太秦からの映画便り

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映写室 NO.186 エレジー

映写室 NO.186 エレジー
  ―運命の人に出会って―

 プレイボーイも純粋な女性も、運命の恋に出会えば人生は一変する。長年女性に肉欲のみを求めてきたカリスマ大学教授と、目も覚めるように美しいスペイン系キューバ移民の生徒は、教壇の上と階段教室の椅子で運命の瞳を絡ませた。原作は、今最もノーベル賞に近いといわれる現代アメリカ文学の巨匠フィリップ・ロスの短編小説「ダイング・アニマル」で、『死ぬまでにしたい10のこと』のイサベル・コイシェ監督が、恋に落ちて自分に自信を無くするという恋愛心理を、男と女、年配者と若者の両側から、しっとりとした大人の物語に仕立てている。こんなにも美しいペネロペ・クルスは見たことがないし、こんなにもセクシーなベン・キングズレーも見たことがない。年齢差を越えて、二人が運命の恋にひれ伏すまでの魂の移ろいを情感豊かに描いた、久々の大人の恋の物語です。

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(C) 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.

<荒筋> 
 デヴィッド(ベン・キングズレー)はテレビや雑誌でも活躍する有名教授で、ある日教室で目もくらむような黒髪の知的美人を見つける。裕福で厳格なキューバ移民の両親に育てられたコンスエラ(ペネロペ・クルス)だった。二人は恋に落ちるが、自由な恋愛を謳歌してきたデヴィッドなのに、彼女の若さと過去に嫉妬し、彼女のほうも心を掴み切れないデヴィッドに疲れて離れていく。でも別れてもそれぞれの心にはお互いの存在が…。


 <恋が切なくて美しいのは儚いからで>、曇りのない幸せの絶頂はほんの一瞬の事。思いが深いほど、両方の思いは危うい不均衡に陥るし、失くしたくないからこそほんの些細な出来事で未来に不吉な影を感じてしまう。この二人も最初は幸せで一杯だった。皆から注目されるカリスマ教授と腕を組むコンスエラは誰よりも誇らしく、若くて美しい彼女とベッドを共にしたと友人に告げるデヴィッドも、年甲斐もなく舞い上がってしまう。でも相手に非の打ち所がないからこそ、失いたくないと自分の欠けたところが見えてしまうのだった。二人一緒の夢を見たいのに、男は自分の年齢から未来の惨めさを思う。輝くばかりに美しい彼女の若さに目が眩んだゆえに、近づいてくる老い、人生の下り坂に向かっている自分が解る。女の方はそんな男の躊躇いに気付かず、彼の過去のプレイボーイ振りを思い出す。相手の素晴らしさが気後れになるという皮肉、それぞれが相手にとっての自分の大切さや、二人一緒の未来を信じられないなんて、一途な恋は切ない。

 <デヴィッドは誰よりも自分が大事で>、異性にひれ伏した事のない男だった。お洒落な部屋に住んで、人生を洒脱にこなす都会人。複雑な女性関係で息子に屈折した思いを抱かせたことも解らないほど勝手なくせに、まるで初心な少年のような臆病さはあまりに陳腐だし、老いを自覚し始めたプレイボーイの末路としてもありふれた話だけれど、ベン・キングズレーが演じると、その我儘さえも魅力になるのだからたまらない。初めて知った執着に苦しみ、厳格なコンスエラの親族の視線にさらされるのを怖がる様は、愚かでも男心の真実でもあるのだろう。こんな風になる自分が嫌で、魂の触れ合いを避けてきたのだろうに、人生も終盤になって陥った深み。それでもこの恋の威力は凄い。彼の隣にコンスエラがいる前半といない後半では、肌の艶まで演じ分けているようだ。

 <邦画ならこの年齢のカップルなんて>、まだ青臭い女性と年老いた男性になってしまうけれど、若くても女性が成熟して大人の雰囲気を持ち、年を重ねた男性が大人の魅力を湛えてセクシーな西洋文化圏では、寄り添う二人は絵的にもぴったり。溜息が出るほどに美しく、身も心も寄り添った大人のカップルになっている。特に、宝石のようだと彼女の美しさをたたえるデヴィッドの視線に重なるカメラワークは素晴らしい。
 彼女の美しさに陰を宿らせず、エキゾチックさをそのまま真っ直ぐ魅力として輝かせるのは、ペネロペ・クルスと同じスペインのイサベル・コイシェ監督ならではのことだ。

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(C) 2008 LAKESHORE ENTERTAINMENT GROUP LLC. All Rights Reserved.

 <コンスエラと対照的な40代の女性を>、悲哀を込めて際どいシーンまでを体当たりで演じ切ったのがパトリシア・クラークソン。シルクの高価そうな下着で包んだ肢体はあちこちにたるみが見えて、デヴィッドに迫れば迫るほど痛々しい。長年体を重ねてきた男に他の女性の存在を感じても、取り乱すでもなく、クールに年を重ねる悲しみや恐れを打ち明け、離れて行くキャリアウーマン。体を求めながら、本当に求めていたのは彼の心だったのだと感じさせる巧みな演技も素晴らしく、彼に似合いのパートナーは彼女なのにとしみじみと思わされる。愚かな事に、それでも男が追い求めるのは輝くばかりのコンスエラなのだ。

 <この作品は最初にペネロペ・クルスありで>始まった物語で、主演女優から依頼されたのが女流のイサベル・コイシェ監督なのだけれど、今回も作品を複雑にして、まるで恋と対比させるように老いが浮かび上がった。キャロラインの役をここまで膨らませたのは、監督がパトリシア・クラークソンの魅力に負けたからだろう。ペネロペの美しさに負けないほどに、彼女の老いを知性と悲哀で魅力的に描いている。恋には負けても場面としての記憶でははるかにペネロペをしのぐ。 
 <実はキャロラインの告白は>、そのままデヴィッドが恐れている事。恨みがましい言葉は吐かなくても、セックスフレンドに「老い」をじんわり考えさせるのだ。こうして書いていると、この作品、愛を描きながらそれ以上に老いを描いているのに気付く。それは、恋といっても、魂から始まった恋ではなく、体と心、エロス的執着が何時しか人間的なものに変化していく過程を描いているからだと思う。ラストのような悲劇がなくても、この二人は何時かもう一度呼び合う魂だと思うのだけれど。(犬塚芳美)

 この作品は1月24日(土)より、
       TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズなんば、TOHOシネマズ二条、
       TOHOシネマズ西宮OS、三宮シネフェニックス等で上映
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コメント


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複雑かつ単純な恋愛心理

この監督は傷つき追い詰められた者の心理を描くのが上手いですね。前作2編も独特の味わいがありました。

T.T | URL | 2009年02月01日(Sun)07:55 [EDIT]


生と死の対比

生が輝くのは死の隣にある時、生を実感するのは死を感じるからだという法則を貫いていますね。この作品はオリジナルではないので、そこら辺りが少し緩やかですが、自分の本当の心に向き合うのは、やっぱり喪失の前のこと。
そこらあたりの表現力がペネロペ・クルスではちょっと弱い。主題が定まりきらずに、パトリシア・クラークソンの方が印象に残るゆえんかも。

犬塚 | URL | 2009年02月01日(Sun)22:46 [EDIT]


 

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