太秦からの映画便り

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(後編)

映写室 「1000年の山古志」橋本信一監督インタビュー(後編) 
   ―中越大震災と闘った小さな村の物語―

<昨日の続き>
―ええ、そうでしたね。
橋本:山古志は元々地震や地すべりがあった土地で、それを乗り越えて命を繋いで来ている。ここの様な中山間地は日本の大部分を占めています。映画に出てくる人々がどう生きているかを描いたら、日本人の生きてきた姿が浮かび上がるはずだと思いました。元々日本人は人の繋がりを大事にして、自然と共生して生きてきたんですよね。「掘るまいか」を撮った時から、(この村の深さは何だろう?)と思っていました。腹にすとんと落ちなかったそんなものが「1000年の山古志」のテーマに繋がったんです。(これは日本の村の物語だよね)という、うっすらと感じていたものが、ラストまで撮って解ったというか。俺達が作りたかったのはこういうものだったんだと、作りながら解りました。

yamakoshi_main.jpg

―解るまでには、時間がかかっていると。
橋本:全部で150時間回しています。最初プロデューサーから、700世帯全部を映せと言われました。まあ、そういうつもりで撮れという意味でしょうが。完成後の発表会で「特定の家族が出てくるが、決して特定の人の物語ではない。山古志の人全てを描くつもりで撮っている」と言って観てもらったら、たとえば上田さんの物語に「ああ、これは自分の物語だ」と皆納得してくれました。元々この作品は、カメラと村人が近かったんです。プロの方たちからは、「対象に踏み込み過ぎもせず、そうかと言って空々しくもない。いい距離で撮ってる」と言ってもらいました。

―皆さん生き生きとしていますが、カメラが背中を押した所もありますか。
橋本:映画を撮るという行為そのものが皆さんの背中を押し、生き生きとさせ、そんな村人達の姿がとるほうの背中を押したという、共犯関係から撮れた映画です。田んぼを修復した上田さんなんてその典型で、最初は諦めていた。家を壊す日に初めてお会いしたんだけど、上田さんは「自分の代で家を壊してご先祖様に申し訳ない」としょんぼりしてて、「ご先祖様のお墓と仏壇を修復して、自分はもう一度田んぼをやりたい。それが出来たら家なんて掘っ立て小屋でも良い。ここで田んぼが出来たら、他には何にもいらない」と言うんですよ。僕らもうるうると来て、「上田さんが稲を刈り取る所を見たいよね」と言い合い、どうしたら田んぼが出来るかをカメラのないところで話したんです。「映画の為じゃあなく僕らは上田さんが田んぼをやるのを見届けたいんだ」と言っても、最初は「でもお金が無いし」、「もう自分は年だし」、「娘達も反対してるし」とか言ってたのを、だったらこうしたらと一つ一つ解決していった。そのうち「そこまで言ってくれるんだったら、やっちゃおうかなあ」とか言って、ホースを発注したりとか少しずつ自分で動き始めた。

―スタッフの思いが上田さんの背中を押したと。
橋本:そうですね。ホースを持って山道を突き進んで行くところとか凄いでしょう? 崖の上を草に捕まって登るんですよ。まず最初に、重い機材を持った録音が脱落しました。僕も途中で駄目になるんだけど、カメラマンなんて僕を心配するどころか邪魔にする位だった。上田さんのこの執念を撮りたいと、必死でくらい付いていく。映したほうの執念も凄かった。よく落ちなかったものだと、後で怖くなりました。
―そうして伸ばしたホースから、ちょろちょろと水が流れてくる、と。
橋本:水が出た時は、ほんと嬉しかったですね。あの年齢の人が、長靴をはいて子供みたいにピチャピチャやってる。山古志は元々水の神様がいて、水は大事だから、こうして水が引けたときは祝うんだと言って、何か貰ったりしました。まだその時には水が溜まるかどうか解らなかったんだけど、夢が半分くらいは叶ったかなと思いました。ただ上田さんは、途中でお祖母ちゃんが死ぬんです。田んぼも見せたかったし、長岡に建てた家も見せて、こうして再出発できた事を知らせたかったと言っていました。

―その上田さんとか、たくさん映した中から、5人に絞り込んだ基準は何ですか?橋本:ある種運命的な出会いの方です。上田さんの場合、初めての出会いであの方の持つ重みから本当の山古志人と出会ったと思ったし、名前とか僕のお袋と似ているところもあって、色々な思いが錯綜し、この人は僕らにとって大事な人になるかもしれないと感じました。カメラマンも、「この人良いよ。びんびん来る。深いものを持ってる」と最初から言ってましたね。でも本人はマスコミが嫌いなんです。山古志一の山菜取りの名人だとか、地元では有名なんだけど、テレビ局等が映そうとすると嫌がる。僕らは拒絶されなかったけれど、最初からがんがん映せたんじゃあなく、そろりそろりで、我々を解ってもらうまで結構時間がかかっているんです。

1000nen-k2.jpg


―なるほど。ひまわりを植える関さんも印象的ですが。
橋本:映画ではそこまで映りませんが、関さんだけで映画が1本できるほど回しています。今までは夫を立てて後ろから静かについていく、絵に描いたような良妻だったのが、地震をきっかけに自分って何なんだろうと考えたと言っていましたね。地震で避難所に来て、時間があるから色々な事を考える。仮設にばかりいると家族が心配するから外に出るんだけれど、暗い表情で下を向いている姿を人に見られるから、晴れの日は出れない。雨の日に傘を目深にさして、顔を隠しながら仮設の周りをぐるぐる1日中歩いた、と。人生をリセットされてしまって、自分はどう生きてきたのか、自分の人生は何だったのか、これからどう生きるつもりなのか、自分を突き詰めたそうです。又以前のように山古志に戻るのであれば、そこで自分が生き直す為の理屈が欲しいと考える。そんな時、神戸の方がひまわりの種を持ってきてくれるんですね。「ひまわりはどんなに辛くても真っ直ぐ上に伸び、太陽を向いて咲く。こんな風に生きようよ。自分たちは震災の後ひまわりを育てて元気をもらった。あんたたちもここで怯まないでひまわりを育てなさい。」と言われて、(そうだひまわりを育てて、種から油を絞ろう。それを自分の生きがいにしよう。ひまわりを一つのシンボルにして、自分なりに山古志に尽くしたい)と、その時決めるんです。ご主人は昔風のしゃしゃり出るなというタイプだけれど、生き生きと元気になっていく妻を見て、影で協力するとか変っていく。大人しい人が団体まで立ち上げました。「地震は色々な物を奪ったが、奪うだけでなく、人生を考え直すきっかけを与えてくれた。山古志って本当に良いところねえって、ここのよさを見直せるきっかけにもなった。辛い経験だったけれど得た物も多い」と言っていました。全てを破壊されたわけだから、皆さん色々厳しい決断を迫られるんです。岐路に立ち自分を試された人たちの、「今畜生、負けるもんか!」という頑張りを、ちゃんと撮りましたよというのが僕の思いです。底から這い上がってこれる力、これが日本人のDNAかなあと思いました。

―日本人というけれど、山古志の人々は特別のようにも思います。生きる知恵があるというか、生活を楽しむ力があるというか。
橋本:確かに山古志の人はイマジネーションが豊かだし、民意が高いですよね。ここは元々幕府の直轄領だったんだけど、役人が時々来るだけで、あまり締め上げられてないんです。錦鯉にしても、突然変異できれいな色の物が出たら、それをかけあわせてもっと珍しい物を作るとかを、昔からやっているんですよ。元々、日本の百姓と言う言葉は気高い言葉で、自治能力や知識があった。昭和の初期に、貧しい人たちがお金を出し合って、16年もかけてトンネルを掘ったというのがそれを証明しています。中央から言われた事じゃあなく、自分たちでやっているんですからね。何をやるにしてもしなやかで品格があると思いました。この映画でもリーダーの松井さんが、「これは国がやってくれる、県がやってくれるというんじゃあ駄目だ。自分たちがどうしたいかを考えないと」と言うんですが、何事も人任せにしない。自分の足で立ち自分の力で切り開いて生きてきた。それが地震が起きた時に生かされたと。ここにいたって自分の中で「掘るまいか」から「1000年の山古志」が一つに繋がりました。山古志の人々は自然に痛めつけられたけれど、自然に助けられてもいる。土地と細胞が繋がっているというか、土地は命の元なんですよ。そういう生き方をしてきたからこそ、便利だとか不便だとかではなく、戻りたいと思うんです。それが役人には解らない。

―深い言葉です。同じ武重さんプロデュースの「いのちの作法」の舞台の村と同じ匂いを感じました。
橋本:沢内村もそうでしたね。特別な村長がいたのもあるけれど、あの村も自分たちで考え自分たちで実行している。しかも人間が自然と共生して生きているんです。これが日本人のDNAですよね。プロデューサーは今までも日本人の根っこを探ってきた人で、ぜひとも残したいそういう所を見つけてくるんですよ。この問題は実は僕にも関係していて、自分はオーム世代というか、高度成長の最中に育って、根っこのなさというか、生きていく手段がないというか、自分の所在のなさに後ろめたさがあるんです。(俺って何?)と山古志に行くと劣等感を感じる。あそこでは皆生きていく実学を持っていますからね。便利になったけれど、私たちは色々な物を切り捨ててきた。自分たちよりもっと酷い状態になっている若い人にも観てもらって、何かを感じてもらえれば良いなと思います。(聞き手:犬塚芳美)

<作品の感想とインタビュー後記:犬塚>
 本当言って私も、もう山古志の人々が元の場所に帰る事はないだろうと思った一人です。でも予想に反して、多くの人々が故郷に帰った。その裏にこんな物語があったとは…。ここにあるのが本物の暮らしだなあと、監督の狙い通り、1000年続いた山古志の人々の英知に心を揺さぶられました。浮ついた都会暮らしが、ちょっぴり虚しくなる。


  この作品は11月7日(土)より第七芸術劇場で上映。  
         <なお、8日(日)には監督のトークショーがあります>
       順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開
スポンサーサイト

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

 

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。