太秦からの映画便り

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映写室 新NO.36ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女

映写室 新NO.36ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女   
―スウェーデン発の傑作ミステリー―

  この作品いつもとは勝手が違う。物語の中で追う謎と、追う方の女の放つ強烈な謎の2重構造になっているのだ。スウェーデンの富豪一家の謎は、複雑かつ根が深くて陰惨そのもの。一方事件を暴く方も暗い過去を匂わせる。どちらも簡単には全容を現さない。事件を追いながらも、この女いったい何者? 過去に何があった? …と、まるでもう1人の主人公に感情移入したように彼女に惑う。いったいどっちの謎を探っているのか解からないが、曇った空の下に広がる北欧の風景も楽しい。漂う空気感とか、なんか独特なのだ。スウェーデンって明るいのか暗いのか、う~ん、このミステリーのように複雑そのもの!

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(C) Yellow Bird Millennium Rights AB, Nordisk Film, Sveriges Television AB, Film I Vast 2009

 <月刊誌「ミレニアム」の責任者ミカエル>は、武器密売記事を名誉毀損で訴えられ失職した。その頃、大企業の元会長から約40年前に失踪した姪の謎解きを頼まれる。こうして、スウェーデン北部の島が舞台のミステリーが始まるのだが、島は密室だった。容疑者は元会長の一族郎党で、莫大な利権と資産をめぐって親族同士の駆け引きがあるようだ。ミカエルは早速襲われる。そんな彼を助けるのがドラゴン・タトゥーの女という訳で、彼の身辺調査を元会長から頼まれた調査員だった。

 <身長150cmで少年のようにガリガリの>体にドラゴン・タトゥー、鼻ピアスで厚底の靴を履き、パンクファッションに身を包んだ女は何者なのか、半信半疑で彼女と組むミカエル。たちまち画面は主役の座を彼女に奪われる。ミカエル形無しだけど、まあそれも仕方ない。彼女の放つこのダークなオーラ、ノーマルはいつもアブノーマルに負けるものだ。
 <彼女は天才的なハッカーで映像記憶能力もある> つまり超優秀な調査員と言う訳で、社会のルールにとらわれず、法を犯すのも平気で自分の思うとおりに行動するんだけれど、根底には既存の権力への不信感がありそう。全身から発する闇社会の匂い、孤独感、強烈で癖になった。相当のトラウマがあると予想させるが、事件が解決してみると、2つの謎の根底にはレイプ事件があると解かる。

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(C) Yellow Bird Millennium Rights AB, Nordisk Film, Sveriges Television AB, Film I Vast 2009

 <自身の欠損が研いだ刃が>、調査員としての武器。正義をかざすジャーナリストだけれど、罠に嵌められてあえなく退場するミカエルとは桁違いなのだ。…と言っても、ほとんどの推理はミカエルがしたのだけれど、どうも印象が薄い。少しずつ正攻法で探っていく、所謂インテリのミカエルに対し、直感で瞬時に本質に迫る女は目立つ。2部以降もコンビは続くのだろうか。
 <さて、肝心の姪の失踪は>思わぬ結末を迎える。老いた依頼者には辛い報告、一族の血の汚れだった。しかもヨーロッパの歴史を紐解けば、ナチの影が免れない。富豪一族の闇とヨーロッパの闇が重なる。このあたり、島を取り巻く海のようにおどろおどろしい。

 <原作は>、処女作出版前に急死して伝説の作家となったスティーグ・ラーソン。人口900万人のスウェーデンで360万部を売り上げたというのだから、まさに社会現象だ。世界40カ国で翻訳され、今も累計2100万部の売り上げを更新中と言う。ヨーロッパではすでに第2部、第3部も公開され、圧倒的な人気らしいが、この作品を観ればその理由も解る。草案の色々な罠が見え隠れし、事件より何よりこのヒロインの謎が解けないのだ。冒頭のミカエル失脚事件も、物語の終盤には絡んできそうな予感がする。

 <それもそのはず>、スティーグ・ラーソンはこの物語に第5部までを想定していた。第4部の草稿をパソコンの中に残していたそうだが、作者が急死した今、残念ながらそれが日の目を見ることはない。それまでにこのヒロインの謎は解決するのだろうか。それが気がかりだけれど、伝説のヒロインを置き去りに、大きな記録を残して、作者自身が伝説の人となってしまった。

 <家具等北欧のデザインは>シンプルなことで知られる。でも究極のシンプルに行き着くまでには、幾多の切り捨てたものがあるはず。この作品はそんなスウェーデンを表現しているみたい。切り捨てたもの、美しくペンキで覆った下の、ドロドロした物をこそテーマにしているからだ。それが風景の端整さと相まって不思議な味わいになっているのだと思う。原作の力、ヒロインに扮したノオミ・ラパスの存在感で、あまり馴染みのないスウェーデン映画に魅了された。漂うB級感、ドラゴン・タトゥーの女を劇場で見よ!(犬塚芳美)

この作品は、1月30日(土)より、
     敷島シネポップ、シネリーブル梅田、シネリーブル神戸で上映
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映写室 新NO.35 ワカラナイ

映写室 新NO.35 ワカラナイ  
―僕に何が出来たのだろう?―

 主人公は16歳の少年。まだ親に守られているべき年頃の少年が、大人の見てみぬふりに弾き出され、すきっ腹を抱えて街角に立っている。女性から、親からと、色々な視点で日本を描き、世界の映画祭で評価される小林政宏監督が、今度は少年から見た現代の日本を描きます。あまりの悲惨さは現実味がなさそうだけれど、人間関係の希薄な現代、一つ歯車が狂うとこんな境遇に落ちるかもしれない。私たちも、知らず知らず、こんな「無関心という刃」を他者に向けているのかもしれないと、胸が痛む。ここにある悲劇は、私たちが目をそらしているもう一つの世界だ。小林監督の切り取った現実は厳しいけれど、でもそこに僅かな明かりも提示されている。親世代の方にはぜひ見て欲しい作品です。

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 (C)MONKEY TOWN PRODUCTIONS

 <亮は田舎の廃屋のようなアパートに>一人暮らし。コンビニでバイトしているが、長患いの母親の入院費も要り、食費にも事欠く。ガスも電気も水道も止まり、バイト先でおにぎりやパンを万引きしては飢えを凌いでいる。でもばれて首になった。母が死んで、大人たちが取り立てる葬儀費用や入院費が払えない。僅かなお金も取り上げられ、残ったのはポケットに押し込んでくれた1万円札1枚だった。

 <亮は一張羅に着替えさせた母を>霊安室から背負って連れ出すと、海辺でボートに横たえ、海に向かって静かに押し出す。青いペンキを塗った小さなボートは、少年の宝物だ。この中に寝転んでいつも眺めていたのは、母が口汚くののしる父親と幼い頃の彼の写真だった。ボートは少年が唯一現実逃避できる場所。離れている父親への幻想と、いつかこれに乗って海に漕ぎ出そうという、未来への夢だったのかもしれない。でもそのボートを母に捧げ、精一杯の弔いをして、それと共に、この町で夢見るだけの日々へ決別したとも思える。

 <「ワカラナイ」って言うなら>、この少年には解からないことが一杯だ。光熱費の滞納、死体遺棄、万引きと、大人は咎めるけれど、他にどんな方法があったんだろう? 少年と母親を捨て、困窮を伝えても連絡してこない父親、彼は何処で何をしているんだろう? 生活保護を申請しても、すぐには下りず切羽詰った彼の困窮を見ようとしない大人や行政。無一文の少年にどうやって生きろというのだろう? 
 <病気の母親にしても>、彼の気持ちも考えずぐずぐずと別れた夫への不満を言う。それが息子をどれほど傷つけるのか、もう息子を労わる余裕も無く、辛い現実が独りぼっちの少年の細い肩にのしかかってくる。母さんは僕にどうしろというのか? 少年は何度母の寝顔に問いかけた事だろう。あどけさの残るこの少年を、ここまで追い詰めた社会の無関心。よくぞ生き抜けたもんだと過酷さに胸を締め付けられる。

 <こんな極限の少年を演じるのは>、本作が初主演の小林優斗。激しい餓えたような様な目が印象的だと思ったら、撮影中は監督の指示で、この物語の少年のように、メロンパンやおむすびやカップヌードルだけを与えられ、ケイタイも取り上げられた孤独な環境で過ごしたのだという。ぎこちない、心の中の空洞にバランスを崩したような走り方が、この少年の拠り所のなさを体現しているようで痛ましい。でも背中の真っ直ぐに窪んで伸びた背骨は、彼の健康さも現す。ハラハラさせられながらも、大人と子供の狭間のこの年代の男の子特有の、生き物としての底知れない生命力も感じて、絶望と僅かな望みの間を右往左往した。
 <亮の唯一の友人として登場するのが>柄本時生だ。柄本はいつものように得たいが知れず、亮よりもっと危なく、大人に言って亮を助けてあげてというような、一般的な考えを払拭させる。ここで亮と社会の回路は切れてしまうのだ。あの状態の亮が、自尊心を傷つけず付き合えるのはこんな少年しかいないと、又もや妙な納得をする。

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(C)MONKEY TOWN PRODUCTIONS

 <もう気付かれたように>、この辺りまで、この作品の主人公亮は「誰も知らない」の少年によく似ている。今結婚の話題で芸能ニュースを賑す柳楽優弥が、カンヌで史上最年少の主演男優賞を取り、是枝監督の名を一躍世界的にしたあの作品だ。大きな違いはラスト近くの大人の対応だった。
 <母親を弔った後>、少年は観客の(少なくとも私の)想像を超えた行動に出る。1枚の写真を持って東京に、しかも父親を尋ねて行くのだ。やっと見つけた父親の家、でもそこには新しい奥さんと子供が住んでいて、逡巡する少年は不審者扱いをされと、更に現実の厳しさが追い討ちをかける。でもここからが小林監督の提言だ。この物語の本領はもちろんここからで、この少年にどんな結末を用意するかは、スクリーンで確かめて欲しい。

 <ところで、父親が登場した時>、不思議な存在感に目が釘付けになる。あの人は誰だろうとチラシを見ると、この作品の監督小林政広さんだった。少ない出番だけれど、思いの深さが滲み出て、一気に作品をさらっていってしまったのだ。そういう目で見ると、危なっかしい亮の日常を包み込むような作品のトーンといい、この作品は父性に貫かれている。
 <顕著なのがラストのシーンだ> 何処までも続く坂道を、時々振り返りながら歩く少年、そこに、まるで彼の父親が歌っているような、いとうたかおの温かなボーカルが「Boy」と少年を包み込むように被さる。心細そうに一人で歩く少年は、それでも誰かの視線を感じていそうだし、この歌声は彼の心に届いているだろうと思わせる余情だった。坂道だけど、人生を暗示するような緩やかな坂道。この少年は例え父と一緒に暮さないとしても、父の庇護をどこかで感じながら生きていくのだろう。
 <人は一人で生きていくしかない> 転ばないで、いや転んでもいいから立ち上がって歩いて行けと、祈るしかない父親。父親と息子の関係を垣間見た気がする。(犬塚芳美)

 この作品は、1月23日(土)より第七藝術劇場で公開

『ワカラナイ』   
  2009年/日本/104分/ティ・ジョイ配給
  監督・脚本:小林政広
  出演:小林優斗/柄本時生/田中隆三ほか
  公式HP:www.uplink.co.jp/wakaranai/

映写室「パチャママの贈りもの」松下俊文監督インタビュー(後編)

映写室「パチャママの贈りもの」松下俊文監督インタビュー(後編)
 ―日常の中にある幸せ―

<昨日の続き>
―そういう素朴な環境にいた人々に、撮影と言うある種文明を見せたことになりますが、変化はありましたか?
松下:ハリウッドとかの撮影もよくあって、そんな時は大所帯で押し寄せるんですが、僕らは車の問題もあるから最小限のスタッフでのぞんでいます。5人程度とかね。だから悪い影響はそう無かったんではないでしょうか。逆に、いい経験だったのではないかと思います。この作品をボリビア先住民映画祭に出した時は、お父さん役子供役等のキャストやスタッフが全員来てくれて、歌って踊って非常に盛り上がりました。会場も満杯で、楽しかったなあ。撮影が終わると元の日常に帰りますから、彼らにとっても映画撮影の間がつかの間の夢だったようです。お父さんは今鉱山で働いているんですが、坑道の中に5,6時間もいると喉がやられる。顔色が悪くて声もがらがらでした。塩を採ると月収20000円くらいになるんですが、他の農民等に比べると格段にいい収入だけれど、もっと良い所へ行こうとして変ったんです。こちらだと30000円くらいになりますから。農民や学校の先生で大体10000円です。そういえば撮影中、子供たちが最初は行儀が良かったんだけれど、徐々にご飯を残し始めました。「作ってくれたおばあちゃんの愛が入っているんだからちゃんと食べろ」と言ったら、反抗期に入ったのもあって、「皆を見てみろ。皆も残している」と言い返すんですよ。見たらスタッフが皆残している。肉が硬いから無理もないんだけれど、自分たちがちゃんとやらないと子供たちにも言えないなあと思いました。そうは言っても、僕もそこまではやりきれなかったんですが。

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(C)Dolphin Productions

―彼らのいつもの食事はどうなのでしょう。経済的に厳しそうですが。
松下:体に良さそうな、自然食の非常に良いものを食べていますよ。国民総生産で言うとボリビアは貧しい国の一つだけれど、経済的には豊かでなくても、ある意味で豊か。貧しいなんてぜんぜん思わないですね。スープも肉や野菜が色々入っていて美味しいし、豆にキヌアでしょう。高地や痩せた土地でも育つ作物を知っていて、上手く栽培しています。ここでよく栽培されるキヌアは栄養価が高いんですよ。農村共同体が機能していて、ジャガイモとかアンデス原産の作物も沢山ありますしね。
―古代からの知恵がある地なんですね。
松下:ここはインカ帝国のあった所で、マチュピチュとかの遺跡がありますからね。元々僕はあんな文明を作った人たちが、今どうしているかなあとこの地に興味を抱いたんです。アマゾン川を一人カヌーで下りたいなあとか。
―だから日本を飛び出したと?
松下:見てやろう、聞いてやろうと言う好奇心です。日本では松竹京都撮影所に勤めていましたが、撮影所といっても所詮サラリーマン。色々言われるのが嫌で、徹底した自由が欲しくてアメリカへ行きました。アメリカではサラリーマンにもなりましたが、それでも日本とは比べられないほど自由でしたね。お金の心配もしないほうで、でも不思議に追いつめられたことはない。コマーシャルやテレビ番組を作って30年、贅沢もしないから自然に資金が貯まりました。今も映画祭とかで時々纏まったお金が入ってくる。そんな意味では僕はいい星の下に生まれているのかなあ。

―そんな自由な松下監督が、この作品に6年間も関われたのはどうしてでしょう?
松下:僕は最後まで諦めないタイプ、ネバー・ギブアップの精神ですよ。今までCMやドキュメンタリーを撮ってきたけれど、しんどい物でも全て最後までやり遂げたと言う自信があります。今回も正直大変な時もありましたが、止めようとは思わなかった。9.11で衝撃を受け、人生をもう一度見つめ直したかったし、僕の持っているアンデスへの文化人類学的な興味やロードムービーの楽しさを表現したかったんだと思います。その点はほぼ出来たんじゃあないかなあと。映画って何でもかんでもやれるわけではない。苦しみとかを表現したわけではないが、日常生活の中にある淡々としたもの、毎日の繰り返しが大切な事、自然と共生した人生の素晴らしさ、そんなものは現れていると思います。

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(C)Dolphin Productions

―最後におじいさんが手を振っていますよね。
松下:気難しい方だけれど笑顔をもらえてよかったなと。実は撮影の3ヵ月後に亡くなったんです。丘の上に埋葬されたんですがお酒を持っていって土にかけました。その時アンデスの風がパーッと吹いて、後ろに夕焼けの光が入ってきた。ドラマティックで素晴らしくてね、もう撮影は終わっていたけれど、この風を編集で現したいと思ったんです。自分の生まれた場所で生き、死んだ後は故郷の丘の上にこんもりと土を盛って埋めてもらえ、時々お酒を持ってきて注いでもらえる。これ以上何が欲しい、これでいいんじゃあないか、僕のやろうとした事は間違っていない、こういう映画でいいんだと思いました。途中ではもっと大きな事を目指してもいましたが、本当に大事なのはこんな事なんだとあの丘の上で納得したんです。最初から淡々とした映画を作りたかった。そこが人によっては弱いと言われる所なんですが、ドラマティックではない日常生活を撮って、幸せは虹の彼方にあるんじゃあない、足元、日常の中にあるんだというのを言いたかったんです。今や地球環境の危機でしょう?グローバリゼーションで精神までが変ってしまった。日本人が今見失っているものが、ここにあるんじゃあないかと言いたい。「パチャママは大事だと解ったけれど、贈りものって何だろう?」と、この映画を見終えた皆さんが話し合って下さったら嬉しいです。人によってそれが違うと思うので。

―そんな大地の豊かさを声に乗せたような、最後のルスミラの歌声が素晴らしいですが。
松下:良いでしょう、あの方は今ボリビアの駐仏大使です。大好きなんで参加いただけて光栄です。彼女の代表曲に、日本なら「母さんは夜なべ~して…♪」と言うような意味の歌があるんですよ。皆と言葉が通じなくてコミュニケーションが取れないから、撮影の説明の代わりに彼女の歌をずっとかけていました。こんな映画を撮りたいんだから解ってよと言う気分だったんです。(聞き手:犬塚芳美)

作品の感想とインタビュー後記:犬塚》 
 <素朴なお料理の風景、暮らしぶり、景色、民族衣装>と何をとっても物珍しい作品です。でも、確かに監督の言われるように、そこには私たち日本人と同じものが流れている。初めてなのに全てが懐かしく、忘れがちな物を思い出します。はにかみがちな少年の表情が日本人と似てると思うのは私だけでしょうか。ところで、数年前紹介した「世界最速のインディアン」で、北米の塩湖でサーキット場になっている所が出ました。海底が山中に上がると言う地球の変動に驚いたけれど、それが南米大陸にもあるのに驚きます。こちらのほうが素朴で、別の物語になるところも面白くて。
 <インタビューのほうは>、ニューヨーク在住と言うプロフィールに構えていたら、関西弁を話す、気さくで飄々とした監督が現れました。サービス精神旺盛は優しい方です。アンデスは日差しがきつく、帽子がないと生きれないんだとか。暑くて寒いと言う不思議な現象を何度もお話くださったけれど、日本にいる私には今ひとつ実感が伴わない。世界の広さを実感したひと時でした。時間が経つほどに監督の言われたネバー・ギブアップが心に染みます。遅れてきた新人監督の今後の活躍を楽しみに!


 この作品は、1月16日(土)より第七芸術劇場、
       順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター  にて公開

映写室「パチャママの贈りもの」松下俊文監督インタビュー(前編)

映写室「パチャママの贈りもの」松下俊文監督インタビュー(前編)    
  ―南米ボリビアのアンデス高地の物語―

 南米ボリビア、標高3600メートルの高地に、12000平方キロもの潮湖がある。ユウニ湖と言って、アンデス山脈の懐に塩の大地が何処までも広がっていく。この作品はそこで暮す先住民一家の物語で、ニューヨーク在住の監督が、現地まで通いながら6年の歳月をかけて撮影したものだ。珍しい光景と共に、スクリーンに流れるゆったりとした癒しの時間が心地いい。大地(パチャママ)の恵みに感謝し、自然と共生して昔ながらの暮らしを送る姿が、忘れがちな何かを教えてくれます。幸せってこんなものかもしれないと、ふと思ったり。昨秋の帰国にあわせて、松下俊文監督にお話を伺いました。

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(2009年11月4日)

《その前に、「パチャママの贈りもの」はこんなお話》
 父がユウニ湖の塩を採って暮す先住民、ケチュアの一家。息子のコンドリは13歳で、学校に行き友達と遊び父を手伝う。そんな彼にも変化は訪れた。祖母が死に友達が引越し、今年は始めて父親と一緒に塩を売る為のキャラバンに出る。リャマの背中に塩を積み、アンデスの山々を越えて3ヶ月もの旅だ。父親が鉱山で働く友達のコーリーも一緒に行く。農作物と交換しながら最終地は祭りの村だ。酒を飲みコカを噛み、喧嘩祭りが始まる。

《松下俊文監督インタビュー》
―この作品のジャンルは何ですか?ドキュメンタリーのようでも劇映画のようでもあり、どちらなのか解らなくなりました。不思議な世界です。
松下俊文監督(以下敬称略):ドキュメンタリーに見えるけれど劇映画なんです。実際にこんな一家はいるし、塩を切り取ってキャラバンで売りに行く仕事もある。描いているのは100パーセント現実です。つまり限りなくドキュメンタリーに近いフィクションなんで、カテゴリー的にはドキフィクションと位置づけています。観た人にドキュメンタリーかなあと思ってもらえたら、作った側としてはやったーと思えると言うか…。現実の場所とか、行われている事とか、言っている内容も含めて、ほとんど嘘はないんです。出演者も実際に素人の現地の人を使っていますからね。実は元々こんな、ドキュメンタリーと劇映画の境界を曖昧にした映画を作りたかったんですよ。そういうジャンルを、おこがましいけれど自分の道としてやりたいんです。ハリウッド作とか面白いとも思わないし、それよりは文化人類学的な分野とか旅とかに興味がある。ニューヨークに30年いるんですが、日本を飛び出した人間が、9.11テロに遭遇して、出直そう、映画をやるぞと思って作った作品ですから。

―監督は以前はドキュメンタリーを作っていたんですよね?
松下:そうです。前はドキュメンタリーを作っていました。アフリカ西海岸の土着宗教とここから大勢送り出された奴隷に関する問題とか、キューバ政府に要請された、キューバの音楽を採集しまくったビデオだとか、アメリカのインディアンと黒人との混血児のドキュメンタリーだとかを撮っています。今回フィクションにしたのは、90分と言う枠の中で自分の良い態事を言うには、何かを漠然と映すのでは無理。自分で構成しないとなかなかメッセージを発する所まで持っていけない。もっていける人もいるが僕には無理だと思ったからです。ドキュメンタリーよりもっとメッセージ性の高い物を撮りたい、劇的な映画が作れないかなあと思っていました。劇的といってもドラマがあるという意味ではないんですが、淡々とした日常のみ映すようなストーリーのない映像で、しっかりとしたメッセージを発したいと思ったんです。で、塩湖の日常を何度も撮ったけれど、どうもそれだけでは映画にならなかった。(どうしようかなあ)と思案してたら、湖の向こうの太陽光線を集めた蜃気楼の中から、何かが浮かんできて、「あれは何じゃ?」と聞いたら、キャラバンだと言う。「何やってるの?」、「塩を運んでる」、「何処へ?」、「知らん」とそんなやり取りがあって、調べたら、塩のキャラバンがあって、未だに物々交換をしていると解った。で、それを入れてロードムービーの要素も加味する事にしたんです。

―キャラバンの期間は3ヶ月ですか?
松下:映画上は3ヶ月です。実際にも2,3ヶ月なんですよ。マーケットに行くまでに1カ月位かかるんですが、相手側に交換するものが必要だから、キャラバンは秋の収穫の時期を狙ってです。塩のブロックは原っぱに置いて動物のミネラル補給に使うんですよ。人が使う分は精製するんですが、ブロックはその前の段階ですね。実はリャマが背負っている塩は撮影用で、実際のキャラバン隊の物より少し軽くしています。実際のとおりにすると重いから、何度もやり直すとリャマが死んでしまう。塩は重いんです。この頃は運ぶのはリャマよりロバのほうが多い。ロバのほうが強いんでね。リャマはコレストロールが少なく大変美味しいんで、普通食用なんです。あんな風に運ぶリャマは特別で、人の言う事を聞くようトレーニングされている。だから人間とも親しく、殺された時子供があんなに悲しむんですよ。もちろん死んでしまったリャマは食べます。そうしないともったいないし、干し肉のようにして携帯し、丈夫な歯でかじりますね。

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(C)Dolphin Productions

―塩湖って珍しいですが、海底が盛り上がって出来たわけですね。
松下:ユウニ湖は12000年前の地球の変動期に出来たものです。物凄く広くて、実際あそこの真ん中に立つと人生観が変りますよ。地球の神秘を感じるというか圧倒されます。舞台の村から塩湖までは歩いて1時間半から2時間かかり、村の人は山とかで方向が解るけどよそ者では無理。解らないと帰れなくなって大変な事になるんです。雨季には上に水が溜まって塩の層が薄くなり下に落ちる者も出るし、冬は寒いし食べ物もない。広いですからね、塩湖の真ん中で車がエンストして40人死んだ事もありますから。この頃ブームで観光客が増えたけれど、通るルートと撮影した所とは少し違います。

―そんな辺境の地、お父さんや子供の役をやった人は映画が何かを知っていましたか?出演をどう説得されたのでしょう。
松下:そんな理論事態がないんですよ。納得してもらったわけじゃあなく、映画を観た事のない人ばかりで、向うも理解できないから、最初は一緒に遊びながら進めて行きました。電気のある時ならホテル等でテレビが映りますが、映画館と言う物は知らない。たまには都市に連れて行って映画館に放り込み、お父さんと子供役に、「何でも良いから映画を見て来い」と言ったりと、映画が何かを教える努力もしました。
―撮影に時間がかかっていますが、この年代の少年だと成長が早いのでは?
松下:撮影は3年、企画や脚本の準備と後の編集に3年かかっています。もちろん変化はあって、子供が撮影中にどんどん大きくなるから、つながりが変なところなど気がつく人がいるかもしれません。最後は髭が生えてきました。それに妙な髪形にしだしたり、ポマードを塗っていつも櫛を持っていたりになって、思わず「変なことをするな!」と怒りましたが。思春期ですから手に負えません。

―子供二人がよく似ていますね。
松下:いや、そんなことはありません。僕から見るとぜんぜん違います。一人はお洒落だし一人はボーっとしている。僕も今回久しぶりに帰ってきて、日本人って皆同じ顔をしてるなあと思ったけれど、住めば解かる違いが外からでは解らないんでしょう。慣れでしょうが、先住民も一人一人個性的ですよ。本当は少年の登場は一人にしたかったけれど、一人では弱くて二人になりました。そうしたら子供同士がシュッシュッポッポと汽車の遊びをするんですよ。別にしろとは言ってないけれど、自然にそうし始めました。僕も子供時代よくやりましたからねえ、同じだなあと。彼らは先住民の流れを組んでいて、お尻に蒙古斑があるんです。僕ら日本人と近い。昔先祖が海を渡ったんでしょうねえ、死生観とか、お盆に死者が帰って来るとか、満月の夜に死んだ人が帰って来て生きている人と一緒に働いてくれるとか、精神、思想的にも僕らと近いんです。
―そんな点も見せるよう構成的に入れていますか。
松下:細かく見ていただくと、そんな風な色々な事を言っているのが解るんですが、全体ではソフトでオブラートに包んだように言っています。それらは全て、彼らが撮られているとか意識せずに自然に口にした言葉でした。(聞き手:犬塚芳美)
<明日に続く>

  この作品は、1月16日(土)より第七芸術劇場、
        順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター  にて公開

映写室 新NO.34ヴィクトリア女王 世紀の愛

映写室 新NO.34ヴィクトリア女王 世紀の愛 
 ―最強国家イギリスを築いた女王の純愛―

 <今週の舞台は宮廷文化華やかなりし頃>、19世紀のイギリス。18歳で即位し、イギリス史上最長の在位64年(1837~1901)を勤めたヴィクトリア女王の物語です。女王にこの恋がなければ、歴史は代わっていたとまで言われる世紀の恋が、鮮やかなコスチュームと共に蘇りました。
 <イギリス王室に絡んだ物語は>これまでも沢山映画化されてきましたが、猜疑心や権力争いの末に、妻や子、兄弟をも断頭台に送ったりと、たいていがスキャンダラスなもの。でもこの物語は違う。イギリスを「太陽の沈まぬ国」と呼ばれる最強の国家に押し上げた女王の若い頃に何があったのか。近代の家庭のモデルとまで言われる女王一家の出来上がるまでの日々です。キャリア・ウーマンのはしりの様な女王を陰で支える夫に、誰もが羨望の溜息を漏らすのではないでしょうか。

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(C) 2008 GK Films, LLC All Rights Reserved

 <19世紀のイギリス、国中が>一人の少女に注目している。国王の姪で、王位継承者のヴィクトリアだ。国王は重病で何時倒れてもおかしくない。この機会に権力を得ようと、彼女の母親とその愛人は摂政政治を受け入れさそうとするし、次期女王の夫の座を巡って色々な駆け引きが起こる。彼女の叔父のベルギー国王も、野望の下に甥のアルバートを送り込む。しかし出会った瞬間二人は惹かれあった。

 <…とお互いに好意を抱きながらも>、二人の周辺には陰謀が渦巻き、それを跳ね飛ばして結ばれるまでには、時間が必要だったというわけです。二人は自分の思いが恋なのかどうか、すぐには気付かない。アルバートの方は気付いたけれど、叔父の野望で動かされた後ろめたさがあるし、女王になったばかりのヴィクトリアは、職務を全うするのに一生懸命で、自分の思いに目を向ける余裕がなかったと。私たちとは男女の立場が逆ですが、特別な2人なのに、恋に関してはまるで普通の若者でした。その辺りをイギリス王室の仕組みと絡めながら描いていきます。

 <最初の山場は>、ヴィクトリアと母親の確執でした。夫を亡くし身分の不安定な母親が、娘を過剰に保護し、しかも愛人の悪巧みに加担し娘を利用しようとするのです。もっとも自分の立場が危うくなると、今度はその愛人も見捨てるのですが、この辺り自分の事で精一杯で愚かそのもの。力がないのは悲しいですね。こんな卑屈な精神を芽生えさせる。
 <ヴィクトリアは賢く>、そんな母の弱さや醜さを見抜いていたし、幼い頃から母親に監視されて厳しく育てられ、そこから自由になるチャンスをきっぱりとした意志で待ち望んでいました。こうしてみると歪んだ方法だとしても、やはりヴィクトリアは女王となるべく育てられたとも思うのです。伯父のウィリアム国王が、密かに植えつけた帝王学も在るとは思いますが。

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(C) 2008 GK Films, LLC All Rights Reserved

 <身辺に関してはそんな風に意志的な>のに、国を治めるという初めての重責で混迷するヴィクトリアは、ついつい擦り寄って来る者に頼り、時の首相の思うとおりに動かされてしまいます。この辺りをありのままに描くので、アルバートだけでなく観客も戸惑い、まとまりが悪くもありますが、時流や情に流される普通の女性でもあったヴィクトリアが、党派や人物に左右されないアルバートの姿勢を見続け、しかも彼の愛とサポートで、揺るぎない女王に育っていくという事ではないでしょうか。
 <権力者であればあるほど>、擦り寄ってくる者がいる。アルバートとの出会いで、自分を利用しない者だけが自分そのものを愛している者。何時の時も寄り添ってくれるのだと、若い日に気付いた女王は幸せでした。

 <娘すらも利用する母親>、そんな母親に反発しながら、切り捨てることまではしなかった娘、こんな曖昧さも解りにくいけれど、真実を描けばそうなるのでしょう。凡人はほどほどに愚かでほどほどに善良である事、統治するものは自分を振り回すそんな凡人を許しながら、自身が凡人であってはいけない事、女王の道の厳しさも感じました。権力者は孤独なもの。アルバート亡き後喪服姿を貫いた女王は、喪服に夫を感じながら、彼だったらどう行動するかを常に心の中で問い、行動の指針にしていたのかもしれません。

 <…と物語は人物像に現代的な解釈を加えながら>進みますが、映像は重厚で、圧倒的な美しさと時代感で迫ってきます。19世紀の戴冠式前後と言う史実を再現する為に、歴史的な建造物を使ったイギリスロケ、女王役のエミリー・ブラント、アルバート役のルパート・フレンド等、古典的な衣装が馴染むイギリス出身の俳優陣で固めた配役と、漂う空気感にリアリティがある。製作はマーティン・スコセッシですが、この辺りはアメリカ製作のものとは一線を記し、この作品の醍醐味になっています。特に「恋に落ちたシェイクスピア」等で2度のアカデミー賞を受賞したサンディ・パウエルの手による、豪華な衣装の数々が素晴らしく、アンティ-クレース、重厚なシルク等を多用し、時代考証を踏まえながら今に馴染ませ、人物から突出しません。次々と替わるドレスを堪能しました。

 <ところで新婚の女王夫妻が寛いだのは>たった3日間。国民が待っていると、アルバートに抱かれながらも遠くを見つめる女王の姿は痛々しくもありました。それでも9人の子供に恵まれ、二人が築いた幸せな家庭はイギリス国民の理想となったと言われます。
 <ヴィクトリア女王というと後年の喪服姿で>険しい表情を思い出しますが、この作品の女王は輝くばかりに美しい。「私の幸せの為に結婚してください」と自らプロポーズし、二人で過ごした日々の思い出が、アルバート亡き後の女王を支えたのは想像にかたくありません。個人が幸せだからこそ、国民の幸せを願い、願わずとも結果として、最強の国家を作り上げたのではないでしょうか。女王であると同時に一人の女性でもありたかったヴィクトリア、「イギリスと結婚した」と悲痛な思いを発した他の時代の統治者とは一線を記しています。(犬塚芳美)

 この作品は、1月16日(土)より
   梅田ガーデンシネマ、京都シネマ、神戸国際松竹等で上映


<豆知識>
1.色つきの豪華なウエディングドレスが主流の中、最初に純白のドレスを着たのはヴィクトリア。又女王一家はアルバートがドイツから持ち込んだクリスマスツリーを飾って祝った。そんな全てがイギリス庶民に広がっていったのだそうです。

2.イギリス王室を舞台にした作品は多い。一部上げると、
  ①ブーリン家の姉妹:16世紀、エリザベス1世の母であるアン王女と妹の愛憎劇
  ②エリザベス:ケイト・ブランシェット主演のエリザベス1世誕生の物語
  ③エリザベスゴールデン・エイジ: ②の続編で即位後内憂外敵を解決していく様
  ④女王エリザベス:エリザベス王朝後期、老いぼれた女王が家臣と恋に落ちる
  ⑤英国万歳!:18世紀の英国王室を、あぶない視点から描いた名作舞台劇を映画化したブラック・コメディ。
  ⑥Queen Victoria至上の恋:夫亡き後のビクトリア女王と従僕の秘めた恋
  ⑦ある公爵夫人の生涯:ダイアナ妃の祖先のスキャンダラスな実話を映画化
  ⑧クィーン(The Queen):1997年亡くなったダイアナ妃を巡る英国王室の右往左往
  ⑨ダイアナ・プリンセス最期の日々:悲劇が起こるまでの“最期の日々”を再現したドキュメンタリー・ドラマ

映写室 「ドキュメンタリー 頭脳警察」PANTAさん・瀬々敬久監督インタビュー(後編)

映写室 「ドキュメンタリー 頭脳警察」PANTAさん・瀬々敬久監督インタビュー(後編)  
 ―カリスマロックバンドの再起動―

<昨日の続き>
―近くでカメラを廻していて、水面下の必死の水かきを感じたことはありますか?
瀬々:PANTAさんはそういうの見せたがらないですからね。一度だけ撮影を断られた事があって、「家で曲を作っているところを撮らせてください」と言ったら、唯一嫌そうな感じがしたんで、それ以上突っ込むのを止めました。
PANTA:これはねえ、単に物理的な問題なの。嫌なんじゃあなくて、仕事場は足の踏み場がなくて、カメラを入れる余地もない。不可侵条約じゃあないけど、そこには誰も入らないんですよ。エロ漫画はあるし送られてきたDVDは重なってるしで、発掘したら宝物が一杯出るだろうね。スタジオで作るんなら別だけどね。
―そう言えば、重信メイさんとスタジオで作っているところが映っていましたね。
PANTA:あれは真剣に考えていましたね。どうしようかって。あの時ですらカメラは全く意識してないんですよ。曲を作ることに集中していて、不思議だなあと思いました。普通カメラがあったら演技するよねえ。
―それよりは曲作りの方がずっと大事ですものね。
PANTA:そうでしょうねえ。こっちの進行を記録してもらっているんだから、肝心の仕事をしないとね。

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―ええ。ところで、須田さんの予感が確信に変わったのは何時ごろですか?
瀬々:映画のとおりです。京都の円山公園でPANTAさんがTOSHIさんに「やろうか」と言うわけですよ。3部作は時間経過どおりに編集してますから、それまでに1部2部と時が経過してるわけです。
―個人活動はともかく、激しい活動期とお休みの期間がありますが。
PANTA:基本的には90年に再結成した時から続いているんですけど、もっと広義な意味で言うと、ビッグジョンで始めた時から続いているんでしょうね。それを映像が上手く捕らえているなあと思いました。90年に再起動した時は、自分が丁度「プラハからの手紙」、「クリスタルナハト」とソロでアルバムを続けて出した時です。その頃はライブと言うと頭脳警察の曲で、他の物が何かしっくり来ないと言うか、混ざらないんですよ。75年に解散した時には思いもしなかったけれど、これはもうそんな時期なのかなあと思い、そこで初めてTOSHIに「やろうか?」と声かけて、そしたらTOSHIが1年待ってくれと言い、90年に再結成したんです。今回もまだ形にはなってないんだけれど、重信房子とのコラボレートで「オリーブの樹の下で」と言うアルバムを響で出した事で、いや、その前に静岡の連赤の上垣氏がやってる「バロン」と言うスナックで、響が頭脳警察の曲だけでやったことかな。これを「特型響」と名付けて、その数ヵ月後に丸山公会堂で、今度は響にTOSHIを入れてやったんですよ。こっちは「「特2型響」と名付けたんだけど、イコール頭脳警察ではあるわけです。でもあの時点では響きのメンバーがやっているし、あくまでTOSHIを入れただけ。

―ええ、ええ。
PANTA:そろそろ頭脳警察の曲をやる時期なのかなあと。で、TOSHIに「やろうか」と言うんだけど、企画でもないし、自分の直感ですよ。頭脳警察はTOSHIと俺でやっていくもんだと思っているから、何時でも良いしね。今回90年代のメンバーには声をかけず、事後承諾の形で陽炎のメンバーでやっていますが、「時代はサーカスの象に乗って」をぜひ頭脳警察でやりたいなあと思ったのが先ですかね。それをシングルにして皆に聴いて貰いたいから、全国ツアーをやっていました。アルバムを作るとこの曲が消えちゃうから、作るのをずっと伸ばしていたんですね。でも流れはだんだんそうならず、そんな風に1つ石を投げるとどんどん回りに渦が出来てきた。再起動はその渦に自分たちが巻き込まれたと言う事かなあ。自分たちの意志とは違う所で色々な意志が働き、それに動かされたとも言えるし。でも石を投げないと渦は起こりませんからね。

―同じ曲をやりながら頭脳警察でやるというのはそれだけ特別な事なのですか?
PANTA:そうですね。かまえちゃう所がありますね。陽炎で頭脳警察の曲をやるのとは、全く意味合いが違うんです。力も入るし、血圧の上がり方が違うと言うか。
―それは何故なんでしょう?
PANTA:何なんでしょうねえ。
―周りでご覧になって、どう思われますか?頭脳警察と言う名前の持つインパクトとか?
瀬々:名前の力もあるとは思うけれど、頭脳警察になると、1極からPANTA さんとTOSHIさんの2極構造が出来上がるんですよ。それが大きい気がします。2極になって、回りの色々な物が取り入れられてスパークすると言うか、もっと大きなものになっていく。実際に絵の見え方がぜんぜん違いますから。
PANTA:化学反応ですかね。(3人肯く)

―所で、頭脳警察と言う名前は誰がどのようにしてつけたんですか?
PANTA:自分です。もう亡くなったんですが、フランク・ザッバというロックの神様のような方がいましてね。彼のやってた、とってもアバンギャルドなバンドがあって、そこの曲に「Who Are The Brain Police?」と言う大好きなものがあるんです。邦題は「ボスは誰だ」とついてましたが、それをそのまま日本語に直訳したんですよ。名前も日本語でつけたいと言う思いがあったものですから。当時日本語の名前のバンドなんてほとんどなかったなあ。「5つの赤い風船」とか位ですかねえ。

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―色々な洋楽を聴かれ、こんなにお好きなのに、日本語に拘り日本語でロックを歌ったのはどうしてですか?
PANTA:日本人だから。聴いて下さるお客さんも日本人だからです。当時コピーバンド全盛期だったんですよ。と言うのも、アメリカ軍のキャンプ周りの仕事が一番ギャラが良くて、バンドマンにとって洋楽をどれだけ上手くコピーできるかは死活問題だった。沖縄のミュージシャンとか特にそうですし、グループサウンズが出てきて、皆真似をしていました。自分たちもごたぶんにもれずやってたら、そこに外国人が入ってきて顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたんです。もう出来ない。プレスリーだとか大好きだったものを捨てて、とにかく自分たちのものをやろう、何にも解らないけれど、やってみようよと言って始めたのが頭脳警察なんです。当時は特殊だったけど、(日本人なのに何で日本語で歌わないの?)と言う、ごくごく普通の気持ちですよ。

―日本語はロックに乗らないと言われていましたが、そこであんな歌い方が生まれたと
PANTA:当時はそう言われましたね。歌い方のヒントは、自分が小さい頃体感したことが血肉になっていますから。真似しないつもりでも好きなアーティストの癖が出ていていますよ。でも、意識的に排除したものもある。アメリカ社会で差別された黒人たちが、白人たちに解らない様に、歌詞をごまかしてはっきり歌わないブルースを、日本人が真似してどうするのよと言う思いがあって、大好きだけどこれは趣味で置いておいた。バンドの方向性を探って必死だったけれど、頭脳警察にはブラックを一切入れていない、それは良かったと思います。
―こうして伺っていても、特徴的なとても魅力的な声ですよね。お話になるだけで説得力があるというか。その声も味方したのでは?
PANTA:でも録音のエンジニアに言わせると、採り辛い声らしいですね。倍音が一杯出ててマイクに通り辛い声、今流行の細い声じゃあありませんから。大体ミュージシャンで自分の声が好きだと言う人はいません。たいていコンプレックスを持っているもんです。コンプレックスは持っていないけれど、自分も好きな声ではありません。だから、どう自分の声を使ったら、この歌を歌うのにベストかなあと考えます。ジョン・レノンはエルビスの声に憧れ、何とか彼の声に近づけないかとコンプレッサーという機械を開発している。皆こんな声だったらいいのにとか、こんな風に歌いたいとか、憧れているアーティストがいるもんです。で、憧れの人を真似するんですよ。自分の小学生の頃はエルビスでしたね。ただ、頭脳警察をやるに当っては、お手本になるアーティストがいなかった。先を行く人がいない、何も無い中で始めたものですから、もうがむしゃらですね。そうして必死にやってきて、次の世代、又次の世代と受け継ぎ、気が付いたら道が出来た。今やハイウエーが出来たのに、未だにその横で藪を切り開いて歩いていると。

―でもそれが嫌じゃあないと。
PANTA:ええ、嫌じゃあない。ハイウエーには乗りたくない。
―そういう姿勢がこんなに長く時代を引き寄せ伴走してらっしゃる所以でしょうか。
瀬々:それもあるでしょうが、アーティストの人って、俺が俺がって人が多いじゃあないですか。PANTAさんはそうじゃあない。どちらかって言うと、自分より先に時代や社会があって、今のこんな時代のこんな状況の中で、自分はどうだとか、どう社会と対応していけばいいのかとか、何を信じていけばいいのかって言うのが、PANTAさんの歌だと思います。世界と言うキーワードがあって、いまの人々と言うキーワードもあって、この世界をどうすればいいんだと言うのが、ものつくりの基本、スタート地点だと。
PANTA:ああ、そうかもしれない。世界の動きを否定するわけではないけれど、自分が気に入らないことも流れだもんね。未だに、スタッフ・レコード会社全てが反対することを、今やりたいのはこれだと思ってやってますから。

―時代に併走しながら、その時代に流されず未来を見据えて異を唱える。そんなところがPANTAさんがPANTAさんである所以かと。70年代当時の頭脳警察の場合、バンドだけでなくそのファンすら特別な人たちで、時代感覚に優れた、尖がった人だけが心酔してもいいようなイメージがありました。近寄りがたくて、あの頃だったら私なんてとてもこのようにお話を伺えません。映していて監督にそんな気後れは?
瀬々:もちろんそんな所もありますが、PANTAさんも同じように日常生活を送っていますよね。歌と言うのは日常生活を踏まえてのものだし、僕らも日常生活の鬱積した気持ちを投影して頭脳警察の歌を聴いたし、そんなにかけ離れていないと思うんですよ。特別な存在には違いないけれど、ぬるっとしてて、付き合っていけると思っています。今は特にそうですね。当時尖がって、そういう風に生きないと仕方なかったとは思うんですけど、今だったら、一緒に時代をつかむつもりで聞けると言うか。そこが頭脳警察が古くならないところで、根っこの部分は一緒ですから。
―PANTAさんは色々な時代を経験されましたが、ステージからご覧になって客席に変化はありますか。
PANTA:物凄くヘルシーになっていますよね。何人かは血走った目もあるけれど、昔ほど全体が勇み走っていない。物も飛んでこないしね、TOSHIが投げるくらいで。(笑)昨日のファイナルにしても、赤軍兵士の歌で、客席がこぶしを振り上げないで踊っているんですよ。時代ですね。でも今ならではの不穏な蠢きも感じる。だからこそ頭脳警察を再起動したし、皆に「俺たちに明日はない」をぶつけたいんだよね。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》
 <このドキュメンタリーはステージだけでなく>、練習風景、ミーティングと、伝説のバンドの素顔が覗けますが、素顔もやっぱり輝いていると言うのが感想です。まるで変らないかのごとく緩やかに年を重ねたPANTAさん、そこに懐かしさなんて微塵もない。今そのもので、見せないだけに、栄光の裏側で走り続けた、時代を探り続けた、カリスマアーティストの過酷な人生も想像しました。
 <インタビューは>緊張の連続。でもPANTAさんも瀬々監督もとてもフレンドリーで、解りやすく丁寧に思いを口にして下さり、その姿勢に感動と感謝です。音楽に詳しい方なら、もっと深く伺えたはずで、力不足が残念。「俺たちに明日はない」なんて何処までも重い物をぶつけてくるバンドですが、PANTAさんの声を生かしたスローバラードも聴いてみたい。大人ならではの静かな愛の歌も甘くなり過ぎない筈だと言うのが、PANTAさんの声に魅了された私の願いと感想です。叱られるかしら?


この作品は、1月16日(土)から第七芸術劇場、
   順次京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンター  にて公開

映写室 「ドキュメンタリー 頭脳警察」PANTAさん・瀬々敬久監督インタビュー(前編)

映写室 「ドキュメンタリー 頭脳警察」PANTAさん・瀬々敬久監督インタビュー(前編)     
 ―政治の季節のカリスマロックバンドの再起動―

 PANTAがTOSHIと一緒に「頭脳警察」を作ったのはちょうど40年前、全国の大学に政治の嵐が吹き荒れた頃だ。誰もが政治を語り、資本主義やアメリカに懐疑的だった。そんな中でPANTAは、赤軍派の幹部・上野勝輝の檄文「世界戦争宣言」に出会う。曲をつけてアジテーションさながらに叫ぶように歌って、ヘルメットを被った学生たちのカリスマになる。そんな伝説のバンドが大好きだったと言う瀬々敬久監督が、2006年からカメラを廻し続け、「頭脳警察」再起動への蠢きを映しています。アルバム「俺たちに明日はない」の発売を記念した全国ツアーのラスト、大阪ライブの翌日に、PANTAさんと瀬々監督にお話を伺いました。

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(11月30日 大阪にて)

<その前に「頭脳警察」とは>
 ヴォーカル&ギターのPANTAとパーカッションのTOSHIが、1969年に結成したロックバンド。反体制的な歌詞が危険視されしばしば発売中止に追い込まれるが、若者たちは熱狂した。政治の季節の終焉に合わせるように、75年に解散する。伝説のステージと6枚のアルバムが残った。90年に再起動し、活動期と休止を繰り返して、又再起動を始める。
活動期(1969~75.12.31、90.6.15~91.2.27、2001.6.9~03.8.15,08.4.22~)


<PANTAさん、瀬々敬久監督インタビュー>
―同世代なので、当時のまぶしいばかりの「頭脳警察」を知っているものですから、今日は緊張しています。監督から伺いますが、3部作5時間以上と長いのですが、1本にまとめ切れなかったのはどうしてでしょう(2人大笑)。切るに切れない思いとか。
瀬々敬久監督(以下敬称略):そう、切るに切れなかったんですよ。(3人笑)普通のドキュメンタリーだとメインのライブがあって、そこにインタビューを入れたりするけれど、このドキュメンタリーにはメインがない。この作品には須田さんという企画者がいて、彼は頭脳警察のインタビュー集(証言集)を出しているんだけど、その本を映画にしたいと相談があって、そこから撮影が始まったんです。

―生みの親のような方ですね。
瀬々:ええ、まさしく彼が生みの親です。須田さんは、頭脳警察が又動き出しそうだと予感していました。と言うのも、彼はPANTAさんのファンクラブの会報の編集者で、月に一度は必ず会ってインタビューしてと、PANTAさんと長いお付き合いがある。その雰囲気から、何となく頭脳警察が又動き出すと感じていたわけです。で、ソロ活動を2006年から追いかけ、再起動すれば良いなあと思いながら撮っていたんですが、確信もなければ何時になるかも解らない。そういう意味では、最終地点が見えないまま撮り始めてますから、3年間で250時間を越えてしまった。人間ドキュメンタリーを追求したいと言う当初の目論見もあり、外せないシーンばかりでこの長さになったんです。

―250時間密着されて如何でしたか。
PANTAさん(以下敬称略):全然気にならなかったですね。
―ステージで皆さんの注目に慣れているとか?
PANTA:それもありますけど、カメラやレンズを含めて、撮影チームをこちら側の他のスタッフやメンバーと一緒の感覚で、普通に受け入れていました。逆にそれがアダになって、仕上がりを見た友人などは、ロッカーとしてもっとカッコつけたかったのにと悔しがっています。まるっきり普段のままですから。
―私たちから見ると素顔が覗けて嬉しいところが、本人には不満な訳ですね?
PANTA:ええ。でも自分はそんな事思わないですよ。もっとも自分もカットしたい所は一杯ありますが、それは一言も言っていません。
瀬々:アーティストを撮る訳じゃあないですか。僕としたらある意味で人のせいにできるというか、気楽な訳です。役者だったら演出とかあって、彼らはそれで存在できる訳だから監督の責任が大きいけれど、アーティストはチラシから何から発するものを全て自分で背負っている。存在の部分に監督が関与できないというか、映っているのは彼らそのものなんですよ。この作品にはそういう特徴が映っていると思います。で、「5時間繋がりました」と言ってPANTAさんとTOSHIさんを呼んで試写をやったんですよ。何か言われるだろう、切れと言われるところとか、直しもあるかもと覚悟していたら、2人も他のメンバーの方も一切何も仰らず、「これでオーケーです」と言われました。こちらとしても十全を尽くして提出してはいますが、ほっとすると同時に、皆さんの人間としての素晴らしさを感じましたね。

PANTA:諦めですね。
―諦めかもしれないけれど、PANTAさんたちも物を作られるわけだから、監督の物つくりの姿勢を理解されて、口を出すべきではないと思われたと言うことですよね。
PANTA:そうですね。曲を作る時とか、実際には集団行動をしてるけど本質は個人作業なんですよ。それに周りが口を挟むと、どんどん悪くなっていっちゃうんですね。映画に関しても同じことです。一番解っているのが監督なんだから、その人に一任して采配を振るってもらうのが一番なのは間違いない。極端な話、試写を観なくても良かったわけですよ。
―最初から覚悟は出来ていたと?
PANTA:覚悟とかそんな大層なもんじゃあないけど、一切OKだと。一度ぶつかった事はあるんですね。それは、これについて自分が誤解していて、(音楽の映像はこんなもんじゃあないだろう)と思ったんだけど、ある時期から、(監督は音楽の映像を撮ろうとしてるんじゃあない。頭脳警察のドキュメント、頭脳警察全体を包む社会の流れとか、そういったもの全てを総括した映像を撮りたいんだ)というのを理解して、以降は一切口を出していません。

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―音楽を撮るのとどう違うんですか?
PANTA:ミュージックビデオって、パーンパーンと切り替えたりする、曲を生かす撮り方が大事ですよね。これは違うでしょう? MVDが出来た事で、例えばマイケル・ジャクソンとかそうだけれど、音楽を見せるようになった。これって音楽にとって致命的なことだと思うんです。見るものならばステージで見せればいい訳でしょう。音楽は個々が頭の中で増幅して映像化していくもので、本来は他者の介入できないものなのに、イメージを映像で見せると、画一的な、もの凄く狭まった概念だけを押し付けることになる。諸悪の根源というか、全くの逆サービスですよ。音楽とは100人いたら100通りの絵が浮かぶ、それだけのクオリティを秘めたものなのに、プロモーションビデオが皆の想像力と選択肢を奪ってしまうんです。
―ええ、確かに。
PANTA:そんな意味で昔から大反対だったんですよ。以前レコード会社からプロモーションビデオを撮りたいと言われて、「じゃあ3000万くれ。作るからにはよっぽど自分の思いに忠実なものでないと駄目だから、それ位かかる」と言うと、「普通は400万,500万で作るものだ」と言ってそれ以上出さないから、断った事があるんです。そんな風に映像と音楽って相対するところがある。だから敢えてそこに踏み込まず、こういう形で頭脳警察を見せてくれたのが嬉しい。人間を描くことで音楽の理解を増幅させる監督の手法が、本当にありがたいなと思います。

―監督は音楽のファンと言うより、頭脳警察そのもののファンだったのですか?
瀬々:いや、もちろん音楽のファンですし、この仕事を引き受けるにあたっては、かって大ファンだったと言うのが動機の1つなんですけど、さっきも言いましたように、終着点が見えない中で撮り始めてますから、未知な物に大金を出してくれる所なんてない。僕らの自主制作的に始まったわけです。当然多くのカメラも入れられない。クアトロのシーンなんて3台のカメラで撮っていますが、1台はさっきの須田さんが廻している。文章を書く人が映している訳で、最初はPANTAさんばかり映して、怖くてパーンも出来なかった。でも自分でも映すのが下手だと解かっているから、罪滅ぼしのように必死に喰らいついてPANTAさんを追うわけです。つまりルーティングされたカット割ではなく、その時自分が感じるままを撮った訳で、結果として個人の思いの深さが出ている。他のカメラマンにしても、ステージ上のパフォーマンスから得たものを、自分の感情としてどう伝えるかに勝負をかけたところがあって、編集もわりにそんな所を拾っています。つまりこの作品は、撮影者の個人的な思いが入っているシーンが目立って、普通のミュージックビデオとは違う、変った味わいが出ているんです。
PANTA:250時間ですからね、編集は大変だったと思います。同情しますよ。

―でもファン冥利に突きるとも言えますね。(3人笑)ところで、どの映像も懐かしさのかけらもなく今そのものですね。「止まっているということと、変らないという事は、違うんだよ」というPANTAさんの言葉を実感しながら拝見しました。こんなに長い間を、時代を引き付けながら、時代と一緒に走り続けている訳で、その事に感動します。
PANTA:久しぶりに会う奴とか、頭が止まったままの奴が多いんですよ。「時代は変っているんですよ」と言うんだけれど、通じなくて話を合わせるのに疲れる。そういうのって、たいした事やってない奴が多いんです。のたうち回って傷ついた奴って、多くを語らない。何もしなかった奴に限ってでかい事を言う。困ったもんです。
―才能はもちろんですが、見えないところで努力されているはずですよね。伺ってもお話下さらないでしょうが。
PANTA:如何でしょうねえ。何をやるにしても楽しみには8割方は嫌な事がついて来る。ステージを作り上げるまでに、日数がかかり経費がかかり、楽器を運んだり、人間関係や金銭問題、トラブルが起こりそれをクリアーしてですから、世間一般から見ると大変ですよね。でも好きな事だから辛いと思わない。月並みですが水面を滑る様に動く白鳥が、水面下で必死に水をかいでいるようなもんとでも言うんでしょうか。(聞き手:犬塚芳美)
<続きは明日>

この作品は、1月16日(土)から第七芸術劇場、
      順次京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンター  にて公開

映写室 「黄金花」木村威夫監督インタビュー(後編)

映写室 「黄金花」木村威夫監督インタビュー(後編)
   ―秘すれば花、死すれば蝶―

<昨日の続き>
―そのようにアバンギャルドな世界を作るようになられたのは何時ごろからですか?
木村:40歳くらいから、誰が何を考えているか、自分のことをどう思っているのか、神のごとく耳に聞こえてくるようになった。道を歩いていてもふっと振り返ると、何年も前の知り合いに出会うとか、予言のような物が聞こえたりとか、1年位そういう狂信的な凄い事が続いたんだ。それからだね。今でも幻のようなものが耳元で呟くんだよ。つまり僕にはそういう習性があって、シナリオを書いていても映像が浮かんでくる。僕が映画を作るのは、その映像世界を表現したい訳だから、セリフがいらないんだ。言葉を羅列した俗悪たる日常茶飯事の事には興味がないし、そこから飛躍した世界を作りたいんだね。映画は形態としては見せるものだけれど、本質としては藝術的なもの。藝術は創作するもんだから、ある状況を自分の世界に作っていくのが藝術でしょう? 単純にそれを目指せば良いんで、藝術だったら人が入るかどうかを考えるのはおかしい。この頃絵が売れないとぼやく画家がいるから、人に買ってもらおうと思うから、絵に品がなくなって売れないんだ。僕のように人に見てもらおうとか思わないで、自分の思うようにやればいい。そうしたら見にきてくれるし売れるよ、と言ってやったよ。迎合がいけないんだよね。

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(C)PROJECT LAMU / UZUMASA

―そのような精神は何時ごろ芽生えたのでしょう?
木村:少年時代に見た「カリガリはかせ」の影響が大きい。小学生の頃名画座で観た、京都の下加茂で作られた、衣笠監督の「十字路」という実験的なサイレント映画も尾を引いているね。これには阪東寿之助が出ているんだ。ダリの絵を見た時はこれだと思った。子供は直観力を持っている。自分にとって大事な本質的なものを見極められるんだ。年を取って外見が衰えても、頭の中で革新的なことを考えていればそれは青年だよ。今の世の中その逆で、当たり前の決まりきった事しか思わない、若いくせに老人のような人が多くなっているでしょう。
―この作品は老いていく事、生と死もテーマになっていますが、先生ご自身はそれについてどう思われますか?
木村:家の入り口に松の大木があるんだ。家に帰るとその幹に手を当てて、木と対話する。松の気持ちが解るんだよ。植物にも命がある。先人達はそれを祭り供養してきた。自然の中の命、自分の命との一体化、そんな事に敏感になってきたね。
―一番楽しかったのは何処ですか? 豪華なキャストですが、ぜひ出て欲しかった方は?
木村:アメリカの国旗が落ちる所だね。あれはこの映画の瘤なんだ。そんな具合に、何気なさそうでもよく見ると重要な意味を含んでいるシーンが一杯ある。色々なメッセージを盛り込んでいるんで、1回で全部解るのは無理かもしれない。2,3回観たら始めて解る子とがあると思うよ。キャストはちょっと捻っているけど、キャスティング担当が提案してくれたり交渉をしてくれた。ぜひ出て欲しかったのは野呂圭介さんだね。あの人が好きなんだ。

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(C)PROJECT LAMU / UZUMASA

―美術監督から映画そのものを監督する側に来られましたが、如何ですか?お話を伺ってもどんどんイメージが湧いてこられるようですが。
木村:映画監督は麻薬のようなもんだね。そりゃあ楽しいよ。今更止めれないと言うか、後に引けない。イメージは次々と湧いてくる。今一番興味があるのは、頭の中にあるけれど、映像化が不可能に思える事を、どう映像化していくかだね。僕は既成の道を辿るより、初めての道、誰も手をつけない所に手を入れて行きたいんだよね。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》 
 <物語は夢と現をさ迷う>魂の混沌を映したよう。死を恐れながら、生の隣の死を想像し、その境目を橋を渡るように曖昧に考えてもいる風情です。生と死の世界が繋がっている事、行き来できる事、死後の世界から現世を見ること、まさに狂言の世界ですね。サブタイトルの「秘すれば花」は、能楽師・世阿弥の言葉なのだそうです。
 <エキストラの学生達が>スクリーンの中で誇らしげな笑顔を見せているのが印象的です。映画界の誰もがひれ伏すような大御所の作品に関われた好運を、彼ら全てが解っているかどうかは解らないけれど、映画を作る楽しさをこの現場でしっかり体感したことだけは伝わってきました。

 <私は木村先生の映画美術が大好き> 心のままに空間を歪める手法というか、繊細で大胆な、精巧な写実と飛躍を力技で結びつける手法の熱烈なファンなので、監督作だけでなく先生が美術を担当した作品は見逃しません。最近のものでは、黒木和夫監督の遺作となった「紙屋悦子の青春」の、紙屋家のセットの周りをバサッと切って、わざと作り物めいた桜の木を立て、ここだけを異空間に仕立てた手法、あるいは桃井かおり監督の「無花果の顔」で、隣のアパートとの窓の距離や、縁側と無花果の木までの距離を、心理状態に合わせて自在に伸ばしたり縮めたりした手法を思い出します。普通を装った何気ない美術に潜めるアバンギャルドさこそが先生の真骨頂。そんな所をこの作品に絡めて伺いました。始めてお話になったこともあるそうです。


この作品は、1月9日から第七芸術劇場で上映、
      順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

映写室 「黄金花」木村威夫監督インタビュー(前編)

映写室 「黄金花」木村威夫監督インタビュー(前編)
 ―秘すれば花、死すれば蝶―

 インタビュー記事の新春第1弾は、映画界の重鎮木村威夫さんです。美術監督として長い間日本映画界を引っ張ってきた木村威夫さんが、脚本と監督を担当した新作が届きました。手伝ったのは教え子の京都造形大の学生たちと同大学の教員仲間。タイトルの「黄金花」は何処かに咲く、不老不死の花だそうです。91歳にしてアバンギャルドな木村監督に、ご自身の映画感やこの作品について伺いました。

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(2009年12月14日 大阪にて)

<その前に「黄金花」とはこんな作品>
 舞台は老人ホームで、植物学者の牧(原田芳雄)、小町婆さん(松原智恵子)、ピーナッツ老人(野呂圭介)等々の入居者がいる。時には死に怯え若い頃の思い出に浸り、虚々実々の日々だ。皆の面倒を見るのは院長(長門裕之)や牧の憧れる看護士長(松坂慶子)。ある日、牧は若者と一緒に自然薯を掘りに山に行くが、欲張って採ると穴から水があふれて止まらない。巡礼(麿赤皃)の山を荒らすなと言う声で元に戻すと、地中に引き込まれ黄金の花に出会う。


<木村威夫監督インタビュー>
―このお話は雑記帳のメモからはじまったと伺いますが。
木村威夫監督(以下敬称略):今回学生たちと一緒に映画を作る企画が立ち上がって、急遽何か書かないといけなくなった。何がいいかなあと考えると、若い人の気持ちは推測でしか解らない。自分と同世代の老人の気持ちなら解るんで、そのグループがいいだろうと思った。老妻が入っているんで時々老人ホームに行くもんだから、そこの事なら解るのと、古いノートに老人ホームのスケッチが挟んでいたんで、そうだこの世界に入っちゃえと思ったんです。出だしはこんな風に単純なんだ。後、インドの山岳のレポートがあって、そこにある珍しい花だとか、ヒマラヤ聖女の話だとかを組み合わせてね。根本は芭蕉の俳句ですよ。5.7.5と次の節の言葉が始まるたびに、前の流れを変えどんどん風景が変っていく。そういうものが作りたかった。つまりこの物語の特徴は何かと言ったら、とりとめがないということ。老人ホームがあって、黄金花と言う花があって、山があって、山道のような山林があって、水があってと、言葉で説明するとつまらない映画になるけれど、色々なものが漠然と出てきながら、渾然と繋がって不思議な世界を作っていく。そういう、言葉にならないものを作りたかったんだ。黄金花も何処にあるかははっきりしないほうがいい。現実なのか、妄想なのか、全てが境界の曖昧なところに存在している物語なんだよ。

―そこに巡礼が出てきたりと。
木村:麿さんのあの役はとても重要なんだ。巡礼=すなわち山の神で、杖を突くとどーんどーんと大きな音が響くでしょう。あれは怒りの音、欲張って必要以上に自然薯を採ったりするから、山を荒らすなと言う怒りですよ。昔から自然界は持ちつ持たれつ、バランスをとって存在してきた。それを壊しちゃあいけないんだ。元に戻すとどんどん別のところに行って、あの3人は地球の中心に向かって立っている。非リアリズムの世界かな。

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(C)PROJECT LAMU / UZUMASA

―先生の作品は、美術を担当されたものにしてもアバンギャルドですものね。途中まで正統で行きながら、最後のところでアバンギャルドに着地させる。空間をゆがめると言うか、自在に現実を飛躍させるところが凄いです。
木村:当たり前のものを作っても面白くないでしょう? 幻想だから何をしてもいいの。黄金花も一番最初の発想はお葬式の飾りによくある金属の花だったんだ。それが池に捨ててあって、採ろうとすると底に巻き込まれて、見たことのない白い花に出会うとかね。でもそんなイメージにあう池が見つからなくて、脚本を変えた。僕の場合は何か作ろうとすると最初に絵が浮かんで来る。その絵に添って作っていくから、俳優さんにも演技指導とか状況説明はほとんどしない。動き位は言うけど、大体俳優さんに任せる。原田のお父さんにしても一晩一緒に飲んだら「解かった」と言ってくれて、それだけで僕の意図する所を上手くやってくれたね。思ったとおりのいい動きをしてくれる人もいれば、解ってないんじゃあないかと思う人もいるけど、それはそれで、不思議な世界の住人だから良い訳だ。僕の作品はほとんど台詞がないでしょう? 台詞を出来るだけ少なくして、映像的に表現したいんだ。今回だったら、力を入れたのはビニールを使った回り舞台だね。ビニールは安いから9千円位で異空間を作り上げられる。で、照明に後は頼むよと言って、ライトで変化をつけてもらって、幻想の世界に変えていく。目指すのは摩訶不思議な世界だ。どういう音楽を入れるかには悩んだけれどね。本当は終戦後の社会を入れたかったけれど、そこまでやると広がり過ぎるから諦めた。

―撮影中も臨機応変で色々変えていくと?
木村:僕は撮りながら考えて作っていく。一番大変だったのは、撮影の2日前になってお願いしていたアラブの女優さんが駄目になったことだね。あせったけど、考えて一人二役をやってもらった。最後に出ているあがた森魚さんも、最初は予定してなかった。彼が原田さんの陣中見舞いに来たんで、出てよとなって、ギターを持ってないと言ったら原田さんのギターがあって、それを抱えて歌っている。その時本人が着ていた服のままだから、彼だけ服装が場違いだけど、こんな作品だから、そういう混沌もどうってことないんだね。(聞き手:犬塚芳美) 
<明日に続く>

この作品は、1月9日から第七芸術劇場で上映、
      順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

映写室 新NO.33カティンの森

映写室 新NO.33カティンの森
―第二次世界大戦にからむポーランドの悲劇―

 新年おめでとうございます。年末年始は娯楽作品を主体に紹介しましたが、この辺で方向転換。映画ファン待望の少し重い作品を取上げましょう。まずは、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督悲願の作品。ポーランド映画ならではの重厚な映像から、忘れそうな歴史の暗部が浮かび上がります。今年もスローガンは「映画で歴史と世界を知ろう!」かな。たかが映画、されど映画という訳で、どうぞよろしく。

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 <かって大王国を築きながら>、隣国による分断や独立と国力の変異を繰り返したポーランドだけれど、近代の悲劇は、第2次世界大戦でドイツとソ連の両方から侵略された事と、終戦後ソ連の衛星国家となって長い間言論の自由がなかった事だ。監督自身が両方の被害者で、この作品はポーランドのそんな悲劇を、いわゆる「カティンの森」事件に集約させて描いていく。それも戦った側ではなく、銃後で待ち続けた妻達、家族の不安な姿を通してだ。その女優達が美しい。大人の骨太で知的な姿に、ポーランド映画が好きなのはこんな女優達が登場するからだと改めて思う。この国の映画独特の重い空気感や静謐さに魅せられた。

 <始まりは逃げ惑う人々の姿だった> 1939年9月17日、ポーランド東部の橋の上では、ドイツ軍に追われる西側の人々と、ソ連軍に追われた東側からの人々が出くわす。アンナは娘を連れて西側から将校の夫を探しに来たが、すでにソ連軍の捕虜で目の前で移送される。大学教授の夫の父親も逮捕された。ソ連占領地に取り残されたアンナは、自宅へ戻ろうにも許可が下りない。そのころ将校ばかりが集められた収容所では恐ろしい事が…。

 <こうしてカティンの森の悲劇>が起こるが、今回のアンジェイ・ワイダは辛抱強い。劇的なシーンを押さえて、小さな出来事を重ね、皆の記憶の中から真実を浮かび上がらせていく。すべてに意味があって史実の説明に繋がるけれど、知識がないと説明されているのも解らない。悲劇を知った後の家族の抵抗等、特に予備知識が必要だ。

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 <ソ連軍の捕虜になったポーランド軍人>は18万人と言われ、そのうち将校が15万人を占めた。ソ連は「戦時捕虜の待遇に関するジュネーブ協約」に加盟していなかったため、法律的な拘束を受けないまま、将校や知識人が集められた収容所で大虐殺を起こす。(これは戦後の指導層の空洞化を計ったソ連の戦略で、目論見どおりそこにソ連じこみの者達を転入させ、戦後のポーランドの共産化が起こった)
 <1万数千人の将校が行方不明になった事実は>1年後には明らかになるが、ポーランドからの問い合わせに対してソ連は言い逃れに終始する。43年に一時全域を占領したドイツが、「カティンの森」で大量のポーランド軍将校の死体を発見して事件が発覚。当事同盟関係を結んでいた日本でも大々的に報道された。しかしソ連がここを奪い返すと、今度は虐殺をナチスの仕業だと言いだし、ドイツが負けた為に事実は封印される。
 <戦後ソ連の衛星国となると>、真実の追究がタブー視された。冷戦構造の崩壊と共に、少しずつ真実が明らかになっていき、1989年ポーランドの雑誌が、虐殺はソ連軍によるものだと証拠を記載。ソ連が自国の犯行と認めポーランドに謝罪したのはその翌年で、その2年後にエリツィン大統領が、スターリンが直接署名した命令書で行われたことを正式に認めた。以来多くの事が明らかになったが、未だに謎のものも多い。


 <アンジェイ・ワイダの父親は「カティンの森」で虐殺され>、母親もアンナのように夫を待ちながら命を落としている。主人公夫妻は監督の両親に重なるわけで、ワイダ自身は監督になってすぐの50年代半ばには真実を知ったという。生涯のテーマに出会い映画化を模索するが、この事件を語る事さえタブーだった当時のポーランドで出来るわけもない。その思いを「地下水道」や「灰とダイヤモンド」に吐き出し、キャリアを積み上げ時を待ちと、映画化までには歳月が必要だった。

 <戦死情報が入るたびに新聞を漁り>、名前がないと胸をなでおろし、わずかな望みを明日への糧にする妻達。ドイツとソ連両方の脅威にさらされ、不安と苛立ちからつまらない争いをする女同士。将校たちにしても最後までソ連に抵抗する者もいれば、知らないうちに取り込まれ命を永らえる者もいる。毅然とした者、巻き込まれた者、裏切った者、2人の独裁者に翻弄されて、結局は多くの人が命を落とす。そんな姿を誰を責めるでもなく、ワイダは淡々と歴史を検証するように映していくのだ。否、それ自体が、戦後ポーランドへの非難かもしれない。事件の首謀者ソ連だけでなく、事件を知りながら口を噤んできたポーランド政府の醜さ、ソ連の思惑通りに動いて表立っては口を噤んできた自分たち国民全てを、非難しているように見える。(犬塚芳美)

この作品は、アンジェイ・ワイダ監督から両親に捧げられています。

この作品は1月9日(土)より、シネ・リーブル梅田、
シネ・リーブル神戸、京都シネマで上映

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