太秦からの映画便り

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映写室 NO.189 悲夢(ヒム)

映写室 NO.189 悲夢(ヒム)
 ―夢と現を分け合って生きる男女の切ない恋―

 <夢の中の出来事が妙に生々しくて>戸惑うことがある。まして愛しい人が現れたりしたら、目覚めた後の物思いは深くなるばかりだ。もしかすると夢ではなく現実ではと期待し、忘れていた過去なのか、あるいは未来を予知しているのかもと考え始めると余計に混乱する。恋も愛も美しいばかりではない。時には苦しみに変化するが、それでも過去を反芻し、未来を妄想して、確かだった愛の残り香を探そうとするもの。
 <夢でもいいから会いたいと思う人>、眠っていてさえ憎しみの消えない相手。どちらも心がままならぬ誰かに囚われている訳で、願望が夢を呼び、憎しみも夢を呼ぶ。そんな夢はやっぱり悲しい。悲しいけれどそれこそが本当の恋なのかもしれない。そんな囚われの過去を払拭し、人生をやり直せるか…。不思議な物語のようで、過去の恋の清算は新しい恋で始まるという、考えてみると当たり前の現象を描いた作品でもあるのだ。

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(C) 2008 KIM KI DUK FILM All Rights Reserved

 <キム・キドク監督という、アバンギャルドを好み>タブーやモラルの限界に挑戦し続けてきた韓国の鬼才と、美貌を持て余すように、皆を煙に巻くのが好きなオダギリ・ジョーという日本の鬼才がコラボレートすれば、新たな境地の出現は当然。古さと新しさが共存し、未来なのか過去なのか時代さえも不確かで、日本語と韓国語が混じりながら、自然に両方が通じると言う不思議な世界を作ってもいて、もしかすると全ては主人公の妄想、夢の中とも思えてくる。そういえば映画は監督の妄想を具象化したもの、夢なのだと思い至った。
 <ここにあるのはキム・キドクの夢> このところ作品ごとに執拗に恋の悲しみを描くキム・キドクの、恋に囚われた者への愛しさが滲む。オダギリにとっても、こんなラブストーリーは初めてになる。

<荒筋>
 ジン(オダギリ・ジョー)は別れた恋人を追って車を走らせていて、車に衝突した。怪我をした運転手をそのままに恋人を追い続けると、今度は男が飛び出して来て急ハンドルを切る。汗をびっしょりかいて目覚めるとベッドの中だった。妙にリアルで気になって夢の場所に行って見ると、其処には夢の通りの事故の跡が。でも監視カメラに写っていて逮捕されたのはラン(イ・ナヨン)で、彼女は夢遊病だった。やがてジンの夢の通りにランが行動することに気付くが、精神科医は「二人が愛し合えば夢遊病は消えるかも」と言う。


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(C) 2008 KIM KI DUK FILM All Rights Reserved

 <自分の行動が予想できないほど>怖いことはない。心の奥底の願望を感じるからこそ、それがどう現れるかと二人は眠るのが怖くて、針を刺したり目をテープで引っ張って閉じないようにしたりと睡魔と闘う。それでもふとした瞬間に記憶が途切れ、そうして夢の中でもう1人の夢の通りに行動を始めるのだった。
 この二人は云わば表と裏、二人で一人だ。そもそも夢と現実は表裏一体、もしかすると一緒なのかもしれないと、観ているほうも夢と現の境界を越えてしまう。大変なことが起こった後の意外なラストに救いが見える。(犬塚芳美)

この作品は、梅田ガーデンシネマで上映中
     2月14日(土)よりシネ・リーブル神戸、3月、京都シネマにて上映
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| | 2012年05月25日(Fri)22:45 [EDIT]


 

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