太秦からの映画便り

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映写室「葦牙―あしかび―」小池征人監督インタビュー(後編)

映写室「葦牙―あしかび―」小池征人監督インタビュー(後編)   
―児童虐待を受けた子供たちに社会的な母乳と母語を―

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(C)記録映画『葦牙』制作委員会

<昨日の続き>
―素晴らしいスピーチをする少女とか、スケートを頑張る少年とか、大変な経験をした子供たちが頑張っている姿、前向きで賢いのが嬉しいですね。彼女は文章上手いし、将来は作家かなあ。
小池:皆頼もしいでしょう。あの女の子は作家になりたいと言っていましたね。「私は書ける、一杯子供たちの世界を見たから」と言うんですよ。びっくりしました。人は与えられた条件から何かを摑んでいきます。恵まれている中から全てが生まれるとか限らない。受難を乗り越える為に情熱が生まれるんです。彼らは同年代の子供以上に大人ですよ。与えられた苦しみを栄養にして成長していますから。

―そうは言っても、全てが解決するとは限らない。映画に希望を見ながらそんな事も感じました。
小池:僕は色々なことがあっても、その中の希望を掬い取りたい。一度底辺に堕ち者たちが這い上がっていく、リターン・マッチの精神が好きなんです。敗者復活戦ですよ。楽観的というわけではなく、絶望を味わったからこそ、絶望の向こうの希望が輝いて見えるのかもしれませんが。この作品の入り口は虐待問題だけど、映画は子供とお母さんの再生の物語になっています。そうは言っても問題意識を忘れて気持ち良くなって貰うだけではいけない。最後のダビングで、そういう現状を説明する最初の言葉を入れる事を決めました。あれが無かったら良かったと言う声も多いですけどね。

―厳しいのも現実ですから。観客に、私たちも頑張りましょうと思ってもらわなくてはね。
小池:そこなんですよ。彼らもやがては社会に出て行く。人は一人では生きていけない。この問題を他者の話にせず、傷ついた子供たちが春になって芽吹けるように、社会が栄養豊かな枯葦原になって欲しいんです。同時にこれも知られるようになったことですが、虐待を加えた親は加害者だけれど、同時に被害者でもある。親自身が幼い頃にそういう体験をしていることも多い。虐待というのはいけないけれど、そこまでするのは理由があって、親も苦しんでいるんですね。親も同じ被害者なんだと受け止め、片一方を一方的に責めてはいけないんです。

―あのスケートを頑張る少年も、そういう親の事情がわかって、負の連鎖を自分で断ち切って自分は幸福な家庭を築きたいと言っていましたね。
小池:彼は賢くてね。今もスケートを続けていますよ。頑張るし適当にサボるし、バランスの取れた普通の子です。ただ虐待を受けた子供たちは総じて小さい。色々なホルモンが止まって成長しないんです。スケートは過酷なスポーツなのに、彼も足が細くてね。園長先生がここの食事だけでは体力がつかないから、彼には特別メニューを出そうかなんて言っていました。実は彼がスケートを始めたのは、あの顧問の先生が彼に手紙を書いてオルグしたのがきっかけなんです。「君をスケート選手にしたい」とラブレターを書いている。手紙がよっぽど嬉しかったんでしょうねえ、過酷なスケート部に入り頑張っている。そんな具合に、いい意味で子供を騙す大人、子供の心を作る大人が必要なんです。そういう先生に出会えて彼は幸せですよね。これからも頑張ると思いますよ。

―映画の中の希望の光が広がっていきます。自宅に帰ったときの映像も嬉しそうでした。
小池:虐待を受けたと言っても子供は皆親が好きなんですよ。家族が一緒に暮らせるのが一番だと言ってますからね。問題なのは、子供の再生施設はあるけれど、再生した子供を迎えるべき親、傷ついた親の再生を助ける仕組みがない事です。親と子、両方の再生が必要なんですがね。
―まだまだ中途半端だと。
小池:ええ。この問題が根深いからこそ、子供も親も撮影の許可が出ない事もありました。最初は駄目でも途中からオーケーになった子も何人かいて、助かりましたが。子供よりも親のほうの撮影が難しく、映っているのは彼のお母さんともう一人だけです。でも完成して見て貰った時、シルエットでのみの撮影を許可してくれたお母さんが、「こんな作品ならちゃんと出ればよかった」と言ってくれて、嬉しかったですね。

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(C)記録映画『葦牙』制作委員会

―そのあたりの視点が温かかったんですね。題名も素敵です。
小池:最初は「風にそよぐ葦」にしてたんです。キリスト教の言葉で、実はこれはあまり良い言葉じゃあないらしいと解った。権力におもねると言う意味らしいんです。地元の作家から、葦に拘るんだったら「葦牙」はどうだと教えてもらって決めました。「葦牙」って言うのは葦の若芽の事で、古くは古事記にも神々の誕生の記載で使われている、生命の象徴のような言葉なんです。本当は皆が知っている言葉がいいんだけれど、良い言葉なんで「葦牙」という言葉の力を借りて子供たちの未来を照らしたいと思いました。
―こんな大人がいる限り、子供対は再生できる。温かい思いが届くはずだと思いました。ところで「いのちの作法」に続いて製作総指揮は武重さん。ついこの間は「1000年の山古志」もありました。プロデューサー武重さんの快進撃が続きますが?
小池:プロデューサーは大変です。監督と違って、旗を上げたら降りられない。でも強い思いがおありなんでしょう。「本当の日本」や「本当の日本人」の力を伝えて行きたいと頑張っておられます。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》
 <このようなデリケートな問題に>素顔を晒しているのが、まず衝撃でした。当事者たちが、この問題を知って欲しいと、私たちが思う以上に真摯に考えているのが解ります。もちろんそれは前作から培ってきた監督との信頼関係があってこそ可能だったこと。皆さんの期待を裏切らない、厳しい現実の向こうの希望にスポットを当てる温かさが印象に残ります。
 <だからこそ>、こぼれる厳しい現実を聞いてしまうと、「僕は厳しい現実を見てきた。絶望の行き着く果ては希望だと言うのが真情です」とかわされました。学園の子供たちは18歳でここを出て行きます。この映画で、監督や緑学園の皆様から、私たち社会が葦原になることを託された気分になりました。


 この作品は、12月5日(土)第七芸術劇場(06-6302-2073)にて上映、
       初日監督の舞台挨拶があります。詳しくは劇場まで。
       順次京都シネマ、神戸アートビレッジセンター にて公開
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