタイプなので、他のものでも最後を構築してから逆に書いていきます。
―ただ今回の場合、物語的にだけでなく、タイムテーブルを合わせることも必要でした。
市井:ええ、出産を最後に持ってきたくて。日時が不確かなだけにそれが大変でした。これを撮ろうと決めたのは妻の妊娠が解ってすぐですが、出産の半年位前からシナリオを書き始めています。

―ご両親とかの反応は?
市井:どちらの両親にも黙っていました。両方とも映画祭で知ったんです。妻の両親の反応が特に心配で、叱られるのではとドキドキしていましたが、素直に褒めてくれました。僕の両親も同じで、褒めてくれましたね。
―もちろん良かったというのが前提ですが、映像で真正面から捉えた出産シーン等、子供を生んでいない私には衝撃的な作品でもありました。自分が封印してきた、人間も動物だという部分を見せ付けられて、がーんと頭を殴られたというか…。出産をご覧になっていかがでしたか?
市井:撮影中は上手く撮らなくては等々、監督としての立ち居地で一杯一杯で、感動とか無かったんですが、後で撮った素材を見て自然に涙が流れました。産まれて来てくれてありがとう、産んでくれてありがとうと思い、感動しましたね。本能的な部分を擽られたんだと思います。こんな風に自分も生まれてきたんだなあと思い、両親に感謝すると共に、神々しい気持ちにもなりました。そうは言っても照れくさくて、言葉には出していないんですが、ぴあの映画祭に出す文章の、「妻の大きなお腹を眺めながら、母の背中を思い出しながら脚本を書いた」という言葉で解ってくれたのではと思います。

―衝撃の大きさもあって、公開前から色々な所でこの作品の事を話題にしています。出産経験のある教師をしている友人が、子供たちにも見せてあげたいと言っていました。エロティックというより、命の神秘さ大切さが素直に伝わるだろうと。親への感謝も芽生えるでしょう。でも、この作品はR18+(成人映画)指定を受けましたね。
市井:ええ、そうなんです。僕自身としては心外で、ありのままを切り取ったので、子供に見せてもいいのではと思うんです。特に映画的にR18+と言うと、過激な暴力シーンだったり、エロティックなシーンがあったりと想像しがちだけど、そんな事はありませんから、指定を受けた事が僕自身とても残念でした。妻と僕はある意味同じスタンスで、お互いに発信する側にいたいという思いを、ずっと持っています。妻の妊娠がこの作品の直接の契機にはなっていますが、それ以前から命を軽視するニュースに心を痛めていて、それを是正するような何かを作りたいと言っていました。お腹の中に命があると解って、余計に命に関わるニュースが目に付くようになり、こんな作品で命を考えるきっかけになってくれればいいなと思ったんです。僕自身、こんな風に産まれてきてくれたという子供への感謝、取り上げて下さった医療スタッフへの感謝、こんな風に生んでくれた両親への感謝が、自然に芽生えました。それが主人公、律子の自然な涙にも繋がっていると思います。

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(C)2008『無防備』製作委員会

―ええ。でも出産が遅れて、それが大変だったんでしょう?
市井:予定日を1週間過ぎて、妻は動くのが大変だったんです。何人かは仕事で東京に帰っていき、最終的には律子役の森谷さんも含め9人が残ってくれて、それで撮影しました。それも大変だったけれど、陣痛が始まってから16時間続いて、僕はずっと背中をさすったりしたけれど、妻が痛みで殺気立っているのです。隣にいる僕にずっと怒っているんですよ。だんだん追い詰められ、もう撮影どころじゃあないという気持ちにもなって、時間が立つにつれ、どうしたらいいのか解らなくなってきましたね。夫や父親としての感情になれたのは、撮影が終わって機材等撤収し、母子同室の部屋で3人で寛いでからです。
―なんか、その時の監督を映したメイキングを観たいような…。
市井:そうですね。メイキングでおろおろする僕が映っていたら、それはそれで面白いかもしれません。

―そういう情景も見て、ラストの律子の表情が撮れたと。
市井:森谷さんには陣痛にも立ち合って貰い、出産にも立ち合って貰い、子供をお腹の上に乗せたあのシーンで自然な涙が流れました。順撮りでいって良かったと思います。
―失礼ですが、森谷さんはお子さんは? 出産に立ち合われて何か仰いましたか?
市井:子供はいません。誰しも温かい言葉をかけてくれたんですが、森谷さんは「こんな現場に立ち合えて良かった。初めて子供が欲しいと思った」と言っていました。
―子供を産むって凄いですよね。産んでいない女とは雲泥の差。負けましたというか、修羅場を潜っているなあと、しみじみと思いました。
市井:そんな方の感想ははじめて聞いたんですが、地方に行くと、子供を産んでいないと駄目だという悪しき風習があるので、そのあたりを律子で入れてみたんです。

―後でご自分の出産シーンを見た、奥様の感想はいかがでしたか?
市井:出産はドキュメンタリーなので創作の前半とのバランスが難しいんですが、生々しくならずバランスよく治まっていて良かったと言っていました。それと出産を記録に残せて良かったという事ですね。
―奥様もあくまでクリエータの視点ですね。凄いです。それまで東京にいらしたのに、撮影の為に富山に帰られたんですね?
市井:ええ、富山に帰って映画を撮り、その後も今年の3月まで、この作品にも登場する実家の工場で働いていました。富山に帰って映画を作ったのは、それ以外に方法が無かったからです。律子は両方をしていましたが、工場は基本的には男性が成型をし、女性が検査をしています。ぼくも色々な仕事をしていました。でも工場の事情もあり、作品を公開できそうだというのもあって、今度は又東京に出てきましたが。(聞き手:犬塚芳美)
                            <続きは明日>

 この作品は、11月7日(土)より京都シネマで先行上映、
       11月21(土)からシネマ-ト心斎橋で上映

映写室 NO.24 スペル

映写室 NO.24 スペル
   ―小さな不親切が引き起こす悲劇―

 「スパイダーマン」シリーズのサム・ライミ監督の最新作が届いた。あまりの過剰さに悲劇なのか喜劇なのか解らない。恐怖で震え上がってはいても、後ろの席からは笑い声が聞こえてくる。そうなのだ、これって笑い飛ばせば良いんだと気付いても、私のセンスでは固まったままだ。これってセンスを試されているのかも? 誰かの笑いの引き金がいる。たまにはそんな奇想天外なハチャメチャも良いだろう。さあ、史上最悪の敵とは誰か、ほんの些細な不親切から極限に追い詰めらる主人公と一緒に、最悪の3日間を経験してみよう。ちなみに「スペル」とは、呪文や呪縛にかけられている状態を指します。

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(C)2009CurseProductions,LLC

 <銀行のローン係のクリスティン(アリソン・ローマン)は>、昇進の為に上司へのアピールが必要だった。そこへ薄汚れたジプシー風の老婆が現れ、3度目の住宅ローンの延長を乞う。駄目だという上司の指令どおり断ると、突然激怒。呪いの言葉を吐いて暴れた。その夜から執拗な嫌がらせが始まる。参ったクリスティンが老婆に謝ろうと自宅を訪ねると、老婆の葬儀の最中だった。孫娘は「黙って呪いを受けろ」と冷たく言う。

 <…こうして、謝ろうにも謝れないまま>クリスティンは呪いの中に突き落とされる。これって不条理と言えるかもしれない。彼女がそんなに不親切だった訳ではなく、普通と言うか、親切でなかっただけなのだ。上司や同僚のように、彼女より不親切な人は一杯いるのに、老婆は一番弱い存在、なまじ良心のある彼女に取り付いていく。ひどい話だけれど、中途半端な良心が一番つけいれられるというのも真実だ。他人の痛みに気が付くと、其処がウイークポイントになる。一度の不親切を悔いるクリスティンの優しさが命取りになっていくのだ。過ちの代償はあまりに大きかった。

 <クリスティンにはナチュラルな雰囲気の>アリソン・ローマンが扮し、このとっぴな物語を幾らか(?)身近にしていく。アクションシーンも凄い。化け物と化した老婆と渡り合っていくのだけれど、可愛いとはいっても、考え方も容姿もあまりに普通だから、何とか助けたくてやきもきする事になる。もちろん時間と共に行動も桁外れになり、逞しくなっていくのだけれど、異界で孤軍奮闘する彼女に最後まで寄り添えた。
 <苦境のクリスティンを支えるのが>、大学教授の恋人クレイだ。非科学的な事など信じないけど、何処までも恋人を守り抜く男を、ジャスティン・ロングが微笑みながら好演。一見頼りなさそうでも、自分で出来る方法で助け、恋人を見捨てたりはしない。ジャスティンにはそんな役がよく似合う。この物語の唯一の救いで、こんな彼がいたら辛い事も何とか乗り切れるかも。

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(C)2009CurseProductions,LLC

 <クレイの両親に認められたいと言う>、クリスティンのささやかな望みすら吹き飛ばす老婆の呪い。呪いは時間と共に肥大化してまるで黒魔術。彼女を助けようとする者へさえ災いが及ぶ。過剰さを笑おうとするんだけれど、恐怖と気持ち悪さで体が引きつったまま。笑いたいのに笑えない。逆恨みで狂わされる人生のあれこれ、こんな怪人に出会ったら堪ったもんじゃあない。
<老婆役といいアリソンといい、女優魂をかけた特殊メイクに臨む> 後で自分で見てもぞっとした事だろう。

 <奇想天外な美術も、嫌悪感と言えば嫌悪感。楽しめる人には楽しめる> 口の中に入る虫や唾液、汚い入れ歯と悪趣味の窮みで、映像はこれでもかと言うほどの気持ち悪さだ。「スパイダーマン」のヒットで今や巨匠の域のサム・ライミだけれど、10年前から構想していたというこの映画のB級感は半端じゃあない。可能になった資金力を使ってビジュアル的に容赦がないのだ。サム・ライミ流遊び心一杯というわけで、生理的な急所を突いてくる。やりたい放題はまるで悪餓鬼だけど、それが恐怖を通り超えて笑いに変えるから面白い。笑いと言っても、もちろん限りなくブラック。恐怖と紙一重のブラックユーモアは、やっぱ笑い飛ばすのが正解なんだろう。

 <キーになるのが>、老婆に引きちぎられ呪いをかけた後で返されたボタンだ。呪いの研究家は、そのボタンを誰か他の人の物にすれば、呪いを譲り渡せると言う。つまり罪もない人にこの苦しみを押し付けられるかどうかだ。優しいクリスティンに最後まで難題が突きつけられる。終わったと思っても安心してはいけない。ここからがサム・ライミの真骨頂で、心底驚愕するラストが待っている。油断大敵なのだ。(犬塚芳美)

     この作品は、11月6日(土)より全国でロードショー

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