太秦からの映画便り

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映写室 新NO.30 パブリック・エネミーズ

映写室 新NO.30 パブリック・エネミーズ
 ―世界恐慌の時代の伝説の銀行強盗―

 <舞台は1933年大恐慌の頃のアメリカ>、FBIから一番のパブリック・エネミーズ=公共の敵と言われた男も、庶民にとっては英雄だった。自分たちを苦しめる銀行に巧妙に歯向かう姿に、誰もが拍手喝采したという。悪人なのに人々を魅了した男、美学に生きた実在の銀行強盗ジョン・デリンジャーが、ジョニー・デップの手で魅惑的に甦っています。姿形・心意気と、まさに絵にかいたような“いい男”で、ヒーローのいない今の時代だからこそ余計に眩しい。監督や俳優たちの伝説の犯罪者への共感こそが犯罪かも。

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(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

 <大胆な手口で脱獄や銀行強盗を重ねるジョン・デリンジャーは>、汚れた金だけを奪い、仲間を見捨てないのが身上だ。警察は血眼になって追いかけるが、いつも銃撃戦の末に逃げられる。ある夜、神秘的な美女ビリーと出会い、自分が有名な銀行強盗だと告げると、女は戸惑いながら惹かれていく。今が全てだった男が「2人で遠くに逃げよう」と呟いた頃、捜査網が狭まっていた。

 <…と荒筋を書いただけでも漂う重厚な時代感>、主役はジョン・デリンジャーだけれど、衣装や美術で見事に再現された1930年代も、この作品のもう一つの主役だ
 <車はまだ少なく貴重品で>、いかにも鉄で出来ていそうな重々しいボディと丸いフォーム、冬枯れの道を走る荒涼感さえ絵になる。重い銃声の中、血の海に倒れる男たちの、三つ揃いのスーツとがっしりとしたコートや山高帽。女たちは小さいバックを抱えてウエストを絞ったドレスにハイヒール、ルージュは赤く髪はやさしくウエーブがかかっている。そんな全てが時代の匂いを漂わす。
 <70年以上も前の、静謐さと混沌の入り混じった近代前夜は>、重々しくて、男が男の美学を貫き、女が女の美学でそんな男に寄り添った時代なのだ。守る人と守られるべき人の対比が鮮やかで、本物の男と本物の女がいた時代とも言えるかもしれない。監督の時代感への執拗なこだわりは、この時代への憧れでもあり、ジョン・デリンジャーはそんな時代が生んだ男だとでも言っているようにさえ見える。

 <そこに響く銃声は、観客の腹の底まで響き>、心臓も射そうなほどに重い。この重い銃声もこの作品のもう一つの主人公なのだ。特に林の中の銃撃戦の凄まじい事、次々と倒れ、どす黒い血の池を作って死んでいく仲間たち、あの銃声が頭から消えることはないだろう。平静を装う主人公の孤独と苦悩が浮き上がってくる。
 <ジョニー・デップが>、じっと見据えたようなどちらにも取れるような瞳の曖昧さで、大胆不敵でスタイリッシュ過ぎるほどの男に血を通わせていく。セクシーなこの瞳がいけないのだ。覗き込んで意味を探らせて迷わせてしまう。しかも運命の女と見定めたら危険を冒しても諦めないのだから、女性ファンならたまらない。
 <「エディットピアフ~愛の賛歌~」のマリオン・コティヤール>扮するビリーが、彼から離れられなくなっていくさまが手に取るようにわかる。彼女が又良い。ビリーの秘めた覚悟が伝わってきて切ないほどだ。情感のこもった大きな瞳は、幸せな時すら底に不安が滲む。孤独な魂が絡まるようにして始まった愛の行く手は見えない。愛すれば愛するほど深まる苦悩。それでも覚悟を決めてこの男に付いて行くしかないのだ。女が女でいれるのは確固として生きる男がいるから。…何て、フェミニストの方からは叱られそうな美学が描かれている。

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(C) 2009 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

 <そんな極限の2人の愛も見逃せないが>、追う者追われる者という、相反する立場の男同士の複雑な心理も見逃せない。彼を追う敏腕捜査官パーヴィスに扮するのが、「ダークナイト」のクリスチャン・ベイルで、この捜査官、追いながらもこの銀行強盗の逮捕に執着しきれず、自分は何をしてるんだと言う迷いがチラッと顔を覗かせるのだ。銃声を潜り抜けるもの同士の緩やかな共振が観客に重なり、敵味方を忘れどちらもの応援をしてしまう。捜査官の真っ直ぐな瞳の奥にわずかに滲ませる戸惑いを見て欲しい。

 <実話だけに色々な人が伝説になっているけれど>、もう一人の主役はジョン・デリンジャーを売り渡す「赤いドレスの女」だ。この事件以来「赤いドレスの女」はアメリカで「破滅に導く女」の隠語にまでなったと言うのだから罪深いが、ジョン・デリンジャーは生きていると言う伝説もあるらしい。映画館の前で血の海の中に倒れる彼を見ながら、あれは替え玉だったと、人々は願望から都市伝説を生み出したと言う。

 <この作品の彼の最期はそんな伝説を思い出させる> 忍び込んだ捜査局で危険を察していたはずなのに、わざと罠にかかりに行ったようにすら見えるのだ。少なくとも私にはそう思えた。替え玉で無いとしたら、まるで自殺だ。
 <監獄の中から>、「危険なことをしないで。2年間はすぐだからじっと身を潜めて待っていて」と伝言をよこしたビリー。気楽に過ごしているように見えながら、本物の愛を知った男にとって、ビリーの不在は長く重かったのだろうか。いや、盗み見た捜査局の資料で、時代の変化、自分の生きるべき時代の終わりを感じたのだろうか。パーヴィスの罠を利用してスタイリッシュに自分の人生を閉じたように思えてならない。ラストのビリーへの伝言となるともっと解らない。…とマイケル・マン監督の手中に落ちて、ラストシーンの解釈は迷ってばかりだ。

 <1930年代の世界恐慌の時のようだと言われ>、不況真っただ中だけれど、今の時代大金を掠め取るのは、ボタン一つで遠隔操作するITシステムを熟知した者か、あるいはマイケル・ムーアが告発するように、全てを金融債権に変え、犯罪を犯している意識もないままに、庶民からお金を吸い上げる金融マンだ。正義感など求めないけれど、シンパシーを感じるにはクールで賢過ぎる。こんな時代だからこそ、愚かなほどの熱さと誠意が見たい。銃声の中、仲間と共に刹那を生きたジョン・デリンジャー、危険を冒したビリーとの愛。独りよがりだとしてもその熱さと彼の誠意が、今の私たちをも惹きつける。(犬塚芳美)

    この作品は全国で上映中
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