太秦からの映画便り

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映写室 「ドキュメンタリー 頭脳警察」PANTAさん・瀬々敬久監督インタビュー(後編)

映写室 「ドキュメンタリー 頭脳警察」PANTAさん・瀬々敬久監督インタビュー(後編)  
 ―カリスマロックバンドの再起動―

<昨日の続き>
―近くでカメラを廻していて、水面下の必死の水かきを感じたことはありますか?
瀬々:PANTAさんはそういうの見せたがらないですからね。一度だけ撮影を断られた事があって、「家で曲を作っているところを撮らせてください」と言ったら、唯一嫌そうな感じがしたんで、それ以上突っ込むのを止めました。
PANTA:これはねえ、単に物理的な問題なの。嫌なんじゃあなくて、仕事場は足の踏み場がなくて、カメラを入れる余地もない。不可侵条約じゃあないけど、そこには誰も入らないんですよ。エロ漫画はあるし送られてきたDVDは重なってるしで、発掘したら宝物が一杯出るだろうね。スタジオで作るんなら別だけどね。
―そう言えば、重信メイさんとスタジオで作っているところが映っていましたね。
PANTA:あれは真剣に考えていましたね。どうしようかって。あの時ですらカメラは全く意識してないんですよ。曲を作ることに集中していて、不思議だなあと思いました。普通カメラがあったら演技するよねえ。
―それよりは曲作りの方がずっと大事ですものね。
PANTA:そうでしょうねえ。こっちの進行を記録してもらっているんだから、肝心の仕事をしないとね。

brainpolice_sub2.jpg

―ええ。ところで、須田さんの予感が確信に変わったのは何時ごろですか?
瀬々:映画のとおりです。京都の円山公園でPANTAさんがTOSHIさんに「やろうか」と言うわけですよ。3部作は時間経過どおりに編集してますから、それまでに1部2部と時が経過してるわけです。
―個人活動はともかく、激しい活動期とお休みの期間がありますが。
PANTA:基本的には90年に再結成した時から続いているんですけど、もっと広義な意味で言うと、ビッグジョンで始めた時から続いているんでしょうね。それを映像が上手く捕らえているなあと思いました。90年に再起動した時は、自分が丁度「プラハからの手紙」、「クリスタルナハト」とソロでアルバムを続けて出した時です。その頃はライブと言うと頭脳警察の曲で、他の物が何かしっくり来ないと言うか、混ざらないんですよ。75年に解散した時には思いもしなかったけれど、これはもうそんな時期なのかなあと思い、そこで初めてTOSHIに「やろうか?」と声かけて、そしたらTOSHIが1年待ってくれと言い、90年に再結成したんです。今回もまだ形にはなってないんだけれど、重信房子とのコラボレートで「オリーブの樹の下で」と言うアルバムを響で出した事で、いや、その前に静岡の連赤の上垣氏がやってる「バロン」と言うスナックで、響が頭脳警察の曲だけでやったことかな。これを「特型響」と名付けて、その数ヵ月後に丸山公会堂で、今度は響にTOSHIを入れてやったんですよ。こっちは「「特2型響」と名付けたんだけど、イコール頭脳警察ではあるわけです。でもあの時点では響きのメンバーがやっているし、あくまでTOSHIを入れただけ。

―ええ、ええ。
PANTA:そろそろ頭脳警察の曲をやる時期なのかなあと。で、TOSHIに「やろうか」と言うんだけど、企画でもないし、自分の直感ですよ。頭脳警察はTOSHIと俺でやっていくもんだと思っているから、何時でも良いしね。今回90年代のメンバーには声をかけず、事後承諾の形で陽炎のメンバーでやっていますが、「時代はサーカスの象に乗って」をぜひ頭脳警察でやりたいなあと思ったのが先ですかね。それをシングルにして皆に聴いて貰いたいから、全国ツアーをやっていました。アルバムを作るとこの曲が消えちゃうから、作るのをずっと伸ばしていたんですね。でも流れはだんだんそうならず、そんな風に1つ石を投げるとどんどん回りに渦が出来てきた。再起動はその渦に自分たちが巻き込まれたと言う事かなあ。自分たちの意志とは違う所で色々な意志が働き、それに動かされたとも言えるし。でも石を投げないと渦は起こりませんからね。

―同じ曲をやりながら頭脳警察でやるというのはそれだけ特別な事なのですか?
PANTA:そうですね。かまえちゃう所がありますね。陽炎で頭脳警察の曲をやるのとは、全く意味合いが違うんです。力も入るし、血圧の上がり方が違うと言うか。
―それは何故なんでしょう?
PANTA:何なんでしょうねえ。
―周りでご覧になって、どう思われますか?頭脳警察と言う名前の持つインパクトとか?
瀬々:名前の力もあるとは思うけれど、頭脳警察になると、1極からPANTA さんとTOSHIさんの2極構造が出来上がるんですよ。それが大きい気がします。2極になって、回りの色々な物が取り入れられてスパークすると言うか、もっと大きなものになっていく。実際に絵の見え方がぜんぜん違いますから。
PANTA:化学反応ですかね。(3人肯く)

―所で、頭脳警察と言う名前は誰がどのようにしてつけたんですか?
PANTA:自分です。もう亡くなったんですが、フランク・ザッバというロックの神様のような方がいましてね。彼のやってた、とってもアバンギャルドなバンドがあって、そこの曲に「Who Are The Brain Police?」と言う大好きなものがあるんです。邦題は「ボスは誰だ」とついてましたが、それをそのまま日本語に直訳したんですよ。名前も日本語でつけたいと言う思いがあったものですから。当時日本語の名前のバンドなんてほとんどなかったなあ。「5つの赤い風船」とか位ですかねえ。

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―色々な洋楽を聴かれ、こんなにお好きなのに、日本語に拘り日本語でロックを歌ったのはどうしてですか?
PANTA:日本人だから。聴いて下さるお客さんも日本人だからです。当時コピーバンド全盛期だったんですよ。と言うのも、アメリカ軍のキャンプ周りの仕事が一番ギャラが良くて、バンドマンにとって洋楽をどれだけ上手くコピーできるかは死活問題だった。沖縄のミュージシャンとか特にそうですし、グループサウンズが出てきて、皆真似をしていました。自分たちもごたぶんにもれずやってたら、そこに外国人が入ってきて顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたんです。もう出来ない。プレスリーだとか大好きだったものを捨てて、とにかく自分たちのものをやろう、何にも解らないけれど、やってみようよと言って始めたのが頭脳警察なんです。当時は特殊だったけど、(日本人なのに何で日本語で歌わないの?)と言う、ごくごく普通の気持ちですよ。

―日本語はロックに乗らないと言われていましたが、そこであんな歌い方が生まれたと
PANTA:当時はそう言われましたね。歌い方のヒントは、自分が小さい頃体感したことが血肉になっていますから。真似しないつもりでも好きなアーティストの癖が出ていていますよ。でも、意識的に排除したものもある。アメリカ社会で差別された黒人たちが、白人たちに解らない様に、歌詞をごまかしてはっきり歌わないブルースを、日本人が真似してどうするのよと言う思いがあって、大好きだけどこれは趣味で置いておいた。バンドの方向性を探って必死だったけれど、頭脳警察にはブラックを一切入れていない、それは良かったと思います。
―こうして伺っていても、特徴的なとても魅力的な声ですよね。お話になるだけで説得力があるというか。その声も味方したのでは?
PANTA:でも録音のエンジニアに言わせると、採り辛い声らしいですね。倍音が一杯出ててマイクに通り辛い声、今流行の細い声じゃあありませんから。大体ミュージシャンで自分の声が好きだと言う人はいません。たいていコンプレックスを持っているもんです。コンプレックスは持っていないけれど、自分も好きな声ではありません。だから、どう自分の声を使ったら、この歌を歌うのにベストかなあと考えます。ジョン・レノンはエルビスの声に憧れ、何とか彼の声に近づけないかとコンプレッサーという機械を開発している。皆こんな声だったらいいのにとか、こんな風に歌いたいとか、憧れているアーティストがいるもんです。で、憧れの人を真似するんですよ。自分の小学生の頃はエルビスでしたね。ただ、頭脳警察をやるに当っては、お手本になるアーティストがいなかった。先を行く人がいない、何も無い中で始めたものですから、もうがむしゃらですね。そうして必死にやってきて、次の世代、又次の世代と受け継ぎ、気が付いたら道が出来た。今やハイウエーが出来たのに、未だにその横で藪を切り開いて歩いていると。

―でもそれが嫌じゃあないと。
PANTA:ええ、嫌じゃあない。ハイウエーには乗りたくない。
―そういう姿勢がこんなに長く時代を引き寄せ伴走してらっしゃる所以でしょうか。
瀬々:それもあるでしょうが、アーティストの人って、俺が俺がって人が多いじゃあないですか。PANTAさんはそうじゃあない。どちらかって言うと、自分より先に時代や社会があって、今のこんな時代のこんな状況の中で、自分はどうだとか、どう社会と対応していけばいいのかとか、何を信じていけばいいのかって言うのが、PANTAさんの歌だと思います。世界と言うキーワードがあって、いまの人々と言うキーワードもあって、この世界をどうすればいいんだと言うのが、ものつくりの基本、スタート地点だと。
PANTA:ああ、そうかもしれない。世界の動きを否定するわけではないけれど、自分が気に入らないことも流れだもんね。未だに、スタッフ・レコード会社全てが反対することを、今やりたいのはこれだと思ってやってますから。

―時代に併走しながら、その時代に流されず未来を見据えて異を唱える。そんなところがPANTAさんがPANTAさんである所以かと。70年代当時の頭脳警察の場合、バンドだけでなくそのファンすら特別な人たちで、時代感覚に優れた、尖がった人だけが心酔してもいいようなイメージがありました。近寄りがたくて、あの頃だったら私なんてとてもこのようにお話を伺えません。映していて監督にそんな気後れは?
瀬々:もちろんそんな所もありますが、PANTAさんも同じように日常生活を送っていますよね。歌と言うのは日常生活を踏まえてのものだし、僕らも日常生活の鬱積した気持ちを投影して頭脳警察の歌を聴いたし、そんなにかけ離れていないと思うんですよ。特別な存在には違いないけれど、ぬるっとしてて、付き合っていけると思っています。今は特にそうですね。当時尖がって、そういう風に生きないと仕方なかったとは思うんですけど、今だったら、一緒に時代をつかむつもりで聞けると言うか。そこが頭脳警察が古くならないところで、根っこの部分は一緒ですから。
―PANTAさんは色々な時代を経験されましたが、ステージからご覧になって客席に変化はありますか。
PANTA:物凄くヘルシーになっていますよね。何人かは血走った目もあるけれど、昔ほど全体が勇み走っていない。物も飛んでこないしね、TOSHIが投げるくらいで。(笑)昨日のファイナルにしても、赤軍兵士の歌で、客席がこぶしを振り上げないで踊っているんですよ。時代ですね。でも今ならではの不穏な蠢きも感じる。だからこそ頭脳警察を再起動したし、皆に「俺たちに明日はない」をぶつけたいんだよね。(聞き手:犬塚芳美)

《作品の感想とインタビュー後記:犬塚》
 <このドキュメンタリーはステージだけでなく>、練習風景、ミーティングと、伝説のバンドの素顔が覗けますが、素顔もやっぱり輝いていると言うのが感想です。まるで変らないかのごとく緩やかに年を重ねたPANTAさん、そこに懐かしさなんて微塵もない。今そのもので、見せないだけに、栄光の裏側で走り続けた、時代を探り続けた、カリスマアーティストの過酷な人生も想像しました。
 <インタビューは>緊張の連続。でもPANTAさんも瀬々監督もとてもフレンドリーで、解りやすく丁寧に思いを口にして下さり、その姿勢に感動と感謝です。音楽に詳しい方なら、もっと深く伺えたはずで、力不足が残念。「俺たちに明日はない」なんて何処までも重い物をぶつけてくるバンドですが、PANTAさんの声を生かしたスローバラードも聴いてみたい。大人ならではの静かな愛の歌も甘くなり過ぎない筈だと言うのが、PANTAさんの声に魅了された私の願いと感想です。叱られるかしら?


この作品は、1月16日(土)から第七芸術劇場、
   順次京都みなみ会館、神戸アートビレッジセンター  にて公開
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