太秦からの映画便り

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映写室 新NO.18あの日、欲望の大地で

映写室 新NO.18あの日、欲望の大地で    
 ―消せない記憶―

 <原題の「THE BURNING PLAIN」の示す>通り、農薬散布の飛行機が墜落して炎上するシーンから始まる。これがその後の、まるで関係なさそうな物語にどう繋がっていくのかは、後半位までお預けだ。謎解きの後でなるほどと唸らされる、念入りに計算されたストーリーだけれど、それもそのはず。脚本は、小説家出身で「バベル」や「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」等で多くの脚本賞を受賞しているギジェルモ・アリアガで、この作品で初の長編監督を務める。他の作品でも見られるように、アリアガの出身地メキシコを絡め、場所と時空を交差させた複数の物語を、女たちの愛が貫いていく。何ともスケールが大きい構成が魅力だ。

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(C) 2008 2929 Productions LLC, All rights reserved.

 <親と子、青春時代と成人後と>、お互いに対峙する複雑な女心を演じるのは、天下の美女シャーリーズ・セロンと、キム・ベイシンガー。さすがの美しさで、美の競演だけでも圧巻だけど、自分を見失いそうな虚ろさを、訴えるような瞳で表現するベイシンガーと、同じ思いを突き放したような強い瞳で表現するセロンの、対照的な表現法も見逃せない。
 オマケというには大き過ぎるのが、ヴェネチア映画祭で新人賞を受賞したジェニファー・ローレンスの繊細な演技だ。セロンの少女時代を演じて、ゴージャスさでともすれば夢物語まで飛びそうな話を、等身大の物語に繋ぎとめている。2人以上に印象深い。さあ、どんな愛の物語が展開するのか…。

 <海辺の高級レストランで>フロアマネージャーとして働くシルビア(シャーリーズ・セロン)は、美しさも知識も完璧だ。だが行きずりの男と容易に関係を持つ奔放さや自傷行為と、謎も多い。ある日メキシコ人の男が、危篤状態の親友に頼まれたと言ってやってくる。逃げ出すシルビア、よみがえるのは10代の頃の記憶だ。手術後の母ジーナ(キム・ベイシンガー)と父、幼い兄弟たちと国境の町で一見平和に暮らしていた。母の帰宅が遅い日が続き、不審に思ったシルビアが後をつけると…。

 <先に書いたとおり>、この作品は点の物語が重層的に繋がっていく過程こそが醍醐味なので、これ以上筋を追うのはよそう。それよりは3人の女(実際は2人だけれど)の愛について考察したい。そうは言っても関係性の説明で触れる事になるかもしれないけれど。
 <まず、消えそうな自分の女としての炎を>メキシコ人の男との出会いで再び燃え上がらせて、のめり込んで行く母親のジーナ。夫や子供たちの誰が悪い訳でもない。ただ、身も心も愛し愛される人に出会ってしまったのだ。家族に求められるのが、女としてではなく母親としての自分だけというのが、この年齢の女には、しかも乳房を失うという心の傷があればなおさら、たまらない寂しさなのかもしれない。それはジーナを愛する男も同じで、お互いに虚ろな魂が共鳴しあって、自分の性の残り火を燃やし始める。家族の視点に立てばこれほど罪深いことはないけれど、ジーナは家族も捨ててはいない。こんな事が続けば、いずれはどちらかを選択したかもしれないけれど、お互いに家族に対しても別の愛を注いではいたのだ。それに満足できず、母の愛の変化に気付くのが思春期の娘というもの肯けた。

 <「ナイン・ハーフ」で美しい姿態を晒し>、女性のさがを妖しく演じて私達を虜にしたキム・ベイシンガーは、今回も思いっきりがいい。年を重ねてより表情豊かになった体で、愛を渇望する悲しいまでの女のさがを見せてくれる。主婦の虚ろさや不倫の愛を情感たっぷりに演じて、枯れ切れない美しさが哀れでさえあった。

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(C) 2008 2929 Productions LLC, All rights reserved.

 <母の後を追って>、見てはいけないものを見てしまう娘のマリアーナ(後のシルビア)。私が感情移入できたのは美し過ぎる2代女優にではなく、このジェニファー・ローレンスだ。思春期の少女の、子供でもあり大人の部分もありという不確かさを的確に表現して、ハラハラさせられた。少し首を傾けた風情や物言いたそうな唇に心情が滲んで、鬱積した思いが汲み取れる。私は、彼女の視点で見て胸が痛くなったけれど、娘を持つ方が母親の視点で見ると胸が締め付けられるかもしれない。この若さで、何気ない背中が悲しみを語るのも素晴らしかった。
 <男の息子役も良い> 親同士の愛の果てに、遺された家族の悲しみ。それぞれの連れ合いは、不倫相手の事など考えたくもなくても、娘や息子となると少し違う。どうして私たちがいるのに、母は、父は別の人と…と、問いただしたい思いを抑えられない。それがマリアーナの行動だし、息子の行動だ。そこら当りの揺れる思いを丁寧に演じて、2人を抱きしめたいくらい切なくなる。魅力的でも2人が典型的な美男美女じゃあないのも嬉しかった。

 <ところで、投げやりにも見える>、謎の女性シルビアを演じるシャーリーズ・セロンは、この作品の制作も兼ねている。「ミニミニ大作戦」等で超人的な美しさで印象の薄い頃から好きだったセロンが、激太りして臨んだ「モンスター」で演技力を認めさせ、今や演技力や美貌だけでなく、企画力も見せているのだから頼もしい。それでも、未だに美貌は彼女の野望にとって諸刃の剣のようだ。際立つ美人としての存在感、美し過ぎて細かい感情表現よりもそちらに目がいってしまう。
 <これがメリル・ストリープなみの>美貌だったら、もっと細かいニュアンスに目が届くのだけど、いかんせん何をしてもアンドロイド的に美しい。瞳が強すぎるのも一因かもしれないけれど、肌を荒れさせてもくすみを見せても完璧な美貌の壁は破れないのだ。…と、「美し過ぎる」を彼女の為に何回繰り返したのだろう。他の女優には大敵の、年齢の加える影が待たれる。そんな意味でもキム・ベイシンガーは彼女の目標かもしれない、と。

 <数奇な運命の果てに>シルビアがたどり着くのは何処だろう。薄暗い岸部の町で投げやりに暮らした日々、飛び出した砂漠の町で自分を待っている過去、どちらも寂寥感が漂い愛を求めずにはおれない場所だ。女たちの憂いを思い浮かべると、必ず背景の町の物悲しさを一緒に思い出す。風景が紡ぐ物語、物語と風景が見事に一致した作品だと思う。何だか、ギジェルモ・アリアガの原点を見たような気がした。(犬塚芳美)

  この作品は9月26日(土)より、テアトル梅田、シネマート心斎橋、
                    シネ・リーブル神戸で上映
        10月京都シネマで上映予定
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