太秦からの映画便り

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映写室 新NO.2夏時間の庭

映写室 新NO.2夏時間の庭   
  ―オルセー美術館開館20周年記念作品― 

 印象派の芸術家達が好んで滞在したイル・ド・フランス地方を舞台にした物語と言えば、美術好きなら見逃せません。しかも主な舞台が画家の元邸宅と言う設定だから、映画を観ながらもまるで絵画の中に迷い込んだよう。草花、木々が茂るにまかせた庭はまさに画家好みで、初夏の日差しと爽やかな風をバックに、セザンヌやモネのような詩的絵画の世界が広がっています。オルセー美術館の全面協力で、日常使いとして本物の美術品がふんだんに登場する贅沢さも特筆もの。フランスらしい手触りの作品です。

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(C)2008 MK2 SA-France 3 Cinema

 <映画の醍醐味は自分の手の届かない世界を疑似体験>することですが、アール・ヌーヴォーの家具や印象派の美術品に囲まれたこんな贅沢な日常は、疑似体験でも中々出来ない。日本だったらセンサーをつけたガラスケースの中に鎮座するような作品が、無防備に陳列されるフランスならではだと思います。そういえば以前、「ダ・ヴィンチ・コード」でもルーブル美術館の歴史的な所蔵品が惜しげもなく映画に映りましたが、フランスの美術館って映画撮影に協力的なのですね。美術品は使ってこそ生きると言うのもあるだろうし、美術品の多さはもちろん、文化の深さ等を感じます。

 <…と、あまりの凄さに舞台設定ばかり>に触れましたが、もちろんそれがこの作品の一番の醍醐味ではあるのですが、物語はそんな世界が日常の母親とそれを相続する子供たちのお話です。生と死の対比が鮮やかで、風景は其処にある命によって佇まいを変える。世代間の問題は何処の家庭にもあること、ゴージャスな世界が一挙に切なく身近になってきました。
<元々ここは有名な画家だった大叔父のアトリエ>で、母親がメイドと二人、膨大な所蔵品を大叔父の生前のままに守ってきた。その母親も老いて自分の死後のことを考えている。皆が集まった時、こっそり長男を呼んで大切な幾つかの保存法を指示しながら、自分が死んだら皆の負担にならないようこの家も美術品も売ってほしいと言う。長男は「何も売らない。みんなで受け継ぐ」と声を荒げたが、母親が亡くなり皆に今まで通り残そうと言うと…。

 <子供たちがこの家に来るのは1年に1度で母親の誕生日だけ> その日の為に色々準備しても、集まった側からもう皆の帰る時間を寂しく想像する母親。そんな母親の老いや孤独に気付かなかったり、見て見ぬ振りをしてあわただしく自分の日常に帰っていく子供たち。賑わいの後は余計に寂しい。灯りもつけず肩を落とす母親の姿に自分の母親を重ねて胸がキューンとなるけれど、それでもどうしようもない。自分の暮らしもある、もう子供の頃の様には行かないのはこの物語の兄弟と一緒です。

 <家というのは不思議なもので>、子供たちがいる時は生き生きと輝いても、皆が引き上げると母親の孤独のままに絵画のように固まってしまう。過ぎ去った時間だけが漂う重い空間で、孤独感に沈む主人を案じながら、メイドはそっと見守るしかない。同じ様に古い家に住んでいても、時を止めて生きた主人と違ってメイドは主人を守ると言う今の時間を生きてきたのだ。

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(C)2008 MK2 SA-France 3 Cinema

 <この家の保存に半生を捧げた母親は>、子供たちにそんなことが出来ないのもよく解っている。ここを昔のままに守れたのは自分が過去の時間に生きたから、子供たちには今を生きて欲しい。このあたり、理解しながらも寂しい母親の心情が浮かび上がります。映画的に解り易く孤独を描いていますが、たとえ隠してはいても老いて行く日々で誰もが味わう物かと思います。
 <一方子供たちの現実とのジレンマや折り合いの付け方も>、現実的にこんな物。フランスに住んでいて、仕事的にもこの場所に時々来れそうな長男は残そうとしても、外国に住む次男や長女はもう来ないかもしれない。無理をしてもここに来たのは母親がいたからの事、思い出の場所は遠くなっていきます。長男も寂しいけれど理解する。親を真ん中にした兄弟は親がいなくなったらどんな関係になるのか。その柔らかな変化も、親代わりのつもりの長男は理解する。兄弟の新しい関係の始まり、このあたりも普遍的なテーマです。

 <華やかだった印象派ももはや過去の事>、絵画の中で輝いても現実からは遠い。孫娘がこの庭に流れる空気を芳しく嗅いだように、この庭に楽しみを見出せるのは、思い出に生きる人ではなく今からここで思い出を作っていく人々。家には新しい住人が必要なのだ。この庭にも新しい時が輝くだろうと言う予感が、爽やかな風と煌く光で映っています。そんな空気が邸内にも流れて、やがてそこにも今の時間が流れ始めるに違いありません。母親はこの家を愛していたからこそ、人手に渡してもそれを望んでいたんだろうとも思えるのでした。

 <ところで、物語の本筋ではないのですが>、私が心打たれたのは、つましいお洒落をして主人を偲んで庭の花を手向ける老いたメイドでした。皆には遠くに住む甥と一緒に暮らすと安心させながら、近くのアパートでの1人暮らし。母親が大叔父との思い出に生きたように、メイドもまたこの後を思い出で生きるのでしょうか。いや彼女はそんなことはしない。ささやかな老後を、現実を見てできる限り自分の足で歩いていくだろうと思わせる姿なのです。老いることは辛い。でも誰も避けることは出来ない。思い出を持ってしかも現実を生きるしかないのだ。長年主人に仕えた彼女にはその両方があると思える後姿、私には見事な老後に見えました。これって私の主観だろうかとも思うけれど、無欲な彼女に、形見分けとしてさり気無く名品の花瓶を選ばせた監督の視点かもしれません。(犬塚芳美)

 この作品は、6月6日(土)からテアトル梅田、
         6月20日(土)から京都シネマ/シネ・リーブル神戸にて公開上映
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