太秦からの映画便り

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新星ニナ・ケルヴェルの可愛さに参った!

映写室 NO.134  ぜんぶ、フィデルのせい
   ―主人公と一緒に追体験する激動の70年代―

 9才の少女が「ぜんぶ、フィデルのせいよ!」と口を尖らせるそのフィデルとは、フィデル・カストロの事。70年代のパリ、豊かな階層の少女は、共産主義に目覚めた両親のせいで生活が激変する。(こんなの嫌!)と幼い心は張り裂けそう。これはそんな少女が、不満だらけの目で見た激動の70年代世界史です。500人から選ばれた、新星ニナ・ケルヴェルの卓越した可愛さと共に、柔らかい心が自由の意味を考え、社会の変化を受け止める様をお楽しみください。

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(C) 2006 Gaumont-Les Films du Worso-France 3 Cinema

荒筋 
 1970年のパリ、9才のアンナ(ニナ・ケルヴェル)は名門校に通うお嬢様だ。休みになるとボルドーの大きな祖父母の家で過ごす。ある日スペインで反政権運動をしていた伯父さんが殺され、従姉親子が家に来る。アンナは不満だ。お手伝いのフィロメサも二人を嫌い、共産主義やフィデル・カストロが悪いと言う。でも両親はこれをきっかけに社会正義に目覚め、パパは弁護士を辞めアジェンデ政権の為に動き出し、ママも中絶の取材を始める。反共産主義者のフィロメサは首になった。急に貧乏になり、引っ越したアパートでは弟と同じ部屋、しかも得体の知れない人々がいつも出入りする。

 <…なんて荒筋を書くと社会派>なんだけれど、9才の我らがマドンナは、そんな事にはまるで興味がない。恵まれた自分の生活を乱されるのが嫌で、仏頂面をするばかり。
ある日我慢も限界に来て、弟の手を引きプチ家出。その一途な顔の可愛い事、可笑しい事、笑い転げる。最もこのぶち切れた行動が、後々少女に、恵まれた暮らしの裏側には、多くの犠牲がある事に気付かせるのだから、自分で社会への扉を開けたようなものだ。9歳にして自我を持つアンナは、理不尽な事には反発し、自分で納得しないと動かないと言うあたりが頼もしい。

 <監督が、社会派コスタ=ガブラスの娘>ジュリー・ガブラスと聞けば、この映画を別の感慨で観る人もいるだろう。原作はあるものの、監督は時代や場所を変え、自伝的な要素をちりばめて脚本を執筆。チェ・ゲバラと並ぶ革命家フィデル・カストロが当時の欧州に与えた影響を、少女の目線で捉える。アンナとその頃の監督が重なる訳だ。
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 <視点は少女のものだけれど>、歴代のベビーシッター等、家に出入りする大人の言葉の端々から、当時の世界情勢が浮かびあがる。70年代初頭は、5月革命後のフランス国内の政治活動、ウーマンリブ、スペインのフランコ独裁政権、キューバの社会主義政権、ベトナム戦争、チリのアジェンデ政権等まさに激動期で、日本でも学生運動が激しく、70年には日本赤軍による「よど号ハイジャック事件」が起こった。世界中が右へ左へ蠢いた時代だ。右往左往する大人に巻き込まれて、少女が大好きな物をどんどん取り上げられる不満を、誰もに解かり易い「カストロのせい」とは言わず、「フィデルのせい」と言う、お洒落なセンスに溢れた社会派作品だと思う。

 <ニナ・ケルヴェルも可愛いけれど>、弟役のバンジャミン・フイエも可愛いったらない。姉の苛立ちを上目使いに見ながら、従う事でさり気無くフォローする様子など、この幼さでもうナイト。ノー天気に見えるパパも社会を憂う苦悩を見せ、ママはもっとあからさまに世俗に流される自分へ苛立ちを現しと、両親の描写には、子供の視点だけでなく大人になった監督の、共感が加味される。もっとも今日は日曜日だからと、朝食を皆でベッドで取り、子供達がパパにくすぐりっこで遊んでもらう様子なんて幸せそのもの。バックに社会性を置きながら、表面を覆うそんなホンワカ感が、この作品の魅力だと思う。

 <さあ、アンナはどうなるのか> ラストシーンの、一人新しい学校で周りを見回す姿が成長の証しだ。それを見守るように俯瞰するカメラが、この両親の愛の形かもしれない。ちびっ子2人の魅力に引っ張られ、激動の時代を俯瞰した。ユーモラスで、誰に対しても否定的でない、穏やかな監督の視点が心地良い作品です。


 関西では1月19日より、梅田ガーデンシネマで上映中
    1月26日(土)よりシネカノン神戸、3月京都シネマで上映予定


※ディープな情報
 ジュリー・ガブラスがチリの軍事クーデターのエピソードを加えたのは、父の代表作「ミッシング」(’82)を意識しての事。この映画が作られたのは監督が11才の時で、アジェンデの写真を見ると、今でも当時を思い出すと言う。父の憂いをアンナの様に盗み見ていたのだろうか。ところで、監督だけでなくママ役のジュリー・ドパルデューも、父にジュラール・ドパルデューを持つ俳優一家の二世で、この作品に関わる二人の女性が、アンナと同じく豊かな両親の愛の元、成長した姿を見せている。
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コメント


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今晩は

前に、『ダブリンの海』を見に行ったとき、予告編でやっていた中で、一番見たいと思った映画でした。
フランスの映画って、なんか洒落てて、ユーモアもセンスよく入っていて、魅力があります。
大学で、フランス語をとったのも、そんな憧れがあったから…。

ところで、『ダブリンの海』は、「BIG ISSUE」を売っているところなど、細かいところまで描かれていて、結構気に入りました。
観て欲しいなと思っていた(けど、伝えてはいないのです)、我が家の長男も、見たそうです。

大空の亀 | URL | 2008年01月24日(Thu)22:10 [EDIT]


今晩は

こんな所も見つけてくださって恐縮です。どうも有り難う。
私も必須の第2外国語にフランス語を選択したのに、しかも京都でフランス語を学んだ人なら知らない人はいないと言う有名な先生だったのに、今やさっぱりです。
ところで(実は私も固有名詞に弱いのですが)、海がきれいなシーンがあったので間違われたのだと思うけれど、その映画の正しい題名は「once ダブリンの街角で」です。息子さんにぜひ見て欲しかったので、良かった!でも勧めなくても見てるなんて一家で以心伝心。両方とも主要人物に悪い人が出てこなくて、俗っぽくないのがいいです。

犬塚 | URL | 2008年01月25日(Fri)00:27 [EDIT]


 

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