太秦からの映画便り

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映写室「不惑のアダージョ」井上都紀監督インタビュー(後編)

映写室「不惑のアダージョ」井上都紀監督インタビュー(後編) 
―パンドラの箱を開けて―

<昨日の続き>
―シスターにしても、ダンサー等男性との出会いで色々変わっていきますね。メイクもチークが入りだしたり、髪の毛の出具合も多くなっていく。
井上:メイクは綿密に変化をつけています。メイクさんに色々細かく注文を出しました。髪の出具合も徐々に多くしたりと。そういう意味ではとても繊細な作品です。私は余計な描写が嫌いなので、些細なことに意味を持たせる。描き方や説明加減は、観客の方をどこまで信じられるかです。私的にはこれでも充分説明的で、本当はもっとそぎ落としたいんですが。この作品だと、彼女が台所で一人で受け入れるというのを大事にしたい。最初と最後はオルガンを弾くんですが、最初のシーンは単なる伴奏だったのが、外の世界に触れて、淡い感情も持ち、音楽が変化する。音楽を楽しみだして、演奏が音楽になっていくんです。その大きな変化を描きたかった。

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© 2009 Autumn Adagio Film Committee

―そんな複雑な主人公を演じる柴草さんが素敵です。物静かなのに存在感がある。こんなシスターがいそうに思えました。
井上:彼女はシンガー・ソングライターなんですが、「大地を叩く女」の時に、主演の方に紹介され、音楽と共に制作として関わってもらいました。その時に独特の佇まいが気になって、今回は彼女への当て書きです。ストーリーを思い付いた時、柴草さんしかいないと思って、お願いしていいお返事を貰っていたんです。名前の知られた方だと、どうしても役以上にその人を思い描いて色が付いてしまう。コスプレになりますからね。それは避けたかった。でも存在感も必要です。このシスターのような、秘めた思いを持ちながら、自分でもそれに気付かずたんたんと生きてきた人の静謐さ、そういうものが欲しい。最初に出てきた瞬間に嘘だと、映画自体が成り立たないので、そこのあたりには神経を使いました。柴草さんは大変だったと思います。演技経験も無いのに、凄く細かいことを要求され、よく頑張って下さいました。

―眉間や口元に、一人で生きてきた人の潔さがあるますよね。すっかり魅せられました。ところで、この作品もオリジナルですね? 今後もオリジナルを?
井上:そう出来れば良いなあと思います。なかなか難しいけれど、誰も作っていないものに挑戦したいので。監督をする上で、脚本を書いていると言うのは強みです。スタッフにここはこうだとはっきり言えますから。好きな作品とか、好きな監督とかも、よく聞かれるんですが、作品の中の好きなところとそうでないところがあるし、監督にしても油の乗っているときとそうでない時とか色々ですから、どれが好きとか決めたくないんです。

―作品を撮って、監督自身は変わりましたか?
井上:何も変わっていません。映画を撮ると宣伝もあって本当に忙しい。相変わらず、自分の事は後回しで、なかなか生活を変えれなくて。焦りから作ったというのに問題ですね。微妙な問題なので、見ると誰かに話したいらしく、女性の取材だと、まず自分の事を喋り始める。それが顕著です。又、先行した東京では、女性向けの宣伝をしたのですが、蓋を開けてみると、女性と男性が半々でした。女性も男性も相手の体のことが解からない。ある種ファンタジーの領域じゃあないですか。そこへの興味もあるようです。それと男性の中にはエロスを求めてくる方もいるようで、エロかったねと言われたりしました。これはほとんど小父さんですが。

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© 2009 Autumn Adagio Film Committee

―意外です。修道女と更年期と言う二つのタブーから、そういう風に連想する方もいるんですね。
井上:シスターに設定したのは、街の中でお見掛けしたりすると、禁欲的な生活の中で、心が揺れることは無いだろうか、世間と一線を引いた人だからこそ、心のふり幅が大きいのではないだろうかと考えました。主人公は神に仕える特殊な職業ですが、自由に生きている人でも、色々な意味で枠を作り、ある種禁欲的に生きていると思う。心を揺らした後に訪れるものを見て欲しいと思います。


<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 チラシは、まるでヨーロッパ映画のようなテイスト。まるでもう一つの見所のように、憧れを込めたシスター目線で映る、西島千博さんの華麗なダンスシーンがあります。これも必見。監督の年齢だからこそ描ける、ネガティブな更年期の捉え方には異議もありますが、これもまた一つの真実。誰も時間は止めれない。神様から渡された時間の長さも同じ。それをどう使うかは千差万別。何をしても後悔が残るだろうし、自分の好きなように生きれば、後悔したとしても納得できるのではないでしょうか。
 ところで、監督の繊細さには驚嘆です。心の変化を描くだけに、説明を避け、日常の中の細かい変化描写を積み上げ、納得させる手法は、圧巻。そぎ落とす過程の過酷さを思わせました。この若さでこの緻密さ、次はどんな作品を作られるのでしょう。そんな将来も楽しみな、京都出身の女流監督最新作、ぜひ御覧下さい。


この作品は2月4日より、テアトル梅田で上映
順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開
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映写室「不惑のアダージョ」井上都紀監督インタビュー(前編)

映写室「不惑のアダージョ」井上都紀監督インタビュー(前編) 
―更年期と言う神秘!パンドラの箱を開けて―

 2009年に完成後、数々の国際映画祭で絶賛されながら、公開が伸びていた「不惑のアダージョ」がとうとう上映になります。主人公は40歳を迎えた修道女。大人の女性の本当の話を、忙しさにかまけて自分の女子性を忘れがちな自分への警告として作ったと言う井上都紀(つき)監督。政策秘話等を伺います。

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<その前に「不惑のアダージョ」とはこんな作品>
 神に身を捧げ、禁欲的に生きてきた修道女は、40歳を迎え体の変調を感じる。人より速く訪れた更年期らしい。誰にも言えず、産婦人科の門の前をうろうろするばかり。色々な俗世の会話が耳に入る。ある日信者さんから、バレエのピアノ伴奏を頼まれ、断れずに行ってみた頃から、彼女の心が変化し始めた。


<井上都紀監督インタビュー>
―とっても繊細な、細部にいたるまで色々なメッセージを含んだ作品ですね。
井上都紀監督(以下敬称略):ええ。かなり繊細に作っています。中にはスタッフも気が付かないものもありました。逆に、観客の方が深読みしてくださるところもあるんですが。
―米をとぐリズムが、監督の前作「大地を叩く女」のリズムと一緒で、生活の音ではあるけれど、監督の体の中にあるリズムなのかなあと思ったんですが?
井上:私の場合は、飛躍的なことを描くより、日常を描きたい。日常とは、同じ事を繰り返すわけで、「大地を叩く女」もこの作品も、米をとぐ、肉を叩くとか、日々繰り返す生活の音が大事だと思う。その音の変化で心の移り変わりが見やすいかなあと。

―リズムも演出していますか?
井上:ええ。感情によって米をとぐリズムを変えてもらったりしています。この2本とも主人公が音楽をしていると言うのが一緒で、意味のある音楽しか入れれないんです。日常音というのが感情を表すし、リズムになっている。
―ええ。
井上:そんな最初の軸を大事にしておきたく、音に関してはとてもこだわって作っています。編集の時にこだわったのもそれで、シーンとしたシーンは無くて、たいてい何かしら生活の音を入れている。きれいな音は入れていません。

―音だけでなく、映像も、葉っぱを映したりと意味深ですよね
井上:紅葉し、どんどん落ちていって残り少なくなった葉っぱは、この映画のテーマの象徴なので、よく映しています。この作品はシスターの心の動きの映画なので、最初から最後まで彼女しか出てきません。風とか紅葉のように、心の中を象徴するようなものを多用しました。
―カサブランカにしても、繊細な使い方ですよね。
井上:百合はマリア様、母性の象徴なので、そういう意味もあるんですが、最初のシーンでは、服を汚さないように丁寧に花粉を取っていたのが、信者さんの話を耳に挟み、思うところがあったのでしょう、最後には花粉をそのままにしている。こうなると色々意味が出てきますよね。実はスタッフも気が付いてくれなくて、「監督、伝わりませんよ」と言われました。この作品は、そういう意味でも大きく映り、画面に集中できる映画館のスクリーンで見ていただきたい。自宅で見るDVDのテレビ画面では難しいかも解かりません。

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© 2009 Autumn Adagio Film Committee

―手紙の主とシスターとの関係も、最後のシーンでそれしかないと思いながら、確信が無くて。
井上:あれも、大きい画面で見ていただくと、名前が一緒で、そちらからも解るようになっています。色々メッセージを込めているので、私の作品はテレビでは解かりにくいかも。出来るだけ説明を省きたいほうで、自分としてはこれでも説明し過ぎなんですが、見るほうは集中力がいるから大変かもしれませんね。
―それだけに作品に引き込まれ、集中して見れました。ところで、この作品はあまりにもデリケートなところを付いていて、この作品にドンぴしゃりの方が見れば、痛くて辛いだろうなと思いました。こんな作品が作れたのは監督の若さもあるような気がします。思いつかれたのは、何時ごろですか?
井上:2009年に「大地を叩く女」が、夕張映画祭でグランプリを取ったんです。その特典が、資金援助を受けて来年の映画祭までに1本撮るというもので、受賞した途端に、次を撮らないといけない。受賞の取材はあるし、次の作品の準備はあるでし、この忙しさはなんだろうというような渦の中に飲み込まれました。こんな忙しさがずっと続くのかと恐れを無し、後回しにしてきた自分の女性性が気になってきたんです。映画の道が開けた途端に、ないがしろにしている自分の生活が気になり出したと。自分が選択して自由に生きてきたのに、こんなに気になるものかと驚いたんです。これは私だけではないかもしれない。仕事をバリバリして、自分の母性と向き合わず、リミットを考えずに忙しく働く女性が抱える普遍的なものかもと、更年期と言うのをテーマに作ろうと思い立ちました。自分への警告の意味もあって。

―捉え方が繊細でリアルだからこそ、痛くて見れない人もいるだろうなと。
井上:若さと言うのは、あまり考えなくて、想像はするけれど勿論本当の実感は無く、だからこそ作れたのかもしれません。実際に自分がその年齢になったら作れたかどうか解からないし、作ったとしても、まるで違うものになったと思います。そういう意味では今の年齢だからこその作品ですね。この作品は、ある種パンドラの箱をこじ開けたようなところがあって、今まで皆が語らず、見ないようにしてきたことを描いています。デリケートな問題だけど、でも、女性である私が、優しさと厳しさを持って描きたいと思いました。更年期の捕らえ方や現れ方は千差万別のようです。その年代の人たちに見てもらったら、あっけらかんとした方も多く、母とか、覚えていない。たいしたこと無かったと言う。公開してみると、自分はネガティブに捉えているなあと思いました。私は最初と終わりと言う意味でお赤飯を使ったんですが、紅葉を使ったりして、更年期を人生の秋として描いているけれど、まだ夏で、これから良い事も一杯あると教えてもらった。ポジティブに思うか、ネガティブに思うかは、結局はその人のいき方だなあと気が付いたんです。色々な話を聞き、更年期は通過点で、この先があると思いました。(聞き手:犬塚芳美)
                               <明日に続く>

この作品は2月4日より、テアトル梅田で上映
順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開

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