太秦からの映画便り

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映写室「異国に生きる」上映案内

映写室「異国に生きる」上映案内  
―日本の中のビルマ人― 

放射能汚染により故郷を追われた、飯舘村の今を描いた土井敏邦監督が、もう1作、故郷を追われた人々の映画を完成させました。関西では同時上映になります。

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©DOI Toshikuni

<この作品の主役は>、東京で暮らすビルマ(ミャンマー)人青年チョウです。チョウは1991年、新婚早々の妻ヌエを残し、日本にやってきました。軍事政権の弾圧を逃れてです。働きながら、仲間と共に祖国の民主化運動を続けてきました。離れて暮らす寂しさを訴える妻、お互いの身を案じる父や母、無性に故郷が恋しくなります。民主化運動をやめ、自分のことだけを考え、お金を貯めて帰ればいいのに、彼にはどうしてもそれが出来ない。圧制に苦しむ人々を思うと、運動をやめるわけにはいかないのです。

<国内の運動家は>、ことごとく投獄され、アウンサンスーチー氏の幽閉も長きに及んでいます。圧政に抗議するデモの取材中に、銃弾に倒れた日本人ジャーナリストの映像が世界に流れた事もありました。世界中から抗議が殺到しましたが、それでも軍事政権は倒れなかった。私たちも、ともすれば、かの国の圧政を忘れてしまう。ビルマへの援助は、国民に行き渡らず、軍事政権を太らせるだけと抗議し続けるチョウたち。
妻との再会は、彼女も故郷を捨て、一人タイで夫を待った挙句のことです。そして、妻も東京にやってきました。二人は必死に働き、祖国の民主化運動を続けます。

<チョウが日本に来て20年が過ぎました> その間に父も亡くしました。今この二人は、ビルマ料理の店を切り盛りし、日本で暮らすビルマ人の支援に奔走します。不法滞在等、苦しい状況が多くの問題を生むのです。

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©DOI Toshikuni

<気がつくと祖国に>、新しい時代が始まりました。軍事政権が倒れ、多くの政治犯やアウンサンスーチー氏が釈放されました。チョウたちの夢が実現したのです。
チョウは、喜びながらも空ろな気分がぬぐえない。あらためて、無我夢中だった20年の重みを感じているのかもしれません。日本で安定を得ました。けれど、ここは故郷ではない。望郷の思いを持ちながらも留まる二人。チョウの髪には白いものが混じり、妻ももう若くはありません。

<ビルマの民主化が本物だと確信できたら>、二人は帰るのだろうか? その時20年離れていた祖国は? 見ているこちらにも不安が尽きません。土井監督が追い続けた、チョウの14年間。ビルマの民主化は、チョウのような多くの同国人の志で進んだことです。(犬塚芳美)

 

この作品は、6月15日(土)より、第七芸術劇場で上映。
「飯舘村」と同時に、土井敏邦監督の故郷喪失を問う2部作となりました。
時間等は劇場まで(06-6302-2073)
又、7月12日からは神戸映画資料館 にて公開
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映写室「飯館村―放射能と帰村―」土井敏郎監督に伺う

映写室「飯館村―放射能と帰村―」土井敏郎監督に伺う  
―見る角度で、物事は一変する― 

未曾有の災害から2年が経ちました。しかし、地震、津波に続いて起こった原発事故の影響で、東北、取り分け福島の復興は、遅々として進みません。今なお故郷から遠く離れて暮らす人々。この作品の舞台は、原発から30キロ以上も離れていながら、風向きや降雪・降雨のせいで、大量に放射能に汚染された、福島県飯館村です。当初は全員でここに残ると村長が表明し、美談としてあちこちのマスコミで報道されました。しかし、2ヵ月後に、村内のあちこちからホットスポットが発見され、「全村避難」を余儀なくされたのです。今、飯館村はどうなっているのか? 長い間、パレスチナを追ってきた土井敏郎監督が、同じように故郷に帰れない人々、飯館村の現状を追いました。お話を伺います。

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©DOI Toshikuni

《その前に、「飯館村―放射能と帰村―」について》 
<第1部:家族>―離れ離れになった家族
酪農一家の志賀家。老夫婦は村から数十キロ離れた町で二人暮しだ。今まで息子の扶養家族だったが、「見まもり隊」の仕事に出て、年金で足りない生活費を稼ぐ。息子は酪農の道を捨て、工場に就職した。早く自宅に帰って一緒に暮らしたい。
 4世代で暮らしてきた長谷川一家。両親は福島市近郊の仮設住宅で暮らし、長男一家は山形に移った。線量の高い村で子供は育てられず、長男の頭に帰村は無い。再び一緒に暮らしたい父親に、母親は「自分たちだけの暮らしを築いた子供の家にはもう行けない」と答える。

<第2部:除染 >
 幼い子供のいる母親は、汚染された村に2ヶ月近くも残り、子供を被爆させたことを悔いる。一方、避難区域の見直しが出て除染が始まった。しかし、除染といっても住宅地の表面で土を削るだけ。取り囲む山や川には手の施しようがない。村に戻れる見通しは無いのだ。村民の過酷な生活はそのままで、膨大な金額がゼネコンに流れ始める。

<土井敏郎監督インタビュー>
―飯館村は当時、村長さんが全員でここに残ると宣言し、村の美しさを力説されたのが印象に残っています。一見すると、今も村は美しいままですが、見えない汚染、放射能汚染は続いているのですね。この作品を見て、汚染された地はどうにもならないという、重い気分が残りました。パレスチナを追い続けた監督が、今度は被災地に入ったわけですね?
土井敏郎監督(以下敬称略):3:11の後、多くのジャーナリストが東北に入りました。その中で僕に何ができるのか、パレスチナの視点でやる以外ないと思ったのです。故郷に帰りたいけれど、帰れない人々、それも人災によってです。故郷を失うプロセス、失う前が分かるほうが、より失う意味が分かる。津波で流されていると、証言なら取れるけれど、実際に目で見る映像の訴えにはかないません。汚染される前の村が残っているところというと、飯館村になります。

―考えてみるとこの村は複雑ですね。当初は全員で村に残ると宣言した村長は英雄でした。
土井:メディアの責任でもあります。ニュースラインに出て村長が話したことで、マスコミがいっせいにそう仕立て上げましたからね。ところが、今、ものすごい村長批判が出ています。若い村人が「どうしてすぐに避難させてくれなかったのか。あの人のせいで子供を被爆させてしまった。どう責任を取るつもりなのか」と詰め寄ったりします。この作品にも使えない激しさでした。でも話してみると、村長も悪い人ではありません。彼は村の形を守ることで、村を守ろうとしたんです。村を出てしまったら村が壊れてしまうと思った。若い人たちは、一刻も早く村を出たいのに、村長がそちらに予算を使ってくれないと不満を言いました。除染がおかしいという言葉が出てきますが、そういうバックグランドを映さないと、言葉が滑ってしまいます。

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©DOI Toshikuni

―でも、村長にしても、あれほどのホットスポットを知らなかったのでは?
土井:当初はもちろんそうでしょう。調査が進んだ段階ではどうだったのか? 分かりません。どこかで情報が止まっていたわけですが、先の大戦で、敗戦が見えているのに、政府や軍の上層部が認めなかった。そういう構図がどこかにあるのではないでしょうか。
―そして今、除染です。除染といえばもっと高度なことがされるのかと思ったら、単に土の表面を削るだけなのですね? 削った土はどこへ行くのですか? とても気になります。
土井:何の方法もなくて、一箇所に集めているわけです。除染は移染といわれる所以です。

―え? だったらその辺りの線量は更に高くなるのでは? しかも家の周りや校庭とか、土の部分の表面だけを削るわけでしょう? 村全体は出来ないし、そもそも川や山は?
土井:そうなんです。今やっている除染は、まるで意味がありません。やってるほうもそれはわかっている。原発の再起動の下地つくりのための除染です。努力していますよという、ポーズですよ。

―え? あんなにお金を使って?すごい数字にびっくりしました。しかも除染を請け負うのは大手のゼネコンで、かって公共事業で土建業者に資金が流れた構図が、ここにも出来ています。国民は何にも潤わない。少々除染したところで、もう村には住めない。そういう無駄なことにお金を使うのなら、あの膨大なお金を、今なお厳しい暮らしを続けている村人の生活支援に使って欲しいですよね。
土井:若い人は皆そう言うんです。でも、一人でも帰りたいという人がいる限り、除染もやめられない。やめたらやめたで、又非難が出ますから。

―う~ん、どうしたらいいんだろう?
土井:皆仮設住宅で疲れきっています。もともと仮設住宅に住めるのは、2年間の決まりです。政府は最初、2年以内に返すといいました。でもそれは、返したいという願望に過ぎない。今はあと2年と言っていますが、これにも根拠がありません。ここまでといわれ頑張ったら、又ゴールが伸びていたわけで、そういうことが続くと、人は希望をなくします。仮設住宅で呆けた老人がたくさんいます。家にいれば、畑仕事や何やかやとやることがあるけれど、仮設では何もありません。老人たちは、こういうところで死にたくない。故郷で死にたいといいますが、誰も責任を取ってくれないのです。時間が経てば、老人の中には、汚染されていても良いと、村に帰る人が出てくるでしょう。でもね、帰っても住める環境がないのです。家はあっても、人口が極端に少ないから商店は成り立たないだろうし、子供の汚染を恐れて、若い世代は住めない。一家が一緒にこの村に済むことはもう出来ないのです。

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©DOI Toshikuni

―やりきれないですね。監督のふつふつとした怒りを感じます。
土井:付き合っていると怒りが乗り移ってきますからね。ジャーナリストの原点は怒りですよ。そういう現状があるのに、政府はまだ原発を動かそうとする。海外にも輸出しています。決して反原発の映画ではないのですが、飯舘村の現状を見て、何かを感じて欲しいのです。もう2度とこういう悲劇を繰り返したくない。今政府は憲法を変えようとしていますが、どういう方向に変わろうとしているかご存知ですか? 憲法は本来権力を縛るためのものです。でも今、国民を縛るものになっている。原発のように、後で取り返しがつかないということにならないよう、国民の僕らは、しっかり考えないといけない。
―飯館村の皆は、まさに監督の追ってきたパレスチナの人々ですね。帰りたいのに帰れない。飯舘村の美しい風景が映るだけに、本当にやるせないです。今となってはどうにも出来ない、重さが残りました。(聞き手:犬塚芳美)

この作品は、6月15日(土)より、第七芸術劇場で上映
   時間等は劇場まで(06-6302-2073)
7月6日から神戸アートビレッジセンター にて公開。

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