太秦からの映画便り

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映写室「チョコラ!」小林茂監督インタビュー(後編)

映写室「チョコラ!」小林茂監督インタビュー(後編)
    ―ゴミと希望を拾って生きるストリートチルドレンたち―

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(c)2009 Yoshida Taizo

<昨日の続き>
―その松下さん主催のモヨの支援の下、スタジアムでサッカーをするシーンで、規則違反のシンナーで叱られてしゅんとしながらも、「僕はまだパンを貰ってない」と訴えて、嬉しそうに食べる様子とかも、可愛い。悪いのか無邪気なのか、ころころ変る子供たちの表情が印象的です。
小林:シンナーや麻薬が習慣になって止められない子供がいるんですよ。でもちゃんとしたボールを使って広いところでサッカーをするのは、彼らにとっては、僕らでは考えられないような凄い事なんです。しかもその後でパンや飲み物が貰える訳だから、皆楽しみにしている。パンを1斤くらいあっという間に食べてしまいます。
―子供たちはどうして家を出てストリートに来るのでしょう。
小林:事情はさまざまですね。ストリートチルドレンになるのはスラムの子供が多いけれど、田舎に手入れの行き届いた広い家があって手広く農業を営む家の子供もいる。貧しさだけが原因ではないのでしょう。ただカメラを向けると、親たちは皆、自分はちゃんと面倒を見ているのにどうして出て行くのか解らないと言うけれど、アレは嘘です。本当のことは言いませんよ。どう考えても過去には虐待等がありますね。ケニアはシングルマザーが多い。仕事も無くて親に子供の面倒を見る余裕が無いとかという特有のものもあるけれど、子供たちを見ていると、そういえば都会に憧れたとか、あの年頃には親に反抗して家を出たかったとか、我々と同じ思春期特有の心情もある。今回彼らを読み解くキーワードを思春期に置いてみたんです。

―確かに思春期は不安定で、私も訳の解からない事に悩んでいましたが、アフリカの彼らの場合それだけではない。このところの急激なグローバリゼーションで、自給自足の本来の素朴な暮らしが、一気に貨幣経済に飲み込まれていく。あまりにもそのスピードが凄くて、悲鳴を上げている様に見えました。そうかと言ってそれを止めて彼らだけ昔のままでいろとも言えない。難しい問題です。『バオバブの記憶』の本橋監督が、「学校で学ぶとお金でしか買えない色々なものを知って欲しくなる。でも手に入らなくて結局不幸になるから行かないほうが良い」と言って、学校に行きたがる子供を行かせない父親について、「一面で正しい。気持ちが解らなくはない」と言われましたが、同じ様に、今までの価値観をぐちゃぐちゃにされたのに、代わりの物がなく、夢見る方向を見失っているアフリカの悲しみを、隠れてシンナーを吸う刹那的な子供たちに感じました。もちろんこの作品がそんな事を訴えてはいないけれど、様々な事からそんな背景が浮かび上がります。
小林:アフリカを映すとどうしてもそうなりますよね。例えそんな風に編集していないとしても、そんな風にも感じて頂けばいいのです。ドキュメンタリーは報道とは違います。ありのままと言っても、僕が見てきたものだから、当然そこに主観が入っている。でも解りやすい説明やお仕着せはしません。映像のもっている力をもぎ取ってしまいますから。自由に解釈してもらえればいいと、最後は観客に委ねます。

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(c)2009 Yoshida Taizo

―映画が提言しないのはそれで良いとして、こういう作品を観ると、じゃあ自分はどうしたら良いのだろうと考える。それも上から目線と言われればそうかもしれませんが、そんな点はどう思われますか。この作品で現実を見て、立ち尽くしたんです。
小林:自分自身が地に足をつけてしっかりと生きる事ではないでしょうか。テレビ局とかで援助だと言ってアフリカに毛布を送ったりしますが、日本から送料を使ってわざわざそんな事をしなくても、品質は悪いかもしれないけれど、そのお金で向こうの毛布を買えば産業も成り立つわけです。ODA等日本の政府の援助も、援助と言いながら本当の援助になってなくて、日本の企業が援助した以上のお金を吸い上げる仕組みになっている。自分が自分の暮らしをちゃんとすればその矛盾に気が付くはずです。後、フェアトレードとかですね。
―自分がちゃんと生きるとは耳の痛い言葉です。ところでこの作品は途中まで佐藤真さんが関わっていたんですね。
小林:僕は佐藤さんの「阿賀に生きる」でカメラマンを務めました。今回の企画も佐藤さんが交渉とか色々根回しをしてくれたんです。それに3時間位に縮めた後からの編集はもう僕らでは無理ですから、佐藤さんがやってくれる予定だったんですよ。それがあんな事になって、一時は仕上げるのはもう無理かと思ったくらいです。色々な言語が混じっているので翻訳作業も複雑でしたし、こうして完成させることが出来たのは感無量です。日本では一人しかいない親指ピアノのプロ奏者、サカキマンゴーさんの協力を得れたのも幸運だったと思います。向こうの子供たちにも見せてあげたいんですが。(聞き手:犬塚芳美)

<インタビュー後記と作品の感想:犬塚> 
 <複雑な思いに揺れて>、観終えた後に答えの出ないドキュメンタリーです。子供ながらに街のゴミを拾い、業者からわずかのお金を貰って自活するストリートチルドレンたち。ぼろを纏い路上で眠って川で洗濯するとは、豊かさに慣れた私には、あまりに過酷な暮らしです。でも単純に同情もできない。体の底から湧き上がる躍動感、身体能力の高さ、仲間との弾ける笑顔と、彼らは私たちの無くしたものをたくさん持っている。そうかと思ったら、やっぱり辛いのか現実を逃れるようにシンナーに手を出し、黒い大きな瞳の底に虚ろさも広がっていく。無邪気な子供でありながら、時には人生の深遠を知る老人の様でもあるなんて、一体彼らの姿はどれが本当なのだろう。まるで今のアフリカそのものを体現するような、ストリートチルドレンたち。切ないような、子供たちの逞しさに未来を信じられるような、複雑な感情に投げ込まれました。
 <表題の「チョコラ」とは>、スワヒリ語で「拾う」を意味し、くず拾いをして生きるストリートチルドレンを指す侮蔑的な表現だとか。そんな侮蔑語すら「関係ねいや!」とでも言いたげに、毎日を生きる事に必死な、子供でもあり生活者でもある不思議な存在。やわな同情を跳ね飛ばす彼らの強い瞳が忘れられません。無駄のない、食べた物全てを血肉にしたような極限の黒い肉体が光って、活きると言う実態を私たちに突きつけてきます。


この作品は6月27日(土)より第七藝術劇場で上映、8月みなみ会館にて
詳しくは劇場まで(06-6302-2073)

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コメント


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くわえタバコがさまになっている。

kawa | URL | 2009年06月26日(Fri)09:27 [EDIT]


Re: タイトルなし

> くわえタバコがさまになっている。
この見据えたような目、恐るべき子供たちです。でも一転して無邪気な表情も見せるので、その振幅の大きさが見所かも。

犬塚 | URL | 2009年06月26日(Fri)20:32 [EDIT]


 

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