太秦からの映画便り

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映写室 NO.181 青い鳥

映写室 NO.181 青い鳥 
 ―大人は、みんな、14歳だった―

 思春期の繊細な心を描いて定評のある重松清の小説が、「きみの友だち」に続いて映画化された。学校の荒廃が叫ばれる今、1人の生徒の自殺未遂を巡るこの物語は、大人が思う以上に身近になっている。いじめを扱いながらお説教臭くならないのは、主眼を主人公の教師の魅力を描く事に置いているからだと思う。教師はまるでそれが彼の贖罪であるかのように、執拗に苦しんだ生徒の思いを皆に想像させる。優しい瞳と「本気の言葉」が真っ直ぐ心に届いて、いつの間にか立ち返る自分の14歳の頃。ひりひりとした思春期の痛みを思い出します。思春期の貴方と心の中に思春期を持つ貴方に見て欲しい。

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(C) 2008「青い鳥」製作委員会

<荒筋> 
 とある中学校の新学期、一見平穏だが前の学期に野口と言う生徒が、いじめで自殺未遂を起こし転校している。遺書には「僕を殺した犯人です」と3人の名前が記されていたが、それが表に出ることは無かった。担任教師は重圧から休職し、臨時で村内(阿部寛)が赴任してくる。村内の極度の吃音で教室には笑いが起こるが、村内はどもりながらも「忘れるなんて卑怯だな」と呟くと、外に出された野口の机を中にいれ、毎朝誰もいない机に向って「野口君、おはよう」と繰り返す。


 <事件の発端は、1人の生徒が>コンビニを営む両親の店から次々と万引きを強要されて、断りきれずに自殺未遂を起こした事だけれど、この物語は彼からでも加害者からでもなく、周りにいた生徒の心の揺れから描いていく。実はこれが一番心配される事で、それでなくても思春期の子供たちはナイーブだ。友人の自殺未遂は衝撃だし、何か出来なかったのかと自分を責めることもあるだろうし、、自分がその原因かもしれないと思うとよけいに辛くなる。とりわけ園部(本郷泰多)は、友だちの自分までが盗みを強要したせいで、野口は死のうと思ったのではと、悩んでいた。誰にも言えないものの、遺書の最後の名前は自分に違いないと思い込んでいる。一方無関心と言う冷酷さも誰もが持つ物、村内は辛抱強くそんな子供の何かを待つのだった。

 <生徒達は古傷を付かれてだんだんイライラを募らせていく> そりゃあそうだろう、後ろめたいからこそ忘れたいのに、村内は忘れる事を許さないのだ。もちろん人を死のうとまで思わせたことを、そんなに簡単に忘れて良いわけがない。苦しみぬいて自分は何をしたのかを考えないといけないのだけれど、たいていの教師や親は自分の責任に及んでくるのを恐れたり他の生徒の動揺を嫌って、腫れ物に触るようにその話題を避ける。中には子供たちの心を掴めない素っ頓狂な思いやりで、物分りのよさを示す教師もいるが、子供たちの心がよけいに離れていく事に気付かない。
 誰もが忘れようとする中、1人村内だけは目を逸らさなかった。彼の姿勢が少しづつ子供たちの心を溶かして、あの時何があったのかと考え始める。こうして初めて本当の再生へと動きだす。

 <無理難題を言っても、へらへら笑いながら>要求以上のものを持ってきた野口、笑いの影で死のうと思うくらいに苦しんでいたんだと、やっと気付いた子供たち。苦しみをストレートに表現する者もあれば、屈折して逆説的に表現する者もいると、野口の自殺未遂は教えてくれた。明かされる最後の1人の名前は当然と言えば当然の事、子供たちだけでなく観客の私たちにも容赦なく突き刺さってくる。本質から目を逸らさない作業、村内のような事の出来る教師がどれほどいるのだろう。

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(C) 2008「青い鳥」製作委員会

 <阿部寛の演じる教師の佇まいが>、悲しみを秘めて味わい深い。静かな瞳、長身をかがめた姿勢で着込んだ綾織りのジャケットを羽織り孤高を貫く姿に、彼の誠実さと抱える物の深さが垣間見える。ともすれば過剰になりがちな吃音を、物まねではなく心から絞り出す声として演じた功績は大きい。たどたどしいからこそ思いがこもる言葉、その重さが観客や子供たちの心に響く。彼もまた時間を止めて彼の贖罪を続けているのだろう。心からの言葉はこんなにも重いものだと、噛締めながら聞いた。
 <本郷泰多の演じるナイーブな少年も>、繊細な容姿を持つ彼の本領発揮で素晴らしく、ひりひりした思春期の痛みを思い出させる。誰もがこんな傷を持ちながら思春期を通り過ぎて行く。でも何時しかそのナイーブさを忘れてしまうのだ。そんな感情をリアルに描く、重松清の小説を読む度に、永遠の思春期を生きているのだろう作家の感性に驚かされる。
 <脚本、演出も素晴らしく>、描く事と想像させる事の間合いが見事で、特に冒頭ずっと村内の顔を映さず、本や服、靴等でこの教師の人となりを説明する手法に魅せられた。

 <何か事件が起こると、「虐めは無かった」と>たいていの学校が発表する。聞かされるたびに腹立たしい言い訳だけれど一向に減らない。傷ついた生徒の事よりも、自分たちの責任逃れや残された生徒を傷つけるのを恐れる姑息さが繰り返されている。
 <教職にいる方は口をそろえて>今学校が荒れていると言う。生徒だけでなく、その対応に追われてこの物語の担任のように神経をやんで休職する教師もいれば、安定剤などの薬に頼りながら何とか乗り切っている方もいるらしい。何時の間に学校がこうなったのだろうか。私たち大人社会の閉塞感が子供社会までを締め付けているらしい。犠牲になるのはいつも弱いところ、繊細な思春期の子供たちが悲鳴を上げているのだ。でもこの物語のように、傷ついても、過ちを犯しても、友達と一緒に立ち直る方法はあるのだと思い出して欲しい。(犬塚芳美)

 この作品は関西では、シネ・リーブル梅田、シネプレックス枚方、
              シネ・リーブル神戸で上映中
           12月20日(土)より京都シネマで上映
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コメント


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おはようございます。

原作を去年読んでいて、村内先生のイメージは阿部寛さんとはかけ離れていて・・・。

ここを読んで、やっぱり観にいってこようと思い直しました。
明日、観に行ってきます。
 

 

kimico | URL | 2008年12月11日(Thu)09:00 [EDIT]


村内先生は

阿部寛さんの村内先生良いですよ。ぜひごらん下さい。子供たちと接する方に見ていただけるのが何よりです。モデル出身の彼がいつの間にこんな名優になったのかと感嘆しました。長身を生かして色々な身体表現に使っています。試写の後エレベーターの前で、顔を合わすだけだった方と、涙ぐんだ目で思わず褒めあってしまいました。夏にタイミングの関係で、素敵だった「きみの友だち」を紹介しそびれたので、今回は逃したくなくて少し遅れながらもこの作品を取り上げました。こんな思春期の疼く様な心情を描いた物語が好きなのですが、この頃中々読む余裕がありません。kimicoさんのコメントで私のほうは逆にもっと本を読よもうと思いました。

犬塚 | URL | 2008年12月11日(Thu)09:21 [EDIT]


重松清

私もkimicoさんと一緒で、先生のイメージが原作と違うなと思っていました。
逆に、その差を映画で見るのも興味深いかもしれませんね。
重松清さんの小説は、描かれている世界がリアルで、時々辛いときがありますが、根底に優しさがあるので、やっぱり読んでしまいます。
彼の小説が読まれたり映画になったりする時代は、ある意味辛いけれど、読んだり見たりする人がたくさんいるということは、逆に救いでもあるなと感じています。

大空の亀 | URL | 2008年12月12日(Fri)11:03 [EDIT]


さすがに教育現場の方はちゃんとチェックされてますね!

子供たちの視点に立てばつらいけれど、そんなこともありながら何とか潜り抜けて大人になった人の視点(ここでの村内先生のように)も描かれているので、私の場合は、孤独感を深めなくても解ってくれている人はいるよという風に解釈してと、救いになります。思春期はなぜあんな事で傷ついたのかと思うような些細な事にも、心を痛めていた。彼らがそんな風に繊細なのを忘れないでいたいと思います。
お正月はゆっくり小説を読もう!

犬塚 | URL | 2008年12月12日(Fri)21:00 [EDIT]


MEN'S Nonno でしたっけ?モデルとして活躍されてましたよね。
阿部寛さんの美しい外見。
「いいとも」の「いい男さん いらっしゃい」のコーナーで素敵に歩いていた、あの阿部寛さんが。
原作の村内先生は、ちょっとくたびれた印象の先生なのですが、阿部寛さんの村内先生はぜんぜん違うけれどすごく良かった。
短すぎる袖丈のコートも、それを着て立っている後姿から言葉にならないいろんなものがにじみ、伝わってくる感じ。
声のトーンもまなざしも、言葉にセリフにないたくさんのものを伝えてくれる。
いいセリフがたくさんあったんだけれど、佇まいのほうが印象的でした。

本郷泰多くんの表情も、胸にせまるものがありました。
うちにも中学2年男子がいるのですが、思春期の子どもってナイーブでいてそして、とっても残酷。
KYと言われたくなくて、オトナやまわりの顔色見て行動する・話すことに神経を遣うことに慣れすぎちゃっていて、本気になれない。
でも、身体や心のなかには、やっぱり自分がいる。
子どもが、人が、本気で話しているときに本気で聞ける人にならないと、私も。
本気をきちんと受けとめられるように、ならないと。
子どもは、本気を受けとめてくれる人には本気になれるんだ、きっと。
そういった存在が絶対に必要なんだ。
本郷泰多くんの園部くんを観ていて、つらくて。
夕食のときに、親が学校や担任の悪口を食卓で話さないでよ!と怒りをおぼえました。


いろんなことの、答えの糸口になるようなセリフもたくさんあったのに、それでも、それ以外のもののほうが心に残りました。

1番印象的だったセリフは井上くんの「あいつ、生きててよかった・・・」細部は違うかもしれませんが、死ななくてよかった じゃなくて 生きてて良かった といったところでした。

kimico | URL | 2008年12月13日(Sat)09:44 [EDIT]


kimicoさんの丁寧なコメント

感慨深く拝読しました。阿部さんのゆっくりな動作と微妙な猫背が、多くの事を物語っていますよね。衣装のどこかで時を止めて生き出した様な、少しくたびれた感じもぴったりでした。原作で彼は悲しい事件から自分の言葉の軽さを恥じて吃音になったとでも描写してるのでしょうか。観客に想像させるそのあたりの映画の抑制も上手くて、監督の力量も見事でした。
それと私もそのセリフ印象に残っています。それに続く、「あいつ友だちできたかな?」、「俺らより、良い友だちが出来ているよ」の抑制、(単純な私だったら「誤りに行こう」とか、「又一緒に遊びたいね」となる所です)そんな風に想像して祈る事しかしてはいけない位まで彼を傷つけた事とか、子供たちの繊細さが心に染みました。
原作がしっかり心情を書き込んでいるからなのか、重松作品の映画化作はどれもすばらしい仕上がり、一つのブランドになりました。

犬塚 | URL | 2008年12月14日(Sun)07:56 [EDIT]


始めまして!

阿部寛さんを見て心ある先生方も傷ついているのだと。朝日の投稿欄に彼の演技に励まされた吃音の教師志望の方の声が載っていました。搾り出すような言葉が皆の心に届きましたね。

亜紀 | URL | 2008年12月15日(Mon)09:45 [EDIT]


亜紀さん始めまして!

評判が良い作品ですね。原作も丁寧に書かれているし、演出俳優さんも良いのでしょう。夏に「山のあたな 徳市の恋」を見て目の不自由な方の形態を草薙さんが模写してらっしゃるのがどうにも辛かったのですが、阿部さんの演技を見てその理由が解りました。目が不自由というのも、草薙さんが形態ではなく、見えないと言うことに重点を置いて演じたら、あんな風にならなかったのではと。阿部さんは吃音を吃音の形態ではなく、思いが詰まる方において演じたのが素晴らしかったと思います。少し遅れての紹介でしたが取り上げてよかったと安堵しています。

犬塚 | URL | 2008年12月16日(Tue)03:43 [EDIT]


この映画が吃音をきちんと取り上げて下さり嬉しかったです。どもりながらも思ったことをゆっくりと話す阿部さん、阿部さんの言葉をジッと待つ生徒達。涙が出ました。

| URL | 2008年12月20日(Sat)07:34 [EDIT]


吃音について

多分村内先生は自責の念から吃音になったのでしょうが、一つ一つの言葉を丁寧に搾り出す姿が感動的でしたね。私なんて簡単に言葉を発しすぎると反省しました。受け取るほうからは魅力的でも、詰まるかもしれない言葉を発するほうはどんなに緊張するだろう。恥ずかしいという思い等は克服されてるでしょうが、それでも構えてしまうだろうその緊張が、伝わってきました。

犬塚 | URL | 2008年12月21日(Sun)06:03 [EDIT]


 

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