太秦からの映画便り

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映写室「チョコラ!」小林茂監督インタビュー(前編)

映写室「チョコラ!」小林茂監督インタビュー(前編)    
 ―読み解くキーワードは思春期―

 ワールドカップも真近になり(?)、アフリカ諸国が又注目されています。そんな時に、ケニアの地方都市ティカのストリートで生きる子供たちを追った、珍しいドキュメンタリーが届きました。
 <ティカは首都のナイロビから北東に45キロ>、車で1時間の位置。人口10万のうち半分はスラムに住んでいるような貧しい街ですが、ここにNGOを立ち上げ、もう十何年子供たちを支援する日本女性がいます。この作品はその活動を追いながら、ティカの街や彼女も知らない子供たちの生態を映したもの。自分の命と引き換えるように撮影に臨んだ、小林茂監督にお話を伺いました。

chokora-kan2.jpg
(5月29日 大阪にて)

<小林茂監督インタビュー>
―この作品を撮られたきっかけは?
小林茂監督(以下敬称略):アフリカの子供たちと最初に出会ったのは15年前でした。この映画を企画した松下照美さんと一緒に、ウガンダに子供の写真を撮りに行ったんですが、厳しい環境なのに表情の強さがあって心に残っていたんです。今回その松下さんから、アフリカの子供たちを撮って欲しいと言う話が来て、実は腎臓の悪い僕が透析に移行する直前で、松下さんも少し前に大病をしている。やるなら今しかないと思い、すぐに透析に移れるようバイパスの手術をして行きました。具体的なイメージは無かったけれど、子供たちの食べて寝てという日常をきちんと撮ろうと思って行ったんです。
―松下さんはアフリカで子供たちを支援する活動をされているのですよね?
小林:ええ、この作品にもその様子が出てきますが、ティカでモヨ・チルドレン・センターというNGOを主催して、主にストリートチルドレンへの支援活動をされています。孤児を施設に引き取ったり、スラムの中の学校や婦人グループへの助成やサポート、職業訓練校への支援等です。松下さんは元々は徳島の山の中で山羊を飼ったりしながら陶芸をされていたのですが、ご主人を亡くされた後、99年にNGOを立ち上げ、子供たちの支援に力を注いでこられました。

―子供たちが生き生きとしていて、元気をもらいました。彼らが抱えている問題も、反抗期とか都会への憧れとか自分のこの年頃の気持ちとも重なり、環境は違ってもある意味で私たちと同じだなあと思いました。
小林:そうなんです。ここに映っているのは思春期の子供としてごくごく当たり前のこと。アフリカのストリートチルドレンというと、スラムや貧困とか民族の争いとか、どうしても社会問題で切り込みがちですが、そういう作品は他にもある。それに1時間30分の映像でアフリカの全てを解らせるのは無理、出来るのは一つ位だろう。だったら子供の心情だと思いました。もちろん社会的な切り口も射程に入れて撮ってはいたんですが、後半に出てくる、10歳の少女に「コバさんの病気が良くなりますように」とお祈りされているのが解った時点で、作品の方向性が変わってしまったんです。映していた時は何て言っているのか解らなかったんだけど、1年後に翻訳してもらって始めて(あ、僕の事だ)と気づいて、参りましたね。どこかで彼らを上から見ていて、心配する側のつもりだったのが、逆にこっちが心配されていたんですよ。

chokora-s.jpg
(c)2009 Yoshida Taizo

―あのシーンは印象的です。いつもより多めだという食事を分け合い、一つのベッドに親子3人が固まって眠る姿が温かい情景でした。子供が子供らしくて可愛くて。
小林:あの母親はHIVに感染していて、離婚して子供二人とスラムに移り住んできたんです。何時発病するかも解りません。それにここではなかなか仕事が無い。農場で季節労働の仕事にありつけるのは恵まれた方で、仕事があっても短期間だったりと、あの一家だって今の暮らしがこの後も続くとは限りません。そうなったら子供たちはストリートチルドレンになるかもしれない。でも子供たちはそんな事に関係なく、宿題を見てもらったり甘えたりと、幸せそうでしょう。映っているのは一瞬の幸せかもしれないけれど、だからこそ大切で、多めの食事はそれを感じている母親の心づくしです。
―ええ。これは松下さんに依頼されて始まった撮影ですよね。
小林:ええ、でもモヨの宣伝映画にしない事、彼女を主役にしない事と言う約束でした。最初は松下さんに同行して撮影していたんだけれど、どうしても画一的になる。子供たちの心情に何処まで降りていけているかに疑問があって、1カ月位経つとこれでは映画にならないと感じ始めました。どうしても教育的な目線、大人目線になって、これが撮影の前半のジレンマです。で、カメラマンと二人で街に出てみた。と言っても、すぐにカメラは回せない。僕たちだけでストリートに出るのだって本当は危ないような所ですから、最初は歩くだけでした。撮影がどんな事かも理解できませんから、街全体、子供たちを取り巻く全体に、僕らのしたい事、撮影と言うものを認識してもらわないといけない。そうするうちにだんだん慣れて、映しても良いよと言ってくれる様になりました。屋台の下で袋に入って寝ている子供たちとか、焚き火のシーン、ペンキの缶でピラフを作って分け合う所とか、編集で最終的に残ったのは、ほとんどがその後に撮ったものです。そうは言っても、それが出来るようになったのは松下さんのおかげで、一緒にあちこち出かけたからなんですが。

―子供たちが皆で作ったピラフ美味しそうでしたね。
小林:ここの主食は甘くないとうもろこしの粉が主で、さっきの一家のように練って食べるんです。お米は色々種類があるけれど高い。ピラフは大変なご馳走なんですよ。でも子供たちは屋台の野菜売りを手伝っていたりするから、夕方仕舞う時に屑のトマト等はもらってくる。お金を出し合って米を買えば後は何とか揃う。たまにはピラフを作るんで、料理には皆一家言あるんです。作りながら、ああだこうだとうるさいでしょう。そんなシーンとかを後で見た松下さんが、自分の知らないところでは子供たちがこんな風なのかと驚いていました。彼女の前ではやっぱり構えていて、子供たちは一面しか見せない。彼女にとっても始めて見る生き生きとした姿だったようです。(聞き手:犬塚芳美)
<続きは明日>

この作品は6月27日(土)より第七藝術劇場で上映、8月みなみ会館にて
   詳しくは劇場まで(06-6302-2073)
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

| | 2012年02月08日(Wed)23:59 [EDIT]


承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

| | 2012年10月14日(Sun)15:45 [EDIT]


 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。