太秦からの映画便り

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万感の思いで潤むトニー・レオンの瞳

映写室 NO.137 ラスト、コーション     
―タブーに挑む時―
 
 噂どおり濃厚な作品だ。2時間40分もの長尺に1分の揺ぎも無い。アン・リーが久しぶりに中国語でメガホンを取った本作は、1940年代の日本占領下の上海と香港が舞台。極限に置かれた男女の愛を、中国映画ではタブーの、大胆なセックスシーンに大きな意味を持たせて描く。「ブロークバック・マウンテン」に続いて、再びヴェネツィア映画祭で金獅子賞を獲得した。時間が経つと言うのに、ラストシーンの万感の思いで潤むトニー・レオンの瞳が忘れられない。

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(C)2007 HAISHANG FILMS/WISEPOLICY

荒筋
 戦火を逃れて香港で大学生活を送るチアチー(タン・ウェイ)は抗日派だ。友人のクァン(ワン・リーホン)が、日本傀儡政権下の要人イー(トニー・レオン)の暗殺を計画し、彼女も仲間に加わる。チアチーはマイ夫人と言う触れ込みで、まずはイー夫人のマージャン仲間になった。イー家の警備は厳重で、イーもなかなか姿を見せない。

 <張愛玲の原題は「色|戒」で>、色は情に通じ、戒は戒めだけでなく誓いの意味も含むと言う。ここには色と情と誓いの重さ、時代に翻弄される複雑な人生が描かれている。
抗日の思いはあっても、最初チアチーはそれほどの運動家ではなかった。他のメンバーも一緒で、暗殺を口にしたクァンにしても、皆で何かをするのが目的のような気安さがあったのだ。それが抜き差しならなくなるのは、チアチーがイーに出会ってからの事。二人のずらしながらも絡んだ視線はまさに運命、この瞬間から物語は大きく回り出す。でも暗殺までの覚悟があったかどうかは怪しい。彼女を突き動かしたのは、本人も自覚しないイーへの恋だと思う。イーの誘惑に手練手管を発揮するチアチーは日ごとに妖しく成熟し、それに気付かないふりをしながら、密かに情念の炎を燃やすイーとの緊張感が、前半の見所だ。二人の探り合う様な瞳がこの物語の濃密な空気感になっている。

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 <メンバーが暗殺に本気になるのは>、成り行きで人を殺した後の事。後にクァンが告白したところによると、彼らを見張っていた抗日組織にこの事件を庇って貰ったのだ。こうして組織に絡め捕られ抜き差しならなくなったメンバーと、忘れがたいイーの魔力に惹かれ、再びこの計画に参加するチアチー。若さゆえの夢見がちな正義感が、大きな陰謀の中で、殺しと言う現実的なものへと豹変するあたり、哀れでもあり不穏な時代の空気を思わずにはいられない。

 <イー夫人の取り巻きは始終マージャン>に明け暮れる。パイをいじりながらも、ゲームの手以上に相手のプライバシーを探る会話。それを笑いながらかわし、いやもっと危険に肝心のイーの様子を探る会話へ振る、マイ夫人に成りすましたチアチー。華やかなドレスと裏腹の丁々発止のやり取りが濃密だ。イーが帰宅すると、たとえ画面の隅に姿が映るだけでも、今度はそこに、どんな時もどんな相手にも気を許さない彼の殺気が加わり、観客にまで緊張が走る。一度その姿を見ると、不在の時すらもその存在が重いのは、やはりトニー・レオンの存在感だと思う。

 <もっと息を詰める緊張は>、もちろんアン・リーが最も撮影に力を入れたと言うイーとチアチーのベッドシーンだ。まるで肉体と精神の格闘技の様でもあり、どちらも一歩も引かず支配権を奪い合う様に延々と続く。最初は相手の真意を探り合っていても、すぐに自分の苦しみをぶつける事に変わり、エロティックと言うよりあまりに凄まじい。疲れ果てた後に喜びがあったのかどうかも解らない。その間だけは総てを忘れていても、シーツを滑り降りた途端、あれほどにしても掴みきれなかった相手の何かに、又疑いが忍び込んでくる。まさにこの時代のこの二人だからこその孤独と恐怖を、痛いほどに感じるベッドシーンだ。

 <チアチーを演じる新人のタン・ウェイ>が、素顔の清純な女子大生から妖艶な女までを自在に行き来して、そのどれもが魅力的なのに驚かされる。胸元の透けたドレスが、透けていると言うだけでこんなにもセクシーなのかと息を呑んだ。マージャンをする俯いた顔の、笑みを含んだ口元の匂い立つような美しさ。マイ夫人に成り切り、一時も気を抜かず、不在のイーに向けて放つ媚態に見惚れる。
 <イーを演じるトニー・レオンの>、老けメイクをしたと言う風貌が又いい。若くもなく、美男と言うわけでもない小柄で貧弱な肉体、イーの持つ男として唯一の力は権力だ。だからなおさら、権力ではなくその肉体で女をひれ伏せさそうとするベッドシーンに、この男の性が滲む。こんな悲哀があるからこそ、後の瞳の演技が生きるのだろう。
 <チアチーに惹かれながら>、運動を優先して感情を殺して生きる青年、クァンを演じるワン・リーオンが、役の成長に合わせるように表情を大人のものに変えるのも見事だった。彼も又時代に翻弄された若者、遅すぎた恋の発露が虚しい。

 <連合軍の参戦で、日本はこの物語の後>劣勢に転じる。イーはもちろんそれを知っていて、風貌はすでに末路を予感させる哀愁を漂わす。時の要人と彼の暗殺を目論むスパイとして出会い、だからこそ生まれた愛。ラストシーンの、妻に見咎められてもチアチーのベッドに座り込んだままで動けないイーの瞳が、この作品の総てだと思う。
 「ブロークバック・マウンテン」で二人以外羊しかいないと言う、寂しさの中で始まる禁断の愛を描いたアン・リー。今度の愛は、極限の緊張の中、恐怖を忘れる為の暴力的な性で始まった。いわばどちらも必死で生き抜いた結果で、セックスは生きる為の必然だったのだ。そして生まれた愛、監督は愛と性を生きる事と捕らえている様に思う。

   シャンテ シネ、Bunkamuraル・シネマ他全国一斉公開中
   関西では、シネ・リーブル神戸、高槻ロコ9シネマ、TOHOシネマズ伊丹、
     TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ 橿原 、
        TOHOシネマズ なんば、TOHOシネマズ 二条等で上映中


※ディープな情報
 <中国では映画にR指定と言う制度がなく>、子供も同じものを観るので、セックス描写には限界がある。本作も中国公開には、全てのベッドシーンをカットしたヴァージョンが用意された。その編集もアン・リー自らがやり、完全版とは別の完成度がある為、両方を観た人からは、”中国版のほうが消化し易くて良かった“という声もあるのだとか。本作はそれ位濃厚なのだ。もっとも監督は、タブーに挑んだあのセックス描写があるからこそ力強い映画になっていると、完全版を勧める。力を注いだシーンが抜けた時、どんな物語が浮き上がるのだろう。あの2人ならそのもののシーンを隠せば隠すほど、濃密な情念が見えるような気がする。中国版も観てみたい。なお日本上映は完全版にぼかしを入れたヴァージョンで、無修正の完全版は香港や台湾で公開された。
 <このところ中国映画が凄い> 「中国の植物学者の娘たち」では女性同士のベッドシーンを描き、全編にそのシーンを上回るほどの濃密な空気を映し出した。其処にタブーがある時、クリエーターはポテンシャルを挙げて飛び越え奇跡を起こす。タブーのない国には到達し得ない境地だ。
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コメント


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正直な話、この映画を観た直後は、自分の頭の中で消化不良気味でした。たぶんあまりにも濃密だったから(いろんな要素が)でしょう。
時間をかけて考えていく映画になりました。
あの時代のあの状況でしか生まれなかった愛だなあと思います。
二人の役者(演技というか、そのまま、別の人格になりきったような)の魅力に圧倒されたところもあります。

アン・リーって不思議な監督ですね。
いわゆる作家主義の人じゃなく、いろんなジャンルをこなしてるという印象なのに、これだけの作品を作り上げてしまうというのが。

ルナティー | URL | 2008年02月16日(Sat)12:52 [EDIT]


何か相互訪問になりました。又時々覗いて下さいね。ここは原則新作の紹介です。

本当にアン・リーにやられましたね。
執拗に続く暴力的なベッドシーンは、いいのか悪いのか、いささか食傷。ぜひとも中国上映のカット版を見てみたいものです。
康人渡しは甘いものでイーが情に溺れてチアチーを土壇場で庇ってしまい、そのことで二人が一緒に処刑されるのを想像したのですが、どろどろぽくって実はその方が物語として綺麗なのかなあ。この後のイーの人生の重さと暗さ、まあそれこそがリアリティかなあ・・・等々色々考えました。全編の濃密な空気感が、これぞ映画と酔わせます。「セットがいい、上海に行ってみたくなった」と、周りの映画人は言っています。

映画のツボ | URL | 2008年02月17日(Sun)00:54 [EDIT]


私も二人とも…とか、イーの方が…と思っていたので、ある意味、意外な展開でした。

映画らしい映画だったなあと思います(最近の日本映画のこぢんまり感に比べて)。

ルナティー | URL | 2008年02月18日(Mon)21:54 [EDIT]


こんなスケールの作品は最近の邦画にはないですよね。力量、濃厚さ、あちこちで良いと連発しています。

映画のツボ | URL | 2008年02月20日(Wed)08:52 [EDIT]


 

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