太秦からの映画便り

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映写室 『いのちの作法』小池征人監督インタビュー(前編)

映写室 『いのちの作法』小池征人監督インタビュー(前編)    
―岩手県沢内で受け継がれる「生命行政」―

今年最後のインタビューは、大阪所縁の社会派監督をお迎えしてです。
 <このドキュメンタリーは>、神から授かった命は産まれた時からそれが果てるまで、誰もが同じように尊厳を持って守られるべきだと考え、それを「地方行政」の真ん中において、「人間の尊厳」を語り継いでいる小さな町の物語です。撮ったのは『人間の町 大阪・被差別部落』等社会派ドキュメンタリーで知られる小池征人監督。撮影秘話やこの映画が誕生するまでを伺いました。

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(11月末 大阪にて)

<その前に『いのちの作法』とはこんな作品>
 昭和30年代に、日本で初めて老人医療の無料化や乳児死亡率ゼロを達成したのは岩手県旧沢内村(現西和賀町)。元々ここは貧しい豪雪地帯。多病多死で苦しんでいたのを、「住民の命を守ることに自分の命をかける」と宣言した当時の深沢村長によって、日本一の保険の村に生まれ変わった。その志は今も生き続け、「老人」や「障害者」、「社会から排除される人」達が大切にされるさまが映る。若者たちは「雪見ソリ」に老人を乗せて夜の町の雪景色を見せようとするが、…。


<小池征人監督インタビュー>
―大事にされる弱者、優しく世話をする人々、和賀山塊の豊かな自然に抱かれた町の皆さんが明るくて、こんな所に住みたいと思いました。
小池征人監督(以下敬称略):いい所でしょう。撮影の為に大きな家をタダみたいな値段で借りて住んだんですが、大家さんが優秀なお百姓さんでね、お米を持ってきてくれたり、トマトとかとうもろこしとか野菜を一杯くれる。温泉は出るし素晴らしかったですね。山の幸、川の幸に恵まれた沢内は、暮らしやすいから、8000年も前から人が住んでる。縄文土器がここから一杯出てくるんです。その土器と一緒に栗も出るんですが、栗は昔はお米代わりの重要な食料だったんだけれど、その栗の木を山から持ってきて自宅の周りに植えていた。現代の家にも同じように栗の木が周りに一杯あると言う風に、8000年前の英知が今に受け継がれている場所です。命は世代を超えて繋いでいくもの、この地域の8000年の歴史の中で命を見つめようと思って作りました。

―冒頭に映る雪の里山とか、時を止めたように静かで神が宿っていそうです。素晴らしい自然ですね。
小池:実際に八つの神様がいてそれも映したんですが、編集の都合で切りました。自然には良い所も悪い所もあります。沢内は元々土地に力のあるところですが、一方で昔は日本のチベットとか言われたような辺境の地で、そんな厳しい環境だからこそ一人では生きれないと皆が知っていた。支えあうことが自然だし、そこに深沢村長の掲げた理念が根付き、自然の力と培われた文化の力、人間の力が合わさって、「生命行政」の伝統が出来たんだと思います。
―医療や福祉にそれだけ予算を使えば何処かにシワ寄せがあるのでは。
小池:もちろん限られた予算を配分するんですから、他の部分で圧縮してる所があるでしょう。でもそれも仕方ないと皆が納得している。自分たちの町の「生命行政」が住民の誇りなんだと思う。合併で沢内村は無くなりましたが、西和賀町の議会に沢内出身の議員さんが大勢当選しているのも、こんな地方行政を守ろうという皆の意志だと思います。何もここが恵まれているんじゃあない。これを見て、これだったら自分たちの街でも出来るんじゃあないかと思っていただけたら最高です。

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―この企画は日本映画学校で学んだ沢内出身の二人の若者が立ち上げたんですよね。
小池:ええ、そうです。僕もこの村の事を学生時代に本で読んで知ってはいました。でも30数年前のことで忘れていたのを、お話をいただいて思い出し、すぐ、これはやるべきだ、戦後日本の忘れている大切なものがここにあると思ったんです。以前、団塊の世代の社長同士が保険金を掛け合って死ぬという事件がありました。30数年前は世の中を変えようとあれほど戦った世代が、今度は戦わないで資本の論理に負けたままでどうしてこんな事をするのかと辛くてね。高度成長に踊らされた経済の尺度ではなく、自然の恵みの中の命という視点、命を大事に見つめないといけないと思ったんです。そんな意味を込めて「いのちの作法」と言う題名にしました。人間の持っている命は小さな物です。1人じゃあたいした事は出来ないけれど、命をつないで次の世代が頑張ってくれれば良い。偶然ですが冒頭の里山の風景の中にお墓が映っていた。命と言うのは生れて死んででしょう。死も避けられない事で、お墓を見せて人の一生を表せたのは良かったと思います。

―映っているのはある種理想郷ですが、この町にそうでない部分は無いんですか。
小池:もちろんありますが、最初から悪い所は撮らなかった。それがドキュメンタリーが報道と違う所で、記録映画は問題提起をするんじゃあない。人々の営みの中にある勇気をもらえるものをすくい取って、感動を伝えるのが目的です。僕はそれを平熱の力と呼んでいるんですが、この映画にはセンセーショナルなものがなくて早い時間での食いつきはないが、時間がたった時じんわりと温かいんですよね。ここで見つけた宝から自分たちの暮らしに光を当てようと言う姿勢、良いところから出発しようというのがいつもの僕のスタイルです。悪いところは誰でも解りますから。

―小池監督はずっと人権問題や人をテーマに作品を撮っておられますね。そういう姿勢は何処で身に付かれたのでしょう。経歴を拝見しますと、日高六郎さん、土本典昭監督と凄い方々に師事されていますが。
小池:結果的に人に恵まれていましたね。僕の監督としての出発点は、85年の、部落開放同盟と大阪府の教育委員会という、運動と行政が一緒になって作った『人間の街 大阪・被差別部落』です。皮を剥ぐシーンとかの凄い技術が始めて映像になり、地下鉄にずらーっとポスターを貼るような大キャンペーンもあって、当時としては大ヒットしました。僕もこれを撮ったことで、学校で教わってきたような画一的な人の見方とは違う、きちんとした独自の人間を見る視点を持てたと思います。大阪が好きになりましたし、職業とかで分類できるような人しか知らなかったけれど、実際には分類できない人が多いと知った。映画が良い出来だったので、これから後『人間の街』の小池にと言って仕事が来るようになったんです。(聞き手:犬塚芳美)   (明日に続く)

 この作品は12月27日(土)より第七藝術劇場で上映 
 (元旦を除いて1月9日まで10時30分、14時40分開始の2回上映。以降時間変更)
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