太秦からの映画便り

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映写室 「傍 かたわら~3月11日からの旅~」伊勢真一監督インタビュー

映写室 「傍 かたわら~3月11日からの旅~」伊勢真一監督インタビュー 
  ―「FMあおぞら」で繋がる被災者に寄り添う

 この作品は、センセーショナルに惨状を映すよりも、そこで暮す人々の心模様、少しずつ日常を取り戻す様を、映画的に映していく。ベテラン・ドキュメンタリー作家の本領を遺憾なく感じさせられた。制作秘話等を伊勢真一監督に伺います。

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<その前に、「傍 かたわら~3月11日からの旅~」とはこんな作品>
吉田浜の美しさに惹かれ、ここに住み着いたシンガーソングライターの苫米地サトロ。10年前にこの浜が作らせてくれたのが、「満月」だ。震災で床下浸水したが、幸い家も家族も職も失わずにすんだ。妻の吉田圭等と共に、町に臨時災害放送局「FMあおぞら」を立ち上げ、情報を発信し続ける。

<伊勢真一監督インタビュー>
―題名の通りに、まるで被災者の傍に寄り添うような作品ですね。この題材でこんな視点の作品は、伊勢監督ならではのものと感動しました。この作品の始まりはどんなだったんでしょう?
伊勢真一監督(以下敬称略):あの日、僕は撮影で高知にいたんです。携帯に友人たちから安否を気遣う電話が入って、テレビをつけると、三陸沖の大変な状況が映り、驚きました。目の前の海の続きで、あんなことが起こったのかと、唖然としました。「風のかたち」の主題歌を作って謳ってくれた、シンガーソングライターの苫米地サトロ等、親しい友人が東北にいるんで、心配にもなった。東京に帰って安否確認の電話をするんだけれど、なかなか通じない。そのうち、サトロは避難所にいて無事らしいと解ったんだけど、心配で、とにかく行って見てみようという話になり、震災の4日後の15日に、仲間で山男のカメラマン宮田八郎が、一人で支援物質を持ってサトロを尋ねてくれたんです。で、手持ちのカメラ、スチールについている動画機能で彼を撮影してきてくれました。それがこの映画の始まりです。でもこの時はまだ、映画を作ろうとまでは思ってなかった。

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(C)いせフィルム

―映画と言うより、友人の安否の記録から始まったと。
伊勢:ええ、そうです。もっとも僕の作品は何時もこんな風に始まるんです。その後4月に、今度は僕も、以前から決まっていた東北の上映会の後で回る形で、支援物質を積んでサトロのところに行くんですが、被災地はまだ大混乱で、撮影していると「何をしている」と怒鳴られたりしました。5月頃になると少し落ち着いてきて、メディアの取材も収まってきた。サトロらの作った「FMあおぞら」が、月命日に亡くなった方のお名前を読み上げるというんで、それをカメラに収めたくて、支援物質を持って通いながら、今度はサトロらだけでなく、犠牲になった人たちの周辺の物語を映しにかかっていったんです。

―お墓にお参りに来る方々が映っていますね。
伊勢:ええ。東京のメディアは、凄いスピードで、心の問題を置き去りにして、話を復興にもって行きました。でも親しい人とかが亡くなると、充分に悲しむ時間が必要です。それをしないと次に進めない。復興復興と言うけれど、心はまだ其処に向かっていないんですよ。ただ、そんなシーンを撮ろうにも、誰が亡くなったのか解からない。マスメディアは死亡確認をして遺族のところに取材に行くんですが、僕はあの状態でそれは卑怯だと思った。だから、ともかくお墓に行って、ボーっと待っていました。でも、お花を持ってきたりする人がいると、事情が想像でき、お気の毒で声をかけれないんですね。じっとしてると、向こうから話しかけてくれたりして、あのシーンはそういう人たちを撮っています。

―赤ちゃんをおぶった若いお母さんとも、偶然に出会ったと? 周りの方たちが、ご主人が亡くなったと、ぼそぼそと話していましたね。
伊勢:あの方たちもそうですし、一杯お菓子をお供えして、お供えを食い散らかす鳥にも生きる権利があると話す男性とも、偶然の出会いでした。淡々と前向きな言葉も吐いていますが、あれはそういうことを言わないと、今を乗り越えられないからで、自分に言い聞かせているんですね。悲しみに浸るにも時間が必要で、当初はそんな余裕もない。サトロの「満月」の歌の中に、「君は 泣いているだろうか。僕は 泣けるようになったよ」と言う言葉がありますが、この言葉を実感として受け止めれました。「FMあおぞら」が、毎月月命日に、亡くなった方々のお名前を読み上げるんだけれど、それも何よりの鎮魂だったと思いますね。名前にはその人の物語がある。付けてくれた両親の願いも篭っていますし、その人の人生も浮かび上がりますからね。夏ごろに、一度、もう止めようかという話が出たんだけど、やっぱり続けようとなりました。


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(C)いせフィルム

―とつとつと読み上げる声が、逆に色々なことを想像させて印象的でした。映っているのは読み上げる側だけれど、それを聞いている遺族や、故人の友人等、ラジオの向こうで、お名前から生前の姿に思いを馳せる人々が浮かび上がります。
伊勢:ええ。僕らも月命日には必ず行き、カメラを回し続け、被災地の春夏秋冬を映しました。季節の回る時間が悲しみを癒す時間なんですね。
―時々挿入される、海の美しい映像も印象的でした。
伊勢:海に行くと、誰でもが波を見て、色々なことを考えます。本当に綺麗で、この海にあんな猛威があったのかと信じられない思いもする。出来るだけ綺麗に撮ってあげようと思いました。

―その海の上に浮かぶ大きな満月。サトロさんの歌が被さり、聞き惚れました。とても映画的なシーンです。
伊勢:あの歌は10年前に作ったものなのに、まるでこの作品のために作られたようですよね。物語と歌詞がぴたりと一致している。あそこに立つと、美しくてこの浜があの歌を作らせたんだなあと思いました。名曲ですね。
―カメラアングルも低いものが多く、瓦礫の中で咲く花が本当に美しい。意図的ですか?
伊勢:僕らは低予算だから、空撮も出来ないし、CGも使えない。でも無いことの強さで、人の目線で、ローアングルや引きを使っています。人間が人間を見た映像になっているのではないでしょうか。

―被災地の方にとっても貴重な映像ですよね。
伊勢:実は今日、亘理(サトロさん一家が住む、物語の主な舞台の町)に行ってきたところで、完成した作品を映っている人たちに観てもらいました。
―反応はいかがでしたか?
伊勢:皆喜んでくれましたね。映画的に良かった以上に、1年前のことですが、もう忘れられたのではと思っていたらしく、記録に残してもらえて良かったと言っていました。あれほどの災害でも、瓦礫が撤去され新しい建物が建ったりすると、以前の状況を忘れるんです。僕にしても、編集している段階で、自分の映したところを忘れているのに驚いた。そういう意味でも、忘れていくことを記録できたのではと思います。それに、マスメディアが取り上げる被災地は、被害の大きいところに集中しました。ここでも300人、隣町で700人亡くなっていているように、沿岸部の小さい町が一杯被災してるんだけど、ここは取材も始めてきたと言われたりしました。単に20000人亡くなったんじゃあない。家族や親しい人にしたら、1人1人の事が20000回起こったわけです。この作品を作りながら、しみじみと僕らとマスメディアとの役割の違いを感じました。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記>
 臨時災害放送局の最初は、阪神大震災の時、神戸で出来た「FMわいわい」だそうです。新潟の震災でも出来たそうで、被災された人々が、放送するほうも聴くほうも、ラジオを通して心を結びつけ、これを拠り所に再生へ向かって行く姿が印象的でした。美しい海とサトロさんの歌が心に染みます。


この作品は、3月31日(土)より、シアターセブン(06-4862-7733)で上映。  
      4月1日(日)12:30~の上映時に、伊勢監督の舞台挨拶があります。
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映写室 3.11を扱った作品を見比べる

映写室 震災を扱った作品を見比べる
    ―それぞれの監督の思い―

 <十三、第七芸術劇場やシアターセブン>で、3.11、被災地を扱った作品が次々と公開されている。全て報道で伝えきれないことだ。「大津波のあとに」、「槌音」は30日までだが、前回お知らせした「311」は引き続き上映中で、31日からは「立ち入り禁止区域 双葉~されど我が故郷~」、「傍(かたわら)~3月11日からの旅」の上映が始まる。
 
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 <「立ち入り禁止区域 双葉~されど我が故郷~」は>、地元出身の佐藤武光監督が、検問の制止に対し、“俺は双葉の出身で、故郷に戻るから自己責任で入る!”と答えて突破し、記録した作品だ。大地震、津波、それに伴う原発事故という深刻な事態に、「立入禁止区域」が生まれた。故郷を離れ避難所を転々としながら暮らす人々もいる。
 <多くの劇映画やテレビ作品に>監督やプロデューサーとして関わってきた佐藤監督。マスメディアの取材自粛という壁も突破し、原発に隣接する地域の有り様が、そこに関わる人々の生々しい叫びが、この思いを日本中に、いや世界中に届けようと覚悟を決めた監督の手で作られた。こんな映像が公開されるのは初めてではないだろうか。ドキュメンタリー出身の監督との手法の違いも見所なら、”故郷に何が起こっているのか“と問いかける監督、地元出身者ならではの思いの強さも汲み取りたい。

 
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<一方、「傍(かたわら)~3月11日からの旅」>はハートフルなドキュメンタリーで定評のある「いせフィルム」の作品だ。言葉のとおり、被災地の人々に寄り添うような伊勢真一監督の眼差し。「311」とは対照的な作品だ。
友人のミュージシャン苫米地サトロ一家が主人公で、震災後に立ち上げた、臨時災害ラジオ「FMあおぞら」が主な舞台となる。
 <この作品でも、いせフィルムの作風>が際立つ。多くの人々のつき命日となった11日に1年間通い続け、支えあって生きる人々の姿を映す。春が来て、夏が来て、秋が来て、冬になった。そしてまた春は来る。瓦礫が片付きはじめ、わずかでも復興の兆しも見えてきた。あれほどの災害でも、記憶はどんどん薄れて行く。それが生きるということ、「いのち」は必ず生きるほうへ向かっているという、私たちに届けられる記憶の束。伊勢監督のインタビューは明日お届けいたします。
 同じ題材を扱いながら、それぞれに際立つ作家性。それにも注目したい。(犬塚芳美)

両作品共に、シアターセブンで3月31日(土)~4月13日(金)の上映

「立ち入り禁止区域 双葉~されど我が故郷~」 3.31~4.6 10:30~、4.7~4.13 12:50~
「傍(かたわら)~3月11日からの旅」      3.31~4.6 12:50~、4.7~4.13 10:30~

映写室「311」森達也監督インタビュー

映写室「311」森達也監督インタビュー     
 ―非当事者でしかない多くの国民やマスコミ―

未曾有の災害となった3.11から1年が経つ。丁度1年目の日には、凄まじい威力をみせた津波や揺れの映像が、テレビで頻繁に流れた。映画界でも、あの日を検証するような作品が続く。震災から2週間後の映像をまとめたこの作品は、そんな中でも異色の切り口だ。被災地の現状だけでなく、取材する自分たちにもカメラを向けて、私たちに多くのことを問いかける。
 作ったのは、作家で映画監督の森達也さん、映像ジャーナリストの綿井健陽さん、映画監督の松林要樹さん、映画プロデューサーの安岡卓治さんという4人。被写体としても頻繁に登場する、森達也監督にお話を伺います。

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<森達也監督インタビュー>
―濃いメンバーですね? どういう経緯で集まられたのでしょう?
森達也監督(以下敬称略):震災の日、僕はテレビコンペの審査員をしていて、森ビルの16階にいたのです。立っていれないほどのすごい揺れでした。電車が止まったので、家に帰れないから、その後皆で居酒屋に行ったんです。まだその時は、ここまで被害が酷いと思ってなかった。皆が津波に飲み込まれた頃に、僕らは暢気にビールを飲んでいたわけですね。で、翌日から2週間、家に閉じこもって、テレビばかり見て欝になりかけた。そんな時に綿井さんから電話がかかり、現場を見よう、東北に行こうと誘われたわけです。落ち込みが酷く、この調子では元に戻れないと思い、行くことにしました。
―他の方たちは?
森:安岡さんが車を出し、松林君が運転手でと。僕らの共通項はプロデューサーの安岡さんで、彼が3人の作品をプロデュースしているんです。

―全員がカメラを?
森:ええ。長い間使わないから、僕のカメラはバッテリーが切れていて、綿井さんのカメラを借りて行きました。と言っても、最初は映画を作ろうとまでは思ってなかった。とりあえず行って、どうなっているか見ようと、映像でも解かるように、たいした準備もしないで行ったんです。それで場当たり的に被災地の様子を映したんですが、カメラが4台あるので、後のカメラには取材するこちらが映るわけです。で、そんな映像には、こちら側のどたばたが見えたと。

―でもそういう映像を使わないという選択肢もある。3.11を題材にした映画はいくつか見ましたし、これからも続くでしょうが、かなり異色の切り口です。さすがに森さんだなあと思いましたが、この作品は4人の監督の合同作品ですよね? この特殊な切り口はどうやって決まったんでしょう? それぞれの監督にそれぞれの視点があるでしょうし、異論は無かったんでしょうか?
森:監督と言う、決定権のある人間が4人と言うのは、実際のところ変ですよね。被災地に行くまでに、安岡さんと僕で、もし映画になるとしたら、どたばたしたこちら側のみっともなさを映すしかないよねえと話していたんですが、結果的にそうなりました。もっともこの視点には、最初は他の二人が反対しました。一番若い松林君は、最後まで反対して、一度帰った後で、すぐに、自分の作品を作る為に、もう一度被災地に入っています。彼が一番ヒューマニストなんですよ。カメラにしても、僕がずんずん前に行き、その後ろに綿井さんがいて、松林君は一番後ろで三脚を立てて、静かに全体を俯瞰している。結果的に彼らの映像の中に僕が映っていたと。まあ一番顔を知られていることもあって、色々な場所で撮っている映像の、全体をつなぐ役目の形で、僕の露出が多くなっていると言うわけです。

―インタビューにしても、皆が怯みそうな所も怯まず、少し不躾に突き進んで行きますね
森:自粛する雰囲気が一気に出来ましたからね。でもメディアというのは、もともと不躾なものなんですよ。人の不幸に踏みこんで行くくせに、正義漢面をするのは、どうにも気持ちが悪い。
―森さんらしいなあと思って拝見しました。普通はもう少し世間に合わせカッコつけます。被災地に出かけたのも無防備なままで、放射能に対する備えはまるでしてなかったわけですよね?
森:ええ。だから向こうで、他の人たちからそれでは危ないと言われ、急ごしらえで買っていますよね。つなぎ目をガムテープで止めたりするけれど、あんなもの何の役にも立ちません。無謀です。福島に向かう途中で、パンクするんですが、その時も、慎重な松林君が、瓦礫が多くてパンクしやすいからと、スペアのタイヤを出しやすいところにおいてたんで助かったんです。

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©森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治

―近づくにつれ、ガイガーカウンターが凄い数値になって、皆さん怖いと大騒ぎするんですが、本当に怖いですか? 私だったら見えないだけに怖さがわからない気がするんです。映像でも、怖いと言う声音は、恐怖心と言うより、高揚感と見れなくも無い。
森:本当に怖いです。その裏返しで、恐怖心を紛らわせるように大騒ぎはしていますが。最初の頃はまだ恐怖感と言うのが解かってなかったけれど、近づけば近づくほど怖くなる。見えない恐怖と言うか、綿井さんが、この恐怖感は戦場と一緒だと言っていました。
―そういうものなんですね。遺体はもう無かったけれど、さっきまであっただろうという雰囲気の、暗い安置所の映像が衝撃でした。津波のせいで泥で汚れていて、遺体の状況も想像させる。始めて見る映像です。こんなところにと思うと、想像を絶する被災地の惨状と、遺族の悲しみを実感しました。
森:もう遺体はないわけだから、テレビとかだったら流しませんよね。そういう意味では初めてかもしれません。

―これ以外にも、この作品には、他のメディアには出ない映像がたくさんありますね。
森:避難所でも、両親をなくした子供にインタビューするつもりだったのに、お父さんはと聞くと、仕事に行ってると言う。空回りです。ああ言うのも、普通は流しませんよね。マイクを向けて、不満や怒りがあったら僕らにぶつけてくれと言うシーンもあります。あのみっともなさや狡猾さだけはやめて欲しいと言うのが本音だけれど、だからこそカットしてはいけないとも思いました。この作品は全てが逆なんです。普通だったらカットするようなところをこそ見せている。

―皆の流れを疑うと言うか、良識とは別の視点から物事を見せる。いかにも森さんだなあと思いました。
森:震災以降、自粛と言うくくりで、世の中に一つの流れが出来てしまった。これは危険だと思う。流れは暴走になりますから。メディアにしても、自らが持っている後ろめたさを隠し、当事者ではないのに、当事者のつもりで事に当たってしまう。そのみっともなさをこそ見せたいと思いました。僕は正義面をしたメディアと言うのが、嘘くさくて気持ち悪いもので。

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©森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治

―善悪ではない、ぎりぎり瀬戸際の視点がお好きですよねえ。「A」の頃からの監督の一貫した姿勢です。
森:オーム事件が始まりだと思うのですが、マスコミの垂れ流す映像を刷り込まれて、当事者ではないのに、皆が当事者のつもりで、遺族の感情を共有してしまった。皆の間に、共通の被害者意識が高まりました。そうかと言って、それがしんどいものだから、皆が現実から目をそらす。結果的に、何に向かって、何をしているのか解からなくなる。被害者意識が増幅されると、人間が集団化してしまう。群れは暴走します。それが社会の右傾化に繋がると思う。大きな災害の後では、社会が不安定になって、大阪で橋下知事が誕生したように、強いリーダーを求め始めますから。

―確かに。だからこそ物事の側面、世間一般のアンタッチャブルなところに触れてくると。
森:だから叩かれる。この作品も賛否両論です。でもそれでいい。
―ええ。叩かれるのは、強くて叩きがいがあるからでは?
森:本当は強くなんて無いんですけどね。(聞き手:犬塚芳美)
 
<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
 震災から2週間後に、被災地に駆けつけたこの4人が、偽悪的に、自らの滑稽さ、非当事者としての頼りない立ち位置を示した事で、私たちの中の、小さな何かを思い知らせます。一斉に一方向に流されるのを嫌う、森達也さんの本領発揮ですが、3.11を題材にしながらも、それを貫くのが凄い!やはり打たれ強いと思うのです。


この作品は、3月24日(土)より、第七藝術劇場(06―6302―2073)で上映
4/7から神戸アートビレッジセンター、 順次京都シネマ にて公開


尚、3/24~3/30に、シアターセブンで4人の監督の関連上映あり
詳しくは劇場(06-4862-7733)まで。


*関連上映 <「311」の男たち>  
A (監督:森達也)
A2 (監督:森達也)
Little Birds (監督:綿井健陽)
 花と兵隊 (監督:松林要樹)

映写室 「焦げ女、嗤う」上映案内

映写室 「焦げ女、嗤う」上映案内
―関連イベント満載!―

 <恋愛が一番の関心事、人生の全て>のような時代がある。仕事や趣味に隠しながら、本心では相手が自分をどう思っているかという、彼の心や彼女の思いを知ること、あるいは仕事や授業の後で、会えるかどうかだけが気がかりだった頃の事だ。この物語は、そんな時代真っ只中の男女を群像劇で描いている。少し心を擽られて、あの頃を思い出してみよう。
 <一時、草食系男子なんて>言葉が流行ったけれど、この物語の若者たちは結構肉食。いや、それよりもっと、女子が肉食かもしれない。それもストレートに出せず、内面でぐちゃぐちゃ。男に振り回されていそうで、逆に自分の思いで男を振り回す。性欲で振り回す男性と、恋焦がれる自分の思いで男を振り回す女性、どっちもどっちだ。設定では登場人物たちは20代半ば。それよりは年上の監督は、年下世代の恋愛を、温かく、微笑ましくもユーモラスに描いている。

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<今の時代の特徴かと言えば>、そうでもない。ずっとずっと年上世代の筆者も、年下の友人たちと行ったジャズフェス等で、こんな恋愛体質の若者たちをあっけに取られて見ていた記憶がある。ああでもないこうでもないと、仲間内で組み合わせが変わる、普遍的な出来事だ。周りをハラハラさせて、どうしてそんな関係に巻き込まれるのかと目を見張る男女は、たいてい特別の美男美女ではない、普通の若者だ。恋愛体質と言うのがあるのだろう。あの頃の私や、監督の視点がそうであるように、当事者には痛い話も、少し距離を取るとユーモラスに写る。

<不思議な題名について伺うと>、瀬川浩志監督は、「最初は少ししか登場しなかったのに、書き進むうちに、異常なまでの行動をするショウコと言うキャラクターが、どんどん膨らんでいった。恋愛や相手に恋焦がれて、まるで自分が焦げたようになっている女性をこのように表現してみました。僕の造語です」との事。最後まで見るとなるほどと納得できる表題だ。さて、ショウコはどんな事をする? ちょっと怖いです。映画を見てのお楽しみ!
「ショウコは焦げ女とすぐに納得してもらえるだろうけれど、他の女性たちも、結構焦げ女ですよね。今の時代、男に振り回されているようで、女性が自分で思いつめて積極的になり、恋愛を引っ張っている気もする」とも。

 <この作品が劇場初公開作となる瀬川監督も>、とある時期から映画に恋焦がれて、自主制作を続けている。登場人物たちが自然な関西弁を話すから、関西での撮影かと思ったが、関東で撮影し、オーディションで関西出身にこだわり、俳優さんを集めたと言う。何か小劇場系の匂いもして、そう言うと、上映に併せたゲストイベントを紹介された。出演者によるパフォーマンスがあるのだ。監督や出演者は、映画や演劇への自分たちの焦げる思いを、どこかで嗤いながら、楽しんでいるのだろう。

脚本や編集も手がける監督は、そのままアダルトビデオが作れそうなほど(?)、セクシーなシーンの描写が上手い。舵取りが難しいけれど、自主制作の分野からメジャー路線へ転進なるか? 先物買いで、京都出身の瀬川浩司監督に注目です。(犬塚芳美)

この作品は、十三シアターセブン(06-4862-7733)で、
3/17(土)~3/23(金)の1週間限定ロードショー(連日18:15~)
<併映 「蛾意虫」>


 ゲストイベント
  3/17 瀬川浩司監督と、主演の新井美穂さん舞台挨拶
  3/18 出演者(西川真来)による、ゲストを迎えた生パフォーマンス
        スピンオフ企画「週刊小宮由紀 大阪編」
  3/19,3/20 瀬川浩司監督と黒瀬役の谷尾宏之さん舞台挨拶

映写室「ポエトリーアグネスの詩(うた)」イ・チャンドン監督合同会見:後編

映写室「ポエトリーアグネスの詩(うた)」イ・チャンドン監督合同会見:後編   
―常に弱者を見つめる韓国の名匠の新作―

<昨日の続き>
―演技をしないと言いながら、言葉ではなく、表情や仕草で思いを伝えていますが?
イ:僕は基本的に演技をしないようにという演出方法です。俳優が感情を表現するのではなく、俳優が演じる人物を引き受け、その人物の感じるだろう感情を感じるだけで充分なのです。


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―バトミントンのシーンが何度か出てきます。どんな思いを込められたのでしょう?
イ:バトミントンの運動そのものは過激ではなく、単調な動作の繰り返しです。でもそれをするミジャの感情には激しいものがある。観客にその対照的な思いを伝えたいと思いました。静かであることと静かでない内面との対比を見て欲しいのです。

―監督の前作も川のシーンで始まったと思いますが、監督が川を映す意味は?
イ:今回の作品も川から始まりました。平和に見える流れが次には一転して、少女の死体が流れてくるシーンになります。日常の隣にある死、そんなものを表現したかった。それに、川の流れは生命の源だとも感じて欲しい。流れて行って又戻ってくるイメージにしたいのです。澄んだ水の下に色々なものを隠していることにも気付いて欲しい。ミジャは最初、目に見えるもので詩を書こうと努力するわけですが、それでは無理だと悟ります。生きていくには、表面の美しいものだけ見ていても駄目と言うこと。醜いものを通り過ぎて始めて、本当に美しいものが見えてくる。ミジャは死んだ少女の苦痛を自分の苦しみとして受け入れ、結果として彼女の代わりに詩を書くことが出来たのです。

―監督は詩を作られるのですか?
イ:思春期の頃には作った記憶があります。恋愛の詩で、この頃に何篇が作っていますね。今回はシナリオを自分で作ったので、最後の詩も自分で書きました。ミジャの代わりに詩を作って、詩を書くのは大変だと気が付きました。魂が求められますから。
―杏の詩のように、卑猥な詩も入れていますが?
イ:あの刑事はミジャの苦しみを唯一人聞いてあげた人で、猥談をし俗っぽい行動をとりながら、深い優しさ、人間的な側面を持っています。ミジャの決断を実行に移してあげた人でもあって、詩と言うのは美しさを捜す事だけれど、それは猥雑さと表裏一体でもある。美しさと世俗的なものは、物事の持つ2面性だと思うのです。そういう意味で入れました。
―この作品も京都で思いついたと伺いました。今夜も京都だそうですが、監督と京都とのご縁は?
イ:数年前から京都造形大で授業をしていて、年に何度か行くのです。

―監督ご自身の略歴等を教えて下さい。
イ:1954年生まれです。テグの米軍基地の隣で、アメリカの独立記念日の日に生まれました。公表された生年月日は親が少し不正をして、早めている。小さい頃はやんちゃだったので、早く学校へ行けるように、そうしたのだそうです。独立記念日には盛大に花火が打ち上げられるんですが、小さい頃は兄が、「お前の誕生日を祝って、花火が揚がっているぞ」と言うので、素直に信じていました。
―新作の度にこれだけ注目されるのに、寡黙ですが?
イ:作ろうと思っても、映画は一人ではできない。誰かの協力があって始めて動き出します。映画を作り始めた時は、生涯で5本出来れば良いと思っていました。もうそれは出来ています。自分の監督としての寿命が後どれくらい残っているか解からないが、後5作は撮りたいと思っています。

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚芳美> 
まるでフランス映画のような、詩情に富んだ美しい作品です。詩の本質を追い求める物語も深くて美しいけれど、ミジャに扮するユン・ジョンヒさんの美しさに魅せられました。安物の服を着ても、ビニールの帽子を被っても、漂う品位と知性。彼女の中に存在する無垢な童女性と大人としての思慮深さ。ジョンヒさんの存在そのものがポエム、詩でした。こんな方を真ん中に据えただけで、この物語は半分以上成功していたのではないでしょうか。
インタビューに答えて下さるイ・チャンドン監督もまた素敵で、漂う文学性は、ご自身が小説家でもあるからのこと。そのままスクリーンの向こうの方になっても不思議はないと思ったら、俳優としても活躍されていたようです。
 物語は、描き足りなくなく、描き過ぎず、絶妙。試写室を出る誰もが、物語の余韻の中。至福の時を過ごし言葉にならない思いで胸がいっぱいでした。監督の思いは映画を見ればじわじわと伝わってきます。誰かと一緒ではなく、ぜひ一人で映画館に足を運んで、この作品の世界観に浸って欲しいと思いました。

この作品は、この作品は3月3日からテアトル梅田で上映
3月31日からシネ・リーブル神戸、5月5日から京都シネマ にて公開

映写室「ポエトリーアグネスの詩(うた)」イ・チャンドン監督合同会見:前編

映写室「ポエトリーアグネスの詩(うた)」イ・チャンドン監督合同会見:前編   
―常に弱者を見つめる韓国の名匠の新作―

 懸命に生きる登場人物たちに、光と影、善と悪、美しさと醜さ、賢さと愚かさと、表裏一体となった二面性を持たせ、その圧倒的なリアリティから世界に認められた、韓国の名匠イ・チャンドン監督の新作です。本作でカンヌ映画祭の脚本賞を獲り、その後も世界各地の映画祭で最優秀作品賞、監督賞を獲得して、名匠の名を更に高めました。心に染みる本作について、来日中のイ・チャンドン監督に伺いました。


<その前に「ポエトリーアグネスの詩(うた)」とは>
 釜山で働く娘の代わりに中学生の孫息子を育てる、初老の女性ミジャ。この頃物忘れが激しくアルツハイマーの初期症状と知る。貧しいけれど、何時もお洒落を忘れず夢見がち。皆からはお洒落はお婆さんと言われる。通り掛かりに詩の教室を見つけ通い始めた。ひょんな事から、孫が犯した性犯罪を知る。被害者は自殺していた。ミジャの苦しみが始まり、やがて一遍の詩が生まれる。


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<イ・チャンドン監督合同会見>
―過去にあった少女の事件とこの物語を思いついたことの繋がりは?
イ・チャンドン監督(以下敬称略):この映画の中で触れているのは、実際に韓国の一地方都市であった事件ですが、その事をモデルにしたわけではありません。事件そのものの内容もこの映画とは違うし、少女が自殺することもありませんから。あの事件が起こった時、大きな衝撃が私の中で湧き起りました。その思いを映画で語りたいと思ったけれど、方法を探すのが大変でした。皆に解かりよく、被害者の立場や、第三者の刑事の立場でも語れるけれど、私の感覚としてそうではなかったんです。そんな風に鬱々としている頃、京都のホテルでテレビを見ていて、美しい映像が流れ、その時本を読んでいた私に、詩と言う言葉が浮かんできました。で、60代のお祖母さんが、初めて詩を書くということを思いついたんです。残忍な事件と美しい詩を書くという、かけ離れた二つの事を、結び付けたいと思いました。

―それは何時頃の事ですか?
イ:2008年の2月頃だったと思いますが、はっきりはしていません。主人公のように私も少し呆けています。(笑)
―主人公を61歳で認知症に設定していますが、意味は? 終戦やその前の日本支配の歴史が関係あるのでしょうか?
イ:いえ、関係ありません。主人公の生まれは1944年に設定していますが、意味というより、演じた女優さんに合わせたと言う、単純なことです。
―音楽がないのが印象的です。風の音、水の音等が心に残りました。
イ:僕は元々、映画の中で音楽をたくさん使うことを好みません。音楽と言うのは、作られた感情を押し付けて来るところがあるので、それを避けたいのです。この作品は見えない美しさを見つけ出すことに意味があり、だから音楽はこの作品のコンセプトに反する。色々な音の中から、込められた思いを見つけて欲しいと思いました。

―詩とは読むもので、映像で描くこととは対極にあると思うのですが、そこのあたりはどうお考えですか?
イ:難しい質問ですね。僕は映画を通じて、詩について語ったわけですが、詩の文字の部分を写すのはそれなりに意味があるのではないかと思いました。この映画は詩の映画ですが、文学の分野も含め、見えない部分の美しさを表現したいと思いました。見えない美しさを映画で表わしたかったのです。
―事件を起こした少年について伺います。世界各地で、少年が得体の知れない動機で犯罪を起こしていますが、これを見ても訳がわからないように描かれている。そこのあたりをどう思われますか?
イ:私は、ミジャの孫やその周りの少年たちが、この映画で説明できる因果関係で事件を起こしたとは思っていない。特別な子があの事件を起こしたのではなく、どこにでもいそうな青少年の起こした普遍的な事件だと思っています。それ以外にも、この混沌とした時代に、次の世代がどこへ行くのか気にかかります。それは孫を思うミジャの思いでもある。そんな彼女の心情を映画に込めたいと思いました。

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―パンフにある「映画が死に行く時代」と言う言葉の意味は?
イ:その上に書いてある「詩が死んでいく時代」と言うのは納得して下さったのでしょうか? 映画の場合は死んでいく元凶は激しい時代の変化です。いまや映画館に行かなくても、DVDだけでなく、インターネットからダウンロードして映画を見ることもあります。又3Dが主流になってきましたが、そういうものだけを大型スクリーンで観る時代になってしまった。皆映画館に行きません。私自身は映画は単なる娯楽ではなく、映画を通して色々な思いを伝えるものだと思うので、それを「詩の死に行く時代」と言う言葉に込めました。

―ミジャを演じた、ユン・ジョンヒさんについて伺います。どんな女優さんでどんな作品に出てこられた方でしょう? 長いブランクの後で監督のオファーを受けられた理由は
イ:1960年にデビューし、1970年代に活躍した伝説の女優さんです。現役の頃は雲の上の存在でした。ピアニストの方と結婚してフランスに行かれましたが、少しは出たものの、結婚後はほとんどスクリーンに出ていない。僕にしても、特に存じ上げていたわけではなく、何処かの映画祭で2,3回会ったくらいの関係です。でも今回この物語を思いついた時、本能的にミジャとジョンヒさんが近いと感じ、自分の中では主役は彼女だと決めていました。シナリオを書く前にお会いし出演をお願いしたところ、すぐに承諾して下さったのです。でも、撮影は楽ではなかった。彼女が活躍していたのは、アフレコの時代で、俳優さんが演技をする横で監督が付きっ切りで演出をつけていた。今は音も一緒に録って行くし、演技方法も違います。大変だったけれど、この物語をよく理解して演じて下さいました<明日に続く>

 この作品は、
3月3日からテアトル梅田で上映
3月31日からシネ・リーブル神戸、5月5日から京都シネマ にて公開

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