太秦からの映画便り

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「破損した脳、感じる心―高次脳機能障害のリハビリ家族学」メディア情報

「破損した脳、感じる心―高次脳機能障害のリハビリ家族学」メディア情報 
 ―大阪日日新聞 9月24日“潮騒”より―

 9月24日、大阪日日新聞の“潮騒”で、「破損した脳、感じる心―高次脳機能障害のリハビリ家族学」が取り上げられました。以下に転記します。

試写室や映画の取材でよく一緒になることがあるデザイナーの犬塚芳美さんが、このほど「破損した脳、感じる心 高次脳機能障害のリハビリ家族学」(亜紀書房、1600円+税)を出版した。酔って後頭部を強打し生死の境をさまよった夫の介護記である。

◆京都の映画人である夫君が、2年前に九死に一生を得て、壮絶なリハビリから退院し、自宅に戻るまでを妻の立場から「祈る」思いで綴った記録。医師、看護師や親戚、友人らの支援もあるが、唯一無二の存在とはこのことだろう。

◆一般に脳疾患の病気は怖いと言われるが、いつどこで躓いて転び、そうなるか分からない。それはまさかの「坂」であったと筆者も述懐し、時計の針をそれ以前に戻したいとつぶやく言葉は痛切である。

◆しかし彼女の絶望は一時的なもので、ほとんど前向きで自己流リハビリ術を駆使して、患者の心の回復を促進していく。特に俳句作りや塗り絵、散歩で思い出の場所を巡り、落語、ライブ、映画鑑賞などと大胆。「夫の正常性を疑わなかった」
◆臨死体験を経て「拉致されていたような気がする」と患者が事故から2年たって述懐。「身体が動かず、右も左もわからなかったが、ただ自分は無邪気に治ると思っていた」と当事者がつづった文章が穂っこ利している。夫君の生命力も感動的である。

(2012年9月24日 大阪日日新聞 “潮騒”より転記)

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映写室「破損した脳、感じる心―高次脳機能障害のリハビリ家族学」

映写室「破損した脳、感じる心―高次脳機能障害のリハビリ家族学」    
―映画に助けられた日々― 

<毎週のお奨め映画と>、監督のインタビュー記事等をコンスタントに更新していたサイトを、突然休んだのは、もう2年以上も前のことだ。

<2010年5月31日>、月曜日だった。大阪で「SEX AND THE CTY」の試写を見て帰ると、もう11時近かったと記憶している。夫はまだ帰っていなかった。前夜も帰っていない。彼は太秦にある撮影所のスタッフだ。仕事も生活も不規則極まりない。作品に掛かり始めると、こんなことはよくある。とくに撮影前は、ああでもないこうでもないと、脚本から大きな夢を膨らませて、皆で話が盛り上がり、打ち合わせが深夜に及ぶ。
 <でも、まだクランクインの前>、ここで無理をしては後が持たない。いくらなんでも今夜は帰ってくるだろう。そう思って軽い夜食を用意して待っていた。
日付の変わりそうな時計を眺めて、一瞬、撮影所まで迎えに行こうかと思ったけれど、そんなことをしたら又笑われると自重し、お風呂を使って寛いだ。そして、待ちくたびれてソファーでうとうとし始めたところを、電話のベルで起こされたのだ。この夜を境に、私の運命は暗転する。夫の緊急解頭手術からリハビリと、長い闘病がスタートした。

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 <これが「破損した脳、感じる心―高次脳機能障害のリハビリ家族学」>(亜紀書房 犬塚芳美著)の序奏になる。私ののん気な状態から一転して緊急手術となるさま、救急病院への1ヶ月の入院、リハビリ専門病院に転院してからの4ヶ月間を綴ったものだ。舞台は京都で、頻繁に散歩するのは左京区の北白川や出町周辺になる。9月14日発売で、今日は色々な人が書店に行ってくれたけれど、まだ並んでいなかった。でももうすぐ並ぶはず。

 <脳外科病棟の特徴は>、重ければ重いほど、当の本人は自分の厳しさが解からず、あっけらかんとしていることだ。そんな当人に代わって、当初の心労は、ほとんどが家族、それも連れ合いの肩にのしかかる。私もそうだった。驚いて取り乱す私の右往左往とともに、介護する立場で見た、脳外科患者のその時々の不思議な症状を記している。

 <私が書きたかったのは何だろう> 色々あるけれど、動機の一つは人間関係に衝撃を受けてだった。雨降りの日に助けてくれた人の恩を忘れてはいけないというが、親身に助けてくれる人が殆どだったけれど、落ち目のものにはわれ関せずと、関わりを避ける人もいる。それが親しい人なら苦しみは格別だ。そういう人間の醜さも見せ付けられた二年間だった。
夫を抱え、明日のこともわからず、その日一日をやっと生きているというのに、無残にも、自分の肩に載せられた荷物の重さに窒息しそうだった頃。こんな仕打ちを受けたことがなかったので、人は人に対してこんなことが出来るものかと、わが目を疑った。でもそういう事態に今まで出会わなかったのが幸せなのかもしれない。大変な日々には、とりあえずはこれを書き上げるまで生きていようと、崩れそうな自分の命をつなぐ糸にしていたところもあった。

 <そういう日々を助けてくれたのが>映画だった。これは本の完成間近の頃だけれど、「毎日がアルツハイマー」の関口監督にインタビューした時、監督から「近くで見る日常は悲劇だけれど、引いてみると喜劇になる」という、チャップリンの言葉を教えてもらった。悔し涙を流したあの日々も、確かに、引いて他者の目で見れば、こっけいなほどに人間性を曝している。いつかこの体験を書きたい、映像化したいという思いが、あの時の私の引きのテクニック、手段だったのだと、今気が付く。
 <もう一つの私の引きが>、脳の中への関心だった気がする。昔、まだ感性工学という言葉も一般的でなかった頃、脳を探ろうと、母校の研究室で、脳の出先機関、目、中でも色の反応を数値化しようとしたりもした。結局中途半端に終わったけれど、脳という触れることの出来ないアンタッチャブルな世界を、介護したといいながら、それ以上に興味深く、妻ではないもう一人の私が観察していたのだ。これが、いつか専門の方の目に触れて、あの時彼の頭の中で何が起こっていたのか、脳に絡めたご意見を伺いたいという希望もある。

 <ところで、この本を一番心待ちにして下さったのは>、闘病仲間や介護するその家族だ。脳疾患の闘病の大変さが解かるだけに、応援してくださる思いも強いけれど、なかなか言えない自分たちの思いを、書いてくれているのではという、期待もあるような気がする。せめて一石に成れているといいのだけれど。

 <それにしても>、脳外科病棟はまだまだベールの中だ。忙し過ぎる救急病院の執刀医は、まずは命を救うことが主眼、後に表れるさまざまなことについて、とてもそこまで見ていられない。リハビリ病院に行くと、今度は不都合は結果であって、今さら手の施しようがないから、患者の障害を治そうという目で注意深く見ることがないような気がする。病気ですら脳に受けた傷という意味で、脳外科では受傷という。幸い親切な主治医にめぐり合えたけれど、それでもこれが現状だ。患者の不思議な症状は、詳しいところまでは知られていない。
 <脳の神秘を思わせるデリケートな症状の数々は>、張り付いたからこそ気がついたけれど、見逃すこともあるだろうし、知性や人間性にかかわるだけに、表に出ないことも多い。ここに記したことは、もしかしたら、医療関係者だって、気がついていないこともあるのではないだろうか。私と同じ、介護する立場の家族だけでなく、読む人の視点で見えるものが違うと思う。

 <入院中も執筆中も、色々な映画を見た> どの作品もしばし修羅場を忘れさせてくれたし、夫や私の引き篭もりがちな感情を、世間に対して広げてくれた。私が一番助けられたのが、取材で監督たちと話したことだ。一本の映画を作るには、並々ならぬ苦労をしている。自主制作ならなおさらで、お金をかき集め、自腹を切り、自分の思いを形にしたいという思いのために、飛び込んでいる厳しい世界。夢に向かって努力する監督たちの姿が、がんばる勇気を与えてくれた気がする。頑張る人を見ると、くじけそうな自分ももう少しだけ頑張れた。境遇は違っても、これは普遍的な姿だ。

 <古いものの好きな我が家は>、ダイヤル式の黒電話を使っている。深夜に響き渡ったあの重い電話のベル、あの夜の記憶が蘇るから、2年経っても、いまだに自宅の電話は苦手だ。そして、時々、あの時間にどうして迎えに行こうと思ったのかと、もしかしたらあれが虫の知らせというものだったのかと、考えたりもする。この本の裏側には、書かなかったまだまだ多くの物語があるのだ。(犬塚芳美)

映写室「毎日がアルツハイマー」上映案内

映写室「毎日がアルツハイマー」上映案内    
  ―認知症の母親との日常をコミカルに描く― 

(もしも自分の親がアルツハイマーになったら、どうしたらいい?)。高齢化の日本で、子供として、ある年齢になった誰もが抱える恐怖です。ところがそんな修羅場を、軽やかに笑って潜り抜ける人が現れました。

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©2012 NY GALS FILMS

 <オーストラリアに住んで29年の関口裕加監督は>、一人暮らしの母親の異変に気が付く。最初に認知症を疑ったのは数年前で、何度もお孫さんに同じ本を送ってき始めたのだとか。そのうち、宛名の英語が書けなくなる。そしてアルツハイマーに気づき、もう一人ではおいておけず、日本に帰ってくる。二人で暮らし始めて2年半。認知症の母親との日常を、明るく、そしてユーモラスに長編動画にまとめた。
もともとは短編をYou Tube にアップした物で、累計20万人が観たという超人気動画なのだ。


 <母親の認知症は>少しずつ進行する。買い物に行けなくなる。通帳がどこにいったか解からなくなる。トイレットペーパーが異様に減るのは、どうやら失禁の為の尿取りパットをこれで作っているらしい。自転車で走り回っていたのに、家から出なくなる。パジャマと服を混同する。そして、同じことを何度も繰り返す母親。3度目、4度目になると、たいていはここで、家族から(も~っ!)と泣きが入るものだけれど、この作品の場合、テロップでコミカルに「ダメだし」と入る。

 <チャップリンを愛する関口監督は>、こんな時も「クローズアップした人生は、辛いことだらけだけの悲劇だ。でも引いてみると、人生は喜劇になる」という言葉を忘れない。引く方法は人それぞれ。文字通り引いて、少し遠くから自分を客観視できれば何よりだし、監督の場合はそれだけでなく、カメラを入れて、娘だけではなく、映画制作者の視点でそんな日常を眺めてみた。すると修羅場になりかねない現実は、一瞬に、カメラを向けたくなるユーモラスな現場に豹変。

 <「なぜ母が何度もリピートするかといえば>、記憶がなくなる、言ったことを覚えていないからなんです。それと同時に、母にとって、リピートした内容がかなり重要なわけです。それは解かるんだけど、こっちにとって重要かどうかは又別問題。何度も聞かされている間に、これって、茶化しちゃっていいんじゃあないかと思いました。ただし、こういう状況って難しい。アルツハイマーはきちんと受け止めれば、底のない沼に落ちていきます。こういう作品を見ると、ふざけていると怒る人もいます。現実はもっと深刻だって。でも、悩んだからって何も解決しないんですよ。私お得意のギャグで切り返すと、母も一緒になって笑ってくれるんです。もうこれしかないですよ」

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©2012 NY GALS FILMS

 <こんな監督の母親だけに>、当の本人も只者ではない。医師に長谷川式で認知症の検査を受ければ、自分の年齢を忘れて、照れながら傍らの娘に「いくつだっけ?」と聞いてくる。「今日は何日?」と聞かれても、笑い転げて「あれ、忘れちゃった、ねえ、何日?」と、抜け目なく聞き返す。見るほうにとってはさすがに親子なのです。もともとこんな風に明るい人かと思ったら、認知症になる前の母親は完璧な優等生だったという。ところが彼女の夫はおおらかで、冗談が大好きな人だった。父親に似た娘もそう。それでも母親は、娘に普通の幸せを求め、結婚して大学の先生になって欲しいと願っていたのだ。でも肝心の娘は、フラッとオーストラリアに行ったまま、映画監督になって30年近くも帰ってこない。自分は優等生で何でも出来て真面目に生きてきたのに、奔放な夫や娘に振り回され、期待を裏切られ、思うように行かない人生だった。そう嘆いたこともあるのだろう。

 <「アルツハイマーになって>、やっと母親は色々な枷から自由になった気がする」と監督。姪の頭をたたいて、「人を叩くって楽しいね」という母親は、監督の言うようにアルツハイマーになって、自分の思うように生きればいいのだと、やっと自由を手に入れたのかもしれない。「そんなおおらかな母が大好きなんです。やっと母と解かり合えた気がする。アルツハイマーは神様が母にくれた贈り物のようにすら思える」と、自分が自由に生きてきたからこそ、おおらかに受け止める娘。

 <天性のものもあるけれど>、そういう強さは、まだ人種差別のきつかった1980年初頭にオーストラリアに行き、これでもかというほどマイノリティーの悲哀を味合わされたことも大きいという。それでも、向こうの虐めは日本のように陰惨ではない。平然と表立って差別されるから、負けずに自己主張して生きてきたのだ。そして念願の映画監督になり、1989年ニューギニア戦線を女性の視点から描いた「戦場の女たち」を作る。
 <その作品で、アン・リー監督に>「あなたはコメディのセンスがある」といわれ、その才能を如何なく発揮したのが本作。生まれ故郷の浜に帰り、監督もまた肩の力を抜いて、新しい境地に踏み出したのだと思う。母が晩年に娘に与えてくれた、最高のチャンスだったのかもしれない。おおらかな関口ワールド、「毎アル」ワールドに、ちょっと感染された。(犬塚芳美)

この作品は9月8日から第七藝術劇場(06-6302-2073)、
     10月6日から神戸アートビレッジセンター にて公開
*なお、9月8日(土)には関口監督の舞台挨拶が予定されています。詳細は劇場まで。

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