太秦からの映画便り

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映写室「百合子 ダスヴィダーニヤ」浜野佐知監督インタビュー(後編)

映写室「百合子 ダスヴィダーニヤ」浜野佐知監督インタビュー(後編)  
―社会に流されず、自分を貫いて生きた女性―

<昨日の続き>
―二人の関係を出会いの頃に絞って描かれた理由ですが。
浜野佐知監督(以下敬称略):原作の沢部さんが書いた「百合子 ダスヴィダーニヤ」は、百合子との7年間だけでなく、芳子の誕生から死までが描かれています。その中でも出会いの頃にスポットを当てたのは、私が芳子を幸せにしたくてこの作品を作ったからです。この作品で取り上げた後では、芳子は百合子の裏切りを経験しますからね。百合子は男の元へ去って行っただけでなく、芳子との時をも歪めてしまうんです。

―えっ?
浜野:百合子の代表作「伸子」は、芳子と一緒にいる時に書かれて、夫との出会いから始まり、結婚生活で悩み苦しんで、芳子と出会って彼女に惹かれ新しい境地に踏み出すまでのことが書かれています。つまりこの作品の流れと一緒で、原作は「百合子 ダスヴィダーニヤ」と言いながら、この作品は話としては「伸子」なんですよ。ところがロシアから帰った後、百合子は芳子を捨てて、宮本顕治と一緒になり、自伝小説3部作といわれるうちの残りの二つ「二つの庭」、「道程」を書くんですが、「伸子」では自分を不幸な結婚生活から解放してくれたキーパーソンとして、あれほどあがめた芳子を、今度は、自分の女友達の中でも、いわゆる性的に変態の人というところに落とし込んでいく。それを読んだ芳子は「あれは小説である。だけど私はこのことは誰にも言わぬ。身一つに収めて黙るが、100年後にはこの真実が明らかになって良い事だ」と言うんです。

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(10月19日大阪にて)


―う~ん。
浜野:百合子は芳子の元を去り、顕治と一緒になって、戦争中は投獄され、戦後はプロレタリア文学の旗手となります。共産党のマドンナ的な存在になっていく中で、女同士の7年間というのは、蓋をするべき時代になったんでしょうね。芳子にとって百合子の裏切りがどれだけ無残だったか、辛かったか。なおかつ、もっと辛い事に、芳子は最後まで百合子を嫌いになれないんですよ。百合子は戦後に51歳で亡くなっていますが、芳子はその後40年も、93歳まで生きている。芳子が百合子のお葬式に行った時、別れて何十年も経っているのだけれど、百合子が好きだった薔薇を手向けながら、「死んだ百合子には会いたくなかった。生きてもう一度会いたかった」という言葉を残しているんです。密着取材した沢部さんが、死ぬ間際に「先生、人生で一番好きだった人は誰?」と聞くと、「百合子、二番目はスエ、三番目からは誰でも同じようなもの」と言ったというんです。芳子は生涯百合子を抱えて生き、死んでいったんでしょう。どんなに足蹴にされ、嫌われても、死なれても、嫌いになれなかった。辛いですねえ。30過ぎで別れた後、93歳で死ぬまで好きなんだから、実に60年もの間、百合子が好きだったわけです。芳子の衝撃の時からまだ90年ですが、私がこの映画を作ることで、「100年後に真実が明らかになってもいいことだ」と芳子が望んだその真実と、芳子の恋にピリウッドを打ってあげたかった。だからこそ、芳子が一番幸せだった、百合子との関係が美しかった時を描いてあげたかったんです。その後の辛過ぎる現実というのは、芳子が胸に抱えて死んでいったことですからね。わざわざ描かなくても良い。私は芳子を幸せにしてあげたかった。この映画を見て、本当に美しい思いで、優しい気持ちで、憎むのではなく「百合子さようなら」と芳子が言ってくれたらいいなと思います。


―芳子の百合子に対する愛も深いけれど、監督の芳子に対する愛も深いですね。
浜野:ええ。芳子の潔さが好きなんです。孤独と自由は一緒なんだというのをちゃんと受け止め、孤独を引き受けてでも、自分らしく生きてますから。(男の着方でしゃきっと着物を着た芳子の晩年の写真を見せながら)だって、本人もこんなに素敵なんですよ。カッコいいでしょう?
―ええ、ええ。女とか男とかの性を超越していますね。ところで、別れた後の百合子も、芳子の深い愛を感じていたのではないでしょうか。
浜野:感じていたと思います。だから会わなかったといいますね。芳子の来る様な所には絶対に行かなかったらしいです。


―芳子に会ったら心を揺すられそうで怖かったのかもしれません。百合子の胸の奥深く隠した思いも聞いてみたかったような。でも裏切られた芳子は、そんな胸に収めた思いを、最晩年に沢部さんに語って、本になり、こうして映画にもなったと。監督は確かに芳子を幸せにしましたね。
浜野:沢部さんは芳子の臨終近くにも会っているんです。隣のベッドの人が「淋しいよお、淋しいよお」と泣くんですって。沢部さんが「先生も淋しい?」って聞いたら、「いや、淋しくはない。孤独だけれど淋しくはない。同じ魂の人間もいるし」と言ったそうです。その数日後に芳子は亡くなるのですが、これは沢部さんに送った言葉ですよね。孤独は人が引き受けて生きるべきであると思いました。あんまり感動したので、その言葉を書いて自分の机の前に張っています。


―芳子の人生は覚悟を持ったものだったのですね。映画からも伝わってきますが、お話を伺うと余計にそう思います。
浜野:映画の中に芳子の覚悟をもった台詞を幾つか入れています。百合子にしても、台詞にありますが「女の立場に引っ張られて、この日本の中で女が行き着けなかった高みに行ってみたい」と言っているんですよ。後の辛い思いがあったとしても、百合子と出会ったことが芳子にとって生涯消えない財産だったと思う。結果はどうあれ、人を愛したら、もうこれでいいと思う時があるじゃあないですか。芳子は愛し抜いたという事だと思うんです。それはそれで自分の心の中にストンと落ちるようなことだったと思うんですよ。10年位は堪らなかったんじゃあないかなあ。自分の愛した女が、自分から去って男の元に行くんですからね。


―その百合子の台詞もですが、この作品全体の台詞が、自分の思いを素直に、というか過剰なほどに言葉にしていて、一般的な他の作品との違いを感じたのですが。脚本は何時ものように山崎さんとの共同作業ですか?
浜野:共同作業ですが、脚本家のするべきところは脚本家がやり、監督としてするべきところは監督がやって、最終的に共同作業になっていきました。台詞が特徴的なのは、この作品の台詞が全て二人の往復書簡から取っているからです。撮影の頃、丁度二人の往復書簡が見つかって。だから文語体で、口語体ではないのですが、それも時代感になっているのではと思います。

―そうなんですか、それで納得しました。独特の言葉世界に何か意図があるのだろうと不思議で。それにしても、百合子はお嬢様だったんですね。プロレタリア文学の旗手という言葉から連想するイメージからは程遠く、驚きました。
浜野:ええ。本当のトップではないけれど、その下位のプチブルというか、相当なものです。芳子だって生涯お金には困っていませんしね。そう言えば、瀬戸内寂聴さんが「孤高の人」という湯浅さんの評伝を書いています。60~70の頃の湯浅さんを2年位お世話したらしいですよ。

―湯浅さんと言うのは、京都には所縁の深い方なんですね。
浜野:京都のご出身ですから。着物にしても、そういうご縁があって、この時代の着物を集め保存している、京都の古布保存会の方に全面的に協力をいただけました。貴重な着物を提供頂き、アドバイスを頂き、この作品のリアリティになっています。これは本当に幸運で、今の方は背が高いから昔の着物は長さ的に足りないのですが、そんな貴重な着物にもかかわらず、間を継ぐとかの加工を許してくださったりもしましたから。そちら側にも思い入れがあって、会の代表の方は、湯浅さんをご存知で、自分に宛てた物ではないけれど、湯浅さんの直筆の手紙を持っていたりするんです。


―それで、時代感のある素晴らしいお着物がたくさん拝見できたのですね。この作品のもう一つの楽しみでした。ところでそんな二人を演じる女優さんはどのようにして決められたのでしょう?
浜野:まず、芳子と百合子は、名前を知られていない人に演じて欲しいと思いました。名前を知られている人とは、アイドル・テレビに出ている人・コマーシャルに出ている人ですね。そういう人が演じると、役者の演じる色々な役の中の一つになってしまう。それだけは嫌だと思いました。一度この映画を見たら、湯浅芳子、宮本百合子という名前を聞いた時、この映画の彼女たちを思い出して欲しいのです。それと、99パーセントは男の監督ですから、日本の女優さんは男のベクトルがかかった、男の想像する女を演じてしまう。そういう男印の付いていない俳優さんが欲しかったんです。それと、大正時代の話なので、あまりにも現代的な人は避けたかった。いかにも日本人という顔をして着物が似合うというのが大切でした。


―二人ともお着物が良く似合っていますね。
浜野:そんな条件で最初は舞台の人とかから色々探しましたが、良いと思うと、事務所から「そんなレズ映画に出たら、色が付くとか、コマーシャルが来なくなる」とか躊躇されて、話が潰れてしまうんです。なかなか決まらなくて困っていたら、菜葉菜さんを、吉行さんの事務所の社長に、「こんな子がいるよ」と教えてもらったんだけど、彼女はもうその時には、原作を読み、役を理解していました。「自分は差別される側の人間を演じたいと思っていて、今までもレズの役をやっているけれど、シャツにネクタイを締め、ズボンを、穿いてと男が考えるレズビアンてこうだろうというステレオタイプなものを押し付けられ、不完全燃焼だった。自分が芳子を演じるなら、生きがたい時代の中で、自分を呪いながらも自分らしく生きざるを得なかった、彼女の魂を演じたい」と言ってくれたんです。百合子は、湯浅さんの苦しみを包み込んでいくんですから、包容力があって大輪の花のようで、目力のある人をと思いました。こちらもなかなか決まらず困っていたら、歌手の一十三十一さんを紹介されて、早速ライブを見に行きました。そうしたら場の真ん中で、皆を惹きつけていた。すぐに彼女だと思いました。バンドを引き連れてボーカルをやっていると、世間は自分を中心に回っていると思うような、幸せな傲慢さを彼女自身が持っているんですよ。それがいいんですよね。一度彼女が撮影現場でめげた事があるんですが、それは現場で怒鳴られ、汚く汗臭い男ばかりで、自分が中心ではないと解ってのことでした。本当はもっと素顔に近い状態で出てもらえばいいんですが、大正時代というのは着物が派手なように、化粧も華やかだったらしくて。


―そんな二人を囲むベテランが凄いです。吉行和子さんが出るだけで一気に画面のグレードが上がって、吉行さんの凄さを身に染みて感じました。
浜野:凄いでしょう。吉行さんは私の作品の常連ですが、圧倒されます。百合子と二人でワインを飲むシーンでは、脚本にもない背中をぽんぽんと叩く仕草をその場で入れて下さって、母が娘に伝える愛情とか、セルフを超えた実に多くのものが伝わってくる。さすがだなあと感動しました。こんな風に吉行さんには何時も助けらます。荒木役の大杉さんも、情けない男の悲しみとか、ユーモアとかを上手く出して下さっている。浮いちゃうすれすれのところを上手く演じて下さってますね。大杉さんの出るシーンでたいてい笑いが起こるんですよ。

―そういう俳優さんを包み込む情景が又素晴らしいですね。建物の重厚さに感動しました。
浜野:福島の話なので、山だとか一部の景色は福島で撮っていますが、他は全て静岡でのロケです。約1年かけてロケハンをしたんですが、静岡のデザイナーだとか新聞記者だとかの、主に女性たちが、ロケ場所についても色々情報を集め、実に助けて下さいました。百合子の祖母の家で、メインになる加茂荘が見つかったことが大きいです。ここは桃山時代からの庄屋の屋敷なんですが、当時のままに残り今も人が住んでいるから、建物が生きていて、時代の風が吹いている。建物からパワーをもらえましたね。あの建物が使えたのが成功への足がかりになったと思います。静岡の女性たちは他にも色々助けてくださって、撮影中はロケ隊の炊き出しまでやってくれました。一方東京にも支援組織があって、こちらは本当に普通の30代前後の女性たちなんですが、あっという間に制作費を1千万集めてくれたんです。


―凄いですね。
浜野:でしょう?この作品は、芳子や百合子以外にも、映らないところで多くの女性に支えられて完成しました。完成後の上映会でも実に多くの方に支えられています。
―15年間の思いを実現し、公開の最中なので、今は一人でも多くの方に見ていただくことに集中されているでしょうが、この後の企画も色々考えていらっしゃるのでしょうか。
浜野:映画と言うのは思ったからといってすぐに出来るものではありません。でもあるきっかけで一気に風が吹いて、動き出す時があるのです。一瞬のそのチャンスを摑まないと、もう二度と作れない。だから、そんな風が吹いた時にすぐにそれに乗れるように、普段から思いを寝付かせ芽を出させて置くことが大事なんです。実は今もそんな企画があって、もう5年位前から、「あなたがパラダイス」と言う作品の映画化を模索しています。チャンスを待っているのですが、こんなお話をしたら、ぜひとも撮りたくなってきました。キーワードは「メノポーズ」なんです。更年期の女性と言うのは、重いことを全て一人で抱えて身も心もくたくた。でも負けてばかり入れない。地域性の中で自分の問題をどう解決し、どう新しい時代を切り開いていくかを描きたいのです。それが今の若い人たちにも頑張ってというエールになればと。(聞き手:犬塚芳美)


この作品は、第七芸術劇場06-6302-2073)にて上映中
    10月29日(土)~11月4日(金)  12:25~ 、18:40~
    11月5日(土)~11月11日(金)  10:10~、 15:45~
 

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映写室「百合子 ダスヴィダーニヤ」浜野佐知監督インタビュー(前編)

映写室「百合子 ダスヴィダーニヤ」浜野佐知監督インタビュー(前編)  
―社会に流されず、自分を貫いて生きた女性―

<「百合子 ダスヴィダーニヤ」とはこんな物語> 
ロシア語を勉強しながら雑誌の編集者をしていた湯浅芳子は、スカートをはいた侍と揶揄された女性だ。1924年、先輩作家・野上弥生子の家で、中條(後の宮本)百合子と出会い、お互いに激しく惹かれあう。百合子は17歳で「貧しき人々の群れ」を書き天才少女と騒がれた作家で、19歳の時遊学中のニューヨークで結婚した荒木との結婚に行き詰っていた。芳子に心を動かす妻に、荒木は動揺し詰め寄る。夫と芳子の間で揺れる百合子。この後芳子と百合子は、百合子が宮本顕治の元に去るまで、7年間の共同生活を送るが、この作品はその恋の始まった頃の物語だ。

前作に続いて、大正時代を舞台にし、歴史に埋もれそうな女性に再びスポットライトを当てた浜野佐知監督、この作品にこめた思いの深さを伺いました。


―この作品は監督の10年越しの企画と伺いますが?
浜野佐知監督(以下敬称略):10年以上で15年越しのものです。
―尾崎翠に続いて、今回も大正の話ですね。監督はこの時代がお好きなのですか?
浜野:別にこの時代が好きなわけではなく、この時代に自分らしく生きた女性が好きなのです。この作品には原作があって、沢部ひとみさんが、湯浅さんが93歳で亡くなる前の3年間、密着取材して書き上げたノンフィクションなんですが、それを読んで、湯浅芳子さんを知りました。芳子の潔い生き方に感動し、彼女を主人公にして映画を作りたいとずっと思っていて、やっと実現できたわけです。偶然なのですが、前作の尾崎翠もこの作品の主人公・湯浅芳子も、明治29年生まれ。戦争に向かっていくあの時代の中で、素晴らしい仕事をして、世間に迎合せず、自分を貫いて生きた女性です。でも、尾崎翠にしても湯浅芳子にしても、宮本百合子ですら、今や若い人はほとんど知りません。一生懸命生きたのに、歴史の中に埋もれてしまいました。かって日本にこれだけの強い意志を持って、社会と戦いながら生きた女性がいたことを、皆に知らせ、現代に蘇らせるのが自分の仕事なのではと思うのです。

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―二人の関係は7年間続くわけですが、この作品はその中でも最初の頃だけですね。そこに絞られたのはどうしてですか?
浜野:それにお答えする前に、私が何故この作品を撮ろうと思ったかというと、芳子の生き方に惹かれたからなんです。大正という時代に、「自分は男を愛するように女を愛するたちの女だ」と公言して生きた。その言葉にも芳子の苦悩があると思うんです。今なら、「私はレズビアンだ」と言えば済むけれど、当時はそういう言葉すらないわけで、自分は女としては半端ものだという、悩みや苦しみもあるわけですが、それでもそれを引き受けて、市民権を得たいまでも隠す人が多いのに、荒木のセリフにもあるように、病気や変態と言われながら、それを引き受けて、自分らしく生きた。「自分は愛することは知っているけれど、愛されることは期待しない人間だ」というセリフもあるんですが、孤独を引き受けても、自分は自分、自由でありたいという湯浅さんの潔さみたいなものに、惹かれたんです。この人の生き方を、今の女性に見てもらいたいと思ったのは、孤独じゃないと人は自由になれないという真実、自由と孤独はイコールなんだという潔さを解かって欲しいから。今の人たちって、自分の周りの色々なものに引きづられている。結婚しないと寂しいとか、子供がいないと老後が不安だとか、お金がないとどうとかに振り回されて、本当に生きるべき道を見失っている気がするんです。そういう中で、まったくぶれる事なく、「自分はこういう人間なんだ。こういう風にしか生きられないと」と言い切った潔さをぜひ見てもらいたいのです。

―ええ。
浜野:一方百合子も、どう見ても嫌な女のわけですよ。17歳で文壇デビューし、天才と騒がれている。プチブル的な何不自由のない家庭に育ち、あの時代にコロンビア大学に留学までしてわけです。そこで出会った荒木と結婚するんですが、我が儘一方のお嬢様で育った百合子は、自分の作家としての才能を信じ、自分が高みに上り詰める為の道を潰す者は、誰だって許さない。荒木なんて、今の日本の男子から見てもまともなんです。それでも、家庭の中で百合子は自分は自由でないと思うわけで、そんな夫も蹴散らしていく。で、今度はそんな頃に出会った芳子と、お互いに対等な立場で愛し合って高めあう。今度はロシア語をものにしたいという目的のある芳子と一緒に、ロシア留学するわけですが、自分の方は新しい国が出来るのを見、マルクス・レーニン主義に出会い、そうして帰ってきて、今度は芳子を捨てて、宮本顕治の元へ行くわけです。これはこれで又凄い生き方だと思うんですよ。人を蹴散らし、ここまで自分を貫くという強さも、今の女性たちは忘れていると。

―ええ。
浜野:私は若い女性と話す機会が多く、彼女たちは還暦を過ぎても女性監督として仕事をしている私を凄いと思ってくれるんです。私も監督のように一生仕事を持って生きたいけれど、女が仕事と家庭を両立させるにはどうすればいいんですかと、必ず聞かれる。今の女性の行き着く最初のことは家庭と仕事の両立なんです。それを成し遂げることが自分が仕事をし続けることだと思っている。私はそれは違うよというんです。何も家庭と両立しなくてもいいんだよと。貴女は自分の本当にやりたいことをやっていけばいいんで、家庭なんて考えなくていいんだよと言うと、きょとんとした顔をする。女子にはそういう質問をされるけれど、男子はそういうことを聞かないでしょう。男子にとってはそんな事は悩みでもなんでもない。両立なんて考えず、仕事だけしていればいい。何故女だけが、家庭と仕事の両立を悩まなければいけないのか、それ自体を考えて欲しいのです。結婚も出来る、仕事もできるという両立が、一歩進んだと思っている。でも結果的にはどちらも中途半端になっているんです。私たちの時代と違い、ずいぶん恵まれたせいで、戦うべきものを見失っている。この二人のいき方を見てもらって、百合子に感情移入するか、芳子に感情移入するかで、今その人が抱えている問題や悩みがあぶりだされる気がするのですが。(聞き手:犬塚芳美)     <続きは明日>

この作品は、第七芸術劇場06-6302-2073)にて上映中
10月29日(土)~11月4日(金)  12:25~ 、18:40~
11月5日(土)~11月11日(金)  10:10~、 15:45~
 
 10月30日(日)は全回、浜野監督舞台挨拶予定

映写室 「百合子 ダスヴィダーニヤ」上映案内

映写室 「百合子 ダスヴィダーニヤ」上映案内 
  ―湯浅芳子と宮本百合子の出会いを描いた、浜野佐知監督の新作―

 「第七官界彷徨―尾崎翠を探して」、「こほろぎ嬢」や「百合祭」で知られる、浜野佐知監督の新作が公開になります。スポットが当たるのは、大正時代に、恋とも友情とも言える深みで、魂と魂をぶつけ合って、高みに上っていった二人の女性の出会いの日々。女性として始めて公費でロシアに留学し、後にロシア文学者として大成した湯浅芳子と、17歳という若さで「貧しき人々の群れ」を発表し、天才少女と騒がれ、後に日本共産党の書記長になる宮本顕治と結婚し、戦後プロレタリア文学の旗手として活躍した中條(後に宮本)百合子の、お互いの気持ちを探るような情熱的な出会いの時を描いたものです。

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(10月19日 大阪にて)

<二人はこの後7年間を>共に暮らしますが、後に百合子は宮本のもとに去って行く。芳子にとっては百合子は、閉じ込めようとした心の鍵を開けられた喜びと同時に「愛した女たちはみんな男のもとへ去っていく」という苦い思いを突きつけられた出会いでもありました。それでも生涯芳子の心を離れなかった百合子。若き日の知られざる愛と別れが、浜野監督の手で愛を込めてみずみずしく描かれます。

 <監督は>、沢部ひとみさんの「百合子 ダスヴィダーニヤ」を読んで感動し、10数年前から映画化を模索し続けました。「二つの庭」、「道標」と、百合子の側から否定的に歪めて書かれながら、沈黙を貫いた芳子。晩年の芳子に密着し書き上げられた「百合子 ダスヴィダーニヤ」は、芳子の側から見た二人の真実でした。スカートをはいた侍と言われ、あの時代に「女を愛する女」を公言して生きた湯浅芳子は、「自分らしく生きることは、孤独であること」と覚悟を決め、自由を手に入れる為孤独を引き受け、潔く生き抜きぬいた人。監督は芳子の潔さに感銘し、二人の恋を世に出したいとおもったのです。多くの女性の支援の元、今回の映画化に漕ぎ着けました。時代間のある風景のもと、大正時代のロマンティックな衣装を纏った女性たちの織り成す、濃厚な物語が展開します。(犬塚芳美)    <インタビュー詳細は明日>

第七芸術劇場06-6302-2073)にて上映
  10月29日(土)~11月4日(金)  12:25~ 、18:40~
  11月5日(土)~11月11日(金)  10:10~、 15:45~
 
 10月29日(土)と10月30日(日)は全回、浜野監督舞台挨拶予定

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