太秦からの映画便り

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映写室 新NO.32 お正月に観たい映画

映写室 新NO.32 お正月に観たい映画
    ―3Dに夢中!―

 今年最後の映写室です。今回はお正月に御覧頂きたい作品を、洋画・邦画・単館系から1本ずつ、計3本選んでみました。年末年始の1日を、ぜひ映画館でお過ごし下さい。初詣をかねて、遠出しての映画鑑賞もいいもの。いつもと違う劇場の発掘も合わせてどうぞ。なお上映時間、お休み等は、事前に劇場まで確認をお願いします。(開館時間短縮や休館の劇場有)

《洋画なら「アバター」》
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(C) 2009 Twentieth Century Fox. All rights reserved.

 <今年の映画界最大の話題は3D>作品の増加でした。その中でも1番の大作が最後に登場した「アバター」。「タイタニック」のジェームズ・キャメロン監督の12年目の新作ですが、物語、造形とここでは全てが創造物。大人にも楽しいSFファンタジーで、実写を加工し、色々な分野のデザイナーの英知を集めて、摩訶不思議な世界に案内してくれます。

 <物語の舞台は>、22世紀の地球から5光年離れたパンドラ。美しい森の広がるこの星には、地球人に良く似た“ナヴィ”と言う民族が暮し、全ての動植物が共生している。地球の燃料危機を救う重要な鉱物があるため、地球人と“ナヴィ”のDNAを遺伝子操作して作った“アバター”の肉体に、ドライバー役の人間の意志を転送して探っている。森を破壊して採掘したい会社と、最初は会社側だったのに、この星や“ナヴィ”を好きになる、植物学者やドライバー役の男…。

 <…と、未来の話だけれど>、自然をめぐる古代人と現代人の対立のようにも思え、原住民のインディアンを排除してきた白人の横暴さ、アメリカの歴史に思えなくもない。想像のままに広がる物語が楽しいけれど、それを視覚化した未知の世界の映像がさらに素晴しい。全てが緑の中に沈んで、まるで立体絵本の中に迷い込んだよう。パンドラは理想郷なのだ。しかも3D効果抜群で、客席にいながら深い谷底に目がくらみ、浮遊する森の精霊を手に受け、銃弾の衝撃を体に感じと、スクリーンの中の世界を体感できる。利己的な人間が機械に見えて、全ての生物と心を通わす “ナヴィ”に惹かれ、奇妙な形で緑の皮膚の民族に感情移入していた。
 豊かな森はCGならではの作り物感を強調したりと、写実と作り物感のさじ加減も絶妙で、今可能な映像技術の全てが詰まっています。物語だけでなく、そんな全てが感動に繋がりお正月に感動したいならこの作品。

     全国の主にシネコンで上映中


《邦画なら「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」》

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(C) 2009 フジテレビ・講談社・アミューズ・東宝・FNS27社

 <二ノ宮知子の人気コミックが>、ドラマ化に続いて映画化されたもので、4月公開の後編との2部仕立てです。俺様キャラのハンサムな天才指揮者千秋と、ピアニストとして独特の世界を持ち、ドジで変態的なのだめは、恋人同士。千秋は名門だけれど今はガタガタのオケの常任指揮者になった。オケの建て直しと大事なコンサートに必死の千秋、のだめも一生懸命応援するが…。

 <テレビ版に続いて千秋に玉木宏、のだめに上野樹里で>、玉木の渾身の指揮姿は惚れ惚れするほど美しいし、上野も浮世離れしてすっとぼけたのだめを、キュートに演じる。美しい王子様とドジな女の子と言う、このカップルのミスマッチがほのぼのと温かいのだ。
 <ヨーロッパ5カ国でロケされ>、ヨーロッパ人の出演も多いのに、そこはマンガが原作。全て日本語で喋らせる(ミエミエの吹き替え)という暴挙に出て、成功させている。他にも色々工夫の跡が。ぶっ飛んだり、張り倒されたりのシーンは、のだめ人形を使ったこちらもミエミエの身代わりで、それもまた漫画的効果を出して、実写の世界を広げて行く。他にも喜劇的なテンポとか、漫画ティクな解かり易いキャラクターとか、コミックに触発された思いっきりの良い演出が笑いを誘う。ヨーロッパの現役団員による本格的なクラシックがふんだんに流れるのも聞き逃せないお正月に笑って幸せな気分になりたいならこの作品。

    TOHOシネマズ等、全国の東宝系劇場で上映中



《単館系なら「行旅死亡人」》

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(c)日本ジャーナリスト

 <題名からして暗いけれど>、こんな作品がお正月にかかる所が、今年の世相だ。今日本は崖っぷち。御屠蘇に浮かれないで、凄まじい不況、それも若者たちにも襲い掛かる、地方都市の救いがたい困窮に目を向けてということだろうか。

 <物語は、主人公同様戸惑いの中で>進んでいく。「滝川ミサキさんが倒れて病院に運ばれた」と電話を受けたミサキは、言葉に詰まる。自分の名前を使って生きている女がいるらしい。病院で顔を見ると以前の会社の先輩、靖子だった。しかし数日後、その靖子というのも偽名だと解る。「本当は誰?」と言う問いに答えることなく、女は息を引き取った。ミサキは女の本当の名前と、彼女が何故他人に成りすまさないといけなかったのかを探り始める。

 <…と登場する誰もが情けなくて、何処までも重い> 自ら葬った自分の過去と名前、身元を隠して生きてきた女の人生の重さは、そのまま地方都市のかかえる窮状や閉塞感に繋がっていく。
 <お洒落なアート系が主流になった今>、単館系作品としても異色で、重い題材をわざとテレビドラマのように仕上げたエンターテインメント性から、もしやと思ったら、脚本や監督はやっぱりあの「ラザロ」の井土紀州だった。教鞭をとる日本ジャーナリスト専門学校の生徒たちと一緒に作っている。
 <発想の元は>1998年4月6日の朝日新聞に載った、身元不明の「行旅死亡人」についての三面記事だったという。裏側にどんな人生があったのだろうと、作家の心をゆらし続けていたのだ。流行との微妙なずらし加減やわざとB級感を狙ったところ、題材の選び方、描き方と個性的な作家だ。根底には彼の抱える問題意識、危機感があるのだと思う。井土の作品には、いつも日本的な、土着的な地方都市の匂いがするお正月に今の社会を考えたいならこの作品。

  この作品は、1月2日(土)より第七芸術劇場で上映

 …と、テイストの違う3作を選んでみました。感動して、笑って楽しんで、考えさせられてと、どれもが映画の運んでくれる世界です。来年もどうぞよろしく。(犬塚芳美)
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映写室 新NO.31  2009年ベスト映画

映写室 新NO.31 2009年ベスト映画
   ―ドキュメンタリーとアニメーションに夢中!―

 今年も残り少なくなりました。恒例の年末企画です。昨年末から今年に公開された映画を、部門ごとにトップ5作品選んでみました。皆さんの思いと重なるかどうか。ちょっとひねった、私の好きな作品が揃った年でした。なお、映画は監督のもの、作品に合わせて監督名だけを記しています。

《洋画部門》

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(C) Disney Enterprises, Inc. All rights reserved.

1位 ベンジャミン・バトン 数奇な人生(デヴィッド・フィンチャー)
        …老人として生まれて逆に若くなっていく主人公。
 (CG技術の進歩、特殊メイクの進歩、それに負けない愛の物語の深さ。考えさせられた)

2位 ポー川のひかり(エルマンノ・オルミ)
        …古文書を釘つけにし、ポー川のほとりで暮らし始めるキリスト似の教授。
 (宗教感を伴う深遠な意味は解りにくいが、漂う余情に映画は文芸だと思い知らされた)

3位 Disney’sクリスマス・キャロル(ロバート・ゼメキス)
        …おなじみの物語をアニメ化。ジム・キャリーは7役の声で
 (実写とCGをミックスした映像の不思議さ。3D効果抜群で足がすくむシーンが沢山)

4位 エスター(ハウメ・コジェ=セラ)
        …境界性人格障害の少女をそれとは知らず養子にした夫妻の災難。
 (ミステリーでも超常現象ではなく異常性格となると身に詰まされる。本当に怖い)

5位 グラン・トリノ(クリント・イーストウッド)
        …デトロイトに住む元自動車工の老人が隣のアジア移民と触れ合っていくさま。
 (C・イーストウッドかっこ良過ぎるけど、最後のグラン・トリノという声でやられた)

     <最優秀監督賞>
         デヴィッド・フィンチャー…ベンジャミン・バトン 数奇な人生
     <最優秀主演男優賞>
         ショーン・ペン…ミルク 
     <最優秀主演女優賞>
         ケイト・ウインスレット…愛を読むひと
     <最優秀助演男優賞>
         クリスチャン・ベイル…3時10分、決断のとき
     <最優秀助演女優賞>
         ソフィア・ヴァジリーヴァ…私の中のあなた



《邦画部門》

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(C) 2009 「ゼロの焦点」製作委員会

1位 ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ(根岸吉太郎)
        …作家で放蕩な夫との極貧の生活を酒場に勤めて支える妻の物語
 (浅野・松のこなれた着物姿が全て。時代の混沌に飲み込まれる作家としなやかな妻)

2位 重力ピエロ(森淳一)
        …妻が強姦されて身ごもった子供をわが子として育てた一家の物語
 (バットを持って強姦犯を打ちのめしにいく春の壊れそうな美しさに秘められた狂気)

3位 サマーウォーズ(細田守)
        …信州の旧家に集った一族が結集してサイバーテロと戦うアニメ
 (現実の淡いトーンと、ネット内のクリアーな極彩色の対比が見事。富司純子の声も)

4位 誰も守ってくれない(君塚良一)
        …殺人犯の妹を保護する警察官。マスコミと世間は容赦がない
 (家族と言うだけで世間の集中砲火を浴びる少女。隠れ家はすぐにネットで流れる)

5位 ICHI & TAJOMARU(曽利文彦&中野裕之)
        …若い世代の新しい時代劇2作品に同時に
 (CGを使って時代劇の次世代を探っている。人物描写が丁寧で、果敢な試みに拍手)

     <最優秀監督賞>
         細田守…サマーウォーズ
     <最優秀主演男優賞>
         堺雅人…南極料理人、クヒオ大佐
     <最優秀主演女優賞>
         松たか子…ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ
     <最優秀助演男優賞>
         香川照之…剣岳 点の記
     <最優秀助演女優賞>
         木村多江…ゼロの焦点


《ドキュメンタリー部門》

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(C)2008 STUDIO NURIMBO

1位 マイケル・ジャクソンTHIS IS IT(ケニー・オルテガ)
         …急死したマイケルのツアー用MTVつくり等
 (内容が凝縮されていていい意味で長く感じる。いまさらながらファンになった)

2位 牛の鈴音(イ・チョンニョル)
         …韓国の田舎の老いた牛と老夫婦の淡々とした日常を四季の中で描く
 (牛と老人の一体化。固定カメラで捕らえた映像は丹精で、物語的にも劇映画のよう)

3位 ミーアキャット(ジェームス・ハニーボーン)
         …砂漠の中の小さな擬人の不思議な世界。ちょっととぼけた小動物
 (スチールで見て本当に小さいのに驚く。家族の労わりあいはまるで人間)

4位 戦場でワルツを(アリ・フォルマン)
         …ドキュメンタリーアニメと言う手法で描く中東問題の複雑さ
 (イスラエルは病んでいる。でも内部抗争の激しいパレスチナも病んでいる。

5位 ローリング・ストーン シャイン・ア・ライト(マーティン・スコセッシ)
         …マーティン・スコセッシが自ら登場してニューヨークライブを映す
 (この年でこの激しさ!永遠の少年たち。客席からは見れない角度からの映像の凄さ)


《ラジー賞》
   1位 ウルトラミラクルラブストーリー(横浜聡子)
   2位 山形スクリーム(竹中直人)
   3位 チェ 39歳別れの手紙(スティーブン・ソダーバーグ)


《特別賞》
   アリ・フォルマン監督…戦場でワルツを

 どうでしょう? 熟考したつもりですが、小品のすぐれたものや、ドキュメンタリーの秀作がたくさん洩れているのが気がかりです。僅差の良作が多く、明日選べば変るかもしれません。悪しからず。全体的に見ると、3D作品が増え、ドキュメンタリーとアニメが手法と切り口で新しい境地に入ったと思うのですが。映像表現は進化し続けているのですね。来週はお正月に見れる作品のご紹介です。(犬塚芳美)

映写室「牛の鈴音」イ・チョンニョル監督&コー・ヨンジェプロデューサー会見(後編)

映写室「牛の鈴音」イ・チョンニョル監督&コー・ヨンジェプロデューサー会見(後編)     
 ―韓国で社会現象を起こしたドキュメンタリー―

<昨日の続き>
―テレビ放映用だったのが映画になったのは何処の段階ですか?
イ:1本作るのに普通は大体3000ウォンかかるんですが、もちろん良いものだと1億ウォンくらいかかりますが、時間がかかり予算がオーバーしてしまったんです。困っていた時に、プロデューサーのコー・ヨンジェさんに出会いました。
コー・ヨンジェさん(以下敬称略):丁度私がドキュメンタリーの公開で新記録を立てた後で、色々な人がドキュメンタリーの上映や配給について尋ねてきていた頃です。ただこの作品を映画にするには、著作権の面や技術的な面で色々心配な事がありました。その部分とマーケティングを引き受けることにしたんです。最初の契約者がそれまでの費用を監督に請求してきましたし、僕も資金が底をついて銀行から目一杯借り、姉からも借りて背水の陣で臨みました。ヒットしたので今は笑っていますが、映画が駄目だったら今頃僕ら2人は破産です。大変な事態になっていたでしょう。逆に僕に権利を売った最初の社長は、悔しくて泣いています。

イ:その時は放送する手段が無く、お蔵入りになりそうだったんです。こうなったら何とでもなれという起死回生の気持ちでコーさんに相談したのは、この作品の監督だからという訳ではなく、個人を離れて、この映像を生かしたい、世に出したいという思いからでした。

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(C)2008 STUDIO NURIMBO

―公開に漕ぎ着けるまでには紆余屈折があったわけですね。ところで韓国のご夫婦というのはこんな風なのでしょうか。もっと封建的かと思っていたのに、お婆さんが文句を言ったりと威張っていますが?
イ:私にも70を超えた母親がいますが、こんな感じです。いつも小さい事で父と争っていて、わたしたちが行くと父の悪口を言いますね。一見夫に従っているように見えながら、あのお婆さんのように、どうして私はこんななのかと聞いてはもらえなくても小言を言ったりします。このあたりは万国共通というか、日本でも同じなんではないでしょうか?韓国の男性は一家を養わないといけないという重責の下にいます。その大変さをお母さんは解っていて、暴君を許しさりげなく支えているんです。僕も若い頃は女性に優しかったけれど、圧迫感の中にいるとだんだん父に似て暴君的になってきた。女性は細かい優しさを見せて欲しいけれど、私もそうですが、男性はそれを言わないですね。あのお婆さんも、お爺さんの大変さが解っているし、態度や口に出さない労りを解っているのでしょう。お婆さんの小言が可笑しくて韓国では笑いが起こりましたが、ある意味典型的なご夫妻ともいえます。

―2人の阿吽の呼吸ですね。ところで韓国では牛に特別な意味があるのですね。
イ:自分の真面目さを披露する時、私は生涯牛のように働いたとかいう表現があるように、特別ですね。韓国は急激に農業国から工業国に変りました。農村部は段々取り残されていくので、親の世代は子供たちには農業をさせたくないという思いが強いのです。自分たちが犠牲になり、子供を大学にやってホワイトカラーにしたいと思っている。それが幸せだと信じていて、それの出来る唯一の方法が、牛を使って農業をし、牛を育てて、子供の入学とかの節目節目で、それを売って学費に当てることなんです。
コー:牛というのは韓国人にとって故郷であり、親近感やありがたさ、ある意味で霊的な存在ですらあります。韓国では牛は犠牲の象徴なんです。大学の事を牛の骨を積み上げた塔と呼ぶ位で、牛を売って進学してきました。もちろんそれは父親にも当てはまり、この作品のモチーフ、お爺さんと牛は、お爺さんが牛は子供以上と言ったように、運命共同体的な、犠牲と献身の象徴といえます。

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(C)2008 STUDIO NURIMBO

―牛が涙を流すシーン、あれは本物ですか?
イ:ええ、本物です。あのシーンで牛は本当に涙を流しました。余談ですが、そんな時でも、草を食べて育った牛は涙を流すけれど、飼った飼料で育った牛は涙を流しません。私の父は私が小さい頃から牛を育てているので、牛の涙も父の涙も沢山見てきました。父が育てた牛は私の学費の為に売られていきましたが、牛も飼い主の感情を解っています。
―「牛の鈴音」という題名の意味は?又、全編鈴音が響いていますが?
イ:鈴が鳴っているのは、牛が生きていること。故郷が生きている、お爺さんとお婆さんも生きているという意味があります。大切なものは続いて欲しい。世の中で消えていくより、忘れられていく方が悲しいんだという事を伝えたかったんです。覚えていないといけない事を忘れるのが悲しい事だというのを、この作品で言いたいと思いました。
コー:それは内容的な側面で、興行的には言葉自体が親しみを持たせるハングル語な事、発音自体も可愛いらしいと言うのがありました。しかも最初の頃、「牛の鈴音」という言葉の意味を知っている人が10人中1人か2人だったんです。マーケティング的に言うと、言葉を知らないから皆が題名を「牛の鈴音って?」「牛の鈴音?」と繰り返していく。それが宣伝的に良いのではとも思いました。

―ここまでヒットすると思われましたか? 又ヒットした訳は?
コー:最初は小さく公開し飢餓感を煽って拡大上映に持っていくとか、配給の作戦も色々立てましたが、正直に言ってここまでヒットするとは思っていませんでした。ただ、公開前の試写の反応が良かったので、新記録を立てるぞという思いはあったんです。日本には5.6年前から年に数回来ていて、ある程度日本人気質が解ってきたので、先行した有料の試写会で、上映後の皆さんの反応に注目していました。手ごたえが良いですね。夜遅いにもかかわらず大勢の方が観て下さり、終わった後ロビーに立っていると、握手を求められたり熱い言葉をかけてもらったりと、いい感触を受けました。韓国の映画だけれど、ここに描かれているのは、国に関わらず忘れて欲しくない普遍的な世界。誰もが心の奥底に仕舞ったかけがえのない世界のはずです。日本の皆様にも一人でも多く観ていただきたいと思います。
イー:僕は親不孝な息子です。韓国にも僕と同じような人がいる。これを観て、両親に申し訳ないなあと思って欲しくて作りました。日本の皆様にも、観終えた後で両親を思い出してもらえ、電話の一つもかけてくださればと思います。
コー:この映画が公開になる前僕がしたのは、両親に電話をかける事でした。これからも、そんな思いを共有できる映画を、作りたいと思っています。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 何とも懐かしく優しい世界です。お爺さんの頑固さ、小言ばかりで口煩いけれど、実はお爺さんを気遣っているお婆さんの愛、途中から涙が止まらなくなりました。又、映像の端正さも群を抜いている。テレビの世界で熟達した技術を上手く配して、何を見せたいのかを明確に持って作った、クオリティの高い作品です。ドキュメンタリーなのか劇映画なのか、時々解らなくなりました。


 この作品は、12/19(土)より第七藝術劇場 、シネマート心斎橋で上映

映写室「牛の鈴音」イ・チョンニョル監督&コー・ヨンジェプロデューサー会見(前編)

映写室「牛の鈴音」イ・チョンニョル監督&コー・ヨンジェプロデューサー会見(前編)
    ―韓国で社会現象を起こしたドキュメンタリー―

 <この作品は79歳になる農夫と老いた牛>の物語です。スター主義の韓国でドキュメンタリーがヒットするのは異例中の異例なのに、この作品は最終的に300万人を動員しました。ドキュメンタリーの新記録で、韓国人のおよそ15人に1人が観たことになります。
 <しかも、この作品を観て泣かない人>はいないと評判になり、テレビ、新聞、さらには経済誌までが特集を組み、「牛の鈴症候群」と呼ばれる社会現象まで起こりました。二人の物語だけでなく、お爺さんに寄り添うお婆さんの姿や、全てを包む韓国の農村の美しい四季も見所です。この作品について、イ・チョンニョル監督とプロデューサーのコー・ヨンジェさんにお話を伺いました。

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(10月23日 大阪にて)

《その前に「牛の鈴音」とはこんな作品》 
 農夫のチェ爺さんには30年もの間一緒に働いてきた牛がいる。牛の寿命は15年ほどなのに、この牛は40年も生きているのだ。皆が耕運機を使う時代にお爺さんは手作業のみ、しかも牛が食べる草の為にと農薬を撒かない。長年連れ添ってきたお婆さんは、お爺さんのそんな頑固さが不満だ。ところがある日、牛が動かない。獣医を呼ぶと…。

《イ・チョンニョル監督&プロデューサーのコー・ヨンジェさんインタビュー》
―この作品を撮ろうと思われたきっかけは?
イ・チョンニョル監督(以下敬称略):以前はテレビでドキュメンタリーやドラマ、子供番組、クイズ等、色々な分野の仕事をしていました。放送の仕事は好きだけれど、やりたいことが出来ていたわけじゃあなく、不満が燻ぶっていたんです。自分が納得できるものを撮りたい、何かドキュメンタリーでいいものが撮れないかと題材を探していました。そうしているうちに金融危機が起こり、1998年の外注で制作を引き受けていた頃でしたが、放送が父親たちの失職を取り上げ出したんです。時代の要請として父親の話は良かった。ただ職場から追われた父親というのは、他の人が作っているから作りたくない。別の形で父親の話を撮ろうと思ったんです。というのも、僕自身に父への思いがありました。もう30代の半ばでしたが、せっかく父親が無理をして大学まで出してくれたのに、代表作も無ければ名声も無く、結婚もしていない。子供としてちゃんとしてないと、申し訳なく思っていたんです。父は農業にたずさわっていますが、いつも汗をかいて働き、子供3人を育て皆大学まで行かせてくれました。その父によく似た存在が牛で、この二つを題材にして描こうと思っていたのです。本当は自分の父親と牛を撮りたかったんだけど、韓国では機械化が進み、父ももう牛を手放して豚を飼い始めていました。だから父のイメージに近い人を探したんです。

―それでチェさんに出会ったと?この作品の成功は、何とも味わい深い主人公を見つけた事にもあると思いますが。
イ:そうです。2000年頃から自分のイメージに合う人を探していたけど、なかなか見つからない。韓国でも「働く牛」自体が少なくなっていますから。でも2004年に「ぴったりのおじいさんと牛がいる」とポンファから電話を貰って駆けつけました。ポンファは韓国の中でも素朴な自然が残っている特別な場所なんです。
―そうして出会ったお爺さんは、すぐ撮影をオーケーしてくれましたか?
イ:自分が説得したわけではありません。まあ田舎の人なんで、本人は撮影の意味もよく解らないで、撮るんだったら撮れと言ってはくれたんだけど、撮影は長期にわたり日常生活に入り込んで行きます。かってにという訳にもいかないので、長男に話を持っていきました。というのも、韓国ではもう両親に意志の決定権が無く、子供たちが決めるんです。9人子供がいるけれど、全員には聞けないから、代表して長男に聞いたわけですね。そこで、どんな風に撮るかとか、期間、牛が死ぬまで1年間撮る、もっと撮るなら追加の契約をするという風に細かく書いた契約書を作り、撮影の許可を貰いました。ところが思った以上に牛が長生きしたので、色々大変な事が起こったわけです。

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(C)2008 STUDIO NURIMBO

―知らないところから始まり、そんな事があって、どうやって老夫婦との信頼関係を結んでいったのでしょう?
イ:今回は最初からそんなに親しくなろうとは思っていなかったんです。「牛の鈴音」の前に政治的理念のドキュメンタリーを撮っていますが、それもだし、その前の炭鉱がテーマの作品では一緒に掘ったりと、いつも被写体と一緒になって撮影してきました。でもそれだけではいけないと気が付いたんです。それも良いけれど、製作者としての立場を忘れてはいけないと思い始めた頃でした。最初にコープロデューサーと会っていて、映画化する事が決まっていたら又違っていたとは思いますが。お爺さん・お婆さんは自分の親の世代なので、本当だったらお父さん・お母さんと呼び、今までの僕だったら抱きしめるでしょうが、ここではしていません。人情に流されてしまうのを避けて、一緒にご飯も食べていないのです。そんな僕を見てお婆さんは疑っていました。「私よりも年をとった人をお母さんと呼ぶのに、何で私にはそう呼ばないのか?馬鹿にしているのか?」とまで言うんです。お爺さん・お婆さんに一番多くかけた言葉は、「働いて下さい。僕らは勝手に撮りますから」でした。

―そういう関係は撮影中ずっと変らなかったんでしょうか?
イ:親しくなるのは悪い事ではありません。逆に距離を置いて撮るほうが難しい位です。でも今回は親しくはならなかった。期間を区切られた契約書があったので、何時もそれが頭の片隅を占めていましたから。そうは言っても親しくはなるんですが、映像的にそれを強調しなかったんです。
―入ってしまうと2人の生活を壊しそうとか? 
イ:たしかにそれもありますね。二人の法則を尊重して突き放しているのもあります。
―実はそんな監督と被写体との距離感が映像に表れていて、子供ですら安易に手助けや口出しの出来ない、老夫婦の孤高の世界を感じました。そんな風にしてこの二人は生きてきたんだなあと。私の一番琴線に触れたところです。
イ:確かにそうですね。このお爺さんとお婆さんの暮らしを全て映せたわけではありません。撮影は足掛け3年になりますが、月に2.3回のペースで通いながら撮ったので、おろそかになったところもあります。場面として100個撮っても20か30使えるかどうかでした。でも使えない所が無駄だったかといったらそうではなくて、それがあったからこそ大切なところが解ったんですが。

―お爺さんとお婆さん、牛をじっくりと映していますね。ドキュメンタリーなのに映像が丹精でした。固定カメラで撮られたとか?
イ:ええ。固定カメラを選んだのは、お爺さんと牛の動きにそれが合致したからです。そのせいもあってドキュメンタリーなのに劇映画のようだといわれますね。カメラを忘れてもらおうと、遠くから望遠で撮って、声はマイクで拾ったりもしています。
―ドラマも作ってらした監督だから、劇映画的な編集傾向もお持ちなのかもしれませんね。結果的にそういうものが出来た監督が、どうしてドキュメンタリーで作ろうと思われたんですか?
イ:ドラマは制作費がかかるので資金的に無理でした。外注の製作者なので、企画書を出して貰える資金で作る私たちとしては、出来るのがドキュメンタリーだったんです。最初は15日位で撮れるテレビドキュメンタリーのつもりで出発したんですが、それも自分のお金はなく人のお金で撮り始めてますから、賭博のようなものでした。ところがこのお爺さんと出会い、どうしてもここで撮りたくなり、1年の予定で撮り始めました。それが2年になり3年になりだから、お金は使い果たしてくる。制作会社のほうも物凄く不安だったと思います。(聞き手:犬塚芳美)
 <続きは明日>

  この作品は、12/19(土)より第七藝術劇場 、シネマート心斎橋で上映

映写室 新NO.30 パブリック・エネミーズ

映写室 新NO.30 パブリック・エネミーズ
 ―世界恐慌の時代の伝説の銀行強盗―

 <舞台は1933年大恐慌の頃のアメリカ>、FBIから一番のパブリック・エネミーズ=公共の敵と言われた男も、庶民にとっては英雄だった。自分たちを苦しめる銀行に巧妙に歯向かう姿に、誰もが拍手喝采したという。悪人なのに人々を魅了した男、美学に生きた実在の銀行強盗ジョン・デリンジャーが、ジョニー・デップの手で魅惑的に甦っています。姿形・心意気と、まさに絵にかいたような“いい男”で、ヒーローのいない今の時代だからこそ余計に眩しい。監督や俳優たちの伝説の犯罪者への共感こそが犯罪かも。

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(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

 <大胆な手口で脱獄や銀行強盗を重ねるジョン・デリンジャーは>、汚れた金だけを奪い、仲間を見捨てないのが身上だ。警察は血眼になって追いかけるが、いつも銃撃戦の末に逃げられる。ある夜、神秘的な美女ビリーと出会い、自分が有名な銀行強盗だと告げると、女は戸惑いながら惹かれていく。今が全てだった男が「2人で遠くに逃げよう」と呟いた頃、捜査網が狭まっていた。

 <…と荒筋を書いただけでも漂う重厚な時代感>、主役はジョン・デリンジャーだけれど、衣装や美術で見事に再現された1930年代も、この作品のもう一つの主役だ
 <車はまだ少なく貴重品で>、いかにも鉄で出来ていそうな重々しいボディと丸いフォーム、冬枯れの道を走る荒涼感さえ絵になる。重い銃声の中、血の海に倒れる男たちの、三つ揃いのスーツとがっしりとしたコートや山高帽。女たちは小さいバックを抱えてウエストを絞ったドレスにハイヒール、ルージュは赤く髪はやさしくウエーブがかかっている。そんな全てが時代の匂いを漂わす。
 <70年以上も前の、静謐さと混沌の入り混じった近代前夜は>、重々しくて、男が男の美学を貫き、女が女の美学でそんな男に寄り添った時代なのだ。守る人と守られるべき人の対比が鮮やかで、本物の男と本物の女がいた時代とも言えるかもしれない。監督の時代感への執拗なこだわりは、この時代への憧れでもあり、ジョン・デリンジャーはそんな時代が生んだ男だとでも言っているようにさえ見える。

 <そこに響く銃声は、観客の腹の底まで響き>、心臓も射そうなほどに重い。この重い銃声もこの作品のもう一つの主人公なのだ。特に林の中の銃撃戦の凄まじい事、次々と倒れ、どす黒い血の池を作って死んでいく仲間たち、あの銃声が頭から消えることはないだろう。平静を装う主人公の孤独と苦悩が浮き上がってくる。
 <ジョニー・デップが>、じっと見据えたようなどちらにも取れるような瞳の曖昧さで、大胆不敵でスタイリッシュ過ぎるほどの男に血を通わせていく。セクシーなこの瞳がいけないのだ。覗き込んで意味を探らせて迷わせてしまう。しかも運命の女と見定めたら危険を冒しても諦めないのだから、女性ファンならたまらない。
 <「エディットピアフ~愛の賛歌~」のマリオン・コティヤール>扮するビリーが、彼から離れられなくなっていくさまが手に取るようにわかる。彼女が又良い。ビリーの秘めた覚悟が伝わってきて切ないほどだ。情感のこもった大きな瞳は、幸せな時すら底に不安が滲む。孤独な魂が絡まるようにして始まった愛の行く手は見えない。愛すれば愛するほど深まる苦悩。それでも覚悟を決めてこの男に付いて行くしかないのだ。女が女でいれるのは確固として生きる男がいるから。…何て、フェミニストの方からは叱られそうな美学が描かれている。

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(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

 <そんな極限の2人の愛も見逃せないが>、追う者追われる者という、相反する立場の男同士の複雑な心理も見逃せない。彼を追う敏腕捜査官パーヴィスに扮するのが、「ダークナイト」のクリスチャン・ベイルで、この捜査官、追いながらもこの銀行強盗の逮捕に執着しきれず、自分は何をしてるんだと言う迷いがチラッと顔を覗かせるのだ。銃声を潜り抜けるもの同士の緩やかな共振が観客に重なり、敵味方を忘れどちらもの応援をしてしまう。捜査官の真っ直ぐな瞳の奥にわずかに滲ませる戸惑いを見て欲しい。

 <実話だけに色々な人が伝説になっているけれど>、もう一人の主役はジョン・デリンジャーを売り渡す「赤いドレスの女」だ。この事件以来「赤いドレスの女」はアメリカで「破滅に導く女」の隠語にまでなったと言うのだから罪深いが、ジョン・デリンジャーは生きていると言う伝説もあるらしい。映画館の前で血の海の中に倒れる彼を見ながら、あれは替え玉だったと、人々は願望から都市伝説を生み出したと言う。

 <この作品の彼の最期はそんな伝説を思い出させる> 忍び込んだ捜査局で危険を察していたはずなのに、わざと罠にかかりに行ったようにすら見えるのだ。少なくとも私にはそう思えた。替え玉で無いとしたら、まるで自殺だ。
 <監獄の中から>、「危険なことをしないで。2年間はすぐだからじっと身を潜めて待っていて」と伝言をよこしたビリー。気楽に過ごしているように見えながら、本物の愛を知った男にとって、ビリーの不在は長く重かったのだろうか。いや、盗み見た捜査局の資料で、時代の変化、自分の生きるべき時代の終わりを感じたのだろうか。パーヴィスの罠を利用してスタイリッシュに自分の人生を閉じたように思えてならない。ラストのビリーへの伝言となるともっと解らない。…とマイケル・マン監督の手中に落ちて、ラストシーンの解釈は迷ってばかりだ。

 <1930年代の世界恐慌の時のようだと言われ>、不況真っただ中だけれど、今の時代大金を掠め取るのは、ボタン一つで遠隔操作するITシステムを熟知した者か、あるいはマイケル・ムーアが告発するように、全てを金融債権に変え、犯罪を犯している意識もないままに、庶民からお金を吸い上げる金融マンだ。正義感など求めないけれど、シンパシーを感じるにはクールで賢過ぎる。こんな時代だからこそ、愚かなほどの熱さと誠意が見たい。銃声の中、仲間と共に刹那を生きたジョン・デリンジャー、危険を冒したビリーとの愛。独りよがりだとしてもその熱さと彼の誠意が、今の私たちをも惹きつける。(犬塚芳美)

    この作品は全国で上映中

映写室 新NO.29 ジュリー&ジュリア

映写室 新NO.29 ジュリー&ジュリア 
  ―愛とフランス料理を召し上がれ!―

 もうすぐクリスマス。お祝いのテーブルにはフランス料理の1品も並べたいところだけれど、私じゃあ無理。…と思っていたけど、この映画を観ると出来そうな気がする。ジュリーを真似て、作ってみるか! まずは本を買おうと本屋さんに走る、そんな人が増えそうな映画だ。時を隔てた2人の料理好きな女性の、サクセスストーリーが元になっています。鍋の底にはバターと愛情が一杯、映画の底にも愛と頑張る女性へのエールが一杯。

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 <1949年、ジュリア・チャイルドは>外交官の夫についてパリに来た。本場のフランス料理に感動し、ル・コルドン・ブルーのプロ養成コースに入学する。持ち前の負けん気と才能でめきめき頭角を現し、アメリカに帰国後は本を出しテレビの料理番組を持つまでになった。一方現在の女性ジュリーは、小説家志望だったのに挫折して冴えない毎日。ふとしたことから、昔愛読していたジュリアの本の全レシピを作り、自分のブログにアップすることを思いつく。夫に励まされながら更新を続けていると、…。

 <時代を超えて二人を繋ぐのは料理という訳で>、ジュリーが本を見ながら作る様に、そのレシピを作った当時のジュリアの物語が被さっていく。まるで、レシピからジュリアの事を探っていくみたい。物語の主体はブログ更新中のジュリーで、こちらは甘やかではあっても等身大に描かれ、50年前のジュリアは憧れ目線のジュリーの想像と、当時一世を風靡した伝説の姿で描かれるわけだ。「めぐり逢えたら」や「ユー・ガット・メール」で有名な、女性の揺れる心をリアルに描写する女流監督ノーラ・エフロンの手にかかると、そこら辺りが巧みで、しかも2人への視点が温かい。その温かさが観客までを幸せにする。まるでジュリーのようにドジな自分を励まされているような気がした。

 <50年の時を隔てて>、2人の心が重なるわけだけれど、料理で人生を変えていくのも一緒だ。ジュリアは冷凍食品やジャンクフード一辺倒だったアメリカの家庭にフランス料理を浸透させたし、ジュリーは料理のブログから新聞取材と今らしい方法で広がり、今や憧れだった文筆業をしている。どちらも適当にそそっかしいから可笑しい。
 <2人はどちらも>優しく協力的な夫を持っていた。まだ封建的だった時代に40を過ぎてから結婚したジュリアは、当時としては超晩婚。そのかわり何時までも新婚時代のように甘かったみたいだ。夫は妻の料理を褒めさりげなくサポートし、励ます。ジュリーの夫も同じで、ブログを作ってくれ、挫けがちなジュリーを支えてくれる。妻の成功の影に協力的な夫ありというわけで、ここら当たりもさすがに女流監督だ。

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 <この作品のメリル・ストリープは凄い> こんなコミカルな演技も出来るのかと誰もが驚くだろう。もっとも老け加減にも驚いてしまった。中年と言うより、もはや初老の雰囲気で、若い頃の怯えたような瞳は影を潜めている。物まねなのか、年を重ねて彼女自身がこうなったのか解らないが、いかにもお料理が好きなお母さん。少々の事には動じず、いつも前向きに行動し、お洒落をして台所に立ちという大らかなジュリアを、楽しそうに演じている。変化自在のメリル・ストリープの真骨頂だ。
 <メリル・ストリープは「ボナペティ!」の一言で>、ジュリア役を手に入れている。偶然出会ったノーラ・エフロン監督からこの作品の構想を聞き、ジュリアの口癖だったこの言葉を彼女そっくりに発して監督に即決させたのだ。本物のジュリア・チャイルドは甲高い声と185cmという長身が目立つ女性で、よく物まねをされたらしいが、似てるからと言って、メリル・ストリープが真似をしたわけではないらしい。

 <先駆的に人生を切り開いてきた監督や大女優に囲まれながら>、ジュリーとして初々しく今の女性を演じるエイミー・アダムス。「魔法にかけられて」や「サンシャイン・クリーニング」の活躍を思い出すけれど、鬱積した日常、ドジさ加減、前向きさ、どれもが等身大で、これなら出来るかもと私たちに思わせる。優しい口元とくるくる動く大きな瞳に魅せられた。

 <本当言うと本格的なフランス料理は苦手だ> バターが多くて私にはヘビー過ぎる。…なんて言っていたけど、こちらも怪しいもの。映画を観てたら「バターが多ければ多いほど美味しいの」と言うジュリアの言葉に乗せられそうになった。それほど出演者達は美味しそうに食べる。悪戦苦闘しながらそれでも楽しそうにお料理を作っていく。その度にスクリーンから美味しそうな匂いが漂ってくるのだ。お料理が好きな人って何て愉快で優しいのだろうとも気づかされた。(犬塚芳美)

この作品は、12月12日(土)よりTOHOシネマズ難波、
               TOHOシネマズ二条等で上映

映写室 「銀色の雨」鈴井貴之監督インタビュー(後編)

映写室 「銀色の雨」鈴井貴之監督インタビュー(後編)
   ―当たり前だけれど、忘れがちな事を―

<昨日の続き>
―和也が菊枝の部屋で裸で待っていたり、よっしゃ!と言ったりがリアルで笑えますが。
鈴井:思春期の少年ってHなことしか考えていなかったり、基本的に馬鹿じゃあないかと(笑)。人生に悩んでいることを描くのであれば、実際はそんな事も考えているといことを出して、観客の皆さんにこの物語を身近に感じて欲しかったんです。10代は駄目な時代ですよ。
―監督のそういう所が自分と等身大でコアなファンを生むところじゃあないでしょうか。
鈴井:ファンの方々にいていただかないと成立しないわけですから、非常にありがたいと思います。映画というのは、最終的には観客の皆さんが仕上げて下さるものだと思っております。スクリーンにかかった瞬間から、受け入れられるのは観客のニーズに合っているかどうかですから。観て下さってもすぐに忘れる方もいるでしょうし、自分の思いと重なるとずっと覚えていてくれる。何人かの人の記憶に残れば幸運だなと思います。

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(C)2009「銀色の雨」製作委員会

―出番の少ない役にも大物を配する贅沢な配役ですが。
鈴井:3人の物語なので、他の人はどうしても出番が少なめなんです。でも確かに贅沢な配役で、この役にこの人をと言うのを皆さん引き受けて下さいました。
―そういうのは監督からのオファーですか?これだけでなく、前作等も配役で渋いところをついてらっしゃると思うのですが。
鈴井:リクエストはします。キャスティング担当の方からの提案もありますが。キャスティングは、あざとく狙っているわけではないんです。考えてみると僕の撮った作品は全て初主演作になってますけど、それも意図したものではないですし、重要なのは結果ですから、拘りがなくフラットに選んだらそうなっただけなんです。僕はあまり人と違うものを作りたいとは思っていません。それが出来るのは天才だけだと思っています。僕は天才ではないので、自分の力や可能性が解かっている。逆に言えば限界が解っているという事です。その範囲内で何をするか、自分の力量にあった作品作りで何が出来るかと言ったら、奇をてらわず、多くの人が考えている事、普遍的なテーマで、ああそうだよねって思える事、強いて言えばその中でも皆が忘れかけている事、言われれば解ると言う様な事を作品にしていきたいと思っています。僕が映画の中で言っているのは当たり前の事なんです。例えるなら、小学校でちゃんと挨拶をしようねと教えて貰う様な事。でも大人になっても出来ていない人もいる。コンビニエンスストアって挨拶で始まりますが、ただしそれがマニュアル化して心に響かなくなっていると思います。そのあたりを舞台にしたのが、前作「銀のエンゼル」でした。自分の出来る事は決まっている。これって誰もやっていないと大風呂敷を広げるより、これって何処かで見たよなで良いと思います。挨拶をきちんと出来ている人には退屈かもしれないけれど、その大切さに気付いてもらえればいいんです。僕の作品は色々な事が当たり前に出来る元気な人には必要ないんで、何処かで行き詰っていたり孤独な人になら、解ってもらえるのかなあと。退屈と言う人と解るなあと言う人との両方に、パキッと評価が分かれると思う。

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(C)2009「銀色の雨」製作委員会

―そんな風にお話を伺うにつれ、監督が獅童さんのされた役に重なります。あの役にぴったりの瞳をされていますよね。
鈴井:そうですかねえ。ただ、出来上がった映画を観たスタッフから、監督は孤独なんですね。孤独だからこんな映画が作れるんですねと言われましたね。
―さすがにスタッフ、深いですね。撮影中に一番孤独を感じた時は?
鈴井:四六時中感じてますよ。僕は監督として悩まないのをモットーにしてるんです。悩むと現場が止まりますから。もちろん予習を充分にやり、全カットで絵コンテをかき、事前打ち合わせをして、演者がどう動くかや、カメラのレンズから位置まで全て決めていますから。よほどの事がない限り、現場に行ってからの変更がないので、悩まないんです。一番感じるのは、皆が動いていて、皆がよくやってくれていて、その中にいる孤独ですかね。独りで部屋にいるよりも、都会の雑踏の中にいる方が孤独を感じると思います。これだけ人がいるのに誰も僕の事を知らないんだという思い。現場でも皆が順調に機能している時の方が孤独を感じます。
―そうですね。でも、その孤独も嫌じゃないと?
鈴井:嫌じゃないですね。皆が背負っているものだと思いますね。

―所で監督は北海道が拠点、それにこの物語のもともとの舞台は大阪なのに、今回どうして米子なんでしょう? 米子の何に惹かれましたか?
鈴井:風景ですね。米子にロケハンに行って、小さな川が流れていて海があり山があってという町並みの風情に惹かれました。平成の物語にしましたが、どこかに昭和の佇まいがある町を撮りたいと思っていたら、そんな匂いがして、ここにしようと思ったんです。それと山陰の米子と言っても、地元の人には申し訳ありませんが、地元の人以外はイメージがつきにくいと思います。先入観なく映像を観てもらえるからこれは良いなと。色の付いてない町を撮ると、この映画の町になりますから。
―コアなファンがいると、次に何かする時怖くありませんか?
鈴井:怖くないです。自分の力が解っているんで、自分を過大評価で捕らえていませんから。20代って自意識過剰でそう思うこともありましたが、今やもう大丈夫ですよ。
―逆に言えば、そんなプレッシャーを潜って来たからそう思えるのかも?
鈴井:そうかもしれませんね。
―監督って傷つく仕事ですか?
鈴井:そりゃそうですよ。自分の全てを晒して批評されるわけですから。批評家に色々言われると、やっぱ傷つきますよ。でもそれもしょうがないことです。自分はこれだけだと開き直っていますよ。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
 なんだか懐かしく優しい作品です。それは物語でもあるけれど、物語の舞台になる米子の町の雰囲気でもありそう。まさに人生の雨宿りの町で、一度行ってみたくなる。自分の故郷のような、疲れた時に優しく抱いてくれる風情があります。昭和の佇まいを撮りたかったと言う監督のお話に納得しました。
 監督は、皆のお兄さん器質。何となく頼れそうで、自分の失敗談で励まして下さりそうで、そんなところがコアなファンが追っかける由縁だろうと思うのです。事務所のスタッフも監督を中心にアットホームでした。


  この作品は、12/5(土)シネマ-ト心斎橋、シネリーブル梅田、
          順次京都シネマ、シネリーブル神戸 にて公開

映写室 「銀色の雨」鈴井貴之監督インタビュー(前篇)

映写室 「銀色の雨」鈴井貴之監督インタビュー(前篇)
 ―当たり前で普遍的だけれど、忘れがちな事を提示したい―

 北海道発のテレビ番組「水曜どうでしょう」(HTB)等で、コアなファンを持つ鈴井貴之監督が、始めて北海道を飛び出した作品です。浅田次郎さんの短編「銀色の雨」を、米子を舞台にし時代も現代に移し変えて映画化。何処か懐かしいテイストに仕上がった本作について、鈴井監督にお話を伺います。

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(11月11日 大阪にて)

<その前に「銀色の雨」はこんなお話>
 平井和也(賀来賢人)は幼い頃に父を亡くし、山陰米子近郊の小さな町で暮す。母と二人の家を出て新聞販売店に住み込み高校に通っている。ある日そこも飛び出し米子駅にやってきた。昔馴染みの姉のような存在の菊枝と出会い彼女の部屋へ転がり込む。引退を勧告され久しぶりに故郷に帰ったプロボクサーの岩井(中村獅童)もここに加わる。生い立ちのせいか菊枝は捨てられたものを放っておけないのだ。奇妙な三人の暮らし、和也が岩井を慕い始めた頃、意外な事実が…。


<鈴井貴之監督インタビュー>
―昨夜(11月10日)の先行有料試写会は大盛況だったようですね。
鈴井貴之監督(以下敬称略):おかげさまで、立ち見が出るほど一杯の方々が来て下さいました。
―有料試写会で立ち見ってあまり聞きませんが。
鈴井:非常にありがたいことですが、映画的な興味と言うより、元々の僕のコアなファンの方々が動いて下さったんだと思います。
―浅田次郎さんの原作ですが、どういった経緯でこの作品を?
鈴井:浅田さんの作品は至る所で映画化され、企画もたくさんあると思いますが、今回もその一つとして映画化が企画され、お話をいただきました。僕の方から動いたと言う訳ではないんです。

―では、この話が来た後で原作を読んだと?
鈴井:いいえ、浅田先生の作品のファンなので、原作はその前に読んでいました。
―お話が来ていかがでしたか?
鈴井:非常に嬉しかったですが、逆に好きだからこそ、もしかしたらやってはいけないのかなあとも思いました。原作のファンではありましたが、原作は昭和40年代の大阪ミナミのヤクザの話なんです。ヤクザと言うのは非日常だし、時代設定も微妙に古い。僕が今映画として撮りたいのは現在の日常的な物語なんで、このまま撮るのはどうかなあと思いました。しかし、浅田先生より設定を変えても良いと言っていただき、やりがいを感じて引き受けました。今、小説やコミックが、たくさん映画化される時代ですが、原作に忠実なものが多いのではと思います。これは元々短編作品で、映画としてそれをどう膨らませていくかですが、設定を変えてもいいというなら、映画オリジナルとして作ることが可能だし、面白いと思ったんです。

―原作でここだけは壊したくなかった部分は何処ですか?
鈴井:物語の骨格になっている、思春期の逡巡、少年の抱えている悩みや孤独感ですね。それは多分ご覧になる誰もが持っているものだた思うので、どう映像的に表現していくかだと思いました。
―そんな意味では賀来賢人君はぴったりでしたね。
鈴井:この役は元々イケメンでないほうがいいと思っていました。影を背負っているような演者を探していたんです。50~60人オーディションをやって、彼が一番最後でした。実はオーディションの前のテレビドラマの収録が押して、2時間ほど遅れると連絡があったんです。彼には監督やプロデューサと言う大人を待たせたと言う思いがあって、問いにハキハキ答えるものの、時々不安げな表情を見せていました。それがこの主人公のイメージにぴったりで良かったんです。実はほぼ内定していた方がいましたが、大逆転で賀来君にしました。
―じゃあ、遅刻が効いたと?
鈴井:そうですね。結果的には2時間が効いて彼を主役にした事になります。

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(C)2009「銀色の雨」製作委員会

―そんな思春期の世代が今っぽくリアルなのに、お母さんが、少し古風ですね。もっとあっけらかんとしているのかと思うのですが?
鈴井:原作には母親は出てこないんですよ。ここは映画オリジナルなんですが、実は最初はあっけらかんとした母親像の脚本でしたが、母親ってそんなもんじゃあない、いくら時代が変っても自分のおなかを痛めた子に対しては、母は母であると言われ変更する事にしました。実はこれは僕の家内に言われたんですが。

―賀来君の陸上や獅童さんのボクシングと、スポーツを実際にやっていた人のように見えました。
鈴井:彼らは実際にトレーナーを付けて練習していました。獅童も、映像的にあそこまでボクサーに成り切ってくださり、感謝ですね。満足しています。
―話的にボクシングを持ってきたのは監督が今までされていたとか興味があったとか?
鈴井:好きだったとかそんなではなく、ボクシングってストイックなスポーツだと思うんです。映画自体も男女関係以外ストイックで、そういうものがあってもいいんじゃあないかと思いました。(聞き手:犬塚芳美)

   <明日に続く>
   この作品は、12/5(土)シネマ-ト心斎橋、シネリーブル梅田、
           順次京都シネマ、シネリーブル神戸 にて公開

映写室 新NO.28キャピタリズム―マネーは踊る―

映写室 新NO.28キャピタリズム―マネーは踊る― 
  ―$は何処に消えた?―

 昨年9月のリーマン・ショック以来、世界は100年に一度と言う未曾有の不景気だ。「サブプライムローンの破綻」できっかけを作ったアメリカの不況はひどい。かって栄華を誇った自動車産業の衰退は特に響いて、拠点のデトロイトはゴーストタウンになっている。そんな街を舞台に、クリント・イーストウッドは「グラン・トリノ」を作った。弱い者の味方、我等が突撃隊マイケル・ムーアは、ローン返済が出来ずマイホームを追い出された同じ街の一家を映す。まさに「サブプライムローンの破綻」の当事者だ。
 <キャピタリズムとは資本主義の事>、一部の富裕層の間を浮かれて踊り回る巨額のマネーの下で、多くの市民が苦境に堕ちてしまった。そんなさまを、わかり易く映した作品で、経済音痴でも付いていける。さあ、$は何処に消えたのか、不条理に気づき、怒りで眠れなくなるかも。

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(C) 2009 Paramount Vantage, a division of Paramount Pictures Corporation and Overture Films, LLC.

 <現在はこの物語より深刻かもしれない> 事態は日ごとに悪化し、特に日本は不況に円高が覆い被さり株価も低迷、厳しい師走になっている。始まりはこの作品にも登場するリーマン・ショックだけれど、1年後に最後の引き金を引いたのが、ドバイの経済破綻だった。石油が根渇した後を考え、観光立国を目指した不動産への過剰投資はとうとうパンク。巨大なビル群が砂漠の中の蜃気楼と化している。
 <よく似た話は日本でも少し前にあった> 北海道の夕張市だ。衰退した炭鉱の町を観光都市にしようと箱物をどんどん建て、その割には思ったほど観光客を呼べず、最後は債務超過で財政再建団体。雪の中の大きな箱物群を夕張市民が恨めしく眺めたように、砂嵐の中の未完のビル群を眺めて、ドバイの人々は何を考えているのだろう。

 <もっとも夕張市は、町の人々を困窮させはしたものの>、建物を債権化するようなマネーゲームには加わっていない。そこがこの作品の舞台と大きく違うところだ。ドバイもアメリカも、悪知恵の働く人々に振り回され、世界中を同時不況に落としいれた。でも元凶の者は公的資金で助けられて、今もって豪勢な暮らし。庶民だけが混乱の中に取り残されている。ムーアはそこのところを暴く。本当の敵は何処にいるのか、ムーアの指摘が明確だからこそ、ウォール街は目の敵にする。

 <この間まで西側諸国は豊かさを謳歌して>いたはずなのに、資本主義が行き過ぎだしたのは何時からだろう? ムーアはそれをレーガン大統領が誕生した1980年代と位置づける。富裕層への減税、産業基盤の解体と社会構造を変え、競争原理に拍車をかけて、ウォール街がアメリカという国を掌握し始めたのだ。もちろんそれは世界への波及していく。株価は1400パーセント近く伸び、企業は記録的な収益を上げるが、従業員とCEDの賃金格差は拡大するばかり。もうこれを民主主義とは言わず、「プルトノミー」になったのだ。1パーセントの富裕層が全てを奪う社会なのだそうだ。…そうだ何て、気楽なことを言っていてはいけない。全てを奪われながら、なおかつ気が付かない私も、この作品の中の一人。ムーアはこの作品で、冨の分配の不条理に気付かず、ずるずると現状に甘んじる私のようなものにも、目を覚ませと言っている。

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(C) 2009 Paramount Vantage, a division of Paramount Pictures Corporation and Overture Films, LLC.

 <アメリカンドリームは崩壊し>、お金を吸い上げられてしまった庶民。ここからが突撃隊マイケル・ムーア監督の面目いかんだ。$のマークを付けた大袋を引っ下げ、「僕らのお金を返してくれ」ウォール街に突入する。と言って、すぐに解決するわけではないけれど、元凶が見えてきたし、戦う方法も探せるではないか。
 <常に社会の矛盾を突いてきたムーア>、アメリカに住む監督に見える社会の矛盾とは、つまり資本主義の歪みだ。でも資本主義は常に社会主義と対比して語られ、初期の頃には多くの幸福を皆に与えたから難しい。そこには区別が必要で、ムーアが批判するのは、資本主義の中でも、金融資本主義、つまり金融戦争だ。

 <本当の戦争も金融戦争も>仕掛け人の思惑は一つだけ。「自分の利益が上がるのなら、自分に関係のない他の人は死のうが困ろうがどうでもいい」と言う究極のエゴイストさ。ムーアはそれを批判する。止めろと訴え、踊らされているのに気が付かないで、結局下層に沈む者たちに、今何が起こっているのか、目を開けてしっかり見ろと言う。
 <この作品のアメリカ全土への拡大公開の前>、失業率や自宅の差し押さえが高い地域を10箇所選び、無料の試写会を開いている。相変わらずジャンボな巨体でも、穏やかさが見えてきた。今までのように過剰な煽りを感じないのはムーアの老成だろうか、指摘の的確さだろうか。何時までも警告を発してはくれない。私たち受け手がしっかり思いを受け取り、賢くなる時だ。この作品は、彼が今まで追求してきた事の集大成とも言える。(犬塚芳美)

 この作品は、12月5日(土)よりTOHOシネマズ梅田で上映
       1月9日(土)より、敷島ポップス、TOHOシネマズ二条、
                三宮シネフェニックスで上映予定

映写室「葦牙―あしかび―」小池征人監督インタビュー(後編)

映写室「葦牙―あしかび―」小池征人監督インタビュー(後編)   
―児童虐待を受けた子供たちに社会的な母乳と母語を―

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(C)記録映画『葦牙』制作委員会

<昨日の続き>
―素晴らしいスピーチをする少女とか、スケートを頑張る少年とか、大変な経験をした子供たちが頑張っている姿、前向きで賢いのが嬉しいですね。彼女は文章上手いし、将来は作家かなあ。
小池:皆頼もしいでしょう。あの女の子は作家になりたいと言っていましたね。「私は書ける、一杯子供たちの世界を見たから」と言うんですよ。びっくりしました。人は与えられた条件から何かを摑んでいきます。恵まれている中から全てが生まれるとか限らない。受難を乗り越える為に情熱が生まれるんです。彼らは同年代の子供以上に大人ですよ。与えられた苦しみを栄養にして成長していますから。

―そうは言っても、全てが解決するとは限らない。映画に希望を見ながらそんな事も感じました。
小池:僕は色々なことがあっても、その中の希望を掬い取りたい。一度底辺に堕ち者たちが這い上がっていく、リターン・マッチの精神が好きなんです。敗者復活戦ですよ。楽観的というわけではなく、絶望を味わったからこそ、絶望の向こうの希望が輝いて見えるのかもしれませんが。この作品の入り口は虐待問題だけど、映画は子供とお母さんの再生の物語になっています。そうは言っても問題意識を忘れて気持ち良くなって貰うだけではいけない。最後のダビングで、そういう現状を説明する最初の言葉を入れる事を決めました。あれが無かったら良かったと言う声も多いですけどね。

―厳しいのも現実ですから。観客に、私たちも頑張りましょうと思ってもらわなくてはね。
小池:そこなんですよ。彼らもやがては社会に出て行く。人は一人では生きていけない。この問題を他者の話にせず、傷ついた子供たちが春になって芽吹けるように、社会が栄養豊かな枯葦原になって欲しいんです。同時にこれも知られるようになったことですが、虐待を加えた親は加害者だけれど、同時に被害者でもある。親自身が幼い頃にそういう体験をしていることも多い。虐待というのはいけないけれど、そこまでするのは理由があって、親も苦しんでいるんですね。親も同じ被害者なんだと受け止め、片一方を一方的に責めてはいけないんです。

―あのスケートを頑張る少年も、そういう親の事情がわかって、負の連鎖を自分で断ち切って自分は幸福な家庭を築きたいと言っていましたね。
小池:彼は賢くてね。今もスケートを続けていますよ。頑張るし適当にサボるし、バランスの取れた普通の子です。ただ虐待を受けた子供たちは総じて小さい。色々なホルモンが止まって成長しないんです。スケートは過酷なスポーツなのに、彼も足が細くてね。園長先生がここの食事だけでは体力がつかないから、彼には特別メニューを出そうかなんて言っていました。実は彼がスケートを始めたのは、あの顧問の先生が彼に手紙を書いてオルグしたのがきっかけなんです。「君をスケート選手にしたい」とラブレターを書いている。手紙がよっぽど嬉しかったんでしょうねえ、過酷なスケート部に入り頑張っている。そんな具合に、いい意味で子供を騙す大人、子供の心を作る大人が必要なんです。そういう先生に出会えて彼は幸せですよね。これからも頑張ると思いますよ。

―映画の中の希望の光が広がっていきます。自宅に帰ったときの映像も嬉しそうでした。
小池:虐待を受けたと言っても子供は皆親が好きなんですよ。家族が一緒に暮らせるのが一番だと言ってますからね。問題なのは、子供の再生施設はあるけれど、再生した子供を迎えるべき親、傷ついた親の再生を助ける仕組みがない事です。親と子、両方の再生が必要なんですがね。
―まだまだ中途半端だと。
小池:ええ。この問題が根深いからこそ、子供も親も撮影の許可が出ない事もありました。最初は駄目でも途中からオーケーになった子も何人かいて、助かりましたが。子供よりも親のほうの撮影が難しく、映っているのは彼のお母さんともう一人だけです。でも完成して見て貰った時、シルエットでのみの撮影を許可してくれたお母さんが、「こんな作品ならちゃんと出ればよかった」と言ってくれて、嬉しかったですね。

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(C)記録映画『葦牙』制作委員会

―そのあたりの視点が温かかったんですね。題名も素敵です。
小池:最初は「風にそよぐ葦」にしてたんです。キリスト教の言葉で、実はこれはあまり良い言葉じゃあないらしいと解った。権力におもねると言う意味らしいんです。地元の作家から、葦に拘るんだったら「葦牙」はどうだと教えてもらって決めました。「葦牙」って言うのは葦の若芽の事で、古くは古事記にも神々の誕生の記載で使われている、生命の象徴のような言葉なんです。本当は皆が知っている言葉がいいんだけれど、良い言葉なんで「葦牙」という言葉の力を借りて子供たちの未来を照らしたいと思いました。
―こんな大人がいる限り、子供対は再生できる。温かい思いが届くはずだと思いました。ところで「いのちの作法」に続いて製作総指揮は武重さん。ついこの間は「1000年の山古志」もありました。プロデューサー武重さんの快進撃が続きますが?
小池:プロデューサーは大変です。監督と違って、旗を上げたら降りられない。でも強い思いがおありなんでしょう。「本当の日本」や「本当の日本人」の力を伝えて行きたいと頑張っておられます。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》
 <このようなデリケートな問題に>素顔を晒しているのが、まず衝撃でした。当事者たちが、この問題を知って欲しいと、私たちが思う以上に真摯に考えているのが解ります。もちろんそれは前作から培ってきた監督との信頼関係があってこそ可能だったこと。皆さんの期待を裏切らない、厳しい現実の向こうの希望にスポットを当てる温かさが印象に残ります。
 <だからこそ>、こぼれる厳しい現実を聞いてしまうと、「僕は厳しい現実を見てきた。絶望の行き着く果ては希望だと言うのが真情です」とかわされました。学園の子供たちは18歳でここを出て行きます。この映画で、監督や緑学園の皆様から、私たち社会が葦原になることを託された気分になりました。


 この作品は、12月5日(土)第七芸術劇場(06-6302-2073)にて上映、
       初日監督の舞台挨拶があります。詳しくは劇場まで。
       順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

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