太秦からの映画便り

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映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「花と兵隊」(後編)

映写室 戦争ドキュメンタリー2本:「花と兵隊」(後編)  
 ―松林要樹監督インタビュー―

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(c)2009 Yojyu Matsubayashi

<昨日の続き>
―庭にある塔は、藤田さんが一人で遺骨を拾ってご自分で立てたものですよね。言葉が論理的でなくて、少し解り辛い。でも単語一つ一つを搾り出すように、痞えながらで、逆に迫力があります。すんなりとは話せない相当のことがあるのだろうとか、恐怖感が蘇るのだろうとか、たどたどしさの向こうを色々想像しました。ところで日本語の会話にも時々字幕が入っていますが。
松林:上手く音を拾えてなくて、どうしても駄目なものには入れました。ただ藤田さんの場合は聞き取りにくくてもそれが個性なので、よほどでないと入れていない。「鉄砲を撃ち合うだけが戦争じゃあない」と言って口籠った後は、実は僕は何度聞いても解らなかったんだけど、プロデューサーが「食いつき合うんだ」と言っているのに気付いた。だからそこには字幕を入れています。あの言葉が出たのは、何度か僕が挑発した後でした。今村監督の作品でも人肉食の事は出てくるので、聞きたいんだけれど聞きにくい。泊めてもらって一緒に飯を食ったりして、人間関係が出来た後はなおさらです。若造の僕が、地獄を経験をした人にどんな顔をして聞けば良いのかと迷い、このあたりで僕の姿も映し始めています。坂井さんの話では、皆栄養失調でかさかさなのに、肉を食った人はてかてかしている。そんな人を見ると「あいつは肉を食った。俺にも食わせろ」となって、最初は外人から、最後は日本人同士だったそうです。
―え? そうは言っても死んだ人の肉でしょう?
松林:いや、僕は生きている人と理解しました。

―えーっ! ああ、それならあのどもり方が理解できます。(生きる為なら仕方が無い。どうせ死んだ後なんだから、私だって喜んで食べられるのに)と、過剰に苦しむ事を不思議に思っていました。そこまでは想像できなくて。
松林:ええ。で、そのまま聞き続けると人肉食の映画になるので、それ以上は追求していません。他の方からもこの作品で使っている以上のことを聞きましたが、今はまだ公表できないですね。それにそのことは今村監督がもう撮っているので、僕は撮りたくなかった。ラストシーンを家族の物語にもって行きたいなと。この映画を見て、日本人でよかったと思えるラストにしたかったんですよ。ただ、その時僕は26歳、藤田さんが従軍したのは27歳です。時代が違っていたら僕も藤田さんになっていたのかもしれません。そう考えると、これは20代の映画と言う事になる。ここに描いたのは、20代の人が国の為に戦わないといけなかった物語なのです。

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(c)2009 Yojyu Matsubayashi

―そうですね。話す時は老人だけど、戦争当時は誰もが青年でした。奥様を亡くされた藤田さんはともかく、向こうで成功して、皆さんそれぞれに幸せな老後だと思うのですが、望郷の念はあるのでしょうか?
松林:どうなんでしょうねえ、口には出されません。お正月とかは日本を意識して、お餅を付いたり蕎麦を食べたりしますが、個人差があると思います。お墓参り等で里帰りしたら、日本はすっかり変っていてもう愛着がないと言う人もいました。戦争を語ろうとすると、どうしても天皇に行き着く。日本を思い浮かべる時も天皇の存在が大きいんです。そこらあたりが日本を語る時の口の重さになっていると言うか…、複雑なものがあるのでしょう。この中の一部の人は、今村監督のドキュメンタリーに出た後で、軍人恩給を貰い始めましたし、充分に余裕があるからと辞退した方もいます。最初は日本人だと言うので土地の人に嫌がられたこともあったと思います。でも、皆さんそれぞれ、現地の人には無い技術を持っていた。坂井さんと中野さんの奥さんは姉妹で、しかも二人とも親から反対されて、駆け落ちをして結婚しています。今でも美しいけれど、若い頃は相当きれいだったろうと想像できる。他の方たちの奥さんも皆きれいです。そういう人を惹きつけるんだから、未帰還兵の皆も相当魅力的だったと思うんです。それに知らない土地で暮らす為に、奥さんたちの力が大きかったんでしょう、奥さんを大事にもしたとも思う。だからなのか、口ではああこういいながら、皆仲がいいんです。話を聞くと、助け合って生きてきた感じが伝わってきました。そうしてたどり着いた老境で、望郷かどうかはともかく、坂井さんは日本の春は桜が咲いて綺麗だとよく言う。それを聞いていた長男が、生まれた子供にサクラと名前をつける。そんな繋がりが何だか嬉しくて、それをラストに持ってきました。

―家族の物語にしようと、最初からある程度作品の方向性を決めていらしたんですね。プロデューサーとの意見の対立は無かったですか。
松林:長さですね。自分としては短くしたかった。「ヒロシマ・ナガサキ」が85分なので、それに近づけて、伝え切れないところは想像させたいと思っていました。でもプロデューサーが内容的に2時間にはなると言って。実際には中間の106分になりました。
―兵士たちをタイに引き留めたのは彼らの花、妻たちでした。監督を映画に引き止めるものは何でしょう。
松林:僕が映画学校に行ったきっかけは、当時付き合っていた彼女が映画学校生だった事。学校の近くに住んでもいたし、その人を追っかけて映画学校に入りました。(顔を赤らめながら)

―素敵な動機です。当時の彼女の影響で映画監督になったと言うお話を、他の方にも聞きました。この後のご予定について教えてください。
松林:今進行中のものについては、まだ言えません。でも、この作品でも完成前に坂井さんと藤田さんが亡くなっているように、(この人は今しか喋れないな)という勘の働いたところに行って撮りたい。そうして受け取ったものを、文字でも映像でもいいから、表現していきたいと思います。
―最後になりますが、観客の皆さん、特に同世代の方々にメッセージを。
松林:自衛隊の派遣にしても、海上給油とか、輸送とか、後方支援とか、このところ流れが速すぎます。これってまずい。流されないで、外国に軍隊を送る事がどういう事かを、ちゃんと考えるべきだと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 〈戦争ものを理解するには〉知識がなさ過ぎる。…という自分をふまえて、今回も簡略なビルマ戦線の資料を最初に載せました。
 〈悲惨な体験を聞き出しながら〉、画面に流れているのは東南アジアのゆったりとした空気感。生温かい風の中で、庭の花が甘く香り、隣では妻の動く気配。時を止めたように、ハンモッグや椅子でとろとろとまどろむ、坂井さんの心地よさが伝わってくるようです。やっとたどり着いた穏やかな日々が永遠にとは思っても、彼らにそんな時間がそんなには無いのは、映像からも明らか。 “(この人は今しか喋れないな)という勘の働いたところに行って撮りたい”という監督の言葉を重く受け止めました。
 〈それにしても美しい花嫁たち!〉 着飾って穏やかに微笑む妻の写真は、未帰還兵の苦境の日々をどれほど慰めたことでしょう。過ぎ去った過ちを誰も責めないだけに、責任者や関係者が見たらいたたまれなくなると思います。それでも見て欲しい。見届ける義務があるのではないでしょうか。


  この作品は、8/15(土)から第七芸術劇場、
          8/30(日)から京都みなみ会館 にて公開
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