太秦からの映画便り

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映写室「約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~」舞台挨拶レポート

映写室「約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~」舞台挨拶レポート  
―斉藤潤一監督と樹木希林さん―

 東海テレビの劇場公開版第5弾となる「約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~」が、今日から十三の第七芸術劇場で上映です。初日の今日は、10時からの分の上映後と、その次の回の上映前に、斉藤潤一監督と樹木希林さんの舞台挨拶がありました。

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<報道畑出身で>、初めてのドラマの演出となった斉藤監督は、「本年度のアカデミー賞で最優秀主演女優賞を受賞されたほどの方に、演出することなど出来ません。樹木希林さんに色々相談し、教えていただいての撮影で、この作品の本当の監督は樹木希林さんです」と、役者さんとの2人3脚振りを強調する。

<肝心の樹木希林さんは>いつぞやの授賞式のようにあくまで伸びやかで、時折は自由に動いて舞台上から客席の興奮振りをカメラに収められる。そして「この作品には、本物の奥西さんのお母さんが出てらっしゃいます。それを見ると役者が演じると言うことは如何に薄っぺらなことかと思い知らされる。こういう実物と比べられる作品に出るのは辛い。この前、癌を告白したので皆から大丈夫ですかと声をかけられるけれど、そう言いながらも仕事はどんどん入れてきてこき使われています」と、いつものようにひねりの効いたコメント。舞台挨拶を早々に切り上げて、せっかくの機会だからと、観客との質疑応答に切り替えられた。

 <印象深いのが>、どちらかへの加担を戒める口調だった。奥西さんに同情するあまり、ある時から証言が一方方向に流れた村人へ、不満めいた言葉を受けると、「だけど、私だってそうしたかもしれない。人間とはそんな風にいい加減で弱いものと言うのが真実なのではないでしょうか」と、疑問を呈する。再審請求を退け、栄転していった裁判官への憤りを口にすると、「でも、誰にだって、生活があるのです。家族の為なら私もするかもしれない」と、ここにも弱い人間の不変的な姿を認めようとします。「誰かに罪を求める一方的な作品になっていないのが、この作品のいいところです」と応じた。

 <それでも>、観客の一人の「自分の母親がこの村の隣に、事件の1年後に教師として赴任したが、この地域の人々の、この事件については何も話せないと言う独特の雰囲気に困惑したと繰り返し言っていた。数日前にここに行き、慰霊碑にお花を供えただけで、村の人々が遠ざかって行った。未だにこの事件はこの村の人々にとって、口にしたくない、触れられたくない事件のようだ」と言う証言には、舞台上と客席が一緒になって注目する。そして、「こういうことがあっても、奥西さんもお母様も、死を選ばず生き抜いてくださったことに感動する」と言う言葉に、またもや一緒に頷いた。お子さん方の事については映画で多くは触れられていないが、「死刑囚の身内と言うことでどれほど辛い思いをされてきたか、描いていないことから汲み取ってほしい」と斉藤監督。
 
<硬派な製作姿勢で>話題を提供し続ける東海テレビのファンと、この作品が掘り起こした潜在的な事件そのものへの関心、又実力派の樹木希林さん、主演の仲代達也さんへの関心から、初日の今日は立ち見も出る盛況ぶりでした。
 来館の多くの方が「この映画の公開で、当時衝撃を受けたこの事件を思い出した」と、この事件そのものへの関心を話されます。
映画の中の樹木希林さんは、まさに老婆ですが、現実の樹木希林さんは、変わったデザインの服を自然に着こなす、お洒落で素敵な大人。女優さんの風格ある姿に圧倒されました。(犬塚芳美)

この作品は、第七芸術劇場で上映中、
      4月13日から神戸アートビレッジセンター、
       順次京都シネマ にて公開
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映写室「約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~」斉藤潤一監督インタビュー

映写室「約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~」斉藤潤一監督インタビュー  
―東海テレビ劇場公開作品・第5弾― 

時々、冤罪が話題になりますが、ここにも一人、延々と無実を訴え続けている死刑囚がいます。昭和36年に、三重県の小さな村でおきた、いわゆる「名張毒ぶどう酒」事件の犯人とされている奥西勝さんです。一度は自白したものの、その後一貫して、「自白は警察に強要されたものだ」と主張し、再審請求を出し続けてきました。80も半ばを過ぎ病に犯されながら、それでも無実を主張する奥西さん。この作品は東海テレビの斉藤潤一監督と阿武野勝彦プロデューサーが、この事件の4作目として、観客に問いかける劇映画です。長年この事件を追いかけるのは何故か、斉藤監督に伺いました。

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©東海テレビ放送


 <その前に、「名張毒ぶどう酒事件」とは>
昭和36年、三重県名張市の小さな村の懇親会で、ぶどう酒を飲んだ女性5人が死亡した。当初は何人かが事情徴収されたが、村の中に愛人がいて3角関係だった奥西勝さんが、犯人となる。根拠は当人の自白だった。1審では無罪となったが、2審で逆転死刑判決。昭和47年、最高裁で死刑が確定した。しかし本人は冤罪だと主張する。事件から50年以上たっても延々と繰り返される再審請求と棄却。奥西さんはいまだに無実を訴え続けている。


<斉藤潤一監督インタビュー>
―斉藤監督とこの事件のかかわりは深いですね。とうとう劇映画まで作られました。
斉藤潤一監督(以下敬称略):ええ、この事件を題材にしたものが、今度で4作目なります。2005年に再審開始決定が出た直後、上司から、これで1本作りなさいと言われました。で、取材を開始したのですが、取材すればするほど、これは冤罪だと確信を深めたのです。だったら、この事件を知ってしまった者の責任として、再審請求が続いている限りは追い続けようと思ったのが、始まりでした。2006,2008,2010年と、2年おきにドキュメンタリーを作り、2012年(昨年、東海テレビで放映)に劇映画のこれを作りました。
―報道畑の監督が、今回劇映画を作られた訳は?
斉藤:ドキュメンタリーは本来対象に密着して作るものです。ところが独房の奥西さんには、それができない。僕らでは面会すらできません。今までの3作は、奥西さんが親族に出された手紙を映したり、関係者へのインタビューを編集して作りましたが、どうしても奥西さんの苦しみを表現し切れない。ジレンマがありました。僕らが推し量るべき一番は、独房の中で延々と再審請求を出し続け、司法の壁に阻まれ続けてきた奥西さんの孤独と苦しみです。4作目はドラマにしようと最初から思っていました。

―脚本もご自身で書かれてますよね?
斉藤:そうなんです。書き方が分からなくて、勉強しながらでした。ただ、やっていて、両者の間に大きな違いはないなあとも思いました。ドキュメンタリーも実は構成を考えながら撮影するし、編集作業は構成の模索そのものですから。
―なるほど。そして、またもや劇場公開です。
斉藤:ええ、東海テレビの作品の劇場公開は、「死刑弁護人」に続いてこれで5作目です。前作まではテレビ放映の過程で劇場にかけたいなあと思ったのですが、これに関しては最初から映画化を考えていました。この事件の起きた三重県は東海テレビの電波の届くところなので、地元では皆なんとなく知っていますが、例えば東京とか大阪に来ると、名前くらいは知っていても、今となっては、この事件の全容を知っている人は少ない。皆さんにこの事件を知ってほしい、命が消えそうになっても、まだ無実を訴えている一人の男がいることを、全国の皆さんに知らせたいと思いました。

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©東海テレビ放送

―キャストも日本映画を代表するような凄い方々が並んでいますが。
斉藤:ええ、こんな方々に出ていただけて光栄です。ドラマにするからには、発信力の強い人に演じてもらいたいと思いました。3作目のナレーションをしていただいたのが仲代達也さんだったのです。この作品の中にも当時の映像が出てきますが、それを見ていただいても分かるように、若い頃の奥西さんのは背が高くてかっこいいんですよ。お会いしたことはないけれど、あのまま歳を重ねられたらこんな風になるのではと思いました。でもキャスティングはスムーズではなかったのです。仲代さんに、「僕は再現ドラマには出ない。もう年なのでかかわれる作品は時間的にも限られている。納得できるものにしか出ない」と最初は断られてのですが、こちらの送った資料や、ご自身で事件のことを調べられ、引き受けてくださいました。山本太郎さんは、30代の奥西さんに似ているのです。ただ、僕は冤罪だと思っているけれど、一般的にはまだ殺人犯です。こういう役を演じるには役者として覚悟がいるけれど、彼ならやってくれるのではと思いました。この作品は残っていた当時の報道映像と、ドラマの部分が場面場面で入れ替わり構成されています。奥西さんと似ている山本さんがやってくださったおかげで、両者が繋がって、自然になっている気がします。樹木希林さんにも最初は断られました。日本を代表する女優のこの私に再現ドラマに出ろと言うのと。でもご自身で事件を調べ、名張に行かれ、妹さんを訪ねて納得されて引き受けてくださいました。ナレーションは今を時めく寺島しのぶさんで、このような皆さんに参加いただけたのは幸運でした。

―ドキュメンタリー監督が、ドラマの演出をするのは大変だったのでは?
斉藤:初めての経験ですからね。でもさっきも申しましたように、ある意味で同じところもあります。又、すばらしいベテランの皆さんですから、演技指導と言うより、そこの部分は皆さんにお任せできました。特に独房の中の奥西さんは、まったくの想像です。仲代さんが空想を巡らせてくださいました。
―お正月の料理とか、以外に豪華なのですね。食事が妙にリアルですが。
斉藤:食べると言うのは根本的なところなので、僕は元々よく映すんですが、今回は特に多いですね。奥西さんの面会ノートの中に、食べ物の記述が多いんです。外に出れないし行動も制限されている。狭い独房の中で、食べることは生きている実感とともに、大きな希望だったのだろうと思いました。特にお昼のカレーには意味があります。死刑執行はその日の朝に知らされるんです。映画でもあるように、朝の間、外の動き、職員の足音に神経を尖らせ、びくびくしている。そこを通り過ぎるとお昼の食事が出るわけです。これが来ると言うことは、明日まで命が永らえたことになる。ほっとして食べたんだろうなあと思いました。お正月にしても、さすがにこの間は死刑執行がないので、特別な料理をしみじみと食べたんだろうなあと。

―そういう、ささやかながら豪華な拘置所の食事に対して、外にいる母親はお餅を焼いてぜんざいを食べます。たった一人のささやかなお正月の贅沢。お気の毒で身に詰まされました。
斉藤:お正月のぜんざいは、お母さんの手紙にそういう記述があるんですよ。それもお餅を小さく割って焼いて食べるんです。お母さんは人殺しの母親だと村を追われ、夫を亡くし、本当に生活に困窮していていました。拘置所の中の奥西が、封筒張りをして受け取る、月々数千円のお金の中から、母親に仕送りをしているんですからね。相当厳しかったのでしょう。最後は栄養失調で死んでいます。

お気の毒な話ですね。この作品はこの事件が限りなく冤罪に近いと言う視点で描いていますが、本当にその通りだったら、警察や司法はどうやって関係者に償うのでしょう。閉じ込められたままで高齢になった奥西さんの人生もですが、このお母様のご苦労を思うと、お気の毒で仕方ありません。償おうにも償え切れない。奥西さんのお子さんも亡くなっているし、確かに斉藤監督の言うように、この事件の行く末から目が離せません。この作品は、事件とその後を描いてはいますが、真犯人を追う様な描き方はしていませんね? 監督が冤罪だと確信したとしたら、真犯人は誰か?と、そちらのほうへの関心が向いたのではないでしょうか?
斉藤:思うことはいっぱいありますが、多くの関係者が亡くなっています。調べようにも限界があります。又、私たちの役目はそういうことでもありません。この作品ではそこのところの追求ではなく、自白を翻した奥西さんの再審請求が、延々と却下され続けている事実のほうにスポットを当てました。

―すごいナレーションが入りますね。再審請求を却下して栄転していく裁判官のことや「再審請求を却下し続けてきた50名の裁判官たち…」と。覚悟のいる言葉だと思うのですが。
斉藤:裁判官と言うのは独立した特別な立場で、情に左右されないよう、地域の人とも交流してはいけないといわれています。しかし、そういう限られた交友関係の中で、上を見る習性ができているのではないか。外からの圧力に屈しないと言いながら、司法制度内の上司に逆らうことはできない。先輩が死刑判決を出した事件に異を唱えることは難しいのでしょう。たった一人、再審請求を認めた裁判官にしても、定年まで少しのこして早期退職するのですが、そういう時期だからこそできたともいえます。先輩の下した判決を翻すのは、しがらみ上難しいようです。

―そういう個人的な事情で、最も公正であるべき判断が歪められるのは、許しがたいです。それも判決を翻すところまで行かず、もう一度精査すると言う門戸すら開かないわけですから。この作品は事件だけでなくそういうことを強く訴えていますね。裁判官ですら自重する領域に、メディアとして進んでいくのは大変なのでは? 会社から止められることはなかったですか?
斉藤:幸せなことに、東海テレビはそういうことをさせてくれる会社なのです。圧力は何もありません。この事件を追って一番感じたのが、司法制度の不備でした。感情を抑え、冷静に対応してきた弁護団長が、最後にはとうとう怒りを爆発させて「門戸を閉ざしてきた50人の裁判官たち…」と言うわけです。このまま奥西さんが拘置所の中で亡くなり、事件が終焉するのを待っているとしか思えません。そうなる前に、皆さんにこの事件とその後の問題点を知っていただきたちと言うのが、僕たちの願いです。

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©東海テレビ放送


―支援者が現れるまで、奥西さんはたった一人で拘置所の中から再審請求を出し続けていたのですね。もし冤罪だとしたら、たとえ無実だとしても、それを勝ち取るためにこういう強い意志が必要なのだと、ぞっとしました。誰でもできることではありませんから。ところで、「約束」と言う題名は?
斉藤:色々な意味があります。奥西さんがお母さんへの手紙で繰り返し書いている、きっとここを出て会いに行くという約束。支援者と奥西さんのきっと外で会おうという約束もあります。弁護団の中には、絶対再審請求を勝ち取ろうと言う、お互い同士の約束があるはずですし。
―そうですね。それ以外に、斉藤監督の自分との約束、(再審請求が続く限りこの事件を追い続けるぞ)と言う約束の結実の意味も大きいかと思います。作品の中にも出てきますが、たとえ裏切られたとしても、国民として最後の砦として信じる以外に方法がない司法制度、関係者の多くの方がこれを見て、自戒してほしいと思いました。
斉藤:療養中の奥西さんの体調が心配です。生きている間に外に出してあげたいです。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
いつもながら、肝の座った東海テレビの製作です。「大丈夫ですか?司法から目を付けられませんか?」と言ったところに、昼ドラマの件でなにやら動きがありました。まさかと思うのですが。これからも頑張ってください。応援しています。


この作品は、3月30日から第七芸術劇場、
4月13日から神戸アートビレッジセンター、
順次京都シネマ にて公開。

映写室「僕のうしろに道はできる」上映案内

映写室「僕のうしろに道はできる」上映案内 
 ―宮ぷーとかっこちゃんと、岩崎靖子監督の伝えたいこと― 

<脳幹出血で倒れ>、一生植物状態だろうと言われながら、奇跡的な回復をした方の、ドキュメンタリーが公開になります。
宮ぷーこと宮田俊也さんは、ある日突然脳幹出血で倒れます。一命は取り留めたものの、まったく体の動かない、閉じこもり症候群になりました。
医師からは一生植物状態で、体を動かすことも話すこともないだろうと言われます。でも、元同僚で、彼に色々助けてもらってきた山元加津子(かっこちゃん)さんだけは諦めない。宮ぷーを治したいと、毎日仕事の帰りに病院に立ち寄り、献身的な介護を始めました。

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<そういう話を聞いた>、「1/4の奇跡~本当のことだから~」のプロデュースコーチ、岩崎靖子さんは、友人・かっこちゃんに今大変なことが起こっている、記録しなくてはと、すぐに撮影を依頼し、自分も通い始めました。
かっこちゃんは、こんな状態でも宮ぷーにはきっと思いや意志があるはずだと想像し、彼の内面を探ろうとします。それは、養護学校教員として自分自身が今まで感じてきたことでもありました。

<反応の無い宮ぷーに言葉をかけ続け>、必ず一度は抱きしめ、手足の屈伸やマッサージを続けます。ある日、ほんの僅かな瞼の動きで宮ぷーは意志を示しました。ここからは薄氷をはぐように回復に向かっていきます。首が動いた時は、奇跡の予感がしたのではないでしょうか。

<この作品は多くのメッセージを含んでいます>まず看病の工夫が凄いのです。体中が麻痺しているため、何かを口に入れると、誤飲して肺に入って、肺炎を起こしそのまま命を落とす危険性があります。布にくるんだチョコレートを口に入れてもらい、そこから滲み出るものを味わい、眠る時には片手にチョコレートの箱を持ち、夢の中で食べるという宮ぷー。現実でも味わえるようになりたいと、飲み込む練習を繰り返し行います。そして、動かない筋肉に呼びかけるようなマッサージ等。
そういう日々を経て、車椅子で散歩ができ、物が食べれて、特殊な機械を使って会話ができるようになるまでを、カメラはかっこちゃんに寄り添うように映していきます。

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<まだICUにいる頃の>、ここまでプライベートな映像が撮れたのは、監督とかっこちゃんとの関係性があればこそ。そして、養護学級の教師として、長年皆に啓蒙活動を続けてきたかっこちゃんと、当事者・宮田俊也さんの、ここからでも治ることを皆に知って欲しいという、身を徹した強い意志でした。
初期の宮ぷーの状況は、以前に評判になったフランス映画「潜水服は蝶の夢を見る」と同じです。こちらは当事者の側から見た外の世界を、映像化したものでしたが、ドキュメンタリーの本作は、閉じこもり症候群の宮ぷーの外観、気管切開をし、体のあちこちにチューブをつけて、まさにスパゲッティシンドロームで、ベッドに横たわっているだけの存在として映します。

<去年、「破損した脳、感じる心―高次脳機能障害のリハビリ家族学」>を上梓した私は、宮ぷーと連れ合いが重なりました。彼の奇跡的な回復も、こういう綱渡りを経てです。活発に活動していた人気者の高校生が、事故で宮ぷーと同じようになる話も紹介されましたが、そういう全てを見て、(ここにも「まさかの坂」はあったんだなあ)と、それも強く実感しました。

<この作品を見ても>、多くの方は、まだ、こういう事が我が身に起こるとは思わないかもしれません。でも、まさかの坂の前では誰もが特別な存在ではない。宮ぷーも、高校生も、そして私の連れ合いも、人生を楽しんでいる最中にこういう事態に陥ったのです。
これは映画のメッセージとは違いますが、この作品から、こういう脳疾患が誰にでも起こる可能性があること、起こったときに迅速に最適な対応が取れるのは、予備知識があってこそなのだと、多くの方に知って欲しいと思います。

<勿論、こういっている私>とて例外ではありません。前回は介護の当事者でしたが、自分自身が患者になる可能性もあります。それも忘れないでいたい。
そして、起こったときには、諦めないで欲しい。当の本人は何もわからないだけで、何一つ諦めてはいません。事態の深刻さに、当人を置き去りにして早々に諦めるのが、医療従事者や家族です。諦めずに、少しでも回復につながる方法をとって欲しいと切に思います。
<そして、それは早ければ早いほどいい>そういう知識は、「まさかの坂」に遭遇した時に身につけようと思ってももう遅いのです。その時は動転するだけで、実際に新聞の見出しの大きな活字すら目に入りませんでした。平常時に、見たり聞いたりして、頭の片隅に残っているからこそ、非常時にそれを活用することができます。

<損傷した場所等の関係で>、一概には言えませんが、私の周りには、もっともっと奇跡を起こした方が一杯います。私もそうでしたが、他のすべてを捨て、本当に付きっ切りで介護している家族をたくさんみました。この作品やそれらを見て思うのは、患者の側に、誰か一人、絶対に諦めない人がいた場合のみ、奇跡は起こるということです。最初の間は、当人には頑張る能力も意志もありません。本人が自分の力で頑張れるところまでは、周りが必死で押し上げる以外方法が無いのです。

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<映画の中に>「現状を見るのが辛くて、まっすぐ病室に行けない。駐車場で、コーヒーを飲んでから、おもむろに行く」と自分を責める方がいて、多くの方が励ましておられました。たまにはそれも良いけれど、過酷なようでも、私は「そのコーヒーをベッドサイドで飲めば?」と言いたい。こういうささやかなことがどれほどの刺激になるか!この時期の家族の頑張りが、後に大きく影響してきます。人手の限られた医療機関に望んでも無理。そこまで出来るのは、やはり運命共同体の家族だからです。自分の為だと思って、後で挽回できるものはすべて後に回して、とにかく側にいてあげてと、言いたいと思います。

<この作品は>、かっこちゃんにかなり比重が置かれていますが、裏側には今の医療制度の問題点、世間の眼差し等多くの問題も含まれています。もちろん一番知って欲しいのは、喋れなくても頭の中は以前どおり、いや、感覚を集中して、依然以上に鋭敏になっているだろう宮ぷーの知性です。あの場面で、高村光太郎の道程の一説を「(僕の前に道は無い)僕のうしろに道はできる」と伝え、ユーモアも加えた知性、自分のすべてを晒しても、奇跡が起こることを伝えたいという思い、勝手に周りで諦めないでという思いを、私も全霊で受け止めたいと思います。(犬塚芳美)

この作品は3月23日から十三、シアターセブンで上映。
時間等は劇場(06-4862-7733)まで。
*なお、3月24日、4月5日の各上映後に岩崎靖子監督の舞台挨拶があります。

*3月9日(土)は東京北沢タウンホールで12:30~より、3月20日(水・祝)は、大阪中央公会堂で13:00~より、イベントを含んだ上映会があります。

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