太秦からの映画便り

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映写室「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」佐々木芽生監督インタビュー

映写室「ハーブ&ドロシー ふたりからの贈りもの」:佐々木芽生監督インタビュー
  -クラウドファンディングで集めた資金― 

<ニューヨークに住む>、ハーブ&ドロシーの二人は、長年コンテンポラリー・アートを集めてきました。自宅のベッドの下に、送られてきたそれらを押し込んでは、又週末になると、ソーホーに行き、気に入った作品を買います。

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©2013 Fine Line Media,Inc. All Rights Reserved.
 
そんな作品がたまりにたまって、もう部屋にも入らない。年も取ってきました。二人は今後を案じ、すべてのコレクションを寄贈すると決めます。その数は、ナショナル・ギャラリーの手にすら余る、3000点以上でした。こうして、ナショナル・ギャラリーの主導で、全米の50の美術館にコレクションを50ずつ寄贈するというプロジェクトが始まります。

 <このドキュメンタリーを作ったのは>、前作「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」で二人を紹介した、佐々木芽生監督。この作品はその続編で、50×50と名づけられた、遠大なプロジェクトを中心にまとめられました。
 監督の映画の製作手法も画期的で、大手に頼らず、クラウドファンディングという、広く一般から資金を集めるという、日本ではまだ新しい方法をとっています。コレクションの膨大さもさることながら、心打たれるのが、二人の生き方です。佐々木監督にお話を伺います。

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《佐々木芽生監督インタビュー》
―この作品を作ろうと思われたきっかけは?
佐々木芽生監督(以下敬称略):2008年に「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」という1作目を作り終えました。この作品はその半年後から撮り始めています。1作目はまだ公開もされていない時でした。50×50のプロジェクトが始まり、最初の展示会がインディアナ・ポリスの美術館で開かれることになったんです。二人が見に行くというので、同行し軽い気持ちでカメラを回したのですが、二人のコレクションを始めて美術館で見て、自分は何も解ってなかったと、気がつきました。自宅に置かれたコレクションは見ていましたが、こんな風に、美術館で、キュレーターの手で、作品が最高に見える環境を整えられて、額縁に入れられ、しかも50点を同時に見ると、凄いなあと圧倒されました。二人のコレクションをこんな環境で、もっともっと見たいと思ったのです。

―二人のコレクションは、二人の作品だと思ったわけですね?他の人に描いてもらって、映画の中に気に入ったら自分の名前を入れるアーティストが出てきましたが、あのようなものだと?
佐々木:そうです。その通りです。二人は、特にハーブは若い頃絵を描いていました。映画の最後に出る作品がそれですが、でも自分には才能がないと、いつの間にか描くのは止めて、コレクターとなりました。二人は公務員ですが、ドロシーのお給料だけで生活し、ハーブのお給料は全て、コンテンポラリー・アートの購入に当ててきたのです。それが50年近くにも及びました。二人の行動は、無名の作家の生活や活動を支えることにもなったのではないでしょうか。誰も振り向いてくれない時に、ハーブとドロシーが認めてくれ、しかもお金を出して買ってくれたというのは、アーティストにとって限りない支えだったと思います。作品を買うだけでなく、そういうアーティストたちと、二人はずっと交流してきました。

―コンテンポラリー・アートは好きなのですが、難しくてよくわかりません。日本ではほとんど紹介されませんが、アメリカではコンテンポラリー・アートにそういう環境があるのですね?
佐々木:アメリカでも一緒です。一般的には難しいと思われています。ニューヨークは特別で、田舎に行くとコンテンポラリー・アートに触れる機会は少ないのです。だからこそ、二人のコレクションに意義があるのではないでしょうか。確かに難しいけれど、子供たちの反応を見ていただくと解るように、アートの解釈に間違いは無い。それぞれが自分の思うように、色々な視点で受け止めればいいのだと思います。

―この作品は、クラウドファンディングで制作費を集めたんでしたね? 目標額を越えて、1千万円以上集まったと伺います。
佐々木:ええ、幸いにも、前作がヒットして、ハーブとドロシーの二人と私が認知されていたのも、良かったと思います。私も資金を集めるために、色々な努力をしました。まず、前作を色々なところに無料で貸し出し、カフェでもどこでもいいので、上映してくださいと呼びかけました。上映に経費がかかるので、最低限のそれは仕方ないにしても、基本的に無料でとお願いして、そういう上映会がたくさん開かれたのです。私自身も、頻繁に日本に帰り、トークイベント等で呼びかけました。そういう理由で、支援してくださる方が多かったんです。100万円が2組集まっていますが、それは個人で出してくださったのではなく、私の出身地の札幌の同窓生が中心になって基金を立ち上げてくださり、多くの方が出資してくださった結果です。又、日本ではインターネットやクレジットカードでの支払いに抵抗があると聞いたので、郵貯口座や銀行口座と振り込み先も多くしました。最後のカウントダウンはネット上でも盛り上がって、数時間で100万以上集まりました。

―そんなに集まったのは何故でしょう? 
佐々木:1作目で二人に惹かれた方が多く、もっと見たいと思ってくださったのでしょう。二人のコレクションというより、そういう生き方をしてきた二人に興味を持ったのだと思います。
―そんな調子で進んできたのに、ハーブが亡くなった後の、ドロシーのコレクション終了宣言には驚きました。
佐々木:私も驚きました。でも、ドロシーにしたらもういいという気持ちなのでしょう。もともとコレクションは、ハーブが言い出し、ハーブに従う形でドロシーも一緒に進めました。丁度二人が結婚して50年目にハーブが亡くなったのですが、ドロシーは、自分が誰だったのか思い出せないと言っていました。二人で一人という生き方をずっとしてきたので、これから一人でどう生きていけばいいのか、彼女は自分を取り戻すのに必死でした。今は、すべてのコレクションを寄贈し、飼っていた動物もほとんど手放し、がらんとした部屋に住んでいます。映画にも映していますが、残されたのはハーブが昔描いた絵だけと言うのも、感慨深いものがありました。でも、がらんとした部屋で、ドロシーは今後の自分の道を見つけるのではないでしょうか? すべてを処分したあの潔さに、それを感じ足し、皆さんにも希望にしていただきたいです。

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©2013 Fine Line Media,Inc. All Rights Reserved.

―二人は最初から撮影に協力的でしたか?
佐々木:撮影には協力的だったのですが、自分たちが映して欲しいものだけを見せてくれる感じでした。4年間と撮影に長い時間をかけていますが、二人の素顔に触れるには時間が必要だったのです。
―この作品の邦題には、二人からの贈りものという言葉がありますが?
佐々木:私達は二人から色々なものをいただきました。まず、膨大なコレクションですね。彼らが初期に買った作品は値上がりしているので、コレクションの途中で売って、さらにスキルアップすることも可能でした。コレクションは小品が多いのですが、一般的なコレクターだと、売り買いしながら、コレクションのスキルアップをしていきます。でも彼らはそれをしなかった。もちろん自分達の為に売ることなど考えてもいません。お金に関してはとっても潔癖です。自分たちは公務員で、長年アメリカの税金で暮らしてきたから、その恩返しをしたいと考えています。とても質素に暮らしていますが、映画の上映に関するイベントでも、私に対しては「自分のお金にこれを作ったのだから、あなたは謝礼を貰いなさい」と言ってくれても、自分たちは受け取りません。私が苦しい中で映画を作っているのがわかるので、一緒に食事しても、いつも私の分も出してくれます。色々な意味で、アーティストを支援してくれているなあと思いました。

―ハーブは実はコレクションの分散に反対だったのですね? アーティストの中にも、そういう方がいると?
佐々木:彼の死後にわかったことですが、ハーブはコレクションはまとまっていてこそ意味があると思っていたようです。それになんと言っても、国立のナショナル・ギャラリーでうすから、アーティストにしたら、そこに自分の作品が所蔵されているというのはステータスになります。
―でも、ナショナル・ギャラリーに全てがあると、結局は日の目を見ることがなかったかもしれないですよね?
佐々木:遭難です。アーティストによって考え方は色々で。50×50のプロジェクトは、5年以内に展示会をするという条件が課せられています。もうすぐ期限が来るので、今年はまだのところも展示会をするかもしれませんね。この作品のポスターは、日本版とアメリカ版で違うのです。アメリカでは皆に歳をとることへの恐怖があります。だから二人が若い頃の写真になる。日本版は、二人が自分たちのコレクションの展覧会巡りをするときの映像ですが。3月末の日本公開に合わせて、ドロシーが舞台挨拶に来ます。楽しみになさって下さい。

<インタビュー後記:犬塚> 
 元NHKのキャスターという佐々木芽生監督は、エキゾチックな美人です。ハーブ&ドロシーの物語も、監督の制作手法や行動力も、とてもスケールが大きい。小さく纏まりがちな今、目からうろこが落ちる思いがしました。


3月30日からなんばパークスシネマ、
      梅田ガーデンシネマ、
   4月神戸アートビレッジセンター、
        順次京都シネマ にて公開
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映写室「千年の愉楽」佐野史郎さん・高岡蒼佑さん・井浦新さんの合同会見

映写室「千年の愉楽」佐野史郎さん・高岡蒼佑さん・井浦新さんの合同会見   
―若松孝二監督の遺作―  

 若松孝二監督の訃報が届いたのは去年の秋です。前作「11・25自決の日」のキャンペーンで、「まだまだ撮りたいものがある。賞も狙っていく」と、お茶目に話して下さったのに、3月一般公開の「千年の愉楽」が遺作になってしまいました。

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©若松プロダクション

 <物語は>、いまわの際の、一人の老婆の回想の形で始まります。まるで監督の思いであるかのように、物語は時を超え、生と性をつないで、あの世とこの世の境目をなくしていくのです。紀州の路地の片隅に住む老婆オリュウノオバ(寺島しのぶ)は、この地域のたった一人の産婆でした。彼女の頭をよぎる美しい男たち。自分の美しさや生を呪う様に、女たちと快楽を貪り、命を果てさせた男たち。そうせざるを得なかった男たちの苦しみを、オリュウノオバは、否定も肯定もせず、ただ黙って自愛の目で見続けてきたのです。

 <原作は監督の長年の友人、中上健次さん> この映画の根底に、被差別部落の問題があるとは、一見しただけでは解らないのですが、言葉を味わい、言葉を探ると、底の方から閉ざされた世界の悲しみと、悲劇が浮かび上がります。まずは人間を描いて、後で浮かび上がる社会問題。反権力で、弱い者の味方を自認する若松監督の、面目いかんとする遺作となりました。
 会見に、いつもは先頭に立って引っ張るその人はいません。不在だからこそ感じる存在の大きさ。出演者と記者たちの、監督を偲ぶ会のようにもなりました。誰もの脳裏に、あの人懐っこい顔が浮かんで消えないのです。

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©若松プロダクション

《佐野史郎さん(オリュウノオバの夫で地域の僧侶役)》
 <撮影中はこれが最後の作品になるとは>、思っても無かったのですが、振り返ってみると、今までの監督とはちょっと違っていました。撮影現場に、穏やかなゆったりとした時間が流れていたのです。そういう時間を監督と共有できて幸せでした。
 <作品はファンタジーの形をとりつつ>、この地に住む人々のありようを、深いところまで描いています。原作の中上さんの出自に重ねてやっているわけで、根底には被差別部落の問題があるわけです。監督は、このところの、日本が揺らいだ、昭和のある年代の若者の3部作で、再び脚光を浴びたけれど、監督が一番やりたかったのは、この作品だったのではと思いました。次の構想もありましたが、この作品に監督の思いがすべて入っている気がします。

 <監督はロケーションの場所を>とても大事にされます。撮影に入る前に、物語の舞台になる地方をくまなく調べ、自分の庭のように知り尽くされるのですが、今回も、三重の須賀利と言う、陸の孤島のような場所を見つけて、とても喜んでいました。須賀利の風景を前にして、「ここがいいんだよ」と嬉しそうに言った、表情が忘れられません。
 <演技で言うと>、監督は何事も押し付けず、自分で考えなさいという姿勢の方です。役者としては辛いのですが、自分を出そうとすると、そんなものはいらない。役になれといわれました。でも監督に言われると実に説得力があるのです。そして、せっかちですぐにカットを言います。今回もそうでした。でも台本を読んでいると、ある時には、まだ次のカットが必要なのがわかります。監督を無視して、カメラマンと僕の阿吽の呼吸で、そのまま続けたシーンもありました。

 <寺島しのぶさんとは>、2度目の共演ですが、若松組の寺島さんをずっと見てきていますし、それなりに知っています。彼女は若松組の顔ですから、そこにいろという監督の指示通り、僕は心地よく彼女と一緒にいました。完成したものを見ると、二人の夫婦愛、何も言わなくても思っていることが伝わるという風情が、上手く出ています。妻を連れて帰った三好に対し、寺島さんが、それを知る前と知った後で表情を変えます。女心の混じる複雑な思いを表すその表情、監督は寺島さんの演技を、「彼女じゃあないとあれは出来ないよ」と絶賛していました。毎回良い男が登場するので、寺島さんは嬉しそうでしたね。

 <監督は何かを目指しながらも挫折した男>たちを、長年描いてきました。でも、そういう愚かな男の向こうに女性賛歌があります。そういう点から、若松監督はマザコンだとも言われてきました。皆に親しみを感じさせる所以で、若松作品は女性に対する大いなる憧憬、権力への反発が特徴ですね。でも監督は、映画は運動ではないとも言ってきました。
 <部落問題もついこの間までは>、触れられない問題だった。この作品にしても、多くの人が映画化を目指しながら挫折しています。作れたのは若松監督だからです。監督は、部落問題すらも特別に扱わず、人間を描くための手段として、そこらへんに転がっている風景や事象として描きました。それも、全てそれらを命として描いた。若松監督の凄いところです。
最後のお別れは、監督と役者というより、家族として送ったように思います。

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©若松プロダクション


《高岡蒼佑さん(中本の男、三好役)》
 <初めての若松組でしたが>、聞いていたぴりぴりした雰囲気とは違い、現場には穏やかな時間が流れていました。佐野さんと寺島さんが屋台骨を作ってくださったので、自然に自分のテントを張ることが出来ました。そして、その時に演じるべき芝居を演じ切れた気がします。
 <世界各地の色々な映画祭に>監督と一緒に参加できたのが、大切な思い出です。今度はキャンペーンで、監督と一緒に全国を回りたかったのですが、残念です。

 <監督は1発撮りで>、とてもせっかちです。撮影が早く進むと、翌日の分まで進んで、準備できないスタッフを怒っていました。心準備もあり、翌日の分までというのは、僕にも戸惑いがありました。
 <撮影当時>、バッシングされていた僕を、色眼鏡をかけずに使って下さり、感謝しています。話題性というより、監督の頑張れよという思いだったのだろうと思います。僕は訳が分からず、三好を役として生きただけですが、監督の描く世界についても、これから色々ななことを考えたいと思います。

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©若松プロダクション


《井浦新さん(中本の男、彦之助役)》
 <この物語の根幹となる>、中本の役をやらせて頂きました。監督からは、東京で1日撮影があるので、スケジュールを空けておいてと言われていました。役がわかったときは、この物語の軸となる大事な役だと緊張しました。監督からは、中本の血を伝える、大事な何かを作品の中に残して欲しいといわれました。難しくて、緊張して撮影に入ったのですが、撮影は30分で終わりました。しかしとても濃厚な30分でした。ワンシーンにかけた監督の気迫を今でも忘れることが出来ません。「連合赤軍…」以来、僕はこのところずっと、若松作品に出ています。前作の「11・25自決の日」では、主役の三島役をいただきました。何者でもない只の男を、役者に育ててもらって感謝しています。

 <監督はファースト・カットを>とても大事にされるのですが、考えてみると、今までさせていただいたことがなく、今回が初めての経験でした。緊張していましたが、いきなり本番スタートで、どんな役か、どんな動きをするかの事前打ち合わせもありません。現場で、監督の役者も一緒にスタートで、ものすごい集中力を要しました。ファーストシーンをガチンコでスタートというのは、初めての経験です。

 <僕の撮影現場の小屋は>、川べりのホームレスの人が出入りするようなところですが、どういう手を使ったのか、お借りできたんです。撮影が終わっても、せっかちな監督が、今回に限ってそこを動かない。僕もこの作品唯一の現場だったので、監督と一緒にいたのですが、丁寧に小屋の持ち主にお礼を言う姿を見て、監督の原点に触れた気がしました。
 大きな力に屈せず、差別をせず、人間対人間で、世の中を見る。監督のこういうところに惚れて、とことんかかわって行きたいんだと思わされました。

 <寺島さんに対して>、監督は皮膚で芝居の出来る数少ない女優だと、キャタビラ―の時に言っていました。寺島さんを見ていると、日本の原風景を感じます。衣装にしても、ずっとこれを着ていたのかなあと思うほど、体になじませていました。
 監督はおろかな男を描きながら、その先に女性賛歌があります。60年代から、若松監督の作品に、テーマの一つとして流れているものです。寺島さんというミューズをえて、監督の作品は完成していったのではないでしょうか。そういう意味でも、この作品は監督の究極の思いを描いている気がします。
  (犬塚芳美)

この作品は、3月9日からテアトル梅田、第七芸術劇場、京都シネマ、
      3月16日からシネ・リーブル神戸 にて公開

映写室「長良川ド根性」上映案内:東海テレビ・ドキュメンタリー劇場第四幕

映写室「長良川ド根性」上映案内:東海テレビ・ドキュメンタリー劇場第四幕 
    -流れてこそ、川?-

<冒頭から、シュールな映像に驚く> まるで宇宙基地ででもあるかのような、巨大な金属製のキノコの羅列。しかし、周りに広がるのは洋々と流れる川だし、俯瞰すると沿岸には豊かな緑が広がっている。この人造物が、のどかな風景の中に平然と並んでいる不思議さ。ここはどこ?と目を凝らすと、この川が日本の中部地方を流れる長良川だと教えられる。きのこの群れは、「長良川河口堰」だった。

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©東海テレビ放送

<古来より長良川は>、日本でも有数の豊かな漁場だった。沿岸には、上流、中流、下流と、それを生りあいとする多くの漁師が住んでいた。そこに押し寄せた高度成長と近代化の理論。ここは沿岸に中部工業地帯も抱えているのだ。地元住民をさえ、賛成派と反対派に2分し、総工費1500億円をかけ、全長661メートルにも及んで作られたこれが、今、開門と閉門の続行の間で揺れている。

<元々の目的は利水で>、中部工業地帯への水の供給だった。さらに上流の治水の目的もあって、川底を掘って深くしよう。そうすると、低くなった上流に向かって海水が逆流を始める。周辺の農地に塩害が出るかも解らない。だったら河口に堰を造ろうという、自然に手を加えてとどまるところを知らない、遠大な計画が動き出す。途中で賛否両論起こったが、一度動き出した巨大プロジェクトはとまらない。川の形態を変え、多くの漁師の仕事をなくすることを予想しながら、経済発展の旗印のもと出来上がってしまった。

<川の形態変化は、予想以上に進んだ> いや、誰もが予想しながら、見ない振りをしてきた現実が、襲ってきただけかもしれない。魚や貝が捕れなくなり、多くの漁師が廃業していった。
長良川はその前から、農地確保の為に干潟を埋め立てたりと、自然に手が加えられてきた。蜆の大切な魚場だった干潟を埋め立て作った農地は、いまだに手がつけられないままで、雑草が茂っている。米の自給が大きな目標だったのに、完成した頃には米あまりになっていた。
<日本は今や、環境問題が>民意の主流だ。2010年、堰が出来て16年後に、愛知県知事選挙に出馬した大村秀章氏は、環境の悪化につながっていると、河口堰の開門調査を公約にあげた。正しいことのように思うが、軽々にそう言われると、かって命がけで反対した者には、之も又、なんともやりきれない。

<胸を締め付けられる言葉と映像がある> 開門、閉門続行を問う討論の途中で、席を立ってしまう一人の老人の姿だ。一徹なこの人は、この堰の建設に最後まで反対し、皆から、中部地方の発展を邪魔していると批判され、挙句には周りから保証金の吊り上げを狙っているとまで言われた、桑名市の赤須賀漁協組合長の秋田清音さんだった。「桑名といえば焼き蛤、どこに行ってもそう言われる。それを捕っているのが自分たちの誇りだった」という秋田さんは、反対に力尽きた後は、堰があるのを前提に、それでもこの地で漁業を続けようと、模索し続けてきた。

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©東海テレビ放送


 <壊滅的になった蛤の養殖>、捕獲制限での資源保護、干潟の作成等、独自の工夫を重ね、家庭を顧みずに寝食を忘れて守った桑名の蛤。何とか盛り返してきたところへ、この問題提起。環境問題という、新しい民意の流れだった。
 「今頃になって、正直ほっといてくれや。わからん人にあれやこれや言うて欲しくない」という言葉に、ドキッとする人は多いだろう。「辛くても(水の供給で皆の役に立っている)と言い聞かせて納得してきたのに、今更堰が役に立ってはいないと言われたら、長年の苦しみや憤りをどこにもって行けばいいのか」という言葉の重さ。誰もが言葉を無くする。

 <最初に見せられた豊かな自然とシュールな人造物>、両者が並ぶこの不思議さこそが、近代日本が抱えている矛盾だった。そういう現実を、たった一人ぶれずに受け止め、しかも諦めずに、生き残る道を模索し続けてきた秋田さん。
<この作品を作った東海テレビ>の阿武野プロデューサーと、共同監督の片木武志監督は、この素敵に頑固な組合長に、「長良川ド根性」と敬意を込めて進呈する。そして、頑固な秋田さんの心をほぐし、ここまで取材できたのは、建設当時の自局の先輩方の、友好的な密着取材があったからと、かっての自局のド根性にも思いを馳せる。社会問題を鋭く提示し続ける東海テレビの姿勢を追う者としては、表題が、制作者たちの、秋田さんや先輩たちのような「ド根性」を、自分たちも無くさないぞと言う、決意のようにも思うのだ。

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©東海テレビ放送

<この作品が問いかけるのは>、この地域の問題にとどまらない。その時々の事情で、地元の暮らしを振り回してきた、政治や私たちの姿勢だ。続行、中止と、時流で政治判断がころころ変わる公共建造物はあとを絶たない。八ツ場ダムが典型的な例だ。
「その時代時代で、政治や行政は簡単にぶれないで欲しい。だけど間違うこともある。間違った時は、ぶれるのを恐れて、誤りを正すのを恐れることもしないで欲しい。ぶれるのは困るけれど、ぶれざるを得ないこともある。そのときの謝り方、対処の仕方に誠意が無くてはいけない。秋田さんが言いたいのはそれだと思う」と、制作者たちは声を揃えた。

 <ちなみに、堰には不似合いな>、ここの堰のきのこ状の形は、水滴をイメージして作られたのだそうだ。この形から、単に利水や治水だけではない。之でこの地を変えるという、当時の行政や制作者の、自然に挑むような、よく言えば意欲、悪く言えば思い上がりを感じるのは、私だけだろうか。それにしても巨大なお金をかけたものだと驚く。(犬塚芳美)

 この作品は、第七芸術劇場で上映中。時間等は劇場まで(06-6302-2073) 

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