―500万人を動員した韓国の話題作―
K氏の大絶賛に背中を押されて、「チェイサー」を観る。久しぶりの京都シネマだ。実は初日に観た家族が悲惨さに辟易したらしく、珍しく他の作品にしたらと止めるのだけれど、そう聞いたからには余計に観たくなる。映画が目的だけど、それ以上に、何が彼の感性に辛く、K氏は何を絶賛しているのかを確かめるのも目的になった。

(C) 2008 BIG HOUSE / VANTAGE HOLDINGS. All Rights Reserved.
<土曜日の最終回>、いつものように一番前の席の真ん中で観る。この作品は、韓国で“殺人機械”と言われた連続殺人鬼ユ・ヨンチョルの事件をベースにしたもので、猟奇殺人者を元刑事のデリヘルの元締めが、自分のところのデリヘル嬢の転売者と勘違いして、お金を取り戻そうと追走する物語だ。
<始まってすぐに家族の苦手な理由は>解った。主役を演じるのは、その辺を歩いていそうな中年男で、アップになった顔はどうにも暑苦しい。ちなみに家族の場合、例えば最近のディカプリオ主演作でも、この手は駄目だ。デリヘル嬢もしみったれていて、しょっちゅう挿入される土砂降りの雨と共に、まさに韓国の庶民の暮らしや匂い、湿度が映っている。映画全体、俳優たちの体から発するこの感じが、同じアジア人だけにリアル過ぎて苦手なのだと思う。湿っぽさを伴うこれは、実は私も苦手だ。
<…と、家族の苦手な理由は解ったが>、それでも映画は面白い。決して超人ではない、しがない中年男のどたばたとした追走、路地から路地へと疾走する臨場感。警察や追走者の間抜けさも説明できないほどではなく、事態は異常でも、人物像が等身大の日常性を失わず作られている。犯人役の俳優が又上手いのだ。冷酷さと離人性をこの中では一番端正な顔に漂わせて、感情を表さずじわじわと迫ってくる不気味さ。異常性はいつも低体温のクールさの中にある。
<もちろん、少ない出番でその人物像を>くっきり見せる手法も見事だった。1シーンだけの姉の一家の映像が後々まで効いてくる不気味さ。…何てもちろん後で気付いたことで、観ている時は追走劇に固唾を呑んでいた。このあたりのいらいらさせる展開も上手い。
<主な視点が、自分で見た事しか信じない>、そんな意味でも凡庸な、事態に半信半疑の主人公に重なり、子供と共にミジンの行方を追って探し回る主人公の混沌のままに保っていたのがいいのだと思う。戸惑う観客に時々挿入される事件全体の俯瞰図。これって神の視点? 私たちにこの視点があれば! いたるところに十字架の見えるソウルの街で、無慈悲に起こったこんな事件。人間の愚かさ無知さを全身で贖罪するキリスト像の嘆きの深さに思い知る。
<容赦のないこの物語の一点の救いは>、最後までミジンを助けようと主人公が走り回ったことだ。それだけにラストには無念さも増すが、生きたいと今際の際までもがいた命の鼓動を受け取った人がいて、しかもそれは彼女を食い物にした同じ底辺に生きる男だったという構図。デリヘルの元締めとデリヘル嬢という、一見救いのないこの雇用関係の中にも、彼らにしか解らない絆があったのだと思えて、私には救いだった。生きていると信じる事でつないだ命、他にも囚われ人の孤独や必死さ、横田めぐみさんとかも、他の人は絶望視しても、身近な人だけは生存を信じて最後まで探すのが命綱なのだと、そんな関係ない事まで考える。
<決して美形ではない主人公が>、ラストになるほど魅力的に見えてくるのは、人物を描き切った監督の視点に飲み込まれたからに違いない。ひょんなことから人生に躓いて裏街道を生き始めた主人公が、贖罪の様に追走して浄化された心もあっただろう。

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<「成人映画」指定のこの作品が>、自国作の不振な韓国で500万人も動員した。この悲惨さ、私はとても2度も観る気にはなれないが、リピーターの多さが伝えられるし、K氏も2度も観たと言う。何故K氏に2度も足を運ばせ、韓国でそれほどヒットしたのだろう。ただし日本では中規模での展開、ヨン様ファンは多くても、この手の韓流ファンとなるとぐっと狭まってくる。
<両国の反応の違いには、まず題材への距離がある> 何しろこの事件は韓国中を震撼させた異常犯罪。自国民なら、恐怖心からも好奇心からも、短期間で20人以上の人を残忍な方法で殺した猟奇殺人犯の心理を観たいと思うだろう。怖いもの観たさのこの題材を選んだ時点で、まず最低保障はされたようなものだ。しかも死刑制度の是非という問題も含んでいる。入り口がキャッチーで、入ってみるとしっかりとした力量で魅せるのだから、噂が噂を呼んでヒットに繋がったんだと思う。
<この噂が噂を呼ぶ力も>、韓国は強そうだ。日本でも一時は熟年女性のヨン様ファンが熱狂へとなだれ現象を起こしたが、観客だけでなく、韓流作品自体にそんな現象を起こさせる力が宿っているのを感じる。お隣韓国は、情の国、熱い国だと思う。
<ちなみにこの作品の制作費は4億円と言われ>、日本よりは物価が安い韓国での話だから、これは凄い。新人監督のオリジナル脚本にポンとこれだけ出した英断、成功は行き詰った韓国映画界が本気で心身代謝を図った結果とも思える。こんなの作らないでよと言うレベルのゆるい物が乱作される日本は、反省しなくては。
<他にはやっぱり韓国人の志向>を感じる。一時日本でブームになったものを除けば、一般的に韓流は、私たちには目を背けたくなるような残忍なシーンが多い。いつの間にか草食系男子ばかりになった日本と違い、未だに徴兵制のある韓国は肉食系男子が健在と言うことだろうか。血や暴力への意味合いや興味、許容度が違う気がする。
<もちろん韓流だけでなく>、この頃の私は、刀を振り回す時代劇の残忍さについて行けなくなっている。日本ならではのコスチューム劇として応援したいと思いながら、斬り合いはほとんど目を伏せる有様。時代劇が若い人に受けなくなったのはそんなところもあるのかも。…何て。いけない、話はどんどん拡散していく。ともあれ力作だ。未来の巨匠ナ・ホンジンの初長編作をお見逃しなく!(犬塚芳美)
この作品はシネマート心斎橋、テアトル梅田、京都シネマ
布施ラインシネマ10、ユナイテッドシネマ大津等で上映中


