太秦からの映画便り

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ジプシー音楽の多様性

映写室 「ジプシー・キャラバン」上映案内     
  ―音楽は神からの贈り物―

 インドに起源を持ち、11世紀から世界中に散らばったと言われるロマ/ジプシー。彼らの奏でる音楽はどんなに賑やかでも独特の哀愁を漂わせる。そんな魅力を伝えようと、スペイン、ルーマニア、マケドニア、インドと4つの国の5つのバンドが、6週間をかけて北米を回った。これはその「ジプシー・キャラバン・ツアー」を追ったものだ。

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 <ヨーロッパを旅すると>、アコーディオンやタンバリン、バイオリン等に合わせて歌い踊るロマ/ジプシーを駅や街角でよく見る。本当言うと、スリが多いから気をつけろと教えられたし、執拗にお金をせがまれた経験もあって、どうしても身構えてしまう。なかなか立ち止まって聴く機会はないけれど、それでも哀愁を帯びた独特の音色は耳に残って、彼らと出会った風景が、旅一番の思い出になったりするのだ。
 彼らの暮らしとかを知ったのは、ジョニー・ディップがロマの若者に扮した「耳に残るは君の歌声」でだった。ディップの雰囲気と重なり、美しい青年の纏う哀愁と、瞳に宿った複雑な色が忘れられない。あれは彼だけの物ではなく、悲しい歴史を刻むロマたち誰もが宿す影のようだ。ロマは何処の文化圏でも長い間差別され続け、ナチス時代にはヨーロッパ全土で50万人が虐殺されたという。しかもその史実がユダヤ人ほどには知られていない。

 <監督のジャスミン・デラルは>、1900年代初頭にジプシーに関する1冊の本に出会い、この作品の前に「AMERICAN GIPSY」(’00)を完成させている。デラルはイギリスに生まれ、一時は祖父母と共に南インドで暮らし、大人なってからはほとんどを合衆国で過ごすという様に、多くの文化に属してきた。でも何処の社会でも真ん中ではなくいつもその辺境にいたと、ロマたちの疎外感や寄る辺のなさに自分を重ねてみせる。
 <そんな共感から始まる本作は>、云わば彼らの知的追っかけ。5つのバンドの多様性でロマ文化の多様性を見せていく。インドの砂漠民バンド、「マハラジャ」で女装して踊る彼の動きを見ると、なるほどこの地の魂が世界に広がったのかと納得した。一方この作品の中心となる、ロマの歌姫エスマの圧倒的な肉体と歌唱力にも魅せられるだろう。他にも躍動的なブラスセッション、弦楽器中心で哀愁を掻き立てるバンド、何かが乗り移ったように情熱的に踊り続けるフラメンコと興味は尽きない。誰もが見せて聞かせる、生き生きとしたステージが圧巻だった。

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 <監督はそれぞれのミュージシャンのルーツも>訪ねている。ある時は結婚式に遭遇し、時には大切な人のお葬式となってしまうその旅。ロマの暮らしは貧しい。ツアーのメンバーはそれを抜け出し、誰もが歌で家族を養っていることに誇りを感じているのだ。音楽はロマ/ジプシーが神から生きる為に与えられたものと言う説が身に染みた。
 <躍動感と相反する物悲しさ>、それこそがロマ/ジプシー音楽の魅力で、彷徨い人の心象風景が浮かび上がる。この作品を通して、そんな歴史を知り、彼らの豊かさを知り、上で私が書いたような偏見を払うことが出来たらと思う。彼らの寄る辺のなさは、実はこの世に生を得てひと時留まるだけの誰もの寂しさでもあるのだから。
 ジプシー音楽をこれほどふんだんに聴いた事はない。彼らの暮らしの映像と共に貴重な記録になっている。

  関西では3/1(土)〜第七芸術劇場にて上映
  4月 京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンターにて上映予定


※ディープな情報
 ロマは北インド起源の移動型民族。ヨーロッパ史上に確認できるのは15世紀になってからで、もうその頃から「異教徒」として差別と迫害に苦しめられた。放浪者とみなされるが、現代では定住生活者も多い。ジプシーと言う呼称が差別的だからと、彼ら自身の言葉(ロマニ)で人間を意味する「ロマ」を使用する考えがヨーロッパに広まったが、この言葉も東欧の被差別民等に限定して使われるのが現状だ。
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