太秦からの映画便り

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映写室「100年の谺-大逆事件は生きている―」上映案内

映写室「100年の谺-大逆事件は生きている―」上映案内  
―日本の近代史を汚す、思想弾圧事件― 

<冒頭から心臓を掴まれた> 灯りに透かせば浮かび上がる「―私他三名近日処刑ノ―宣告ヲ受クベシ幸徳ノ為ニ弁護士ノ御世話ヲ切ニ願フ」という文字。大逆事件で処刑された内の一人、菅野須賀子が、獄中からひそかに託した針文字の手紙だ。平成のお気楽な今から、一気に時代が巻き戻された。こ只事ではない空気感が伝わってくる。

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 <大逆事件とは>、1911年(明治44年)に、皇室に対する大逆罪に問われ、絞首刑12名、無期懲役12名を出した事件だ。当時から冤罪が囁かれたが、その後の研究で、大逆罪に名を借りた社会主義者、無政府主義者への弾圧であり、国家によるフレームアップ事件だったと明らかになる。

 <この作品が位置づける>「大逆事件」とはこうだ。日露戦争への世論が高まる中、勤めていた新聞社が主戦論に転じたことで、幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三は、非戦論を掲げて退社する。そして「平民新聞」を発行した。日露戦争後、労働運動が活発化し、日本各地に幸徳たちに共鳴した新聞が生まれた。こうした動きに危機感を持った時の政府は、激しく弾圧。活動家には尾行がつき、平民新聞を始め、各地の新聞は次々と廃刊に追い込まれた。
 <ちょうどその頃、信州の職工・宮下太吉は>、神と崇められている天皇も、爆弾などで傷つけば、赤い血が流れて同じ人間なのが証明できると考え、爆弾の実験をした。菅野須賀子とは、具体性のない暗殺計画も話している。こうした中で、各地の社会主義者が大勢検挙され、無理やり大逆事件に関係つけられて、断罪されていく。その悲劇は被告にとどまらず、親類縁者にまで及んだ。
そのまま戦争に突き進んだ日本、そして敗戦。新憲法が出来、幸徳たちの夢が実現したが、処刑された人々の名誉回復は、遅々として進まない。

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 <幸徳秋水の名前は知っていた> 確か、住井すえの小説「橋のない川」の中に出てきたと思う。部落差別に苦しむ少年には、身分制度の頂点に立つ天皇も、赤い血が流れている同じ人間だという思想は、どんなに新鮮に映ったことだろう。

 <この作品は、犠牲者の中の紅一点>、菅野須賀子を中心に纏めている。故藤田治子さんが、文化事業のために遺された志を受け継いで製作さられたものだ。事件から100年、国家と人権の問題は新たな局面を向かえ、同じ過ちを繰り返さない為にも、この事件の意味が問われる時代になった。筆者としては、この時代に大局に流されず、人生をかけてみんなの暮らしの向上を考えた女性がいたこと、処刑に際し、我が身よりも、巻き添えになった多くの同士を案じた菅野須賀子に、畏敬の念を覚える。多分それは、藤田治子さんが感じたことでもあるのだろう。(犬塚芳美)

この作品は、十三のシアターセブン(06-4862-7733)で上映中
          31日(金)までは、13:30~
          6月1日(土)より~6月7日(金)は、11:00~
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映写室「旅立ちの島唄~十五の春~」吉田康弘監督インタビュー

映写室「旅立ちの島唄~十五の春~」吉田康弘監督インタビュー  

   ―沖縄本島から、東へ360キロの南大東島― 

 沖縄の離島を舞台に、少女の旅立ちの時を描いた作品が完成しました。高校の無いこの島の子供たちは、十五の年にこぞって、360キロと遥か海の向こうに旅立っていくのです。都会への不安と将来への夢、離れ離れになる家族への思い。毎年この島で繰り返されてきた別れの儀式に、島唄が流れます。制作秘話等を吉田康弘監督に伺いました。

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©2012「旅立ちの島唄~十五の春~」製作委員会

<その前に「旅立ちの島唄~十五の春~」とは、こんな作品> 
 絶海の孤島と呼ばれる南大東島の子供たちは、進学の為に皆十五の春に島を出る。少女民謡のグループ“ポロジノ娘”は、毎年別れの唄「アバヨーイ」を唄い、次のメンバーに後を託すのだ。新しくリーダーになった優奈(三吉彩花)は、1年後には自分もこの唄を歌うのだと複雑な思いだった。彼女は島人のお父(小林薫)との二人暮しで、お母(大竹しのぶ)や姉や兄は、那覇に住んでいる。自分が島を出るとお父は一人ぼっちだ。ちゃんとご飯を食べるだろうか、淋しくはないかと不安が募る。そんなところに姉が赤ん坊を連れて帰ってくる。

<吉田康弘監督インタビュー>
―素敵な島ですね。この島自体に物語性がある、今まで知らなかったので新鮮でした。
吉田康弘監督(以下敬称略):沖縄本島でもほとんどの人はこの島を知りません。なだらかに海とつながらなくて、沿岸が擂り鉢状になった島なので、絶海の孤島といわれています。僕も知りませんでした。この作品のプロデューサーが、休日のテレビで偶然この島のドキュメンタリーを見て、一瞬で惹きこまれ録画したんです。見てくれとテープを渡されたのですが、民謡教室に通う少女が最後に別れの島唄を歌うシーンで、これは映画になると思いました。子が親を思う気持ちや、親が子を思う気持ちとか、家族の情と普遍的な愛が見えたんです。その放送はどちらかというと母親と娘に主体があったのですが、僕は後ろから黙って見つめる父親の視線に惹かれました。これから作るのは、島を旅立つことをきっかけに、少女が家族とともに成長していく物語ではあるけれど、最終的には父親と娘の物語にしたいと思ったんです。そういうプロットで脚本を書き始めました。

―優奈を演じる三吉彩花さんがぴったりですね。島の娘の朴訥さと、都会に出て綺麗になっていくだろうなと思わせる原石の輝き、素晴しかったです。揺れる心の中を、わずかな表情の陰りに見せる様も、まさにこの年代の少女で、もう目が離せません。
吉田:三吉は今までの出演作で注目していたんです。優奈を繊細でナイーブな役にしたいと思うと、三吉しかいないと思って、オファーを出しました。彼女は自分の内なる世界をちゃんと持っていますからね。その世界観が僕らの求めるそのものなのです。三吉は本当に頑張りました。優奈の役をやるには、三線と唄が必須ですが、三線を必死に練習し、弾きこなしましたし、唄も独特の節回しがあるから大変だったと思いますが、本物の元“ポロジノ娘”に混じって、やりとげました。長年修行した皆に混じってのそれは大変で、一度は怖気図いて泣き出しましたが、15歳なりの女優魂で最後まで歌ったんです。撮っている時は、あのシーンを最後まで使うかどうかわからなかったけれど、編集の段階で切れなくて、結局最後まで使いました。三吉の場合、ひたむきに三線や唄を練習したことが、そのまま役に向き合うことになったかと思います。演技でもそれがいい方向に出て、この少女のひたむきさに重なっている気がします。

―今も素敵ですが、伸びやかで繊細で、今後の伸び代を感じさせる女優ですね。
吉田:そうなんですよ。彼女はとても恵まれた環境にあります。事務所が、三吉を逸脱した才能だと信じて大事にしていますから。今回も、事務所が、この作品をやるなら三吉自身が中学を卒業するタイミングでやらないと意味が無い。現実と役の年齢が一致した、そこから生まれるものを大事にしたいと言い、僕らも納得して、彼女の年齢に合わせ、撮影は2012年のゴールデンウイークに決めました。

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©2012「旅立ちの島唄~十五の春~」製作委員会

―この作品では周りの俳優さんにも恵まれていますね。両親役の小林薫さん、大竹しのぶさん、本当に素晴しいです。お二人がこの両親の内的世界を自然に静かに表現されていて、今更ながらですが、上手いなあと舌を巻きました。言葉少ないお父の慈愛、さりげないしぐさで示すお母の複雑な心中、作品の深みです。描かれていないこの物語の裏側が想像できました。こんな上手い人の娘役をやれて、演技的にも引っ張られ、幸せな女優さんだなあと思います。この両親なくして、三吉さんの優奈はありえない。オファーはすんなり行ったのですか?
吉田:実はシナリオ段階で、二人に当て書きしました。小林さんも大竹さんも、長年の付き合いでどういう作品なら承諾するかを知っていますから、プロデューサーが、シナリオがあるレベル以上でこの話ならきっと出てくれるというので。シナリオがラブレターのつもりで書きました。幸い気に入ってくださって、小林さんからは、最初の段階でシナリオに注文が来ました。それが僕らの目指す方向と合致したんです。僕らも極力オーバーな台詞をやめようとしたのですが、それでも俳優の見せ場を作ってしまいます。それをそぎ落とす方向で助言いただき、脚本の段階からお父を一緒に作っていった感じです。撮影中も、机の上で考えた台詞がしっくり来ないときがある。東京であれだけそぎ落としたつもりでも、島の景色の中でお父として存在している小林さんから見ると、この台詞は言わないだろうなあというのが、出てくるわけです。そういうのを除き、お父はどんどん寡黙になって行きました。実際父親というのはそういうものだろうと思います。ましてや、このお父は離島で男手一つで娘を育てている、ある意味で頑固一徹な父親ですから。娘を見つめる眼差し、遠くを見つめる目、台詞に頼らなくてもいい、演技力のある俳優さんだからこそ可能な、父親像を作っていきました。

―大竹さんも、さりげない仕草、いつもより少しだけ前かがみの姿勢、伏し目がちな瞳等で、この母親の疲れや惑いを感じさせて、唸らされました。出番は少ないのに、不在時にもお母の存在を感じる。娘とお父の中に、いつもお母がいることを納得させられました。それも踏み込めないもどかしい存在として。この物語そのままです。
吉田:この母親には、離島の人々の苦しみや宿命を背負ってもらいました。実際にこの島でも、子供たちが島を離れるときに、一緒に島を離れる母親は珍しくはありません。一度便利な生活に慣れると、なかなか島に帰れない。家族といえども、離れていると心をつないでいるのが難しいし、色々な事が起こる。言うにいえない事情が出てくるわけです。大竹さんは、そういうとても複雑で難しい役を、少ない出番で、説得力のあるものにしてくださいました。さすがだなあと感謝しています。誰もが答えの出ないものを突きつけられるのではないでしょうか? この作品は家族とは何か?を問うものでもあるので。離島で暮らすと必ず別れがあります。その瞬間に相手を思いやる。今の日本の現状では、家族の有様とかはテーマにし辛いものですが、離島だからこそ、そういうことをテーマにしても成り立つかと思いました。親の立場、子の立場、それぞれの年代の人たちに見ていただいて、家族とは?と考えていただきたいです。

―監督は前作でも家族をテーマにされていますが?
吉田:家族は誰にとっても身近な存在で、リアリティを持って作れますから。僕にとって手の届く題材なんです。その中でも父と娘の物語にしたのは、母親と娘の間とは違う距離感が切ないからです。母親と娘なら言葉もかけやすいし、触れ合うこともできます。でも、成長して年頃になっていく娘は、父親にとって、気安く触る事ができない。気遣いながらも少し距離をとって見守るしかできないという複雑な関係になっていきます。そのあたりのもどかしさや気遣う気持ちを描きたいと思いました。
―そう言えば、お父が娘を見つめるシーンが多いですね?
吉田:父親の存在を確かなものとして表現したかったのです。父親とは、気遣いながらも少し距離をとって、いつも娘を見守っているものだと、小林さんを通して実感しました。

―そういう、小津安二郎のような世界が、美しい南大東島の風景の中で展開します。あの島の空気感ももう一つの主役ですね。
吉田:そうなんです。真っ青な空と青々と茂ったサトウキビ畑、沖縄だけれど北海道のような、大陸的な景色が広がっています。沖縄というと砂浜のイメージがありますが、この島は周りが断崖絶壁、擂り鉢状になっているので、実は海はどこからでも見えるわけではありません。しかも沖縄本島まで360キロ、隔離された、まさに離島なのです。家族を隔てる海、360キロの距離は遠いです。台風が来ると1日一便の飛行機も飛ばないし、船もつくことができない。もともとこの島は船が港に接岸できず、ゴンドラのようなもので船と港の間を運ばれるのですが。
―そういう距離があるからこそ、別れが切ない。船出のシーンはジーンとなりました。
吉田:エキストラの島の人たちは、毎年ああいう別れを経験しているわけです。気持ちがわかるので自然にそういう表情になり、思った以上のシーンになりました。この作品は島の皆さんの大々的な協力で出来上がったのですが、エキストラというより、もう誰もがスタッフでした。島の人たちにシナリオを渡していましたから。今日はシーン何々の撮影だなあという会話が、自然に出ていた位です。ゴールデンウイークは、島人の多くが那覇とかの離れている家族の下へ行き、島はがらがらになるのですが、行政が、今年は残って撮影に協力して欲しいと、呼びかけてくれました。急にエキストラが必要な時も、公共放送で集めてくれる。本当に助かりました。

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©2012「旅立ちの島唄~十五の春~」製作委員会

―思春期の恋も瑞々しいけれど切ないですね。
吉田:この年齢で、重い別れを背負っていますからね。15歳の初々しさと、この年で一家の主になるという重い選択。そういうシーンはシネスコープで二人の距離感を表現しました。この作品のテーマが距離なので、作品の中でも意識的に人と人との立ち居地や距離感を映しています。
―そういう繊細な心配りが作品のリアリティを生み、しかも美しさになっているのですね。心情的にも映像的にも、とても詩的でした。南大東島に行ってみたいなあと思います。
吉田:是非いらしてください。島の人たちが喜びます。沖縄の人たちですら、この島のことを知りません。この作品で、南大東島を知ってもらうのも目的でした。方言や島の風習もさりげなくいれています。又、離島で暮らすのは大変です。政府が何らかの手を打たないと、もう人が住めなくなる。この物語では描いていない、そういう離島の苦しみや問題点も想像していただければ嬉しいです。
―この作品は三吉彩花さんの成長物語の様でもありますね。撮影期間は短かったそうですが、最後の「アバヨーイ」を歌う舞台のシーンなど、もう少女というより娘さんで、美しさに圧倒されました。身近に見て彼女の変化はどうでしたか?
吉田:ほぼ順撮りなのですが、表情は変わっていきましたね。彼女自身が「アバヨーイ」と向き合った結果が結実したのではないでしょうか。三吉は始めて主役をやるというプレッシャーを乗り越えました。ただ、「アバヨーイ」のシーンは、こちらも彼女を美しく撮ろうと、メイクや照明、カメラアングルと色々工夫しています。そういう僕らに応えて、三吉も、何かを乗り越えたのでしょう。はっとするほどの表情を見せてくれました。そういう少女の変化を見ながら、家族とは何か、それぞれの周りの家族のことを考えるきっかけにしていただきたいと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚> 
 美しい風景や空気感、そこで繰り広げられる家族の情愛と少女の成長、繊細ですべてに魅了されます。お話を伺い、これはこの作品に関わったすべての人が、それぞれに頑張った結果なのだと気がつきました。今日本は核家族化が進んでいます。私も独り暮らしの母をふるさとに残している。少女のように口には出せませんが、子供を送り出し、たった一人で残されて家を守る親の寂しさを時々思います。でもどうすることもできない。そんなことも思い出しました。
インタビューの後ですが、5月16日号週刊文春の冒頭グラビアを飾ったのが三吉彩花さんです。映画よりも更に大人になって、しかし、うつろう年代の少女の心を、グラビア写真でも見せています。


この作品は、5月25日梅田ガーデンシネマ、神戸国際松竹、
6月京都シネマ にて公開。

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