太秦からの映画便り

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映写室 「無常素描」大宮浩一監督インタビュー(後編

映写室 「無常素描」大宮浩一監督インタビュー(後編)    
―被災地の非日常の中の日常―

<昨日の続き>
―数時間しかいれなかったのは、日程的な問題ですか?
大宮:いや、違います。単に自分があの場所に居れなかったんです。それを確認するのが、自分としては今回の作品の一つのテーマだった。あの時感じたのは、現実感が消えるとか言うレベルではなく、もっと凄くて、表現は悪いけれど、目の前にあるのは悲しみをテーマにした、テーマ・パークのようなものでした。しかも出口のないテーマ・パークなんです。本来のテーマ・パークは、楽しく夢を与えてくれて、そこから出たくないのにいつかは出ないといけない場所だけれど、この場合はその真逆ですから。
―その時にこの作品を作ろうと?
大宮:いやそれも違いますね。東京に帰った後、あの時あの場所にいれなかった自分を考えながら、この未曾有の震災に対して、映画に何が出来るかを考えたわけです。例えば東京なんかでも、震災後に人が入らなくて、映画界も大打撃を受けましたが、計画停電のせいだけじゃあなく、あんな揺れを経験すると、誰だって暗闇に足を向けたくなくなる。仕方ないですよ。回復するには時間がいります。

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©大宮映像製作所

―ええ、確かに。出歩かないで夜は早々に帰っていました。
大宮:あの時は、これで終わるんだなあと思いました。地球がとか、何とか言う前に、単に終わるんだなあと思ったんです。3.11は誰にとっても、大きなターニング・ポイントになりました。3月に行った時は自分の前の作品でも映している介護施設を訪ねたんですが、そこの建物は被災していなかった。でもちょっとした違いでこんなになってしまうのかと、わけが解からず、現実感が消えてしまったんです。撮影に行くと、現実として受け止めないとその場にいれない訳で、3月にはそれが出来なかったんでしょう。今回被災された人々にとっては、あの非日常的な情景が日常と言うことですよね。報道は非日常を映すのだから、映画は非日常の中の日常を映そうと思ったんです。僕らは簡単に仮設住宅というけれど、仮設と言って良いのか? 仮設住宅が終の棲家になる人が出てくるように、復興とか支援とか言っても、決して元に戻すことではないはずです。義援金という形で経済的な後押しをするのも、マンパワーとかも必要だとは思うのですが、それで気が済むといったような、一方通行にならないようにしないと。

―最初に被災地に入られた時のお気持ちは? 映画のタイトルと言うことですか? このタイトルが決まったのは何時ごろ?
大宮:被災地を回って確認できたのは自分の無力さ加減でした。作中の玄侑宗久さんのシーンは最後に撮ったんですが、玄侑さんとはこの時が初対面だったんです。あの方自身も被災されていて、本堂は大被害を受けていますからね。それに復興委員でもあるんですよ。「私が感じた、どうしようもないと言うような気持ちを表す言葉をお持ちでしょうか」という素朴な質問に、「仏教の言葉で表すとしたら、無常でしょう。無常としか言えないですね」と言われ、自分の気持ちすら掴み切れなかったのに、すとんと整理できる言葉を提示してもらったなあと思いました。

―無力感に襲われ、なすすべもなく立ち尽くしたという監督の気持ちが良く伝わってくる言葉ですね。
大宮:この規模のことは初めてかもしれないけれど、この地方は何度も大きな災害に見舞われています。人間の力の及ばないところでの出来事に、東北の人々は今まで仕方がないと受け入れてきたんですね。根本が自然の威力と言う人の力を超えたものなので、怒りの持って行き場もないと言うわけです。無常という思いが日本人の中に染み込んでいるはずなんですよ。だからこそこういう言葉があったんですから。慣れとは恐ろしいもので、陸に打ち上げられてオブジェ化した船ばかり見たもんだから、たまに船が海を走っていると、今度は逆に違和感がありました。

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(6月24日 大阪にて)

―そうなるものですか? 医療ボランティアで被災地に入った友人が、あまりの惨状にボランティア側にも鬱の人が続出したと言っていましたが、監督は大丈夫でしたか?
大宮:3月に僕が数時間しかいれなかったと言うのも、そうならない為の防衛本能だったのかもしれません。今回も同じカメラマンと一緒に行ったんですが、3月の経験があるので覚悟もしていたし、いくらかは免疫もあると思ったんですが、そういうのは驕りで、数時間程度のものは免疫でもなんでもないと、すぐに思い知らされました。
―現場でカメラをまわした時の心境は?
大宮:御覧頂いたあの場所で、ちっぽけな一個人の主義主張をするなど出来ません。号泣するとか歌を歌うとか、アクティブなことを出来る人もいるかと思いますが、僕は呆然とするしかなくて。そうするしかなかったと言う思いを伝えたかったんです。ところがこれほどのことでも、人間はすぐに忘れてしまう。それは世の中の変わるスピードがどんどん速くなっているということでもあるんですが、やがてあの場所にも建物が建ったりすると、今の情景を忘れ去ってしまうでしょう。自分の中の薄れていく思いを止める為にも、撮りたかった。映したからには、同じように早くお客さんに届けたかったんです。

―皆さんにお話を聞くのは大変でしたか?
大宮:いいえ。何人かに話を聞いていますが、声をかけた方は、皆嫌がらずに話してくれました。その8割方を使っています。方言がきつかったり、マスクをしていたりで。何を言っているのか解かりにくいところもありますが、言葉は解からなくても、言葉を言い出すまでの間とか、言いよどむ様子とか、もっと多くのことを伝えているのではと思ってそのままにしています。報道は方向性が必要で、素描では成り立ちません。復興物語という美談にするか、悲劇にするかですが。時期によっても変わるんですが、まず方向性を決め、それによって構成を考え、それにあった映像を撮りに行くんです。映画でそれはしたくない。ありのままを伝えたかった。素描と言うのは、元々スケッチしか出来ないなあと思っていたんです。(聞き手:犬塚芳美)

 *入場料金の一部(一人に付100円)をCLCという、仙台に本拠地を置く介護ネットワークを通じて寄付します。


この作品は、7月2日(土)~シアターセブン(06-4862-7733)で上映
  7月2日(土)~15日(金)13:00 15:00
(尚、3日のそれぞれの上映終了後に、大宮監督の舞台挨拶あり)
  7月16日(土)~22日(金)13:00
  7月23日(土)~29日(金)15:00

  7月23日(土)より、神戸アートビレッジセンターで上映   

《インタビュー後記:犬塚》
 <言葉を無くし>、ただ呆然と立ち尽くすより他なかったと言う監督の思いが、強く伝わってくる映像です。瓦礫の撤去等、遅すぎると言う怒りの声も多い中、「瓦礫の撤去にしても早ければ良いというもんではないと思う。外から勝手に押し付けてはいけない」と言う監督の言葉を考えてみました。現実感を持つとは、現実として受け入れると言うこと。あの悲しみを東北の人々は今、現実として受け止める作業をしているのではないでしょうか。かっての暮らしの痕跡を、瓦礫だと心の底から思えるその日まで、置いておけばいい。時間がかかっても仕方がない気がします。心の傷を癒しながら、たらたらと自分の歩める速度で歩き始めてもいいのだと、急がさないでそういってあげたい。
<皆同じように不安で打ち震えていた震災の直後>よりも、被災者間に差が出始める之からの方が、きつい人も増えてくるでしょう。命が助かったからには自分の足で歩き始めないといけない。そんな立ち向かっていく意欲を、被災者の自発的なものに任せるのは、あまりに酷な気がします。これからの辛い日々に、いっそあの時死んでしまえばよかったと、思う人が出ませんように。
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映写室 「無常素描」大宮浩一監督インタビュー(前編)

映写室 「無常素描」大宮浩一監督インタビュー(前編)    
―震災から50日目の映像―

 東日本大震災から100日以上が経ちました。原発事故も重なり、復興は遅々として進みません。それでもいつか瓦礫が撤去され、新しい建物が建てば、私たちの記憶から壊滅的だった東北の惨状は消えてしまう。それが人の営みというものです。そんな意味からも、災害の大きさを記録しておきたいという思いと、震災の直後に東北に入りながら、数時間しかいられなかった自分の心の中を見つめる為に、「ただいま、それぞれの居場所」で介護現場の希望を描いた大宮浩一監督が、震災から50日目の映像をまとめました。作家で福島のお寺の住職でもある玄侑宗久さんの漏らす「無常」と言う言葉がぴったりと来る素描映像。大宮監督にお話を伺います。

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(6月24日 大阪にて)

<大宮浩一監督インタビュー>
―大宮監督は、前作の「9月11日」に続いて、早く撮って早く公開する手法がこのところ続きますね。編集はどれ位の期間ですか?
大宮浩一監督(以下敬称略):4月の28日から5月の4日まで撮影し、6月2日に第1回目の試写だったので、正味3週間位ですね。
―早いですね。
大宮:そうですね。ただ早いと言っても、それのみを競うなら、報道は桁外れに早いですし、ネットとかだと、もっと早く、瞬時に映像が流れますからね。映画には限界がある。この映像で震災後50日経っていますし、東京だと100日目に公開ということになります。
―確かに。映画としては、これが震災映画第一弾と言うことでしょうか?
大宮:ええ。早さでは報道にかなわないので、映画だからこそ出来ることを模索しました。

―現地に行って、これは報道されてないなあと思ったことは?
大宮:テレビの報道は意識的に見ていないのですが、報道の場合は映像にすぐナレーションが入り、説明されて、想像する時間を残してくれない。言葉が情報になってしまいます。映画の可能性として、言葉や文字ではない、映像でしか伝えられないことを探してきました。
―色々な方が、「報道をあんなに見ていたのに、現地に来てみると報道とは全く違った。圧倒された」と言っていましたが、そこの辺りは?
大宮:映像メディアで伝えられるのは、視覚と聴覚ですが、現場というのは匂いや空気感とかも一緒になった圧倒的なものです。匂いとか特に酷く、それが大きいんじゃあないかなあ。もっとも、映像でも空気感は伝えられると良いなあと思いますが。何処までも広がって行くという、想像を超えた被災の広範囲さもあるでしょうね。いくら映像で伝えようとしても、真ん中で立って、その場で実感しないと解からないものもあるかもしれませんね。被災地は意外と静かなんですよ。報道ですと騒々しいイメージだけれど、例えば石原軍団が来て炊き出しをするとか、静かな日常の中の非日常だからこそニュースになって報道されているわけです。静かな瓦礫の山の中で聞こえてくるのは、風邪と波としかない。遠くから重機の音がするくらいで、本来の音だけが残ったなと思いました。カーナビの音は意識的に残したんですが、かって道や橋があった場所に忠実に案内してくれるんです。今や跡形もなくても、ナビとしてはまったく役に立たないんですが。

―なんか切ないですね。
大宮:それと関連するんですが、この作品には地名、日付等の文字情報を入れていません。家が残っている所を撮っても仙台市、でも同じ仙台でも片一方では何も無くなっている。どちらを仙台として映しても全体を歪めてしまうので、地名をはずしました。乱暴だけど、災害を受けた土地というくくりで良いのではと。日付も、3.11の前と後なら意味があるけど、それ以外は…。代わりに意識したのが色々な線、ラインなんです。行政の作ったラインは消えてしまったけれど、新しく出来たラインがある。ある一線で流された所、消えた所が分かれてしまいました。もちろん流されなかったからといって、単純に良かったねとはいえ言えない情況ですが。地元を離れていた人は、助かったことを幸運だと思えば良いのに、人って違う。辛い思いを一緒にしたかったと思ってしまうわけです。

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©大宮映像製作所

―そんな中で皆さん自宅の跡を見つけるのは凄いですね。自分の中に自宅へのナビが入っているのでしょうか?
大宮:ここだなんて簡単には解かりません。それに家はほとんど定位置にはありませんから。誰かが何処かで自分の家を見つけると、じゃあ近所だからうちはこの辺りだろうと、位置関係から見当を付けて探すわけです。
―凄まじいですね。
大宮:もう言葉がありませんね。それら、今までの暮らしの痕跡の全てが瓦礫になってしまったわけですが、瓦礫という言葉には不用品というニュアンスがあるけれど、片付けないといけないという現実は解かるけれど、片付け方や片付ける時期は慎重にしないといけないと思うんです。手間隙かかってしようがないとは思うけれど、早くきれいにして早く元に戻そうというのを、外から一方的にやっていいのかなあと感じました。仮設住宅も入居率が40パーセントを切っているでしょう? 経済的なことが言われるけれど、それだけじゃあなくて、皆で肩を寄せ合ったあの日々で、色々な繋がりが出来てきた。それが被災された方たちの生きる支えにもなっているんです。玄侑さんは、わざわざ仮設を建てなくても、温泉があるんだから、皆で一緒にお風呂に入り、一緒にご飯を食べ、その周りに寝るところがあれば、それで良いんじゃあないかと。いつもは一緒にいて、一人になりたい時だけそこに行くわけです。

―私もこんな大変な時に一人でいられないほうなので、その感覚は解かります。仮設住宅に入って、一人、あるいは家族だけで、冷静に現実を見つめたら、とても生きていけない。プライバシーがなくてもいい。狭くてもいい。急いで現状に戻らなくて、同じ立場の人と肩を寄せ合って、もう少しだけ混乱の中にいさせて欲しいと。早々に仮設に入って、少しずつでも、個々で生きていた、今までの暮らしを取り戻せるのは、被災者の中でも強者だと思うんですが。皆がそんなに強いわけではありませんから。
大宮:そうですよね。これは介護施設にも言えるわけで、一時は個室が良いと言われそっちに流れたけれど、それだけじゃあなく、皆で一緒に居れる場所も必要なんですよ。弱い時ってごっちゃ煮状態が生きやすい。

―ええ。ところで、3月11日震災の日は何処で何をされていましたか
大宮:東京の事務所で仕事をしていました。ゆれが結構長く、色々なことを考えた時間だったのは覚えていますが、具体的には何を考えたのか忘れてしまいました。
―この作品を作ろうと思ったのはその時ですか? 3月17日にあった前作の来阪キャンペーンの時に、帰ったら東北に行くとおっしゃっていましたが?
大宮: 3月の震災直後に一度被災地に行っていますが、この作品にはその時の映像は使っていません、今回のものは4月に行った時のものです。3月にはほんの数時間しかいられなかった。(聞き手:犬塚芳美)
                 <明日に続く>

この作品は、7月2日(土)~シアターセブン(06-4862-7733)で上映  
7月2日(土)~15日(金)13:00 15:00
(尚、3日のそれぞれの上映終了後に、大宮監督の舞台挨拶あり)
  7月16日(土)~22日(金)13:00
  7月23日(土)~29日(金)15:00

  7月23日(土)より、神戸アートビレッジセンターで上映

映写室 「犬飼さんちの犬」小日向文世さん合同会見(後編)

映写室 「犬飼さんちの犬」小日向文世さん合同会見(後編)     
―和みの人、小日向さん主演作!―

<昨日の続き>
―奥さん役のちはるさんはいかがでしたか? 犬飼さんは自分の知らないところで楽しそうにしている奥さんを偶然見るわけですが、それとかはどうでしょう?
小日向:ちはるさんはとても面白い人で、ちょっと天然が入っているんですよ。奥さんには本当は自分と一緒にいる時こそ一番楽しそうにしていて欲しいのに、時間と共にそうじゃあなくなっていく。僕は本当は、子供が出来ても何時までも奥さんと新婚の頃のように仲良くしていたいんだけど、そういうのも煩がられるのかなあ。僕は仕事以外の時は、家に籠って一人でいるほうなんです。人間嫌いなのかなあと思う。でも役を通して人と接するのは平気で、楽しいし面白い。素の小日向になって人と接するのは苦手なんですよね。

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©2011「犬飼さんちの犬」製作委員会

―小日向さんというと舞台のイメージもあるのですが、映像との兼ね合いは?
小日向:この間は三谷幸喜さん演出の「国民の映画」に出ましたが、劇団を解散してからは映像のほうが多いんですよ。劇団にいた19年間は1年中舞台でしたが、映像を始めてからは念に1度か2度のペースになっています。今頃になってお客様の前に立つのが怖くなりました。前にはそれしか知らないから怖くなかったんですけどね。舞台の場合は納得できる本とか、誰が演出してくれるのかとか気になります。役者としての欲が出てきて、恥をかきたくないとか上手くやりたいとか、色々なことを思い出して、慎重に選びますね。ドラマに出ていた小日向さんが、どう舞台をやるのかと思ってみているだろうと思うと、怖い。怖いというのを知りました。でも、演じるという事に関しては同じなんですけどね。目の前にいるのがカメラかお客さんかの違いだけですから。

―そんな小日向さんの、役へのインとアウトはどんな具合なのでしょう?
小日向:僕は意外とクールなんです。普段は終わるとパーッと離れて、家でも引きずらないですね。ただ、役を掴み切れていない時は、ずっと役のことを考えてしまう。どうやったら役を掴む事が出来るか、ずっと考えるので、食欲までなくなるんです。(何かが違う。自分の中で役を掴み切れていない)と思うと、お客さんの前で演じるのを楽しんでいない自分がいて、辛い。「国民の映画」の時は参りました。なんか違うんです。(これは拙い。間に合わない)と思って東京のゲネ・プロの時は緊張しましたね。
―いつもは楽しんでらっしゃると?
小日向:そうですね。もっと緊張しないといけないんだけど、楽しんでいますね。緊張している時でも、その中に楽しさがあるんです。でもあの時は緊張だけで埋まっている自分がいた。楽しめない自分がいると僕の場合、台詞を噛んでしまうんですよ。

―そんな風に演じることにまっしぐらな小日向さんが、役者になろうと思われたきっかけは?
小日向:写真学校を卒業して皆が就職し始めた時、「いや、これは違う。自分がやりたいのはこれじゃあない」と思ったんです。本当にやりたいのは何なんだろうと思って、心の蓋を取ってみたら、俳優になりたいという思いを閉じ込めていたのに気が付いた。俳優になりたいなんて思うこと事態気恥ずかしい気がしたけれど、正直にと思ったら心の底からその思いが出てきたんです。もっとも、子供の頃学芸会で舞台に立って楽しかった記憶はしっかり残っていましたからね。劇団に入ってからも上手く行かなくて演出家から何度も駄目出しをされたり、役がつかなくて食えないからアルバイトをしながら続けていた時でも、役者を止めようと思った事は一度もない。やっぱり好きだったんだなあと思います。演じるという事は楽しいんですよ。

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6月21日 大阪にて)

―今こうして演じることについて真剣に話してくださる小日向さんも、映像の中の小日向さんも、私たちにその真剣さを感じさせず、肩の力を抜いた自然体で独特の癒しを下さいます。それはどうしてでしょう?
小日向:まあ、この間の「国民の映画」の舞台のように、そうじゃあないものもありますが、僕は基本的に演じる人を大好きになるんです。嫌な人であっても、その人の中の情けなさを見つけて好きになる。この作品の犬飼さんとか大好きですよね。情けなくて後ろから頑張れって背中を押してあげたくなる。そんな風に人を大好きになっているから、ポジティブな波動か何かが出てるのではないでしょうか?自分では分からないのですが。

<インタビュー後記:犬塚>
 作品は不思議な世界感です。離島に妙な懐かしさも感じました。島石鹸にしても、こんなことで商売になるわけがないようなゆるゆるの世界。全てが一種のユートピアです。それが心地いい。
小日向文世さんは映像の中よりずっとお洒落な方。飄々と会見場に現れて、ニコニコしながらえ演じる事への熱い思いを話してくださいました。質問の言葉を広げていく豊かさにも感動です。それに、癒しのオーラだけでなく、好きなことに真っ直ぐ突き進んできた人の潔さが伝わってきて、こちらまで頑張る力をもらえました。確かに、目に見えない肯定的な波動が出ていた気がします。



この作品は、6月25日からシネ・リーブル梅田、
京都みなみ会館、109シネマズ、HAT神戸 にて公開


「犬飼さんちの犬」
出演:小日向文世 ちはる 木南晴夏 池田鉄洋 徳永えり でんでん 佐藤二朗 
清水章吾
監督:亀井亨(『幼獣マメシバ』『ねこタクシー』)
主題歌:「ワン☆ダフル」SEAMO(アリオラジャパン)

映写室 「犬飼さんちの犬」小日向文世さん合同会見(前編)

映写室 「犬飼さんちの犬」小日向文世さん合同会見(前編)     
―和みの人、小日向さん主演作!―

 「犬飼さんちの犬」という何処か浮世離れした本作は、演技ではなく、演じる小日向文世さんがそのまま登場したような、小父さんと犬と家族とのホンワカとした物語です。実力派俳優のかもし出す優しさに癒されるか、サモエド犬の愛らしさに癒されるか、日本全国何処にでもありそうな、離れ小島の長閑な空気感に癒されるか、家族の形に癒されるか、癒されどころは人それぞれ。京都での映画撮影の合間を縫って行われた、小日向文世さんの合同会見の模様をお知らせしましょう。和みの世界を想像して下さい。

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(6月21日 大阪にて)

<その前に「犬飼さんちの犬」とはこんなお話> 
犬飼保さんは離れ小島のスーパーに単身赴任中で、ネットカメラを挟んで遠くの家族と夕食を擬似共有するのが一番の和みの時間だ。会社のオリジナル商品、島石鹸のトラブル処理の為1年ぶりに我が家に帰ってみると、そこには笑う犬「サモエド犬」のサモンがいた。保さんは大の犬嫌いなのに、お父さんに似ているからと、家族が勝手に飼い始めたらしい。サモンは書斎を我が物顔に占領して、本当の主の保さんは居場所がない。でもサモンの世話をするうちに…。


<小日向文世さん合同会見>
―和まされる作品でした。動物との共演は大変だと聞きますが、今回ご苦労された事は?
小日向文世さん(以下敬称略):共演での苦労ではないのですが、この作品は30分番組12本と本編を、去年の10月の半ば頃から1ヵ月半の間に詰めこんで同時に撮ったんです。凄いスケジュールで、休みは元旦と2日だけでした。それだけでも厳しいのに、僕がやった犬飼さんは出ずっぱなし。空き時間がないのに何時台本を覚えればいいのと言う世界で、この撮影中は平均睡眠時間が二時間から三時間位。体力勝負の仕事でした。移動の車の中で台本を開いても、気が付くと眠っていたほどです。でも犬が可愛いいんですよ。この子達に癒されて何とか乗り切れたようなものです。サモエド犬を始めて知ったのですが、この犬は性格が穏やかで、いつも笑っているような表情で、真っ白でふわふわ。見ているだけで癒されると言うか、可愛かったですね。うちにトイ・プードルがいるんですが、それなんて目じゃあないですよ。そんなだから犬との共演の苦労はなかったんです。この作品は犬嫌いの犬飼さんが成長していく物語だけれど、後になると犬飼さんの指示でサモンがお座りやお手とかするんですが、そのシーンは犬と出会ってから1ヵ月半後に撮ったので、僕らがもうすっかり仲良くなっていて、自然に出来ました。1発でオーケーでしたよ。

―サモンを大好きになって、きなことサモンを取り替えたいとは思いませんでしたか。
小日向:完成披露試写で3ヶ月ぶりにサモンに会ったら、本当にきなこより可愛いなあと思いました。ただ、「サモエド犬」のような大型犬を飼うのは実際のところ大変です。最初の頃の大きさのままならいいですけどね、あっという間に大きくなる。やっぱりたまに会うのがいいかもしれませんね。

―ワンちゃんだけでなく、小日向さんは実生活でも同じ年頃のお子さんがいらっしゃいます。物語と実生活とで重なるところは?
小日向:犬飼さんが久しぶりに家に帰って、自分の居場所がなくて疎外感を感じると言うのがありますが、僕もこんな仕事柄、子供のことは女房にまかせっきりです。たまに一緒に食事をすると、子供たちが女房に懐いていて、ちょっと寂しいですね。こんな事があったとか言う話も、僕がいるのに、僕にではなく、女房に向かってしているんですよ。犬飼さんのような疎外感を感じますね。忙しくても出来るだけ積極的に、子供との触れ合いや会話はしないといけないと思います。それは女房に対しても一緒かなあ。今京都に撮影に来ていて、この間も2日間休みがあったから東京に帰ろうと思ったら、女房が「帰ってこなくてもいい。せっかく京都に行ってるんだから、もっと京都を楽しんだら」というんですよ。これって帰ってくるなと言われているのか、言葉どおりに僕を気遣ってくれているのか、どっちなんだろうと考えました。(会場笑)そういうところも犬飼さんと一緒です。でもそういう風に思うのもありで、そういうのも夫婦かなあと大らかに受け止めるようにしている。元々僕は家が好きで、家でご飯を食べるのが大好きなんですよ。東京の仕事の時は必ず帰って家で食事をするんですが、そういうのもウザイのかなあ。女の人って、やっぱりよく言われるように「亭主丈夫で留守がいい」なんですかねえ?(会場含み笑い)小さい頃はくれたけど、この頃は父の日のプレゼントのないしなあ。そのくせ母の日は残っていますからね。

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©2011「犬飼さんちの犬」製作委員会

―実生活でも小日向さんはトイ・プードルを飼っているそうですが、犬を飼われていたことがプラスに働いたことは?
小日向:トイ・プードルを飼い始めたのは、子供が中学受験の為に塾に行きだして、学校から帰ると今度は塾で両方の宿題があるでしょう。僕らはもっとのんびりしていたのに、かわいそうですよ。ゆとり教育のせいで逆に個人でそうしないといけなくなったようなんです。だから子供の癒しの為に飼い始めたんですが。最初は僕の家もこの作品にちょっと似ています。僕はそんなに好きじゃあないのに、女房が勝手に犬を飼い始めたわけで、撮影が終わって家に帰ると犬がいました。きなこという(映画で有名になったきなこより先に命名との事)オスなんですが、女房を独占するんですよ。家でも女房の後を付いて回ります。夜も寝室の枕元に座って女房を守りますからね。僕の枕にウンチをつけたりの嫌がらせもありましたし、僕のベッドを占領したり、僕が寝起きをすると威嚇するように唸り声を上げたりもするんです。この家の主人は僕なのに、こいつは何なんだとちょっとむっとしました。最初の頃は僕ときなこを二人っきりにしないでくれと言っていたほどです。犬の扱いに慣れてなくて、おやつを上げると尻尾を振るから可愛くてもっと上げると、ワーッと言ったりして頭にきますしね。知らなかったけど、あまりベタベタしてはいけないんですよ。こちらが主人だというのを示すのも必要みたいです。おやつを上げるにしてもそれでちゃんと躾をしないといけない。

―撮影でサモンの匂いをつけて帰るときなこが嫉妬したりはなかったですか?
小日向:サモエド犬は元々匂いが薄いんです。匂いはつかないんじゃあないかなあ。それにきなこはオスですからね。女房が大事で僕のことはそんなに関心がない。メスなら又別でしょうが。
(明日に続く)

この作品は、6月25日からシネ・リーブル梅田、
京都みなみ会館、109シネマズ、HAT神戸 にて公開

映写室 「ショージとタカオ」井出洋子監督インタビュー(後編)

映写室 「ショージとタカオ」井出洋子監督インタビュー(後編)     
―布川事件の二人の仮釈放からの日々―

<昨日の続き>
―確かにタカオさんはお洒落ですね。ラフな格好も素敵だし、白いパンツにTシャツと代え上着のクールビス姿など、おじ世代のモデルさんのようで様になっています。
井出:それを聞いたら喜びますよ。刑務所の中で長い間お仕着せを着せられていたので、タカオさんは特に普通のスーツを嫌います。着るものくらい自由に選びたいようですね。
―服を選ぶこともシャバに出れた喜び、自由の象徴なのですね。ところで、仮釈放で出て来た時の、二人の嬉しそうな笑顔が忘れられません。作中にあるその後の映像だけでなく、24日の無罪判決の後の記者会見の映像がテレビでずいぶん流れましたが、それでもあれ以上の笑顔は見れなかった。やっぱり世間の風は冷たかったのでしょうか? 勿論年齢的なこともありますが、それが気になります。
宣伝:タカオさんは長い間仕事も決まらなかったですしね。

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井出:20歳から29年間、9年間は拘置所の中ですが、14年過ごした刑務所の中はある意味で二人の青春だったのでしょう。刑務所の中のことを聞くと二人とも生き生きと話してくれます。タカオさんは六法全書や裁判資料を取り寄せ、必死で勉強していますし、ショージさんは刑務所の中で靴を作っていたんですが、こうなったら誰にも負けない靴を作ろうと頑張ったようです。そんな風に世間と遮断されて目の前のことだけを見て過ごした刑務所の中と違い、外に出ると生活の全てが自分の肩にかかってくる。この二人は実際にあってみると凄く癖があるんですが、支援者に支えてもらわないとやっていけない。なのにあくが強くて、支援者とギクシャクしたこともありましたから。そんなストレスもあったかもしれません。あの個性だからこそ、29年間曲げないで無実を主張し続けたんですけどね。無罪が確定するまでの仮釈放の14年間は、二人とも本当に行動が慎重でした。何かあると仮釈放は取り消されますから。例えば人がほとんど通らないようなところでも、赤信号では必ず止まるとか、些細なことでも法律違反をしないように、細心の注意を払っていました。やっぱり大変なことなんですよ。

―そうなんですか、自由を奪われた日々の辛さ、又奪われることへの恐れが伺えますね。
井出:そういう事が表情にも出ているのかもしれません。ただ、ご覧になったという無罪判決が出た段階では、まだ神妙な顔をしていましたが、東京高裁が控訴を断念して、無罪が確定した時は二人とも満面の笑顔で、本当に嬉しそうでしたよ。この瞬間に初めて本当の意味で無罪になるんですから。
―なるほど。ところで映像の中でショージさんが刑務所の中で働いたお金だと言って、100万円の束をポケットに入れますが、勿論あれは貰ったお金の一部ですよね? 29年間も働いたんですから。
井出:いえ、一部と言ってもほとんど全額です。29年と言っても拘置所の中では働けなくて、刑務所に移ってからですが、それでも19年あるけれど、食費等は引かれるし本当に安いようです。あのお金が29年間の賃金のほぼ全てなんですよ。

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―酷い話ですね。貨幣価値だって変わってくるというのに。
井出:二人のキャラクターでこの作品は明るいタッチですが、根底には理不尽に奪われた29年間があります。50歳を過ぎてから人生をやり直す事の大変さ、無罪を勝ち取るまでにどれほどの事があったのか。普通のおじさんになる為にこの二人がどれほどのことをしてきたのかを皆さんに考えていただきたいのです。映像の中にもありますが40年以上経った今でも、未だに取り調べの時の記憶が拭えないのですから。警察、検察、裁判所と関わった全てが重く責任を感じて欲しいですよね。たまたま布川事件の二人はこうして無実を証明することが出来たけれど、誰もがこんな風に強いわけではない。罪を翻せないままの冤罪事件は小さいものも含めると沢山あると聞きます。今や知らない人が多いのですが、「疑わしきは罰せず」という法の原則を思い出して欲しいのです。(聞き手:犬塚芳美)


この作品は、6月25日(土)~7月15日、第七藝術劇場で上映。
      29日(水)には桜井昌司さんのトークショーあり。
      上映時間等と共に、詳細は劇場まで(06-6302-2073)

    又、7月2日(土)~7月22日、京都みなみ会館
      7月9日~7月15日、神戸アートビレッジセンターで上映
 
  
≪インタビュー後記:犬塚≫ 
 <井出監督自身のナレーションで>、わかり易く物語が進行します。さわやかな語り口に、どんな方かと想像したら、親しみやすい監督で感激しました。この人当たりのよさで「ショージとタカオ」の二人も、心を開いて色々なことを話したのでしょう。監督は支援団体には入っていないと言いますが、カメラに記録されるということが、もしかすると二人にとって何よりの支援、応援だったかもしれません。落ち込みそうなときも、カメラに励まされて、いつものめげない自分を取り戻せたのでは。
 <この後、国家損害賠償>をおこすそうですが、今まで一度も認められていないのだとか。だとしたら奪われた時間は一体誰の責任なのでしょう。謝るべきは謝って、償えるものは償って欲しいものです。又、この事件も自分が殺ったという二人の自白が無期懲役という有罪判決をもたらしたのですが、その自白がどんな状況下で行われたか、取り調べの全課程の可視化の重要性を感じます。

映写室 「ショージとタカオ」井出洋子監督インタビュー(前編)

映写室 「ショージとタカオ」井出洋子監督インタビュー(前編)     
―無実の罪に問われた布川事件の二人―

 <「ショージとタカオ」とは>、桜井昌司さんと杉山卓男さんのこと。1967年に起きたいわゆる布川事件で、強盗殺人犯として無期懲役の刑に服したこの二人は、29年間獄中にありながら、無実を主張し続けましたが、長年認められず、再審請求が認められたのは、仮釈放された後の2009年9月です。翌年から再審公判が開始され、東北大震災の影響で、3月16日から延び延びになっていた判決が出たのが、今から約1ヶ月前の5月24日。予想通り無罪判決が言い渡されただけでなく、後日検察が控訴を断念して、二人は無罪が確定しました。重い荷物を背負ったこの間、実に43年以上になります。
 <この作品は>、そんな二人を、1996年の仮釈放のその瞬間から再審請求が通った14年後までを追ったもの。冤罪と言う重いテーマを根底に秘めながら、カメラは「フツーのおじさんになりたかった!」と言う、明るくメゲナイ二人を、時にはユーモラスにさえ捕らえていきます。企業PR等を中心に活躍する井出洋子監督が、偶然彼らを知り、日々の仕事の傍ら自主制作したもの。作品等についてお話を伺いました。

<その前に「布川事件」とは>
 1967年8月茨城県の布川で一人暮らしの大工の男性が殺された。警察は二人組みの男の犯行と推定し捜査を進める。10月に別件逮捕された桜井昌司さんと杉山卓男さんが、厳しい取り調べで自白を強要され、殺害と10万円を奪ったと自白。裁判では一転して二人とも無実を主張するが、1978年に最高裁で無期懲役が確定。83年獄中から再審請求をしたが92年に最高裁が棄却。96年に仮釈放された後も再審請求し2009年に再審が決定。2011年5月24日に無罪判決が出た。


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<井出洋子監督インタビュー>
―158分と長いのですが、ユーモラスな二人を追ってあっという間に時間が過ぎました。楽しかったです。井出監督は企業PR等、商業ペースの世界で長い経験がおありなので、観客を引っ張っていくコツをお持ちなのだなあと、思いました。
井出洋子監督(以下敬称略):ありがとうございます。ネット等を見ると監督は素人らしいとか色々言われるのですが、カメラは素人でも編集の方は長年の経験があるんだよと。(笑い)カメラも仮釈放の時は自分一人でしたが、東京高裁の時は2台体制で、私もカメラを持っていたけれど、プロのカメラマンにも撮ってもらったんです。さすがにきれいに撮ってくれたんですが、編集段階で、私の撮ったごちゃごちゃした感じの方が臨場感があって良いと思い、あえて未熟な私の映像を使ったりしています。経験があるとはいえ、あまり技を使わず、シンプルに作りました。

―そこら辺りの思い切り方がプロだなあと。切り口にしても、冤罪事件と言う重いものを、あえて正面から撮らず、冤罪に巻き込まれた二人の人間性に迫ると言う別の切り口から捉えていて、映画っぽくて良いなあと思いました。そんな視点は何時ごろから?
井出:最初から狙ったと言うより、二人を見ていて自然にそうなっていきました。二人は本当にユニークで楽しい。根底にペーソスとユーモアがあるんです。それに惹かれましたね。

―めげずに明るい、普通感覚の素敵な二人ですよね。長い間刑務所に入っていると、例え冤罪だとしても、表情が荒んでくるものです。この二人を見ているとそれがない。本当に普通のおじさんです。どれほどの精神力で鬱積する思いを跳ね除けてきたのでしょう。あっけらかんとした様子からも、無実を信じられました。
井出:それはそうなんですが、私は法の人ではないので、冤罪かどうかを判断する立場にはありません。それをするのは裁判所ですから。だからこの作品も、冤罪だと声高に叫んではいないのです。私も二人の支援組織には入っていませんしね。ただ二人を長く追っている間に、自然と無罪を訴えるビラを一緒になって配ったりはしましたが。(笑い)

―「この二人を無期懲役にしてしまった自分の責任として、ずっと二人を支援し続ける」と仰る弁護士さんがおられて、その言葉に心打たれました。弁護士としての究極の誠意ですよね。二人は支援してくださる周りの人にも恵まれたと思います。
井出:ええ、あの方が弁護団の団長です。以前は世間の関心も薄かったのですが、今は人々の関心も高まり弁護団も大きくなってきました。14年前の仮釈放の時など、報道の人は全くいなくて、支援者以外でカメラを向けていたのは私一人でした。あのシーンが二人との初対面です。出会って早速質問していますが。
―そうだったんですか。紫のネクタイをしたショージさんとダークスーツを今風に着こなしたタカオさん、二人とも久しぶりの世間を意識しておめかししていたのに…。だったら井出監督のこれが貴重な記録映像になりましたね。それにしても20歳からの29年間が獄中とは残酷です。一番楽しいはずの青春時代を奪い取られたことになる。時代の変化も早い頃でした。痛ましい限りです。出所したばかりで自動券売機が解からなかったり、テレホンカードに戸惑う姿に胸が締め付けられました。この二人だからこそのり切れたけれど、普通の人だったら潰されてしまう。司法は本当に惨い事をしましたね。
井出:あのネクタイは支援者からプレゼントされたもののようです。29年というのは本当に長いです。時代が変わってしまう。ショージさんの家は廃屋のようになってましたしね。無罪を知ることも無く亡くなったタカオさんのお父さんとか、二人以外への影響も色々あります。

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―そんな思いを根底に沈めて、二人は明るく失われた時間を取り戻していく。就職し、結婚し、子供をつくりと、どんどん普通の暮らしを取り戻しますね。驚きです。大変なことも多いだろうに、めげないバイタリティーと行動力に感動しました。そんな二人のフットワークの軽さにぴったりの「ショージとタカオ」というカタカナ表記の題名ですが、これは何時ごろ?
井出:題名は、作っている間に劇場で公開したいと思いだし、若い人に受けるにはどうしたら良いかと常に考えていたんです。で、結局こうなりましたが、元々この二人は支援者たちからそう呼ばれていたんですね。この作品は、冤罪事件を追うというより、この二人の生き方を描いた映画なので、これがいいかと。又この二人が対照的なんですよ。180センチと背が高いタカオと、小柄なショージ。ショージさんはお喋りだしタカオさんは無口。着る物に無頓着なショージさんとお洒落なタカオさん。全てがこんな調子です。性格も違うから最初は反目しあっていたのだけれど、いつの間にかお互いが支えになりだしたのでしょう。映像にも映りますがおびただしい数の往復書簡があります。(聞き手:犬塚芳美)
                  <続きは明日>

この作品は、6月25日(土)~7月15日、第七藝術劇場で上映。
          29日(水)には桜井昌司さんのトークショーあり。
          上映時間等と共に、詳細は劇場まで(06-6302-2073)

     又、7月2日(土)~7月22日、京都みなみ会館
       7月9日~7月15日、神戸アートビレッジセンターで上映

映写室 「亡命」:翰光(ハン・グァン)監督インタビュー

映写室 「亡命」:翰光(ハン・グァン)監督インタビュー
   ―亡命者量産国、中国―

 中国の民主化運動が武力鎮圧された、いわゆる天安門事件から、6月4日で22年になる。そんな時に合わせたように、天安門事件に絡んだ作品が関西でも上映される。「亡命」というこの作品は、日本に拠点を置き、映像や文章などで活躍する翰監督が、中国から亡命して世界各地に住む8人の文化人に、何故国を離れなければいけなかったのか、祖国への思い、亡命者とは等を問いかけたもの。翰監督にお話を伺いながら、このドキュメンタリーを紹介したい。

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©2010 SIGLO

<翰光(ハン・グァン)監督インタビュー>
―この作品は1960年代の文化大革命から、1989年6月4日の天安門事件を経て、思想や情報統制の激しい祖国を離れ、世界各国への亡命を余儀なくされた中国の文化人を追って、多くを問いかけたものですね。思想問題で投獄経験のある方が多い。経済発展の目覚しい中国の、別の一面を突きつけられて、驚きました。噂では聞くことですが、実際にこんなだとは。
翰光監督(以下敬称略):歴史的に見ても、中国は色々な時代に多くの亡命者を出してきましたが、今もこの国は、たくさんの亡命者を出しています。僕は留学前から自分の国に疑問を持ってはいたんです。小学校の3年から中学時代は毛沢東を称える歌や踊りを習って終わりました。勉強が出来ない。でも残留婦人に日本語を教えてもらって、トップの成績になり、日本語学科に入れたんです。ところが文化大革命が終わって、全ての文化、叙情的な情報が止まってしまったんです。言論の自由もなく、色々なことをチェックされだした。それが辛くて、安定した生活を捨てて日本への私費留学生になったんです。1987年に来日したのですが、その頃にはまだ国の指導者に期待していました。ところが留学中に改革開放路線の胡耀邦が亡くなって、僕らは黒い腕章をつけて悲しみを表現したのですが、その後だんだん統制が厳しくなっていく。ある時、学生時代に影響を受けた表現者や知識人たちが、1989年以降、中国から忽然と姿を消していることを知り、ショックを受けました。文化人たちは言論統制や思想弾圧に耐えかねて、世界各国へ亡命を余儀なくされたんですね。国にとって大変な損失ですよ。その人たちが今何処でどうしているのかを知りたいと思いました。そして亡命者の思いを伝えたいと思ったんです。

―登場するのはアメリカやヨーロッパに住んでいる方々ですね。ジャーナリストの妻と娘の3人で、ワシントン郊外に暮らす作家の鄭義さん、フランス在住の劇作家で画家の高行健さん、天安門民主化運動のリーダー王丹さん、「市民の力」代表の楊建利さん等8人が出ていますが、多くの亡命者の中から、この方々はどんな風に決まったのですか。
翰:何をテーマにするかを考えてですね。僕は祖国に言論の自由のないことが一番つらいから、文化人を選びました。主な4人に、何故祖国を捨てたのか、外から見る祖国はどんななのか、亡命者とは何か等々を語ってもらって、後の人にはこれほど多くの亡命者を出した中国の歴史背景を説明してもらおうと思ったのです。国と言うのは父親のようなものなのに、子供の国民に向かって銃を向けたのが信じられないという言葉があるように、多くの文化人にとって、民主化への動きを武力で押さえ込まれた天安門事件は、国家がここまでやるのかという驚きでした。ところが、中国国内でも、今の若い人は天安門事件を知らない。血生臭い事件は取締りのせいで口にすることすらはばかられ、歴史の中から葬られようとしています。国に都合の悪いことは調査することも出来ない。この作品にしても一番見て欲しいのは中国国内にいる人々ですよ。でもそれをよその国で作っているという寂しさはあります。静かな語りが続くこの作品の中に、生々しい天安門事件の記録映像を入れるのはどうかという迷いもあったのですが、あえて入れました。あの事件は命の安さ、政権の凶暴さの象徴です。人を殺して政権を守ったんですが、もうこんな虐殺は出来ないでしょう。第一世代は血で奪われたものは血で奪い返しなさいと教わった。第二世代は血で争うことが出来ません。第三世代には反抗心がないのです。この作品は今のところ中国国内で見てもらうことは出来ないけれど、いつか見てもらえる時が来たら、天安門事件を知らない世代にも、あの映像から多くのことに気付いて欲しいのです。

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©2010 SIGLO

―日本では確か、たまたま別の取材で天安門の前のホテルに滞在していたテレビクルーが、カメラをホテルの窓から天安門の方に向けて回し、放送しました。少したつと、「この向こうで何が起こっているのかわかりません。勿論向こうにカメラを向けるとすぐに拘束されます」と、広場に立って困惑したように話すルポもありました。日本から見ても、どうしてこんな事が起こるのだろうとあっけにとられたものですが。
翰:衝撃でしたね。あの事件で民主化へ向けて動いていた中国は大きく変わってしまった。国家を非難する問題発言や言論の自由を求めるあまり、投獄されたり、その時たまたま海外にいて、逮捕の恐れがあるので帰れなくなったりした文化人が大勢出ています。僕はそんな事実を多くの人に知ってもらいたい。それにこれは過去のことではない。今もって中国ではそんなことが続いているんです。中東問題が影響してまたもや厳しくなっている。かって万里の長城を築き、他民族の侵略を遮断した歴史を持つ中国は、このグローバル社会の現代においても、情報封鎖や言論統制という目に見えない壁を作って、民主化の動きを封鎖しています。僕は第二の万里の長城といっているんだけれど、今インターネットの規制に躍起になっていますからね。24時間ネット警察が目を見張っていますから。

―天安門事件で軍隊が学生に銃を向けたのを「かって日本軍がやったようだ」と言っていますね。日本人としてどきりとします。
翰:日中の歴史問題にしても発言の自由がなければ関係は上手く行きません。亡命者の声を広げなくてはと思って、シグロの誘いでこの作品を作ろうと思いました。大勢で動かないと、個人ではどうにもできないという無力感があるんです。でもそんなことをするもんだから、僕も危なくなって家族も日本に引き上げてきました。今は政府にさからわなければ自由なのに、何でそんな危ない道を歩くのかといわれます。亡命ではないけれど、国に帰れないという点で、僕もこの8人に近くなってしまった。祖国はいいものです。母国語で思いっきり話せるのはどんなに楽しいことか。声を出す自由があれが国に帰りたいのは皆の思いではないでしょうか。

―そんな中国の国内問題を日本人が見る意味は。
翰:中国映画と思わず、日本の映画だと思ってみていただきたい。それに亡命者というのは中国に限らず、ユダヤ等々世界中にいます。皆同じような悲しみを纏っている。そんな普遍的な問題として見て頂いてもいいですし、他所の国の歴史は案外知らないものです。この作品を、中国を知るスタート地点にしていただければ嬉しいです。(聞き手:犬塚芳美)

この作品は、6月4日から第七藝術劇場、
7月2日から神戸アートビレッジセンター、
      7月下旬京都シネマ にて公開


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(5月13日 大阪にて)


≪作品の感想とインタビュー後記:犬塚≫ 
 <知的な匂いに溢れる作品>です。(あ、どこかで出会った雰囲気)と、佐藤真監督のエドワード・サイードを思い出しました。祖国を追われ寄る辺なき流浪の民になりながら、慎み深く言論の自由を訴える。彼らはまさにサイードと同じ知識人そのものでした。
 <シグロの良心の様な>この作品を作ったのはどんな方かと思いながら待っていると、現れたのは、静かで知的な、中国人ならではの悠久の時を思わせる方。あまりにも作品の世界観そのままの雰囲気に、息を呑んだほどです。こんなドキュメンタリーを作った今、中国国内での監督の立場も危ういはず。それでも伝えたかった祖国に対する苛立ち。愛憎こもごもの思いを話す日本語や端正な佇まいから、監督個人を超えて、中国の知性を感じました。亡命者それぞれも、他所の国で翰監督のように中国の凄さの証明になっていることでしょう。中国の底力を見せつけていると思うのですが、そんな外国からの情報すらもシャットアウトされ、国内に還元できないのが今の中国なのだそうです。
 <余談ですが>、翰監督は佐藤監督もご存じで、「サイ―ドを調べ尽くしてあの作品を作った。佐藤さんは凄い」と亡き方の思い出話もしました。

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