太秦からの映画便り

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映写室 新NO.22「きみがぼくを見つけた日」&「アンナと過ごした4日間」

映写室 新NO.22「きみがぼくを見つけた日」&「アンナと過ごした4日間」
  ―究極の二つの愛の形―

 今週はちょっと風変わりな設定の、二つの愛の物語です。アメリカ映画の「きみがぼくを見つけた日」は、体が勝手に時空を超えてしまう男と、そんな男を愛する妻との切ない物語。ポーランド映画の「アンナと過ごした4日間」は、片思いの男のとる驚愕の行動を切なく描写。ハリウッド的な広がりのある豪華な映像と、ヨーロッパ映画らしい絵画的で重い映像という作風の違いだけでなく、時を越えて求め合う魂と一方通行のまま4日間で終わる至福の時と、愛の形や期間も対照的だ。
 <形は違っても>、それぞれに感じるのは究極の愛。当人だけでなく他者から見ても愛は切ない。あのひと時は夢か現かと、主人公と共に戸惑う。脚本の巧みさ、設定の妙と、どちらも捨てがたいけれど、2本のどちらにより惹かれるかが嗜好の分かれ目だ。


《1.きみがぼくを見つけた日》:運命に挑む恋人たちの物語 

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(C) MMVIII INTERNATIONALE SCARENA FILMPRODUKTIONSGESELLSCHAFT 2 MBH & CO. KG (tm)NEW LINE PRODUCTIONS, INC.

 <ヘンリーは幼い頃母親と一緒に>事故にあい、瞬時に過去に移動して助かった。それ以来、体が勝手に過去と未来を移動する。誰も信じてくれない秘密を抱え、孤独なヘンリー。ある日過去に帰った所を6歳の少女に見つかる。「未来から来た」という言葉を信じる少女は、何度も会ううちにヘンリーに恋心を。やがて妙齢の2人が同じ時空で出会って・・・。

 <こうして2人は運命的に結ばれる> 息を潜めて生きていたヘンリーは、自分をそのまま受け入れてくれるクレアの出現でやっと自分を晒せるし、クレアにしても自分と同じ時空でのヘンリーの出現は、幼い時から彼を待ち続けた自分の半生の肯定だった。
 <父親は娘を称して>「現実に対応する逞しさがない」と言う。意味深な言葉だけれど、クレアの凄さは、現実をそのまま受け止める逞しさではなく、現実を夢見る事で乗り越える逞しさだ。ヘンリーの特異性に悩まず、何処までも真っ直ぐなクレアの愛が色々な事を可能にする。根無し草のように時をさ迷っていたヘンリーは、クレアの出現でやっと居場所を見つけ、人並みの幸せを手に入れた。でもクレアはもっと上の、子供を持つという人並みの幸せも欲しい。

 <考えてみると、クレアにとって確かなのは>ヘンリーの心と愛だけ。体はまるで不確かで、結婚式等の大事な時でさえ、予告もなく別の時空に行く。それに若い彼が現れたり、数年後の彼が現れたりと、本物がどれかすら解らなくなる。しかも、行ったら最後、何時還ってくるかも解らないのだ。愛しながらも取り残されて不安と孤独に耐えるクレア、せめて2人が体を重ねた証の子供が欲しいと考えたとしてもおかしくはない。一方家庭を持ったからこそ、自分の特異性に苛立つヘンリー、ここにも男女のすれ違いがあった。

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(C) MMVIII INTERNATIONALE SCARENA FILMPRODUKTIONSGESELLSCHAFT 2 MBH & CO. KG (tm)NEW LINE PRODUCTIONS, INC.

 <時の旅人が主人公だけに>、物語の舞台は何処も時の流れ、風を感じさせる。矛盾もある物語がすんなり納得できるのは、そんな空気感を切り取るカメラワークと、全てを信じるクレアに視点を重ねるせいだ。クレアは「きみに読む物語」で輝くような美しさを見せたレイチェル・マクアダムス、ヘンリーには「ミュンヘン」のエリック・バナが扮する。行きつ戻りつ、年齢はばらばらでも、時系列に沿った2人の愛の進化は止らない。それを手がかりに見るのも方法だ。

 <他の作品であまりに別れを悲しむから>、時間軸の加わった4次元の世界では、死の意味が違ってくると思っていたら、早速こんな物語に遭遇した。この作品ラストが素晴らしい。スクリーンの中の風に吹かれれば、一瞬だけれど私たちも時の旅人になれる。ブラッド・ピットが制作も務める不思議な物語を堪能あれ!(犬塚芳美)

この作品は、10月24日(土)から
      梅田ブルク7、なんばパークスシネマ、アポロシネマ8、
      MOVIX京都、MOVIX六甲、109シネマズHAT神戸
      OSシネマズミント神戸 ほか 全国ロードショー


■日本語オフィシャルサイト
       http://www.kimi-boku.jp
ワーナー・ブラザース映画オフィシャルサイト
       http://www.warnerbros.jp


《2.アンナと過ごした4日間》:孤独な男の愛は現実か妄想か

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(C) Alfama Films, Skopia Films

 <病院の火葬場で働くレオンは>、年老いた祖母と二人暮し。夜になると双眼鏡で看護婦のアンナの部屋を覗くのが日課だ。病院をリストラされ祖母も死ぬと、大胆な行動に出る。アンナの部屋に忍び込みお茶に睡眠薬を入れて、最初の夜はアンナの服のボタンをつけ、次の夜は床を拭き、ぺティキュアをぬる。3日目のアンナの誕生日には、盛装して花束と指輪を届けた。ところが4日目警察に見つかる。レオンの思いはアンナに届くのか・・・。

 <監督はこれが17年ぶりの新作となる>、ポーランドの映像作家イエジー・スコリモフスキー。どうも私は、ポーランドという言葉に弱い。ナチスや厳しい自然を思い出し、それらを潜り抜けた端正さを思い浮かべるようだ。この作品でも、シアンに振ったトーンや物音一つしないような空気感が、ポーランドの重苦しさを伝える。
 <詩人で画家でもあるスコリモフスキーらしく>、動画なのに場面場面が完璧な構図で、まるで絵画のように計算されつくした映像。静的な空気感が漂い、それが静謐さにも繋がる。川を流れる牛の死体、突然の激しい雨、覗き見、特異な主人公の職業、全てが暗示的で、監督の内的世界を映像化した風情。ストーリー以上に映像が物語る。

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(C) Alfama Films, Skopia Films

 <遺体の切断された足を眺めるとか>、レオンの職業からして重苦しいが、レオンは人というより牛のように鈍重だ。愛すらも鈍重で、同じような体形のアンナに独りよがりの偏狂的な愛を注ぐ。人との交流がなく、接し方を知らない男。彼のそんな性格を作った悲しい過去については、注意深く映画を見ると解る。そのアンナは、彼の愛を愛と受け止めたのか? あまりに哀れな結末も映画を見ていただこう。人を愛するのは難しい。人からの愛を受け入れるのも難しい。恋愛というのは両者のそれが一致した、まさに奇跡的な結びつきなのだ。

 <この作品は、ニューヨークの新聞に小さく>載った日本で起こった事件にヒントを得たという。ここに生々しさや日本的な湿り気を加えたらちょっと辛い。現実とはちょっと距離感のあるスコリモフスキーの映像だからこそ、平静に見られるような気がする。それがアートの視点、3面記事を藝術に昇華させる力技だと思う。
 余談だけれど、レオンが動かない祖母に呼びかけるポーランド語の「バッチャ、バッチャ!」という言葉で、(ん、これって日本語?)と不思議な感覚を持った。(犬塚芳美)

この作品は10月31日(土)より、第七藝術劇場で上映
       11月14日(土)より、京都みなみ会館、
       12月5日(土)より、シネ・リーブル神戸で上映予定
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