太秦からの映画便り

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映写室 「BSURA(バスーラ)」四宮浩監督インタビュー

映写室 「BSURA(バスーラ)」四宮浩監督インタビュー   
 ―「巨大なゴミ捨て場」僕は、ここで生きている―

 フィリピンと言うと、真っ先に思い浮かぶのは「スモーキーマウンテン」。マニラ市内のありとあらゆるゴミが運び込まれるこの地には、ガラス瓶、アルミ、鉄等、再生できる資源を拾って生活する人々が大勢住んでいた。閉鎖されたけれど、場所を移しても多くの人が今もそんな仕事を続けている。89年にこの地を訪れて以来「忘れられた子供たち スカベンジャー」、「神の子たち」と、痛ましい現実の中でも輝き続ける子供の生を記録し続ける四宮浩監督が、その後の家族を追ったのが新作「BSURA(バスーラ)」です。作品の背景等を伺いました。

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(8月末大阪にて)

―この作品は高校生以下の鑑賞が無料だそうですが、又どうして?
四宮浩監督(以下敬称略):凄まじい社会を何とかしないといけません。でもここを舞台にした1作目を撮った時すでに、この国を変えるには内側からでは無理だと気付きました。外部からの力が必要だと。日本の若い人にその力になって欲しいと思うんです。たいていの映画は見たらそれで終わりだけれど、この作品はそうしないで欲しい。日本の政府等が100年単位で土地を借り上げるとかして、整備して産業をおこす事も出来る。高校生ならこれから時間があります。見て、考えて、政府への発言とか、自分に何が出来るかを探って欲しい。その為にも若い人に一人でも多く見て欲しいんです。若い人は携帯代に沢山お金を使う。残念ながら、ドキュメンタリーにはお金を払ってまで来てくれませんから。日本にいてもやれる事は沢山あります。そんな志を、一本の蝋燭を点して繋いでいきたい。大人は子供の為に生きるのが普通なのに、今、大人が自分の為に生きている。未来のある子供を大事にして欲しいんですよ。

―単に可哀相とだけで見て欲しくないと。
四宮:ええ、貧しいから可哀想ではなく、貧しいからこそ情も深くなる。若い人に何が生きることなのか、自分に何が出来るかを考えて欲しいんです。最初から大きな事を考えなくても、自分の家族も含めて身の回りの事からやっていくのでも良いんですから。
―映画にも映りましたが、監督自身がそういう思いから、スラムの人々への贈り物とか色々な支援活動をされているのですね。
四宮:僕が中心になってやっているんではありません。慶応の学生が中心になってやっているんです。他にも立命館の学生とか、色々なところから大勢ボランティアが入っています。スモーキーマウンテンの近くの新しいゴミ捨て場の、ゴミ拾いとか掃除をしたりしていますよ。偉いなあと思います。

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―日本の若者は生きがいを探していますからね。
四宮:ここを始めて見た時、自分の想像する地獄はこれかなあと思いました。匂いは凄いし蝿の数も口を開けたら入ってくるほどで尋常じゃあない。堪ったもんじゃあありません。でも、少女が近づいてくるからお金をくれと言われると思ったら、「こんにちは」といってくれて目が覚めました。他から見たら地獄でも皆の気持ちが荒んでいるわけじゃあない。ここに安らぎを求めて住んでいる人たちもいるんです。
―どうしても既成概念で見てしまいがちです。
四宮:皆家族思いでね。まだ自分が保護されるべき年齢の子が、弟、妹、父母のことを考える。自分の命がなくなっても良いから父さんの命を救いたいと言うんですよ。ここの子供たちは死が身近なんです。大体4,5人兄弟がいるんだけれど、2,3人が死んでいますから。でも死が近いからこそ生を考える。食べる物だってろくにないし、学校に行けない子も多い。だからこそ、死なないで生きているから幸せ、今日食べるものがあるから幸せ、学校へ行けるから幸せと、些細なことに感謝できる。素晴らしいですよ。

―私たちが鈍感になっている部分に敏感なんですね。それにしても大変な環境、撮影の苦労がしのばれます。
四宮:撮影するならここに住もうと思って、最初、僕もゴミ捨て場に住んだんです。慣れって凄くて、あんなに凄まじくても匂いは2,3日で消えたけれど、体がおかしくなって限界を超えた。もう止めようと思ったけれど、ちょうどその頃あった「ホワイトバンド」運動を見て、日本にいても自分で出来ることがあるかもと思い直したんです。それと、89年の撮影で雇った現地のスタッフに、後に僕の妻になる人がいて、フィリピンとのかかわりが出来ました。愛の力は大きいです。彼女に関わったのが全ての始まりでしたね。
―監督と奥様では彼らを見る視点が違いますか。
四宮:違いますね。映像にもありましたが、人間の手だとか足だとかまで、ここは何でも運ばれてくる。ゴミの中に肉が入っていたら、皆喜んで拾って食べるようなところです。当然国内でも外の住人からは差別されている。彼女はそんなフィリピン人の視点で見るし、僕は日本人の視点で見ます。

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―そもそも、どうしてフィリピンと言うとゴミ捨て場とゴミ拾いなんでしょう。
四宮:フィリピンは1997年に出来た大気汚染法で、絶対にゴミを燃やせないんです。だからゴミは全てゴミ捨て場に持ってくる。再利用できるものはそこで拾い、それを売って生活する人々が派生する。そんな仕組みがもう50年位続いているんです。何しろフィリピンの失業率は50パーセントですから、外にも仕事がない。ゴミを拾っている連中のほうが、少なくともお金を持っているから外より豊かだったりする。だからここの方が安全なんです。フィリピンは現地の誰かと一緒じゃあないと歩けません。僕も常に誰かと一緒です。しかもこういう反体制的な作品を作ると別の意味でも危ない。何をされるかと怖いですよ。体制を探ろうとしたり、批判的な報道をしたような2000人のマスコミ人が行方不明になっているような国ですから。僕もこの映画を、日本、ヨーローッパと先に外国で見せた後で現地で上映しようと思っています。
―そう言えば、アキノ氏の暗殺とか戒厳令とかありましたね。
四宮:ええ、指導者だって安心できない。元々この国は少数の富裕層が土地を独占していて、ほとんどの人は小作人。しかも一族を大事にするから、富裕層はいい仕事を代々うけつがれるけれど、閨閥がなければ大学を出てもマクドナルドの売り子になれればいいほうなんです。「スモーキーマウンテン」にいるような人は親戚もこの中だけ。未来を閉ざされているわけで、貧しさと絶望感から学校にも行かなくなる。悪循環です。長年通ってもちっとも変わりません。

―監督がフィリピンに行ったきっかけは何ですか?
四宮:僕は最初日活のピンク映画を撮ったり、電通の映画社に入ったり、アダルトビデオも撮りました。もちろんCMも撮りましたが、さて自分の作品を作ろうと思ったら日本にはテーマがなかったんです。で外国に出て行って、妻との出会いでフィリピンとのかかわりが出来たと。僕以外にもBBCがここを取材し放送して、その影響で世界中の人が「スモーキーマウンテン」を知るようになります。国辱的だと恥じた政府が閉鎖して、4ヶ月間ゴミが来なかった時は大変でした。皆食べれない。ゴミ拾いは大事な収入源、仕事なんです。住宅が供給されても、7割は新しいゴミ捨て場でゴミ拾いをして暮らしています。実はゴミのせいで水とか環境汚染も進んでいて、ガンとかの発生率が異常に高い。日々の暮しの為には大事な仕事だけれど、健康もそこねている。複雑に絡んだ問題が横たわっています。(聞き手:犬塚芳美)

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<インタビュー後記:犬塚>
 今回は揺すったり踏み込んだり出来なくて、予想できる答えしか聞けず、インタビューは消化不良に終わりました。本当は映像で解る事は作品に任せて、そこに表れていない、もっと本音の部分を聞きたかったのですが…。残念! 余白については、ドキュメンタリーをご覧になる皆さんの深い洞察と想像にお任せすることにしましょう。
 さて、フィリピンと言うとマルコス独裁政権や凄まじい数の靴を所蔵していたと言うイメルダ夫人、暗殺されたアキノ氏と後を継いだ夫人のアキノ大統領、戒厳令とか、政情不安も同時に思い出します。確か民主化を求める黄色い軍団の熱狂もあったはずですが、大きな変化は起こっていない様子。全ての根底には、一部の富裕層支配による凄まじい格差社会、貧困等フィリピンの社会問題が横たわっているようです。今回も、自分がアジアの世情に疎いことを痛感しました。


    この作品は、9/12(土)から第七藝術劇場で上映、
                 順次京都シネマ にて上映予定
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