太秦からの映画便り

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映写室「沈黙の春を生きて」坂田雅子監督インタビュー(後編)

映写室「沈黙の春を生きて」坂田雅子監督インタビュー(後編)
   ―ベトナム帰還兵とベトナムの人々に共通する障害―

<昨日の続き>
―アメリカ政府は責任を認めていないのですか?
坂田:ベトナムの被害者で言うと、先に訴えが棄却されたと言ったように、薬品会社は責任を認めていません。あれは国策で国に命じられてやったことだから責任はないと言っています。国は国で、人間に危害を加えるつもりはなく、食物を枯らすのが目的だった。だから責任がないと、同じように認めていません。ベトナムとアメリカの関係も複雑で、ベトナム政府はアメリカと仲良くしたいので、あまり揉めるのも困るわけです。曖昧にことを勧めて、経済援助等を引き出したい。だから、解かっていてもそれ以上は言わない。ただベトナムは、枯葉剤の被害者と言うことではなく、障害者と言うくくりで、被害者に経済的な援助をしています。アメリカのほうも、国は認めないけれど、民間団体が人道的な援助と言う形で、ベトナム支援をしています。アメリカ国内の被害者については、一種類の障害に対してだけは枯葉剤の影響が認められています。それは脊髄分離症と言う、脊髄が二つに分かれる先天的な疾患で、しかも母親が従軍した場合にのみ認められています。10ヶ月間身篭ったり授乳をする母体のほうが、子供への影響が大きいと言うことのようですが、280万の男性兵士に対して、6千人の女性兵士についてだけ認めているわけです。男性兵士に広げると、膨大過ぎて収拾が付かない、保障が出来ないのでしょう。ここに登場する被害者は、皆父親が従軍したケースですが。

―酷いですね。
坂田:1965年に動物実験で奇形を生じるとわかったんですが、それを政府は70年になるまで隠してもいます。言い訳は動物で障害が認められただけで、人間で認められたわけではないと言うものでした。何かと言うと動物実験をするくせに、都合の悪い時は、動物と人間は違うと言うわけです。
―本当に酷い。
坂田:ええ。
―久しぶりに訪ねたベトナムの被害者たちはどうでしたか?以前と変わらず、家族が介護をしていましたが。
坂田:家族制度なので、皆さん家族が支えています。それはそうなんですが、子供たちはどんどん大きくなるけれど、親はどんどん老いていく。面倒を見るのがだんだん大変になってきていました。「どんどん大きくなる」と言う親の言葉に、色々な思いを感じます。見ていても痛々しいほどで。これからどうなるんだろうと思いました。

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―ベトナムやアメリカの被害者を見ると、チェルノブイリの被害者と同じですね。障害がよく似ているのに驚きます。
坂田:そうなんですよ。どちらも遺伝子、DNAが傷を受けた結果です。そう思うと、これはフクシマの事故のあった日本の問題でもあるんです。群馬県に住んでいるんですが、ホットスポットがあっても、除洗とかあまり言わない。言うと変な人扱いをされるほどです。怖いものだから、目を閉じていたらそのうち終わるだろうと、見て見ぬふりを決め込むんですが、でも声を出さないと何も変わらない。放射能の影響は目に見えず、気が付いたときには遅いと言うのを解かってない気がします。枯葉剤と一緒です。同じ視点で言うと、今は遺伝子組み換え食品が気になります。
―そうですね。こちらはわざと遺伝子を操作したわけですが。
坂田:アメリカ社会は日本とは比較にならないほど、利益追求型です。企業は後先考えず利益の為なら何でもする。薬品会社が何故、遺伝子組み換え植物を作ったかと言うと、農薬を撒いても雑草だけが枯れて、植えた物は枯れないようにしたかったわけです。でもそんな遺伝子操作をしたものが、直接だけでなく、食物連鎖で人間の口に入ると思うと、恐ろしい。これこそがレイチェル・カーソンの「沈黙の春」ですから。日本にも以前に有吉さんの「複合汚染」と言う本がありましたが、今こそもっと読まれるべきです。

―ベトナム戦争はずいぶん前の話ですが、放射能も含めた環境問題となると現在進行形ですね。
坂田:そうなんです。遺伝子組み換え食品だけでなく、中東やアフガンで枯葉剤でなくても化学兵器が使われてますし、汚染は止まっていません。目に見えない汚染、恐怖をもっと皆が知るべきですよね。
―いたずらに恐怖心をあおってはいけないけれど、フクシマの皆さんにも見て欲しいですね。
坂田:ええ。ぜひ実態を知って欲しいと思います。ヘザーさんはフクシマに行っています。自分のサイトにたくさんアクセスがあって、どこだろうと思って調べたらフクシマだったと。自分が行かなくてはと思ったそうです。
―ヘザーさんもそのように更なる被害が広がるのを食い止めようと、活動をされていますが、監督も奨学金制度を始められたんですね。
坂田:ええ。出来ることからそれぞれが始めることが大事だと、ささやかですが2010年から「希望の種 奨学金制度」を始めました。まだ20人とほんの少しですが、少しでも助けに成れればと思っています。
―監督のお母様も、30年も前から脱原発を訴えて、情報を発信し続けていたんですね。今の監督の活動も遺伝子のなせる業というか。
坂田:母は原発の危険性を訴え、手作りの新聞の発行とか、色々な事をしていました。年を取ると、誰しも親に似てくるのではないでしょうか。
―前作はご主人の死がきっかけでした。作品も2作目になって、ご主人の死は乗り越えられましたか。
坂田:そうですね。最初は夫の死を疑問に思って始めたことでしたが、それを作ったことで色々な出会いがあり、色々なことに気付かされ、こうして新しい作品も作りました。今回は個人的な思いから、更に社会全体へと視点を広げてもいます。そういう意味では乗り切ったのではないかと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
ヘザーさんの知性に圧倒されて、理性的な目で枯葉剤の怖さを体験できます。ベトナムの子供たちの過酷さには、思わず目を伏せたくなる。でも当人や家族は、目をそらせない。障害を引き受けて、生き続けざるをえないのです。ぜひ、散布した張本人たちに見て欲しいと思いました。
 又、これほどの困難の中でもへこたれず、人間的な魅力に溢れ、前向きなヘザーさんを見ると、人間の力の凄さにも驚かされる。まるでサイボーグのように、スチールだけの足を晒して歩くヘザーさん、でも映画が終わって思い浮かべるのは、そんな足の事ではなく、魅力溢れる彼女の表情でした。
 又、前作と続けてみると、社会に目を向けることで、一人の女性がこの間に如何に成長して行ったか、監督自身の変化を気付かせてくれる作品でもあります。


 この作品は、11月26日(土)より、第七藝術劇場(06-6302-2073)で上映
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映写室「沈黙の春を生きて」坂田雅子監督インタビュー(前編)

映写室「沈黙の春を生きて」坂田雅子監督インタビュー(前編)   
―ベトナム帰還兵とベトナムの人々に共通する障害―
 「花はどこへ行った」で、ベトナム戦争時に米軍が撒いた枯葉剤の後遺症に苦しむ人々を取材した坂田雅子監督が、今度はベトナム帰還兵の2世に広がる枯葉剤の後遺症を取材しました。前作の家族のその後も映ります。この作品に込めた思いを伺いました。

<その前に、「沈黙の春を生きて」とは>
 50年前に、レイチェル・カーソンは、“「化学物質は放射能と同じように不吉な物質で、世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます。今のうちに化学薬品を規制しなければ、大きな災害を引き起こすことになります。”(「沈黙の春」より)と警告しました。DDTが規制されるきっかけとなったのですが、一方でベトナムでは、ジャングルに潜むゲリラの隠れ場所をなくするために、米軍によって大量の枯葉剤が撒かれたのです。
時を経て、直接枯葉剤を浴びたベトナムの人々は、本人だけでなく、子供や孫に多くの障害者が出ました。気が付くと、アメリカの帰還兵の間でも子供や孫に、ベトマムの子供たちと同じような障害が出ていたのです。物語の中心となるのは、そんな帰還兵の娘ヘザー。彼女は片足と指が欠損しています。ベトナムを訪ねて、自分と同じような障害で苦しむ人々と出会い、両者の連帯の大切さを実感します。


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<坂田雅子監督インタビュー>
―前作「花はどこへ行った」が、これにつながっているんですね。
坂田雅子監督(以下敬称略):ええ、思いはつながりましたね。前の作品を作ったことで自分の中では一つの区切りが出来たのですが、前作の上映会を色々なところでやり、講演会に招かれお話しする間に、色々な事を聞かれ、私も色々な事を考え、まだまだ伝えたいことがあると気が付きました。ベトナムの障害者を最初に撮影したのは2004年なので、その後どうなっているかも気になり、2008年に戻ってみるんです。その間にベトナムの事情も変わっていました。経済発展が目覚ましく、ベンツを何台も持つような富裕層が誕生していましたが、その反面、反映から取り残された人々も多い。格差が広がっていたんです。枯葉剤の問題も、被害者の会が、アメリカの化学薬品会社を相手に2度まで訴訟を起こし、最高裁まで行ったんですがそこで棄却されています。そんなこととか、何らかの形で知らせたいなと思い出しました。

―前作と比べ一段と進化されていて驚きました。視点が広がって社会性が深まったと言うか。
坂田:有り難うございます。前作は夫の死と言う自分の身近な事から出た、等身大の問題だったけれど、今回はもっと広く、社会的な視点で捉えたいと思ったんです。と言うのも、「花はどこへ行った」をもっとアメリカで見て欲しいと色々なところに交渉したんですが、テレビ局に「個人的な話過ぎる」と言われました。だったらもっと話を広げればアメリカの方にも見てもらえるのかと、気が付きました。で、色々取材をして、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」にも出会い、これのような、環境問題というもっと大きなくくりで作れないかと思ったんです。

―レイチェル・カーソンの「沈黙の春」と言うのは?
坂田:化学物質の怖さを訴えたもので、1962年にアメリカで出版されるや、たちまちベストセラーになりました。すぐに農薬の怖さが言われだして、薬品会社が告発されるのですが、それにいち早く着目したケネディ大統領は、アメリカ国内で農薬の波及を食い止めようとします。ところがその一方で、ベトナム戦争の枯葉剤を大量に発注する。どういうことだろうと思いました。例えば、アメリカで喫煙が問題になると、アメリカでは喫煙を規制しながら、中国にマール・ボロをどんどん輸出している。同じパターンなのかなあと想像しました。もしかすると、薬品会社の方が国防省か何かに売り込みに行ったのではないか、薬品の次の市場として戦争が利用されたのかもと。それを証明するような書類がないかと思ったけれど、証拠になるようなものは見つかりませんでした。

―怖い話ですね。自分の国を守りながら、産業の為にその分を他所に押し付けるというか。ぜひアメリカの方に見て欲しいものです。
坂田:ええ。この問題はアメリカで色々な人が見るのが大切だと思うんです。でもアメリカの人たちは、枯葉剤の問題をあまり知りません。ドクちゃん・ベクちゃんの分離手術をしたのが日赤の先生なので、当時大々的に報道され、日本では誰でも知っていますが、世界的に見るとそうではない。原爆の問題を一部の人しか知らないと言うのと同じです。アメリカの観客に広げるには、アメリカに問題を持っていかないといけない。それにはアメリカの人に出てもらうのが一番いいと色々模索しました。最初はアメリカの薬品会社の周りの汚染ホットスポットとベトナムのホットスポットを比べようと思ったのですが、上手くまとまらなかった。そんな時にベトナム帰還兵の第2世代の被害者に出会いました。

―物語を引っ張っていくヘザーさんは、人間的にも魅力的で惹きつけられました。あの方に出会っただけで作品の成功を確信されたのでは?
坂田:ええ。最初は、「エージェントオレンジレガシー」を創設した方と出会ったんですが、(あ、これで話をまとめることが出来る)と思いました。次の日にヘザーと会って、ますます確信し、最初思っていた方向とは違うけれど、物語の骨格が見えてきたのです。
―アメリカにもこのような被害者が一杯いるんですか?
坂田:ええ。ついこの間までは、それぞれが孤立していたので、他にはいないと思っていたんです。でもたくさんいました。
―全体をまとめるような組織がなかったと。
坂田:そうです。2005年の「エージェントオレンジレガシー」とかがきっかけになったようです。今でも公的なものはありません。統計的にまとめて、全体像を見る必要があると思うのですが。何で今頃そういう動きがあるかと言うと、最初はベトナム戦争の後遺症と言うと、PTSDや精神疾患、挙句の離婚等で苦しむ第1世代の問題がクローズアップされてきました。そんな第一世代が60代になってどんどん亡くなっていく。で、第2世代の人たちの意識が高まり、自分も戦争の犠牲者ではないかと思って検索すると、よく似たケースを見つけ、(あ、こんな人もいるんだ)と驚いたようです。情報環境が変わって、ネットで情報を集めだしたのもありますね。(聞き手:犬塚芳美)  <明日に続く>

この作品は、11月26日(土)より、第七藝術劇場(06-6302-2073)で上映
   11/26(土)~12/2(金)  12:25~,15:50~
   12/3(土)~12・9(金)   10:30~、18:40~

映写室「「ドーバーばばぁ」中島久枝監督インタビュー(後編)

映写室「「ドーバーばばぁ」中島久枝監督インタビュー(後編)  
―織姫たちの挑戦―

<昨日の続き>
―身体同様精神も逞しいですね。逞しいと言えば、リーダーの大河内さんが沖縄の方を責めるシーンがありました。見ていてこちらが泣き出しそうで。
中島:凄いですよ。私もどうしようと思いました。本人は泳がせて下さいと言って泣いていましたけどね。でも、泳がせて下さいと言うのは違うと大河内さんは言うわけです。私たちは貴女のサポーターじゃあないんだからと言う。このリレー遠泳の仕組みは、それぞれが必ず1時間を泳がないといけないんです。一人でも途中で何かあって早めに上がってきたら、そこで終わりなわけで、責任がもの凄くある。大学の箱根駅伝のような感じなんですね。泳ぎ切って次の人にバトンタッチできないと、全員の2年半近くのものが水の泡になってしまう。皆が言えない分、リーダーとして大河内さんが言ったという事なんでしょう。

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ⓒ Duck Duck Goose


―皆さん、心の中にそういう思いがあったと?
中島:今回始めて泳いだ人たちは、何とか行かせてあげたいなと言う軟らかい思いだったと思うんですが、経験のある大河内さんはドーバーの厳しさを知っていますからね。そんな生半可なものではないと言いたかったんでしょう。
―それほどの思いを持って臨んだのに、土壇場でひどい船酔いの方が出ましたね。ハラハラして見ましたが。
中島:二人以外にもほとんどの人が船酔いしていました。ドーバー海峡は本当に凄いんです。待機中の練習時も波が凄くて、沖はもっと凄いんだろうなと思っていたら、その通りだった。凪いでいると思っても、状況はどんどん変わる。それ以外に、今回危ないなと思ったのは、船の往来が多いことです。サメもいますしね。

―監督は船酔いしなかったんですか?
中島:実は私はあの船に乗っていないんです。カメラは知人と私の2台でしたが、出発シーンも撮りたいけれど、着くところも撮りたい。で、色々な状況から船中の映像は知人に任せ、私の方はイギリスを立つのを撮った後で、ユーロトンネルを通ってカレーに行き、着きそうな所を移動しながら、どう映せばいいかと昼間のうちにロケハンしていました。潮の流れや泳ぐコースによって何処に着くかわからないんです。着岸の可能性のある場所が30キロくらいあるので、ここに着いたらこう、あそこだったらこう撮ろうと、車で走り回って想定し、どちらにも行きやすいように、真ん中辺りで待機していたんです。でも昼間そう思っていても、夜は暗くて解からないんですよ。電話で何処につきそうかと船中のカメラマンに聞いても、今大事なところを撮っているからと切られる。船長はイギリス訛りがきつくて言葉が解かりにくいし、岬の名前のフランス語が又よく似ていて、こちらも何処だか解かり難い。真っ暗闇の中を、ハラハラしながら行ったり来たりして大変でした。やっと滑り込みのように撮れたんですが、少しでもずれていたら、断崖絶壁で駄目だった。潮の流れが静かでラッキーだったんです。と言っても、近くまではいけない所で、遠くから映したんですが、着いたとたんに、こちらが舞い上がりました。周りにワインを飲んでいるフランス人たちがいて、どうしたんだというから事情を話したら、一緒になって喜んでくれましたね。あれを映していたら面白かったかも。


―メイキングででも、そんなシーンを見たかった気がします。ところで、2年以上密着されたわけですが、どれくらいテープを回されたんでしょう?
中島:テープの長さはそんなに凄くないです。50~60時間でしょうか。最初に皆さんに水着姿になるのはいいですかと聞いて、しぶしぶでもそれは了解されたんです。で、彼女たちは泳いでいるところを撮ると思っていたんだけれど、それだけでは駄目で、それぞれが自分をさらけ出さないといけないんだけれど、こちらも戦略的に、すぐには言わず、顔を見慣れ仲良くなった頃に、恐る恐る「実は…」と切り出しました。なかなか納得してもらえず、一人一人を説得しました。

―編集方針は?
中島:そんなものはありません。もう気持ちでやりました。実は私も家で父を見ているもので、一部を手伝ってもらいながら、家で出来る作業は家でしました。
―良い言葉が一杯ありましたね。
中島:それに一番感動したのです。ドーバーの遠泳は、記録の達成ではなく、対岸に渡るというのが唯一の目的です。その為には、外の事は考えないで泳ぐことに専念しないといけない。後ろには泳げないので、とにかく前に進む。出発したら気候とかの自然に身を任せ、後は誘導してくれる船頭さんを信頼してついていく。出来ることはそれだけで、これって生き方だなあと思いました。対岸を死と考えたら、生まれてきた以上周りを信頼して自然に身を任せ辿り着くしかない。これって映画を作るスタイルでもあるわけです。ちょうど東北大震災の時色々な作業をやっていたんですが、自分に重なって余計にそう思ったんですね。私も介護度が高い父を見ていて、この映画を作るにあたり、一日4人位のヘルパーさんに来てもらい、ドイツに住んでいる妹に帰ってもらったりもしました。皆に助けてもらったおかげで作れたと感謝しています。色々大変なのですが、私が頑張れたのは、そんな助けだけでなく、あの人たちのおかげでもあります。ばばぁたちが泳ぎ切った時に、今度は
私だなあと思ったんです。あの人たちは達成した。今度は自分が音を上げずに編集して、公開しないといけないと思いました。


―皆からバトンを受け取ったと?
中島:ええ。上映もそうで、私は今までもドキュメンタリーは撮っていますが、会社にいますからテレビだったりDVDだったりで、劇場公開は初めてなんです。上映の仕方がわからない。でも都内で仕事をしているので、仲間がいますから、職場と皆さんの住んでいる立川近辺では上映したいなと思って、最初はこの2箇所で地域の発表会のように、皆に見に来てよと声をかけて上映したんです。ところが、どどどーっと良いリアクションが届き、劇場公開にまで漕ぎ付けました。それも最初は、お客が入らなかったら途中で止めるよと言う断りつきの、2週間の上映予定が、3週追加になり、ロングランになって。反響でどんどん広がっていったんです。見てくださった方の反応もよくてびっくりですよ。拍手されたり、泣かれたりもする。アンケートの回収率もよくて、6回続けて採ったところ、200人入る所に毎回170~180入るんですが、そのうち100枚くらい返って来るんです。元気を貰ったとか書いてくれていて、感動しました。激しいアピールはしていないんですが、今回はそんな静かな作風が良かったのかもしれません。2時間と長いので心配したんですが、「あっという間に終わった。最初はこれがドキュメンタリーかなと思って見ていたら、ぐいぐい引き込まれて、じわじわと感動し、最後はもっと見たかった」と。
―そうなんですよ。私もまったく同じ感想です。最後はあっけなく終わって、(え、何?もっと見たいのに)と心が残りました。
中島:何も付け加えるものがないので、そのままにしたんです。

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ⓒ Duck Duck Goose


―観客層は?
中島:最初は50,60~70のばばぁ世代だったんですが、その人たちが子供や孫を連れて来、30~40代になり、やがて20~30代の人と、どんどん下がっていきました。ばばぁたちの物語だけれど、こういうのを若者に見せてもいいのではと思います。
―ええ。映っている本人たちの反応は?
中島:最初は、泳いでるところが映って記念になるなら位だったのに、映画になって喜んで下さっています。で、見ながら感動して泣いていますね。家族問題も含めたこの2年半の辛かったこととか、当時の色々な事がよみがえってくるようですね。
―解かるような気がします。この後とかは?
中島:当然のように始まっています。来年は対馬からプサンに渡るようですし、大河内さんの60歳にあわせて、もう一度ドーバーにも挑むし、クック海峡も渡りたいと言っています。皆のチャレンジ精神に火がついたようですね。でも原田さんはさすがに、「サポートで付いて行くけれど、もう私は泳がない」と言っていますが。足がつってとにかく1時間が辛かったようで。チーム織姫は今もこんな風に頑張っています。これを見て皆さんも厳しい日常に負けず、頑張る力を受け取っていただきたいです。(聞き手:犬塚芳美)


<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
普通のおばさんに思える6人のひた向きさから、自然に元気を貰える作品です。こんな馬鹿なことに挑む6人プラス1人、監督が皆さんから受け取った感動が静かに伝わってきました。



この作品は、11月12日(土)より、感謝と希望が増えるムービーセレクションとしてシアターセブン(十三 06-4862-7733)で上映。
   11/12~11/25  13:00~
   11/26~12/2   11:00~

※監督挨拶等関連イベントのお問い合わせは劇場まで。

映写室「森聞き」柴田昌平監督にうかがう制作秘話(後編)

映写室「森聞き」柴田昌平監督にうかがう制作秘話(後編) 
―高校生たちが、森の名人たちに“人生”を尋ねる―

<昨日の続き>
―自分が女のせいか、ついつい女生徒に目が行きました。愚直と言えるほど真っ直ぐで真面目な田舎の高校生と、見ていて恥ずかしくなる位、一般社会に洗脳され要領が良さそうで空回りする東京の高校生が、対照的です。実際の私は宮崎の彼女ほど朴訥でもなく、勿論田舎で育ったので、東京の彼女のようにてきぱきは出来なくて、あの中間位だったと思うのですが、それでもどちらも自分に近いところもあって、気恥ずかしくなったと言うか。

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©プロダクション・エイシア

柴田:東京の彼女も、ある意味で東京の高校生としてとても一般的なのです。本やテレビの中等の知識では知っていても、実際には田舎を知らなかったりしますから。目の前に実際の風景が広がって驚いたんでしょうね。
―でも素直に驚けばいいのに、まるでレポーターのように上滑りの感想を言い、質問を重ねていく。名人に失礼で「もう止めて!」と言いそうになりましたが、後で本人も落ち込んでいるから反省してるわけで仕方がないかと。
柴田:テレビのレポートシーンなんて、ほんの短いシーンでも長時間をかけて作り、返してもらう返事まで指定して、何度も練習して、しかもそれを編集したものが流れているのに、そんな裏側の事情は映らないから、質問したら簡単に答えてもらえると思うんでしょうね。で、答えてもらえなくて、戸惑っている。映像にはありませんが、実はあの後彼女はもう一度名人のところに行くんです。今度は自分の事も話さないと向こうも話してくれないと気が付いて、そういう風にするんですが、それを入れると高校生の成長物語になるんで、あえて入れていないんです。


―宮崎の少女は逆にとても朴訥で、進学校だと言うのに、まだこんな高校生もいるのだと思うところもある。
柴田:彼女はちょっと特殊で、学校に宮崎の地域性を大事にするという校風があり、自分の地域を誇りに思っているんです。中学時代から森林文化とかを選択して学ぶシステムもあり、クニ子おばばの住む椎葉村までは行って無いけど、その役場があるところまでは、これ以前に学校の課外授業で行っている。椎葉村はまさに秘境で、宮崎空港からだと車で4時間位かかるし、熊本空港からだと3時間なんですが、空港からのアクセスの非常に悪いところなんです。でも彼女の学校は、役場までならわりに近いところにあるんです。
―おばばへのひた向きな執拗さにも、ハラハラしました。知らないことが許される高校生だから出来ることというか。
柴田:そうなんですよ。今の高校生は好きな事を仕事にしなさい。それが出来なかったら失敗ですよと刷り込まれているんです。(好きな事をしないと)とプレッシャーを感じてもいる。彼女は生き生きしている人は好きな事をしている人だと思い込んでいて、最初からそれに拘っていたんですね。クニ子おばばとのそんなすれ違いが大きなテーマに思えて、その思い込みを持ち続けてくれればいいなと思ったのですが、それがあんな形になったと言うか。
―厳しい環境でも未だに焼き畑を続けるのはどうしてだろうと、「焼き畑の何処が好きですか」と尋ねて、おばばを怒らせる。「好きでやっとるじゃあないですよ。ばあちゃんの一生の仕事だから。世渡りじゃけん」と言われて、余計に解からなくなる。ハラハラしました。
柴田:ええ。


―女生徒たちは言葉でしたが、男子二人の、言葉もなく驚いたように立ち尽くす、子供っぽい表情も印象に残りました。
柴田:男子のほうが成長が遅いですからね。そういう意味でもあの二人も一般的ですが、彼ら二人は高校を出た後社会に出るので、そういう意味では仕事選びが身近で、切実な訳ですよ。聞き書きをする名人の住む場所も考え、4人はそれぞれ重ならないように選びました。高校生の成長物語りにはしたくないと言いましたが、画面の外で実際はそれぞれに成長しています。
―多感な頃にこんな形で名人たちに出会った事は、誰にとっても大きな財産になったと思います。この作品を一番観て欲しいのは、やっぱり高校生ですか?
柴田:勿論皆さんにですが、特にと言うなら20代前半から登場する親の世代ですね。この世代は今、皆迷っているんです。迷いながらその迷いを素直にぶつける高校生たちを見て、自分のその頃を思い出し、やり直すことも出来るし、又名人の生きてきた知恵を聞いて、色々な事を考える力にして欲しいと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<インタビュー後記と作品の感想:犬塚> 
「ひめゆり」では沖縄を代表した気分で肩に力を入れて緊張したけれど、今回はずいぶん気が楽です。と最初に仰ったとおり、作品は作品を観ていただけばという思いで、少し脱線して、際立っていた映画とテレビの作り方の違いについて、伺いました。上映に併せ、監督や河合和香さんとのトークが出来るようです。監督の意図どおり、この作品は色々話したくなる作品なので、参加すると楽しいと思います。名人たちの住む山は本当に美しく、こっそり自分のリフレッシュの旅に行ってみたくなりました。


この作品は11/12から第七芸術劇場(06‐6302‐2073) にて公開。
監督を迎えての関連イベントは劇場まで

映写室「「ドーバーばばぁ」中島久枝監督インタビュー(前編)

映写室「「ドーバーばばぁ」中島久枝監督インタビュー(前編)
―織姫たちの挑戦― 

この作品は、多摩地区在住の54歳から67歳の女性6人が、親の介護や家族の世話をしながら訓練し、ドーバー海峡をリレーで横断するまでを描いたドキュメンタリーです。身近な存在でもある普通の主婦6人の超人的な精神力、目標に向かって邁進する姿が、誰もを元気付けるでしょう。そんな彼女たちから元気を貰いこの映画の完成に漕ぎ着けたという中島久枝監督にお話を伺いました。

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(10月28日 大阪にて)

<中島久枝監督インタビュー>
―監督御自身も、皆さんと一緒に泳がれてもおかしくないような、フットワークの軽いスポーツウーマンの感じですね。
中島久枝監督(以下敬称略):いえ、私は泳ぎません(笑)。だからこうして映画を撮っているわけで。
―皆さんに会われたきっかけを教えて下さい。
中島:私の住んでいる地域、立川で、たまたまリーダーの大河内さんもボランティアをしていたんです。外国人で日本に住んでいる方々をサポートする立川市多文化共生センターというところで、お昼ご飯を食べていたら、向こうから「還暦までにはドーバーを渡りたいよね」と話しているのが聞こえてきて、(エーッ、何だろう)と思って、食いついてしまいました。詳しい事が知りたく、瞬間的に「ちょっと話を聞かせてもらえませんか」と言ったのが始まりです。

―その時にはもう、監督の中に映像になる勝算がおありだったんでしょうか?
中島:ええ、そうです。ドーバーがどういう所か知っていますから、還暦という言葉と一緒になって、ここを渡るってどういうことかなと興味を持ったんです。で、話を聞いたら、今度は即座に絵に出来るんじゃあないかと思いました。今まで自分がここまで動かされたことはありません。仕事はプロダクション等から、これをやって下さいと依頼がくるんです。大河内さんの話を聞いて、もっと話が聞きたくなり、駄目もとで織姫の皆さんを紹介して下さいと言いました。ドーバーと言うのと、還暦と言う二つのキーワードに引っかかったと。
―この年代の人たちがドーバー海峡を渡るのは、リレーだとしても珍しいんでしょうか
中島:ええ、平均年齢でも最高齢だし、外国には男の方で70歳代の方がいますが、日本では当時67歳だった原田さんが最高齢です。大河内さんが10年以上前に挑戦してますが、その年代、30~40代の方は結構いるけれど、60前後のこの年齢での挑戦は少ないんです。

―水も冷たくなる9月ですよね。季節的にもぎりぎりで厳しいと思うのですが。
中島:山に登る人の多くがエベレストを目指すように、ここはスイマーなら誰もが一度はトライしたい場所なので、世界中からスイマーが来ます。6隻か7隻しか認定されていない船のパイロットをやりくりし、協会から判定する人も付かないといけない。サポートする協会がそれらを上手く配して、それぞれに2週間を割り当て、その間に泳ぎなさいと言うわけです。何時泳げるか解らないまま、一つの団体に2週間をキープするわけですよ。何年も前から申し込むんだけれど、そういうのが重なったりするんで、9月にされてしまったんです。
―自分たちが望んだわけではなく、協会の都合で9月になったと?
中島:ええ。しかも天候とかのコンディションでその間に泳げないと、そのまま帰ってくるしかないわけです。今までやってきたことはそこで終わってしまうわけで、だからこちらも賭けでした。

―皆さんが向こうでステイされたのは、そういう方たちが良く利用されるところですか?
中島:多分そうでしょうね。2週間なので高いホテルには泊まれません。ドーバー海峡のエリアにはベッド&ブレックファーストの安宿がたくさんあるので、とりあえずそういうところに泊まって、決行の日を待つわけです。ずっと一緒にいると親しくなり過ぎるので、私は毎日ロンドンから通いました。

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ⓒ Duck Duck Goose

―今回は往路だけですよね?
中島:そうです。大河内さんと原田さんは以前に往復にトライして復路で失敗しています。あの時は今より10歳以上若いからゆとりもあったけれど、それから時間も経っているので、往復は自信がなくなったんですよね。
―そうはいっても、往路だけでも、若い時に挑戦した経験がないと、なかなか難しいでしょうね。
中島:そうですね。誰か経験者がいないと、この年齢で全員が初めてでは無理でしょうね。
初めての人たちは、やっぱり行くまでに相当の葛藤があったようです。行きたいけれどどうしようかなとか、ずいぶん悩んでいました。

―ちょっと気になったのは、直前になって骨折して諦めた沖縄在住の方です。あれは本当ですか?その前の口論があったので、そういう口実で遠慮されたのではと思ったりも。
中島:8月に骨折されたのは本当です。でも、それでも私はあの方なら泳げたと思います。と言うのも、彼女は凄い人なんですよ。トライアスロンでずいぶん優勝されているし、腰の手術をして、リハビリをし、数ヵ月後に泳いだ時は、皆よりも泳げていて、私はこの人は行く人だと思っていました。でも今度の骨折で、これ以上皆に不安を与えてはいけないと思われたのかもしれません。もし彼女が泳いでいたら、原田さんより1つ年上だから、平均年齢がもっと上がっていました。

―年齢のせいか、皆さんの体の弛み具合と筋肉のつき具合が絶妙で、感動しました。若いアスリートにはない逞しさを持った体ですよね。
中島:そうなんですよ。若々しいといっても、全てが若々しいわけではなく、年相応の弛みもあるんですが、鍛えた筋肉も凄いです。
―あの体に心身供の逞しさを感じました。若い人だけだったらここまで頑張れなかったかもと
中島:そうなんですよ。私もなんでこんな馬鹿なことをやるのかという意味のことを聞いたんですが、皆さん介護をされていて、日常が大変なので、何かに集中して気持ちを違うところに持って行きたい。それをやると、戻ってきて又元気に介護が出来るみたいなお返事でした。
―介護って、どなたを?
中島:この歳ですからご両親の介護をされる方は多いです。大河内さんにしてもご主人が脳梗塞の後遺症を抱えているし、お婆ちゃまのお世話もありますからね。
―一人の方が、イギリスに行く直前に、病院にお母様をお見舞いに行くシーンがありましたね。永久の別れのシーンの様でもありました。
中島:ええ、その覚悟だったと思います。ご主人が、泳ぎに行ってる間に何かあっても、もう教えないからと言ってましたね。あれもやっと撮らせてもらえたんです。最初は母親が病院で寝ているところまで映すのはと嫌がってたんですけれど、もしかしたら母とは一生の別れかもしれないから、撮ってもらってもいいですよとなって。そのお母様は今年の夏に、彼女がやり遂げるのを待っていたように亡くなられました。介護だけでなく、年齢的にご自分たちも何らかの体の故障を抱えています。原田さんはチタンが入っていますしね。沖縄の方も準備中に手術をされたでしょう。そういう色々な状況から、最後までご主人が大反対されている方もいて、私もいつ撮りに行こうかとはらはらしていたんです。ぎりぎりになって、許さざるを得ない頃に切り出すとか、主婦としての策略も凄い。(聞き手:犬塚芳美)
                            <明日に続く> 

 この作品は、11月12日(土)より、感謝と希望が増えるムービーセレクションとしてシアターセブン(十三 06-4862-7733)で上映。
   11/12~11/25  13:00~
   11/26~12/2   11:00~
※監督挨拶等関連イベントのお問い合わせは劇場まで。

映写室「森聞き」柴田昌平監督にうかがう制作秘話(前編)

映写室「森聞き」柴田昌平監督にうかがう制作秘話(前編)
 ―高校生たちが、森の名人たちに“人生”を尋ねる― 

「ひめゆり」で、歴史の語り部として沖縄での重い戦争体験を、当事者たちから引き出した柴田昌平監督が、今度は一転、まだ人生が何かも解からない今の高校生4人が、ひめゆり世代の“森の名人”から知恵や技術、人生を聞き出そうとする姿を映像にしました。

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(10月26日 大阪にて)

この作品では聞き書きをする高校生の側の事情から始まり、それぞれが訪ねる森の名人との4つの物語が展開します。

東京の高校生:河合和香(高3)
  母親から「今は森へ行くより受験が大切。いい学校へ入って欲しい」と言われながらも「何か、今世界が変わる気がする」と期待を胸に参加する。
  訪ねるのは、富山県で合掌民家の茅葺き作業を続ける小林亀清さん(79)で、初めての一人旅で辿り着いた巨大な民家を前に、「まるで2次元を見ているようだ」と絶句。まるでテレビレポーターの様に、次々と質問する彼女に戸惑う名人たち。空回りして聞き出せない。

三重県の山深い地に暮す高校生:井村健人(高2)
  今までの16年間楽しい事は何もなかったという、漫画が大好きな少年。祖父は木こりだったが、話を聞く機会がないまま亡くなった。「仕事の光と影が知りたい」と言う。
  訪ねたのは、奈良県吉野地方で、杉の種を採取してきた杉本充(76)さん。大木に囲まれた森で、ロープを使った特殊な方法で木に登っていく杉本さんを見つめる彼は、圧倒されるばかりで言葉はない。守ってきた杉も今は花粉症の元と言われ、需要は減るばかり。木から木へ移ろうとして失敗した杉本さんは、少年の前で引退を決める。

北海道の高校生:大浦栄二(高2)
  放課後は家の農業を手伝う。無口で本人は言わないが、母親が「将来林業に就きたいようだ」と言う。
  訪ねたのは、北海道の雪山でブナやヒバを切り、春先に雪崩を利用して搬出する、木こりの長谷川力雄(84)さん。伝統的な手法を伝える数少ない人だ。方言の強い長谷川さんとの分かったようで分からない不思議な会話が続く。

宮崎の高校生:中山きくの(高1)
  宮崎では有数の進学校の寮で暮らす彼女は、中学時代に自殺についての論文を書いたほどで、まじめに人生を考えている。
  訪ねるのは、宮崎県の秘境で小学校の3年生から焼畑を続けてきた椎葉クニ子(85)ばあちゃん。連れて行かれたソバの花が満開の焼畑は、傾斜が40度以上の急斜面。立つこともおぼつか無く、圧倒されるが、こんな地でどうして続けているのかと執拗に尋ねる。生き生きしているのは好きな事をしている体と思い込んでいるのだ。温厚なおばばがいらだって…。

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©プロダクション・エイシア


<柴田昌平監督に尋ねる>
―森の名人への聞き書きというのが、元々あったんですね? 珍しい手法ですが。
柴田昌平監督(以下敬称略):ええ。近代化の開発で日本に山村が少なくなってきているのですが、消え去りそうなその文化を伝えたいという思いを持った林野庁の役人がいて、聞き書き作家の塩野米松さんのアドバイスで、2002年から「森の“聞き書き甲子園“」と言うのを始めたんです。2009年までには、名人と高校生による800組の聞き書きが行われました。最初こそ公的機関の援助がありましたが、今は企業からの協賛金によって運営されています。


―監督が作ってNHKスペシャルで放映された、「クニ子おばばと不思議の森」を見て、圧倒的な世界に感動したのでこれも楽しみに見ました。クニ子おばばも出ているし、他の高齢者も同じように名人なのですが、こちらはテイストが違いますね。少し戸惑いました。
柴田:ええ、名人も出てきますが、こちらの方は聞き書きをする高校生が主役です。
―あれほどの世界を作れながらと、凄い名人を脇役に追いやり高校生に振ったのが残念な気もしました。でも、こちらは映画ですから、監督が思うように自由に作ったらこうなったと言うことですよね?
柴田:そうです。テレビの枠があると、途中でチャンネルを回されないようにとか、解かりやすくとか色々策を弄して作ります。その中でも一番成功しているのは「クニ子おばばと不思議の森」かもしれません。テレビドキュメンタリーは、こちらの世界に引き込み、意図するところを解かってもらう必要がある。ドキュメンタリーと言いながら、事実そのままではなく、作る段階から着地点を決め、そこに向かって映像を集め進めて行くわけですが、「クニ子おばばと不思議の森」には、自分の持っている惹きつける為のありとあらゆるテクニックを使っています。いくら感動しても、見る方にしたら観たことで完結している。解かって貰うという点なら、劇映画という手法もあるんだから、わざわざドキュメンタリーが解かって貰うという事を目指さなくてもいいのではと思うんです。これは映画なので、そんな全てを捨て去れる。解ってもらえないでも、観る人それぞれが、何処か自分に引っかかるところを見つけ、色々疑問に思って、そのごつごつしたところを手がかりに後々まで考えてもらいたい。だからこそ、物語を自分にひきつけて観客が参加できるわけで、そこを狙っていると言うか。映画だからこそ可能なところを目指しました。


―で、話が完結して文句の付け所のない名人ではなく、高校生が主人公になったと?
柴田:ええ。高校生には可能性があるでしょう。そこが良いなと。前作の「ひめゆり」とか、テレビのドキュメンタリーとか色々な作品を作ってきましたが、一番好きなのがこれです。クニ子おばばにしても、NHKのドキュメンタリーでは、人と言うより生き物、森に住む動物のように撮っていますが、実際に会うと又違うんですよ。ここではそんな人間らしさを撮っていますしね。それに名人だと圧倒的で、観客と離れてしまいますが、高校生だと身近ですからね。


―ええ、そういう意味ではとても身近でした。自分たちだけでなく。自分たちが接点になることで雲の上の存在の名人までを身近にしてくれていると言うか。東京の高校生のお母様など、とても解かりやすい論理でした。カメラが回ると、もう少し構えるものですが、真っ直ぐ一見俗っぽいような自分の価値観を主張していて、ある意味で凄いです。
柴田:そうですね。ただしあの場面、最初はカメラが回っているのに気が付かなかったかもしれません。普通に話していて、カメラに気付いても急には止められず、勢いでそのまま話が続いたと言うか。実は編集後に、クレームが出るのではと気になったのがあそこです。お母さんを納得させるよう根回しをしました。でもあれは一般的な親世代の考え方ですよね。子供に良い学校に行きなさいと言っているお母さんは、実は僕自身の姿でもあります。同じようなことを家で言っていますから。
―確かに。それと自分もそうだったのでしょうが、高校生って子供っぽくて頼りないですね。
柴田:あれもそのままですよ。実際に僕の子供なんてもっと頼りないですから。四人は今の一般的な高校生だと思います。(聞き手:犬塚芳美)
                             <明日に続く>


この作品は11/12から第七芸術劇場(06‐6302‐2073) にて公開。
監督を迎えての関連イベントは劇場まで

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