太秦からの映画便り

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映写室 NO.192シリアの花嫁

映写室 NO.192シリアの花嫁 
 ―2度と戻れない軍事境界線を越えて嫁ぐ― 

 <舞台はゴラン高原北部にある>イスラエル占領下のマジュダルシャムス村。軍事的な緊張で一段と厳しくなっている中東情勢だが、境界線でシリアとイスラエルに分断されたこの地には、家族が離れ離れになるこんな悲劇があると言うお話が、風土や風習の珍しさと共に始まる。
 <脚本も書いたエラン・リクリス監督>は、1954年のエルサレム生まれで、この地を舞台に幾つかの作品を作ってきた。今回は自身の旅の経験を元に、境界線を超えて嫁ぐ花嫁モナや家族と村の人々との1日の出来事を通して、時にユーモラスに、時に切なくこの地の複雑さを見せていく。心を打つのは何処の地でも変わらない親子の葛藤や女心。社会的な側面だけでなく、異文化の中での人間ドラマが胸を打つ。最後のモナの行動は、しなやかな現状への挑戦状だ。するすると境界を越えていく花嫁の勇気で、未来への扉が開けばいいのだけれど。

   siria-m.jpg

<荒筋>
 今日は村の娘モナの結婚式。相手はお互いに写真でしか知らない、シリアに住む親戚の俳優だ。村人を招いた祝宴を前に、姉のアマルと共に支度をするが、今日を限りに家族とも会えなくなると思うと、心が晴れない。そんなモナとのお別れとお祝いに、ロシア人と結婚して勘当された長男も帰って来るし、次男もイタリアから帰って来た。父親のハメッドは、こんな日にもシリアの新大統領支持のデモに参加する。一方、アマルに届いた大学の入学許可証を見つけて、夫は愕然。村人を招いた盛大な宴の後、モナを花婿の待つ境界線に送っていくと…。


 <これほどの事情が無くても>、元々結婚式とは旅立ちで、家族や生まれた家との別れの日。花嫁にとっても家族にとっても、喜びと共に複雑な思いが去来するものだ。まして複雑な国同士の問題で、もう二度と会えないとなると、モナや家族の切なさは察するに余りある。この作品では結婚式の晴れやかさ以上に、寂しい影が一家に付きまとう。
 <それでも明日の自分の為に>、この家を後にする勇気と送り出す勇気。私たちから見ると、どうして其処までして困難な縁組をと思うが、同じ宗教内の親族同士の結婚は、結束と言う意味でも大切な事。この地の人々が遭えて無国籍を選ぶのと同じ様に、必然だった。右往左往する国際情勢に流されない確たるものがあるのだ。人々が、逆境の中でも負けないで、ここの土地を愛し、誇り高く自身のアイデンティティを持ち続ける姿が清々しい。

 <背景の社会情勢はもちろんだけれど>、この家族それぞれのキャラクターの濃さ。彫りの深い顔立ちそのままに個性が際立っているのも興味深い。一番ユニークなのはやはり父親だろうか。この村の指導陣、あるいは家長らしい頑固さで政治思想を持ち続け、イスラエル警察から睨まれて、家族をハラハラさせる。大人しく政府の思うようになる人物ではない。勘当した長男が帰って来ても、村の長老の手前簡単に許すことは出来ない等、昔の日本にもいた義理を重んじる頑固親父だ。知的な成功者なのだろう、この村を愛しながら家族を外部に羽ばたかせる強さがあって、三男を境界線の向こうのシリアの大学に通わせ、今度は次女に同じ様に境界線を越えて嫁がせようとしている。

 <そんな父親に育てられたんだから>、アマルも進取の器質。女ならば誰でも決断しないといけない結婚の日の朝、辛い結婚になったとしてももう帰っては来れない妹を案じながら、自分の夢を託すように、開かれた世界へと背中を押す。多分長女としてこの地に残る事を主眼に結ばれたんだろう凡庸な夫を愚痴るよりも、もう一度自分の人生を取り戻そうと、大学での勉強を目指すのだ。イスラエル生まれの国際的な女優ヒアム・アッサムが情感たっぷりに演じ、花嫁以上に姉が主役になっている。たおやかな美しさの中に悲しみや疲労感、知性が覗いて、彼女の佇まいだけで物語が広がる。この地を体現している女優だと思う。
 <多分一家の期待の星だっただろう弁護士の長男>、異文化の中で自分の出所が解らず控えめに振舞いながらも夫を助ける医師のその妻、女には目の無い軽い商売人の次男、夫と子供たちを温かく包む母親と、久しぶりの再会でぎこちなさから家族の絆が戻っていく過程が丁寧にリアリティを持って描かれる。

siria-s.jpg


 <キャラクターの濃さは家族以外も同様で>、シリアで待つ花婿、村の長老達、境界線でうだうだと難癖をつける双方の係官、意地と面子を張り合う両者の間を行ったり来たりする国際赤十字の女性と、誰もがこの地の空気感を持って立ち上がってくる。まるで自分がゴラン高原のこの村に降り立ったような気分だ。

 <日暮れは近づく。境界線に阻まれて>、モナはどうなるのだろうと思ったところに示されたのが、未来への指針だった。もちろんこれは映画的な結末で、現実がこれで解決するとは思えない。こんな事をしたら二つの国の狭間でモナは銃殺されるかもしれないし、多分捕らえられるだろう。それでも観客は、モナの選択に目を見開かされる。花嫁は自分の意志で未来への扉を潜ったのだ。この先何があっても彼女なら乗り越えていくだろうし、どんな境界線の向こうにもモナらしい幸せがあるに違いない。複雑な中東問題を斬新な切り口で見せ付けるエラン・リクリス監督に感服した。(犬塚芳美)

この作品は、3月7日(土)より梅田ガーデンシネマ、京都シネマで上映
        5月 神戸アートビレッジセンターで上映予定


《ちょっとディープに》
 <ゴラン高原のマジュダルシャムス村>は元々シリア領だったが、1967年の第3次中東戦争でイスラエルに占領される。しかしイスラエルでは少数派の敬虔なドゥルーズ派の村人たちは、シリアへの帰属意識が強く、多くが“無国籍者”となることを選び、 “境界線”の向こうの親族との行き来さえも出来なくなった。唯一の交流の場は「叫びの丘」で、拡声器で向こう側の親族とお互いに近況報告をし合う光景が見られる。
 <この作品は社会的な問題を斬新な切り口>で描いた手法と、巧みな脚本の構成、演出力で、世界中の観客から圧倒的な支持を得て、04年のモントリオール世界映画祭で、グランプリ、観客賞、国際批評家連盟賞、エキュメニカル賞と4冠を獲得した。それ以外にも世界各地で多くの賞に輝いている。

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| | 2013年02月13日(Wed)01:42 [EDIT]


 

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映写室 NO.191シリアの花嫁:犬塚芳美

―2度と戻れない軍事境界線を越えて嫁ぐ―  <舞台はゴラン高原北部にある>イスラエル占領下のマジュダルシャムス村。軍事的な緊張で一段と...
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journalist-net | 2009年03月04日(Wed) 09:11


 
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