太秦からの映画便り

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映写室 「“私”を生きる」土井敏邦監督インタビュー(後編)

映写室 「“私”を生きる」土井敏邦監督インタビュー(後編)  
―右傾化する教育現場で、自分を貫く―

<昨日の続き>
土井:ええ、土肥さんを入れた効果は大きかったですね。土肥さんは経歴も面白いし、行動も絵になりやすいんで、当時も色々なマスコミが取り上げていたんです。いくら描いても描き切れない、素敵な方ですよ。又、今まさに時の人でもあって、根津さんだけでなく土肥さんも、大阪公開直後の1月30日に地裁の判決があります。

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―注目ですね。石原都政になって、「君が代と日の丸」のことが強く言われだし、(何か嫌だなあ)と心配しながら、離れた所から、(でもこんな事、先生方が黙っているはずが無い)と、どこか他人事だったのに、現場の先生方の間にこんな事があったのかと、今更ながら自分の無責任さを反省しました。職員会議で、採決を取ることも禁じられるなんて、信じられない。意見を聞かないということですよね。締め付けがここまでだったとは。
土井:一部の学校で、職員会議の力が強くなり過ぎて、孤立する校長先生を守る必要があったのも事実なんですが、上からの通達だけと言うのは、民主主義に反しますよね。退職した後で抗議する校長先生は多いらしいんですが、土肥さんはリスクを抱えた現役の時に言ってこそ意味があると、言うんです。何も失うものが無いところから言っても人の心には届かない。「犠牲を払ってでも言わないといけないから言うんだ」という姿勢が大事なんだと言って、やったんですよね。

―学生時代の、全共闘に共感しながら行動はしなかった事を、未だに心の中に止めておられるんですよね。散々騒いだ挙句に、さっさと転向する人も多いのに、凄いです。商社に勤めたのにしても、貧しい人たちにも牛肉を食べさせたいと思ってと言うんだから、驚きです。
土井:当時は転向したとか、皆から非難されたらしいですが、この歳でまだ理念をなくさないのは本当に凄いですよ。皆からは、歳を取ってから全共闘運動をやっていると言われるらしいです。映像にも映っていますが、生徒さんから本当に慕われていますよ。皆の名前を憶えてね。佐藤さんにしても、しなやかで美しいからファンになる人が多いんです。

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―お父様の葬儀のシーンは、後輩の牧師さんのお別れの言葉等、佐藤さんのバックグランドが解かって、色々な事を思わされました。彼女の姿勢は、お父様から教えられたものでもあるのですね。しかもベールを被った姿が優雅で美しく、素敵です。運動ではなく、生き方として、柳のようにしなやかに自分を貫いて生きてらっしゃるんですね。私もファンになりました。
土井:ええ、美しいでしょう。お父様の仕事柄、清貧の家庭で苦労もされているんですが、苦労が顔に出ていない。
―貧しくても文化のある家庭で育たれたんですよね。でも合唱の指揮をするシーンでは、腕のふりとか意外な力強さで、音楽や生徒への情熱、この方の心の中の強さを感じました。

土井:本当はあのシーンで終わりにしたかったんですが、撮影はしたものの、映す許可が出なかったんです。「あんなところを映す許可を出したとわかったら、僕が首になる」と、校長先生が言いまして。だから、佐藤さんの指揮する姿ばかりを映しているでしょう? 向こうの生徒を感じさすように撮ってはいますが、映してはいない。

―え? そんなことまで怖がるんですか? 
土井:そうなんですよ。生徒たちを映しているその前のシーンは、佐藤さんが生徒の家に1軒ずつ電話をして、許可を貰って撮影しているんです。
―私が思っている以上に、教育現場は上から支配されているのですね。驚きました。多くの先生方が巻き込まれる中、孤立を恐れず、リスクを背負いそれに異を唱える3人の勇気は格別ですね。
土井:この映画はたまたま教育現場の話ではありますが、組織の中で生きる人々が、どう自分らしく生きるかを問いかける映画でもあります。組織の持つ論理と、個人の論理がぶつかった時、貴方はどういう生き方をするか。それをした時、貴方は納得していますかと、問いかけてもいるわけです。根津さんはともかく、佐藤さんや土肥さんは、自分で言うように、最低限の妥協もしているけれど、血をはく思いで自分を貫いて、自分に恥じることなく行動している。そんな姿が人々の心を打つのではないでしょうか。

―ええ。感銘しました。「私を生きる」と言う、ある意味で当たり前のことが、組織の中にいるとこんなにも大変なのですね。そんな3人の素敵さは、映画館で確認いただくとして、2010年に完成していたのに、公開が遅れましたね?
土井:最初は一般公開は、劇所側が怖がって無理だろうと、予定してなかったんです。DVDだけでいいと思っていたんですが、それでは支援者や運動の人の目にしか触れない。友人に「一般の方に劇場で見てもらって始めて映画は完成する。本当にこの問題を問わないといけないのは、一般の人たちへだ」と言われ、模索していたんです。東京だけでなく、橋本市長が誕生して大阪の教育現場まで大きく変わりそうなこの時期に、公開に漕ぎ着けられたのは、社会的にも意味がある。幸運でした。でもこの映画は、運動の映画ではないのです。たまたま舞台が右傾化の激しい教育現場だけれど、そこを舞台にした生き方の映画としてみていただけると嬉しいのですが。僕が問いかけたいのはそこですから。

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―充分伝わりました。そんなしなやかな姿勢といい、この作品で、土井監督自身の変化を感じて、興味を持ちます。前作の「沈黙を破る」では、僅かにですが、(僕が伝えなくては!)という監督の気負いや、押し付けられる正義感を感じたものですが、そんな匂いが画面から消えて、訴える以上に問いかける姿勢が残り、僭越ですが、監督ご自身の成熟も感じました。
土井:状況の違いが大きいかもしれません。パレスチナは常に命の危険と隣り合わせです。逮捕されたこともあるし、出国まで常に緊張しているので、そういうものが画面に現れるのでしょう。その点この作品は、国内の撮影で命の危険はありませんから。それと、「沈黙を破る」を撮り始めてかだと、10年弱の時間がある。僕も歳を重ねて、変わったかもしれません。組織に入らずずっとフリーでやってきましたが、この歳になると自分の生き方を反省もしているし、思うようにならなかったという挫折感もある。それに、経済的なことも含め、全てを自分で引き受けるフリーランスの者は、常に自分の生き方と向き合わざるをえないし、仕事には相当のモチベーションが必要です。どうしてこういう生き方をするのかと、登場する人物を鏡にして、自分の生き方を考えたりもします。この3人にはそれがある。結論ではない、そういう姿勢が映っているかもしれません。ぜひそういう視点でこれを御覧頂きたいと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
佐藤さんと土肥さんのしなやかで芯の強い生き方に、自然に涙が溢れました。組織に入れば自分を無くするのは当然と、私は一度も組織に入らなかった。だから、組織に入り、身の安全を求めながら、組織の論理を無視して、自己主張をする人を見ると、いくらそれが正しくても、(それが組織にいるということ。両方とも欲しがるなんて、虫が良過ぎる!)と、苛立ちを感じるのも本音。でもこの二人は、組織の中に身を置き、両方の論理の狭間で身を裂かれそうになりながらも、両方の論理を理解して、組織の中の人間としての行動もし、しかも自分を見失っていない。苦しみながらも、自分を生きることを止めない姿に、心から尊敬の念を覚えます。清冽なその姿に、組織の中で自分を見失わずに生きることの過酷さも感じる。組織を変えるのは、組織の中にいる人にしかできない。色々なところで、自分を見失わずに生きようと頑張る方を見て、勇気を頂きました。


 この作品は、1月28日より十三シアターセブンで上映
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映写室 「“私”を生きる」土井敏邦監督インタビュー(前編)

映写室 「“私”を生きる」土井敏邦監督インタビュー(前編)  
―右傾化する教育現場で私を貫く― 

 「沈黙を破る」等、パレスチナやアジアに関するドキュメンタリーを制作してきた土井敏邦監督が、今度は国内を舞台に、自分らしく生きる意味を問いかけます。登場する3人は、右傾化する東京の教育現場で、自分らしさを貫いて東京都教育委員会と戦ってきた団塊の世代前後の教師。「“私”を生きる」と言う意味を監督にお話を伺いました。

<その前に、「“私”を生きる」に登場する3人の教師の略歴>

・根津君子:(1950年生まれの元中学校家庭科教員) 日の丸、君が代、従軍慰安婦、ジェンダーフリー教育等で、東京都教育委員会と何度も対立し、延べ11回の懲戒処分を受ける。2006年3月の卒業式の君が代不起立に対する、(停職3ヶ月)の処分に対し、1月16日最高裁で教育委員会の処分のいき過ぎが認められた。

・佐藤美和子(1954年生まれ、音楽専科の小学校教員) 2001年3月の卒業式で、校長から指示された君が代のピアノ伴奏を、宗教上の理由等を挙げ断る。「日の丸が掲揚されても決して強制はされず自由です」と手作りのリボンをつけて、子供たちに教えたことから訓告処分を受ける。

・土肥信夫(1948年生まれ。東京大学を出て商社に勤めた後、通信教育で教員免許習得。元都立三鷹高校校長。現在、法政大学等の非常勤講師) 校長現職中に「職員会議で、教師の意向を確認する挙手・採決の禁止」と言う通知を受け、撤回を東京都教育委員会に要求。現在「学校の言論の自由」と「非常勤教員不合格」について東京都に損害賠償を求め訴訟中。1月30日地裁判決予定。


<土井敏邦監督インタビュー>
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―前作の「沈黙を破る」のように、土井監督と言うと、パレスチナをイメージするのですが、今回は又一転して国内。東京都の教育現場を舞台にしていますが、この大きな転換はどうしてですか?
土井敏邦監督(以下敬称略):よくそう言われますが、自分の中ではそんなに大きな差ではないんです。医者になりたかったのに挫折して、ジャーナリストになり生きてきた私ですが、この年になっても未だに、どう生きればいいのかと生き方を模索しています。パレスチナで厳しい状況下の人々を見ても、どうしてこんな過酷な中で優しく生きれるのかと、人々の生き方に関心が強くなってきました。人として、何を大切にすれば生きた実感があるのかと探るのが、私の一つのテーマなんです。阿部さんが総理になった頃から、この国はどんどん右傾化している。憲法が本当に変わるのではないか。議論ではなく、変わるプロセスに入ってきたのではないかと、危機感を持ったんです。日本の今の現状を伝えるにはどうしたらいいかと考え、たまたま連れ合いが教師と言うこともあって、東京都の教育現場の危機感が私にも伝わってきていたので、これを映像化しようと思いついたというわけです。

―色々な先生が戦っていると思いますが、この3人のセレクトは、どんな基準で?
土井:最初は根津さん一人で作るつもりでした。根津さんは彼女だけで1本映画も出来ているほどの、ある種シンボリックな方で、色々なメディアが取り上げている有名な方です。でも僕が興味を持ったのは活動家としての彼女じゃあない。停職処分を受け経済的にも追い詰められながら、どうしてそこまでやるのかと言う彼女の人間性への興味でした。君が代、日の丸は、一つの舞台であって、彼女はそこで生き生きと、見事な生き様を見せて生きている一人の人間なんです。それに惹かれたわけで、運動を描くつもりは無かった。同じ人間としての普遍的なものを描いてこそ、人の心を惹きつける。それが成功しているかどうかは、観客の皆さんに判断していただくしかありません。

―私は丁度登場する皆さんのような年代なので、感情移入しやすくて。佐藤さんや土肥さんの、しなやかに自分らしさを貫く姿に涙が滲みました。ただ、根津さんには最初戸惑いがあった。何度も死のうとまで思ったことや、追い詰められて、明日はもう学校へ行けないんじゃあないかとまで思う日々を語る後半では、納得したし心を捕まれましたが、前半の、根津先生の挨拶を無視して校門を潜る生徒の群れを見ると、辛くなる。誤解を恐れずに言うなら、これはこれで一種の暴力に思えて、複雑な思いを持ちました。そこのあたりはどうでしょう? 誰もが根津さんのように強いわけではない。強くなれといわれても、出来ない人もいる。土肥さんの言うように私も「悪法もまた法なり」と考えるほうだから、先生を無視する生徒の心の痛みを思うと、複雑な思いです。

土井:そうなんです。彼女は本当に強い。特別な人ですね。他の方が彼女を撮った「君が代、不起立」と言う映画が、まさにそういう作品で、運動の方には受けるけれど、一般の方は付いていけない。僕が撮影で心がけたのは、彼女にマイクを持たせないことでした。根津さんはマイクを持つと口調も変わって、完全に運動の闘士になってしまう。皆との接点がないし、今の若い人はそれだけで引いてしまう。でも普段の彼女は、そういう面だけじゃあなく、実に繊細な柔らかい人なんですよ。彼女の弱さを含めてそんな所を伝えたいと思いました。そんな人が何故ここまで戦うかと、それを問いたい。だから、なす術も無く座っているシーンをたくさん使っています。

―ええ。
土井:でも、僕がいくらそんな風に思っても、登場するのが彼女一人では、どんなにやっても運動の映画になってしまう。困っている時に、ある本を読んだら、本の半分位が佐藤さんについて書いているんです。で、この人だと思って撮影しました。これでずいぶん軟らかくなったけれど、それでもまだ根津さんと佐藤さんでは、君が代、日の丸の映画になってしまうんですよ。そんな時に土肥さんを知り、3人の映画にしたんです。これでバランスが取れました。
―確かに、土肥さんのせいで、他の二人についても君が代以上に自分を貫く生き方が浮かび上がりましたね。「私を生きる」という題名どおりの映画になりましたよ。(犬塚芳美)
      <明日に続く>

この作品は、1月28日より十三シアターセブンで上映

映写室 「私たちの時代」横山隆晴プロデューサーインタビュー(後編)

映写室 「私たちの時代」横山隆晴プロデューサーインタビュー(後編)
   ―ソフトボールを通して、頑張る事を教える監督―

<昨日の続き>
横山:そうは言っても、密着取材すればするほど、この作品はむろや監督物語ではあるんですよ。あの監督は凄くてね、練習中は厳しいけれど、離れると実に優しい。独身で子供がいないでしょう? 小さい子を見ると本当に可愛いらしく、目を細めて腰を屈め子供目線で話しかける。そんな様子からも優しさがあふれ出ています。あんな人はいません。それと、あんなに厳しくしながら、ソフトボールは人生の試練の一つとしか思ってない。ソフトボールで生きていける子なんて、まずいないと思っている。そりゃあ中にはいるかも知れないけど、それは本当に特別な子で、ほとんどは無理。それでも厳しく教えるのは、ソフトボールを通して、頑張ること、生き方を学んで欲しいんですよ。ソフトボールを教育のアイテムとして使っているだけです。だから、普段の練習が大事で、試合中は厳しいけれど、試合中心主義ではないんです。


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ⓒ2010 フジテレビ・石川テレビ

―ええ。語り部や視点をマネージャーにしていても、監督の凄さは充分に伝わってきました。と言うか、ずらした分だけそちらにも素直に視線が動くと言うか。少し前屈みに歩かれる姿などみると、この方は自分が無くなるまで、生徒たちに与え尽してきた方なんだと、失礼ながら痛々しいくらいです。
横山:ええ、ええ。仰りたい事は解かります。本当に全てを子供たちに注いできた家です。何しろあの家にはプライバシーもありませんからね。

―どうして其処までされるのでしょう? ソフトボールへの情熱ですか?
横山:いや。勿論ソフトは好きでしょうが、信念と言うか、次の世代への伝えたい思いでしょうねえ。
―この作品には、色々な次の世代への伝えたい思いが詰まっていますね。むろや監督が皆に教えた、あの時の頑張りを思い出して、人生の荒波を乗り切るときの力にすることも大きいですし、横山さんの斬新な構成や、番組作りの姿勢も、若い石川テレビのスタッフに伝わったのではないでしょうか?
横山:最初から最後までずっと一緒でしたからね。系列局とキー局がここまで一体化し、本当の意味で一緒に組んでやるというのは珍しいんです。業界的にも非常に意味のあることだったと思います。若い今村さんはクリエーターとしてこれからの人です。スタートの作品が、劇場公開までこぎつけ、こんなに大きくなって、製作者として幸運だったと思う。完成までには色々苦労しましたが、ガッツがありますので、ガッツがありますので、それを糧にこれからも伸びていくと思います。

―テレビ局の方が作った作品なのに、この作品はどこかでテレビの枠からはみ出していますね。
横山:そうなんですよ。テレビも映画も同じように映像を写すのに、何処が違うかといったら、観客の受け取る深さが違う。暗がりで集中してみる映画と、自宅と言う日常空間で見るテレビの当然の差です。この作品は東京先行で公開され、僕も劇場で見たんですが、いやあ、これが良いんですよ。テレビよりも映画用の作品だなあと自分でも思いました。僕は人が喋っているシーンよりも、黙っている時の表情から多くを語らせる方法を多用する作風で、これもそんな場面が多いんです。監督とか、小西さんの横顔とかね。それらが大きく写ると又良いんですよ。テレビだといくら大きいといってもせいぜいが40インチだけれど、暗がりの大きいスクリーンに、そういう表情が写ると、実に雄弁に心の内を語ってくれる。これは劇場の大きなスクリーンで見る作品だ、ぜひそうするべきだと、これは宣伝でもなんでもなく、自分が作者と言うのを超えたところで気がつきました。

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ⓒ2010 フジテレビ・石川テレビ

―ええ、仰る意味は解かります。そうかといって、テレビで鍛えた方が作られているから、テレビ出身の監督が持つ良さの、物事を観客に解かる様に作るという、根本の姿勢も保たれている。でも一方で、説明し過ぎず観客に委ねるところもあって、映画的と言うかテレビの枠もはみ出している。僭越ですが、そこら辺りのさじ加減にも感服しました。そんな技術を持った方が、テレビと言う確実な放映の枠を持っているメディアで活躍するというのは、ある意味凄い強みですよね。
横山:ええ、テレビの良さは、一度に大勢の人に見てもらえることで、これは映画とは大きく違う利点です。でもテレビをやっていると、過酷な視聴率競争に晒され、1分たりともあきさせられないと思い込んでいる。そんな事をしたら、すぐにチャンネルを変えられますからね。あらゆるテクニックを使って、解かりやすくドラマティックに作るわけです。でもそれを遣り過ぎると、解かりやすくても薄っぺらになる。ところが逆に、自主制作の映画ドキュメンタリーから入った人だと、僕らから見たら2秒で良いだろうという何の変化も無い映像を、延々と10秒以上流したりもする。本人はこれが作品だと言うかも知れないけれど、観客には解かり難いし、実際のところ自己満足ですよ。こんな時代ですから、ドキュメンタリーをテレビで放送するのはますます難しくなってくる。テレビ屋と映画的ドキュメンタリーの中間辺り、両方のいいところを融合させて作るのが、これからの活路じゃあないかと思いますね。宣伝ではないのですが、これはそんな風になっていると思うので、ぜひ劇場で見ていただきたいと思います。(聞き手:犬塚芳美)

この作品は感謝と希望が増えるムービーセレクションPART4として、
         十三、シアターセブン(06-4862-7733)で上映中
1月7日(土)~13日 11:00~、15:10~、19:20~
1月14日(金)~27日(金)11:00~、15:10~


<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 確かにむろや監督の言うとおり、あんなにも頑張った時代の記憶があれば、これからどんな事があっても、思い出して何とか乗り切れる。小西さんが電車の中でどこか遠くを見ながら、そんな心の声を呟いた様に、私も元気と勇気をもらえた気がします。そんな真っ当な作品の感想だけでなく、僭越ながら、時代感覚と確かな技術のあるプロの作った作品だと、感動しながら見ました。インタビューでは、そんな切り口で仕上げられた横山隆晴プロデューサー個人への興味にシフトして質問しています。今回も、インタビュアー冥利に尽きる出会いでした。伺った点に留意して、私ももう一度見てみるつもりです。

映写室 「私たちの時代」横山隆晴プロデューサーインタビュー(前編)

映写室 「私たちの時代」横山隆晴プロデューサーインタビュー(前編)   
―ソフトボールを通して、頑張る事を教える監督―

 3.11以降日本は混迷の中です。未来が見えず、大人も若者も、これからどこへ向かえばいいのかと、戸惑っている。そんな中で、戸惑いながらも前に向かって歩き続けることの大切さに気付かせてくれる作品が届きました。民放テレビ発の心に染みるドキュメンタリーです。フジテレビで多くのドキュメンタリーやドラマをプロデュース、あるいは演出してきた、この作品のプロデューサー、横山隆晴さんにお話を伺います。

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<その前に「私たちの時代」とはこんな作品> 
日本海に面した石川県、奥能登の半島の先端の小さな町、門前町にある県立高校の女子ソフトボール部が舞台。監督の自宅に下宿して皆で県大会を目指していたが、2007年3月25日、「能登半島地震」がこの町を直撃する。壊れた家を目にして悲嘆にくれる大人たちを尻目に、高校生の明るい掛け声がこだまし始めた。


<横山隆晴プロデューサーインタビュー>
―大人目線の正統的で重厚になりがちなテーマを、若者にまで広げ、上手く今の時代につなげた作品ですね。どんな方が作られたのだろうと、今日は楽しみにして来ました。経歴を拝見しても、ドキュメンタリーもドラマも、良心的ながら上手く時代を切り取ったものを作られていて、さすがに視聴率競争トップに立つフジテレビのプロデューサー。お目にかかれて嬉しいです。
横山隆晴プロデューサー(以下省略):ハハハハ、こんな男です。

―この作品の撮影は少し前ですね?
横山:ええ。2006年からです。最初は、系列局である石川テレビの、今村さんと言う入社3年目の若いディレクターが、地元にこういう話があるんだけれど、長期取材したらテレビ番組になりますかと聞いてきたんです。僕は色々作品を作っているんで、まあ眼力を信用して、意見を求められたわけですね。丁度かかっていた仕事を片付け、向こうに行って1日、2日練習風景を見て、「なりますよ」と答えました。

―その時から、こんな纏め方というか、切り口を考えてらっしゃったんですか?
横山:いや、こんな時代にテレビが放映するに当って大事なのは、切り口とか何とかじゃあなくて精神なんで、練習風景を見て、このまま何も事件が起こらなくても番組になると思いました。でもドキュメンタリーを作るのは大変なんです。入社3年目の彼は勿論今まで作った事がない。生半可じゃあできないよと散々言ったんですが、今村さんがぜひやりたいと言って、食いついてきた。で、僕が向こうに行って、彼らと一緒に撮り始めました。そんな最初から最後の編集までずっと一緒です。大変なことが一杯一杯あったけれど、石川テレビのスタッフは粘り強くて、本当に頑張りました。何があってもめげずに、最後までやり遂げましたからね。

―会社が東京なのに、向こうに行きっぱなしだったと? そういうことが出来るんですか?
横山:ええ、僕は今までそんな形で色々な作品を作って来ました。確かに1本の作品の為に、2,3年外に出る、こんなスタイルを許してもらえるのは、恵まれていると思います。まあフジテレビだから許されることかもしれませんね。
―余力のある会社だからこそですね。そうして撮影して編集し、一度テレビで放映されたんですね?
横山:ええ。丁度一年前の2010年12月30日の正午から2時間半、年末スペシャルとして全国放送で放映されました。2時間半と言う中途半端な時間なんで、ゴールデンとかは取れないんです。

―それが評判になって、3.11の大震災もあり、今回の劇場公開にあたり、編集し直したと?
横山:いえ、どこも直していません。テレビで放映したままです。
―え? 東京のシーンとかもですか? 素材は同じでも、震災の後で編集し直した物だと思ったんですが…。時代の雰囲気とか、震災とリンクしてますよね?
横山:直して無くて全く一緒です。でも確かに、この作品は3.11を思わせますよね。偶然なんですが。ただし、今回の劇場公開は3.11がきっかけになっています。テレビ放映の後で劇場公開されるのは異例の事態です。今回そうなったのは、大震災の後、この作品をもう一度みたい、もう一度世の中に出したいと言う声が多くなってきたからで、視聴者の方から、もう一度見たいと言う声が起こってのことでした。震災の後は、皆苦しんでいます。大人だけでなく、若い人たちも皆未来が見えなくてもがいている。この作品は、そういう気持ちにフィットするところがあるんじゃあないでしょうか。

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ⓒ2010 フジテレビ・石川テレビ

―語り部になっているのが、東京で大学に通っている、高校時代にソフト部のマネージャーだった方ですよね。彼女のナレーションとか、そこのあたりで、てっきり3.11の後の編集だと思ったんです。僭越ですけれど、このあたりが、今の時代へのつなぎ方が上手いなあと感動した箇所でもあります。言葉とか、震災の後で考えられたことではないんですか? まだ信じられません。まるで横山さんが震災を呼んだようです。
横山:ええ。勿論今回の大震災は違いますが、僕が現場に入ると、必ず事件が起こるんですよ。小西さんと言うんですが、彼女を語り部にというのは、撮り始めた時から決めていました。尤も本人には言っていませんから、断られたら終わりですが、彼女目線で撮っていこうと。だからナレーションも彼女の思いに沿って、彼女だったらこう思うだろうと想像して書いていったんです。
―ナレーションも横山さんがお書きになったのですか?
横山:ええ、そうです。

―見事に女性、それも若い女性の気持ちなので、横山さんがお書きになったとは驚きです。それを読むナレーションが又良いですよね。呟く感じとか、まるで彼女が思いをそのまま口にしたようで、自然で説得力があって心に染みました。声の調子が映像にぴったりで、何気なくて上手いから、劇団の方かと思ったんですが。
横山:演技経験等のまったく無い、普通の大学生ですよ。でも彼女の思いに近かったんでしょうね。自然に言ってくれています。東京には出てきたものの、彼女自身が色々苦しんでいますからね。普通っぽさを狙ったんだけど、それが当りました。

―若い人たちも悩んでいるんですか?
横山:ええ、悩んでますね。僕らの時代と違って、大学を出ても就職できるかどうかわからないし、世の中も混沌として行方がわからない。何を目指せばいいのか、どう努力すればいいのか、悩みますよ。過酷な時代です。

―私たちも悩んではいたんですが、そう言われてみると確かに、悩み方が違いますね。そんなところとかの切り口が、さすがに時代を読み間違わないフジテレビのプロデューサーだなあと。彼女を語り部にしたことで、物語が一気に今の時代にフィットし、観客が広がったと言うか。例えばこれがNHKとかだったら、監督を主人公にするんじゃあないでしょうか。
横山:監督を主人公にするのは、100人いたら100人がそうするでしょう。あの監督は実際に素晴らしい方で、いくらでもそんなまとめ方は出来るんだけど、それでは監督の素晴らしさに感動するだけになってしまう。あそこまで出来る人なんていませんからね。褒め称えるしかないでしょう。でも読後感としてもっと広がりがあったほうがいい。100人100通りの受け取り方をして欲しいなと思うわけです。どこにでもいる大学生、等身大の彼女を語り部にしたことが、皆の共感を誘ったんではないでしょうか。
―ええ、確かに。(聞き手:犬塚芳美)    <明日に続く>

この作品は感謝と希望が増えるムービーセレクションPART4として、        
 十三、シアターセブン(06-4862-7733)で上映中
1月7日(土)~13日 11:00~、15:10~、19:20~
1月14日(金)~27日(金)11:00~、15:10~

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