太秦からの映画便り

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映写室「Beauty」片岡孝太郎さんインタビュー(前編)

映写室「Beauty」片岡孝太郎さんインタビュー(前編)    
―祖父の十三代・仁左衛門に導かれた仕事―

 信州・伊那谷の小さな村を舞台に、村歌舞伎に魅せられた二人の男の半生を描いた作品が出来た。主演の半次を演じるのは、十五代・片岡仁左衛門の長男、片岡孝太郎さん。時を巻き戻したような美しい風景と共に、歌舞伎界の御曹司が村の青年になり、そして村歌舞伎を演じると言う、複雑な構造が見ものです。出演の経緯やこの作品について伺いました。

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(2月20日 大阪にて)

<その前に「Beauty」とはこんなお話>
 雪夫の舞う村歌舞伎を始めて見た少年・半次は心を奪われた。雪夫に誘われ歌舞伎を始めると、二人はすぐに看板役者になる。二人の間には歌子(麻生久美子)もいた。昭和19年、二人の元に召集令状が届く。やがて終戦、シベリアに送られた二人は過酷な労働。雪夫(愛之助)が死んで一人で帰国した半次(孝太郎)は、廃っていた村歌舞伎を再興する。ある日、遠くの村で伊那谷だけに伝わる芝居を演じる役者がいると聞いて…。

《片岡孝太郎さんインタビュー》
―タイトル通りに自然や人間性という日本の美しいものが沢山映りますが、その対極の醜いものとして戦争が描かれていますね。
片岡孝太郎さん(以下敬称略):ええ、映画の中でも戦争は暗い影を落とし色々な人の人生を狂わします。現実の身近なところでも、父や祖父は大阪の北畠の家を空襲で無くして京都に疎開し、それから京都に住むようになりました。歌舞伎界でも戦後GHQから上映とかで色々制限がでましたし、この物語でも若い人が死んでしまい演じられなくなりますが、現実でも歌舞伎役者で死んだ人が大勢います。そんな話を聞いているので、こんな時代になっても自分にとって戦争は遠いものではありません。恐ろしいもの、絶対あってはいけないものだと思っています。白黒の映像が流れていますが、客観的なものではなく、このストーリーに入って、どれだけの苦労があったか、どれだけ醜いものだったかを皆さんに感じ取って欲しいと思います。

―確か孝太郎さんの映画デビューは、スピルバーグ監督の「太陽の帝国」(88)でしたね。久し振りの映画出演ですが。
片岡:「太陽の帝国」に出た時は、実は誰が撮るのかどんな話なのかまだ解らない時に、ギャラが1億円だと聞いて、これは凄いと事務所にとりあえずエントリーしてくださいと言いいました。途中でスピルバーグが撮ると解り、日本で本物の監督にお会いできて、もうこれでいいやと満足したんです。だから抜擢は宝くじに当ったようなもので、歌舞伎の世界の人間が海外の大きな作品に出れ、しかも凄い人たちと共演できた。もうこれで充分、中途半端なものに出るのは止めて、この思い出を心の中にしまっておこうと映画の話は封印していました。今回、後藤監督からお話を頂き、歌舞伎の人間が歌舞伎をやるのもどうかと思ったけれど、この村には13代目の祖父からのご縁もあり、祖父に背中を押されたと思ってお受けしたんです。
―撮影はいかがでしたか。
片岡:スピルバーグの時は、朝、1枚の紙でその日のストーリーが来ました。日本語が書いてなくてその場で訳して覚えていましたね。今回は夜中にこの台詞を覚えてと、絵コンテが来るんです。その台詞が少ないんですよ。麻生君や愛之助君と、「少ないよね。お客様に意味が伝わるのかな」と不安がりましたが、映画と言うのはぜんぶ監督にお任せしないといけません。言われた通りに動いただけです。少しは相談したところもありますが。地方ロケなんで、撮影中はスタッフが老人ホームの大広間を借りて雑魚寝で合宿していました。夜遊びに行くと皆でお酒を飲んで、和気藹々と楽しそう。撮影隊は素敵なチームワークだったんです。そんなこともあって手作り感のある作品になりました。

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(C) 2007 Beauty Partnership

―10代から70代を演じてらっしゃいますが、一番楽しかったのはどの年齢ですか。
片岡:お爺さんが楽しかったですね。白塗りで特殊メークのお爺さんは映画史上初めてだったんじゃあないかなあ。その前の日に演じたのは10代で、1週間の間に10代から70代を演じ分けないといけない。10代になると赤とか入れて若々しくしていたのが、次には老けメイクでしょう。メイクに凄く時間がかかるんですよ。メイクさんが怒る位大変でした。
―映画の中で主人公が歌舞伎をするという2重構造ですが。
片岡:そうなんです。お芝居のシーンは、片岡孝太郎がお芝居をするのではなく、半次というこの主人公が芝居をしないといけない。それも隣村まで鳴り響くような実力だった。しかも歌舞伎と言っても半次たちのは村歌舞伎です。そのまま歌舞伎をやっても駄目だろうし、どのへんで妥協しようかと愛之助君と話し合いましたね。いつも演目ごとに迷いました。
―子役さんも踊りやお芝居がありますね。
片岡:皆頑張りましたよね。子供たちはゼロからの練習で僕らよりもっと大変だっただろうけれど、上手くやっていると思います。一人食品アレルギーのある子がいて、途中で倒れましたが、それでも頑張ってくれました。

―村歌舞伎と言うのは今もあるんですか。
片岡:あります。伊那谷の村歌舞伎は奉納歌舞伎なんですよ。素人さんがやっているので独特の動きがあって、家のお祖父さんが見にいった時、「私たちには無い形だけれど、貴方達は守ってください」と言っているんです。今回は村歌舞伎に無いお芝居や家の芸もやっています。義太夫が上手かったですね。素敵なおじ様がいらして、僕らの世界でも充分に通用する。こちらに来ませんかと言いたい位でした。衣装も僕らが作ったものの払い下げが一杯ある。昔着ていた人の名前が入っていたりするんです。ただし今回映っているのは、この作品の為に新調したものですが。

―その歌舞伎見物には客席に大勢の方が映っていますが。
片岡:地元の村の皆さんです。明日エキストラが何人必要だとか、ローカルの有線放送で呼びかけるんですね。で、村役場の前に集まってもらってそこからバスが出る。地べたに御座を敷くだけで長時間座っているんですから震える位寒い。たぶん記念品とお弁当くらいしか出ないだろうに、皆さん喜んで協力してくださいました。撮影自体がお祭りだったようで、僕らが初めて行った時の記事が、地元新聞の1面にでかでかと出ている。まるで総理大臣か何かが来たような扱いで、嬉しいいけれど、こんなことをしてもらっていいのだろうかとびっくりしました。(聞き手:犬塚芳美)
               (明日に続く)

この作品は、4月11日(土)より第七藝術劇場で上映
        11日17:00よりの回上映後に
            後藤俊夫監督と片岡孝太郎さんの舞台挨拶予定
      5月、京都みなみ会館にて公開予定
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映写室「Beauty」片岡孝太郎さんインタビュー(前編):犬塚芳美

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journalist-net | 2009年04月09日(Thu) 07:20


 
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