太秦からの映画便り

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映写室 「ある精肉店のはなし」纐纈あや監督インタビュー

映写室 「ある精肉店のはなし」纐纈あや監督インタビュー
―牛の飼育からと蓄解体までを行う肉屋さん―

人は、動物であれ植物であれ、他者の命を食べて初めて生きながらえる。その人間の命を支える仕事の一つに、牛をさばき家庭に届けると畜、精肉店の営みがある。とある精肉店は、牛の飼育から始まってと蓄解体までを行い、牛の命と全身全霊で向き合う。今どき珍しくなった家族4世代の食卓風景も圧巻です。纐纈あや監督に撮影秘話等を伺いました。

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映画『ある精肉店のはなし』より

<纐纈あや監督インタビュー>
―凄い一家がいるのですね。感動しました。
纐纈あや監督(以下敬称略):本当に凄い一家です。こういう方々に巡り合えたのは幸せでした。
―どのようにして知り合われたのですか?
纐纈:出会いは偶然なのです。映画にも出てきますが、この町のと蓄場の閉鎖が決まり、知り合いの学校の先生が発起人となってと蓄の見学会を企画しました。ナイフ1本で解体しているのは今や国内ではほとんど見ることができない、貴重な技術です。2011年の10月のことで、私も参加しました。その時には、まだ映画化までは考えてなかったけれど、解体作業の技術を記録に残すために撮影させて欲しいとお願いしました。北出さんたちも七代続いてきたと蓄の仕事が終わるので、記録にしておきたいという思いもあったようです。見学会が終わって、北出の皆さんに色々話を伺ったのですが、父親のことを話し出すともう止まらない。その様子から既にこの世にはいないお父さんのことにとても興味を持ちました。この一家をもっと知りたいと思い、映画を作りたいとお願いしました。

―でも、関東の監督に貝塚は遠いですよね。
纐纈:そうですね。私の初作品の「祝の島」も山口県の離島が舞台で日帰りができない所でしたから、遠いのには慣れています。映像ってまずその場所にいることが仕事です。to東京から通っているだけでは、微妙な雰囲気が掴めない。まずはここにいようと、近くに部屋を借り、1年間半そこに寝泊りして生活しました。と蓄場の仕事だけでなく、北出さんの暮らしを撮りたい、でも何を撮ったら暮らしが見えてくるのか、手探りから始まりました。家族の関係性や、地域とのつながり、毎日どんな風に過ごしているのか、できるだけその場にいさせてもらって、一家の生活を見させていただきました。こういうことをするので、映画を作るのは、とにかく普段から体力と気力、そして根気がないと出来ません。

―1年半カメラを回したと?
纐纈:期間としては1年半ですが、その間ずっとカメラを回していたわけではありません。1回の撮影は1週間位です。間をおいてはそれを繰り返すわけで、カメラを回す以外の時間がかなり重要だと思っています。カメラがあるとどうしても緊張してしまうので、撮影隊がいることが当たり前になるような時間を積み重ねていけるのかがだと思っています。
―なるほど。撮影で大変だったことは?
纐纈:と蓄や精肉作業などの仕事振りは、その姿や手の動きや、話す仕草などに現れますが、過去の時間を表現することがとても難しいことでした。もう父親はいない。でも、この一家の根幹は父親だと感じていたのでそこは大事にしたい。兄弟の話す父親の思い出話から、観客の皆さんに想像していただければと思います。

―そういう意味でも成功されているのでは? 父親像を濃密に感じました。
纐纈:ありがとうございます。北出さんご家族の日々の暮らしを通して、と蓄の仕事もきちんと見ていただきたいと思いました。暮らしを支える大切な仕事として描きたかったのです。作業を従事する人々を特別な人と捉えたり、特別な場所と捉えたりしないでいただきたいなあと。父親は、被差別部落ゆえのいわれなき差別を受けてきました。兄弟はそういう父の姿から、差別のない社会にしたいと、地域の仲間と共に部落解放運動に参加し、いつしか自分たちの意識も変化し、地域や家族も変わっていきました。

―そういう屈折したものをまるで感じさせません。まるで手品のように見事に牛を裁いていく手元、無駄な動きがなくて、ただただ見惚れました。体に染み付いた職人技だと思います。刃物を持った男性の動きだけでなく、洗ったり分けたりする女性の動きも滑らかで、動作の一つ一つが美しい。そういう意味では熟練した特別な人たちの特別な仕事でした。お肉になってもこんな風に大切に扱われて、幸せな牛たちです。もし私が牛だったら、ここで処理されてお肉になりたい。
纐纈:そうですよね。実際に北出のお肉はとっても美味しいんです。肉を知り尽くした一職人として、それぞれの肉質を見極め、最良の状態でお客様に提供する。北出のお肉を食べた時に、あまりの美味しさに、今まで自分の食べていたものはなんだったのかとびっくりしました。

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映画『ある精肉店のはなし』より

―私もこの映画を見て、お肉を食べたくなりました。お肉が美しいですよね。それに牛一頭余すところなく、あらゆる部位を食し使うのも凄い。見事です。たとえ命が尽きたとしても牛冥利に尽きるというものでは。
纐纈:本当にそうですよね。と蓄場がなくなって牛の飼育をやめた次男の昭さんが、牛の皮を使って太鼓作りを始めたのも、昭さんなりに牛との付合いを続けいくあらわれなのではないかと思ったりしました。

―お祭りの風景も新鮮でした。京都に住んでいるので、お祭りというと雅なものを思い出しますが、ここのお祭りは雄大で勢いがあって驚きました。それに単に行列を眺めるものではなく、町の人々にとってお祭りは参加するものなのですね。立派なだんじり、お揃いの衣装、新調した大太鼓。お金もかかっています。おみこし等の担ぎ手がなくて車で運ぶところまで出てるというのに、ここの皆さんのお祭りにかける並々ならぬ意気込みを感じました。
纐纈:昔、この地域のだんじりが貧弱だと言われて悔しい思いをし、貧しい暮らしをしながらも切り詰めてお金を貯め、地域一番のだんじりを作ったんです。あのだんじりは、この地域の皆の誇りなんですよ。

―この作品でもうひとつ印象的なのが、温かく賑やかな食事風景です。今どき珍しい大家族での食事、食べることでも家族がつながっているのだなあと思いました。こういう環境にいたら、引きこもりや鬱という現代人の悩みは起こらないでしょうね。
纐纈:土間続きに食堂があって、何かというと家族みんながそこに集まるんです。ご飯は誰がきてもいいようにいつも少し余分に作っているから、「なんかある?」っていう感じで、子や孫がやってくる。私もよくお邪魔しました。
―切り口の多い作品ですね。色々な視点で見ることが出来ます。社会問題を含みながらそれにも振り切らず、と蓄解体、食の問題、家族問題、でも一番印象に残るのは皆さんの笑顔と鮮やかな手さばき、つまり生き方でした。まさに「ある精肉店のはなし」だなあと、納得しました。いつか元気の出ない時には、北出商店に行きたいなあと思います。何も話さなくても、笑顔で美味しいお肉を渡してもらうだけで、悩みなど吹き飛びそうですから。                           (聞き手:犬塚芳美)

<インタビュー後記:犬塚> 
昔、師匠から映画監督を薦められたとき、自分にはそんな特別なことは出来ないと思ったそうです。でも、考えてみると、被写体と映す人との関係性が映像にあらわれる。自分と被写体の関係は唯一のものだ。自分がその人と関わって、もっと知りたいとか、素敵とか思うのだったら、それは自分固有のものだから、自分にも出来るのではないかと思ったそうです。お若いのに、地に足のついた制作姿勢、お話にも色々と納得させられました。骨太な監督だと思います。

この作品は、12月7日(土)~12月27日(金)、第七芸術劇場で上映。
時間等は劇場(06-6302-2073)まで。

なお、1月11日から神戸アートビレッジセンター 、順次京都シネマ にて公開。
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映写室「天心」松村克弥監督&木下ほうかさんインタビュー

映写室「天心」松村克弥監督&木下ほうかさんインタビュー  
 ―岡倉天心とその弟子たち―

「日本近代美術の父」といわれる岡倉天心が、竹中直人さんのキャラクターでチャーミングに蘇りました。門下生として天心と行動を共にする、横山大観、菱田春草、下村観山、木村武山との若き日々。日本近代史と美術史の一端が覗けます。撮影秘話等、松村克弥監督と、下村観山に扮した木下ほうかさんに伺いました。

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©2013映画「天心」製作委員会

<あらすじ>
昭和12年、第一回文化勲章を受けた横山大観(中村獅童)は、新聞記者から1枚の写真を見せられる。映っていたのは、天心に師事し五浦の地で修行する、若き日の大観とその仲間だった。乞われるままに、五浦で過ごした青年時代と、岡倉天心の生涯を振り返る。


<松村克弥監督&木下ほうかさんインタビュー>
―日本史、特に近代史に弱く、驚くことばかりでした。あの時代の日本は、自信をなくして、古来の伝統までを否定していたのですね。
松村克弥監督(以下敬称略):そうなんです。ここまでやったのかと、僕も調べて驚きました。廃仏毀釈とかは知っていましたが、これも想像以上の凄まじいものだったようです。仏像をたくさん燃やしていますからね。阿修羅像のある興福寺法隆寺も危ないところでした。五重塔の上に綱を付け、引き倒そうとしていますし、焼き払おうとして、建物の根元に薪を並べ火をつける寸前に、地元住民の反対で中止となったのです。

―地元の皆さんの誇りですものね、そりゃあ反対しますよ。
松村:いや、そういう理由ではなかったんです。「火をつけたら周りの自分たちの家に飛び火する。危ないからやめてくれ」という、きわめて現実的なものだった。
―え? 残ったのは幸いですが、理由を伺うと釈然としないものがあります。
松村:その後で、岡倉覚三(後の天心で本名)とアーネスト・フェノロサが入って調査しレポートを書くわけです。貴重な資料とわかって助かったんです。法隆寺も荒れ果てていたんですよ。そこにも二人の調査が入って、寸でのところで残されました。

―それほど日本人は自信をなくし、伝統を否定したのですね。もっとも日本だけでなく、よその国を見ても、体制の変換期には、自国の過去を否定する運動が起こっていますね。平常心をなくしたその当時の人々を思うと、痛ましくもあります。
松村:当時の日本文化は壊されたり焼かれたり、調べれば調べるほど凄まじいものでした。フェノロサと岡倉、二人の果した役割は大きいです。
―ところで、お堅いイメージの岡倉天心がチャーミングに蘇えっていて、驚きました。
松村:この企画が来るまでは、僕にとっても、天心は「茶の本」の執筆や世界的な活躍など、お堅く遠い存在でした。実はこの企画は居酒屋トークから始まったのです。大学の後輩が銀座で画廊をしていて、ある時、岡倉天心の映画を作ろうと言い出したんです。お酒の席での話はたいていそこでで終わるものですが、この話は珍しくそこから進展しました。で、調べてみると、天心は意外や人間味あふれる人物で、興味を持ったんです。

―特に参考にされたものは?
松村:松本清張の「内なる敵」を読んだんですが、さすがに清張さんで、聖人君子ではなく弱いところも脆さもある、人間臭い、人情味あふれる人物として天心を描いています。映画的な人物だなあと思いました。参考にさせていただき、そういう視点から脚本に仕上げていったんですが、それを竹中さんがリアルに演じてくださり、よかったなあと思います。
―ちょっと意外だったんですが?
松村:大分前にあったNHKの番組では山崎勉さんが扮していました。何か納得しますよね。僕にもそういうイメージがあったんですが、天心を研究している大学の先生から、「実際の天心は、得体が知れなくて、この映画の竹中さんが演じるような人だった」と言って頂き、嬉しかったです。

―時間を逆戻りさせたり、構成にも色々工夫がありますね。
松村:僕はテレビでサスペンスを撮っているので、そういうドキドキする、スリリングな構成をしたいと思いました。それと、物語を現代につなげたいというのもありました。岡倉天心という名前は、多くの方が歴史上の人物として知っていますが、僕のように漠然としたイメージだけで、詳しいことを知らない。その点、横山大観なら、ほとんどの人が日本画の大家として知っています。そういうメジャーな人を、ビッグネームの中村獅童さんに演技て貰ったら、分かりやすいのではないかと考えました。しかも大観は天心の愛弟子です。弟子から見た天心という形を取りました。しかも大観を回想に導く新聞記者は、石黒賢さんです。豪華でしょう? メジャー感を出して観客を惹きつけたいと思いました。
―そういうビッグ・ネームがたくさん出ています。キャスティングが大変だったのでは?
松村:同時代の4人の画家と、彼らを率いた天心を描くわけですから、決まるまでは頭を悩ましました。それと皆さん忙しいので、撮影時の調整も大変でしたね。でも、天心を含めた5人のハーモニーは上手くいったと思います。

―考えてみると同時代の日本画家という、ある意味で一くくりになるグループを演じ分けるわけですから、演出も役者さんの演技も大変ですよね?
松村:僕もそう思っていたんですが、現場に行ったらもうそれぞれが出来上がっていました。
木下ほうかさん(以下敬称略):僕は天心の4人の弟子のうちの一人、下村観山を演じたわけですが、お手本は「ときわ荘」です。天心が手塚治で、後は弟子たちだと。
―なるほど、そう言って頂くと分かりやすいです。この作品、絵を描く手元が映ることが多いのですが、特に観山がそうですが、あれはどうされたのですか?
松村:全部役者さんですよ。吹き替えはありません。ほうかさんとか、相当努力されたんじゃあないかなあ?
木下:まあいくらかはしましたが、たいしたことはありません。腕をついて、支えにして描くと楽なんだけど、それをしないで描くんですよね。線を引くのも大変でまあ、ちょっと練習しました。

―そういう過程で、観山の絵を手に入れるほどの一体感が生まれたと?(ほうかさんは、撮影後に観山のお軸を手に入れています)
木下:いや、一体感というより、演じて生まれた情ですね。「観山の絵とか興味あるね」とポロッと言ったら、撮影後に手に入れられる値段でそういう機会に恵まれました。他の人ではない、観山のお軸が、演じた僕のところに来たのは、感慨深いものがあります。しかも、どうやらこの時代に描かれたもののようなんです。
―観山とほうかさんの想いが引き寄せたのかも?
木下:どうなんでしょうねえ。
松村:美術史的に見ても、驚くことがありました。僕らは大観とか春草とか言うと、これぞ「ザ・日本画」で、日本画の代表のように思いますが、当時はそうではなかった。洋画の台頭で日本画が衰退するだけでなく、日本画の中でも天心の率いた彼らは異端だったんです。

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©2013映画「天心」製作委員会

―輪郭を描かない、没線(もっせん)描法は「朦朧体(もうろうたい)」、「化物絵」と呼ばれて、激しい非難を受けたのですね。初めて知りました。
松村:前衛はいつの時代も異端なんですよ。
―でも、彼らを率いた天心は、27歳で東京美術学校(現東京芸大)の学長になっている。それまでの日本文化を否定したりと色々あるけれど、この時代は若者の活躍できた時代でもあったのですね。
松村:それまでの全てがひっくり返って、新しい時代が始まったんですからね。若い人しかいない。チャンスが一杯あったんでしょう。又当時の若者も、新しい国を作ろうと果敢で必死でした。明治の半ば頃までに色々な分野で天才が出ています。明治は面白い時代です。

―そういう時代観を画面から感じました。
松村:ありがとうございます。少ない予算ながら頑張りましたから。それと、当時の場所で撮影できたのもよかったんだと思います。特に五浦に、当時のように六角堂を建てれたのは大きかったですね。土地の空気感というか、そういうものがにじんでいるように思います。美術も頑張ってくださいました。この作品の主役はほうかさんたち5人の役者さんですが、もうひとつは間違いなく五浦の土地、景色や海です。カメラの瀬川さんがロングをたくさん入れて、そういう土地の匂いを切り取ってくださいました。僕がカット割したらこうはいかない。感情の動きのあるところなど、もっとアップを入れると思うのですが、瀬川さんのおかげで、風景を多用した余情のある画面になりました。感謝しています。又、地元の皆さんが全面的に協力してくださり、エキストラはすべて地元の方です。地元の人が映ることでプロのエキストラでは出ない、土地の匂いが出せました。又、炊き出しもして下さってありがたかったですね。約1ヶ月の合宿のようなロケでしたから。

―確かここは、震災の被害もあったところですよね?
木下:そうなんですよ。本物の六角堂は津波で流されてしまっています。それに撮影中にも、何度か余震がありました。海の撮影の前で、どうしようかと思いましたね。でも五浦の海は美しかった。天心たちがこの地まで追い詰められ、後戻りできない状態で修行した心情を追体験できました。
松村:この作品が上手くいったのは、役者さんやそれぞれの部門のスタッフという、皆さんの力が大きいんですが、もう一つは川島章正さんの編集の力です。最初は監督である僕の意見を入れれるように余裕を持って繋いでいるんですが、何回目かの時には、川島さんがもう1秒たりとも動かせない、絶妙の呼吸で仕上げてきてくださいました。経験の豊かなベテランだけに、凄いなあと思いましたね。
木下:録音さんも頑張りましたよね。
松村:そうなんですよ。納得いかないと言って後で音を録りに行ったんですが、それでも納得できずに効果音を作っています。それぞれのスタッフが、それぞれの分野でこだわりを示してくれました。

―エキストラさんの動きもいいですよね。画面のずっと後ろを横切る人の動きが自然で、演出の神経が行き届いていて、(あ、この作品お金を使っているなあ)と思いました。
松村:いえいえ、映画としては低予算の作品です。でもそれをカバーするよう出来る限りの努力をしました。
木下:まるで合宿のような現場ですからね。皆の気分がだんだん盛り上がっていきました。そんな中で、竹中さんはあの方らしく独特の方法で、僕らを引っ張ってくださいました。緊張を緩めようと、真剣なシーンを撮っているカメラの向こうで、ふざけた顔をされたり、後ろから足でいたずらされたり、参ります。でもその時は取り直しになるけれど、肩の力が抜けて次にはいいものが出来る。何を考えているのか分からない天心そのものの、大きな竹中さんでした。
松村:この作品は、天心没後100年を記念して作られました。でも物語は、外国との関係も含めて、今に通じる多くのメッセージを含んでいます。あの時代を切り開き、日本文化を作った若者に、しばし心を馳せて欲しいと思います。

<インタビュー後記:犬塚> 
手に入れられたという下村観山の絵を拝見しました。嬉しそうなほうかさん。まるでインタビューの場所までが、あの頃に帰ったようです。お話しぶりから、松村監督もほうかさんも、映画を作ってますます岡倉天心とその愛弟子4人に惹かれていることを感じました。
 劇中に出てくる春草が振り返っている写真は、実在するものをそのまま真似たのだそうです。何か言いたげな春草はその後ほど無くして夭逝しました。1枚の写真の物語る歴史の1ページ、そこから映画は始まったのかもしれません。

この作品は、12月7日から梅田ガーデンシネマ、
12月21日から京都シネマ、1月元町映画館 にて公開。

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