太秦からの映画便り

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映写室 新NO.20私の中のあなた

映写室 新NO.20私の中のあなた 
   ―姉のドナーとして生まれてきた妹―

 「My Sister’s Keeper」という原題の前に「I am 」を付けると、この映画の内容を正確に現す事になる。そう、白血病の姉の命は、彼女のドナーとなれるよう遺伝子操作して生れてきた「I」、つまり妹にかかっているのだ。生れる前から臓器提供が目論まれているなんて、何だかぞっとする話だけれど、病気の娘を救おうと必死の母親には、もう一人の娘の人権が見えない。現実離れしていそうで、医学の進歩した今、起りそうな話でもある。親子、姉妹の情愛だけでなく、命に絡んで幾つもの倫理問題を考えさせられた。

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(C) MMIX New Line Productions,Inc.All Rights Reserved.

 <敏腕弁護士の元に>、一人の少女アナが訪ねてくる。両親を訴えたいというのだ。アナは姉のケイトを救う為に何度も手術台に上ってきたが、今度の腎臓提供は嫌だと言う。激怒する母親、戸惑う父親。移植しないとケイトは死ぬと解っていながら、姉が大好きなアナがどうして…と、その謎を追う形で物語は進んでいく。

 <原作は2004年の出版だけれど>、現実でも今の医学界は、拒絶反応のない移植臓器の開発に躍起になっている。タイムリーな事に日本では、つい先日、京大の中山教授がips細胞の研究で、ノーベル医学賞への登竜門といわれる「ラスカー賞」を受賞した。自分の体にいろいろな臓器になりうる肝細胞があるというんだから、この研究が進めばこの妹のような悲劇はなくなるはずだ。ペースメーカーとかの人工補助臓器もあるし、医学の進歩で一つ二つパーツが壊れた位では人間死ななくてもよくなってきたらしい。だからいっそう、かけがえのない人の、消えそうな命が諦められなくなっている。これはそんなお話だ。

 <数年前に「アイランド」という近未来が>舞台のSF映画があった。お金持ちが自分の命を永らえる為に、細胞からクローン人間を作って無菌状態の中で純粋培養し、いざという時に自分の臓器と交換する話だ。一人助かる代わりに、臓器を提供したクローン人間は死んでしまうわけで、命すらお金しだいというなんともおぞましい話だった。結果的には捏造だったけれど、丁度韓国でES細胞培養の成功も発表され、映画の中の近未来が急に身近になり、怖くなったものだ。
 <ただ、そうは言っても>、人間の倫理観がそこまでの事を許すわけがないと、妙な安心感も持っていた。現実には科学の進歩に倫理面の審議が追いつかず、取り残されている。其処が問題なのだ。この物語もそんなところを問いかける。この物語のレベルなら今だって可能かもしれない。原作が出版された2004年の段階では近未来だった話が、今や現実にあるかもしれない所で進んでいく。

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(C) MMIX New Line Productions,Inc.All Rights Reserved.

 <それにしても母性とは凄まじく、かつ悲しい> 何があろうと子供の命は絶対に諦められない。母親役のキャメロン・ディアスが現実には母親でないのも、この極端な母親像の形成には有効だったかもと思う。彼女が現実の母親ならば、ここまできっぱりとは演じられず、ケイトともう一人の娘アナの間で複雑に揺れると思いたいのだ。
 <姉の為に犠牲にしてきた自分の半生>を疑う事もせず、仲良しで誰よりも姉を慕う妹。それでも今度は受け入れるしかない姉の決断と生の限界だった。生も死も、向き合えば向き合うだけ真摯に真実を教えてくれる。いくら心配しても、結局は他者の体でしかない母親と違い、二人にとって命は自分の体の中の声。そんな意味では、二人は母親よりも本当の意味で命を見つめていたのだ。健気な妹を演じるアビゲイル・ブレスリンの子供っぽさと大人っぽさの入り混じった様もリアリティがある。
 <突っ走る母親と>、気持ちが解るだけに止めようにも止め切れない父親、近くで助ける事しか出来ないけれど、静かにそれを実行する母親の妹、ここにも姉妹のいたわりあいがあるのだ。
 
 <そんな皆の中で>、クールに一人近づいてくる死を見つめるケイト。この物語がリアリティを増したのは、ケイト役のソフィア・ヴァジリーヴァの熱演による所が大きい。頭だけでなく眉も剃り、熱っぽい厚い唇をして、まるで病気そのもののような姿で、スクリーンの中で短い生を生き切っている。限りあるからこそ輝く命、今への愛しさ。同じ病のボーイフレンドとのデートで見せる笑顔が素晴らしく初々しく、死を扱いながら、この物語が死以上に生を描いて、生きるとは何かを問いかけてくるのは、彼女の煌きのせいだ。

 <死は死に行く人より遺される者にとって重いと改めて気付かされる> 体の声で本人は受け入れても、娘の死を受け入れられない母親。ケイトの最後の仕事は、母親に自分の命の限界を解らせる事だった。母の必死さがあればこそ繋げた自分の命、でもその母が見失っている妹の命や父や弟の事。母の気持ちが解るからこそ誰もそれを言わない。自分が知らせなくては。自分が死んでも自分の家族は家族でいて欲しい。それが自分の生きた証しなのだから。そんな全てを母親に解ってもらうのが旅立つケイトの希望だったのだ。
 <生きるってどんな事?> 人は何処まで生きることに頑張ればいいの? 臓器提供の為に遺伝子操作して子供を生んでもいいの? 母親にとって子供って?と、考えさせられた事ばかりだ。
 余談だけれど、時間軸のある4次元の世界に行けば、行きつ戻りつ出来る訳だから、死も超越できるはず。死を絶対の別れと思うのは3次元に生きる私たちの限界かもしれない。(犬塚芳美) 

この作品は、10月9日(金)より、TOHOシネマズ梅田、TOHOシネマズ二条、
                MOVIX京都等全国でロードショー
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コメント


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おはようございます。


観たい?観たくない?・・・・・どっちだろう。

好きで、欲しくって子どもを産みました。
初めの子どもが男の子で、次の子を授かったときに
「兄弟は同姓の方がいいな」と願ったことを思い出しました。
女の子も育ててみたいけれど、お兄ちゃんが楽しんで助け合って生きていくには同姓がいいかな?と勝手なよくわからない願い。でした。


まだ私が義務教育を受けていた頃に「兄弟で血液型が同じだと病気のときにドナーになれる可能性が高い」と知って(あやふやな記憶です)私と弟は同じA型で「ほっとした」記憶もあります。


子どもふたり。
性格も顔もあまり似ていない二人のわが子。
それぞれに可愛くってそれぞれに憎らしい。
瞬間、この子は可愛すぎる~e-266と片方に思うこともあるし、別の時にはもう1人のほうをe-265
どっちか1人を選択しなきゃならないような、そんなの、無理。
そのときがきたら・・・私は迷うのだろうか?
何を?
1人の生の選択がもう1人の死の選択になるなんて、どうやってGOサインをだせるんだろう?


観たくない。
でも、観ておきたいような、そんな気もします。
 

kimico | URL | 2009年10月11日(Sun)09:52 [EDIT]


Re: タイトルなし

> どっちか1人を選択しなきゃならないような、そんなの、無理。
> そのときがきたら・・・私は迷うのだろうか?
> 何を?
> 1人の生の選択がもう1人の死の選択になるなんて、どうやってGOサインをだせるんだろう?

kimicoさんお久しぶりです!

すぐに死には繋がらなくても、もう一人の子供の体を致命的に傷つけるのを、この作品のようにきっぱり決断出来る物だろうかと、母親で無い私は自分の母親を想像して考えました。
真っ直ぐ前しか見えない母親に対して、当人と妹がお互いを労わりながら最後の日々を過ごすのが救いです。生体間の移植技術が進んだ今、身内で免疫学的に適合するとなると、世間の無言の圧力で移植せざるを得ないのも、問題視されていますよね。上げる方以上に、貰う方は苦しい決断です。

余談ですが、皆が親子間で生体肝移植をした事を知っている自民党の河野太郎さん、彼がテレビに映ると、私はどうしても顔色を気にしてしまう。日焼けなのかどうか、彼の顔色はどうも気になる色なのです。他人の私がこんななんだから、お父様はもっと神経質に息子の体調を気遣っている事でしょう。息子の臓器をもらってまで生きたくはないが、生きて欲しいという息子のたっての希望に押し切られて、もらう事にしたと言われた時の、複雑なお顔が忘れられません。

犬塚 | URL | 2009年10月11日(Sun)23:58 [EDIT]


 

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